はてなキーワード: 呼び方とは
そりゃあネット全体で見たら確かにインフラだけど、個々のサイトは趣味的な集まりに過ぎないだろう。
リアルで言えばサークルや部活みたいなもんで、社会的な企業組織なんかとは話が違う。
嫌ならやるなが通じる世界だ。
そういう集まりに対して元からいた人たちの文化を蔑ろにし、自分たちの理想に合わせろと叫ぶのは違うだろう。
・元増田はセクハラに例えているが、セクハラは完全な加害行為でこれもまた全然話が違う。
ただお前が勝手にその発信を目にしただけだ。
道端で自分にとって不快な発言をしている人とすれ違ったとして、お前は「そんな話をするな!」と殴りかかるのか?
・とはいえ、俺も発信者側は優しさ(義務ではなく)である程度、検索よけの配慮はした方が良いとは思う。
ただ、じゃあその発信者側はどういうワードで検索よけをすれば良いんだ?
受け手側が色んなワードをミュートしてもすり抜けてくる……と思っているように、発信側もちゃんと表記したのに受け手側がそのワードをミュートしていなかった……となっているかもしれない。
CP表記なんて色んな呼び方があるんだから、そういう悲劇は確実に起こり得る。
じゃあ、思いつく限りのCP表記でタグを埋めるのが発信者の義務なのか?
さすがにそこまでを求めるのは、どう考えてもおかしいだろう。
一部界隈に、パートナーのことを『相方』と呼ぶ文化があることは、多くの人が知っていることと思う。
「お笑い芸人かよ」「素直に恋人って言えよ」という批判もそれなりにあるのだが、
恋愛的な意味ではない、自分にとってオンリーワンの相手に使うことも少なくないため、個人的には普通に受け入れている風習だった。
ところがつい先日である。
コロナ以来で久々に会ったバイセクシャル(男女共に恋愛対象と見ている)の知人が、同性の『相方』さんを連れてきた。
これはそういう仲になのか? と相方さんが席を外したタイミングで聞いてみたところ、まだバイセクシャルであることは伝えておらず、恋愛関係ではないと言う。
『相方』という呼び方が恋愛と関係なくとも使うのはわかっているが、この場合は実際に恋人になってから呼び名を変えた方がいいのでは? と疑問を覚えたのだが
曰く、相方さんは同性から特にモテる為、周りの人間への牽制のために『相方』と呼んでおり、当人にそのことは伝えていないらしい。
つまり『相方』という呼び方が恋愛、恋愛外双方のパートナーに使われているのを利用して、
『相方』と呼んで勝手に恋人面をしながら、注意されたら「『相方』ってそういう意味じゃないし」と言い逃れをする、という行動をとっていたのだ。
正直に言って、卑しく気持ちの悪い発想だと思った。
しかし当人曰くこれはよく使われている手法で、むしろ恋愛感情のある自分はマシな方であり、
性質が悪いタイプだと、恋愛対象ではないが他人に渡したくない同性の友人を『相方』と呼んで異性を遠ざけさせ、自分だけは異性の恋人を作る、という手合いがゴロゴロ居るのだという。
本当にゴロゴロ居るのかはわからないが、そう言われるとしっくり来る、もしやアレはそうだったのか、という記憶が幾らかあった。
黒人の俺が断言する。ブラックリストが差別的とか言ってる奴は全員バカだ。
まずブラックリストという単語は黒人差別から生まれたものではない。黒人の奴隷化や黒人差別が問題になる前から存在する言葉である。ググればすぐ分かる。
黒に悪の意味があり白に善の意味があるのは当たり前だ。人間が夜行性動物じゃない以上、夜には闇を感じ、闇は暗く、暗いのは黒い。闇から天敵が出てくる恐れだってある。闇と恐怖は深く関わっている。黒という色が否定的な意味を持つのは英語に限らずあらゆる文化圏・言語に見られる普遍的なものだ。これを変えることはできない。
黒人という呼び方がそもそもバカが本質的ではない言葉狩りを始める原因だ。黒人に嫌だと言われたからブラックリストという言葉の使用をやめたとかいう奴もいるが、それはその黒人がバカなだけだ。お前は穢多だった人にエタノールが差別的と言われたからってエタノールを改名しろと叫ぶのか。勝手に自分に結びつける穢多がバカなだけだと思うだろう。
ホワイトハウスはどうなんだ。ホワイトハウスはただ白いからホワイトハウスなだけだろ。ホワイトハウスを見て白人至上主義を思い浮かべるのは人種差別者のバカだけだ。黄色信号はどうだ。お前ら日本人を含む黄色人種がイエローと呼ばれてる時があったが、それを理由に全部の信号の色を変えろと言うんだろうな。イエローカードも一緒だ。イエローカードは黄色人種への差別なのか?
黒色が否定的な意味を持つのはどこでもそうなんだから、黒人を黒人と呼ぶのをやめることに目がいかずに本質的ではないブラックリストなどに目くじらを立ててる奴は全員バカだ。お前が差別主義者だ。ブラックリストより分かりやすい単語があるからそっちを使うというのは理に適っているが、ブラックリストが差別表現であるというのはバカと差別意識の丸出しだ。いい加減にしろよ偽善者ども。
自分は幼いころにイギリスに住んでいた。そこで現地の少女たちのブルマー姿を見た記憶があるのだが、wikipediaの日本語版、英語版の「ブルマー」の記事を確認しても、初期のだぼだぼしたブルマーしか写真がなくて、ぴっちりしたショーツ型のブルマーの画像が見当たらない。これはどうしてなのだろうか。そもそも欧米にブルマーがあったのは僕の記憶違いだったのだろうか。そのことについて探求したい。
「ブルマーの社会史」によれば、従来の通説である「東京オリンピックで放映された、ソ連のバレーボールのチームのブルマー姿がかっこよくて、少女たちが憧れた」という説が否定され、「むしろ衣料品メーカーの都合や教師の意見が採用されたもので、少女たちとしては恥ずかしがる者も多かった」らしい。言い換えるなら「提灯ブルマーからショーツ型のブルマーへの進化は、日本人男性が幾分無神経であったからだ」ということになる。この内容が正しいのだとしたら、欧米ではショーツ型のブルマーはそれほど広がっていないはずだ。しかし、今でもバレーボールのチームはブルマーとまではいわないまでも短パンが多いし、過去のオリンピックを見れば間違いなくブルマーを着用している。現代の女性の陸上選手も、ビキニタイプで運動している。なのに、画像検索をしても、ブルマー姿の女子生徒の姿がうまく見つからない。「bloomers」「gym knickers」と探しても、コスプレ用サイトが引っかかるばかりだし、「gym shorts」ではブルマーとは似ても似つかない現代のジョギング用の短パンしか出てこないのだ。イギリス人少女のブルマーは、僕の記憶違いだったのだろうか?
真偽はともかく、少女たちがソ連のブルマーに憧れたのなら、ソ連のブルマーを探すべきだろう。そういうわけで「soviet union physical education」(ソ連 体育)で検索したところ、確かにあった。ソ連の少女たちのブルマーが!
https://www.rbth.com/history/331873-physical-education-in-soviet-schools
https://galinabulakh.wordpress.com/2013/11/02/my-soviet-education/
結論。ショーツ型ブルマーを身に着けたヨーロッパ人の少女は僕の記憶違いでいはない。
僕は数時間をかけて、イギリスのブルマーの画像も見つけ出すことに成功した。
http://www.historyworld.co.uk/photo.php?id=1608
http://www.elyhighschoolforgirls.org.uk/ehs-photo-album.htm
https://www.deviantart.com/sudo5348/journal/Regulation-knickers-in-Europe-725319871
記事を読んでみるとイギリスでは「bloomers」のほかに「regulation knickers」「navy school knickers」それと、少し素材が違うかもしれないが「spandex bottoms」という呼び方があるようである。それによれば、ヨーロッパでは五十年代から七十年代にかけてを中心にこうしたブルマーが使用されていたらしい。日本と同じように、紺色をはじめとした地味な色であったようである。日本のショーツ型ブルマー全盛期とは年代がずれているのが興味深い。実際、日本のアニメを見た西洋人が「どうして日本の女の子は体育の授業のときにパンツ一丁なの?」という疑問を持つそうで、アニメを鑑賞している世代と、欧米のブルマー世代とのずれを感じさせる。もっとも、最近の漫画やアニメは、ブルマー姿の女子を見ながら育った世代によって作られていないから、普通の短パンに代わっているようだが。
https://www.youtube.com/watch?v=g_WZwt_cKjs
https://www.youtube.com/watch?v=NV-wG_I3ioc (真ん中あたりから)
この動画で見ても、やはりポーランドやチェコなど、東欧にもブルマーは存在していたらしい。
ここで一つの疑問がわいてくる。どうしてのどかな体育の授業の画像を検索するためだけに、数日を費やさなければならなかったのか。シンプルに単語の選択がまずかっただけのだろうか。
僕は疑問に思う。ただの体育の授業の風景を「わいせつ」だと断じて、オンラインに掲載しなかったのではないか、と。それとも、検索エンジンにバイアスがかかっているのか。それは杞憂・誤解かもしれない。日本人のブルマーフェチとして育った世代はデジタル機器になじみがあるが、欧米のブルマーフェチ世代はなじみがない、それだけのことかもしれない。Wikipediaの記事に細かいことが書かれていないのもそれが理由の可能性がある。事実、探せば少ないとはいえ、イギリス人少女のブルマー姿での運動会の動画はyoutubeで見つかるし、上の画像のいくつかは歴史ある学校のサイトだ。また、日本人のブルマー姿を見つけやすかったのは、日本では盗撮された運動会の画像が平気でネットをただよっているのも原因かもしれない。ブルマーはかわいいけれど、盗撮はいかがなものかと思う。
女性のファッションの歴史は興味深い。スカートの長さだけを取ってみても、足をきれいに見せたいとミニスカートが流行ったかと思えば、恥ずかしいから長くしたいという逆の流れが起こる。これは、どっちが正しいとかそういう問題ではないだろう。ファッションは身に着ける人が楽しければいいのだ。「男性を魅了したい」「見られるのは恥ずかしい」、いずれも筋の通った意見であり、どっちが正しいというよりも気分を反映したものに近い。エアロビが流行った頃、たとえば「うる星やつら」のアニメの頃なんかだと、レオタードでエアロビなんかの運動をしているのだけれど、今なんかだと短パンのほうがおしゃれだとされる。
そういうわけで、ブルマーの廃止と陸上選手の衣装の軽量化には矛盾は感じない。結局、何を身に着けて運動するかは選手本人が決めればいいことで、自分のような外野が口を出す筋合いのことではない。たとえ素っ裸で走ったところで、鍛えられた身体から放たれるオーラによって、下品さはほとんど感じないだろう。
「どうしてブルマーは嫌なの? ミニスカートや短パンと肌を見せる量は同じじゃん?」という疑問に対しては、「肌を見せることよりも、強制されるのが嫌」的なことなのだろう。僕も学校生活は楽しかったが、制服を身に着けていると落ち着かなかった。どこでもその学校の一員であることを要求されるからだ。何かを強制されるのは面倒なことが多く、だから昨今の女子生徒が制服をパンツスタイルとスカートから選択できる流れは、大いに歓迎している。
今回は、日本のみならずイギリス、共産圏にもショーツ型ブルマーが存在していたことを示した。すなわち、だぼだぼの提灯ブルマーからショーツ型のぴっちりブルマーへの進化は、日本だけではなく、世界的に存在していた流れであった。今後は、アメリカや西ヨーロッパ諸国、あるいは中国や韓国にもブルマーが存在していたかどうかを調べたく思う(上の記事には日本以外のアジアにブルマーはないとしているものもあるが……)。
そして、スクール水着やレオタードの海外における普及についても知りたい。
英語だが、「どうしてバレーボールのパンツはあんなに短いの?」と題した記事がある。ブルマー問題に一石を投じるかもしれない。
https://howtheyplay.com/team-sports/Why-are-Volleyball-Shorts-so-Short-and-Tight
アメコミのヒーロー、スーパーマンやバットマン、相棒のロビンなどのコスチュームにショーツ型の部分がある。男性のこうした短パン・ショーツ型の衣装の歴史についても研究が必要だろう。
https://www.youtube.com/watch?v=ybSMEPBhCxw
1930年のイギリス。おそらく、この提灯ブルマーがイギリスのショーツ型ブルマーへと変化していったのだろう。
続き→
さかなクンさんとか
なかやまきんにくんさんとかさぁ
半分ジョークにしても見るたびにもやっとするわ。
本人もそんなややこしい呼び方を望んでないだろ…
ブクマで「バカチョンカメラ」を挙げてる人が何人もいるけど、逆だよ
差別的なので「バカチョンカメラ」という呼び方をやめてコンパクトカメラとかインスタントカメラと言い替えるようになったんだよ
「バカでもチョンでも」という言い方は当時もはっきりと差別のニュアンスはあったし、バカチョンカメラの普及によってそのニュアンスが薄れたという事実もないし今もそうでしょ
ただしバカチョンカメラのバカチョンが本当に「バカでもチョンでも」から来ているかはじゃっかんあやしくて、「vacation」をイタリア語風に読んだという説もある
これが本当だとすると、本来差別の意味がなかった言葉に差別のニュアンスが強引に見いだされたわけで、むしろ元増田のテーマとは正反対になるよね
岡村発言の件で、ある人が岡村氏のことを「彼」と表現しているのを見て、非常に何とも言えぬ違和感を感じた。
言葉の使い方というものが、そんな形で私自身に染み付いているのだと自覚しただけである。
目上の人には「様」、それ以外の人には「さん」、後輩や部下には「くん」など、呼び方ひとつで身分制度を発生させてしまう。
「お前は」などと呼ばれた日にゃぁ「てめぇは何様だ?」と反発も感じる。
「増田」はその点、微塵たりとも身分制度を発生させないのでなかなか気に入ってるが、そんな事はここでしか通用しない話なのでどうでもいい。
でも「彼」という用語に対する違和感って一体何なのだろうと考えて、例えば「私の彼ったらさぁ」という場合に、そこになんとなく「支配」感を感じるのは私だけであろうか。
「俺の彼女はさぁ」とでもなると、「彼」に「女」が加わって差別感はやや増大する。
ともあれ、「彼」という呼び方はそれを使う話者を上の立場にして、呼ばれた方は下の立場になるというのはどうも感覚的に合っている気がする。
例えば自分の上司を、同僚との会話で「彼はさぁ、結局馬鹿なんだよね」とでも言おうものなら、最早勝ち誇って天下を取った気分だ。
言葉の使い方一つで見下したり見上げたり、なんで言葉にそんな機能が備わってるんだろうね?
岡村発言の件で、ある人が岡村氏のことを「彼」と表現しているのを見て、非常に何とも言えぬ違和感を感じた。
言葉の使い方というものが、そんな形で私自身に染み付いているのだと自覚しただけである。
目上の人には「様」、それ以外の人には「さん」、後輩や部下には「くん」など、呼び方ひとつで身分制度を発生させてしまう。
「お前は」などと呼ばれた日にゃぁ「てめぇは何様だ?」と反発も感じる。
「増田」はその点、微塵たりとも身分制度を発生させないのでなかなか気に入ってるが、そんな事はここでしか通用しない話なのでどうでもいい。
でも「彼」という用語に対する違和感って一体何なのだろうと考えて、例えば「私の彼ったらさぁ」という場合に、そこになんとなく「支配」感を感じるのは私だけであろうか。
「俺の彼女はさぁ」とでもなると、「彼」に「女」が加わって差別感はやや増大する。
ともあれ、「彼」という呼び方はそれを使う話者を上の立場にして、呼ばれた方は下の立場になるというのはどうも感覚的に合っている気がする。
例えば自分の上司を、同僚との会話で「彼はさぁ、結局馬鹿なんだよね」とでも言おうものなら、最早勝ち誇って天下を取った気分だ。
言葉の使い方一つで見下したり見上げたり、なんで言葉にそんな機能が備わってるんだろうね?
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
なんか上の記事で(長いので全部読んでないけど)NL(ノーマルラブ)って呼び方は差別だってあって、よくわからんかった。
俺は同性愛はノーマルかアブノーマルかでいうと、アブノーマルだと思うけど。
一応用語の説明をしとくけど、「ノーマル」は「正常」とかいう意味で、「アブノーマル」は「異常」とか「正常でない」という意味で俺は使っている。
何をもって異性愛がノーマルで、同性愛がアブノーマルなのかという話だけれども、人の自然交配が男女の組み合わせだからだと考えている。俺ら人は雌雄同体のウミウシでもなければシダ植物でもないので、人は男女の組み合わせで生殖活動するのが生物としてのノーマルだろう。
「雌雄同体の生物もいるのだから、異性愛が『ノーマル』とは言い切れない」という反論があるかもしれない。けれど俺は人間の話をしている。ウミウシにとって同性愛は「ノーマル」でも、人にとっては違うだろう。
だからといってアブノーマルを差別しろとか、迫害しようってわけでもない。好きな生き方をしてもいいし、人の恋路や生き方にとやかく言う気はない。BLの同人誌書けばいいし、誰と誰のカップリングでオナニーしようが、その人の勝手だろう。
「男が男を好きになろうが、別にいいんじゃない?(まあ変だけど)」というスタンスである。
そもそもすべてにおいて「ノーマル」なんて人はいない。同性愛はもちろん、先天的にも、後天的にも「障害」を持つ人がいるだろう。指が4本しかない人や、目が見えない人。これらは人としての本来の機能として「正常」ではない。が、だからといってなんだというのだろう。正常ではないからと言う理由で迫害を受ける謂れはないし、多様な生き方は許されるべきだ。社会はアブノーマルを受け入れるべきだ。俺だってロリコンだし。
しかしノーマルかアブノーマルかでいったら、「アブノーマル」だろう、という話である。同性愛も、指が4本しかない人も、目が見えない人も、ロリコンもアブノーマルだ。
正直言って、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにしろ」は、言葉遊びにしかならないのでは?
たとえば同性愛をノーマルの仲間入りにしたとして、子供ができますか?という話。「子供を作らない選択肢もある」という話ではなく、「iPS細胞でいつかできるようになる」という話でもなく、「自然交配で作ることができるか?」という話である。可能か不可能かの話である。生物は生殖活動ができるのがノーマルなので、それができないのはアブノーマルだ。いくらノーマル呼びにこだわったところでだ。
異性愛でも子供ができないという人もいる。それもアブノーマルだ。ちなみに俺は精子が少ないと言われたので、病院に通っている。多くの人は病院に通わなくても子供ができるだろうけど、俺は精子の量や活動が「異常値」なので、通院しなければならないってわけだ。
もし俺が「あなたの精子が少ないのも、別に変なことではなく、ノーマルですよ」と言ってもらえたところで、「は?」という気しかしない。
「アブノーマルでも受け入れられる社会」と、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにする社会」では、全然意味合いが異なるのには注意したい。
前者はアブノーマルはアブノーマルのまま受け入れられるのに対し、後者はアブノーマルにノーマルの機能を要請されかねない。あるいはノーマルの再定義が必要になる。そんなのめんどくせ。俺は受け入れられてさえいれば、アブノーマルのままでいいんだよ。
もしかして「普通」という概念をなくそうとしているのだろうか? たしかに普通という概念がなくなれば、すべてのものはありのままにだけども、やっぱり言葉遊びの域を出ないのでは?
増田が人形が趣味なだけだといくら主張したところで、誰がそんなの認めるんだ? ということだよ。
ここやブクマカはそりゃ賛同は得られるかもしれない。この人達の大半はエビデンス派みたいなものだからな。
だが世界は違う。
児童性的虐待犯罪は絶対になくさなければならないと大勢が思っているのだ。
驚くほど多いのである。あるデーターでは20歳未満の女性の1億人以上が性的虐待被害を受けている。
もちろん、詳細なデータも見ていく必要はある。親に依るものが結構多い、など。
児童に性的興味を抱いたりするような、そうした傾向を持たないで欲しいのだ。そのきっかけさえ奪ってしまいたい。
どれほど、性的虐待を受けた子供が生涯に渡って深刻な影響を受けるか考えたことがあるだろうか?
増田がもし本気で趣味を守りたいと思ってるんだったら、たとえ規制されても闇からでも仕入れるだろうし、自分でなんとかするはずだ。
甥っ子姪っ子もいて、それとは関係ないって、そんな考え方よく出来るなと思う。
もしその子どもたちが性犯罪被害にあって、犯人の部屋に幼児型セックスドールがあったらどう思うのか。
児童性癖への興味を駆り立てるような漫画を簡単に入手してしまえる。
児ポ法の時は肝心なことを議論できないで、枝葉末節の部分で批判を食らって結果野放しになってしまった。
無関係だという主張も成り立つかも知れない。
だけど、それでも規制すべきだと思う。
公式のBLは素晴らしいと思うが、個人的には非公式のBLが大好物である。公式カプという暖かな焚き火を平和に囲むより、火のないところに煙を立てて勝手にキャンプファイヤーをするのが大好きである。
友情というかブロマンスというか、決して恋愛感情ではない強い絆で結ばれた男達が好きなのである。あるいは、互いに嫌悪し顔を合わせる度に命を取り合うような男達が好きなのである。原作ではどう考えても結婚しない、肩は組んでも手は繋がない男達を二次創作であれこれウフンアハンさせるのが好きなのである。
で、好きがこうじた私は、ありがたいことに作家になれた。
私が腐女子であることは誰も知らず、あくまで健全な男達の友情を描き、これも大変ありがたいことにそこそこの人気が出た。
ファンレターもいただき、皆とても清廉というか純粋というか、腐女子の腐の字も感じさせない……ちょっとは感じるかな、でも「A×B萌えです」などとはっきり言う方は存在せず、届く前に抜いてくれているのかもしれないが誹謗中傷もなく、本当にありがたい環境にある。
が、きっとあれでしょう?作者には言わずとも裏では萌えてくださっているご婦人方がいらっしゃるでしょう?と邪推をし、私はpixivを見た。Twitterも見た。すると、出るわ出るわA×BにC×D!甘酸っぱい初恋からドロッドロのR指定まで!ウッヒョーありがてえ!……と思ったのだが、ふと気付く。いくら探しても推しカプが出てこない。検索方法が悪いのか?略称が違うのか?特別な呼び方があるのでは?と考え得るあらゆる可能性を検索バーに叩き込んだが、推しであるA×Cが一向に見付からない。代わりに出てくるA×BとC×Dの山……っ!いや分かる確かにそこもオイシイ細かいところまで拾って広げてくださりありがたい、しかし何故だ、何故なんだ……誰か一人くらいA×Cにも萌えてくれていたってバチは当たらないだろう、もう自分で描くか?布教するしかないか?とネームをいや駄目だ危ねえ、そんなことしてる場合でもねえし増田やってる場合でもねえけど何故だ!!
ええと、皆様いつも本当にありがとうございます。「公式」としては燃えていないのが私の好みでありますし皆様もきっとその筈なので、推しカプが「そう」見えていないのは狙い通りではあるのですが、もし……もしもね、いつかA×Cにも萌えてくださる方がいたならば、ここに同志がおります。一生名乗り出れないけど、私がここにいることを何かの時に思い出してください。いや待って、作者が実は腐女子だったとか言われたら私なら倒れるからやっぱり忘れてください。
ツイッターに疎いこのあたりの皆さんに愚痴るのも恐縮ですが、note開設めんどかったのでこっちで。
BLは腐ってないとか、NLはおかしいとか、一部の腐女子とツイフェミとセクマイに理解ありますよが合体した人達が今ツイッターで声をあげている。
それは別に構わないと思う。彼女らが否定的な意見を検索して噛みつこうがブロックすりゃいいわけだしね。とりあえず私は腐女子と自称するのをやめません。
そちらが腐女子というワード自体が地雷と化しているならミュートにしたらどうですかね、あと「BL好き」は長いから百合豚→姫男子くらい印象良くなりそうで呼びやすい名前そちらで名乗ったらどうでしょうか。そしたらそれを私はミュートにするので。
話がそれたが言うのは勝手だしやるのも勝手だし名乗るのも勝手だから好きにしたらいいよ。
NL(ノーマルラブ)はセクマイに失礼だからHL(ヘテロラブ)にしろ!って言われても、嫌どすとしか言わないよ。NL(ノンケラブ)もダメらしいし話通じなそうだからね。
あとヘテロって使うならBL(ボーイズラブ)GL(ガールズラブ)じゃなくてGL(ゲイラブ)LL(レズビアンラブ)とか揃えた方がいいんでないかな。自分がなんでヘテロラブって言い方が嫌なのかは全部フィクションのジャンルで、フィクションのBLが不快な人がいるとわかってるからだ。そういう人達を言い訳に名称変えようとしてる人達が嫌いだからだ。絶対呼び方変えません。
あとAセク?の人がたまに「結局セ〇クスか!」と発狂しているのを見るのでついでにラブがない何かのジャンルでも作ってあげてください。
みんなノーマルならタグ表記なし棲み分けなしで男女カプ流してもオッケーだよな
HL使えって言われてもそれを聞き入れる義理はないんだし
NL表記したら文句言われるなら何もつけずに普通に男女カプ垂れ流していいと思うよ
というか元々は男女カプはタグとか無かったのがBLやGLはタグで棲み分けしてるのに男女カプだけ無しで垂れ流しはおかしい!って流れになってNL表記が誕生したんだから
今まではNL好きの配慮によって棲み分けされてた状態だったわけよ
そこに文句付けるならじゃあ昔と同様男女カプはタグ表記なしでいいねってなるに決まってるじゃん
男女カプ好きの人はいつも腐に文句付けられて振り回されて可哀想だな
タグ表記なしはおかしい!BLは隠れてるのに!って文句を聞き入れたからNL表記作ったのに今度はそれが差別的だからやめろ!HLにしろ!ってワガママすぎ