岡村発言の件で、ある人が岡村氏のことを「彼」と表現しているのを見て、非常に何とも言えぬ違和感を感じた。
言葉の使い方というものが、そんな形で私自身に染み付いているのだと自覚しただけである。
目上の人には「様」、それ以外の人には「さん」、後輩や部下には「くん」など、呼び方ひとつで身分制度を発生させてしまう。
「お前は」などと呼ばれた日にゃぁ「てめぇは何様だ?」と反発も感じる。
「増田」はその点、微塵たりとも身分制度を発生させないのでなかなか気に入ってるが、そんな事はここでしか通用しない話なのでどうでもいい。
でも「彼」という用語に対する違和感って一体何なのだろうと考えて、例えば「私の彼ったらさぁ」という場合に、そこになんとなく「支配」感を感じるのは私だけであろうか。
「俺の彼女はさぁ」とでもなると、「彼」に「女」が加わって差別感はやや増大する。
ともあれ、「彼」という呼び方はそれを使う話者を上の立場にして、呼ばれた方は下の立場になるというのはどうも感覚的に合っている気がする。
例えば自分の上司を、同僚との会話で「彼はさぁ、結局馬鹿なんだよね」とでも言おうものなら、最早勝ち誇って天下を取った気分だ。
言葉の使い方一つで見下したり見上げたり、なんで言葉にそんな機能が備わってるんだろうね?
「彼は」「彼女は」は上下関係なく対等に第三者を呼称するときに使用するでしょう。小説にいくらでもでてくる。 自身のパートナーを呼称するときに使用する「彼」「彼女」には全く...