はてなキーワード: 名言とは
広い意味で調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまいます。
けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカやアシカにショーをさせ、イエイヌを人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります。
けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思います。イルカ・アシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌは不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います。木村監督は仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉は謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが、騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的なエンタメの方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。
野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格の自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者は最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方のレベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。
ミドリがケムリクサ自体を回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。
いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います。考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイントに伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチな雰囲気に見えてしまいますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察しています。しかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています。
「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ、咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督のけもフレ1以後の作品の凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます。
ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾や意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなります。けもフレ2は、そういう作品ではないので、
これには異を唱えておきます。けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合を意識しなくてはならなくて、キャラクターもかぶらないようにしなければならない。ヘラジカとプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています。舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテルの位置。時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスをラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話で唐突にボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばんちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスのハンドルディスプレイにウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチはボスの形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督のお家芸だったはずですが、継いだ最初の仕事で再現できる手腕には舌を巻きます。
このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃんの出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい。貴方ほどのレベルの視聴者にこの作品がメルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのときに制作はプライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。
あのシーン(引用者注・けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズ化セルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。
牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空からの俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。
「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラの基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレ1ファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います。
それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃんを誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者の視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラの基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界」概念のスピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思います。けもフレ1でも博士はサーバルの図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウの能力の表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズを酷使して、かばんちゃんを、りょうり要員として使役しています。視聴者を全面的にエンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない。
一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます。問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品が問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記・とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。
そもそも"腐女子"というのは内からの自虐・自嘲的名称(私達は頭が腐っているの謂)だったのに、外から見た蔑称だと勘違いし、
幾らでも叩いていいものだと思い込んだ馬鹿が大量発生したんだよな。
折角なので同様のネットミームを箇条書きに挙げておく
・ハゲは甘え <デブは甘えの改変ネタ→本当にハゲの原因が甘えだと信じてしまう馬鹿が発生
・ルフィAA「何が好きかよりも何が嫌いかで自分を語れよ」 <ツギハギ漂流作家の名台詞の改変→ルフィの名言だと信じ、何かをdisる行為の正当化に使う馬鹿が発生
・小清水亜美「絶対に許さない」 <"小清水が"いいともスタッフ・古谷徹・古川登志夫・タモリ・中居らを許さないというネタ→なぜか"小清水を"許さないと勘違い
どうも、おはこんばんちは。増田です。
「おっさんずラブ を楽しく見てたけど、なんかモヤモヤしてみるのをやめてしまった。この気持ちを共有したい」
って話です。
※注記
おっさんずラブを見た人を批判したいわけではなく、見ている課程で自分の中でモヤモヤした気持ちになったので、書いています。
とくに結論があるわけではありません。
また一部おっさんずラブのネタバレを含むので、ネタバレ嫌な人はタブをそっ閉じで。
先にバックグラウンドをイメージしやすいように属性情報から紹介。
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○属性情報
既婚 こども二人(3歳、2歳)
はてブ大好きです。
○性的指向
○性自認
不可:ゲイ
もしかして自分はバイかな?って思ってためしにBL・ゲイものとか見てみたけど、やっぱり可愛い女の子風じゃないとダメだった。。。
○趣味
ある女性アイドルのファン (推しにご迷惑おかけしないように名前は出しません)
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去年、妻が「おっさんずラブ」ドハマりして、子育てに疲れていてもおっさんずラブがやっている間は毎日楽しくて仕方が無いって言ってた。
流行っている時は、なんとなく見たくなかったが、妻と子育て以外で共通の話ができたら楽しいなあと思って見てみることにした。
あと例の結婚相談所のブログでも言及されてて面白そうだなと思ったのもあります。
普段は仕事できて部下の面倒見がよい。すげえイイ上司だな。自分の上司に部長の爪の垢を煎じて飲ませたい。
そんな黒澤部長が花束もって、春田に「好きです!」って大声で言うシーンとか腹抱えて笑った。
あと、2話で屋上で春田が弁当食べてるときの部長の乙女感がすごい!
そして「おまえが俺をシンデレラにした」は本当に名言だと思う。これも腹抱えて笑った。
久々にドラマで笑った気がする。
とここまで来て、なんでこのドラマこんなに面白いんだろうな〜って考えてた。
・黒澤部長の見た目(おっさん)で胸キュンするようなワードを言うのが面白い
これって全部、男同士じゃないと成り立たない。
黒澤部長は吉田鋼太郎さんではなく、大塚寧々さんで春田を好きという設定ならどうだろう?
ただの熟年系の不倫ドラマで、コミカルに描かれても新鮮さはないし、面白くないと思う。
牧が林遣都さんではなく、内田理央さんならどうだろう?普通の恋愛ドラマだ。
結局は男性同士が恋愛をすることを映像として見ることが面白いという考えに至ってしまった。
そこに差別は含まれないのか?そんなことを考えていたら、ドラマを楽しめなくなった。
BLや百合好きの人が、ホモセクシャルな恋愛を面白おかしく見ているのではなく、恋愛している姿を可愛いとか愛おしいとか純粋な愛だなとか思って見ているのだと思う。
じゃあこのドラマとそれまでのホモセクシャルな恋愛物とはなにが違うのか。
結局は自分はおっさん同士の恋愛を面白いと思う根底には、おっさん同士の恋愛への差別を含まないと言い切れるか?
実際LGBTの人はあのドラマを見てバカにしていると思ったのだろうか。もしバカにされていると思った人がいるならやめるべきなのだろうか。。。
https://anond.hatelabo.jp/20190319220315
俺はロマンチストなんだ。セックスっていうものは子どもの前でもできるくらい、自分の親にも見せられるくらい優しくて平和なものでなきゃダメなんだ。
https://mstdn.jp/@MasudaKotatsu/101737063834792258
ま、好きな人から無言で始められるという電撃のような快楽を知ってしまったら、もう性的同意なんてできんやろw
https://mstdn.jp/@MasudaKotatsu/101752357472619235
清廉潔白な異性愛をしている男女なんてほとんど居ない。「膜」の提唱者 田房永子の旦那もまさしくその「膜」を発動して田房永子とくっ付いたのに他ならないのだから。
https://mstdn.jp/@MasudaKotatsu/101594647324526208
でも彼女がいる男とか結婚してる男はもれなく豚だよねぇ。女性が妄想をフル稼働して、彼氏や夫を豚じゃなくしてるだけであって。だから今後も、豚のように女性に迫り、豚ではなくしてもらう男は後を絶たない。
今、部外者として一番退屈しないウォッチ案件が、海外産の安いパーツにシールを貼り、自作と称して原価の数十倍で売った「魔法具メルト」である。
あくまでも眺めているだけなので、最終的に誰がどうなろうが知ったことではないのだが、ある傍観者から見えたこの事件の一面を記そうと思う。
・処女→画像などにメルトの所業をまとめてツイートし、メルトを炎上させた人。
・夢乃→メルトから石を買ったが壊れてしまい、返金要望に応じてもらえずにいた女の子。処女に壊れた石の画像を提供した。
・ツバメ→石を売ってる人。メルトに素材や写真を提供している。
自分が見たものはツイッターだけなので、この目で、この耳で確認したものは一つもない。その上で、上記は大体事実だと認識をしている。
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極論してしまえば、ハンドメイドは「材料を集めて良い感じに組み立てたものを作品とする」ものなので、メルトがハンドメイドをやっている、はまあわかる。
「他のハンドメイド作家の苦労を云々」と言っている外野は、アイデア勝負のこの世界で、「みんな苦労してるんだからお前もちゃんと苦労しろよ」みたいなトンチキなことを言っている感もある。ハンドメイドは閃いた者勝ち、やった者勝ちだ。楽をする手法を編み出して量産するのもアリだろう。問題はそこではないと個人的には思う。
ただ、嘘は良くない。
しかも、自分の作品を好きになってくれて、お金を出して欲してくれる貴重な人間に対しての嘘だ。その人の好意や信念に対する裏切り行為である。
めちゃくちゃいいものです!と言っておきながら、二足三文の紛い物を掴ませてるんだとしたら、それはまあ、普通の悪徳商法に他ならない。
そして、「ハンドメイド界隈はそういう悪徳商法が普通だ」と思われたら、それが一番大問題だろう。だから、この話が本当だったら、ハンドメイドを愛し、ハンドメイドに生きる者たちは、自分たちの居場所が危険にさらされてしまう。彼らが怒るのは無理もない。
勿論悪徳商法の被害者だって怒る。事実を知り、お金を払う価値がないと思ったら尚更だ。
しかし嘘さえつかなければ、あるいは嘘のような奇跡が存在しなければ、こんなことは起きないだろう、とも思った。
・何がまずかったのか
これは色々ある。
仮にメルトの証言が真実だったとして、その中に「明確に潔白を証明できる」ものが一つもないのもまずい。本人がそれを分かっていなさそうなのもまずい。余罪が出てくるのもまずい。RTキャンペーンを放置したとか。
しかし本当に何より、絶対に確信を持ってまずいと断言できるものがある。
サウンドノベルをやっている人達が、たまに面白半分で「これを選んだら絶対にバッドエンドに行き着くだろうな」という選択肢を選びまくることがあるが、素でそれをしているとしか思えないほど、「よりによって……!!」という最悪の対応を選んでいるのがメルトのツイッターである。
問い合わせしてきた人へのリプライや突然のお知らせ、全てに「他人の神経を逆撫でする力が宿っている」と言わしめるレベルの対応をしており、これを見て中立から「こいつは敵だ」と認識したギャラリーもかなりいると思う(自分も案件の真偽はさておき、ツイッターを見てこいつはヤバいと思った)。
在りし日の名言を借りるなら「物売るってレベルじゃねーぞ!」である。
この辺りは百聞は一見にしかずと言う通り、気になるようであればメルトのツイッターを一読してほしい。
これは些事だが、敵に回した相手がまずい、というのも個人的に感じた。
ツイッター上での行動スピードが速すぎる、どんなツイートの裏も素早く特定しにいく、他の味方との連携も取れている、よく鍛えられた暇人である。
もしこういう人に「炎上させてやる」と思われたら、自分が潔白でなければ、腹を括ってアカウントを消そうと思い至るかも知れない。
・ツバメ氏
彼の登場で、事態がすこしややこしくなった。というのは、メルトの発言が「100%嘘というわけではない」ことが彼の証言から伺えるからだ。
これは「虚言癖メルトはヤバい」という切り口で火の手を上げてきた人達にはやや重大なことだろう。あくまでも中立という立ち位置を守ろうとする慎重な語り口もあり、ツバメ氏を被害者に仕立て上げられなくなってしまったからだ。
その後も色々なアカウントに対し「物事の良し悪し」のみを軸として語り、メルトを断罪しないよう思慮深い返信を繰り返しており、彼自体はとても賢い人物だと感じる。
彼の「間違いが起きれば因果関係によって結果は出るでしょう」という言、とても深い。
・訴訟
もしこの一連の内容が嘘なのでない限り、メルトが訴えに行ったら逆に敗訴だと思うのだが、先に弁護士などに勝てる見込みなどを相談しなかったのか?と疑問を抱いてしまった。
いずれにしろ、どちらかが燃え尽きるまで目が離せなさそうな案件である。
メルト、次に商売をするときは販売担当スタッフを雇った方が良いのではないだろうか。可能であればクレーム対応のプロが良いと思う。