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2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2022-03-07

怨憎会苦

仏教四苦八苦のうちの一つ

愛別離苦は有名だけど、こっちはあんまり有名じゃないか

でもむしろこっちの方が現代人には身近なのではないか

日常ストレス愛する人と別れる苦しみよりも嫌いな人と会わなければいけない事に起因するものの方が多い

2022-02-27

anond:20220227171017

欧米権威主義から脱却できたのは宗教改革ナチス体験があるからだろうね

インド台湾権威主義的でないのは、やはりヒンズー教仏教の力がデカイと思う

ベラルーシ独裁化したのはやっぱりロシア正教から?そのあたりまではよく知らない

anond:20220227170505

ですね~

共産主義はその傾向があるかと(すべてではない)

なぜかというとマルクス主義無神論なので、個人崇拝につながりやすく、権威主義になりがち

君主国民、お互いに対する恐怖が国をコントロールしているのだ、という錯覚に陥るのかと

そうならないために議会制二大政党制があるのかと

日本二大政党制にすりゃいいのに

必ずしも無神論ではなくても、そういうことは起こりうるけど仏教プロテスタンティズムはそうなりにくいと思う(教えの性質からいって)

anond:20220227013702

ブッダについては正直初めて聞いた時、「あっ、こいつ同類かも?」って思ったよ。

輪廻から解脱したい」とかわかってるじゃん!って感じだった。生まれ変わりとか地獄継続しかないよね。

そんで少し仏教について勉強したけど、結局何も納得できなくてなんの救いにもならなかった。詭弁しか感じない。後世の奴らは変なエピソード追加してくるし。

正直、生まれちゃったらもう苦しむしかなくて、反出生主義じゃないけど生まれてこないことくらいしか解決策なくない?

そういう意味ではキリスト教原罪っていうのはしっくりくる。またキリスト教仏教以上に納得できないが。

2022-02-25

anond:20220225012530

志位氏はね、鎌倉仏教時代門跡寺院の子弟として生を受ければ、一番向いた道を歩めたんだと思う。

念仏を唱えていれば既に救われている、題目を唱えれば救われる、ひたすら座禅を組めば救われるという思想上のライバルに対抗して、

条文を掲げれば救われる仏教の新宗派開祖として人生を歩むべきだった。

そうすれば日本共産宗という宗派確立され、今頃は日本仏教十四宗の一角に数えられていただろう。

2022-02-12

https://anond.hatelabo.jp/20220212010453

平家はなぜ後白河法皇を殺さないのか

殺してしまったら上から下まで総スカンやで。天皇自体権威があった (古来から儀式とかの継承者) からというのはそうだけど、洋の東西を問わず権力掌握のために主君殺すってなかなかない気が...「主君すら簡単に殺す奴が他の勢力ならもっと簡単に潰しに来る」みたいに思わるので相当な根回しが必要やと思う。

臣下に殺されたっていうので思いつくのは三国魏の高貴郷公やけど、これは高貴郷公自らが兵を率いて司馬昭を始末しに行って逆襲されて殺されたから 、後白河が直接平家にぶつかれば殺されるかも?高貴郷公の件は名ばかり皇帝に落ちぶれた東晋皇帝がこのことを知ったときにそら(皇帝殺して皇帝になったら)そう(権威なんてなくなって名ばかりになる)よ...orz ってなってたので、主君殺すってなかなかできないんちゃうか。

あと、後白河平家が決定的にこじれたのって鹿ケ谷の陰謀さらに後の重盛の死後処理で後白河やらかしたからで、その先は後白河がいようがいまいが戦乱になってたんちゃうか?源平合戦に火をつけたのは後白河じゃなくて八条院周辺だし。後白河にしても平家にしても自分ところの利益だけを場当たり的に追及するところがあって、それがgdgdの源泉だと思う。

なんで天皇がここまで尊くなったか不明なんだけどやる夫スレでよければ やる夫が大海皇子になるそうです というのを読むといいかも。長いけど。この作者の前作が やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです でちょうどこの時代やな。こっちも長いけど。

反乱を起こした高倉上皇兄弟は殺していた

以仁王のことか?そりゃ天皇でもなければ自分で反乱起こして戦場に出ちゃったからね。後白河も後鳥羽戦場に兵を率いて出てはいないのに注意。どちらも合戦は部下に戦わせて自分のところまで敵が来たら素直に従っている (法住寺合戦承久の乱等)。ここで抵抗したらなにかのはずみで殺されていても不思議ではない、が天皇とはそういうものではない。また当然ながら尊さにも位があって 天皇上皇 >> 皇太子 >> 親王 >> ただの王 で、天皇家に連なっていても親王宣下されなきゃたいしてえらくはないで。

天皇でもないのに後白河法皇の死にそこまでの重さはあるのだろうか

このころの上皇とか法皇とかは事実上最高権力者やで。平安中期は摂関家自分の甥である天皇後見をすることで権力を握ったが、平安後期では天皇直系尊属である上皇法皇天皇家の家父長権でもって天皇後見をすることで権力を握った。最高の権門である天皇家の家長として荘園も集積しているので財産も持っている。まあ後白河は中継ぎって見られてたから前任の白河とか鳥羽とかみたいな盤石の権力ってないけど。ついでに父の鳥羽から財産を受け継いでないし。

源頼朝を殺さな

頼朝は蔵人を務めていた上西門院(統子内親王・後白河の姉にして准母)と母親実家である熱田大神宮家助命に動いて助命されたんやで。これらの貴人達の反対を押し切って殺すのは政治コストが高すぎる。そもそも平治の乱時点での清盛は財力武力はあっても正四位大宰大弐にすぎないわけで政権の中枢にいたわけでもないし、反乱鎮圧立役者ではあっても処刑にどこまで関与できたというと疑問な気がする。平家政権ができあがるのはこのあと後白河法皇二条天皇の間を上手に泳ぎ回った(平時の乱もその上手に泳ぎ回ったの一部だが)上で1165ごろに二条天皇政界の大物複数名が相次いで死んだ結果なので、このときの清盛に平家政権全盛期の公卿殿上人数多という未来を言っても信じなかったんではないか

そもそも天皇家は神道権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。

昔は仏教神道密着してたのか?神の子孫の天皇家がバンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。

仏が神より高い位置にいたとか?

日本古来の伝統がたった150年ほどで忘れさられるとは嘆かわしい。明治政府のなんと罪深いことよ。仏教日本に受け入れられる際に神道を取り込んでこのころには不可分になってるで。そのあたりの理屈をつけたのが本地垂迹説やな。出家すると神道儀式主催するのは不適切という概念はあったらしいので、神道儀式は現役の天皇にまかせて退位したら出家して仏教儀式に専念する、というのはありかもしれない。神道仏教もどちらも国を護るには重要やしな。

あと神の子孫ということなら大体の平安貴族神の子孫やで。

anond:20220212010453

昔は仏教神道密着してたのか?

神仏習合」について勉強すると良い。

神道について研究した本もたくさんあるから、それを読めばだいたい分かる。

anond:20220212010453

源氏物語平家物語よりかなり前だけどその中でも天皇皇族バンバン出家している

仏でない神は仏が姿を変えたもの、みたいな書き方をされている場面もある

元々原始的神道があったところに仏教が入ってきて混じり合いながらいつの間にか上位になったらしいと理解している

なんで殺さないかは完全に推測だけど

現代でも天皇家滅ぼしたら天下取れるかと言ったら人心がついてこないだろうと思われるのと似た感じなのかなあ

トロフィー的な存在だし殺したら祟るし殺してどうのこうのする対象として見られてないとか?

anond:20220212010453

そういわれてみると、天皇家って江戸時代より前はふつう仏教信仰してるな。私はそこに何の疑問も持ったことはなかった……。明治政府以降の国家神道でいうほどは宗教の中枢に天皇家があったわけじゃないのか。国家神道なんかキリスト教猿真似だし、天皇家に無理やり教皇立場押し付けただけなのか。

平家物語海外の反応見て本気で日本史がわからなくなった

平家物語海外の反応で、平家はなぜ後白河法皇を殺さないのかと言うのがあり、なんで殺さんのだろうと考えた。

天皇家が神の末裔的な宗教的権威も持つから

でも反乱を起こした高倉上皇兄弟は殺していたから、天皇家を殺すのは場合によってはいいんだよな。

見ててどうしてもヒヤヒヤするとこだから源頼朝を殺さないとこから謎すぎるし、まとめて殺してしまったほうがいいのでは?ってどうしても思ってしまうけど、多分なにか都合悪いんだよね。

後白河法皇殺したらどうなるんだろう、逆賊平家うつべしって日本全国の武士が反乱起こすのだろうか?

でも天皇でもないのに後白河法皇の死にそこまでの重さはあるのだろうか。

全然わからん

そもそも天皇家神道権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。

昔は仏教神道密着してたのか?神の子孫の天皇家バンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。

仏が神より高い位置にいたとか?

本気でわからん

めちゃくちゃ朧気だったけど、ここまで日本史わかってないとは思わなかった。

平家は何で後白河法皇さなかったの。

2022-02-11

anond:20220211125048

びげもじゃなイスラム教人口仏教人口をみればどちらが優位かは明らか。

2022-02-08

世界宗教

キリスト教日曜日には教会に来なさいとかいうしイスラムメッカに来いとか毎日全員同じ方向見て祈れとか集団行動させるけど

なんで仏教ってそのへん自由なんだろ

2022-02-07

anond:20220207010829

おまえに上等さを認められたいわけでもないんだが

生きることは苦しみの連続仏教でも定義されているが、その苦しみの連鎖を断ち切っているという点はお前の言うところの誇りとやらになるのではないだろうか

誇りとか上等さとかどうでもいいんだがな

2022-02-06

anond:20220205193245

オーム真理教がまだ、犯罪で有名になっていなかったころ。

出家信者たちはみんなそんな感じだったんだよね。

オーム真理教って、基本は個人修行して解脱を目指す宗教っぽかったから、

既存仏教キリスト教イスラム教みたいないかにも宗教な感じではなくて、

麻原彰晃修行して解脱した。みなさんも、修行して解脱しましょうだったからね。(初期は・・)

でもどうがんばっても、集団生活には金が必要で、その金をどう調達するか?が一番の困りどころで。

既存宗教お布施で頑張ってるし、オームパソコン売ったり弁当売ったりいろいろトライしてた。

元増田が望む施設も、金の出どころさえ確保できれば、いくらでも作れると思う。

2022-02-02

anond:20220202171818

異世界ものは夢を求めて作られるようになった代わりに、現世利益的な内容が現実味を帯びてきている。

ステータスと女と金地位異世界ハーレム系や俺つええ系、国家元首系。

結局夢を抱いて夢のない世界が描かれてるのが大変皮肉というか。

仏教の成り立ちと現世利益への変遷とにたようなもん。

インターフォン宗教の人が来たら

仏教系なら「すいません、うちエホバなんです」って言うて、キリスト系なら「学会なんです」って言う。そしたら、ああ、そうなんですね、すみませんと帰っていかはる。

家庭教師勧誘電話には「私の父が教師」、新聞勧誘は「学会なんです」再登場。

こういう嘘つくと電話ガチャンと切られたりしないし、すぐ引き下がりはる。あと、だんだん楽しくなってくる。

何かほかにある?

2022-01-29

anond:20220129213904

そりゃ世の中悪いやつはいる。いいやつのほうが多いけど。

とすると、それらを峻別して悪いやつから逃げ、いいやつを大切にしていくことが大事

ただしその峻別はまずはやすんで平静にならないとできない。そういういみで、マインドフルネス周りの本がおすすめ。ただし、弱まってるやつが関心を持つと悪いやつに知れ渡ってるから、本やビデオだけでいい。久賀谷亮「最高の休息法」とかだな。

あと、草薙龍瞬や、小池龍之介あたりもおすすめ。こう思われたいという仏教の慢という感情について取り上げてる。まあ、それでも結局瞑想で休まないと並んって話にはなってるが。

anond:20220129211354

昔は人間の外のわからないものは全部宗教領域だったから。

科学で、科学検証ができるもの宗教の外に出ていっただけ。

何より宗教って人間の話のほうが多いぞ。仏教なんか毒矢の例えで「私はわからない世界の話を語らん」と言ってる。

2022-01-27

anond:20220127130326

前の価値観に戻るってことはあり得ると思う。

少し思い出した例がある。

日本人愛国戦後低下したらしいけど、2000年初期の日韓ワールドカップあたりで愛国者化する若者話題になった。

関連した話題として外山恒一という人の分析にこんなのがある。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/26/toyama-koichi-interview_n_4504650.html

日本国では左翼体制側となったため若者反体制として右傾化したというものだった。

あくまでもこの人の分析に過ぎないようだけど興味深い分析だと思う。

また和食ユネスコ登録食育教育、畳の輸出など文化的文化的に見直されているものはあると感じる。

日本の肉食も、肉食禁止仏教の影響で、明治文明開化で肉を食べるようになったということは価値観が戻ったということなのかな。

ただ、人権抵触するようなものは戻る可能性はかなり低いと思う。

記事家事育児の件だけど、例え女性たちがそのような人生を望んだとしても、

子どもはお父さんに育児してもらう権利がないの?!とか、

男性家事育児から追い出すのは男性に対して酷いんじゃないか?とか、

それは問題として起きるだろうから戻らないと思う。

女性主婦希望したところで、男性主夫も増やさないとおかしくなるわけでそう考えると戻る可能性は低いかな。

私はこの辺り戻すのは反対。

労働者権利などもそうだと思う。

もっと社会政策的な規制とか規制緩和とかだとやっぱり戻すこともあるのかな。

SDGSとかで物の生産グローバル化は出来るだけ止めていこうとか?

2022-01-19

[] 極端に物を考えないヤツって本当に底が知れないよな。ただしそれが生きる上で障害になっているかと言えば疑問である

近々のブクマカお喜び案件で言えば、マインドフルネスアンガマネージメントとかを無批判にありがたがっちゃう

キラキラ社会的弱者アドバイザーのヤツが該当 → これ anond:20220117131920

 

『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、

HealthDay News :Be ‘Mindful’ of the Hype

https://consumer.healthday.com/alternative-medicine-information-3/meditation-news-467/be-mindful-of-the-hype-727395.html

 

もうこの時点でマインドフルネスアンガマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど

それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?

 

極端に物を考えない人たちは考えることを拒否している禅を極めし者たちなので、

短く区切ったところで頭に入りやしないのだけど、せっかく増田を書いたので書いておきます

 

  1. 心拍数が低い状態で興奮は出来ないので深呼吸して脈拍を整えようとすること自体には多少の意味はあります
    肺呼吸をする動物はすべて呼吸に合わせて心拍が揺らぐし、呼吸は自律神経機能の中で唯一コントロールが出来るものです。
    ただし、マインドフルネスやるぞ!アンガマネージメントやるぞ!とか意気込んでそれらの専門家()の手を借りないでも、
    動かず目をつぶって深呼吸するだけで脈拍は整います

  2. 反戦活動家PTSD帰国退役軍人深呼吸をしたら怒りは鎮まりますか?まぁ当たり前の話なんですけど答えは"NO"です。

  3. 多くの人は、日常簡単にキレたりもしなければ、怒りに値すると確信したこと簡単に鎮まったりもしないです。
    徳川家康は、短気すぎるが故に自分を律しようとし、晩年には毎日念仏を唱え書き記してた事で知られる人物ですが、
    逆恨みとも言える怒りの感情は消えず、約三十年も経った後で孕石元泰を切腹させてます
    マインドフルネスアンガマネージメントとかの効果が期待出来るタイプは次の3つ
    『異常にキレやすいけど集中力がなく怒りも含めて思考が散りやすい』タイプ
    『異常にキレやすいけど異常に自制心が強い』謎のタイプ
    『考え無いことが出来る禅を極めし者』タイプ

  4. 『考え無い』というのは仏教精神修養のお話でなかなか高尚で高等な技能です。
    本来ならば、あーでもないこーでもないと修業して辿り着く無の境地ですけど、
    まれながらに、極端に集中力がなく思考が散りやすかったり、極端に物事の興味の範囲が狭いと、簡単再現出来ちゃいます
    「またオレ何かやっちゃいました?^^;」

  5. 怒りを含めて他者アクションに対して反応を返すのは社会動物の正常な動作です。
    こればかりは「またオレ何かやっちゃいました?^^;」にはならないです。
    まれながらの特性で極端に他者への反応が薄いとこれはこれで社会生活上の困難になるからです。
    表情筋喜怒哀楽は死んでない・極端に薄くないのに、それをおくびにも反応を出さないのは高尚で高等な技能です。
    物事認知の仕方を変える、瞬時に肉体へ意識を集中させ反応を消すという技能は、
    あーでもないこーでもないと長年精神修養を続けて得られる境地、もしくは軍事訓練の賜物です。
    本を読んだりカルチャーセンターレクチャーを受けた程度で誰でもお手軽に得られるもんじゃあ無いです。
    上っ面だけ理解した気で、僕私は心の漏れ(怒りなど)をコントロール出来る優秀なビジネスパーソン()でも別に良いですけど
    それが容易ではないからこそ人は社外・社内ともに営業をしたがらないし
    遊びが仕事と言い切る適性の高い営業マンでも内臓やられたり若白髪になったり禿げたりします。
    というか、わかった気ではなくともストレッサーや欲から離れるのは必須でしょう。
    それじゃあリーマンは出来ませんし、共同生活改善不可能です。

 

上記の1〜5は誰でも到達する結論で、本来ならわざわざ口にするまでもない事なんですけど、

140文字を下回る100文字大喜利ではなく何かの主義・主張をしようというブクマカさんたちは極端に物を考えない人達なので明示的にしないと理解しません

いえ・・・はっきり示したところで理解しません。考えることを拒否している禅を極めし者たちですから

どうやったって頭に入りやしないのです

 

けれど『極端に物を考えない』は、特定特性(キラキラ社会的弱者アドバイザーの言説によればADHDワーキングメモリが少ないので短略思考になるらしい)の人に限った話でしょうか?

まぁこれも勿論、"NO" ですよね

極端に物を考えないはマイノリティーの特性ではありませんし、この特性を持つ人が社会的弱者かと言えばこれもまた "NO" です

でなければマインドフルネスアプリが630億とも言われる規模感になったりはしないです

 

もちろん、自身を律し自分人生手綱自分で持とうという姿勢自体は非常に好ましい物だと思います

ただ、自由意志があるかどうか以前に、能力主義傲慢以前に、自分人生手綱以前に、

 

自分自身が何言っているのか(反応しない・認知を変える・感情を手放すは高尚で高度な技能)、

自分自身が言っていることが実践できている・もしくは実践できる見込みがあるかどうかくらいは、

理解しようとしても損はしないはずです

2022-01-13

anond:20220113151734

キリスト教における外典神学書、イスラム教におけるハディースファトワーが、すなわち仏教における経典なのであって、

しろ聖書コーランのような根本聖典が「無い」というのが仏教の特徴なんや

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