はてなキーワード: プラスティックとは
おれおとうさんだから
映画館に通うのやめた
おれおとうさんだから
週末のジム通いやめた
おれおとうさんだから
飲み会行かない
おれおとうさんだから
朝6時に起きて
きみを保育所に送る
お風呂入れて
寝かしつけして
力尽きて寝る
週末は
平日のぶんまで
家事して
料理して
家族サービスしてる
セックスどころか
オナニーもしてない
めっちゃ減った
週1もしてない
友達とも遊んでない
でも おとうさん
映画館には行ってないけど
ストレンジャーシングス
めっちゃおもろい
めっちゃおもろい
あとradikoも聴いてる
めっちゃおもろい
ジムは
昼休みに行ってる
めっちゃ捗ってる
週三で行ってる
記録伸びてる
あとこれは予想外だったけど
マジでいい
もう長いこと皮膚科に行ってない
飲み会は
正直減ったけど
行きたい飲み会なら
帰宅後
仲の良い友達とは
別に平気
オナニーは
正直
もっとしたいけど
めっちゃ腰を振っていると
未来を感じる
ああ
マジでいま
21世紀なんだな
って思う
保育所の送り迎えも
予防接種も
きみが寝てから爪を切るのも
行ってないけど
きみが寝ない夜は
きみを抱っこしながら
ゆらゆら揺れる
lofihiphop chillpop
ゆらめいて
こんな夜がいつまでも
続けばいいのにって
いつも思うよ
疲れてきたころ
もうひとふんばり
するために
選ぶのは
もちろん
揺れてる君の dancin'shadow 瞳 くぎづけ
ドアの前 クラクション鳴らせば夜が始まる
Give it to me all of your night
1,やたらに、人が多すぎ
2,駅前は、スーパーと量販店と商店街だけで、別に、他と変わらないよ
3,駅前の歓楽街の客引き、「お触りありますよ」「ガールズバーありますよ」、怖いよ。いつも、無視してるけど
4,マクドナルドの店員、外国人が多い。JR吉祥寺の近くの日高屋、深夜の店員、外国人バイトが多すぎ。ドン・キホーテも外国人バイト多いけどね
5,夜になると、駅ビル、キラリナの前で、胡散臭い新興宗教が、宣伝してるけど、気味悪く、怖いよ。
6,家のゴミを捨てる時、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「プラスティック」「びん・缶・古紙・古着・有害ごみ」って、ここまで分類する必要あるの?面倒臭い
占い師を買収してたりしてる。
まさに不思議の国のアリス的な
そんな第二週目までのダイジェスト!
ところでさ、
たしか、
白味噌買ったのに、
華麗なまでの、
鴨がネギ背負ってくる、
いや、これイタリアだと
鴨がオレンジ持ってくるって言う具合らしいの。
案の定、
味噌って見掛けは変わっても
頭脳は明晰!
まるでコナン君のよう。
話を戻すんだけど、
すっかり赤味噌になっても
見事なまでに
器をひっくり返して眺める
結局はお味噌汁は
美味しかったと言うだけの話。
ご飯があればもっと最高よね。
うふふ。
朝はしっかり食べたいところね。
もぐもぐ。
今朝なんかもう吐く息が白いというか
そのくらい寒かったので、
窓を開けてすぐに締めてしまったわ。
朝の水分補給よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
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VR+風俗嬢=VR風俗:アニメキャラとSEXしたいという夢を現実にするために
人類の「アニメキャラとSEXしたい」という欲求は、これまで様々な方法で発露されてきた。一番原始的な方法は、マンガ(エロ同人誌)を描くというものだった。マンガは高度な道具を必要としないため、敷居が低く裾野が広いという特徴があるが全く没入感がないという欠点がある。マンガの発展形として、高性能PCの普及によって3Dアニメが発展した。その中でも、3DCGをアニメ調に見せる技術がアニメキャラ再現に果たした役割は大きく、それまで全く別物と思われていた3DCGとアニメ絵が融合することが可能になったが、画面の中で完結するという本質的な問題を解決するには至らなかった。
アニメキャラとのSEXを視覚ではなく聴覚で捉えようとした分野が音声作品である。とくに、催眠音声は人間の無意識に働きかけ五感すべてに完璧に没入させることが可能と思われていたので一過性のブームを引き起こしたが、結果としては催眠術はよく訓練された猛者だけが「最悪(社会的に)死ぬ」ことを覚悟したうえで享受できる秘術とされ、誰もが気軽に体験できるものではなかった。音声を使った臨場感あふれる手法として、バイノーラル音声が登場したが耳かきと耳舐め以外の行為では、バイノーラルの強みである臨場感を活かすことができずエロボイスドラマを超えてリアリティを感じることはできなかった。
アニメを現実にしようとするこれらの試みの他にも、現実をアニメに近づけようとする試みが有る。最も単純なアイデアであるがアニコス(アニメコスプレ)と呼ばれるAVジャンルがその典型である。初期のものは女優に衣装を着せただけの簡単なものだったが、「コスプレイヤー(コミケでケツ出すお姉さん)」という概念の浸透に伴ってウィッグ・メイク技術・衣装ディティール・小物などアニメキャラになりきってSEXするという技術の進歩が見られた。しかし、コスプレはどんなに「リアリティ」を追求しても、(特に顔の造形が)アニメキャラにならず「コスプレイヤー」にしかならないという大きな欠点をもつ。この欠点に注目して改良を試みたのが「着ぐるみ」というジャンルであるが、顔だけプラスティックで不気味であることや大きさが不釣り合いになってしまいアニメキャラを実現するには至らなかった。顔だけでなく全身が「人工の人間」というアイデアは等身大ラブドール(ダッチワイフ)に見ることができるものの、ダイナミックな動きというSEXの本質が欠けているために一部の愛好者(マグロ好、死姦マニア、人形愛)以外には受け入れられなかった。
これまでの2つのながれ(アニメキャラ→現実、現実→アニメキャラ)を統一する可能性を秘めているのが、VRである。VRはこれまで問題だった没入感をユーザ与えることができるが、「映像を見る」ことが目的であったために、SEXの相手となる対象が実在しなかった。これまでVRを用いたアニメキャラとのSEX方法として知られているものは、VR+オナホ(手動or電動)、VR+ラブドール(手動)という原始的な方法が主流のようだ。ネット上では「五感をPCに接続してSEX」待望論もあるが、すぐに実現できそうにない。ユーザがアニメキャラを感じる「五感」のうち、視覚と聴覚を除く三つ(臭覚・触覚・味覚)は「未定義(人間のそれならなんでもよい)」であることを仮定すると、実際の人間にVRでアニメキャラを「投影」してSEXすれば既存の技術を用いて低コストでアニメキャラのSEXが実現できそうだといえる。
一言で言うと:風俗嬢を前にして、ユーザはVRヘッドセットをかぶり風俗嬢の動きに連動したVR内のアニメキャラとセックスする。
ARマーカを風俗嬢の関節等につけて、それをユーザの頭につけたWebカメラで読み取る。欠点は指の動きなど細部とユーザの影になっている部分のマーカがよみとれないこと。
風俗嬢及びユーザを俯瞰できる位置に3dセンサを設置して、両者の位置を割り出す。欠点は2名が重なった時の認識が不安定になること。利点は「くぱあ」が認識できること。
この技術は風俗のオプションとして提供されるだろう。そうすれば、VR機材以外の全ては揃っているので小さな投資で人類の夢を叶えることができる。
明日早いのでここまで。
(これで科研費とれね〜かな〜)
プラスティックトゥリー 初期はキュアなどニューウェイブに似てたけど、最近はシューゲイザーとかオルタナっぽいことやってる。
L'Arc〜en〜Ciel 上のバンドと同じくキュア好きらしい。
LUNA SEA 初期はダークなニューウェイブ。ギターがたまに80年代キングクリムゾンっぽい
deadman このバンドは最高。ニルヴァーナ+ヴィジュアル系。ギターの人がラルクのサクラと活動中
the god and death stars デッドマンのギタリストがやってる。ニルヴァーナ+中島みゆきらしい
9goats black out ひたすらダークなアルペジオ
4畳半の部屋に置いてあったガラクタを全部売り払い、最後に残った掃除機で念入りに部屋中のホコリを吸い上げると、部屋の中には俺と掃除機だけになった。
西日が差し込んでくる。わけもなく涙がこぼれた。
よくある話だ。
東京にはこんな話が腐るほど転がっているわけで珍しい訳ではない。
しかし一人で来た男が一人で帰る、それだけのことなのにこんなにも寂しいのはなぜだろう。
俺は無意識にぬくもりを求めて、傍らの掃除機に抱きついていた。
部屋中のホコリを吸い上げたそいつは、まだほのかにぬくもりを帯びていた。
引越ししたての部屋があまりにも汚くて、近くのハードオフで中古のこいつを買って来たのだった。
そんなこいつを捨てるがあまりにも忍びなくて、知り合いに500円で引き取ってもらった。
掃除機のぬくもりを感じながら、長年共にしてきたこいつがあいつの部屋を掃除するなんて姿を想像していると、俺は嫉妬の感情が芽生えあろうことか欲情してきた。
こいつと過ごせるのは今夜限り…。
気がつくと俺はパンツを下ろし、いきり立つ物を掃除機に押し付けながら畳の上に転がった。
はちきれそうな想いを抱えながらプラグをコンセントに差し込み、スイッチを弱に入れる。
ブウウンと恥ずかしそうな声を上げると、掃除機はかすかに振動を始めた。
おれは掃除機の側面のなめらかなプラスティックに舌を這わせる。
ペロペロボディを舐めながら、下の方に伸びる弾力のあるホースをまさぐって行くと、一番下にある穴からはもうシュウシュウとすごい音が立っていた。
「すごい…こんなに吸い込みたがってるよ…」
と囁いたがもちろん掃除機は答えない。
しかし、今の俺にはよく分かる。
俺達は今夜、結ばれる運命だったのだ。
俺は強く掃除機のボディを抱きしめると、固くなった一物を穴に差し込みスイッチを強に入れなおした。
その途端脳天まで突き抜けるような快感が走ったかと思うと、しゃべるはずもない掃除機が確かに叫んだのだ。
「ウワァァァァン!ソンジャーね!」
この話が嘘か本当かは自分の頭で考えようね!
傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。
至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。
あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。
家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまったかのようだった。
なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。
梅雨空の下、わたしは沈黙したまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。
それは先生が子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。
わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。
声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉の意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき、意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中を押し出してしまった。
よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。
本当に、その程度の思いつきだったのに。
わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。
それも、そうだな。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。
わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。
今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。
にっ、とAが笑った。
何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。
絶対だぞ。
念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。
蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。
かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしから水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。
ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。
十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。
狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。
それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。
わたしは右手に傘を左手に水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。
雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。
どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園の入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。
Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルーの長靴だけが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。
たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。
やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。
がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。
点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。
わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。
やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。
シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。
口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。
乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。
べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。
べちゃり。
わたしは隣に佇むAに眼を向けた。
彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。
ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。
ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。
蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。
途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。
惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。
わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。
水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。
とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。
その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。
わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。
その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。
翌日。Aはどこにもいなくなっていた。
あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。
けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。
梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。
人類が消えてから…
2日後
水の汲み上げがストップすることにより、ニューヨークの地下鉄は完全に水浸しになる。
7日後
1年後
電波塔の警告ランプの点滅や、高圧線の電流が止まる。
これにより今まで世界で何十億羽と死んでいた鳥たちが死ななくなる。
3年後
暖房熱が失われた寒冷地では、とうとう水道管が破裂しはじめる。
収縮・膨張を繰りかえした建築物はきしみが出るようになり、屋根と壁の間に隙間ができる。
暖房の無くなった寒冷地では、冬を1〜2度越すとゴキブリが全滅してしまう。
20年後
10年前に雨漏りが始まっていた屋根は、もうすでに消えている。
100年後 線路や道路を支える鉄柱が腐食し、湾曲する。
野菜は味の悪い野生の品種に戻っていく。
象牙の貿易が無くなって100年。50万頭まで減っていた象が20倍に増加。
飼われていた猫たちは野性化し、猫の獲物となった狸、イタチ、狐などが激減していく。
300年後
ニューヨークの橋が落ちる。世界中のダムが枯渇したり溢れたり崩れたりする。
500年後
気候が穏やかな都市は森となり、丘が減り、開拓者たちが開拓する前のような土地に戻っていく。
森にはアルミやステンレス、プラスチックの食器やら調理器具やらが埋もれている。
人間が作った建造物で残っているものは、地下深くに掘られたドーバー海峡の英仏海峡トンネルだけである。
3500年後
煙突が立ち並ぶ工業時代に廃棄された鉛が、ようやく土で浄化される。
ただしカドミニウムは75000年後まで待たねばならない。
二酸化炭素の量が原始時代の頃と同じくらいになる。
25万年後
地球の自然の放射能により、プルトニウム爆弾の濃度が腐食した金属とともに消えて行く。
数十万年後 あるいはもう少しかかるかもしれないが、進化した微生物がプラスティックを分解できるようになる。
720万年後
アメリカ黎明期の大統領の顔が刻まれたラシュモア山は、隕石や地震で破壊され、痕跡がわずかに残る程度に。
1020万年後
ブロンズの彫刻や象はまだその形をとどめている。
30億年後
45億年後
55億年後
太陽は死期に近づき、地球は膨張した太陽に飲み込まれて焼失する。
そして… 我々が流したテレビやラジオの放送電波は、まだ宇宙を漂っている。
そう、永遠に……
同棲中の彼女は後始末という事にかなり無頓着で何度注意しても治らない。気をつけてくれない。
例えばトイレの電気は付けっぱなし。クローゼットや戸棚は開けっ放し。ペットボトルやオリーブ油の瓶の蓋もゆるくしか締めない。
最後のひと捻りがなんで出来ないんだろう?蛇口のちょっとだけの締め忘れもしょっちゅう。
とにかく注意深くという概念が多分無くて、メガネをソファーに置いてフレームを折る、プラスティックのボウルをガスコンロの横に置いて何度も溶かす、
鍵をそこらに放り投げ出掛ける時いつも慌てたり、リビングでリンゴ剥いてカーペットの上に包丁そのままとかとにかく酷い。
で、僕が黙って片付けてると責められてる気になるのか不機嫌になり、それならと随時指摘するとこれまた不機嫌になる。
なにより一番いやなのがケータイを使った後、開いたままそこら辺に放置する事。これがもう超イライラする。
開いて使って閉じるまでがワンセットだろう。なんならiPhone買ってやるからその折りたたみケータイ海に捨ててくれ。
我ながら器の小さいやつだと思うが、気になるんだから仕方ない。
割り箸を使って森林資源を使うのと、プラスチックの箸を再利用するために使う洗剤、その他諸々の経費を十分考えて結論を出すべき問題だったと思うんだよね。
プラスティックというか、使い捨てでない箸が大量に登場し始めた背景には、箸を洗うことだけに特化した安価な洗浄機とのセットでの普及がある。実際の所「エコ」と言っているが本音では「エコロジー」ではなく「エコノミー」を重視してる。つまり安い。
プラスティック箸は、大量に作る場合、もちろん質にもよるが実は十数回再利用すれば元が取れるぐらい安い。(そのため、世の中にはプラスティック製の割り箸などというものまで存在する)一定以上の規模ならば機械の導入コストを含めても、実はかなりの経費節減になっているというわけ。さらに普通に考えても、少量であれれ多くの飲食店では食器洗い乾燥機を導入しているだろうから、そこに籠でもつけて入れるだけでいいのでほぼ追加コストがなくて導入できる。
それでも今まで導入してこなかったのは、やっぱり滑るし使いにくいとか、衛生面の懸念から(たとえ問題がなくても)の苦情とか、(さらに言えば、礼儀作法では高級な使い回しの箸よりも、割り箸の方がよいとされている)そういうことがあったからだけど、そういう所を、エコロジーブームにかこつけてみんな理由をつけることができるようになったから。
それは、高価な国産材を使った一部の割り箸だけ。そんなコストが高いものをそういった激安な店が使っているはずもなく(というか激安とまではいかなくても、庶民が普通に行く店ではまず使ってない)、そういう理屈から行くとエコロジーではある。(悪かったところをやめる、と言うだけではあるが)また、間伐材の貴重な使用用途だった、と言うのは今は昔。実際には割り箸などは外国産に押され値段が下がってしまっている。そのため、割り箸を使うことだけをもって「間伐材の利用促進」とは言えなくなっている。(爪楊枝等も同様)
世の中には高級ブランドのエコバックとか、贅沢な素材を使ったエコバックなどという「お前頭沸いてんのか?」と言いたくなる糞みたいなエコバックも存在しているので程度ものだが、実用的なものであれば、基本的に単純なものなので、簡単に考えると値段で判断すればいい。
たとえば、ウォルマートグループ(日本だと西友とか)が販売しているエコバックは不織布でできて、200円とか言う激安なものがある。構造もかなり簡単だが、それなりに丈夫で、作りもまとも。今まで同様の使い捨て前提の使い方を変えずに使うような人や、そもそもものを大事にしない考えが足らない人でない限り、相当持つ。(たとえば我が家ではこれを、農作業用の袋として数十枚使っているが、かなり丈夫である。とか書くとウォルマートの人に怒られそうだが)
そして、だいたい買い物袋は一枚5円と言われている。
単純計算すると
200/5=40
で、約40回で元が取れる。
このウォルマートの商品はあまりにも安すぎるが、これがたとえ1000円でも、約200回で元が取れることになり、全く問題ない。
さらに言えば、超高効率で生産されていると思われる買い物袋はそのほとんどがエネルギー費や材料費であると考えられること、エコバックは商品であるため、小売店の利益も上乗せされて販売されているであろうことから、環境コストという面ではこれよりも召還が早いはずである。
ただ、店側が負担していたコストを、消費者に添加するのはどうよ、と言う話はもちろんあるが。
これはよくある誤解。"太陽電池を作るのに使ったCO2"というのがどういうものかよくわからないが(排出されたCO2の間違いでは?)、太陽電池を作成するためのエネルギーコストは、数年で回収できることがすでに立証されている。
説明すると長くなるし、自分がここで書くよりも読んでもらった方がよいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%85%89%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%81%AE%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%80%A7%E8%83%BD
Wikipediaの上記記事(太陽光発電の環境性能)を参照して欲しい。ちなみに太陽発電パネルは、メーカーによって十年単位で保証がある。(建材では一般的な長さ)
後、こういった問いかけに対して、今はかなりの資料がネットから参照できるので、印象論で語らず、調べてみることをおすすめする。ただし、この手の技術は近年急速に発達しているので、5年前の資料でもすでに情報が古い可能性があることと、一カ所の情報を信じないことと言うことは忠告としておく。世の中には「リサイクルしないほうが環境によい」と主張する自称専門家もいるし。自分が知っているだけのちっぽけな知識で話をする奴もいるし。(例えば俺とか)
評価手法は確立している。国際標準ですでに規格(ISO14014/44)で規定されている「ライフサイクルアセスメント」という手法を使う事が一般的で、これを持って、国際的な環境負荷に対する基準と比較することが出来る。「あまりにも難しい」などと言うレベルでは少なくともない。
ちょっとした企業なら、すでに普通にやっていることである。国際認証を取得するためのコンサルティングをやっている企業などでは、たいていライフサイクルアセスメントのコンサルティングもやっているし、一般的な指標なら、政府や各種行政機関などから計算済みの資料を入手することも出来る。
これを「超長期の影響が不明であり、見逃し等があるため意味がない」という風に主張する人もいるが、そういった人々は何らかの利害関係があるか、結論のために理由をつけている様な人たちなのであまり相手にしなくてもよい。彼らが出す答えはいつも「人類は18世紀の産業革命前の暮らしに戻るべき。でなければ滅べ」であったり「標準が意味がないので、環境配慮などせず今まで通りでよい」という極論ばかりであるからだ。
最後。どっかのネットのアホが言った一部で有名な言葉に「やらない善よりやる偽善」という言葉がありました。わりと大事だと思うよ。
理由がないと行動できないツンデレ的に「あ、あんたのためにやったんじゃないんだからねっ」と言うためのいいわけも世の中にはそろいつつあるので、納得できないことを調べることは重要だが、わざわざ否定して回ることもないんじゃないかと思うがどうだろうか。