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はてなキーワード: バイクとは

2023-02-27

俳優声優初挑戦ベトナム料理だけはいくら批判しても良いみたいな風潮ない?

あとチョコミントアイス

この辺ぐらいだよね。

「私これ嫌いなのよね」と人前で言っても「合わないなら仕方ないよね~」で終わってもらえるようなもの

RPGゲームとかスパイ映画とか韓流アイドルとかB級グルメとかペットとか旅行先とか車種とかを批判したときと明らかに違う。

大抵のもの批判すると「好きな人もいるのにわざわざそんなこと言わなくていいでしょ?」って帰ってくる。

大抵はなんか反論が来るじゃん。

プリウスは静かすぎて怖い」→「近所をバイク爆音で走るよりマシ」

「いい年こいてガンダム?」→「ガンダムのおかげで日本人宇宙知識先進国でもトップクラスなんだよ?」

貧乳好きってロリコンなだけでしょ」→「巨乳好きはマザコンだってよく言うよね」

ラーメンばっかり食べる人よく飽きないよね」→「ラーメン進化速度が最も早い日本食なのでレパートリーもパナいでござるよ」

ね。

こうなるじゃん?

でも

パクチーって不味くね?」→「わかるわーアレってドラクエ薬草とかの味でしょシャーマン手料理かなって思う」

みたいな感じで批判に別の批判肯定的に乗っかってくる現象が極々一部のものにだけ起きるじゃん。

これ凄いよね。

別に皆が本当に嫌いってわけじゃなくて、なんか知らないけど「これについては皆で殴っても良い」って謎の空気が共有されてる感じ。

これ怖くない?

あと場所によってこれが変わるのも怖いんだよな―。

若い女の間でだけセーフになる「中高年臭すぎ問題」とか自分が年食ったとき返ってくるのにどうする気だよと。

あとはモテない男がよくやる「はやりの恋愛映画キモすぎ議論」。これは童貞捨てた奴が次々掌返すのがヤバイ

スポーツ(e-も含む)でありがちな「弱いやつは存在が罪理論」とかもお前らも二回り上のクラスから見たらそうじゃねえかってなるのに平気で熱中するのが凄い。

なんなんだろうね。

人間の脳の仕組みでそういう「共通の敵ミラーニューロン経由で共有していくシステム」みたいなのがあるのかね。

anond:20230227185647

👴「久しぶりにバイク雑誌でも買おうと目についた書店に入って棚の表記ある場所で探したが自転車雑誌しかなかったんじゃぁ…(泣)」

おかしいよね?

歩道電動アシスト自転車

電動アシスト自転と乗ってる人の体重で100kg 近いから実質原付バイク歩道走ってるのと変わらん。

警察は早く取り締まってくれ。

多分毎日のように事故起こってるけどニュースバリューないか報道されないだけ。

2023-02-26

バイクで通って良いのかわからないナゾの道

たまに気が向いた時、愛車のハンターカブでフラっと近所を探検するんだ。

近所でも意識しないと入らないような路地がたくさんあって、「ここの道に出るんだ!」っていう感動があって面白い最近は未舗装路に突撃するのにハマってて、この前走った農道では変なカカシに遭遇できて嬉しかった。

しかしそんなことしていると、ほんとにバイクで入っていいの?っていうグレーな道が結構あって、バイク侵入していいのか迷うことがある。車両進入禁止看板は立っていないけど、車止めが設置されてたりとか、特に規制されてないけど、道幅が狭めで歩道っぽい雰囲気出してる道とか、そういう道は意外と多い。

一番気になっているのが、公園の横をなぞるように走っている未舗装路。荒れに荒れてて一見とはいえないような状態なんだけど、調べてみると公園敷地外で、なおかつ公道として認定されている道らしい。車両進入禁止などの看板もない。

薄暗くて歩行者を見かけたこともないのだが、たまたまうるさいジジババに遭遇してトラブルになるのも嫌なので、まだアタックできていない。

2023-02-23

anond:20230223141008

欲しい物が特定のものの時に使う

洗濯機なら5年前のあの型式赤色が欲しいとかね。

洗濯機とか巷に溢れてるもの想像しづらいが、趣味用品には特定のものを欲しがるやつが多い。

トレカ模型、車、バイク切手コインなど

なんでも鑑定団のこれ売ってくださいのアプリ版って考えてくれ

あとは先に書いたようにまとめ買いしたい場合なども便利だと思う

2023-02-22

今日見た夢

地元学校から帰宅中に道端でトキカピバラと遭遇して目が合い、2匹とも付いてきた。とりあえず保護するかと思いつつ帰宅。餌がなくてホームセンターまで買い出し。車に乗ったつもりだったんだけど車体の中がマニュアルバイクだった。餌買って帰ったら実家の猫が2匹に懐いてた。

おしまい

2023-02-21

anond:20230221005626

輩みたいな連中が街を歩いていない

大体歩いてる

排気音のうるさいバイクや車がいる

2023-02-20

交番勤務のお巡りさん自転車って何で電動アシスト自転車じゃないの?

今や郵便屋さんはバイクだったり電動アシストだったり銀行営業マンとかクロネコヤマト宅急便も電動アシストなのに

警察官だけずっと普通自転車で長い距離を走ってる。市民安全を守るために安全管理をずっとしてくれてるのに電動アシストじゃない。

これってやっぱり公務員から

公務員電動アシスト自転車も乗らせて貰えないの?

同じ外回り仕事従事してる自転車ライダーさんは皆電動アシスト乗ってて公務員だけはダメなんだってそれもう(市民からの)パワハラじゃないの?

例えばイマドキ根性論で電動アシストに乗ると体力が衰えるんだ!って発想で警察上層部から電動アシストが与えられてないならそれも変な話よね。だって科学的根拠がないもの

市民から自分たちアシストに乗ってないのにお巡りさんが乗れるのはおかしい!ずるい!って苦情が入るんならお前らも乗れよってなる。自治体によっては電動アシスト自転車購入すると補助金いくらか出てそこまで高額な買い物にならない訳で。それなのに乗らないっていうのはもはや市民権利から仕方ないよねって感じだけど

それをお巡りさん強要するのはスジが通ってなくない?

この手の拒絶意見で困るのは国民血税で~って頓珍漢な主張する奴ね

警察官は公僕ではあるけど備品ちゃん血税とは別の所から予算が出てるから血税ガーの人は無知偏見だよ

そもそも市民血税行政(各自治体)からサービスを受けられる、そういう権利を有してるのであって警察官を含む公務員を雇ったり賃金を支払ってる訳じゃないんだよね

というか行政からサービス警察市民を守るサービスが含まれてる訳で給料を支払ってやってるのに電動アシスト自転車を買い与えるのは違う!と反発する人がいたら、それは単なる勉強不足だよ。

昭和道理を令和になってまで当てはめようとしてる社会おかしいのであって電動アシスト自転車警察官が乗る事に反対する理由にはならないよね。

それに電動アシスト自転車お巡りさんが利用する事によって深刻な社会問題(迷惑行為など)とか高度な犯罪を未然に防ぐ助けになるんであればむしろ電動アシスト自転車を貸与してるべきだよね。

中にはバイクとか車とか電動アシストとか電動キックボードとかある中で普通自転車のままだと追い付けないよね。皆こち亀両津じゃないからね。

警察捜査は初動が大事から普通自転車で見逃してしまったらそれこそ市民行政からサービスを受けられる権利が失われる可能性もある訳で。

から交番勤務のお巡りさん電動アシスト自転車乗らせてあげてよ。巡り巡って皆の安全を守ってくれる事になるんだし。実に建設的で合理的

anond:20230220132806

大学時代自分とほぼ同じ

口座引き落としでバイクのローン組んで、

残高不足で落ちず→振込用紙がハガキで届く→支払う

を1年半で計6回くらい繰り返した過去があって、新卒銀行就職したタイミングクレカ作ろうとしたらどこの会社でも審査通らなかった

8年くらい経って試しにクレカ審査申し込んだら通った

anond:20230220003224

えっ…バイクの話じゃなかったのか

だとしたら俺が悪いわすみませんでした

anond:20230220000710

何をハードルと言ってるのかわからん

一周するための余暇が無いってことか?

リッターバイクなら1日に800kmとか600km走れるから北海道でも夏休みに7日くらいあれば回るだけならできる。

北海道バイクで一周するとかはハードル高いじゃん

琵琶湖もまだハードル高そう

霞ヶ浦ちょっといかも?

もうちょっと「一周する」のハードルが低い観光地ってないか

2023-02-19

anond:20230219102549

胸糞ホラーとして知られる「ミスト」の、クソデカナイフを持ったバイク野郎

すげえタフそうでメンタルもまともで、キチガイ宗教ババアも一旦黙るぐらいの心強さはあるんよ。

そこから先がクソ面白いのでぜひ見てほしい。

2023-02-18

いわゆるローディと呼ばれる自転車乗りの方々へのお願い

別に煽りとかではないのでシンプルに書きます

車、バイク自転車歩行者などが通行している場所

トレーニング」をするのをやめていただければ非常にありがたいです。

とくに全力を出し切るような練習走行を改めていただけると助かります

LSD的な(最近ではLSDのような練習概念自体存在しないのかもしれませんが)

身体的に余裕があるトレーニングであれば問題は少ないと思います

しかし、ときどき全力でもがくような走行方法

あまつさえ前走の車についていくような走法をされるかたがいらっしゃいます

怖いです。

人間身体的に全力に近づけば近づくほど周りが見えなくなります

怖いです。

2023-02-15

anond:20230215230601

そりゃバイクとか男性向けの趣味ならそうでしょ

増田が興味まっっっったく持たないようなヲタ女向け趣味なら情熱注いでる女いくらでもいるよ

anond:20230215230323

誰か趣味に没頭してるカッコイイ女の人っていますユーチューバーでもいいんだけど。

俺はバイクが好きだからバイク乗りの女性を色々見るけど、彼女たちはバイク楽しいっていうか姫扱いされてそれを楽しんでるようにしか思えないんだよね。

別に二輪車に乗らなくてもちやほやされれべなんでも良かったでしょという。

anond:20230215162202

実質一人乗りの走りを楽しむ車だから

バイクみたいなもん

男の子は好きな子多いよ

anond:20230214114903

IPアドレスIPとか、JavaScriptJavaとか、USBメモリUSBとかは、元の投稿と合ってない気がする。

ポータブルオーディオプレイヤーを全部ウォークマンと呼ぶのやめろ

とか、

バイクを全部ホンダと呼ぶのやめろ

とか、そういう話じゃないの?

2023-02-13

anond:20230213005949

新型車や新型バイクリークにしとかんかった自分を責めることになるだろうな

2023-02-09

もーお、ええねん

ワイくんのことは、ほっといてほしいね

あと、5年?下の子がガッコウ出たら、

…ワイくんは、じぶんのしたいことだけやれるねん!(たぶん)

はー、バイクのりてー

やっすいの買って、チョップして転がして、

そしたらもう、

未練ないし、ボケて別人にかわるまえに自決したいわ

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

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