はてなキーワード: イイネ!とは
今回の台風被害を見て、テントやらブルーシートやらを車に乗せて被災地に駆けつけようとしている知人がいる。
志は素晴らしいと思うし、優れたリーダーシップと行動力の持ち主であることは知っている。ただ、善意の個人が特に組織の支援もなく、現地の土地勘もないのに突然飛び込んで行って大丈夫なのか心配になる。
その人は役所勤めの管理職なので、千葉県あたりから正式に要請をもらってから組織として動く方が善意が無駄にならなくて良いような気がするのだけどどうだろう?
先方だって情報収集が上手くいっていなくて混乱しているだろうとは思うけど、こっちに比べればどこに避難所があってどんな物資や支援が必要とされているか分かるのではないかと思う。
こういう善意の人がバラバラと現地に飛び込んでどうなるのか心配だ。お役所ならではの意思決定のスピードの遅さに耐えられないのかも知れないけど、それでも正式なルートで被災地の役に立つ行動ができるポストにいるのだからそれを使わない手はないと思う。
その人が被災地に向かう決意をSNSにアップしているのを見て、私は「イイネ!」を押せなかった。こういう人の背中を押すべきなのか、「先方からの要請を待て」というべきなのか、正解が分からない。
仕事がだいたい定時で終わり、特に夜に遊ぶ予定もなく、あまり自炊もしないため簡単に夕食が済んでしまうので、食事のあと、風呂に入るまでネットサーフィンに費やし、各種SNSにアクセスして友達(ほとんどSNS上のね)の近況をチェックするのが習慣だった。どこかに出かければ写真をSNSにアップし、その後数日間は「イイネ!」が何個付くかを気にして過ごすのが常だった。
が、ある日突然夕食の後に眠気に襲われることが増えた。その分ネットにアクセスする時間が減り、目が覚めたらお風呂に入って寝直す日が増えた。特にそれで生活に支障はない。リアルに会う機会のある人の近況ぐらいは把握しておきたいが、自分は無理やりネタを作って投稿する感じだったので、そんなものに義理で「イイネ!」をもらっても仕方がない。
そして夏休みに海外に行ったとき、スケジュールがハードだったのと、時差の激しい異国から変な時間に労力をかけて「イイネ!」を押す意味がよく分からず、律儀にあちこちのSNSからの通知を伝えてくるスマホを極力無視して過ごした。たまに気になってアプリを開いてしまうこともあったけれど、日本の現実に引き戻されるのもイヤで何もせずに閉じた。
いっぱい写真を撮ってSNSにアップするつもりでそこそこ立派なカメラを持っていったけど、途中からカメラをぶら下げて歩くのが苦行になってきて、撮るのが楽しくなくなってしまった。それでもメモリーカードには大量の写真が残されていたけど、整理するのが面倒で、とりあえずあまりセレクトせずに実家の両親にだけ送った。
私の知人・友人はわりと写真を撮るのが好きな人が多いけれど、みんながみんなしょっちゅう自分のプライベートを公開しているわけではない。しゃかりきにネタを作って必死に投稿するのがバカバカしくなってきた。リアル知人とたまに会ったときに話題に困らない程度に皆の投稿をチェックし、自分のネタを投稿するのはほどほどにしようと思った。
特に落ちはないけどただそれだけ。
実家でたまたまTwitterを見ていたらグロい蛇の動画が出てきてしまった。母がその画面を見て「何?その気持ち悪いやつ」と聞いてきた。あまり両親にはSNSをやらせていない。そもそもSNSでつながるという概念をうまく説明できないし、どうせ「めんどくさい危険なもの」としか思わなそうなので放置している。Twitterだと自分が望まなくてもフォローしている相手の発言や「イイネ!」した投稿がどんどん出てきてしまうので、特に見たいわけでもないグロい動画が出てきたりするのだと言ってはみたが、どこまで伝わったかは分からない。母はあんまりいろんな人とつながりたいとか、好きな有名人の情報が知りたいとかいう欲のない人なので、無理にSNSをやらせなくてもいいかと思っている。
それにしてもトランプが金正恩にTwitterで会見の呼びかけをしたというのにはびっくりだ。アメリカ大統領という要職についている人のアカウントだから皆が鵜の目鷹の目でチェックしているだろうけど、一般人のアカウントだったらお目当ての人に見てもらえないでスルーされてしまう可能性大だろう。せめてFACEBOOKとかブログとかで呼びかければいいのに。もっと若ければインスタとかでもいいけど、あんなおっさんの自撮り写真とか見たくないよな。
SNSはずっと張りついて見ているとキリがないので最近なるべく見ないようにしている。…と言ってもある程度は見てしまうが投稿する回数を減らしたり、友だちの投稿を片っ端からチェックするような見方はしないようにしている。他人の生活や思っていることがSNSで覗けるのは決していいことばかりでない。特にいちおうSNS上友だちなのに自分のところに投稿が流れないように設定されてたりすると凹む。自分もあまり親しくないと思う相手には同じことをやっているんだけどね。
ここもずっと眺めたり人の投稿に言及したりしているとキリがないサイトだけど、いちおう書いた人が特定できないのがいいところだ。まぁその分発言が粗暴になりがちだけど、よっぽど特徴のある文体でないかぎり、「あ、またあの人が書いてる」というのが分からない。それ故に他人のことを罵倒し放題という醜い面もあるけどそれがイヤなら実名推奨SNSの方がお行儀よくなるよね。そっちはそっちでリアルな人間関係に影響するので書く内容に気を遣うわけだが。
お互いに自分の要求を通して、相手に妥協させようとしてるんだから上手くいくわけないと思うよ。しかも相手は病人なんだから、どちらかと言えば元増田の方が妥協すべきところではないかと…。
幸せ自慢がしたいならフォトウェディングだけやって、その写真を友達限定でSNSにでもアップしてみたら?わざわざ結婚式のために交通費やご祝儀を負担したくない人でも、「イイネ!」を押したり「おめでとう!」というコメントぐらいはしてくれるんじゃないかね。
ちなみに私はバツ1なんだが、別れた時に一番印象的だったのが当時の義理のお母さんに「あんたたち両方子どもなのよ!」と言われたこと。確かに二人とも相手が自分の希望をかなえてくれることを期待し、相手のために何かやってあげようという気持ちはかけらもなかった。
一方的にどちらかが我慢してもう一方の希望をかなえてあげるという関係は歪んでいると思うけど、双方の言い分が噛み合わないときにすり合わせようという気持ちが持てないなら長続きしないと思う。
Twitterを一人言を書くために使っていて、日頃誰とも交流していなければ、重大なことを書いてもスルーされるでしょう。私は別に自殺願望とかないからどうでもいいことばかり書いているけど、たまに「イイネ!」を押されたり自分あてのツィートが来ると「読んでくれてる人いるんだぁ…」とびっくりする。
仮に私が元増田のツィートを見たとしても、単なる構ってちゃんなのか本気で死にたいのかは分からない。全然ツィートしなくなっても、本当に死んでしまったのか、単に忙しくてツィートする暇がないだけなのか分からない。
有名人とかでまめに自己PRとかのツィートをしている場合は、自力でツィートできない状況になったら家族なり事務所なりから何らかの状況報告をするだろうけど、一般人の存在感なんてその程度。
某実名推奨SNSで学生時代の友人や先輩・後輩、趣味のサークルの仲間とつながっているんだけど、「イイネ!」押してくれたりコメントしてくれたりするのはほとんど男子だけだ。もはや自分も仲間もほとんどが40代後半で、かなりの確率で家庭持ち(自分はバツイチ独身)。自分は決してモテるタイプではなく、むしろSNSにアップする写真撮りたさに一人であちこち出かけてしまう、見ようによっては痛いタイプだと思う。
学生時代の友人は、「何でお前がせっせと出かけて撮って来た写真を俺が見ないといけないんだ?」という人もいるので、興味がなければスルーしてくれとしか言いようがないんだけど、お情け(?)で「イイネ!」を押してくれる人々の男性率がやたらと高い。女性でも押してくれる人はいることはいるんだけど、だいたい毎回向こうが投稿するたびにこっちが「イイネ!」を押している人々なので、「いつも押してくれてるから押しとかないとね」という義理というかお返しの匂いを感じる。
「写真の撮り方が男っぽい」と言われたことはあるし、実際ふんわりした女子っぽい写真は撮れない。たまにうまく撮れるときもあるけど、それほどでもないことも多いので、別に写真自体について褒めてくれなくてもいいから被写体になっているモノや場所についてコメントしてもらえると嬉しい。一人「他人が撮った被写体は自分も撮ってみないと気が済まない」系の人がいて、すごく撮影スポットとかその関連情報についていろいろ突っ込んでくるんだけど、まぁそんなコメントも私はイヤじゃないので丁寧に答えるようにしている。
元々女同士の付き合いが苦手で、「言われなくても空気を読んで察しろ」とか、「○○って△△だよね。」「××のときに□□するのは変」みたいなのを暗黙の了解で感じ取れと言われても無理。どうしてそれを理解するのが当たり前だと思われなくちゃいけないのか理不尽だと思う。何か私の行動や言動が変ならば、「○○のときは□□するんじゃなくて××してほしい」とはっきり言語化してくれないと分からないんだけど。
その点男子の方が余計な察しを求めてこなくてさっぱりしている気がする。世の中に「空気を読む」という概念が普及して初めて、私は自分がうまく世渡りできない理由を知った気がするんだけど、女という生き物はどうしてこう空気を読めないヤツに対して冷たいんだろうと思う。別にネット上の話だけでなく、リアルでもそんな感じで、極めて友達は少ないんだけど、このまま歳をとっていくしかないんだろうか。今のところ特に私に好意はなくてもとりあえず情けをかけてくれる男子たちの存在が、私の心の救いである。
昨年ブームとなり、
そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。
何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。
おそらく何割の方はそれに気付いており、
このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。
そうは思っているのだが、
どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。
そう不安にも思っている。
イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。
当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。
しかし、
その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?
その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。
そしてまた、その仕草は身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。
その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか。
その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。
親指を下に突き下ろす仕草は、相手に否定の意志を示す行為であり、
その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である。
そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。
C'mon, baby アメリカ
これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である。
この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。
無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師の意図を決めつけているものではない。
ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなたの家族や子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?
今なお気になって仕方がない。
いかがだろうか…。
ついでに蛇足ながら…、
それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、
曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。
まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本を指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。
これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。
アメリカを挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである。
気持ちの上では。
その潜在的な意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。
気持ちの上だけでは。
そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。
横を向いてその意味を隠し、最初にイイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。
ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。
それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、
叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。
サクセスの味方を organizer
成功の道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、
儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。
C'mon, baby アメリカ
英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。
どっちかの夜は昼間
我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的な関係となっているのだ。
…と、
しかし、こうも歌われている。
競合してくジパングで
より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。
しかし、そんな沖縄は基地問題にもあるように、日本本土から負担を一方的に押し付けられて続けている存在でもある。
どっちかの夜は昼間…その沖縄の「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。
それらをひっくるめて歌われている。
C'mon, baby アメリカ
これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?
その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。
皆一度は聞いた事があると思ふ。( ´∀`)アルヨネ?
しかし、
俺がその作者だ!!(`・∀・´)ドン!!
って名乗りを上げる人がいるということにオドロキだった。
まあ実際には、名乗ってる人の奥さんがラジオに投稿した形なのだけれども。(m´・ω・`)mテイセイ
ともあれ、その疑問は解消されたのである。
名乗りを上げた人が作った時期が一番古かった。(゚д゚)マッタ!!
更に、その自称作者の方はナント弁護士 ( ゚Д゚)_σ異議あり!!
まあ、そこは証拠としては若干弱いけれども・・・。(´ε`;)ウーン…
結果としては、自称作者の人が本当に作者ってことで落ち着いたのでした。
んで、ワタシ的にぐっと来たのが、
心して読むべし!!( ー`дー´)キリッ
サトケン(番組調査員の方)様へ、ただいまメールを拝見致しました。
ご依頼の件に関しましては、ご期待に沿えず申し訳ないのですが、既に詳細な記憶がありません。
また、覚えていることに関しても、過去の事実と過去の記憶は、グレープジュースとワイン程にも違うことを考え合わせるならば、
あえて、書き連ねるなら、以下の様です。
当時の僕らは、言葉遊びが大好きだった。
野鳥が意識せずともさえずる様に、替え歌作りは半ば習性のようなもので、春夏秋冬次から次へ、という感じだった。
友達同士言葉を繋ぎあって、思いがけない新展開が生まれたりする度、単純に、
キャッキャ!と、喜んでいたように思う。
イイネ!や、パクリや、著作権といった言葉はまだ知らなかった頃なので、
どこかよそで聞いたフレーズを混ぜ込んでいる可能性は確かにあるけれど、
とにかく、まったく、そういう記憶がない。
というわけで、いやはやなんともお役に立てず申し訳ない。。
ただ、とにかく思い出すのは、青空のようなクレイジーさだけは無限にあって
そんな、真昼の中にいたなー。それだけだったなー。
それだけは、本物だったなー。
・・・(´;ω;`)ブワッ
まあ、ワタシが浅学なだけでもっと素敵な文章って巷にはあふれているのでしょうけれども、
何となく聞いていたラジオで予想外の文章に、感動したのよね。( ´∀`)モナー
それでは皆の衆
( ´Д`)ノ~シーユーアゲイン?
たぶん自分の狭量や偏屈を晒すことに快感やフェティシズムを持ってる人が増加してるんだと思う。
一昔前ならそれはただの醜い「露悪」と取られて相手されなかったと思うんだけど、
最近のネット上だとすぐそういうのに乗っかってくれる人が尽きないというか、
そういう悪意的解釈に「イイネ!」と感じるような陰謀論気質の人がうようよいて、
容易に思考汚染されちゃってくれるから、共感を得ているような状況と認識して気持ちいいんだろうね。
これと同じ形態で感染する思考汚染って古くはネトウヨ(中韓ヘイト)だと思うんだけど、
それがより一般層に馴染む形で別の形として進化したのが、放火・炎上であって、
それに群がる繊細チンピラに姿を変えただけなんじゃないかなって思うね。
好みやお勧めのメーカーは少々違うけど、これだけSNSが普及して、良い写真を撮って「イイネ!」を増やしたい人がいるからには多少お金をかけてちゃんとしたカメラを買って欲しいのでこういう記事を歓迎します。
自分は一眼レフ派だけど、いかんせんゴツくてかさばるのと、そのビジュアルだけで引く人もいるので、まず1インチセンサーコンデジをお勧め。元増田さんのおっしゃる通り、サイズ感がわりと妥当で、飲食店などでも取り出しやすいので。
スマホの最大の欠陥はセンサーサイズが小さいことと、レンズが広角単焦点であることが多いところ。
センサーサイズが小さいのは「スマホは電話であってカメラじゃないからしょうがない」とも言えるけど、広角単焦点は机の上の料理を全部画面におさめたり、記念写真を撮って全員を画面に入れるには向いている代わりにいかんせんものの形が歪みます。(特に画面の周辺部)
それを知らずに「友達が撮ってくれた私の顔が変」と不満をお持ちのあなたはまず撮ってもらうときに極力皆の中心部に入ることをお勧めします。「スマホで撮ったセルフィーの鼻の形が変」と鼻を整形する人がいるようだが、本末転倒も甚だしい。多少ズームの効くコンデジで望遠側(うるさくいえば35mm換算50mm以上)ズームして撮れば歪みはかなり減るはずです。
それでも気に入らない場合は、本人の美意識やメイク技術や顔かたちの問題なので、「ま、こんなもん」と諦めるか、自分が良く見える表情を研究するか、メイク技術を磨くか…お好きな解決方法をお選びください。
自分はパナソニックの1インチセンサーコンデジを使ってるけど、CanonのG7-XシリーズやG9-Xシリーズもわりと良いらしい。あまり腕に自信のない人こそお金をかけて、5万円以上の新品を買った方が良いと思います。新型の方が画質が良いのと、説明書などの付属品完備、メーカー保証も付くのでケチらない方が良いでしょう。
あと、元増田さんと一番意見が違うのがミラーレス機のところかな。私の周りで人気があるのはOLYMPUS機。センサーサイズはマイクロフォーサーズだけど、お洒落なデザインのものが多く、ビジュアル重視の人にもオススメ。
レンズは付属の標準ズームから入れば良いと思うけど、思いっきりバックのボケた写真を撮りたいとかこだわりがあればf値の小さい単焦点レンズを買いましょう。マイクロフォーサーズの場合、25mmがいわゆる標準レンズ(人間の目と同じ焦点距離)になります。ちなみにAPS-C機だと35mm程度が標準。
もっとお金をかけても良いカメラが欲しいならAPS-C機かフルサイズ機かということになるけど、本体が重くなって値段が上がる上に、交換レンズも高額になるのでそれなりの覚悟をして買ってください。最近はプロにもソニーのフルサイズ機が人気のようですが、「動画はいいけど、静止画はCANONやNikonにかなわない」とのご意見も聞いております。
過去の実績やレンズ・アクセサリーの充実度から行くとCANONかNikonになります。「高級機種や高額レンズを使ってみたいけど高くていきなり買えない」というときにレンタル屋でいろいろ貸してもらえるのはこの二社です。
元増田さんの投稿とある程度かぶる上に長くなりましたが、「何でもスマホ」で済ませずにちゃんとしたカメラを使ってくれる人が増えることをお祈りします。
このままだと完全に手遅れになりそうなので恋活に取り組み始めた。
そのせいで余裕を失ってミスしないよう、執着の分散理論を意識し8人の女性とやり取りしている。
その中で学んだのは適当な女性とやり取りしても意味がないのかもしれないということだ。
ペアーズのシステムは相手にイイネ!を出し、向こうがイイネ!を返すことで初めてメッセージのやり取りが可能となる。
重要なのは相手の女性が男性からいくつイイネ!を貰ってるかわかるということ。
これにより女性の競争倍率がわかる。イイネ!が少ない女性は狙いとなる。
俺は最初だし、とりあえず200イイネ以下に絞っていいね!を押すことを心掛けた。(女性の被いいねはミニマム50でアベレージは200くらいだと思う)
可愛くても好みでも200いいね以上は妥協し50いいねの子も積極的にイイネを押し沢山マッチングした。
それでわかったのは、ガチで行けそうにない子とやり取りしても燃えないということだ。
序盤はマッチングしなきゃ!とマッチングに重きを置いてイイネ!をしていた。ゴールがマッチングだったと思う。
だがマッチングを重ねやり取りをしていて思ったのはデートしたくならない相手とマッチングしても意味がない。
ここから得られる教訓は
基本的に空気が読めない人なので、女社会の「皆が感じていることを察して共感するのが当たり前」みたいな感覚について行けない。そして女社会の「共感できないヤツは仲間はずれにしていい」という暗黙のルールにも納得できない。
よく女はきちんと説明せずに察してもらおうとするが、それは甘えも甚だしいと思う。「○○してほしい」という要求とか「××のときは△△すべきだ」という自分たちの世界の暗黙ルールがあるならきちんと説明しろと思う。自分の常識が何も言わなくても他人に通用すると思っていることがおかしいと思わないのだろうか。
たとえば職場内に嫌われ者がいるとき、「皆がその人を嫌いなのは当たり前だ」という空気が漂い、「なぜその人を嫌いなのか」「どこの部分を改善してくれたら嫌いじゃなくなるのか」みたいな議論や建設的な解決方法の検討はなされない。まぁ人の性格や行動は一朝一夕に治せるものではないけれど、その嫌われ者が重要な決定権を握るポストにいる場合、その人を上手く転がして自分たちの望む方向に持っていくのが賢い選択というものではないのか。「嫌いだから飲み会に呼ばない」ぐらいはまぁいいとして、ただ「嫌いだからそいつの言うことは聞かない」というのは単なる子どもだと思う。
自分がSNSに何か投稿すると、「イイネ!」を押してくれたりコメントを書いてくれたりするのはほとんど男性である。私は別段若くも美人でもないので、人気があると言うよりは同情票のようなものだと思っている。自分が何か女性陣の暗黙のルールに反することをやらかすと、速攻で仲間はずれにされている感じがして仕方ない。何で暗黙のルールを自動的に察しないといけないのか全然納得できない。私が誰かに何か失礼なことをしたならば、はっきり「○○さんにこういうこと言ったみたいだけどそれって失礼なんじゃないの?」と言ってくれる方がまだましだと思う。
最近こういうちょっとムカっとくる事件(ささやかで個人的なものだけど)が続いているので、発達障害の診断でも受けようかと思っている。「空気が読めない=悪」という価値観で生きている女どもに、「空気が読めない病気の人間もいるのだ」ということを突きつけてやりたい。それで人間関係が改善するかっていうと改善しないかもしれないけど、「察してくれるのが当たり前」という価値観が間違っているのだということを分からせたい。