はてなキーワード: 司法書士とは
続き
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
それをあなたがケチだ愛情がないとさんざんなじったから、ここに父の直筆遺言状がのこっているんでしょう。
目の前の日付の違う数枚の「全額妻に」の部分が私をにらんでいるじゃないか。
で、本当に検認などしていないだろうね? 私は一回「検認が~」という話をきいたぞ。
あとから裁判所からみつかったら相続人協議書つくらなきゃいかんのだぞ。
やっぱり司法書士よばなきゃ。そんなに高いわけじゃないんだから専門家をいれたほうがいい。
「うわーん!(=30分ほどの恨み言)」
これだ。 🫲😫🫱
んで分けたい額は?「孫の学費がかかっている子に600万円。私は家屋敷あればいい」でもねぇ、だまってそれやると来年贈与税で15%以上は持っていかれるよ。
「じゃあいくらにすればいいの」贈与税の無課税枠は一年に110万円だね。一人に一度に600万円は無理だ。
「私は遺産とってもうれしかった、おとうさんにパッとつかいはたした浪費家といわれたけど学費にあてられて本当にうれしかった」
ありがたいけど。今の私たちは子供(母の孫たち)の学費にそう困ってもいないんだよ。「うわーん!(=30分ほどの恨み言)」
翌日きた親戚が言い合いの横でぐぐって、実家の家屋敷の路線価評価額が(見積もりの10分の1の)数百万円ていどであることがわかって全額無課税枠で相続可能だし、
ダマテンフリコミ(麻雀用語。まあ普通に贈与税無課税枠)でいいんじゃないのとあいなったんですけどね。
父もこの癇癪にほんとうによく耐えたとおもうよ。マジで。
つまり相続権は愛情のカタにとられていただけだったのである。バカみたいな痴話げんかで役所を巻き込もうとすんな…。
父は読書好きでものしずかで有能で公平だが、ひょうきんであり、派手好きであり、ズルは嫌いだが、クーポンや法律の抜け穴は見逃さない程度にケチであり、ガメつく、ド田舎とはいえ家を二軒も妻にたててやる程度にはお金持ちで、片道一時間以上の通勤に耐えるほと忍耐強く、有能で、母にあたまがあがらず目をほそめてうんうんとうなずき、でも母が理に合わないことや浅はかな法律違反(すぐみつかるやつ)をしようとすると声をあらげることもあり、子や孫を外に連れ出す父である。
なんだこれ。チャットGPTがこれをなんと要約するのか昭和の子供は知らないが、さしずめ「昭和の父」とでもするしかないのか。たれ眉の我慢強い大型犬みたいな感じといえばいいか。
(おそらく外ではクライアントに陽気で気さくな愛想笑いをしながら物件を紹介・提案していたと思われるのだが、母の前では本当に怒りっぽい先生の前の子供のように静かだった)
母は料理と庭いじりと手芸とすべてのリアル育成が好きであり、必要に応じておぼえた自己流断捨離で必要な指輪と書類(葬儀領収書)まで捨てようとする。公的な書類と機械とインターネットでは、今の小学生以下の常識しかない女である。ポメラニアンかチワワかな。ああよく鳴くのはスピッツというのがいたな。
二人とも善良で先走りであわてもので甘えるくせに優しさの表現が下手で、あまりにも能力が凸凹なので今となっては発達障害などといわれるのかもしれない。
ソクラテスはよくいったものだし、片方になっても幸せにしろ、再婚だってしていいんだ。母ももうそろそろ自分勝手に幸せになれよ。
増田は父に似ているし子供のころからハッタツくさい母をささえた(教育虐待を友人にしか訴えないことによって)し
いってみるなら伴侶も子も仲のいい友人もハッタツくさいし増田本人だってハッタツくさいけど
それでも言わせてもらえるのなら、カサンドラはもう終わり!というようなハレバレした気分だよ。
こっそり続報
「私郵便局のおじさんにきいたのよ!夫の口座からでも現金をおろしてかまわないといわれた!贈与税がかからないかをたずねたらそれは税理士に聞いてくださいっていわれた」ああああああ
「で、この車の遺産分割協議書を『ダウンロード』したいんだけどダウンロードってどうやるの?わからない、怖くて出来ないからあなたやって」ああああああああ
こないだファックスしたやつが『ダウンロード』でつくった包括的な分割協議書だよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
メアドあてにワードでも送ったけど「ダウンロード」できなかったんだろうねええええ
ついでに分割案が全部ずれたよおおおおおおおお
ぜんぜん晴れ晴れしない
ほんとうにだれにこの危険物のおもりをおしつけたらいいんだよ
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
就職難が社会問題になり、卒業数年までを新卒とみなすようになるまでの世代の人たちは、大変な苦労を強いられた。
私が大学1年の時の4年はまだ内定拘束があったり、交通費を出さない会社をケチと揶揄していた時代だったが、
私たちが就職活動する頃には、もはや交通費は出す会社が珍しく、そもそも採用しない会社がちらほらあったり、採用しても人数を絞っていた。
そうすると当然、有名大学の学生でも内定が取れない人が出てくる。
そうして卒業した人は、たとえ東大卒であっても新卒採用を受けられなかった。
私は有名私立大法学部にいたが、語学クラスの半分が内定を取れず、
新卒扱いで再度就職試験を受けるためだけに留年したり院へ進学したり、心折れた人たちは公務員試験や書士・司法試験へ流れた。
うっかり卒業してしまいその後も正社員の職にありつけなかった人たちは、そのままずっと非正規雇用の人生を歩み続けている。
*
やっとの思いをして司法試験に受かった人で、弁護士になった人たちもあまり順調とは言えない。
そもそも入学当初から司法試験を目指して目指して予備校通いしていた人たちとはスタートが違うので、
合格に何年もかかった人も多い。新司法試験になってようやく受かったという人は珍しくない。
司法試験改革で合格者数を増やしたが、裁判官・検察は増えなかったので、弁護士が増えすぎてしまい、
相対的に儲からない仕事となったのは今の有様を見れば分かる通りだ。
その後の司法書士が扱える業務が拡大したことにより司法書士の人気・収入が上がり、一時は司法試験よりも合格が難しいと言われるほどになったからだ。
大学院に進学した人たちは悲惨だ。就職浪人のつもりだった人はともかく、博士まで行った人たちのキャリアは完全に詰んでいる。
氷河期世代で教授になれた人間はほとんどおらず、世界が100人の博士だったら、という話まで出てくるぐらいだ。
ポスドクの年収は大体300万もあればいい方ではないだろうか。
うまく行って准教授という名の短期雇用で、例え東大で准教授になったとしても、数年で無職となる。
上が詰まっているので、教授になれるのはごく運がいい人か、よほどの実力者だけだ。
40代半ばで助教授になれなければ教授になれないと言われていたのが90年代だったので、
今後、研究者を続けられるかどうか以前に、生活できるかどうかも怪しい状態に置かれている。
それでも有名私立の実学系の学部にはよそよりも有利な点があったと思う。
ゼミの教授からのコネや、リクルーターになった先輩からの勧誘など。
リクルーターは今でもあるかは知らないが、銀行や保険などの金融系の業種であったもので、
正規の新卒採用ルートとは別に、入社1年目の人たちが後輩のめぼしい人に声をかけて、
会社の人と会わせて非公式の面接を行うというものである。ここで内定がきまると楽だった。
今の学生はサークルに入らないというが、こういうリクルーターのコネはサークル経由でもあり、それ目当てでサークルに所属する人もいた。
また、筆記試験に行くと、「ここにいるのは全員早慶東大の人たちですから名前を書けば筆記は通過できます」なんて試験官が言うこともあった。
内定拘束も今はないかもしれない。ライバル会社へ就職面接に行かないように、内々定を出した学生を入社1年目の社員が呼び出して、
新築マンションを初めて購入したんだが、不動産業界って賃貸はともかく、購入の際に謎の手数料取り過ぎじゃないか?
まぁこれは100歩譲ってローン特約とかあるからまだわかる。めっちゃ高いけど。
だけど提携ローン使わない自己調達融資の場合には8.8万円請求…なんで????
よく見ると、抵当権設定は大方その銀行がやることになるけど、表示・保存登記等は売主が指定するからその対価として請求されるらしい。
そして、売主指定の司法書士の見積もりみたが、やはり相場よりかなり高い。
これってもう確実にズブズブだよね???
確かにいろんなお客さんいるから、「こっちで引き受けますよー、その代わり相場よりはちょっとお高めですが」っていうのは分かるが、
自分でも相見積もりとってできるような作業を契約書上させないって明らかに違法じゃないの??
しかもMRではそこまで説明されず、手付金を支払って重要事項説明書にサインしに行くときにそれを言われる。
調べたところ判例がないようだけど、普通に独禁法とか消費者契約法とかそのあたりから見るとグレーなのではないだろうか。
そして、調べるとこうした慣習は10年前も変わらずあるみたいだが、斡旋手数料は5万、自己調達融資の3万くらいだったようだ。
いやいや上がりすぎだろ。消費者物価指数だってここ最近やっと前年同月比4%やぞ。
冷静に10万あったら旅行もできるし、美味しいご飯だって食べられる。
数千万円単位の買い物だと小さく見えるけど、絶対額めちゃくちゃでかいだろ。アコギな商売すぎる。
住宅価格を抑えた施策を政府が今後なにか打ち出しても庶民はこういう小手先の手法で支払う額は変わらなかったりする気がする。
出産一時金を42万から50万に増額しても結局産院が8万円上乗せした事例も見たぞ俺は。
高校生ならまだなんとかなるよ。
俺は数弱で既に文系私大卒業した後だからどうにもならんわ。とりあえず新卒で営業職に就いてるけど、そのうち対面営業も無くなって、音声AIとかチャットAIがやるだろうから人生詰んでる。
今までは文系でも司法試験とか公認会計士とか司法書士受かって逆転できてたけど、法曹や会計なんてAIの得意中の得意分野だから勉強するだけ無駄だわ。
仕事なくなったら金もないし、結婚や彼女も無理だろうから、性欲満たすためにはレイプするしか無いし金が欲しかったら強盗するしかない。
そんで一瞬で捕まって、AI検事に訴追され、AI弁護士に弁護され、AI裁判官に判決下されて無期懲役か死刑になるんだろうな。
読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下?ファッション売り場?
増田は搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。
売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。
しかしデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。
という事で離れた場所に搬入口が設けられて秘密の通路で結ばれていることがあるのだ。
それを幾つか紹介するよ。
因みにこういう所は仕事でしか入れないもので、増田が仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。
ヤマダ電機が運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業は昭和29年の地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。
LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色な運送会社的なところがある。
https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8
ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ。
かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。
https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A
元々ここは東上線の線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車の留置線が伸びていた。
国鉄が貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。
90年代に東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。
それまで旧館は東上線の北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画のダウンタウンのようだった。
https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8
ミロードの甲州街道のルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。
https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8
ここは急勾配&高さ制限がキツイ&急勾配登ってすぐに急カーブのクランクというデンジャラスなコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。
危なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ。
ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。
https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7
ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道陸橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道陸橋の下が公共地占有だ。
因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。
実はここは土地取引を巡って管財人の司法書士とヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地&駐車場のままだったところだ。
また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアとJR本社とトンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地や職工の詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである。
https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68
西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通り向かいのB館、ロフト、パーキング館とあるが、全て地下トンネルで繋がっている。
特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。
搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。
珍奇な搬入路の王者と言ったらここである。もう無くなってしまったが。
駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像)
https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9
ここからR246の下を通り、東横店東口店までずっと地下トンネルが通っていた。
更にここには空港の手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。
このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。
つまり、昭和2年の東横線開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である。
因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。
東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。
あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルとストリームの地下で荷物の輸送に使われているんだろうか?実に気になる。
肝心の「東横店東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。
開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社の帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。
これらには公共地である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。
普通はこういう占有方法は認められないが、施設の公衆性が強い場合は許されるのである。私鉄が道路地下を走っていたり病院の渡り廊下が道路跨いでたりと同じだ。
デパートの場合の公衆性は、公衆が自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場の性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。
余談だが、中野ブロードウェイのまんだらけが性的な商品を通路側に陳列して対面の商店とトラブル、その商店をネット民が攻撃して炎上するというトラブルがあった。
この時にネット民は中野ブロードウェイは私有施設だから陳列は自由、まんだらけの占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。
でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイは公衆施設の一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路は公道が準用される。
そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準で取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品を押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。
また、デパートは売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。
売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。
そこでデパートの流通センターか搬入代行業者の倉庫に搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパートに搬入するという形になっている。
当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。
これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方の業者が東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者の倉庫内に置いてしまう事もよくある。
「東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。
まず、起業支援してたらこの手の素人起業家とか怪しい友人とかなんて、あるある過ぎてわざわざこんな長文書くほど珍しいとか腹立つ話じゃないから。
一番最初の方で、ちょっと前まで学生だった社長の友人って時点で危険なにおいがプンプンする。粘膜を焼き切った上で鼻を両手でつまんでも匂ってくる、そんなレベル。そこで 『「社長はビジネスのことがわからないから、私が事業の柱になります。」その友人はそう言ってくれた。』 言ってくれた!?、こんな感想をまず抱かない。危険だなとしか思わない。
それに増田のサービスは税理士でも司法書士でも行政書士でも無いわけだから、継続的な関わりは持ちえない関係性だよね。業界特化のコンサルっていうような深い見識もうかがえないし。
あくまで登記や公庫の融資引っ張る書類整理くらいの手伝いで、そんな低付加価値サービスなのに手間かけすぎ。仮にこんだけ手間かけて割に合う報酬をとってるなら情弱の社長むしってる友人と大して変わらない。上司もなんか言えよ、こんなコストかけたら赤字案件だろう。あり得るとしたら公的機関系で利益は度外視してよいサービス?の従事者なのかな。でもだとしたら、『内心ではこんな社員を入社させても会社の為にならない』とか24時のmtgとか踏み込み過ぎ。淡々と書類作ってればいいと思う。
今時法人印だの定款だの全部ネットから作れるんだよ。登記だって個人でもできるけど単に安いから代行してもらうだけの業務。
『会社の登記と並行して、事業計画を立てるフェース』ってのも、事業計画先に立てろよって気がするが。福利厚生費なんて人件費で丸まってればいいと思う。資金計画でなくてあくまで事業計画なのだから。この段階ではまず事業性をきちんと確認することで、事業性を左右しない費目の事に目くじら立ててもしゃーない。あと友人の新事業だけじゃなくそもそもの当初事業もあるはずだよね。
『学生も社会経験のないアルバイターの起業ごっこに付き合わなくていいと思うと、本当に清々しい』 最初の感想に戻るけど、こんなの見えてる地雷なんだから最初から対策(引き受けない or きちんと線を引いて対応して利益だけ確保する)できる話で、相手に契約解除を言ってもらえてうれしい!ってくだりが信じられない。
増田は起業支援をやっている。それがコンサルなのか、税理士なのか、はたまた他の士業なのかは身バレを防ぐために伏せさせて頂く。
この顧客へのサポートは本当に記憶に残るものだった。事前にしっかり時間をとって、行いたい事業内容をヒアリングし、提携している司法書士に会社設立の書類を作ってもらった。法人印の作り方もわからないというので、どこで買えるかも教えた。そして、会社設立の書類にハンコをもらう予定日の日。
「あの・・・・定款に新事業加えてほしいんだけど。新しい会社を一緒にやろうと言ってくれている友人がこれを加えたほうがいいっていっていて。」
言葉を失った。すでに司法書士さんに書類を作ってもらった後だった。とはいえ、その不満を顧客に直接ぶつけるわけにはいかない。司法書士さんにはひたすら謝って、書類を作ってもらった。
その新事業を提案した友人というのは、聞いていた話ではかなり有望株だった。新事業分野でも業界経験があり、目利き(本人談)とのこと。どうやら社長にとって兄のような存在だったようだ。
一方、顧客である社長はそう言った経験はない。最近まで学生で、ビジネスでの経験がない。むしろ、ビジネスでの経験がある友人が入ることで、より起業がスムーズにいくのではと思っていた。
「社長はビジネスのことがわからないから、私が事業の柱になります。」
その友人はそう言ってくれた。
会社の登記と並行して、事業計画を立てるフェースに入った。うちは顧客と一緒に事業計画は作るようにしている。そのため、顧客側には事前に自分なりに事業計画をまとめてもらうよう依頼している。この会社では友人がそれだった。顧客が作った事業計画を元に修正を加えていき、そこからブラッシュアップするのだ。しかし、彼の作ってきたドラフトを見て、私は言葉を失った。
まず、事業年度が間違っている。12月決算の会社なのに、事業計画では6月決算で書かれている。そして光熱費はまさかの0円計上。福利厚生費も0円だ。しかも事業計画のほとんどはメモ書きみたいなもので、正直、読んでいて意味不明な内容なのだ。
事業計画の策定にはかなりの労力を要した。友人はまだ新会社には入社していない。別に仕事があるようで、打ち合わせの時間も23時とかが普通だった。そして彼と話しているうちに、彼の本当の姿がわかってきた。
1.本人は社員と言っているが、どうやら今の雇用形態はアルバイトらしい。業界経験というのもアルバイト経験のことを言っているらしい。しかし、ろくな社会経験がない
2.彼の目的は、今の仕事(アルバイト)を辞めて、友人の会社でストレスなく安定した給料をもらいたいということ
3.共同創業と言っているが、実際には依頼者(社長)が全額出資し、友人は社員として入社する
実際、かれはしきりに、「今月から私の給料支払う形にしてくれませんか?」と私に言った。この事業には許認可がいる。それは行政書士に取得を依頼しているが、かなり時間がかかるとの見通しだった。正直、許可が取れない段階では会社も収益を生まないので、この段階で友人を雇用するメリットはなかった。どうみても、世間知らずに社長から楽して給料をもらおうとしていることは明白だった。
「それは・・・・あまり得策ではないです。許可を取得した後で雇用開始をしてはどうでしょうか?」
社長もいる打ち合わせの場で私はこうアドバイスした。また、内心ではこんな社員を入社させても会社の為にならないというのもあった。
それから友人は私に敵対的になった。恐らく私の本心を感じ取ったのだろう。まず、私の過去のアドバイス内容をほじくり返し、ガンガンクレームを入れる。また、いきなりこれまで聞いてもいない事業内容の話をして、「これは許可がいるはずだから、ちゃんと調べてください!!」と急な要求をしてくるようになった。すでに終わっていた話がひっくり帰ることも何度もあった。その対応には多くの時間を割いた。当然起業準備のペースは遅くなった。そしてそこにもクレームを入った。うちは零細、大手企業と違って豊富な人的資源があるわけではない。これは致し方のないことだった。
そして最終的に友人は私の会社との契約解除を言い出した。それは深夜0時、社長も同席しても打ち合わせの場であった。
「この会社は使えません!!事業責任者として、この会社との契約解除を提案します!!」
彼は言った。内心ムカついていた。
「お宅(増田の会社)にはお世話になっているし、それはちょっと。」
さすがに社長も躊躇した。
「どうしても契約を続けるというのですか!!社長権限を行使して!!それなら私はこの話からおります。」
この友人の言葉で社長は折れてしまった。そして、うちの解約が決まった。
正直、契約が切れて生成した。この社長は親が金持ちらしく、こちらが解約金を請求すると、あっさりと払ってくれた。上司も何も言わなかった。学生も社会経験のないアルバイターの起業ごっこに付き合わなくていいと思うと、本当に清々しい気持ちになった。顧客から契約切られて本当によかった!!
宇佐美典也
@usaminoriya
この人いつもごちゃごちゃ理屈をこねくり回して俺のことを批判してくるんだけど、
特段の専門知識も独自情報源もなく延々とポジショントークやってるだけで中身ゼロなんだよなー。福祉保健局から財務局に協議行ってない時点で規則違反は確定だし、今都庁の焦り具合すごいよ。
Masanobu Usami
@usamimn
宇佐美典也らがイキってるけど若年被害女性等支援事業の「規則違反」は確定していないし、一連の手続きの部分部分が明らかになっているだけ。瑕疵があったとしても、保健福祉局内あるいは都庁内で「他にもあるんじゃないか?」とか「この処理ずっとやってたけどまずかったの?」て話になってるのでは。
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Masanobu Usami
@usamimn
日記的雑感のほか、政治・経済・社会から哲学・思想まで思いつくままに。行政書士試験、社労士試験合格。司法書士試験勉強中。元国会議員政策秘書。
しばらく @genheiei でつぶやいてました。
mipoko
@mipoko611
·
長いけどこの的確な考察はメディアの内側にいる人にも読んでほしい。暇空側に乗ったインテリ・政治的インフルエンサーは、こちらの考察のような状況は分かってて損得でやったと思うので(そして選択を失敗した)スルーだろうけど。自称弱者男性で乗ってしまった人には違うアプローチが必要かも。
Masanobu Usami
@usamimn
·
暇空茜問題に乗った者が問題を起こしても切り離されるし都合がいいように意味付けされて、「自分たちが正しい」とのストーリーに回収される。最初から選択的に切り取った事実を想像、妄想でつないでいるから、反論・反証があったり不利なことが起こったりすると想像、妄想をさらに膨らませるしかない。
こんな反差別界隈というデタラメな連中をRtしている時点で危ない。
Masanobu Usami
@usamimn
·
1分
いずれにせよ、どれかが決定的というよりも、偶然の要素も含めいろいろと作用し合ってということにはなるのだが、ジェンダー、セクシュアリティの問題は保守-リベラルの軸だけでは解けない、逆にどの問題も保守-リベラルの軸だけで整理できずジェンダーの視点を必要とするということだけは言える。
翻訳、ジェンダーといえばなんでもデタラメをやっていい。税金を泥棒していい。こういうのがネオナチです。
というかそもそもAV新法バンザイな人がエゴサとかいうのはルール的に禁止です。モラルとか貴様がいう資格はない。道徳なんて腐り切っているクズを排除しない。だからなんら意味がない。
そのような状況にある方に対して、以下のアドバイスを提供することができます。
1. まずは自分が置かれている状況を冷静に分析することが大切です。どのような債務があるのか、どのような収入があるのか、返済計画は立てられているのかなどを確認しましょう。
2. 返済計画を立てることも重要です。どのような期間でいくら返済するのか、必要に応じて支払いを繰り延べることができるのかなど、計画を立てて具体的な目標を設定しましょう。
3. 収入を増やすことも検討してみてください。アルバイトや副業を始めることで収入を増やすことができます。また、収入を増やすためのスキルアップも検討してみてください。
4. 返済計画を守るためには、支出を見直すことも必要です。節約することで、余分な支出を減らすことができます。
5. 債務整理をすることも一つの手段です。弁護士や司法書士に相談して、適切な債務整理の方法を検討してみましょう。
6. 最後に、誰かに相談することも重要です。家族や友人、相談窓口など、信頼できる人に相談してみてください。一人で抱え込まず、解決策を模索することが大切です。
>状況を整理しろ
別の増田が指摘してるが先方が弁護士を立てたり司法書士を使ったりしているかどうか。
今の増田は自分はこうしたいしか語ってないので知恵のついた子供でしかない。
先方の通知なり連絡は調停離婚という単語以外にたくさん情報があるはずだ。まずは情報を評価しろ。評価できていて伏せるならこの件増田やめろ。
調停離婚によって法廷を挟んで和解を目指すつもりなのと、まず離婚する事ありきで分与や親権の決定をするために法廷を利用し、揺るがない証拠物件を残したいのではできることが違いすぎる。
特に法廷や代理人を挟まず親族や嫁本人にコンタクトを取るのはシチュエーションによっては審理を決定づけるほどの悪手になりかねないので状況を整理しろ
俺も②→④をおすすめする。
高校生の間に簿記一級と行政書士が取れるなら、試験適性はあると思うので、学歴も良いのではないだろうか。
とりあえずは、②で「良い会社」に入ることを勧める。
この場合、待遇とか正社員とかよりも「良い会社」が良いと思う。(三菱地所ならパートでもいい。)
(a)JTC社員としてのブートキャンプ、(b)あわよくば旦那を捕まえる、(c)婚活するときの肩書をきれいにする、あたりが目的。
その後も②のルートで行く場合、たぶん、最初はパートでもしばらくしたら上に引っ張られる機会があるので、後は流れに乗って行けば良い。
①は、いつでも選べるし、たぶん、年齢が行くと辛い。
【ニートになった経緯】
高校在学中に日商簿記1級を取れたことで調子に乗り公認会計士試験を目指す→大学在学中に取れず→1年専業するも取れず→方向転換しリラクゼーションマッサージ屋店員になる フルタイム勤務で楽しく働く→コロナでお店が潰れる→両親の「ゆっくりしなさい」の言葉に甘えて家にいたら社会復帰が怖くなる→ニート継続中
【今の生活】
ゆるいデイトレ(株)やたまーに昔指名してくださっていたお客さまに施術したり自営業の両親の手伝いをしたりしている。一応社員という形になっている。
たまに自分がニートであることにヘラって(なら働け)しまうが、両親は「仕事手伝って家事してくれるし何がだめなの?」という感じ。
両親の周りには子供が過労死したとか自殺したという人がちょこちょこいて、元気でいてくれたらそれでいいよと本気で思っているっぽい。
当たり前だけどこのままじゃだめだなと。
今も手遅れ感あるけど、30代になったらこの職歴じゃ就職も厳しいだろうし。
何より、自分がニートであるということで病んできたのがまずい。社会に出る怖さよりもこのまま歳をとる怖さが勝ってきた。今日もこんな時間までちょっと泣きながら起きてしまった。
今は大好きな両親がいるけど、1人になってこんな社会と繋がってないのは本当にまずい。死にたくなるだろうけど死ぬ勇気もないだろうし詰む。
【相談したいこと】
これからどうするか、ない頭で真面目に考えた。以下のうちどれがいいか、また他の道があれば教えてください。
一番現実的だし正直めちゃくちゃ向いてる仕事だと思ってる。今まで受けた中で一番上手いと色んな人に言われたし、しんどそうに来店したお客さまが帰りにはほんわかしている姿を見るとこちらのほうが元気をもらえた。
ただ、フルタイムで長く続けられる仕事かと聞かれるとかなりきついかなと。身体を壊すリスクがあるわりには、指名料などを含めても他業種に比べれば低給なのが辛い。まだ家でデイトレしていた方が稼げる。
簿記以外にも事務系の資格を色々持っているし、今も両親の事業の事務のほぼ全てをやっているので能力的には下の中以上はあると思う。
ただこの歳で雇ってもらえるのかなという。
地頭も良くないし身体も強くはないので、難関資格に挑戦するなら20代がラストチャンスなんじゃないかと思う。
ただ今度ダメなら本当に何も残らないので…
会計士以外には司法書士を考えてる。宅建、行政書士を高校の時に取ったので法律の勉強にまるっきり向いていないわけではないと思う。
④婚活する
アホかと思われるだろうけどこれが一番いいのではと真面目に考えてる。
先に定職に就くのが一番いいんだろうけど、結婚相談所に入ったりするなら若さというカードを使いたい。子供も欲しくないわけではないのでタイムリミットがある。
あと、さすがに他人の人生の一部(というか全て?)もらうならめちゃくちゃ働くしその人にとっていい人生になるよう、良きパートナーであるよう努力できるのでwinwinではないかと思う。
@masakimatsumura
まず現在の制度が、「愛し合う者同士の関係保護」として成立しているかどうかが1つ。
現状が、「陰キャコミュ障のチー牛お断りになってる」かが1つ。
まず現時点でのNathan(ねーさん)さんの事実認定がよくわからないのでなんとも反論のしようがないのですが、論理関係変じゃね?としか言えない
@Nathankirinoha
·
7時間
陰キャコミュ障のチー牛お断り制度であるかどうかと、実際の現実が陰キャコミュ障のチー牛お断りになってるかは別問題です。
制度目的から来る論理的帰結と、実際の現実にズレが生じるのは常です。
陰キャコミュ障のチー牛お断りの度合いが強まると予想されるのかどうか。 https://twitter.com/masakimatsumura/status/1622090780541321216
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「事故った」
「怪我ない?」
「うん、大丈夫」
「安全なところにいる?」
「うん、ぶつけられた」
「これぶつかった跡かなぁ、凹んでるけど前からなのかわかんない。雪にエンブレムの跡あるけど」
「警察呼んだ?」
「呼んだよ」
「よかった、凹んでるんだね、雪か、写真撮っておこう」
「相手さん優しそうな人だった」
切れて連絡途絶える、30分後
「車検証どこ?」
「ダッシュボードの中だよ…」
「見当たんないって警察の人言ってるんだけど」
「いやあるはずだよ」
「絶対?」
「絶対ではないんだね?」
「絶対ではないけど」
「(警察の人に)家の中にあるかもしれないそうです〜。」
「ほんとに全部見たの?」
「封筒も?」
「封筒?」
「普通、車検終わったら後から郵送されてくるかと思うんだけど」
「あったわ」
「なんで見逃したんだろね」
「封筒の中までは見なかったって」
「そうか。そういえば、写真撮った?」
「また連絡するね」
切れた。
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「これぶつかった跡かなぁ、凹んでるけど前からなのかわかんない。雪にエンブレムの跡あるけど」
「警察呼んだ?」
「呼んだよ」
「よかった、凹んでるんだね、雪か、写真撮っておこう」
「相手さん優しそうな人だった」
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「見当たんないって警察の人言ってるんだけど」
「いやあるはずだよ」
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「普通、車検終わったら後から郵送されてくるかと思うんだけど」
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切れた。