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2020-08-16

anond:20200816132359

そうすると、メインディッシュのお肉は?ってなるけど 交換しますか?という話にはなるよな?

コースのものをすべて交換ということもおきえる。

だってケーキからひとつながりだからな。

そうなると、

冗談ろうそくをふきけしたやつにでていけ 

というはなしになっちゃうから

それはしのびないから、

主賓のオレが出ていくかOK

それで主賓がいなくなるから 交換の必要はもうない

簡単解決する

さようなら

それだけ

2020-08-12

マクドナルドチーズバーガーセットをテイクアウトした

バーガーを分解しパンズは明日の朝食とするのでラップで包んで保存した

メインディッシュチーズのせハンバーグ レタスピクルスサラダ代わり

お茶碗に白ご飯をよそってフライドポテトをのせたあとでケチャップをかけてフライドポテト丼の完成

ハンバーグをおかずにしてご飯を2杯も食べた

満腹になったのでもう寝ます

2020-07-22

銀座誕生日

上島竜兵さんが ぼくがぼくが といったら

主賓が どうぞどうぞ といって帰宅

どうぞ こんやのメインディッシュ女の子セックスして こどもつくればいい やるといったからにはやらないといけない 来年は別のカップル

どうして 殺人罪じゃないの?とはおもうけど

 

どうして 女の子とぺあじゃないの?

おまえが中を引き裂いたから のばあい

17年ぶりのなかなおりにそんなこときいてぶっつぶしてくれてありがとう 次は34年後だろう

わるいけどジャロへのクレームはじぶんでいれて

 

おはようございます14年前のことを御報告申し上げました

2020-06-29

とても大きなごん狐

 これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。

 或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴からたことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。

 ごんは、村を流れる黄河十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。

 ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。

 しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。

 兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。

 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから

「うわア石川五右衛門アルセーヌ・ルパン怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。

 ほら穴の近くの、ごんの挙動監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

 十日ほどたって、ごんが、大日本プロレス代表する悪役レスターである地獄カントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、

「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。

「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日メインディッシュである比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

「兵十の家のだれが死んだんだろう」

 お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺東大寺金剛峯寺増上寺永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。

 やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地はいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。

 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。

「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」

 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。

レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

 兵十が、世界一深い井戸のところで、指懸垂をしていました。

 兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

 こちらの道場の後から見ていたごんは、そう思いました。

 ごんは道場そばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。

いわしやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から

いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしつんトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。

 ごんは、うなぎつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついていますボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。

「一たいだれが、いわしトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています

 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。

 ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。

 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えますチンチロリンチンチロリンと緊急警報が鳴っています

 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。

「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。

「ああん?」

「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」

「何が?」

「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」

「ふうん、だれが?」

「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」

 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。

「ほんとかい?」

「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」

「へえ、へんなこともあるもんだなア」

 それなり、二人はだまって歩いていきました。

 加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭うつって動いていました。ごんは、

連合稽古があるんだな」と思いながら井戸そばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。

 ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸そばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊ふみふみいきました。

 お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。

「さっきの話は、きっと、そりゃあ、怪獣のしわざだぞ」

「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。

「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」

「そうかなあ」

「そうだとも。だから、まいにち怪獣お礼参りをするがいいよ」

「無茶を言うな」

 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

 そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。

 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。

「ようし。」

 兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。

「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。

「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」

 ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。

 兵十は榴弾砲を地面に叩きつけました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

2020-05-30

真面目な話、パーティーで主賓が遅れているときメインディッシュに手を付ける若いやつが、注意もされなかったりする。

そういう惨状を目にして、ドリームIT系という話を聞くと、他の業界にもおいしいところはのこってますよね?ドリーム美味しくはないですよね。

ばかみたいっておもった。

まぁ、それで下手に止宿でもすれば、どういう騒ぎが起きるかわかりやすい。死ぬかもなって思うもんな。

2020-04-17

感染症流行っているときセクキャバに行くってことはよほど好きなんだと思うしそのあと風俗行ってると思う。いつだってセクキャバ前菜ソープメインディッシュなんだもの

2020-02-17

野菜好き集まれー☆

ラーメンメインディッシュトッピングした野菜を食べるとき(麺を全部最初に食べる)。ラーメンとはスープに浸した野菜を食べる食い物である

2020-01-20

私はうんこを漏らしていない

私はうんこを漏らしていない。

 

毎週日曜日バイトをしている。知り合いの店の店長代理みたいなものである

で、その帰りには決まってラーメンを食べることにしている。デフォルトで大盛りのいわゆる二郎系というやつだ。そのラーメン屋はスープクリアで豚臭くないところがよい。大量の旨味調味料依存していないことは食べればわかる。

その日、私は体調が芳しくなかった。しかし、毎週の習慣には打ち勝てず、迷いながらも入店した。サイドメニュー無料クーポン券みたいなものを持っていたことも、入店を後押しした。期限が迫っていたのだ。

 

サイドメニュー餃子チャーシュー丼であった。ミニチャーシュー丼もあったが、せっかくだからミニではない方にした。コスパという言葉が好きだ。

メインディッシュは、普通ラーメンではなく、汁なしまそばにした。前に食べた記憶では、汁なしまそばラーメンに比べて全体的にやや量が少ない。さすがに山盛りラーメンサイドメニューミニでないものを平然と平らげられるほど私は食いしん坊ではない。どちらかというと痩せ型だ。

 

この時点で私はうんこを漏らしていない。

 

漏らすわけないだろう。意気揚々と注文をしながら漏らしてるって頭おかしい。もしそうならこの文章タイトルは「狂人日記」とでもなっているはずだ。私は狂っていないので、オーダーをしながら漏らすわけがない。

 

汁なしまそばは思ったよりも量が多かった。そして、ミニじゃないチャーシュー丼もそれだけで1食分くらいの量があった。おいおい。しかし、残すことは私の信念に反する。今までもこういったラーメン屋で残したことは一度もない。夕食を残したら父に激怒され家を締め出されるのではないかと怯えながら、出された飯を必死に食べていた幼年期が私の全てだ。

よし、食うぞ。

チャーシュー丼は非常に旨かった。サイコロ状のチャーシューご飯の上に乗る。ラーメンチャーシューとはまた違うトロトロチャーシューであった。ラーメンチャーシューちょっと硬い。

汁なしまそばも旨い。旨いよぉ。この店は最高だな。あまりにも最高なので毎週通って常連パスをゲットしたくらいに最高だ。

問題なのはミニではないチャーシュー丼と汁なしまそばをオーダーしてしまたことだ。

 

どちらも半分くらい食べたところでお腹がいっぱいになった。腹パンパン。変な汗がどんどん出てくる。体調が悪化していくのを感じた。

そもそも体調が悪かったので、メシをいっぱい食べればよくなるかもという目論見もあった。前にそんなことがあった。しかし、今日はそういう問題ではなかったらしい。

 

まだうんこを漏らしていない。まだってゆうか今後も漏らす予定はない。私の消化器系はところてん式ではない。食べたそばから漏らす仕組みにはなっていない。なってたら常にトイレで飯を食まなければならないじゃないか。この時点で便意は1グラムもなかった。

 

数週間前、違うラーメン屋で濃厚煮干中華そばを食べ、店内を出てすぐ嘔吐してしまった。本来は五年に一度ほどしか風邪を引かないほどの健康体なのに、昨年は3回も風邪を引いた。で、昨年の12月くらいからずっと体調が悪い。年末年始は謎の高熱で寝込んでいた。ここ数日は咳をする度に右の肋骨のあたりが尋常じゃなく痛い。

 

この症状についてパートのおばちゃんに話したところ「肺炎じゃないの?」と言われた。肺炎かー。肺炎という病気について私は寡聞であったのでウィキったところ、症状が当てはまるようであった。肺炎かー。いやだなあ。

 

閑話休題

尋常でない満腹であった。私は肉が大好きだが、目の前の二つの器には肉が結構残っていた。もちろん、米も麺も残っていたが、肉を口に入れるだけで吐き気がした。ここまで肉が憎いことは今まで一度もなかった。なぜならそれはダジャレからだ。

 

誤解を避けるために一応言うけど、ラーメン屋さんは悪くない。豚と小麦粉と米も悪くない。私の体調とオーダーが悪かった。

 

その後も頑張って食べ続けた。まじで頑張った。しかし、あと一口分のチャーシュー丼がどうしても食べられなかった。これ以上食べたら吐く、と本能が言っていた。汁なしまそばは完食した。「ごちそうさまでした」と言って逃げるようにラーメン屋を出た。大量の汗をかいていたので外に出た途端、非常に寒かった。

 

自転車で家まで帰る。店から出ておよそ30秒後、強烈な吐き気を催し、とっさに自転車を降りた。幸い、嘔吐することはなかったが、不快であった。家に着くまでに吐かなきゃいいな。吐くならせめて家に帰ってからだろう。

 

自転車を漕ぐ。家までは10分くらい。そのうち吐き気は収まってきたが、別の問題が浮上してきた。便意である

 

4年くらい前だろうか。同僚と飲んだ後、徒歩で帰っていた途中にうんこを漏らした。長い橋の真ん中あたり。完全に便が100%出切った。夜で一人だったのが幸いであった。誰にもバレていない。この時、私は確実にうんこを漏らした。懺悔します。

 

あの時は漏らしたが、私は今はうんこを漏らしていない。なにしろ今は自転車に乗っている。すいすい進む。大丈夫、間に合うだろう。

 

楽観に反して急速に便意が激しくなる。やばい結構やばい住宅街自転車で駆け抜けながら「やばいやばいよーまじでー」とだいぶ大きな声でひとりごちた。何でもいいから気を紛らわせないと脱糞しそうだった。肛門一世一代覚悟で頑張ってる。私は結婚していないし結婚をする意欲も予定もなく、私の肛門もそれはわかっていたと思うので、あり得たはずの孫の代までの肛門の力を発揮して頑張っていたと思う。

 

家まであと3分くらい。私はうんこを漏らしていない。

 

アパートに着いてすべきことはたくさんある。まず、自転車自転車置き場に停めなければならない。そして、自転車に鍵をかける→自転車ライトを消す→荷物を持つ→2階の部屋まで駆け上がる→鍵を開ける→部屋に入る。いつもやっているこれら行為のいちいちが煩瑣だ。その間に漏れちゃったらどうするんだ。焦っている時ほど鍵穴に鍵が入らなかったりする。荷物が上手に持てなかったりする。なぜなら、肛門に力を入れながらこれら日常行為もこなさなければならないかである。力と集中が分散されるのだ。

 

ようやく家に入った。家に入るまで私はうんこを漏らしていない。以前の俺とは違う。

 

懸案事項はもう一つあった。上着のチャックが馬鹿になっていることである。なぜだかわからないが上着を脱ぐときにチャックがスムーズに降りないのである。脱ぎ終わるまでに1分くらいかかることさえある。この非常事態にあっては、1分もあったら何が起きてもおかしくない。

 

荷物ぞんざいに室内に投げ入れ、上着のチャックを下ろそうとする。案の定スムーズ下りない。家の明かりをつけるのももどかしい。肛門 vs チャック。私のリソースは双方に注がれている。うんこテロリストだ。

 

私はうんこを漏らしていない。

 

チャックが下りるよりも先に肛門が緩みつつあるのを感じた。緊張と緩和とか言うけれど笑える事態ではない。別に上着を脱ぐ必要はないのだけれど、なんとなく便器には上着を脱いで座りたいじゃない。とは言え、いざとなったら上着のままトイレに駆け込めばいいのだ。最適解はそれしかない。

 

テロリストカウントダウンはない。いきなり勃発する。あ、と思った瞬間にはもうむにゅっと出てるのだ。4年前の経験から学んだ。

 

私はうんこを漏らしていない。上着のチャックは下りない。トイレまでは五歩くらいでたどり着く。

 

あ、

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-12-01

食い尽くし系の感覚

何の役にも立たないけど、食い尽くし系の感覚が突然舞い降りた瞬間があった

食い尽くし系旦那の話を見かける度に、こんな人が本当にいるのか?と正直信じられなかった

今まで生きてきてそんな人間に会った事がないし、その事を指摘しても話が通じないなんて宇宙人か?本当に大人なのか?と意味がわからなかった

でも先日、本当に突然、旦那の分までひたすら食い尽くしたくなる衝動に駆られた

前提としてうちは見合結婚した新婚一年

見合だけど旦那が物凄く私のことを気に入ってくれて猛アプローチしてくれた

一年普通恋人同士のように付き合いながら結婚準備をして入籍

今まで付き合ったどの人よりも大事にしてくれるし、家事が得意だし、女友達より女心がわかり気遣い半端ない人だったので

もうこの人を逃して幸せ結婚はできない、この人なら夫婦生活子育てもなんの心配もないと思ってプロポーズも快諾した

旦那大事にしてくれる分、私もいまだかつてないほど気を遣って居心地のいい家にしようと努力してる

しか旦那相手だとそれが全然苦ではなかった

そんな旦那でも私側からすると所謂恋愛結婚ではなかったから、恋してるとかそんなトキメキはなかった

トキメキやらドキドキやらそんな物より大事な人が見つかったんだと思ってたし今でも思ってる

結婚してからに限った事ではないけど、私はこれまでの元彼の夢をちょくちょく見る

その時好きな人、その時の彼氏の夢なんかほぼ毎日見てた

でも旦那の夢はこれまで全く見た事がない

見てるのかもしれないけど覚えておらず、旦那の横で寝ながら前々彼氏デートした当時の夢なんかを見て目覚めるとなんとも言えない罪悪感に陥った

元々異性交遊に関してはかなりの潔癖症だし浮気したりすることはあり得ないけど、旦那には恋してない事が自覚されて勝手ながら悲しくなったりしてた

で、先日、仕事ストレスマックスでかなり疲弊して帰宅した

旦那が気を遣ってくれて家の目の前のファミレスに行ったんだけど、とにかく旦那が頼むもの片っ端から食い尽くしたい衝動に駆られた

これまでそんな欲求家族にすら湧いた事がないし、そもそもそこまで食に拘る人間でもない

その時はそこそこの空腹にも関わらず、旦那の皿が来るたびに一口ちょうだいと言わずはいられなくて

3口目くらいでもうこれは異常だと自分でも焦りを感じて、化粧室に逃げ込んだ

職場の人から電話がきたから先食べてて!と言い訳メッセージを送って旦那がそれなりに食べ進み私の料理がきたころに化粧室から戻った

それでも自分メインディッシュより旦那のあと一口程度のライスが食べたくて仕方なく、なんとか気力で抑え乗り切った

長々書いてしまったけど、結論から言えばその瞬間旦那の事がファミレスウェイトレスより空気のような存在に思えていた

目の前に“自分自由にしていい範疇の”食べ物があるのにその権利空気のような相手に明け渡す意味がわからなかった

私が食べれるものなのになぜ我慢しなきゃいけないのか、先に相手の物を食べなきゃ私の取り分が減る、取らなきゃ

みたいな本当に頭のおかし状態になってた

食い尽くす瞬間の人間って、そこにいる相手の事を本当に環境映像とかBGMとか、そこまで背景的にしか考えてないのかもしれない

その行為をする事でその瞬間相手が顔を蹙めようと、相手が“自分のものである事に変わりはなくて、嫌われるとかなんだとか自分自分の所有物に対して思う事ではないし、みたいな感覚なんだと思う

長ったらしい文章から分かる通り私も発達グレー

食い尽くし系は相手自分の所有物やどうでもいい存在と思ってるか発達傾向の現れかその両方かなんだろうな

そうじゃない、例えば成育環境に由来するものとか別パターンの食い尽くしもあるかもしれないけど

幸い旦那には気付かれずに済んだし、その後同じ発作も起こってない

旦那とはずっと仲良く暮らしていきたいし誰より尊敬してるし一生夫婦でいたいので

自分があの時と同じような状況にならないようストレスマネジメントを徹底しようと思う

私も自分が食い尽くし“系”とは思いたくないですし、あの時限りと信じたいです

でもずっと不思議でならなくて、大事家族に対して意味がわからないと思っていた食い尽くし系の感覚自分自身がなった事で、ああこういう感覚なのか!すごい、ここまで相手人権無視してるからできる所業なんだ!

と、そのメカニズム?というか心境ががわかった瞬間だったんです

これに更にマウンティングとか相手への悪意まで乗ってきたら本当に心底最低な食い尽くし系の出来上がりなんでしょうね

以前と違って意味わからんとはならず、ああ、あういう感覚なのね、理屈だけはわかるわ、といった気持ちです

そんな気持ち理解してしま自分がしぬほど嫌ですし、再発からの常習になってしまったら舌噛んでしにたいです

潜在的には、こんな気持ちが湧くような感覚旦那の事を考えてるかと思うと本当に最低だなと思います

どんなに夫婦関係が長くなっても、あの時のような感覚旦那に接することだけは一生ないように自分を律していきたい

まず私たちテーブルに運ばれる料理=全て私が食べていいものという認識になって

旦那相手にその自由にしていいはずの料理を「一口もらっていい?」と断り入れることすら理不尽に感じました

なぜ私のものなのに私が好き勝手自由にできないんだ?というイラつき

それを抑えるためにも化粧室に逃げ込みました

2人分が私のものなのに、こちらが旦那の分を確保しなければ旦那侵食されてしまう!阻止しなきゃ!みたいな

(なお私のオーダーが旦那に取られるという頭は当然なく、これは私が安心して食べれる私だけの分)

もちろん頭では自分感覚おかしい事はわかってるので、意味わからん独占欲と理性のせめぎ合いでした

こう書くとジャイアニズムの境地に感じます

そう言えば先日、会社忘年会ビンゴゲームで同僚のAさん(美人で可愛くてアラフォーだけど社内のアイドル可愛い物好き)にキュートぬいぐるみが当たりました

Aさんは喜んでぬいぐるみを持ち帰ったのですが、それを自宅で発見したAさんの次女(15歳)がすかさず「かわいい!これ私のだよね!」と言ったそうです

Aさんの家には自分の手でそれをゲットしたAさんも、同じくぬいぐるみが好きな長女(18歳)もいるのに

家にあるもので可愛くて欲しいものは当然私の!と言えてしま女子力末っ子力にびっくりしました

それに近いものだったのかなあと今なら思います

家族自分を取り巻く環境の一部、自分主人公家族のもので欲しいものは当然に私のもの!と言う

2019-10-04

増税社員食堂が値上がりした。

これまで600円だったところが630円

正確にはメインディッシュごはん味噌汁がそれぞれ10円アップした。

2%の値上げでは端数の扱いが面倒だと10円アップなんだろうけど…

なんかすごく上がってモヤモヤする。

2019-09-06

家庭菜園に憧れる増田朱眞ル禮雅コア人英才てか(回文

書いた増田ブクマが600とか300とか100とか、

ポポポンポーンとついたら凄いわよね。

なんだか普通増田は書いてないけど

たまに書いていくらブクマがつくとプロ増田を目指していたことをすっかり忘れていたことに気付きます

そしてどちらかと言うと

ネタの内容と言うよりそれも若干あるけど、

投稿する時間帯のタイミングだったりにも左右されるのかなとも思ったりします。

おはようございます

そんなわけで、

この時期の美味しいナスって

9月の秋ナス俺の嫁!って言うけど、

言うほどなんかいまいちなメインディッシュ感はなく

大変申し上げにくいんだけど、

ナスって主役になれない感じは否めないわよね。

でもナスのお味噌汁は大好きだしナスカの地上絵はいつか見てみたいけど

行ったらいっただえ北海道時計台のようにガッカリポイントであると言うことを

インターネット記事で読んじゃったから地上絵はセスナに乗って上から見るよりも、

もうこれは画面で見てそれだけでいいんじゃないの?って思うぐらいよ。

そんなふうにしてなすびのお味噌汁茄子をお行儀悪く箸でかき混ぜていたら、

なんとなく美味しく茄子が食べられるかなって思ったわ。

秋だからって茄子の話ばかりしてるわけじゃないんだけど、

ここ最近本屋さんにいっていくらか本を買ってみたんだけど、

これも読まなきゃと思いつつ分厚い園芸ナス百科も広げて眺めて見たりなんかして。

ああ夏の野菜で今から植えるには遅いのね。

私の家ももちょっと大きなベランダがあったら、

プランター園芸用の土の袋を買ってきて、

季節の野菜とかジャガイモとかを作りたいのよね。

そんでもって

季節の野菜いかがです?ってサッポロ一番の袋麺のラーメン野菜たっぷりで作りたいし、

私こう見えても土いじり好きなのよ。

近所のレンタル家庭菜園畑あるけど、

シルバーパイセンのお年を召した方じゃないとレンタルできないってことらしくって、

わずかに期待した畳2畳分の広さの畑を持つことも果たせなかったのよ。

うーん都会にいると土をいじるのだってさせてくれないのよね。

でもさそれ、

父名義か母名義かで土地ロンダリングしたら、

もしかして私も畑で野菜できるかも!って一瞬思ったけど、

これってかなりなグレーゾーンだったりするのかしら?

私の家の近くで

露地栽培野菜を1袋100円で売ってる無人野菜自動販売機があるんだけど、

その野菜自動販売機に補充するとき

こないだピーマン美味しかったです!って言ったらとても喜んでくれて、

なんでもこの近くの小さな畑で作ってるんだって

さすがシルバーパイセンねって思ったし、

そう言ったご年配のシルバーパイセンの方って、

米作りの上手な達人大塩平八郎さんが手塩にかけて作ったお米ばりに

デフォルトでとてもわりと野菜作りが上手なのよね。

尊敬するわーって。

いつかカワイイ野菜ちゃんとかとか育てたいわね。

うふふ。


今日朝ご飯は、

アイスヒーコーだけにしました。

脂肪牛乳最近の私の流行

お店で買うコーヒーの注文が呪文のように長く難しいところでは

トールソイラテって言うと、

何か注文こなれてる感風な感じが醸し出せる気がするわ。

デトックスウォーターは、

ホッツ麦茶朝寒かったのでそれにしたわ。

冷房つけっぱなしだと冷えるわタイマーし忘れちゃったみたいよ。

気を付けないと。

最近お気に入りで使ってる麦茶パック

水出しより久しぶりにホッツで作ってみたから

やっぱり温かく煮出した方が風味もふくよかでふっくらした香りがホッとするわって思ったわ。

ホットだけにって

ほっとけ!って言いたいぐらいよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-06-03

一人暮らしオススメふるさと納税 返礼品

一人暮らしオススメふるさと納税 返礼品を教えてほしいです。

社会人3年目、一人暮らしの女で、

毎週おかずを作り置きして、お弁当を作っては会社のお昼ご飯としています

ふるさと納税6月から制度が変わりましたが、もともと還元率が異様に高い返礼品や、地場産品かどうかというのは気にしていませんでした。ボーナスもそろそろだしまふるさと納税をしてみようかなと考えています

去年はいくらを大量に頂きましたが、夜は白米を食べないようにしているので、結構消化するのに時間がかかりました。

仕事から帰ってきて、パスタを茹でるとか余り物のおかずでグラタンを作るとかはできていて、日々自炊をしている(といっていいものか分かりませんが)ので、こう、返礼品として、うなぎいくらハンバーグ!とか完全にメインディッシュをもらっても、それに合わせるおかずなり炭水化物を考えねばならず困ってしまい、消化に時間がかかるので、そうではない返礼品を選ぼうかと思っています

いま考えているもの

パスタソース

・水など日常で必ず消費するもの

くらいしかありません。

自炊をしないわけではないが、一口コンロの範囲生活していて、時間がない社会人(夜ご飯はさっさと作ってさっさと食べたい私のようなズボラ人間)には、どのような返礼品がおすすめか教えてほしいです。

それとは別に、これはもらってよかったよ!というのも教えていただけたら嬉しいです。

2019-01-28

ポテトサラダりんご」はりんご自体に罪はない

ポテトサラダが大好きだ。

ポテトサラダ自分で作ると案外めんどくさい。

  1. じゃがいもを茹でる
  2. それをマッシュする
  3. さらにいろいろな具材と和える

という手順を踏むわけだが、自分で作ると

  1. じゃがいもを茹でる(次工程突破成功率:2割 茹でた状態で皮向いて塩かけて食うと上手いのでここで料理としての作業が終わる事が8割 2割はステーキの付け合せとして作っているという鋼の意志を持った状態突破可能とする。)
  2. それをマッシュする(次工程突破成功率:0割 マッシュした状態で既に美味しいのでマッシュしてそれに肉汁たっぷりソースをかけて食うとどうでもよくなる10割ここで止まる 鋼の意志といったが、鋼は柔軟だからこそ耐久力があるのである。)
  3. さらにいろいろな具材と和える(未だ到達できていない 未開の地)

となり、ポテトサラダを作ることが絶望的なのでスーパー惣菜で買う。

 

さて、本題の「ポテトサラダりんご問題だが、自分ポテトサラダりんごは断固として拒否する派である

だが、ポテトサラダ好きということをしった彼女焼肉の付け合せにポテトサラダを作ってくれることになった。

ポテトサラダに何が入っていると嬉しいかを聞かれたので「カニカマきゅうりレタス」が三種の神器であることを伝えて、買い物に一緒に行く。

そして、彼女が手にとったりんごに一抹の不安を覚えて帰宅するのであった。

 

帰宅すると、早速じゃがいもを茹でる彼女

「手伝おうか?」というと、「いつもコウちゃん料理してくれてるから今日ぐらいは私にさせて。ホットプレートとかの準備をお願い。」という彼女

どうしても彼女が手にとったりんごが気になる。

いや、ちがう。「カニカマきゅうりレタス」が三種の神器という話はしたはず。りんご焼肉を食べたあとにきっとお口直しに食べるだけだ。

カニカマきゅうりレタス」が三種の神器と言った。この3種のポテトサラダこそがポテトサラダの王であるとまではいっていないが、伝わっているはずである

 

そしていざ、焼肉パーティー開始である

早速、ポテトサラダ盛り付けてくれる彼女

 

わかる。

入っている。

りんごが入っている。

赤色が見える。

皮付きの薄切りで。(薄切りサイドの人間だったのかとここで知る)

赤色といえばかにかま赤色だがカニカマ赤色とは明らかに違う「紅」だ。

 

ここで、毅然とした態度で「ポテトサラダりんご邪道であり、断固として拒否する。三種の神器を侵すことは君だとしても許せない。」ということはできる。

子供らしく、りんごを避けることもできる。

俺がとった行動は「食べる」ことだった。

 

子供だった頃、母親が作ってくれたポテトサラダりんごはいってる確率はおおよそ3割だった。

ポテトサラダテンションがあがり、口に含んだ瞬間、「シャリッ」とりんごが主張してくるのが嫌いだった。

ポテトサラダはホクホクだから美味しいはず。自分マッシュするタイプポテトサラダ居酒屋で出てきて嬉しいのはそのホクホク具合を自分ごのみに設定できるからであって、「シャリッ」という食感は完全に邪道であった。

だけど、母親が「コウちゃんが大好きなポテトサラダだよ」といって作ってくれたポテトサラダを嫌いということが出来ず、我慢して「おいしいよ」といって食べた。

自分が対面しているポテトサラダもまた「コウちゃんが大好きなポテトサラダだよ」といって作ってくれたポテトサラダなのだ。俺には「おいしいよ」と言うしかない。

 

「おいしいよ。」

「よかった。どう?薄切りのコンポートにするとシャリッとした食感がないか大丈夫でしょ?」

 

彼女はわかっていた。

俺がポテトサラダりんごはいってる事を嫌う事を。

から、克服するチャンスをくれたのだ。俺はなぜか感涙していた。

 

思うに、りんごはいったポテトサラダの何が嫌いだったか

それは善意100%素直に受け取ることができない自分が嫌いだったのだ。

心の中で違うと思いつつ「おいしいよ」と心がこもってない言葉を発する自分が嫌いだったのだ。

 

「うん、思えば、別に味とかじゃなくてそのポテトとおもってりんごを食べた時の食感が苦手だったのかも。ありがとう。」

 

そう言いながら、食べるポテトサラダ焼肉よりもメインディッシュであり、デザートであり、やはりサラダであった。

2018-10-20

在宅仕事の昼飯事情

ほそぼそとイラスト描いて暮らしてるんんで基本在宅ワークなんだが、どうも昼飯に悩む。朝はヨーグルト果物プロテインのセット、夜はメインディッシュ。んじゃ昼は?と。料理は夜ごはんを作るのにガッツリやるから、なんとなく昼に料理するのはめんどくさい。でもそれなりに腹は減っている。んで結局お弁当とか買っちゃう。みんなどうしてるんだろう

2018-10-10

結婚毎日同じものを食べ続けるようなものだな

例えば結婚相手大好物食べ物を選んだとして、それが毎日続くとしたらどうだろう。

どんなにそれが美味しいとしても、カレーからあげハンバーグ毎日続けばすぐに飽きてしまう。

しかも日々少しずつではあるが変質して劣化していくのだ。

毎日食べ続けて、なおかつ浮気すら許されないのであれば、味噌汁とか漬物とか飽きようのないものを選べばよかったのかと言えばそれも難しい。

毎日メインディッシュな日々と毎日付け合せな日々、どちらを選んでも結婚地獄だ。

2018-09-02

PCデポ記事についてヨッピーさんにあれこれ聞いた話(前編)

ヨッピーさんから、入れると言った注釈が入っていないと指摘を受けたので、続きを書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20180903013101


独り言にて(ツイッター:@hitorigoto4me)」です。

2016年PCデポ炎上話題には一家言あります

ちょっと縁があり、2016年PCデポ炎上の引き金になったヨッピーさんの記事への突っ込みを、筆者であるヨッピーさん本人にする機会がありました。

この文章はその記録です。

まず、ご協力頂いたヨッピーさんとケンヂさん、PCデポ広報のご担当の方に感謝の意を表したいと思います

ケンヂさんにはヨッピーさんからの問い合わせに対応して頂き、広報の方には個別案件のため回答できないという返答を頂きました。)

念の為書いておくのですが、私は本件について完全な第三者であり、この文章で行なっているのは本件についての批評であり、誰かを責めたり傷つけたりする意図はありません。

また誰かに何らかの行動を求めるものでもありません。

今回、私がヨッピーさんに求めたのは裏取りの協力だけ(断られましたが)で、記事修正等は求めていません。

元の記事はこれです。

PCデポ 高額解除料問題 大炎上の経緯とその背景

https://news.yahoo.co.jp/byline/yoppy/20160823-00061403/

多分みんな忘れていると思うので、この文章を読む前でも後でもいいですが、記事を読んでおくといいと思います

記事に倣って、この文章では登場人物肩書きがある人は肩書き、ない人は「さん」付けで書きます

ケンヂさんのお父さんは短く「お父さん」とします。

さて、非常に長い話なので、最初インデックスを付けておきます

誰に宛てた文章でもないのですが、多少は読みやすくしておこうと思います

1.概要ポイント
2.経緯
3.疑問
4.ケンヂさんのツイート
5.新展開と新情報
6.まとめ1
7.「書いていない事」について
8.まとめ2


あと、ヨッピーさんリスペクトで改めて言っておきます

死ぬほど長いです。

1.概要ポイント

簡単自己紹介しておきますが、私はただの匿名ツイッターユーザーです。

リアルとは切り離しているので、フォローフォロワーに知り合いはいません。

PCデポ炎上ウォッチしていたら少し深入りしてしまった感じです。

ちなみに、ウォッチを始めたのはヨッピーさんの数日前くらいです。

すごくざっくりまとめますと、私の持っている問いは「8/20認知症のお父さんを連れて行くという決定をしたのは誰だ」というものです。

8/20とは、ケンヂさんとお父さん、ヨッピーさんがPCデポ幕張インター店に契約書類を受け取りに行った時の事です。

あらましはヨッピーさんの記事を読んで頂くとして、PCデポ側が「連れて来い」と言ったのであれば色々おかしいんじゃないの、という話になりますし、ケンヂさんが連れて行く事を選択したのであれば、その事についてPCデポを責めるのはおかしいんじゃないのか、という事になります

で、その意思決定に関わる部分が記事ではカットされており、「PCデポ要望」とだけ書かれています

本当にそうなんでしょうか?

本当にPCデポ側の要請だったとして、なんでケンヂさんは断らなかったんでしょうか?

人によっては些末な事と思うでしょう。

しかし、これは公平さという視点において、重要な事です。

元々ヨッピーさんはケンヂさん側の人間として関わっているので、その時点で公平ではないわけですが、記事においては公平であってほしいものです。

いつものオモシロ記事ではなく、一企業を名指しで批判しようという記事なのですから

さて、ヨッピーさんとやり取りをした結果、私の得た結論は「よく分からない」です。

記事には書いてありませんが、実は8/20アポを取る時に揉めており、揉めている時の詳細なやり取りが分かりませんでした。

口論の末に「連れて来い」という話になったようなのですが、それでは何も分からないじゃないか、というのが素直な感想です。

そして揉めた理由100%ケンヂさん側にあるため、それを全部カットしてあるのはどうなのよ、と思うわけです。

また、ケンヂさんは自身本人確認を頑なに拒否しています

するとPCデポ側としてはお父さんに本人確認するしかないわけで、それってPCデポのせいなの?となるわけです。

加えて、ヨッピーさんは前日に揉めた事すら知らずに記事を書いたそうです。

経緯を知らずにPCデポ側を責める論調記事を書くというのはアンフェアですし、正確でもないですから不適切です。

社長との面談を直前で断られたこと、高齢者父親老人ホームから連れ出さなければいけなかったこと、最初身分証提示を求められたこと、T部長の態度などなどがケンヂさんを硬化させてしまった原因なのかなと思っております。」

このくだりは、よく言えば印象操作言葉を選ばなければ、デマですね。

事実関係を整理すると、PCデポはそのえげつないサポート契約について批判されるのは当然としても、ケンヂさんの件については同情的にもなってしまうのです。

2.経緯

あらましは記事で、と書いておいて何ですが、記事に書かれていない事を含めて8/20にお店に行くまでの経緯を整理しておきます

8/20は、本来ケンヂさんとPCデポ野島社長和解を目指して面談を行うはずの日でした。

8/17野島社長からケンヂさんに直接電話があり、ケンヂさんとケンヂさんの「協力者」に会うという約束をしていたためです。

この時野島社長はお父さん本人との面談希望したそうですが、認知症のため不可能だとケンヂさんが答え、その結果ケンヂさんとの面談がセットされた、という流れです。

しかし、前日の8/19にテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でこの話題が取り上げられ、これについて、PCデポのT部長ケンヂさんにクレームを入れました。

8/20面談まで、マスコミ対応や本件に関する情報発信はしないという約束だったためです。

ただ、これはT部長勇み足っぽく、番組ではケンヂさんのインタビューコメントなどはなかったと記憶しています

ケンヂさんもツイッターで「その時は取材を受けておりません」と発言しています

ともあれ、このタイミングで、ケンヂさんは社長との面談に「フリーライター」を連れて行くと伝えました。

T部長はこれに難色を示し、社長との面談がお流れとなりました。

同日(8/19)、その後改めてケンヂさんはT部長電話でやり取りをしました(ここは記事に書かれていません)。

この内容が、お父さんの契約に関する書類を渡してほしいというものでした。

揉めつつも翌8/20幕張インター店で受け渡しをする事になり、実際に行ったわけです。

そして8/20店頭で起こった事はヨッピーさんの記事の通りです。

T部長はお父さんの身分証を求め、持っていないという事で口頭確認をし、お父さんは答えられませんでした。

結局一度老人ホームに戻り、お父さんの身分証を取ってきて再開し、和解する事なく話は終わったのです。

3.疑問

さて、ここで発生する疑問は5つあります

・本当にお父さんを連れて行く必要はあったのか?
ケンヂさんはお父さんの代理になれたのでは?
・T部長本人確認をするのは当たり前では?
ケンヂさんはなぜお父さんの身分証を持って行かなかったのか?
・お父さんの身分証を求められた時、代わりにケンヂさんの身分証を見せれば話を進められたのでは?

基本的な話として、疑問を挟む余地なく、契約に関わる業務本人確認必要です。

そして大抵の場合本人確認には身分証を使います

少し厳密なところだと身分証が2点必要だとか、申告した所属先に確認電話が行くとかもありますね。

今回の場合、お父さんは本人確認のために連れて行かれています

しかし、お父さんが認知症を患っている事は双方分かっています

そのため、息子であるケンヂさんを代理に立てる事の合理性はお互い理解していたと思われます

ではなぜ、お父さんを連れて行く必要があったのでしょうか。

ヨッピーさんの記事では、「PCデポ要望」となっています

え、本当に?というのが私の率直な感想でした。

お父さんが認知症を患っている事は知っていたのですからPCデポ側は代理を認めるのが当然だと思ったからです。

認知症のお父さんでは本人確認に通常より手間がかかる事が予想され、連れてきてもらうのもケンヂさんに大きな負担になります

ケンヂさん一人の方がスムーズに事が運ぶのは想像に難くありません。

ではなぜ、PCデポ(T部長)はそれを求めたのでしょうか?

不思議な事に、記事内において、ケンヂさんは自分代理になる事を主張していません。

ケンヂさんにとって、自身代理として認められれば、お父さんを連れ出さなくてよいという代え難いメリットがあります

なぜ、お父さんを連れてこいという要求をすんなり受け入れてしまったのでしょうか?

なぜ、お父さんの身分証を求められた際、自分身分証で代わりにするよう求めなかったのでしょうか?

冷静に考えると、もっとシンプル物事は進められたはずなんですが、考えうる限り最悪の展開が現実となったように見受けられます

そりゃあ、背景と経緯が気になります

4.ケンヂさんのツイート

この謎のヒントが2016/9/16のケンヂさんのツイートにありました。

重要なので引用します。

身分証提示は当然という指摘に対して)

「私一人で来るなら身分証明書を、本人が来るならいらないとの話でした。で、本人を連れていったのです。」

(当日、車の免許証を持っていたのでは、という指摘に対して)

「もちろん私は免許証を持ってましたが、提示拒否いたしました。当時、ネット上でたくさんの誹謗中傷を受けており(デポ内部から情報漏洩と思われるものも含め)、自分個人情報を渡したくなかったのです。本人が来ればいらないとの事でしたので、連れて行った次第。」

この内容は、ケンヂさんは自分一人で行く選択肢があったのを認識していた事を示しています

「連れて行った次第」とあるので、示唆どころの話ではなく、ダイレクトに示しています

あれ、「PCデポ要望」ではなかったのでしょうか?

もっとも、このツイートにはケンヂさんが身分証提示したくないと考えた理由も示されており、理由自体は多くの人にとって一定の理解が得られるものではないかと思います

一方で、「お父さんを連れ出す事」と天秤にかけた際、自分の都合を優先した事に変わりはありません。

であれば、店頭に連れて行った事によってお父さんが受けた屈辱は、ケンヂさんは自らの判断の結果として受け入れるべきではないかと思いました。

そしてこのような背景があるのであれば、きちんと記事に反映するべきだったのではないかと考えました。

また記事には「契約者は父親であるため、関係書類を渡すにはケンヂさんの身分証ではなく、父親身分証必要とのことです」とありましたが、このツイートによれば、ケンヂさんの身分証提示拒否したのはPCデポ側ではなくケンヂさん自身です。

ケンヂさん本人がそう言っているのだから、これは記事が間違っているのではないか、と考えたのが今からおよそ23ヶ月前の事です。

当時はヨッピーさんに直接何か言うつもりはなく、ただアンフェアな中で物事が進んだのだなあ、という感想を持っただけでした。

5.新展開と新情報

そうこうしているうちに2年ほどが過ぎ、PCデポウォッチしている間に色々ありましたが、本題とは関係のない話ばかりなので割愛します。

2018/7/17ヨッピーさんが過去記事を振り返る記事を書いていました。

そこでPCデポ記事を取り上げていたので、私はその記事ツイッターシェアすると共に、前項の事をヨッピーさんは知っていたのだろうか、という内容をツイートしました。

7/24のことです。

そこにヨッピーさんが反応したのが今回のきっかけです。

最初ツイッターでのやり取りでしたが、途中からメールに切り替わっています

ちなみにその時のヨッピーさんのコメントに「だいぶ事実誤認がありますな」というものがあったのですが、何が事実誤認だったのかは、未だに示されていません。

投稿前に下書きをヨッピーさんに見せたところ、この部分について訂正がありましたので、文末に載せてあります

さて、ヨッピーさんとやり取りをする中で、色々と新情報が出てきました。

特に大きなものはこの2点です。

1.ヨッピーさんは先のケンヂさんのツイート(とその内容)について知らなかった
2.8/19に、ケンヂさんとT部長電話契約書類を取りに行くためのやり取りをしている

1については、あれ、ケンヂさんの一番近くで見ていたのに、なんで知らないの?

事情を知らないで記事を書いたの?

という感想を抱きました。

ただまあ、本人が知らなかったと言っている以上、それ以上のコメントはありません。

2についてがこの文章メインディッシュです。

結局、お父さんを連れて行くようになったのはなぜなのか、連れて行ってなお、身分証提示で揉めたのはなぜなのか。

一番シンプルな、ケンヂさんが一人で店頭に行って書類を受け取ってくるという展開が作れなかったのはなぜなのか。

その辺りの謎が全部ここに詰まっているわけです。

これについてはヨッピーさんも知らなかった、ないし覚えていなかった事で、ヨッピーさんがケンヂさんに改めてコンタクトを取り、コメントを貰って判明しました。

ヨッピーさんはPCデポにはコンタクトを取っていません。PCデポには私がリクエストし、当然断られました)。

ケンヂさんの主張は以下の通りです。

公平さのためにヨッピーさんの要約を引用します。

------------------------------------

1.PCデポケンヂさんに来店時にケンヂさんの身分証提示するよう求めた
2.「以前に解約した時は必要なかったのに今更なんだ」と口論になり、ケンヂさんが身分証提示拒否した
3.ケンヂさんが話の流れで「そもそも身分証を持参したら父親を連れて行く必要はないのか」と確認
4.PCデポ(T部長)が「どちらにせよ書類父親本人にしか渡せない」とケンヂさんに伝える
5.渋々ケンヂさんが父親本人同伴で店舗に行く事を了承

------------------------------------

※3については、メールではケンヂさんが自分身分証を見せれば書類を受け取れるのか、と確認したという話で、「父親を連れて行く必要はないのか」と確認したという話はありませんでした。

順番に整理しますと、まず、T部長は来店時に身分証提示するようケンヂさんに求めました。

これは本人確認のためなので、当然です。

ところが、ケンヂさんは前回、前々回に解約した時には必要なかったのに、なぜ今回必要なのかと怒り、口論になったのです。

これは要するに本人確認をせずに契約書類を渡せという事ですので、明らかに不当な要求です。

ここでT部長はお父さんを連れてくるようには言っておらず、本人確認のためにケンヂさんに身分証を持って来るよう求めている点も見逃せません。

「以前に解約した時は必要なかったのに」というのも重要事実で、過去の解約時、ケンヂさんは身分証提示していないという事が分かります

PCデポ本人確認をしないで解約に応じているんですね。

契約事務手続きをやった事のある人なら分かると思いますが、本来あり得ない事です。

さて、口論になった後、なぜかT部長ケンヂさんの身分証提示されても書類は渡せないと言い出しています

最初身分証を求めたのは、ケンヂさんに書類を渡すつもりだったからに他なりません(そうでなければ本人確認する必要がないため)。

いきなり主張が180度転換しています

なぜかは分かりません。

最終的に、ケンヂさんの「父親本人が居れば書類を引き渡すということですね。身分証もいらないんですね」という確認にT部長同意し、やり取りが終わっています(この台詞は上の要約にはありませんが、ヨッピーさんからメールにあったものです)。

ケンヂさんが以前のツイートと全く違う証言をしているのが分かります

ケンヂさんは「私一人で来るなら身分証明書を、本人が来るならいらないとの話でした。で、本人を連れていったのです。」と自分が連れて行く判断をしたとツイートしていました。

しかし、今回はT部長要求に渋々従ったのだ、という話になっています

後編(https://anond.hatelabo.jp/20180902034446)に続きます

2018-08-30

anond:20180830152752

人間記憶って想像以上に曖昧からメインディッシュも見晴らしも過誤記憶かもしれないし、おまえの両親は旅行の直前に死んだから旅行キャンセルしたはずだ思い出せ。

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