はてなキーワード: 広島大学とは
報道がとても信じられなくて、続報を集めていたところ、Yahooニュースのコメントに内部を知る人物の書き込みを見つけた。
私は広島大学で勤務していたこともあるし、先生の市民講座を受講したこともある。
みんなでお誘いして一緒に日本酒を飲みに行ったこともある。そのときは、陽気な楽しい酒で、酒に飲まれるような飲み方ではなかったように思う。
南極観測隊の隊員だった頃の話、宇宙の生命体に対する考察、極限で生きる生物の話、野口聡一さんと競った宇宙飛行士の試験の話、大好きな日本酒の話、やる気のない学生の話、大学の煩雑な事務作業の話…。
まだまだやりたいことがたくさんあるんだというすごい熱量を持った先生だった。
テレビ出演も増え、これからますます有名に、そしてたくさんの業績を積んで行くだろう将来がなんだか誇らしかった。
一緒に市民講座を受講していた小学生の男の子が「将来先生の研究室に入りたい!!」と意気込んでいたのを切なく思い出す。
先生は「僕はもう退職してるかもしれないけど、どこかで一緒に研究できるのを待ってるよ」と。
私が知るのは先生のほんの一部でしかない。ネットのコメントを鵜呑みにすべきでないこともわかっているが、もし書き込みが事実なら、あの報道はあまりにも一方的でやりきれない。
「科学界のインディ・ジョーンズ」が学生に暴行 広島大
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171110-00000020-asahi-soci
M*****
内部の方から聞きましたが、(学生の方がよっぽど悪質なようですが)そもそも大学がきちんと事実確認しようとしないのが問題のようです。
悪意に満ちた勝手な言い分でも一旦主要マスコミに流れると、教授側ができることは限られてしまいます。
見かけ教授が悪いような印象を広めれば社会的ダメージは相当なもの。
今回、学生は過剰に守られてるようです。
しかし言ったもん勝ちの社会にしてはいけないし、それこそ、この学生が変な学習をしてしまうことになり、教育上も非常にマズイです。
HARU*****
学生さん、今勝ち誇った気分でいるかも知れないが、君のやったことを多くの人は知っている。今回の件は君にとって大きな傷になった。
その想いを理解できないと理不尽と感じ逆恨みする者が現れるのも分かる気がする。
でもいずれ理解できるようになる者も多いはず。
長沼教授にはこれを教訓に、なるべく敵を作らないようにして欲しい。
その点、今まで多くの人が気を揉んでいた。
どうか自分の為、周りの為に。 <h3>o- *****</h3>
マスコミ各社,揃いも揃って学生(とその親)の嘘を鵜呑みにして事実と相当かけ離れた報道をしていることに呆れ果てる。
院生は長沼教授が大嫌いで,たびたび,わざと怒らせるようなことをして挑発してた。
この時もルールを守らず叱責を受けたことに逆ギレして自分から胸ぐら掴みに行き,話さないので教授が足払いしたら尻餅をついただけ。
広島大学は内部調査をきちんとせず,学生の嘘を鵜呑みにして教授を不当に処分した。
馬乗りになって首絞めたりなどしてないし,他の学生どころか本人へのハラスメントもない。
「ハラスメントはなかった」と当初彼は言っていたのに突然主張を翻したのは誰かの入れ知恵かもね。
なぜ大学がそうまでしてこの親子を守るのかが最大の謎。
モンペ対応を誤って親子を図に乗らせたことを誤魔化すため?それとも弱み握られてるか逆に何かもらってる?
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20171109-00000106-jij-soci
y******
真実を知っている人はたくさんいる。
ルールを守らない,再三の指導にも従わないなど態度が悪いから叱責されたのにそれを逆恨み。
自分からつかみかかって足払いされ,尻餅をついただけ。腰の骨折などしてない。
レントゲンでは見えないくらいのごくごく小さなヒビが入っただけ。翌朝には普通に歩けた。
彼はおそらくこういうチャンスを狙っていたのだろう。大嫌いな長沼教授を陥れるために。
もしかしたら都合よく編集された「録音テープ」とかも週刊誌に売り込んでるかもね。
警察にも大学にも(親にも?)嘘の証言を繰り返してるうちに,「嘘もつき続ければ真実になる」とか思っちゃったのかな。
あなたの思い通りになるほど世の中は甘くないです。
先に学生から教授に飛び掛かって暴力行為を行ったのがこの事件の原因じゃないですか。
ただ、この学生の普段の異質さに気づいているのは自分だけではないはず。
https://ヤフコメ.com/comments.html/20171109-00050017-yom-soci
sbr*****
船上実習で貴重な水を使って禁止されてる洗濯してるとこ見つかり注意され、突然つかみかかって周囲が止めてもやまず先生はやむなく足払いで制止。
その時も頭打たないよう先生がかばってたらしい。で痩せた学生は尻餅で骨にごく小さなヒビ。
数日は普通にしてたのに下船後に急に騒いで自分で救急車呼んだ。
親は医者、で、この診断。
【yahoo知恵袋】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12181913037?__ysp=6ZW35rK85q%2BF
natsumi228490
真水が少なかった調査船で禁止されていた洗濯をわざと教授の前で始め、それを咎めた教授に学生が掴みかかった。
その手を解くため教授が足払いしたところ、尻もちついて小さなヒビ。それだけ。
ところが、このチャンスを狙ってましたとばかり、親とともに大騒ぎ。
前回の知恵袋も含めて騒ぎになる前の関心のある人達の意見です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169087098
2017/1/1119:04:04
1.名乗りをあげている大学は岡山理科大(非常に偏差値の低い大学)、広島大学に設置ならまだ理解が出来ます。
3.四国に獣医学部がなくても鳥取・山口・大阪には獣医学部がある。
もし、感染病(BSEなど)が発生しても現在は瀬戸大橋・しまなみ大橋があり交通の問題はないので、何かあれば対応がとれるのでは?あと畜産業はどう考えても衰退していくのが目に見えているのに。
4.四国の学生にチャンスをって、どう考えても関東圏の優秀な学生が合格しそうだし、四国と都会の学力レベルの差って残念ながら大きいでしょう。
2017/1/1605:54:23
京都案も私学前提ですが、確か京大出身者が創立した、京大とパイプのある生命科学に重点投資している私大でしたしね。かなりのハイレベルな研究者を集めていましたし、京都案の方が説得力があるような意見も専門家の間には無かった訳ではないようですが、特区の今治を含めた四国の町興しが優先されたのかな。それは、それで国土の均衡ある発展と言う総合判断なのでしょう。京都は隣県で同じ特区の大阪府の府大に獣医学類が、あるのもあったのでしょう。しかも、府大と市大の統合も議論される微妙な時期。本当に必要なら、国公立で作れば良いとは思いますが、京都案も私学でしたから、民間活力と言う視点があったのかもしれません。まあ、いろんな事情があるのでしょう。基本的に新設が認められない獣医学部ですから、特区今治市さんは、よく頑張られたと思います。
2017/1/1501:43:15
設置は加○学園とA首相の太いパイプによってA首相の独断で決まりました。
加○学園が得をする利権だけの理由なので獣医学部が必要だとかそんな社会事情は関係ないです。
2017/1/1311:59:19
学校法人K学園はどうしても獣医学部が欲しい。ずーっと欲しかった。獣医学部に近い学部は既に持ってますし、倉敷芸術大学には付属動物病院まで設けている。 今治市は経済効果を期待。笑える話、今治市議が日本獣医師会にて懇談を行った際(4月13日)、今治市には獣医師の雇用は無く、将来的にも雇用の予定は無いと返答。両者の思惑が合致した。K学園とソーリは大変仲がよろしい様でパブリックコメントを募集していたものの形だけで決まった様なものらしい。K学園の経営する学校、大学はどれも偏差値が低く、設立されても悲しい結果になりそう。
2017/1/1311:42:47
政府と広島県、今治市は1月12日、国家戦略特区の区域会議分科会を開き、今治市に新設予定の獣医学部を運営する事業者として岡山市の学校法人可計学園を選んだ。
近く開かれる国家戦略特区会議での事業計画認定を経て、獣医学部が新設されれば50年ぶりで、四国で初めてとなる。
省略
応募するだろうとの見込みは立ちます。
どう考えても無理だと思います。
正式に出揃った後ははてな大学図書館界隈(kitone氏、ivory_rene氏〔氏の2015年版 http://yuik.hatenablog.com/entry/2015/04/04/131820〕ら)や「地方公務員・国立大学法人の図書館司書になる!」(http://bookserial.seesaa.net/)などを参照のこと。
実は今日の時点で北海道地区のみ未発表だったので、正式な記事化は断念しこちらに置いておくこととした。
北海道地区もおそらく例年通り北海道大学が採用予定を出し、試験自体は実施されるだろうと思われる。
旧帝大等の総合大学は少ないながらもほぼ全ての大学が各地区で採用予定を出した一方で、それ以外の機関の採用は例年以上に少なく、特に高専と研究所の採用予定は現時点でゼロのようだ。
繰り返すがこれは速報値であり、今後夏までに随時採用予定が増える可能性は高い。
とは言っても2015年度の採用数が30人以上となったことと比較すると、前年東大がまさかの8人採用だったことはともかくとして、次年度からの第3期中期計画の見通しが厳しいのもあってか、それなりに人数が絞られた感はぬぐえない。
ともかく採用を目指す人はまずは第一次試験を突破すること。つまり教養試験で最低でも40問中25・26問以上を確実に正解すること。当面はそれに尽きる。
お墓は段原の方にあって、盆の時期は墓参りにいつも行くのですが
墓石の下には、当時中学生で学徒労働で働いていた先の工場で被爆して
やはり、祖父母の口は割と固くて増田のようなエピソードも碌に聞くことはなかったのですが
それでも忘れなれない話がいくつもあります。
先の大叔父がお手伝いさんの大八車で大洲の別宅に運ばれた先で息を引き取ったときの状況
爆風で校舎の窓ガラスが割れてしまったので座布団を廊下に敷いて歩いた話、
避難者の母親の背中からハサミで亡くなった赤ちゃんが皮膚に癒着していたので切り離した話……
そう聞くと、増田さんのように哀愁が入り混じった8/6になるのでしょうが
俗っぽい話もその陰で聞けたのが自分の幸いでしょうか。
大祖父が囲っていたお妾さんの家族ごと広島駅裏の家からいなくなったので
兄弟が多々いて一波乱あってもおかしくなかった財産の相続がすんなりいったことだったり、
戦後の混乱をボンボンとして過ごした祖父は、そのまま学友として遊びたかったので
広島大学の大学院を復興するために生徒が欲しかった先生等と裏で手を組んで
家業を継ぐこともなく、まだ暫くは遊んでいた話とか……
(その学遊が仕事にやがて繋がったらしいですけど。。)
逞しく生き抜いていった人たちのことも同様に語られるべきですよね。
それでは黙祷を。
G型大学の趣旨から言うと、東京医科歯科大学と広島大学がG型大学になるかどうかは微妙じゃないかな?
RU11とは、研究及びこれを通じた高度な人材の育成に重点を置き、世界で激しい学術の競争を続けてきている大学(Research University)による国立私立の設置形態を超えたコンソーシアムです。正式名称は「学術研究懇談会」。
平成21年11月に9大学(北海道大学、東北大学、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)で発足し、平成22年8月に筑波大学、東京工業大学が加入し、11大学で構成されています。
10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト
千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note
最初のリンクを「アンチ・エビデンス論」、二つめを「アンチ・アンチ・エビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章をアンチ・アンチ・アンチ・エビデンス論と呼ぶ必要はない。
千葉雅也の「アンチ・エビデンス論」が出たとき、個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価は別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチ・アンチ・エビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章にはいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチ・アンチ・エビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である。
千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡をネット上に残してしまいます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。
そして、その上で読者にこう問いかける――
まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。
不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチ・エビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任の擁護、エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任を果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチ・アンチ・エビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後は
エビデンスを求めようとしなければ、人の思考は個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまいます。
という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる。
たしかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。
実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)
さらに読み進めていくと、千葉の文章を引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。
このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断を要求されていると思いますけど。むしろ、日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。
「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧な表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉の文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手に企業だけの話にすり替えているし、しかも千葉の文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。
マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任を回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員の責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから。
なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体は千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠がほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から〈言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチ・アンチ・エビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?
この後も、しんかい氏は「アンチ・エビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。
ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路で評論というものを考えてるんですよね。思考を論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。
この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇やアカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。
対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージを攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学・数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。
これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーター・バリーによる教科書の引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。
バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者、アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。
また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代をエビデンシャリズムからいまだ自由な時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニストの難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉の世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやすい世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。
だいたい、千葉がポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネットで賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニストが問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームでしかないのではないか? こうしたカテゴリーを混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数と無理数を混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう?
しんかい氏はなぜ、ソーカル事件と千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において、しんかい氏は、アンチ・エビデンスを批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達な批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマの場合、科学や数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛なものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化」だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界の関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである。
貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学や科学やプログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明なものだし、別に大陸系哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。
ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学のモニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。
これは関関同立の事ですよね。
全ての学部とは言わないが、慶応、早稲田は明らかに市大、府大より上。
否定するのは大阪人だけ。
奈良県の私立進学校である東大寺学園(偏差値72)は相変わらず私立大学を進路実績としてカウントしていないし、
http://www.tdj.ac.jp/gaiyou/sinro.html
大阪府の私立進学校である清風南海高校(偏差値70)も同様である http://www.seifunankai.ac.jp/jukensei/hshingaku.html
なぜそれはスルーしたの?
北海道なら北海道大学を出て地元の有力者とコネクションを築いて地元でウマウマ生活するのが賢いだろう。
広島なら広島大学を出て地元の有力者をコネクションを築いて地元でウマウマ生活するのが賢いだろう。
北海道や広島でパッとしなかった人が、どうして北海道大や広島大よりもハイレベルな学歴経歴をした人がひしめく東京で成功できると思うのか、私にはよくわからない。
関西からどんどん大企業が東京へ流出してる事実はもちろんご存知ですよね?
増田が知ってそうな会社だと日清も2008年に大阪から東京に本社を移転させてます。
東京に本社移転しながら“大阪の地盤沈下”を嘆く関西財界の自己矛盾、関西州(大阪都構想)と大阪市営地下鉄完全民営化をめぐって http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2593.html
また3.11以降、関西に本社移転のニュースもありましたが実際の動きはありません。
企業の関西移転、動き鈍く。電力不足や労力に忌避感か 2014.3.10 20:15 http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140310/wec14031020160004-n1.htm
http://www.nli-research.co.jp/report/real_estate_report/2013/fudo140303.pdf
逆です。
パイが小さい。
そもそも競争できる場面が無い。
さて、増田は京大さえもどんどん偏差値下がって来てるのは知ってるよね?
その理由は単純。
▼ソクラテス式どころか、元慰安婦が「日本の蛮行」を告発するドキュメンタリーと称するプロパガンダ(宣伝)映画を上映しただけで質問も受け付けずに終わり、という講義が広島大学で堂々と行われていた。しかも講義の題目は「慰安婦問題」ではなく、「演劇と映画」だったそうで、詐欺といって差し支えない。
▼学問の自由は、言論の自由と同じく、大切に守らねばならない。ただし、まったくのデタラメや偏った政治的メッセージを学生に垂れ流す行為は、学問ではなく、洗脳という。
▼きのう広島大に電話したところ、「事実関係を確認中」とのんびりした答えが返ってきた。独立行政法人になったとはいえ、国立大学の収入の大半は、税金で賄われている。お隣の国の勝手な「反日」宣伝の場に国民のキャンパスを使わせてはならない。
この人、ひょっとして逆神じゃね?
広島大学名誉教授 難波紘二先生のメルマガ鹿鳴荘便りのダイジェストです。
多くの学者にとってショックな内容を含んでいるらしく、盛んに飛び交っています。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/d7bb0e2bd291f629b25ea947fcdc72e9
ただ報道には不審な点もある。
Obokataという姓でNIHのPubMedを検索すると、50近い論文がヒットするが、
大部分はA, J, T, Nというファーストネームの研究者。
うち筆頭論文は2本だけだ。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/18abd4613e541518b77c4fc5dc4b6e7e
組織の再生に寄与する小さな(幹)細胞が存在する」という仮説を論文として発表したが、
「毎日」の記事では極細ガラス管の直径が「0.05ミリ」となっている。1ミリは1000ミクロンだから、
これでは50ミクロンとなり、ヴァカンティ教授のいう「5ミクロンより小さい」に矛盾する。
一体、ヒトの上皮細胞の直径が20ミクロンであり、赤血球の直径が8~10ミクロンであるから、
小保方さんが50ミクロンの細管をマウスのリンパ球にストレスを与えるのに使ったとすれば、
それはデタラメである。他方で、「科学環境部」の記者が3人も名を連ねて、50ミクロンと5ミクロンの違いがわからないとは思いたくない。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/298498d046d6b2de9d2dcd08019f235f
しかし、この点については論文では何も触れず「正常である」と述べるに留まっている。
恐らく産まれた子マウスをちゃんと追跡調査していないのであろう。
恐らく追試はきわめて困難だろう。山中伸弥教授が記者会見してiPS細胞に関わる3つの誤解を釈明していたが、
「STAP細胞の追試」について口を濁していたのは、追試で確認できなくても、「それは実験のやり方が悪い」と反論される余地があるからだろう。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/11a2a2dd083e3749d31549a4dcc411f7
2/2付「ボストン・グローブ」紙はキャロライン・ジョンソン記者によるC.ヴァカンティ医師(63)(ブリガム&婦人病院麻酔科部長)の詳しいカバー記事を報じている。
同医師が「博士(Ph.D.)」の称号を持たないことや彼の「小さな芽胞様桿細胞」説は学会からは相手にされず、マサチューセッツ医大でも孤立し、それで現職に移ったこと、
彼はただ自説の正しさを証明してくれる「学生」を必要としていたことも。
捨てるはずの失敗した幹細胞培養のペトリ皿を週明けに顕微鏡でのぞいたら、そこに幹細胞のコロニーができていたという、
フレミングによるペニシリン発見のエピソードをコピーしたとしか思えない逸話もある。
また、同医師には「まだ不確かなこと、まだ論文として報告されていないこと」を気軽に話すくせがあり、「サルでの実験が成功」というのは怪しいことも書いている。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/44344cc46ffab49fc8323372f91f336c
これで小保方の幹細胞にかかわる3つの論文で、写真の不正使用があることがほぼ確定した。
約10の他施設での追試実験が失敗に終わっているが、肝心の「酸性浴」を与えた細胞の詳細が不明だ。
小保方がいないと実験に成功しないという若山教授の発言も不審だ。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/0f83da31266896392e8491604ce678d4
が、レーン2と3は同じ画像でレーン2のGLの白いバンドは手書きで加筆したものだ、と思われる。)
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/be7948595669704d417c1e6be8cbe427
昨年の「森口事件」、今年に入って「佐村河内事件」と相継いで大メディアが詐欺師の手玉に取られており、形無しです。
一般市民のメディア不信感はますます高まっており、結局、主体的にネットで情報を知る方向に動いているようです。(私のところまで連絡が来るくらいです。)
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/93ed08f9f627e2685bfafc8247e371ba
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値 - 能ない鳶は能ある鷹をうめるか
早稲田大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.4%、慶応義塾大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.2%
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値
合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
中央大学 15089 11403 75.6%
2014年度 早稲田大学・慶應義塾大学 入学者における一般入試比率
慶應義塾大学理工学部、早稲田大学基幹理工学部の辞退率が50%を超えていると聞いたのですが本当ですか。
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早慶の正規合格者の入学辞退率が50%超えてる現状って、一体何人が知ってるんだろうねえ(´・ω・)?
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合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
合格 辞退 辞退率
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
東京 13 3,293 0.4
大阪 53 2,724 1.9
京都 64 2,794 2.1
一橋 24 1,059 2.3
北海道 98 2,440 4.0
東北 98 2,395 4.1
名古屋 104 2,335 4.5
九州 123 2,595 4.7
W合格対決75大学特集 慶応医とその他医学部の併願対決(2007)
慶応医0-24理三
45 1 1
47 2 2
49 1 1
51 2 2
53 2 2
55 14 11
57 27 21
59 45 22
61 78 37
63 108 2
65 131 3
67 131 3
69 83 2
71 41 1
73 4 0
75 3 0
76 1 0
44 1 1
47 1 1
49 1 1
51 3 3
53 2 2
55 16 16
57 31 17
59 44 21
61 88 32
63 101 4
65 112 2
67 123 2
69 75 1
71 32 0
73 3 0
75 3 0
76 1 0
1992年
64.4 早稲田・法
63.4 上智大・法
61.6 早稲田・商
61.4 明治大・法
60.5 慶應義塾・商 ☆☆☆
60.4 立教大・法
60.1 青山学院・法
57.0 法政大・法
ICU 620人 350人(56.5%) 270人(43.5%) 1校
上智 2160人 1322人(61.2%) 838人(38.8%) 0校
慶応 6145人 3920人(63.8%) 2225人(36.2%) 5校
早稲田 8880人 5880人(66.2%) 2000人(33.8%) 5校
法政 5850人 3965人(67.2%) 1920人(32.8%) 3校
中央 5410人 3694人(68.3%) 1716人(31.7%) 3校
立教 3685人 2575人(69.5%) 1110人(30.5%) 2校
明治 6205人 4421人(71.2%) 1784人(28.8%) 3校
青学 3132人 2285人(73.0%) 847人(27.0%) 1校
[学閥][閨閥][派閥][藩閥][同調圧力][空気の研究][先輩][保身][企業][就職]
一般社団法人学士会(がくしかい)は、旧帝国大学系大学である北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の各大学(前身を含む)、京城帝国大学及び台北帝国大学の学部卒業者、大学院修了者、前記大学の現役の学長、教授、准教授(助教授)またそれらの職にあったものによる、大学の枠を超えた一種の同窓会組織。
元文部科学省所管。
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。
運命の背中 | |
英題 | The Back of Destiny |
監督 | 出山知樹 |
出演者 | 出先拓也 大林舞 伊原武文 竹元恵美子 他 |
美術 | 恩田敏夫 |
音楽 | 新垣隆 |
製作 | 出山ひさ子 |
上映時間 | 40分 |
製作年 | 2009年 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
予告編 | |
ハッシュタグ | #unmeinosenaka #back_of_destiny |
運命の背中 ― The Back of Destiny ― |
snip)「見るに当たって参考文献などあれば」…とご質問いただきましたが、監督としては出来れば頭をまっさらにして見ていただきたいそうです。決して難しい内容ではないので肩の力を抜いてご覧ください。
http://twitter.com/unmeinosenaka/status/69409574981087232 (2011/5/14 23:31)
うんめいのせなか unmeinosenaka the back of destiny 上映会 試写会 映画 出山知樹 NHK アナウンサー でーやん #nhk_deyama
lastupdate20171107203700
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの広島大学版。前期試験の合格発表はまだだけど一応書いておく。
以下に書いてあるのは東広島キャンパスのこと。だいたいの学部はここにある。
市内にキャンパスがある医,歯,看,夜間のことはよく知らないんだ。
①住居
なるべく生協があっせんしている物件にすること。キャンパス向かいの某不動産はあまり評判がよくない。
安い。最近は高いのもあるけどやっぱり安い。3万5千~4万弱で6畳一間が平均的。
おすすめはやっぱり大学に近い下見地区。大学からやや離れている寺家(じげ)地区はひとくくりに判断できない。
良いのも悪いのもある。八本松地区は自転車では遠すぎるので上級者向け。
田口地区は知らん。
大学から近いとたまり場になる…なんてことはあまりない。みんな真面目。…たぶん。
②食事
1年生はミーラーが多い。先に1年分を一括購入しておけば、1日上限800円または1000円で
食堂メニューが好き放題食える。他大学に比べればメニュー数は少ないかもしれないがそれなりに食べられる。
おすすめは朝食の和食。320円でたらふく食える。朝飯を食堂で済ませば1コマにも遅れることはない。
自炊しようとはりきらなくていい。とりあえず毎日ご飯を炊いとけ。
③通学手段
④サークル
かなり重要。入らなくてもやっていけるがやっぱり楽しくない。4月5月のうちに決めてしまおう。
部活でなければ掛け持ちしたほうがいいかも。サークル棟にボックスがあるサークルに入るとなおいい。
理系の男どもへ。女の子はわりと文系サークルに多い。特に音楽系。
⑤バイト
やってないから知らん。前は大学のサイトで募集されてたけど今は別のところにうつったらしい。
先輩や友達に聞いてみて。
⑥勉強
英語は落とすな。1・2セメで絶対にとること。
TOEICのスコアが良いと英語が免除されるらしいので合格が決まって暇だったらとってみてもいい。
⑦ぼっち
あまりよろしくない。でも群れすぎるのもつまらない。
テスト前にノートを貸し借りできるくらいの関係は保っておく。あとはどうでもいい。
あれは広島焼きではない。広島風お好み焼きだ。大学の近くにも10くらいの店がある。
暇なら食べ比べるのも悪くない。もちチーズやそばタブルがおすすめ。新勧のときにいやというほど食わされるけど。
⑨カープ
好きな人は好き。俺はあまり詳しくない。去年広島市内に新球場ができたので行ってみるといい。
なにもないけど。
在学中に一度はいくことをおすすめする。
⑫おみやげ
もみじ饅頭はわりと有名だが、東広島キャンパスのある西条は有名な酒どころ。日本酒がおみやげというのもいいかも。
⑬彼女
がんばれ。
途中から文章書くのだるくなってしまった…。まーいいや。
べつに30代院生がいっぱいいないからって安心!!!!1とかならないしw
http://blog.goo.ne.jp/hit-jichikai/e/72c56b4be1d51451f0ae575b9a867fcf
42名中30代3名(7%)
http://www.hiroshima-u.ac.jp/law/housei-system/p_307c0f.html
大学生数
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/05011201/002/001.htm#1
まあ院生のうち30代が14%として計算すると、だいたい4万人。
はい、多かった。日本全国にたくさんいたねー。よかったねー。
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
---+---+---
「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
---+---+---
そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
---+---+---
これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
---+---+---
長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。