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2012-02-16

中学2年生だけど同性愛的なことで色々悩んでる

僕は今中学2年生で、男なんだけど最近色々悩んでる。


真面目系クズとよく言われる感じの性格から、人から嫌われず、好かれずと言った感じ。

テストの成績は中の下で、ダメでもなく良いわけでもない。普通でもない、よくわかんない感じ。

学校では生徒会所属してる。けど真面目系なので教師からは少し期待されたりするけど、どうなんだろうね。


まあコンピュータ系はプログラミングとかはRubyとか少しいじれるけど順序どおりのことしかできない,要するにクズだし、そこまでできない。ネットワーク系はWireshark使ったりしてパケット読んだりだから、頭悪い。


んで、最近の悩みっていうのは同性愛のことなんだけど.

クラスで好きになった子がいて、まあ女の人だから正常なんだけど。

他にもショタとかそういう類の子がいいなあとか、同年代とかも,好きかもしれんなあっていうのがある。


これってどうなんだろうかなーって今まで思ってたんだけど..

クラスの人たちがお前は同性愛者だとかオカマとか(普通に男として生活してるつもり)言われて、傷ついた。


んで、そのことがクラスで広まったりしたらどうしようとか考えてるうちに嫌になった。

クラス好きな人がそのことを知ったらこれからどう接してくれるのか、僕はどう接すればいいのか。

今は大丈夫だけど、これから色々あって、結局知れ渡ったらと考えると阿鼻叫喚


同性愛って理解してくれないのかなあ,よくわかんないけど。


女を好きになろうと思っても好きになれない。でも好きな子はいる。でもそれじゃ...って気持ち。

男なら好きになれるし,一緒に色々できるのかもなあ..友達という一線は越えない感じになるかもしれないけど。


そういうことなので、今悩んでる。僕はゲイなのか、ホモなのか、バイなのか、ただのショタコンなのか。


から気持ちをぶつけたくて増田に書いた。


ここに書いたらすっきりするかなって、僕はもう大丈夫なのかなって、心配なんだよ。



でもそんなにすっきりしない。ツッコミほしい。

2012-02-15

童貞じゃなくなった日

これhttp://anond.hatelabo.jp/20120126193157増田

結果報告をしたいと思う。



彼女とのデートの日までに色々な準備をした。

おしゃれなカフェバーみたいなとこに行く予定だったか

同僚に選んでもらい、襟付きのシャツを買った。

体臭も気になったので、Axeの赤のやつを買った。

もちろん1週間前からオナ禁もした。



で、デートの日。

ランチ中華彼女は85kgもあるからよく食べる。

もうめちゃくちゃ笑顔で。俺も食う方だから二人でめちゃ食った。

事前に下調べして旨かったし、基本デブは味が濃いのが好きだから

この中華屋はかなり満足してもらえた。



そんなこんなで買い物したり、博物館行ったりして夜になった。

で、天井の高いカフェソファ告白した。

本当はその後の夜景きれいなとこでするつもりだったけど先走った。

で、OKもらえた。

生まれて初めて告白するから前日は全く寝れなかった。

彼氏いるかどうかも確認してなかったし、振られたらどうしようと思ってた。

でも、意外とすんなり言えるもんだ。好きなんだから好きって言うのは楽勝だった。

こんなんだったら毎日好きって言ってやれるな。



そのカフェを選んだのには訳があった。

駅に帰るにはラブホテルの前を通るからだ。

で、ラブホテルの前を通った時、行っちゃうかって笑顔で誘ったら、

えーって言ったけど、強引に手を引っ張った(このやり方は同僚に教えてもらった)

以下、割愛。6連戦くらいしたと思う。

結局ゴムが足りなくて外にも出した。止まらなかった。

さっきまで童貞だったのに、子供出来ちゃえばいいと思った。

女の子の裸を始めて触ったかマジで感動した。

しかデブは柔らかい。そして巨乳。あったかい。甘い匂いがする。

騎乗位は難しいけど、最高だ。



ちなみに森山中の大島が83らしい。

あれと同じくらい。背が低いかもっと丸いな。



今週末は俺の部屋に来る。

掃除完璧料理が得意だから一緒に作りたいな。

ベッドが耐えられるか心配だけど、めちゃくちゃ抱こうと思う。



童貞」という枠を意識しすぎると自分を縛ってしまう気がする。

俺も色々と難しく考えすぎたけど、息苦しいっていうか。

告白も脱童貞も大したことないと思う。

でも貞操は大事だ。簡単にすべきじゃないし、好きな人とだけ関係を持つべき。

そういう意味では難しいかも。

ちなみに彼女処女でした。



以上、終わり。

2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214175948

増田の人っていわゆる文系的な言葉遊びみたいなのが好きな人多いよね。

なんかそれをあたかも知性を顕示する手段みたいに思ってるっぽいし。

どうでもいい「肉付け」とか見てるだけでイライラしてくるのになあ…。

http://anond.hatelabo.jp/20120214150334

可哀想な子なんだよ。

別に好きな人チョコレートなりをあげるなり貰うなりして幸せな気持ちになっておけばいいだけの話なのにね。

http://anond.hatelabo.jp/20120214105135

無理がありすぎて君の男性憎悪しか伝わってこない

昔は「女がお菓子メーカーに踊らされて男に貢ぐイベント」として

バレンタインに肯定的な男であれ否定的な男であれ

チョコをもらうことを「貢がれる」と表現する奴は見たことない




チョコもらったら同等かそれより重いお返しをしなきゃいけないし

・そもそも男は女ほど甘いお菓子なんて好きじゃないし

これのどこが「貢がれ」てるんだいったい

この貰う側の立場を理解してないってことは

君は生涯でいっぺんもチョコを貰ったことがない人間チョコを渡す側かのどっちかだろう




こんな状況下でさらに渡す方が「屈辱的に貢いでる」ような意識なら

なおさらバレンタインなんて誰も幸せじゃなかったってことじゃないの




単に女が自分の食べたいチョコを買う日になってきてどちらも成立しなくなったために

お菓子好きな人達が自分の為にお菓子を買う日になったなら

男も女も菓子屋もだーれも困らなくなった上に

ステマ丸出しな”文化”強制の匂いも無くなって

すごく健全なとこに落ち着いたじゃないの




無理筋な男女間の干渉が無くなって困るのは

より派手な売上を望んでたステマ型の不真面目な菓子屋と君みたいな憎悪の人ぐらいだ

http://anond.hatelabo.jp/20120214083723

雑誌ネット記事のコンテンツネタを書いて小銭を稼ぐためにバレンタインが男の格付けイベント化になりつつあると煽る人の

いうこと真に受けているんですか

チョコ好きにとってはそのおかげで各店気合の入ったバレンタインチョコを毎年出してくれるからうれしい

恋人がいる女性にはどこの店で注文して恋人と一緒に食べるか楽しみなクリスマスに次ぐ恋愛イベントデーです

恋人がいない女性も「自分チョコ」買ったり、お菓子材料を買ってお菓子作りを楽しめたり

好きな人がいる女性もいない女性も楽しめる

せっかくのイベントデーなのだから男もこのウェーブにのっておいしいチョコを楽しめばいいのに

明日売れ残りチョコが半額になったら買いに行くんだわーい

2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120209124756

いや、否定するつもりはないけどさ。そんな話聞いたことないんだよなあ。

ともあれ、個人的には、ゲーム業界にはゲーム好きな人に来て欲しいんだけどな。お金を儲けたいだけの人じゃなくて。

2012-02-08

[]8 一部

これでfirst chapter 終了。 現時点でプレイ時間時間。しんどいなこれ。



小木曽雪菜

・どうしてこうなるんだろう…

 初めて、好きな人ができた。

 一生もの友達ができた。

 嬉しいことが二つ重なって。

 その二つの嬉しさが、

 また、たくさんの嬉しさを連れてきてくれて。

 夢のように幸せ時間を手に入れたはずなのに…

 なのに、どうして、こうなっちゃうんだろう…




タイトルは「届かない恋」です。





◆冬馬かずさ

・本当のことなんて、常に一つとは限らないんだよ。

 向こうに行きたいあたしも…もう一人のあたしも、

 どっちも本当なんだ。




・なんでだろうなぁ…

 なんで、こうなっちゃったんだろうなぁ…

恋愛好きな人は多いけど、

本気で恋をしている人はどれくらいいるのだろう?

優しいだけで頼りないと浮気相手に選ばれるのが関の山だ。

自立することは大切だと教えてくれる。

2012-02-04

ネット上に限って言えば、女は努力する必要すらない

努力していないデブスであってもネットに書き込むだけでたくさんメールが来る

プロフィール適当でも構わないし、男なら明らかに着そうにないプロフィールでもメールが来る

一方、男はデブス相手でもモテるための努力をしないとセックスすることすらできない

雰囲気イケメンになれるようにおしゃれをし、表情筋を鍛え、運動をしないとデブスですら見向きもしない

女に振り向いてもらえるようにお金を稼ぎプロフィールを充実させる必要だってある

しかも、それだけでなく、デブス相手であっても楽しませるように努力をしないとメールの段階で「はいさよなら」となることすらある

はいえあまりデブ女性だと出会う段階で断られることがあるので、やせる努力というのは必要かもしれない

でも、それは大多数の痩せている女性にとっては関係のない話だ

ネット上では女は努力する必要すらない

好きな人を得るために努力しているといっている増田がいたが、ネット上では明らかに嘘だと思う

http://anond.hatelabo.jp/20120204203310

好きな人を得るための努力は男女問わずするって聞いて少しは楽になった

ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20120204191349

女とて「好きな人」とセックスするためには陰で並々ならぬ努力を払ってるんですよ

例えば、腋毛を剃刀やシェイバーで剃るとざらざらするけど伸びるスピードが速いから一回につき3時間ぐらいかけて毛抜きで一本ずつ毛を抜いたり

好きな物すべて我慢して服や化粧品に金つぎ込んだり、恋人を得る為にする努力男性と同じくらいしてて

恋人できた後もその努力は続けなければならない

繁殖活動にいそしみたい「普通」の大人にとっては当たり前の努力

今まではモテる為に最低限の「普通」のことすらしてこなかったんだからそりゃ大変さ

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131211256

草食系男子語源も語意もあまりよく知らないんだけど

「女一般」よりその好きな相手が自分のような男子を好むかどうかを気にしたほうが良くない?

「女の人ってこういうの好きだよね」という観点で贈られたプレゼントが、貰った女にとっては全く使いどころがない、

といった類のミスマッチは良くあることだと思うけど、贈る側も贈られる側も納得してないし、その品も無駄になるしで哀しいことだと思う。

せっかく自他ともに認められる草食系なら、警戒されにくい点を活かして自分自身が好きな人にとって需要があるかどうかを探るべし!

草食系男子

草食系男子って需要あるの?

あるとしたらどういった層に人気なんだろ?

僕なんか自他ともに認める草食系男子なんだけど、愛情表現も上手くできないし

女が言うような

「引っ張っていってくれる男が好き」

に当てはまるような柄じゃないし。

正直、自分なんかが女に好かれることなんて一生無いんじゃないかとさえ感じてしまう。

でも好きな人ができた。その人の前では自分を飾ってしまう。

飾った自分を好きになられても辛いだけじゃないかとも思う。

草食系男子って需要あるのだろうか。

2012-01-30

あぁ不安不安

好きな人が出来ると不安もセットでやってくる

嫌われてるんじゃないかとか、避けられてるんじゃないかとか、

心変わりしたんじゃないかとか

色んな事が頭をめぐる。


自分に自信がないからだというのは分かってる。

勝ち急いじゃ駄目だ。恋は焦ったものが負ける

ジックリジックリがいい

てなわけで、あせらず行こうか。

http://anond.hatelabo.jp/20120130020316

無理するな。器は一朝一夕には出来上がらない。急には大きくもならないし、小さくもならん。

自己嫌悪をする女も、許容量の少ない女も人間からもてないって、最近胸に刻んだばかりです

そんな風に自分を見る人からもてたいか

あなたのいいところを認めてくれる人からもてれば充分じゃないの?友達大事にするだけでいいんじゃないの?

あなたの周辺全員から好かれようとすると疲れるだけ、嫌われても上等、仕事はしっかりやります、でいいじゃないか

好きな作品をディスる人だと分かったら二度とその人の前で好きな作品の話をしなければいい。

ディスり好きな人がいる。その人には「今日は何をディスりやしょうか?」程度の話で充分だ。

器を大きくするには、大人になること。大人になるためには早く年を取る、そのくらいしかない。気長にやろうぜ。

2012-01-28

地元にいる。明日からまた東京に行って、生活を改めて始めなきゃいけない。うまくできるか不安だ。人が苦手でしょうがないもんで。

嫌いな人が苦手だけど、好きな人は大好きでその人との関係に依存して生きることになるのが

怖いんだよー。

人間関係から解き放たれた人間になりたい。

そのためには、慕ってくれる人を増やすのがいいのかな?

仕事も探さなきゃ

勉強もしなきゃ

尊敬される人になって

人間関係の悩みを持たない人間にならなきゃ

地元にいる。明日からまた東京に行って、生活を改めて始めなきゃいけない。うまくできるか不安だ。人が苦手でしょうがないもんで。

嫌いな人が苦手だけど、好きな人は大好きでその人との関係に依存して生きることになるのが

怖いんだよー。

人間関係から解き放たれた人間になりたい。

そのためには、慕ってくれる人を増やすのがいいのかな?

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ



村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。



靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。



私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」



シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」



終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。



1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)



1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)



近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」



オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。



オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」



はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。



バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。



「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」



その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。



アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」



地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である



「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」



執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。



この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。



そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。



走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。



数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。



蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

#身分制度と嘉蔵の屈辱#

 村田蔵六にその才を見出された嘉六であったが、

 提灯張替えの職人に過ぎぬ最下層身分の彼が長崎で味わった苦労と屈辱は並大抵のものではない

・まず嘉蔵のためについてきた御目付役が嘉蔵を自分の下男として扱うのである

 (この当時、能力があっても、身分が下であるというだけで敬意を払われることはないどころか見下される)

 さらに身分はその役人の「中間」よりも下だから食事も何もかもが中間以下の待遇に甘んじるほかない。

 旅の途中の中元の下着まで洗わされてしまう・

・それでも嘉蔵が幕府通訳蘭学者にあって色々学ぶためには、この役人にお願いして連れていってもらうしかない。

 理解能力ゼロ役人土下座し、頓珍漢な取り調べを受け、たいして役に立たない取次しかしてもらえない。

 それでいて、いざ蘭学者と接する段になると役人は役に立たず、嘉蔵の下働きをすることになる。

 下働きといっても、現在感覚であれば能力が嘉蔵の要求にこたえるため西に東に走りまわるところを想像するだろうが

 江戸時代は身分があるから、嘉蔵が土下座して役人に紹介状などを書いてもらうことになる。

 それでも当時の身分意識から役人は「嘉蔵に使われている」という気分になるから、必要以上に嘉蔵につらくあたる。

 しかしこれで蒸気船建造が失敗すれば役人責任にもなるから、嘉蔵の願いは結局聞いてやらねばならない。

 役人役人で、散々いじめながら身分意識概念に囚われてストレスを抱えているという状態だった

江戸時代は、安定という名の「怠慢許容・推進システム」が恐ろしいほど機能してたわけだな

 身分が上のものしか学問をしてはならぬ。しかし身分が上のもの学問しない。

 おお、時代が発展しないか努力しなくても身分は維持できる。やったね!まるでいまの○○○○みたいだ!


→そんな悪循環と貼りのむしろの中、目付も中間も寝静まった夜中に懸命に蒸気船の研究を続ける嘉蔵であった。

 何のために長崎でこんな地獄の日々を送らねばならないのか、と時に思わないでもなかったが

 そのたびに頭に浮かぶのは、オランダ船スンピン号の動力室であった!

 嘉蔵は苦労について蔵六に述べることなく、蔵六とは設計の打ち合わせを行い、

 その後何度か長崎に行き、そのたびに辛い日々に耐えることになる




#吉田松陰講義1#

私は死など恐れてはいられないのであります

好みが自由になれば幾度でも同じ事をします。

もちろん正気では怖くてこのようなことは言えません 私は狂人でありたいのです

しかし私の行動は周囲に迷惑を及ぼします 同志の金子くんもそれで死んでしまいました

しかし怖いとか悲しいとか言うのは私事です いつまでも泣いてはいけないのであります

私は長州藩を いや日本国全体を考えねばならないのであります

私はこうして入られない 皆さん何かしましょう

みなさん学問しましょう ここには私達がいるあなた達がいる 互いに教えあおうではありませんか

人と人の出会いほど尊いものはありません 私には知らないことがたくさんある

みなさんはひとり残らず私の師匠です!

あなた、お名前はなんとおっしゃいます

悪口がお好きな人だと聞き及んでおりますが、他には何がお得意ですか?

字が得意?それはすばらしい。ぜひ私に書を教えてください

旅の経験がある人は、旅の話を教えて下さい

そうすれば私は獄舎にいながらしてあらゆるところにいけるのであります




#吉田松陰講義2 社会に向けるべき怒りと私事の違い#

義憤・公憤は正義となり社会を変える力があります

それに比べ、私怨は小さく自分をも滅ぼしてしまます

同じ怒りが心の方向で全にも悪にもなるのです。

みなさんは言葉だけで行動しない牢の外にいる人達よりも君子たるべき素質も資格も十分備えている立派な人なのです

あとはその心を正義に向けましょう。自分のためだけでなく人のために戦うとき小さな殻を破れるのです

みなさんはあと一歩の人たちなのです!

自分大事にし、それと同じだけ他人を大事にすれば良いのです。

他人をおろそかにすることで自分もおろそかにしてはもったいない

フジごり押し云々、ハム速のやつを見てイミフだったから、誰か教えて

ハム速の記事

ツイッタートレンド入ってた。

http://hamusoku.com/archives/6641883.html

フジテレビ韓流ごり押しに対して不満をいうのはわかるんだけど、

ごり押し最中朝鮮総連の人が写っているのに何の問題があるのかわかりません。

在日KARA好きな人がいるのはまあ納得できるでしょ。

記事見ても、ツイッター見ても、何を問題にしているのかわからないので、

教えてください。


僕は特別に在日を嫌っているわけでも、好きなわけでもないでしゅ。

2012-01-26

他人と感覚が違う苦しみ

私の好きな食べ物とか、好きなゲームとかアニメとか音楽とか、世間では人気がないことが多い。よって消えていく。

人気があるものはだいたい私にとってはイマイチ

ネットで探すと同じものをすごく好きな人はいるけど数が少ない。

もちろん例外はあるけど基本的に何のジャンルでもそんな感じ。実際に手に入らなくなったりと実害があるので気にしないわけにもいかないです。自分のセンスが悪いということなのだろうか、それって良い悪いの問題なのだろうか。などと日々気になります

2012-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20120125153151

横だが。

都市だろうが田舎だろうが、人が行う選択は何であれ人間性測定の尺度にされるもんじゃね(まるで関心を持たれてない場合を除いて)

「測定する側の価値観で」尺度にされるよね。

趣味なんてどうでもいいと思ってる測定者は、サッカーが好きだろうが、野球が好きだろうが、車が好きだろうが、それで人間性は測定しない。

車が好きな人は、乗ってる車で人間性を計るかもね。

2012-01-24

考えても仕方がないことは考えない。

相手の出方を考えるのはやめた。ぼくの言葉が相手にちゃんと伝わるようだけ傾注する。

その結果については考えない。誰だって面倒はごめんだ。ぼくだってそうだ。だからできることなら人の言葉なんて聴きたくない。伝えて欲しくない。ボールを持ちたくない。

そうやってボールを一つ一つ相手のキャッチしやすい形で投げ返す。それが今できるすべてだから。あんまりボールが多いと雑に投げつけたくなる。時にはこっちに向けって明らかに悪意あるボールも飛んでくる。それでもなんとかキャッチして、他と一緒のように返してやる。それで何かに気づいて欲しいから。でも期待はしないけど。

先のことを考えると不安になる。当然だ、だから不安にならないために今を全力で過ごすことにした。結果に納得できるにはそうしないと駄目だろうから

判断が苦手なので、ついつい人に聞いてしまう。いつもいつも判断に悩んで時間がたってるような気がする。そうやって何か判断していると、ぼくに投げれば何か判断が帰ってくる、なんて思ってないだろうか。そんな期待には答えられそうにないのに。

判断するのが好きな人がいる。自分で何でも決める人がいる。決められる人がいる。その結果についてもへこたれない人なんだとわかった。自分は判断に間違いを指摘されると、精神力がさがってしまって判断が萎縮してしまう。自信をなくしてしまうから。判断というのは自信が必要なんだとおもう。

じゃあどうすれば自信が身につくのだろう。でも、自信なんてなくてもいいのかもしれない。それこそ考えても仕方がない。自分で納得できるまで調べて、考えて、結論付けた判断なのなら、自信を持っていいんじゃないだろうか。それはすごく手間がかかるけど、自信は手間をかけないと生まれないのだと思うから

最近、この手間を省く人が多い。経験なのか、ライフハックなのか。また手間をかけるのを許さない人がいる。その場合にぼくはもうどうしようもなくなってしまうだろう。


まず、自分を信じられるように努めたい。自分が信じられなかったら、他人が信じてくれるなんてありえないから。

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