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2012-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20120216212015

さすが増田だ、食いつきが違うぜ。

イケメン努力してるかどうかは関係ないんだよ。

テストの結果を出すために、裏で努力してたかどうかも関係ないの。


女子の反応がイケメンで違うように、教師や大人の反応もお行儀の良い奴には違う。

イケメンなら、変な行動でも女子から肯定的に解釈される可能性があるように、

お行儀の良い奴は、何かを壊したりしても大人から疑われない、などの可能性がある。

タダ池に習うなら、タダ秀とでも言おうか。

あれって、小中学校のころガリ勉秀才だった私のテスト答案をテスト返却のたびにわざわざ見に来て

「わーーさすがだねー増田ちゃんマジ天才^^やっぱ天才脳みそ違うわ~^^」

とか意味もなく茶化してきてたあほみたいなクラスメイトたちの反応に似てる。

全然似てない。

秀:「掃除時間にツボ割っても、来たら割れてましたとか悲しげに言えば、何も疑われないだろ。」

悪:(※)

みたいな、使われ方だ。

ただしイケメンに限る」とか※とかで表現されるアレって、

目にするたびにむしょうにイライラしてたんだけどなんでかわかんなくってモヤモヤしてた。

さっき思いついた。

あれって、小中学校のころガリ勉秀才だった私のテスト答案をテスト返却のたびにわざわざ見に来て

「わーーさすがだねー増田ちゃんマジ天才^^やっぱ天才脳みそ違うわ~^^」

とか意味もなく茶化してきてたあほみたいなクラスメイトたちの反応に似てる。

天才でもなんでもないしただの凡才が泥くせえ努力で100点取ってるだけだよ。

おまえらとたいして違わない脳みそだけど、ガリ勉してるからいい点とれてんの。

おまえらは自分必死こいて勉強したくない言い訳のために

あたしは凡人だから勉強してもイイ点取れない、だから勉強しな~い

増田ちゃんが100点とれてんのはもともと天才から

って思いたかっただけだろ?

人の勤勉を自分怠惰のダシに使うなよ

って言ってやってもよかったな。

謙遜すんのも説教すんのも馬鹿らしいから毎回ありがとーー^^また頑張っちゃったぁ^^って言ってたけど。

2012-02-10

友達以上恋人未満

投稿です。

みなさんとは人生経験の違いで未熟な私は罵倒されるような内容でしょうが人生観を広げようと思い投稿しました。

失恋という綺麗な言葉で表していいのかと思うが、とりあえず大切な人を失った。

幸い?にも公欠で10日間学校に行かなくて済んだから幾分気持ちの整理ができた。

正直こんなに辛いとは思っていなかった。

でも私の今の辛さ、今までの彼に比べたらちっぽけなんだろうと思う。

もともと彼はクラスメイトを越えた、仲のいい友達だった。

彼と一緒にいるときは楽しくてしょうがなく、いつも笑ってた。

友達として楽しく過ごしたかったけど、彼は私のことを好きだという。

恋愛感情を持ってしまったならしょうがないけれど、そうなるならいつか終わりが来るのを知っていた。

もうずっと友達でいるのは無理なのか、と私は悲しくなって泣いた。

私は悲しくなったから、私を好きになった罰として、彼を浮気相手として、私の気が向くままに振り回したしひどいこともした。

それでも私を好きだといってくれた。でも若気の至りだと名前を付けて道徳心を忘れた私の心には届かなかった。

もう彼と一緒にいても楽しくなくて笑わなくなったし、演技ばかりするようになった。

そうしていくうちに、ある日彼の心は離れた。

彼は、2人の思い出話をして、別れよう、といった。

つかこの日が来ると思っていたけれど、私は人に見せられないほど号泣した。

涙の訳は、ほんとうは好きだったのか、それとも男女の友情が脆かったことの絶望なのか分からない。

彼は、お前には笑顔でいてほしい、といった。

最後わがままだけど、私をまた前みたいに笑わせてください。

2011-12-23

てるあきIT系専門に行って感じたこと

初めに

私はIT系専門学校に通っている。わかりやすく言うとプログラマ養成校だ。これからそういう学校に行こうと思ってる奴、考えている奴らに、長所短所シェアしようと思う。

まり

私の学校の授業の内容は基本情報C言語がメイン。

・良いところ

基本情報がとれること。あえてあげるならこれであろう。今のシステム開発業界リーマンショック以来の冷え込みがつづいている。昔ならプログラム経験でもホイホイやとってくれたものが、今ではベテランでもどんどん切られる。そういう時代である。私も面接時に基本情報をもっていることが評価された。大学などでは基本的に資格取得のための授業をしてくれない。そのため独学でやる必要がある。もちろん独学で取れない資格ではないし、独学がのぞましい。しかしこれは全ての情報系検定の基礎になるものである。できるならば誰かに教えてもらうのが好ましいと思う。私は今はプロジェクトマネージャ試験という、試験勉強をしている。これは情報国家試験の中で”Level4”に区分される高度試験である。(ちなみに基本情報はLevel2)実はこのプロマネ試験、基本を取っていれば以外と独学でいけるのだ。これは他のLevel4試験にも言えることだと思う。基本的な知識は基本情報勉強し、高度試験ではそれの読解、論述が出題されるイメージだ。高度試験取得のためにも基本情報はしっかりと教師に教わったほうがよいと私は考える。

・悪いところ

企業から専門学校の評価が低い。これにつきる。正直そのへんの大学よりは授業内容も深く、仕事に活かしやすい。しかし、最低学歴として大卒を設定している企業が非常に多い。とくに中堅・大手にはその色が強い。そのため、それまでITとは無縁だった文系大学生にも追い抜かれてしまうのだ。ただこれについては本人のやる気しだいだといえる。yahooドワンゴなどの一部の企業は専門からでも採用している。そういった大手を狙うならば、入学したその日からそれに向けて努力すべきである情報知識などは正直ほどほど。求められるのは圧倒的自主性とコミュ力。例えば自分サーバつくっちゃったよ~とか、クラスメイト巻き込んでサイトたちあげたったなど、クリエイティブな活動が評価される。

最後

結論から言うと、純粋プログラマを目指したいならこれほどよい教育環境はないだろう。短期間で資格習得することができ、実務に近い授業を受けられる。しか大企業などを目指したいなら専門学校に来るべきではない。3流でも4流でもいいか大学に行くべきである。そして目標曖昧な奴な絶対に来ないほうがいい。そのへんの専門とは違い、ほとんどの授業が座学である。それに耐え切れずに挫折したクラスメイト普通にいる。適当に遊びたいならファッション系か3流大学にいくべきだ。この記事が、未来ある若者のためにならんことを

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220225835

明らかに「私怨のある特定の誰か」を想定して書かれているようにしか見えないんだけど、

本人に言ったら?



最初は「職場」と言っているのに最後は「クラスメイト」と言う辺り、

ミカさんの話は又聞きか創作増田学生(それも高校生以下)なんだろうな。

一人称自分名前にしてはいけない、実例と理由。

三年前の夏、職場を一人の女性が去った。仮にミカさんとしておこうか。

一応辞表を提出した形だが、半ばクビだった。

理由は単純。お客様を怒らせ、会社の品位を疑われたから。

ずばり、よりによってクレーム対応の場で自分のことを「ミカは‥‥」と言ってしまったのだ。

「ふざけているのか」「おちょくっているのか」とお客様の怒りは頂点に達し、

さらに「あんな小学生のような人間をよこすとはどういうことだ」と本社に怒鳴り込み。

結局、大事な取引がご破算になってしまった。

彼女会社を去った今でも、いいトシして一人称ミカだった人(笑)として語り継がれている。

 

人は混乱したり追い詰められると、必ず、本当に必ず、素の自分が出る。

マジメな場では「私」って言うから良いもんねw とのんきに構えているそこの貴女。

一志望の面接の場で、上司との面談の場で、お得意様との取引の場で、絶対に失敗が許されない極限状態で、

普段使い慣れない「私」がすっと頭から抜け落ちて、慌てるあまりうっかり「○○は…」。

あっ!というカオをした自分と、鬼のような形相で睨む相手、青ざめる周囲。

場の凍り付いた空気想像してみてください。ちょっとリアル想像してみてください。

想像しまたか?絶対にこんなの嫌でしょう。そうならないという自信、ありますか?

 

まあぶっちゃけ、貴女クラスメイトから

あい自分のこと名前で呼んでキモイよなwww」って言われてるから

普段仲良くしてるお友達も、

「○○ちゃん、自分のこと名前で呼ぶのさえやめればいい子なのに…」って思ってるから

実例も想像理屈も抜きにやめた方がいいよ。うん。

2011-10-23

特殊な環境

医療系の専門学校生

地元を離れの進学だったため、知り合いは無いに等しかった。

しかし今では気の合う友人が出来て、それなりに楽しい学校生活を送っている。

そして時が経つにつれて、恋愛ごとに関心を持つようになっていった。

友人のうち何人かは、いつの間にかクラスメイト同士で付き合うようになっていたのだが、自分恋愛感情をもつような人は校内にはいなかった。

そもそも自分と仲の良い異性の友人は、みんな恋愛沙汰には無関心で、まともに恋愛話をしたためしがない。

それも相まって、巷でよくある「異性の友人関係から恋愛に発展する」ということが起きない状況に陥っている。

それに加えて「医療専門学校生」という身分のため、

生徒数が40人ということ、「学業に支障をきたす恐れがあるので原則としてバイトは禁止」という規則があること、

詰め込み教育的なカリキュラム内容のため日常的なサークル活動は厳しくなっていること。

この時点で出会いの場はかなり制限されてしまっている。

その上現地での人脈が少ないため合コンといった交流も開けず、逆に周りの連中も恋愛に興味がないので合コンすら誘われない(存在しない?)という。

もちろん友人の紹介も(失礼ではあるが)期待はできない。

なぁなぁに生返事で終わってしまい、こちらの真剣度がまるで伝わっていない。

はじめから一人相撲だったのだ。


とどのつまり自分が通う医療専門学校では恋愛のできる場、要するに出会いの場が極端に少ないのが現状である

医療系だったら資格取るまで勉強だけやれ。」

「何のために専門学校に入っているんだ。」

恋人作る暇があるなら勉強しろ。」

と言われるかもしれない。

しかしそれだけでいいのだろうか?

勉学だけが学生の勤めであろうか?

中学高校はがむしゃらに部活動に打ち込んでいたため、まともな恋愛をすることができなかった自分

新生活をはじめて気づいた「恋愛がしたい」という当たり前の感情である

これらを両親に伝えると、「勉強恋愛も、自分のやりたいことを精一杯やりなさい」と心から応援してくれた。

人生目標は決まっている。

資格を取り、就職をすることである

ただそれでも恋愛がしたい。

モテるモテないの問題ではなく、ただ出会いのチャンスがほしい。

学生のうちに恋愛感情を抱くような出会いがほしいのだ。

もうこうなってはSNSなどの力を借りるしかないのだろうか。

今この環境の中に、自分に賛同してくれる友人は多分いないだろう。

2011-10-06

不登校中学生彼女欲しい話

小学校の頃からぼちぼち学校行ってない。

中学校ほとんど行ってない。

そんでもって現在中3。かなりクズい。

学校行っていないが勉強してない。つまり頭悪い。

毎日ほとんど家にいて一日中インターネッツをしている。

プログラミングちょっとぐらいならできる。

RubyをやっていてCとかレイヤの低いことが大してできない。

よくOSとか作ってる人からdisられる。

英語分からん日本語情報がないとき困る、大変困っている。


もう10月なわけで、世の中の中学3年生は受験やらなんやらで忙しそうだ。

俺もそろそろ高校のことを考えないといけない。

そもそもまともに勉強していないから都内でも限られる。頭悪いかしょうがない。

定時制DQN巣窟というイメージがあるのでそれだけは嫌だ。

普通科に行ったらリア充生活できるのかもしれないけど、まあまた不登校になったらオワコンなので四部制の情報科にでもする。


そんなこと書いてもどうでもいいと思うので彼女欲しい話をしようと思う。

こんなクズがぐだぐだ書いても多分誰も読まないと思うが。


そんな俺にも彼女が欲しい。

どのくらい欲しいかってジョブズが亡くなって自分の手でAppleの新製品を発表できない後悔の念ぐらい彼女欲しい。

しかしよく分からない例えだ。

それはともかく彼女がほしい。

中学は中1の夏休みまで行っていたが、その頃に小学校からクラスメイトを好きになった。

もし友達と呼べるぐらいの関係ならクラスメイトとは書かない。

ずっと好きだし、今も好きなわけで、割と身元バレる前提で増田に書いている。

今まで2年半ぐらいこの想いをずっと伝えられないでいる。


リア充になりたい。

まあリア充になるには学校に行かないとならない。

俺は別に人間関係不登校になったとかなんだとかいありがちな理由で行かなくなったわけではない。

から行こうと思えば行ける環境にあるわけだし、実際最近行きたくなってきた。

あー学校行ったら好きなあの娘と話せるんだろうなとか毎日考えながらだらだら生きてる。

3年からクラス替えでまた同じクラスになったのに行かないのはすごくもったいない

クロックの低い年寄りHTCデュアルコア端末を使わせるぐらいもったいない。俺にくれ。

自分コンテンツ価値ある人間だとは全く思ってないが、せめてこの想いを伝えてから死んだっていいのではないか

14年生きてきたし今更死ぬわけにはいかない。せめて元を取らせろ。伝えてからじゃないと。

あーどうしたら伝えられるかなー

最近恐れていることがある。

ずっと好きだけどそのうち諦めがついたり今好きな娘よりも可愛くて優しい娘が目の前に現れたらどうするか。

もちろん今も好きだし、早く伝えたい。

からこそ伝えなくてはならない。

別にあの娘は俺のことなんかなんとも思ってないだろうし、もし少しでも考えてくれていたら嬉しいけど多分それはない。

でも考えてくれていたらなーとか考えるとあの娘にも迷惑だしさっさと伝えて片付けたい。

俺も早いとこ伝えてこの状況から脱出したい。

今年中には伝えたいけどやっぱり早ければ早いほどいいわけで、なんとかして伝えたいがなかなか勇気が出なくて伝えられないでいる。

なんだかなぁ


なんかここに書いたら少し気分晴れるかなと思ったらそうでもなかった。

何かツッコミがあればTB


追記

やっぱり学校行けと言われるのは当たり前か。

好きで行ってないわけじゃないから何かきっかけがあれば行けるんだけどなぁ…

111010 0:25追記

http://anond.hatelabo.jp/20111008133632

伝えられなかったら多分後悔するでしょうし、

想いを伝えてきもいとか言われていてもそれはまあ少なからず想定していないわけではないのでなんとかなります

むしろ何も言われないよりはきもいから無理とか明確な理由が分かったほうがいいので。

もうフラれてもいいのでさっさと伝えたいですね。

111019 0:39追記

俺があの娘を好きになった理由

小4のときの話。

そのころから不登校したりしていた。

そして、先生がやってくれたんだと思うのだが、俺にクラスの人が書いたメッセージカードとかくれたりした。

学校行けよ的なそういうあれで、あんまり不登校の人いないから聞けないけどだいたい経験あるらしいので割と普通にあるみたい。

その中に今の好きな人が書いてくれていて。

あれって全員分じゃないし先生勝手に決めたわけじゃないだろうし自分から書いてくれたんだろうなって考えてるうちに…

まずそれが違うなら俺の3年間根底から覆されるわけなんですが。

まあそれはもういい。

自分で書きたいと思って書いてくれたなんて少なくともやさしいんだなーって思うじゃん。少なくとも俺は思った。

こんなので好きになるの多分自分だけだと思うけど。リア充から見たらアホみたいに見えるんだろうな。

それを中1ですでに不登校になった9月下旬だか10月ぐらいに引き出しから見つけてなんか泣きそうになって、

やさしいんだな、そういえばけっこうかわいかったよね…とか考えてるうちに好きになっちゃった

なんかごめんなさい。

2011-09-27

もら☆はら

婚約者モラハラにもう耐えられない。何を言っても起こりだすから会話そのもの苦痛だ。彼女の質問にはどう答えてもキツイ反応が帰ってくる。何もしていないとなぜあれをしない、これをしないとチクチク言われる。自分喧嘩をしたくないか彼女を怒らせたくない。だから反論をする気も全くない。しかし今朝は疲れきった。

今日寝坊をしたので息子を代わりに保育園に送っていって欲しいと言われた。もちろん快諾した。準備をしていると突然息子のクラスメイトが息子のおもちゃを取り上げるらしいという話をしはじめた。自分は「それは誰から聞いたの?保育士さん?息子?」と問いかけた。すると「息子がそう言っていた。だから保育士さんに今日相談してほしい。そもそも誰から聞いたか重要じゃない。これは家族の問題だ。聞きたくないのか?ならやっぱり私が息子を保育園に送っていく。」と言われた。自分はこの間何も言ってない。

自分は疲れた。ベッドに座り込んだ。隣の部屋から見送りもしてくれないのね。あなたは休んでていいわね。という声が聞こえた。自分は耳を塞いで布団をかぶった。

もう家に帰りたくない。針の筵とはこういう事を言うんだ。

2011-09-26

女子中学生ブルートフォースアタック日本やばいという話

女子中学生を名乗るスパムメールが来て釣られてみるかと会いに行ったら本当に女子中学生だった話。あるいは日本の将来やばい


ありのまま起こったことを話す。女子中学生を名乗るスパムメールが来て釣られてみるかと会いに行ったら本当に女子中学生だった。何を言っているかからないと思うけれど、自分でも何が起こったのかよく分からない。とりあえず詳しい経過を書いてみる。



最初は1通のメールから始まった

一昨日(9/23)の深夜、一通のスパムメールが来た。簡単に「友達になりませんか?」と。普通ならそこで削除して終わりなのだけれど、他のスパムメールと決定的に違うことがあった。送信者アドレスが@docomo.ne.jpだったのである



ほぼ釣りか巧妙なスパムだと思ってスルーしていたけれど、ふと「どちらさまですか」と返信してみるとすぐに「XXX(以下、仮にハルカとする)っていいます。中3です!!」と返事が来た。

99%釣りと思ったけれど、遊んでみるかとメールを続けてみた。全力で釣られるのが紳士の努めである・・・




スパム釣りか、あるいは・・・

こういったスパム場合、考えられるのは次の3つのいずれかだろう。

  1. 悪質なスパム業者による釣り。あるいは最近Googleなどにも攻撃されて話題になったソーシャルハッキング
  2. 自分の知り合いがアドレス変更したついでに自分を試そうと企んでいる。釣り
  3. 本物

おそらく 2. だと思われるが、綺麗に釣られることで盛り上がるかなあとそれなりにメールを続けてみた。すると、いろいろ不審な点がでてきて、3. が急浮上してきた。



まず、メールの書き方が拙い。もし釣りであれば、もっと話を膨らませようとしたり、こちらの墓穴を掘ろうとするだろう。自分から、「メル友になりませんか♡」と書いてきたのに、話を膨らませる気がなさそう、「部活はなにやってたの?」と聞くと「卓球をやってました。」と答えるだけ。普通、相手にも同じ質問を返すか、そこでの話をしようとすると思う。あと一部、文脈がない、質問してもそれに答えないこともあったり。マウンテン・ティムがブチギレるレベル。それでも、なんとかメールを返すとちゃんと返事をくれる。返事は早くチャット状態だった。



そしてやたら地名が生々しい。話の流れから愛知県に住んでることがわかったのだけど、そのあと、「いまはヒルズにいます」と言ってきた。六本木ヒルズのことで東京にいるのかと思い聞いてみると、ヒルズXXというローカルショッピングセンターのことだった。

これは、まず釣りでは言わなさそうな微妙固有名詞



ここからおそらく、女子中学生かどうかはともかく、かなり本物と言うか素人的ななにかじゃないかという推測が立てられた。

このとき夜神月くんが偽物だろうと思いながらもデスノートを試してみたら本物だったとわかってしまったような心境。だったと思う。




そして話は急転して

その日の夜、友達と飲みながら話をしていたら、もっとメールしてみようということになって、いろいろ送ってみることにした。その中で、なんでこのアドレスメールしたの?(どこかで見つけたの?)と質問するとはぐらかされてしまった。そのあとに文脈がわからないまま写メ見せてください☆と来て何人かで写っている写真を「この中のどれかだよ!XXXちゃんの写真も見たいな」と送ってみた。すると自分の送った写真にはなんのコメントもせずに3人で写っているプリクラを送ってきた。幼い、明らかに女子中学生・・・。念のため書いておくと自分ロリコンじゃない、けれどもし相手がこの写真に写っている1人なら、どういう経緯で自分メールを送ってきたのか、中学生の間でなにが流行っているのか、すこし興味が湧いてきた。



そのあと、その3人で写っている中でどれが私だと思いますかと聞かれて、半ば適当に答えるとんぜか見事に正解、その流れと怖いもの見たさとお酒の勢いで「これは会いに行かないといけないな^^」とキモいメールを送るとむこうもまんざらじゃなさそう、「でも会わないほうがいいですよ」とも言ってきたり、なぜか身長体重を聞かれたり、そのあとに年齢を聞かれて、話をしているうちに、ほんとに翌日会うことになってしまった。



会う場所は、名古屋駅にしようと連絡するとよくわからない、と来た。それもそうか、と思うと「あの...お母さんがヒルズXXXにしなさいって言ってるんですけど...大丈夫ですか?」と返信。お母さん現る・・・!?

相手のホームグラウンドに行くのは美人局的なリスクもあって恐怖もあったけれど、なんとかなるかと勢いを大事約束を取り付けて、おやすみメールクローズ


なお、自分の意志だけでなく、一緒に飲んでいた人の後押しとカンパがあったことも書き加えておく。



即日決戦

翌朝、いつもの仕事時間より早く起きて新幹線に乗る。片道1万円以上、なかなか痛い出費だけど、取材費と割り切る。


ただ、約束11時のまえ、2時間くらい前からメールをしてみたけれど返事がない。まだ寝ているのか、やはり知らない男の大人に会うのは怖くて切ったのか、と不安になる。ゆったり勉強しようと思っていた休日お金を遣ってる分、なんとか会わないとと思いつつも会えなくてもそこを観光してその県で仕事をしている先輩とごはんを食べることが出来ればそれでいいかなと思えてくる。


待ち合わせの時間を過ぎても返事がなく、別に連絡をとっていた現地の子に連絡をとってお昼を食べることになり騙されちゃったよと言っていると急にメール「すいません汗汗 お母さんの買い物付き合っててもうすぐ帰るんですけど時間かかりそうです汗汗汗」



お母さん同伴!?



と思いつつ、まあここまで来たしお母さんと話してもよいかなあと(なぜか)思えて、一緒でもよいよと返信してみた。メールを続けるとハルカちゃんはお母さんに自分と会うことになったと言ってしまい、当然反対されたということ、でも抜けて会いにいける、となって会うことに。


・・・



リアル中学3年生でした。



わりといそうな、ちょっと日に焼けていて服装もそんな気を遣ってはいなさそうだけど伸ばした髪はちゃんと手入れしてそうな感じの子。顔つきは地味目で、そしてすごい痩せている。


まだ子ども。なんでこんなメールをしてきたのか気になるのでいろいろ話を聞いてみる。

まわりから援助交際を疑われるかも知れないけれど、手をつないだりするわけでないし親戚のお兄さんが遊びに来たように見える、はず。


ただ、これは間違い。あとから分かったのだけど、その田舎ショッピングセンター地元の人が遊んでばかりで、知っている子もぱらぱらいたそう。知っている人、友だちに知らない大人の男と一緒にいるところを見られてもなんとも思わない、むしろ自慢する風でもあることにふとした空恐ろしさを感じる。



ここからスタバで話を聞いたことの内容。

驚くべき内容が多くて衝撃を受けたのだけど、うまく表現できないので箇条書きしてみる。


で、このあとプリ機(プリクラのことらしい)でプリクラ撮って少し話して、ペットショップ見てそろそろさようならとしようかなと思っていた、けれど・・・



さらなる恐怖/お姉さんとの遭遇

高1のお姉さんも、デートするのにはアピタかこのショッピングセンターしかないらしく、遭遇してしまった。

しかも男連れ。彼氏(?)はどうみて40歳くらい。なにが起こっているのかワケガワカラナイヨ。

ただ見た目はちょっと格好悪いおっちゃんだけど話してると地元の景気を憂いていたり、新しいプリ機とかわからないけれど高校生と一緒にいるといろいろ勉強になると語るなど意外とまとも。気まずくてちゃんと話せなかったけれどまた話みたい、かも・・。

お姉さんはモテてる、と聞いた割にそう顔立ちがいいわけでないし、かわいらい格好をしているわけでない、ただ、先ほどのハルカちゃんの話の影響からか色目を使われているような気がしてしんどかった。



そしてフードコートで美味しくない山盛りのフライドポテトを食べてだらだら話をした。さっきまですごくたくさん話してくれたハルカちゃんもお姉さんの前ではあまりしゃべらない。謎の空気が気まずくて話も盛り上がらない。そして4人でプリクラ撮って、自分の気力が萎えて解散。ああ、禍根を残してしまった・・・

最後はなんかいきなりキスしたりエッチとかはありえないけどキスマくらいなら・・みたいなことを言われて衝撃。けれど正直、文脈も分からないし飽きてきたのでよくわからない。はいはいワロスワロスみたいな感じで聞いてさらっと別れた。たぶん、もう二度と会うことはないだろうな・・・


そうして傷心したまま、名古屋駅で麺や六三六を食べてシルバーウィーク最終日の激混み新幹線帰宅



おまけ

しばらく話のネタにはなりそう・・・

自分ブログには書きにくかったので増田で、なにか不明の点があれば質問ください。

プリクラはアップしません。あと、ぼくはロリコンじゃない。

2011-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20110910201344

http://anond.hatelabo.jp/20110910112946 みたいなネットde在日問題みたいなのやってる人は、かなり田舎リアル外国人に接触する機会の無かった人が中心だと思うよ。

何だかんだで「小中学校クラスメイト在日外国人がいた」という人は日本全体で見ると意外と少ないんじゃないかな。

からリアリティのない話がはびこる。

2011-08-30

虐めの思い出

中学三年の時の友達グループ

あいつうぜーわ」

「みんなで一斉に無視しようぜ(笑)

標的、最初は「なに無視してんだよ~」と笑ってたが、徐々に無表情になる

休みに爆発、「なんだお前らふざけんだよ!」「こんな事して楽しいのかよ!ああ!?

誰かがぽつり「だっておめーうぜーし」

沈黙、「は?」「耳遠いの?馬鹿」、喧嘩勃発、かと思いきや標的をうざいと思ってた奴等が加わって一方的なリンチ

調子こいてんな!」「てめー前からうざかったんだよ!」「死ね!」「きめーんだよ!」

教師登場、関係者相談室などに集められる、全員で示し合わせて標的がいかにうざかったかを教師に話す

一方的にボコったことは咎められたが、標的は教師にも目をつけらていた問題児だったのでちょっぴり配慮

標的、四面楚歌になり次の日から学校に来なくなる

一ヵ月後、標的が自殺未遂を起こしたという噂が伝わり、ぜんいん爆笑

更に三ヵ月後、標的がとうとう自殺

標的の存在を思い出し、一同笑う、「んなやつもいたなぁ」「ようやく死んだか」「ざまぁみろ」「調子こいてっからだよ」

ニヤニヤ笑いながら線香をあげにいく

しばらくして標的の遺書発見クラスメイト名前が書かれていた

クラスメイトが一斉に青ざめる

「いや俺・・・そんなに殴ってねぇし」「言い出したのはてめーだろうが!」擦り付けあいの開始

標的の家族学校を訴える、大問題に発展、近隣一帯に知れ渡る

クラスメイト同士の諍いが何度も起こる、ある男子椅子でぶん殴られて病院送りになる

幸いにも俺の名前は書かれてなかったが、怖くなったので学校に行くのが嫌になる

家族にもバレて会議が発生、「本当なの?」母親に問われて白を切っていると父親に殴られる、喧嘩になる、家族との関係悪化

学校と標的の家族の争いが加熱、クラスの雰囲気が最悪になる、登校拒否が相次ぐ

虐めを見過ごしていたとして担任教師に攻撃が集中、担任学校に来なくなる

ついに最初に「あいつ無視しようぜ」と言い出した奴に攻撃が加えられる

クラスメイトの溜まりに溜まった鬱憤の標的にされたのであっという間に病院沙汰になる

なぜか俺も標的になる、箒の一撃を避けようとして指の骨が折れる

俺も段々と死にたくなり、陰々鬱々としてるとグッドなタイミングで父親の転勤話が持ち上がる

嬉々として飛びつき、転校する事にする

クラスメイトから「てめー逃げんじゃねーよ」と言われるが、無視する

当事者の一人だったので色々と面倒な事になりそうだったが、指を折られていたので被害者の顔をして逃走

クラスメイト達との連絡を一切たち、新しい土地過去を忘れて生活を送る

十年ぐらい経って、東京で偶然、かつてのクラスメイトに合う

懐かしかったので話す、「あの後どうなった?」

あいつの家族慰謝料みたいなん少し貰って、あとはみんなどっかに進学してったわ」

地元じゃタブーみたいになってるし、あの学校じゃ口に出すだけでも怒られるらしいわ」

一応決着みたいなのはついたんだなぁと思っていると、「・・・お前はどう思ってる?」と聞かれる

「どうって?」「いや・・・俺、今でもたまに夢に見たりするし、嫌な記憶だなぁって」

「後悔してるわ。あんな事しなきゃよかった」

俺は考えて、言う

「多少の罪悪感はあるけど、あれは元はといえば標的が悪かったんだし、もうずっと昔の事だから、今更どうとも思わない」

相手は少し黙ったあと、「そういうもんかな」と言う

別れ際、「別のやつともたまに話したりするんだけど、やっぱり皆、あの事を後悔してたりするんだよな」

俺は苛ついたので言う、「だったら最初からあんな事しなきゃよかったじゃねーか」

「だよな・・・」と言って背中を向ける

今さら、10年も前のことを思い出したくもないけど、最近よく思い出すようになる

というのも職場で俺が軽くハブられるようになったからだ

確かに、これは気分が良くないな

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823010334

現実」で、

他人に追い込まれ、他人の感情による暴力を受けているから、苦しんでいるのでしょう


単純にこんな風に連鎖しているのではないのでしょうか

会社でのストレスを父が母へあたる

父によるストレスを母が子へあたる

母によるストレスを子がクラスメイトへあたる

クラスメイト不登校になる


極論ですが、

母や子やクラスメイトへあたるより、ネットにあたった方がいいです

2011-08-20

ゆとり新人を叩いても仕方ない

今の子供精神力がないとか我慢が足りないとかいうけど、それは仕方がないことだと思う。

もうすでに、精神力とかそういうモノが前時代の何かになろうとしているんだろうと思うから

この前3D映画を見に行った。

飛び出す映像は迫力あって面白いことは面白いんだけど、目がとっても疲れる。

でも、もし生まれた時からこの映像をずっと見ていたら、これが普通なんだろうなと思う。


昔の年寄りが「テレビを見るとチカチカして疲れる」と言っていた。戦後テレビっこは「ゲームピコピコした人工の音が嫌い」と言っていた。

ドットゲーム世代は「3D酔いするからゲームはできない」と言っていた。次の世代は? 「3D酔いするから映画見られない」になっているんだなと。



新しいものができれば、古い世代は「異質」と感じるけど、その時代に生まれたほうからすれば「当たり前」になるんだろう。



で、ゆとり新人の話に戻るけど。


今の若い世代は「スイッチひとつで解決」が当たり前で育ってきた。

例えばわからないことがあったらググればいいし、電子レンジで大体全部料理ができて、

お父さんが外に出ていけばお金自動で持ってきてくれて、学校も考えなくてもお母さんや先生が成績で勝手に決めてくれる。

おまけに恋愛だって漫画ゲームという代替品が存在する。


から「わかんないことがあったら聞けばいい」し「面倒くさいことをしたことがないからわからない」し

「合理的なことってよくわからないけどカッコイイ」し「すぐ結果が出ないと気が済まない」思考回路が育っている。


新人メモをとらない」のは学校の授業でメモを取る習慣を身に着けなかったから。

「すぐ考えればわかることを聞く」のは考える訓練をしてこなかったから。

職場空気が読めない」のは今まで大人のいうことを聞く必要がなかったから。

「俺はこの仕事向いてない」って言い出すのは結果がすぐ出ないとリセットしたくなるから

今までやってこなかったことが社会に出たからって急にできるようになるわけがない。


それもこれも「3D映画をみると目がチカチカする」現象と似ていると思う。

丁寧に教えても仕方がない。だって彼らはそれが生まれたときから続いてきたんだから

大人が「これはおかしい」っていうことが彼らにとっては「目がチカチカする」と同じくらい滑稽に聞こえているはずだ。


「個人の自由が大事」と教えられ、「大した手間がなくても結果が出る」ことばかりで

挙句の果てに「困ったらママがなんとかしてくれる」世界で育ってきたんだから、その価値観をいきなり変えるのは無理。


価値観を植え付けたのは彼らが育った日本社会であり、彼らに責任はない。

そこを「ゆとりは使えない」と切り捨ててしまったらあまりにもゆとりが気の毒だ。

彼らは普通に3Dの映画を楽しむ。それなのに「あんな映画は目が痛くなるから禁止だ」と怒られる。

それが彼らにとっては理不尽であり「合理的」でないから旧世代を馬鹿にした態度をとる。

そもそも多くの大人と接していないので彼らは上司も「部活の先輩」や「クラスメイト」と同等の価値観で接する。

それで怒られて余計上司に不信感を抱くのスパイラル


から最初から根本的な教育大事だと思うんだけど、残念ながら日本では公立学校崩壊など教育制度の改革が十分じゃない。

学校制度育児を丸投げにして、家庭教育を放棄せざるを得ない世代が存在するのに

育児は家庭(母親)の仕事」と取り合わない社会制度教育崩壊の一因な気がする。

学校託児所じゃない。もしそうするのならそれなりの社会支援がないと教育責任が全部学校になってしまう。


ゆとり世代を叩いている場合じゃない。

ゆとり大量生産してしまったシステムを見直すことや教育現場社会乖離を解消することが早急。

不便に戻れっていうわけじゃないけど、少なくとも忍耐とか相手の気持ちを考えるとかそういう基本的なことを大人が示していかないといけないんだけどね。

あ、そういう大人も少ないかも。困ったな。

2011-08-12

もしドラ作者「エースの系譜」あとがき全文

もしドラ」は処女作ではない。

から十三年前の一九九八年に、二九歳にして小説家への転身を図った僕は、およそ三ヵ月という期間をかけて、

真の処女作成るこの作品「エースの系譜」を書き上げた。その執筆の経緯をここに記しておきたい。

うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。

でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした糞小説の中で、そういう傑作を忘れないで欲しい

そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか



三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。

六十枚とした理由は2つあって、

始めての作品だったから短めに仕様としたことと、

もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクション新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである

その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。

といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。

Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。


なぜ「Numberテイストフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。

Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。

簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。

それをフィクション適用すれば、フィクションノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。

そうしてNumber文体小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。

さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。

ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。

小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。



肝心の物語は、とある高校の野球部舞台にしようとした。

高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。

そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。

そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。

そのことを書こうと思ったのだ。

高校時代自分学校はどうすれば甲子園にまで辿りつけるかと考えた道筋のあらましを、小説にしてみようと思ったのである

題材は、高校野球にすることにした。



書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。

から最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである

ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。

その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである

おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。

そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。

分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落コンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである


そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。

書き上げた時には、原稿用紙は六百七十枚にも達していた。(当初予定していたもの十倍以上だった)

「緻密に選手クローズアップするNumber文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。

覚悟はできてるか、俺はできてる。

(中略)

とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)



するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分ものとは思えなかったのだ。

いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語自分が考えたものだとは思えなかったのである

それはまるで、もとからこの世界存在していたものであるかのようだった。

いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。

ぼくのしたことは、その事実テキストとして書き起こしたにすぎなかった。

まり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである

そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。

なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである

そのため、これを誰かに伝えたいと強く思った。伝えて、その面白さを共有したかったのだ。

面白いものができた。



そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。

初めは、幾つかの出版社手紙を添えて原稿を送付した。

しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。

いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。

そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、

原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである

しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。

何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。

評価されなかった。



それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。

しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。

その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。

そうしてぼくは、小説家への転身を諦めたのである

小説家を諦めたぼくは、以降の人生を勤め人として生きることを決意する。

落ち込んだ。



ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。

ぼくの敬愛するルソーゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。

カフカ宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。

そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。

小説出版しなくてもいいから、死ぬまで作品は書き続ける---そんなふうに生きていこうと決意したのである

立ち直った。



ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。

処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社編集者である加藤++さんから小説執筆依頼を受けたのだ。

そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。

思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。

チャンスがキタ

ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね




その時、ぼくは決意した。

この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。

そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。

あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。

チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。



そうして書いたのが、「もしドラ」だった。

すると、二〇〇九年十二月に発売されたこの本はすぐさまベストセラーになり、幾度も版が重ねられた。

大ヒットした。



それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社マンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。

要件は、「もしドラ」をコミック化したいというものだった。

しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。

その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。

その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。

これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。

チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。



すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。

それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。

このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。

ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。

村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。

ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。



そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます

最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガ創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう

そして伝説・・・




熱い、熱いぞ岩崎先生。申し訳ないけれど、小説より彼のあとがきの方がおもしろかった。

ぜひ彼の熱い人生を「アツイホノオ」の島本先生コミカライズしていただきたい。

2011-08-05

あらすじ私的連絡用うぷ

「I Have a Dream」・登場人物表

神田 環(かんだ たまき)/カンダータ・マ・キ

…外見年齢15歳。ウテナ星の王子地球人に偽装し、高校に通う。地球風俗に疎く、とんでもない誤解をすることも。三白眼がトレードマーク。背が高い。偽装を解くと耳が尖っている。

シッダルタ王 …外見年齢30歳。環の上司でもある。環と血のつながりはない。アロハグラサンの色男。女にだらしない。

稲葉 つぶら(いなば つぶら) …15歳。大家娘。高校へ通うため、父の持つアパート管理人を兼ねて1人暮らしをしている。初対面の環にも親切。

城島 亜鈴(じょうじま あれい) …15歳。つぶらの親友。環を異様に敵視する。

宮沢(みやざわ) …15歳。環のクラスメイト。不良にパシリにされている。背は小さいがツッコミは鋭い。

小森信慈 …15歳。茶道家元の息子。父が死んでからは茶をたてていない。イケメン

ミッキー …つぶらの飼っているジャンガリアンハムスター。環からネズミと呼ばれる。






「I Have a Dream」・プロット・あらすじ

ウテナ星の王子であるカンダータ・マ・キは、このたび、惑星会議によりウテナ領となった地球の視察のため地球に降り立った。指示された居住地に向かう環。そこは廃墟しか言いようがないオンボロアパートだった。管理人を兼ねる居住者つぶらに挨拶をし、惑星間通信で王に連絡すると高校生として学校に通えという。しかたなく翌朝、学生服に身を包み登校する。偶然にもつぶらと同じクラスと知るが、つぶらの親友だという城島は環を敵視する。さっそくクラス宮沢と仲良くなるが、彼は不良にパシリにされていた。なにげなく鉄柱を飴のように曲げる環を見ておののく不良。つぶらが茶道部であることを知り調査を兼ね見学するが、華道部部員一人しかいない茶道部茶室の使用時間で揉めていることを知る。自らが茶道部新人であると宣言する環。宮沢追随するが正式な部員には足りない。そこで新人探しをする。茶道家元の息子の信慈に目をつけるが断られる。環は信慈をむりやり連れてきて茶をたてる。拙いながらも一所懸命茶をたてる環を見て信慈は茶道部に入ることを了承する。ある日王に、征服せず保護区とするわけにはいかないかと尋ねる環。しかし、この星に知的生命誕生させたのは自分である、また、この星の真の所有者は自分ではなくさらに上位の権力者であり、そのまた更に上位がありまた更に上位があり~誰が本当の所有者かはわからないという。では自分達も誰かに作られたのかと尋ねる環。ある日華部員が現れ、再び茶室を譲れと主張する。そこで環は華道茶道でどちらが優れているか勝負しようと言いだすが、つぶらに「茶道は人と争うものではない」と諭され、つぶらは茶室を明け渡してしまう。憤懣やるかたない環。しか城島能力のある人間にはそれにふさわしい待遇が与えられるべきだと言われ、言い返せなくなってしまう。やがて再び勝負を持ちかける環。つぶらから止められるが、時に相手にモノ申すのも茶の道ではないかと反駁する。第三者に茶道華道を体験してもらい、より素晴らしいほうを選んでもらうという勝負を行う。全てにおいて完璧華道部茶道部ミスを連発する。しか茶道部に軍配が上がる。(環は足の痺れたC子のために茶の席を早く終わらそうとし、それにC子は感じ入ったのだ。環は、素晴らしい席を設ける、客を思いやる、どちらも揃っていることが一番素晴らしいのではないかと語る)後日つぶらにデートを申し込み、遊園地で遊ぶ環とつぶら。宇宙人であることを告白しようとするが、自分が伝えたいのはそんなことではないと気付き、つぶらに告白する環。ふたりはキスをする。だが環は自分痕跡を消すため、友人たちから自分に関する記憶をすべて消し去ってしまう。宇宙船に戻る環。環は王に、この星を征服するべきではなく発展するまでひそかに保護下に置き、やがて対等に交易をするべきだ、と伝える。そして環は、そのときまで1人この星を見守り続けることを誓う。

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803161104

今時草食系男子(165cm/54kg)が、

黒髪ロングの大和撫子っぽいクラスメイト(155cm/44kg)に恋心を抱いているのに、

いろいろな意味で豪快な↑の友達女子柔道部員(172cm/85kg)にいきなり告白された。

というのはいかがでしょうか。

草食系男子女子柔道部員をなんとも思ってないという前提で。

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?


中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。


人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。


大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。


現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。


なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20110724223843

小中高大と、いつでも友達いない子は心配だと思うけど

ならなんで友達ができる手助けをしてやらないん?

って思う。

初対面の相手の名前を覚えるゲームとかあるじゃん

あいうのやってもいいし、クラスメイト顔写真見せて、全員の名前を言えるようになるまでテストしてあげてもいい。

4,5人でグループ組んでやって(好きな人同士とか言わないで)、全員が協力して、声をかけあいながらやるような共同作業を課してやってもいい。

入学したての1週間くらい、クラスメイト同士で遊ばせてやるだけで、友達が作れない子供は激減すると思うんだけどな。

2011-07-19

「二人組つくってー」におびえなかった人間オタク自称してはいけない

「寝たフリしてるだけだったりして(クスクス」

「いつもお昼どこで食べてるの?」

友達かいる?」





こんな言葉に心を痛めた経験のない人はオタク自称してはいけない。

きっとそういう事なのだと思う。シロクマ先生が嫌われるのは。

オタク」という言葉をどんなに浄化しようと、「オタク」はやっぱり罵倒語

オタクキモイ」と陰口を叩かれた事がない人間に、オタク面で「オタクでも努力すれば」なんて説教されたら困るのだ。

オタクの多くは、オタク的なアニメ漫画ゲームたまたま好きな普通の人なんかじゃ全然なくて

物心ついた頃には友達ができない事に悩んでいて、クラスメイトに興味が持てない以前に個々人の区別もつかなくて、教室は居心地が悪くて

休み時間が嫌いで、何をしたらいいかからなくて、頭の中でお気に入り漫画キャラをずうっと動かしてたような、そんな子供が成長しちゃった姿なのだと思う。

先天的な障害を抱えていたのか、生育環境のせいか、本人の努力が足りなかっただけなのか、そんなのはからないし色々なパターンがあるだろうけど

物心ついた頃には、遅くとも小学校4年までには、コミュニケーションの障害を自覚していて、一般社会が辛すぎるから、居心地のいいオタク文化に傾倒してしまったのだ。

大学入学まで、一般人として何不自由なく暮らしていたシロクマ先生オタク面されたら本当に困る。


http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110718/p1#tb

2011-07-08

スタバうんこ漏らしスレの奴が異常すぎて笑ってられない

やばいだろこれ。一切笑えない。

http://hamusoku.com/archives/5238616.html

 

俺は家以外では絶対うんこできない人だしコーヒーもまだ残っててもったいないから我慢してた

んで限界きてヤバイと思って立ち上がったらものすごい爆音とともに下痢噴射

小学校低学年のとき、授業中に「トイレに行きたい」と言い出せずに漏らしたクラスメイトが居たが、そいつ並に理解不能。

言うより漏らす方が数千倍恥ずかしいだろ。完全に理解不能。

コーヒー残したくない!家以外でうんこしたくない!それで下痢漏らしてるんじゃどうしようもない。

こういう、二利を追求したがために百害被りました!みたいな奴って生まれつきなのか?

優先順位おかしく生まれると二十歳過ぎても治らないのか?

全く笑えない。

 

21で高校卒業してからずっとニート

177cm

55kg

ガリメガネ

普段引き篭もってて何十日ぶりに外でたらこれだよ

何かおれが悪いことしたのか・・・

で、何十日ぶりに外に出た理由がこれ。

昨日スタバ高校生がたくさん勉強してるってスレ見る→JKがたくさんいる→見たい!

ってなって見に行った

親はどんな気持ちでこのニートを養ってんだ?

頭が痛くなる。

「何かおれが悪いことしたのか・・・」にも絶句大丈夫かお前は。

 

返さなくていいってそういう意味かよ・・・めちゃくちゃ嬉しかったのに・・・

お前らやめろよ!そういうの!

タオルうpしたけどス●ーピーのタオル可愛いんだぞ!顔はちょっとあれだけど

いや、うんこ漏らした奴に使わせたタオルなんて、返してもらっても使えないだろ。

「そういう意味かよ・・・」って…お前何落胆してんだ…

店員からの好意だと思えるポジティブさに戦慄すら覚えるよ。

さらに、貸してくれたバイト女の子容姿を「顔はちょっとあれだけど」と中傷。

しかも別のとこでも

しかも店員可愛くないぞ

電車みたいに可愛い女の子じゃないし

清潔が命の飲食店下痢便まき散らして店員にうんこ処理させたうえ、

店員の私物のタオルまでもらっておいて、繰り返し顔の中傷?

この記事、中傷された子が見る可能性だって存分に考えられるのにな。

クソ漏らしニートの厚顔さは凄まじい。

 

とりあえず心がぽかぽかするぜ

こいつは軽度の知的障害発達障害なんじゃないだろうか?

頭の悪さが尋常ではないし、思考の内容も常人と違いすぎるように感じる。

妙に楽観的で性欲しか頭にない辺り、性犯罪を起こす知的障害者に近いものを見た。

2011-06-20

不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。

へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。

変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。

決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。

わたしはね、出なければならない授業のノート教科書参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。

それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。

それは本人にしかからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。

わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語化学なら化学。わたしが抱えていたノート教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。

わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。

でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。

でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。

堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。

しばらく私はなんと返事をしたらいいかからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。

ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。

紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。

ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。

やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。

その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。

そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね

食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。

きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。

でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?

苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。

ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。

2011-05-29

高専への進学を考えている中学生とその保護者の方へ

私は某高専卒業したです

昨年、某国立大学の3年次に編入し現在大学4年生です

少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)をまとめました

最後高専入試がどのようなものかも書いておきます

高専への進学を考えている方に少しでも参考になれば幸いです

6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。

高専で学べること

まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校ですですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学したからすぐに数学英語国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります

もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校卒業してすぐの学生高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学からなにか特別なこと(例えばプログラミング電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。

ちなみに私のいた学科情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした

この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります

一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです数学英語国語はもちろん、物理化学生物地理歴史なども学びますしかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです地理歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。

逆に専門科目に直結する数学物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます

高専目的は「5年間でエンジニア養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです

専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。

また高専では専門や高校よりも高度な数学物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます

高専生活

高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的学生が集まっています。

6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがありますしかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的学生、と表現しました。もちろんアニメフィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはな環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽プログラミングサッカーアニメ、工作、麻雀カメラ、銃、ゲームバスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます

またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります男子女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校学科によっては1:1もありえるそうです高専ホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。

クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります

校風は自由で服装などの制限はほとんどありません。

また大半の高専には学生寮があります学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会したり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境した

6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事した。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。

部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます

もちろん体育祭学祭、寮祭などの学校行事もあります

その後の進路

高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです高専から就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人学生希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります

自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)

しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはなようです

さて、進学の方はといますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです

専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます

もうひとつ大学3年次(大学によっては2年次)編入です地元国立大学に編入する人もいますが、東京大学京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生東大京大に送り込んでいるところがあります。(各高専ホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです

6/1追記・普通大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月広島大学を受けて、7月筑波大学を受けて、8月大阪大学を受ける、など)複数の国立大学受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります

メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)

メリット

・早くから専門をみっちり勉強でき、技術が身につく

・圧倒的な就職

大学編入も可能勉強次第で難関大学へも編入できる)

個性的学生が集まる

・自由な校風

就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる

高専卒は優秀、という一定の社会的評価がある(らしい

(6/1追記・編入試験で複数の大学受験できる)

デメリット

・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い

留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない

大卒とは昇進や昇給の面で待遇が異なる

女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます

・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです

普通高校が羨ましくなる

大学1、2生が羨ましくなる

高専に向いている人、向かない人

これまでの説明で高専いか普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます

高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました

しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます

高専入学するには

当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。

まず、高専への入学方法は推薦と学力試験の2つがあります

推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。

中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。

学力試験過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。

さいごに

中学生に戻れるなら、また高専に入りたい?」

こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。

中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください高専の雰囲気がよくわかると思います。

繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください


では、最後まで長文にお付き合いいただきありがとうごいました

2011-04-23

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

2011-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20110419201013

http://anond.hatelabo.jp/20110419201917

はぁ?お前が見たことないからどうだってんだ?

たまたま自分の観測範囲になかっただけで架空存在たいな扱いしてんじゃねえよボケ

普通に小学生が履いとるわ

直接肉眼で見た例だけでも少なくとも四~五回あるから間違いない

ちなみに一番見る機会が多かったクラスメイトのその子のあだ名は「馬ヅラ」だったが

いやそれはどうでもいい

とにかくお前が見たことあろうがあるまいが二十年以上前から普通に存在してんだよボケ



何?萌え記号としての成立過程?知らん!他の奴に聞け

俺は90年代ぎりぎりまでNIFTY-SERVE見てたがFGALAGにもFQLDにもそんな流れがあった記憶はないぞ

HDDを漁る限りでは2001年にimg######.jpgたい名前で保存されたしまぱん群が何個かあって、群で発掘できたものとしてはこれが手元における最古

(中身はイラストとかアニメキャプチャかばらばらなので、無断転載系のぱんつ収集スレと思われる。ちなみに2000年にはお絵かき板も無断転載板も両方定着している)

見た感じ2002年から急減に新作しまぱん画像が増え始めるので、怪しむとした2001年を中心に前後一年といったあたりだろう

記憶ではこの時期伺か界隈のどこかでしまぱん談義を読んだような気がしているのだが記憶曖昧なので明言は避けたい

ただし2001年夏に伺か系絵板でぱんつ祭りが起きていることは明らかであり、ここにはしまぱんも複数含まれている

ボケ

- 転職ならen
- 派遣ならen
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