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はてなキーワード: 一冊の本とは

2024-04-21

anond:20240421194330

映画も、別に一冊の本であっても作り手は人生をかけて生み出すものかもしれないから、それを考えるとそんなものかもしれない。映画見るのお金かると思うのもわかるけど

2024-04-20

オープンレター北村さん・雁琳さん訴訟について雑感

地裁判決がでましたが、学識豊かな人々が相互に叩き合っていて不毛です。見ているだけでも疲れる。しかし、感情を揺さぶられるのとTwitterアルゴリズムによってつい追いかけてしまます

複雑な出来事単純化して、自分からこう見えているというのを整理してみます

お互いの陣営がそれぞれ自信たっぷり相手批判していて迷うこともあるのですが、みなさまはこれらの項目のどこまで合意できそうですか。その他重要論点あれば教えてください。


雁琳さんには池内恵さんにすすめられていたように著書執筆に専念しては欲しいです。

参考記事

森新之介さんのブログが整理されていた(ほかの記事を読むと人文系アカデミアにうんざりしてしま・・・

呉座勇一への懲戒処分とテニュア付与|森 新之介

卒論などでお世話になった人も多いだろうnext49さんのブログオープンレター関連について整理されている

メモ:「女性差別的な文化を脱するために」関連の時系列 - 発声練習

雁琳さんとの判決文。東京地方裁判所 令和4年(ワ)第4632号 判決

http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf

追記

id:IkaMaru さん

増田に限らず「俺は中立だけど」みたいなトーンで話を進める奴のほとんどが即バレしない程度にちょっとだけアンフェ側が正当に見えるよう話をズラしてゆく。もう諦めろ。雁琳のためにもならんぞ

コメントありがとうございます増田としては、今回の雁琳裁判後も吹き上がって裁判や、もともとの被害者である北村さんを批判しまくってているTwitterユーザが多いことにかなりゾッとしていまして、かれらや、かれらのフォロワーのうち一人でもおかしいぞ、と思ってほしくて書いた次第です。

ただ、頭ごなしに全批判しても受け入れてもらえないのではと考え、今回の一連の事案のどこまで合意できるだろうかと論点を列挙しています。少なくとも、いじめ被害者への二次いじめをしていると自覚してほしい。どうしたらいいんでしょうね・・・

2024-04-10

息子への誕生日プレゼント

先日、息子の誕生日だった。

うちは母子家庭なのであまりお金がなく、誕生日用のケーキやらごちそうを用意するのでやっとだった。

息子は小さい時からまり物欲がなく、ただ猫が大好きだった。

一緒にお出かけする日にはよくペットショップに出掛け、一緒にたくさん猫を眺めた。

私も猫は好きで、だから本当は、余裕があれば猫を引き取って一緒に暮らしたいなと思っていた。

でも今は余裕がない。

猫好きな息子のために、今回の誕生日プレゼント増田投稿してある猫の話を集めて印刷してそれを一冊の本にした、増田の猫アンソロジーにした。

息子はそれをとても喜んでくれたので、今ここで感謝言葉を述べたくて投稿しました。

増田さん、ありがとう

2024-03-04

「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね

いくつかバリエーションがある

無人島に[ジャンル制限]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[レコード]をn個だけ持っていくなら?」

……のような

[本]の場合に「聖書」という回答が西洋メジャーなことから元ネタ日本以外なのだろうとあたりをつける

調査の初手はとりあえずこれ

Desert Island Discs - Wikipedia

Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]

Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.

Desert Island Discs は、BBC Radio 4放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。

番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます無人島での生活とその選択理由について話し合います

このラジオ番組存在から1942年時点で「あるあるネタであることは確認できる

アメリカ一コマ漫画で「無人島もの」というジャンル存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない

普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ

ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日出版された

これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれ

Robinsonade - Wikipedia

Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]

ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段即興で考えなければならないフィクション文学ジャンルです。 このジャンル名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前ジャンル定義するために使用され、単に「無人島物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります

ということは、探すなら18世紀か……

一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど…

1611年頃

一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある

Uninhabited island - Wikipedia

The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]

無人島舞台にした最初小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界から漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミル文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]



こういうmeme的というか、とりとめのない雑談あるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ

残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見できなかった

何故調べる事になったかって、なんもかんもこのツイートのせい

https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20

有名な「無人島ひとつだけ持って行けるなら何?」という問答の元ネタ坂本龍馬

坂本龍馬は「国ぜよ」と答えて勝海舟を驚かせたという。

……という嘘豆知識

正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは

wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述

The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]

無人島」という用語は、社会的孤立し、物質手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます無人島での行動は、たとえば「無人島道徳」などの一般的思考実験です。

これの出典がOEDになっている

ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……

人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンル一般認知されている環境……であるはず

しか調査頓挫、有力情報がひっかかるまで塩漬けにする

へたすりゃギリシャ神話時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん

オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない

そうなったら手に負えん

日記

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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

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ちょっと方針を変えてみるか

19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね

近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキル知識一般に広まったのがおそらくこの時期

その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない

いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキル知識関係なさそうに見える……

聖書って回答が多いってのはどこ情報ソース無いですやん

→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん

サバイバルガイド的な本が19世紀刊行されてないかを調べてみるか

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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ

このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人哲学者東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのものベートーベン楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。

発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い

ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな

しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……

見立ては大外れしていなかったか

さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?

もうちょっと古い時代にも言及がありそうな雰囲気はある

ケーベル博士ロシア出身日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスラジオ番組

20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか

しかインターネットだけでの調査はそろそろ限界

本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい

ここらで再び調査打ち切り、有力情報がひっかかるまで塩漬け

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ん……なんか別のバリエーションを見つけてしまったな

ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい

この発言の出典元文書ちょっとすぐには見つけられていないのだが

偉人名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル

ゲーテの生没年は1749~1832

無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種クローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ

Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島一般認知された?

元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする)
↓
Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した
↓
メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった
↓
さら時代下り、持ち込めるものジャンル制限になった

みたいな流れという仮説を立てれそうだが……

まあまあ、結論を急ぐことはない

頭の片隅エリアにこの疑問を保管してこの疑問は一旦クローズ

2023-12-12

読書っていうのは、チート行為なんすよ

だって、下手したらその人が生涯をかけて考えて考え抜いたことを一冊の本で知ることができる。

それって凄いことじゃない!?

なのに、世間一般ではそれほど本を読まない。

結局ね、みんな自信家なんすわ。

自分のことを賢いと思ってる。

から今のままでいいと思っているし、今の方法が最善だと思っているから、より最善な方法を求めようとはしない。

それでも人は言う。

別に自分は賢くないって。

嘘だね。心のなかでは自分のことを「他のやつよりはうまくできる」って、そう思ってる。

謙虚な自信家。

だったら、大胆な自信家になればいい。

それになるには多くの知識を要し、数多の本を読む必要がある。

そうやって、自分卑下して、自信ないふりして自信を持つんじゃなくてさぁ…

ちゃんと自信を持て!

その方が…素敵だと思うよ



当時べろべろに酔っ払った彼女が俺にこう言い、俺は結婚を決めた。

2023-11-21

忘れられない本。

私には忘れられない本がある。

佐藤ラギ著 「人形ギニョル)」 という本。

この本に出会ったのは、中学生の頃だった。

親友と共に図書館へ行き、気になる本を数冊抱えながら館内をうろついていた私のもとに、親友が「これ、好きだと思う」と一冊の本を抱えた本の上に置いた。

その本が「人形ギニョル)」だった。

当時私はホラーサスペンスミステリーといった本が好きでよく読んでいたし、球体関節人形を数体所持していたこともあり、表紙のビスクドール写真に心を奪われた。

帰宅し真っ先に読み、序盤はなんとも思わず読んでいたものの、読み進めていくうちに止まらなくなり、最後最後で体中の力が抜けるような、でも気持ちは高揚している。そんな感じだったのを今でも覚えている。

それ以来ずっと「人形ギニョル)」が忘れられなくて、でも当時まだ中学生だった私はお小遣いなどももらっておらず、自由自分で使えるお金を持っていなかったから、すでにもう手に入らないこの本を何度も図書館で借り、何度も読んだ。

高校生になりアルバイトを始め、ある程度自分お金を手に出来た時、まだ普及していなかったネット通販で、本当に届くのかな…?詐欺じゃないよね…?なんて考えながらびくびくしながら購入したのを覚えている。もちろんちゃんと届いた。

あれから十数年経った今も忘れられず、時々思い出したかのようにネットで「人形ギニョル)」のことや、著者の佐藤ラギについて検索する。

読んだ当初は閲覧できた2ちゃんねるスレッドも今はもう見ることはできないし、mixiコミュニティ更新も止まっていた。

その後は集英社文芸誌小説すばる」に『スワンの涙』を連載したという情報があるのみで、執筆活動は途絶えてしまったということや、ネコ・ヤマモト名義でも執筆をしていたこととか、もうほぼ知っているし、なんにも新情報なんてないのに、ふと思い出したとき検索し、「また何も成果はなかった」と安堵する。

2023-11-15

anond:20231115003807

倫理とか正義とかで一冊の本頼みで全理解!は無理です

当たり前やろ

何考えてんねん

2023-10-24

anond:20231024021858

核兵器を開発したユダヤ人日本人謝罪すべき」とは思わないけど、核兵器開発とユダヤ人差別の複雑な歴史的背景については誰かが一冊の本にまとめてくれたら読みたい。

2023-10-15

ダイエットの記録とか

たまにダイエット日記を見るのでご参考まで。

 

当方男。大学卒業当時は175cm85kg。そんなに食べてないのに太るのはおかしい、

と思っているうちに、120kgアラフォーに育つ。

 

運動は嫌いではなく、週末にアクアビクス、サイクリングに励むも、何年も続けられず失敗。

食事を気をつけたこともあった。糖質を減らせと聞くとご飯を止めた。

しかし長く続かない。あれはOK、これはNGなどと食べ物仕分けるが、最後は全部OK判定になり失敗。

あすけんも試してみたが、指示に従うと太る始末。三ヶ月で失敗。

 

で、一冊の本を見つける。「トロント最高の医師が教える世界最新の太らないカラダ」(ジェイソンファン著)。

断食しろ、というのが本の結論

コロナ禍で、同僚と外出して昼夜を一緒に食べる習慣がなくなったことをきっかけに、毎週月曜日だけは断食することにした。

 

やってみると、めまいがするし気分はあんまり良くない。

しかし、少々飯を食わなくても死にはしないというのが発見だった。

一食抜くことに罪悪感を覚える必要はないのではと思い始め、

飯を抜く回数を増やしてみて、気分が悪くなるとペースを緩め調整。

 

で、現在は下記のような食事生活

【月・水・金】朝:バターコーヒー1杯+ホット豆乳(成分無調整)1杯 昼:バナナ1本 夜:豆乳2杯

【火・木・土】朝夜:味玉 ヨーグルト キムチ 納豆 バナナ バターコーヒー ホット豆乳 昼:バナナ

【日】食欲大爆発の日

サプリマルチビタミンのやつ。

間食はコンビニポテチチョコナッツ飴ちゃん炭酸水

酒はウィスキーハイボールのみ。

旅行でたらふく食った時は、伊豆かにあるファスティングホテルにこもってリカバリ

朝は起きがけに体重体脂肪率を計測しアプリに記録。

睡眠時間残業がキツくても7時間確保。

運動ダイエットのためではなく、健康のためにお散歩、もしくはYoutube見ながらHIITやボクササイズ

 

で、1kg/月のペースで体重が落ち始め、3年で35kg減り大学生当時の体重に戻る。肝機能の数値も正常値まで改善した。

ただ、赤血球の数が減少し献血に行けなくなった点と、最近減量のペースが落ちていることが問題

間食を止めないといけないのは分かるが、どうしても手が出てしまう。

たぶん体質的ダイエットは一生続けないといけないので、70kg目指して現在試行錯誤中。

 

ある程度減量できたら結婚相談所に行って婚活するつもりだったが、

そもそも人生パートナー必要なのか?と頭からはてなが生えてきた今日この頃

ダイエットの次は、人と一緒に生きたいと思える本を探しに行かないとなあ。

2023-10-03

anond:20231002012858

簡単だろって著者が考えてるときに「自明」って言うらしい(先に紹介した定理証明から明らかでしょって場合もある)。

もちろん学徒であれば勉強してそれを「自明」にしろってのは正しいと思う。

でも自分で学んで「こういうロジック自明なんだな」って出した思考過程が著者の思ってたんと違かったときに、完全にコミュニケーション崩壊する。

あと、書く側の一人が手間かけるだけでそれを「読む何百人」もが分かりやすくなる。

さらには「読む何百人」が「数千人」くらいにはなると思う。門戸が開くので。

https://math-fun.net/20190605/1404/

https://note.com/taketo1024/n/n32238ea13a41

(1) まずは紙面の都合があります。文中の主張を全て細部まで示していたら、一冊の本がとんでもなく分厚くなってしまますさらに深刻なのは、それをすると 議論の大筋 が掴みにくくなってしまうことです。

まじで「余白が足りない」とかいうケースがあるっぽいので、それは折り畳んだり、別ページにまとめてリンク貼ったりすればいいのになとは思う。それなら本文の文字数には影響しないので。

2023-09-12

basic number theoryかい一年に100ページ理解できればいい方という数学書があるそうだが

これって1日何時間読むのに当てる想定で言ってるのかまず分からない。受験生がよく18時間勉強してるとか言ってるけどそれぐらいのペースを想定してるなら、それこそこの一冊の本全部理解するだけでに司法試験合格レベル勉強時間を要することのなってしまう。それでもまだ数学者としてやっと一人前になった程度でスタートを切ったレベルって感じなんだろ。

となれば数学者って弁護士より勉強してるはずなのに全然弁護士より頭いいとか意識的には思われてないよね。言われてみればそう思うと納得する人はいるだろうけど。

2023-08-25

増田芸能人以下

芸能人が本を出すときゴーストライターに描かせるということがあるが、それだから芸能人文章力はさぞ私よりも低かろうと思ってる増田もいるだろう。

しか増田に出されるような乱脈極まりないお気持ち長文ぐらいなら多分芸能人も書ける。そんなんでは出版物としては耐えないかゴーストライターに頼んでるんだろう。自分文章力があると思ってるお気持ち長文家に問いたい。お前の今までの投稿をもし一冊の本にまとめてみたとして誰かの読書家の本棚に並べられてるところが違和感なく想像できるか?想像上でも明らかにそれだけ浮いてるようで違和感満載に違いない

こんな文章を公開しちゃうかどうかの境目には、ゴーストライターに頼むような芸能人なら持ってるは恥のブレーキあるかないかだと思う。

2023-07-17

宮崎駿君たちはどう生きるか」の検証にもならない独り言/ジブリ映画感想レビュー

大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋普通に並んでる様な文化人解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。

さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。

ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨投稿をしている人は何人もいた。

果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。

特にメモをとってわけでもないので、ディテール齟齬がある部分は勘弁いただきたい。

1、話の骨子

真人空襲(?)で母親を失くす

その後、母親の妹が新しい母親となり、母親実家疎開(?)をする

亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親真人は心を開けない

金持ち仕草抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMA能力があったため圧倒する

帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う

亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2

その後成長した少年は新しく生まれた弟と家族と共に東京に戻る

ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。

2、おしいれのぼうけんなのか否か

いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。

今回は後者の説をとらせて貰いたい。

真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。

この原著小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので

あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤かに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙である

うっすら覚えている内容も、格差によるキャズム父親金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。

聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由言論活動抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学見出したようだ。

吉野源三郎ニーチェの対比については東洋哲学視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。

そういった意味では吉野源三郎日本ニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。

なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。

3、これは大事ものから

庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事ものから」と新しい建築物で囲った。

ここで思い出すのは聖書の一節である

「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。

健全なる精神健全なる身体に宿れかし」

と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。

さておき。この大叔父の言っている「これは大事ものから」は絶対的価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したもの戦前、戦中に世に溢れていた「常識なのだろう。

この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観真人少年に届けることに成功する。

✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合はいくつかの齟齬生まれる。

4、アオサギの指すもの

本作でトリックスターとして描かれるアオサギ古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。

混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。

全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!

という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。

敵か味方か、友人かわからない存在

見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在相対的価値観象徴としてこの上ない。

ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。

アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者キリストとしても解釈をされている。相対的価値観象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。

嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるものスタンスでその答えが変わるだろうアオサギトリックスターに据えたのは、アオサギ不死鳥火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?

5、ペリカン反戦

わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。

出雲大社をはじめ、神道結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎新婦螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。

この「螺旋」という存在は、永劫回帰もつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのもの平等に無価値で、それぞれが相対的価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。

下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。

ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人であるアウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿フラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルメタファーではないだろうか。

ペリカン第二次世界大戦でも輸送機爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である

6、インコがよくわからない。

インコ軍団の描かれかたは、当時の日本軍部の急進派やポピュリズム扇動された国民イメージとさせる。

ところが、インコアオサギペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。

あえて言えば、ポピュリズム扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。

これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。

1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。

何故、インコなのかは本当にわからない。

まとめ

本作は極めてシンプル構成少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本バックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。

ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやす理解が困難であるところが極めてわかりやすい。

現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカ宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的宮崎駿である

なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念しかないだろう。

よっぽど忙しい人や、ジブリ宮崎駿が嫌いな人も最初10分で良いから見てほしい。

そんな狂気に溢れた作品であった。

おまけ 

昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。

宮崎駿引退するまでに一回で良いか柏葉幸子作品監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。

2023-07-08

残りの人生を考えるともうスマホゲーは遊べない

10年ぐらい前の俺「新作出てるしちょっと除いてクソゲーだったらツイッターブログ馬鹿にしたろ笑」

しかった。でも今はもう出来ない。そんなことしてる時間なんて感じられない。

最近良く読んでる漫画フラジャイル。癌と戦う医者たちの漫画宮崎先生カワイイけど俺はヤング火箱が一番好き。

若くして癌になる人も多い。それは回避できたけど中年になったらもっと安心できない。

会社で毎年やる健康診断。そこまでして見つけなきゃいけない癌の恐怖。

◯年生存率という死を前提としたワード。俺もいつか出会ってしまうんだろうな。

しかしたらもう既に身体の何処かに細胞がいて、血を吐いたあとで半年生存率◯%と告げられるのかも知れない。

それならもうスマホゲーなんてやってる場合じゃない。

ゼルダをやらなきゃ。アーマード・コアも。ドラクエはどこまで追う?思い切ってディアボロも始めるか?スレスパって面白いの?

なんかもう色んなことで焦ってしまうのでゲームなんてやってる場合じゃないかも。

でも趣味練習していよいよ上手くなってきたぞで癌が見つかったら俺はキレてナイフを振り回してしまうんじゃないか

からひとまず短く終わるものからだ。

長くてつまらないものに付き合っている時間はない。

人生マジで短い。今やっとわかってきた。親戚がみんな70まで生きたけど俺はそこまでいけるか分からない。

そもそも70までで数えてもやること多すぎて余裕ってそんなないじゃん。

人生怖すぎる。マッチ箱のように繊細で一冊の本のように薄っぺらいと誰かが言ってたな。混ざってるな。検索してる時間さえ今は惜しいからお前たちが代わりに調べてくれ

2023-07-06

一冊の本読むのもたいへんなのに

政治家になったらいろんな書類に目を通さなきゃいけなくて大変なんだろうな

2023-06-26

夢をかなえるゾウ」に関するツイートについて

この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます

公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文普通に読みたい。




勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。

発端と一連のツイート

https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

長いので要点まとめをしました。

この時点で既に長いですが、この下に本文があります

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1.筆者の思うツイート主の問題点

「公」と「私」の視点および言葉遣いの混同

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2.「公」における良書主義について

ツイ主の考え方は所謂「良書主義」であり、

公の場では良書主義否定されている。

公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨言論統制思想弾圧に繋がる。

民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。

また歴史的に見ても、本と人間(思想信条)は密接に紐づいており、

公の姿勢としてその部分が守られているため、

特定の本を否定することで人格否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。

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3.「私」における良書主義について

私の場では(各個人における)良書主義は認められている。

公の立場からしても、本来良書・悪書判断個人に委ねられるべきとされている。

ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、

私人立場から私人言葉特定の本を肯定否定すれば、

当然、他人から私人立場から私人言葉反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である

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4.「公」と「私」の混同

マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である

大学指導を受けている文学研究者は「公」の立場である

前述の通り、私人立場で、私人言葉を使ったことが発端だが、

途中から研究者批評研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。

公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。

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余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?

いない。

公の立場では「全ての本は平等」に過ぎず、

私の立場では「全ての本は平等ではない」。

--------------

5.今回のまとめ

「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。

反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である

また、その二つの視点は明確に区別しなければならず、

研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等視点で、相応しい言葉論理的批評しなければならない。

あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人意見に留めたほうが無難

個人的には発端のツイートの内容はあくま私的意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。

ただし、途中で研究者という公的立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。

ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。




ここから本文

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1.筆者の思うツイート主の問題点

ツイート主のツイート及び意識問題点として以下がある。

・「公」と「私」の視点及び言葉遣いの混同

本人がこの視点区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。

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2.「公」における良書主義について

まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。

コレはざっくり言うと、

"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である

ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである

そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。

「公」の最たる例が図書館(※1)である

"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。

大筋は以下。

①「こういった内容の図書図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った

クレームを受けた一部図書館が該当の図書閉架=職員の出納が必要場所に置いたり、除籍とした

図書館対応として正しいのか議論が起こった

論点としては、

公的自治体である図書館が、特定出版物市民の目に入らないように検閲排除するのは正しいのか

・それは言論弾圧に繋がり、思想信条自由に反するのではないか

といったものである

議論の中、多くの図書館ではこの絶歌特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。

この対応は良書主義への抵抗であり、

"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"

という姿勢を強く示したものである

民主主義に端を発する図書館歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。

「公」においては、良書も悪書もあってはならない。

図書館ひいては司書職の人間私的判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的タブーである。(※2)

また、この対応からも分かるように、本というもの個人思想信条人格と密接に紐付けられて考えられている。

一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である

二次戦前夜のドイツ焚書に対するハイネ言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。

「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定否定することは、その本に書かれた思想およびその思想同調する人を肯定否定していることになる。

からこそ、良書主義言論統制思想弾圧に繋がるとして廃れていった。

ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である

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3.「私」における良書主義について

前述の通り、評価は「私」に委ねられる。

司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である

ツイート主の発言に戻ると、

本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である

マッチングアプリをしている私人としての発言しかない。自由である

そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である

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4.「公」と「私」の混同

問題はその後だ。

自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。

研究者言わずもがな公の存在である学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。

批評研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。

しょうもない薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)

研究者は、特定の作者・文書研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。

(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)

それが「公」における平等である

公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。

指導教員に聞いてみてほしいが、以下のように言われるはずだ。

個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」

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余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?

これはハッキリ言うが、いない。

公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。

私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。

ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、

好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場から意見に過ぎない。

また途中から研究者立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。

何度も言うが「私」の立場からであれば自由自然健全である

ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言自由範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)

--------------

5.今回の件のまとめ

ツイート主は「私」の立場で「私」の言葉を使い、

特定の本およびその本を好む人を選別・選民したために、

「私」の立場から「私」の言葉反論不快感の表明、揶揄が集まった

(自然な流れ)

これに尽きる。

「私」の言葉を使った時点で、「私」の言葉は集まってくる。

そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。

まり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。

研究者ポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である

研究者であろうが、ツイッター発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。

何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。

この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢理解していないと、研究者としては危険すぎる。

※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。

ただし、文書館および文書職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。

あくまでも歴史文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないかである

また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないかである


※2)近年ではCCC一般企業の参入、指定管理業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しか本来図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。

2023-05-29

anond:20230529141423

そらそもそもマンガとか小説って現実逃避のものだし、信仰自由は認められているか別にええんちゃう

一冊の本出会って幸せになる人もいれば、ならんやつもいるだけの話や

2023-05-28

手汗がすごい

手汗がすご過ぎて、一冊の本を読み終えることにはページが蒸気で蒸らしたみたいになってる

から、同じように手汗がすごい人は読書をどうしてるか真摯に教えてほしい

2023-03-27

技術世界って。どうこうが激しい。

パソコンハードウェア

ソフトウェアも。

プログミングも書き方変わるし。

エクセルでさえも。関数微妙に変わる。

人の心も移ろいゆくものだけど。

陽キャでもなく、スピードの速い作業が得意でもないと、メンタルも弱い人は、どうやって生き延びるか。

気になる私立文系の人が書いた本が気になる。

(それでもSQLには精通したITコンサルの人らしいが)

踏みとどまった。。。

流石に、アラフォー一冊の本を読んで行動が変わるとも言えないし。

どうしよう。

2023-03-11

人生のフィナーレを毎日求めてしま

いい加減疲れてきていてとにかく終わらせたくて仕方がない。

せめて第一章の終わりぐらいにはさっさとたどり着きたいと毎日思っている。

じゃあ適当な所で人生を区切ればいいじゃないかと周りは思うだろうが、今の状態でどこから切ってもバットエンドにしかならない。

人生の中でとりあえずいい感じにゴールした瞬間がなさすぎる。

例えばスポーツ地方大会なり読書感想文コンクールなりでもいいから一度でも一位になれば「とりあえずそこまでの集大成が出た」で一度切り上げられる。

そう言えるようなものが一つもない。

おそらく多くの人がこういう感情を何処かで抱いているから、壮大な結婚式なんかをやって「自分たち人生は一度は高い山に登りましたよ」とアピールしたがるのだろう。

誰に向けるでもなく自分に対して第一部の完了を告げたいのだ。

実際問題として30年もダラダラと終わらない敗北の物語をしているのはしんどすぎる。

そういうものだと人生を割り切るには多くの物語を浴びせられ続けてしまった。

自分人生一冊の本のように眺める癖がついて、自分主人公なのだと思ってしまう。

負け犬として転がり落ちるだけで終わる物語なんて創作プロが手掛けるものであり素人がやるのは得てして安易ハッピーエンドだ。

自分自分人生を綴るときにもそれは同じで、大抵の人間ハッピーエンドにならなければ成立しないような物語として自分のこれまでを自分に書き込んでいってしまう。

だが訪れなかった。

受験就活趣味仕事も、ダラダラとした惰性の中で妥協を繰り返して、世間が作り上げてきたものの落ち穂拾いで何とか食いつなぐようなことばかりしている。

なんのゴールもない。

成果もない。

ひとまずのエンディングとしてスタッフロール差し込んでしまえるタイミングがない。

バッドエンドだというにしたって、画面にゲームオーバーと表示してタイトルに戻すだけで、バッドエンドなりのスタッフロールさえ流せそうにもない。

その苦しさから逃れるために毎日のように人生にフィナーレを求めてしまう。

どうでもいいような物事に「この瞬間を迎えるために人生を生きてきたんだ」という感動を期待してしまう。

そんなハードルを乗り越えられるようなものなんて、自分が作り手として関わりもしないなら世の中にはないわけだから、当然のように全てはそれ未満の期待外れに終わる。

いい加減こんなことは辞めにしたい。

しんどすぎる。

2023-03-10

anond:20230310085540

性的消費や性的搾取定義が先にある言葉ではなくて現象が先にある言葉から

現在女性社会的ミーム広告メディア文化風俗その他、性的選択性的自由を軽視される人権軽視を受けているもの

イジメ定義に似てるよ

どこからセクハラで何がセクハラじゃないのか?どこからパワハラで何がパワハラじゃないのか?どこからイジメで何がイジメじゃないのか?的な

イジメられてるという感覚的なもの定義するときのような


主体性人格を置き去りにして女体や性シンボルとして記号化が行われてる状況とでもいうのか

本人が望んだプライートな場などでの主体的性的自由」以外のケース、つまり本人が積極的に望まない場合性的に扱われないことを当然に期待できる人格尊厳毀損のこと

本人に悟られないようエロい目で内心見てしまうのは「人を性的に扱う」ではないが、言動として外に出したら「人を性的に扱う」となる

公共の場や望まない場で「性的客体化」を拒む自由、「記号化」されて女性性を扱われない自由というかな

主体×主体としての性ではなく、女性一方的に鑑賞・評価嗜好品等として性的充足のために扱われる客体化されることでの性的自由侵害のこと

ワイは堅い説明ばかりしちゃうタチなので分かりにくかったらすまん。柔らかい説明は他の人に聞いてくれ。

アンチフェミって低学歴なこと多いので理解力なくて何度説明しても分からんやつばかりで説明疲れたから面倒くさくなってフェミニストさんはみんな説明しやんのやろ、、多分、、、


「望んでAVにでてる女はいない」という主張の具体的意味は次のものが思いつくな。実際そのフェミニストがどの意味で言ってるかは不明だが。

AV業者大人たちが複数人でまだ社会常識のない20歳などの子供を囲って断りにくい雰囲気契約書にサインさせて、もしくはホストスカウトグルでなかば洗脳的にAVに堕としてるパターンのことを指してる

AVスカウト常套句「バレない・○○には載らないから出てこない・あとで消せるよ」などを騙してると呼称してるケース

AV女優に結構いるらしい、軽度知的障害者などを言いくるめているパターンのこと

女性経済的に困窮させる経済的差別をしながら生活保護課では風俗を勧める一連の流れを指してる

・自ら望んでAVに出演した女性保護必要としないので例外としてそもそも話題の中に入ってないケース

AV女優や風俗カジュアル化させて気軽で大したことがないかのような雰囲気作りを随所で行ってることを子供を騙してると呼称してるケース

風俗斡旋業者の羽振りの良さや借りただけのブランド品等を使った営業を騙してると呼称してるケース

日本性教育人権教育の乏しさからくる権利意識自尊心の乏しさを指して男(政治家)が認識を捻じ曲げて正常な判断能力を奪ってると呼称してるケース

AV界隈が性犯罪者やアウトな人物を起用した真っ黒運営も行ってきたにもかかわらず自浄なくそのままそれらを擁してるにも関わらずキラキラプレ芸能界的な皮を被ることを指して騙してると呼ぶケース

・取り返しがつかないリスクの極めて大きな企業個人契約であるため、未だ十分な個人権利保護法整備がなされてないという意味で使われてるケース

日本社会全体の性的搾取を大したことない・よく分からないとして軽視した風潮そのものに影響された性的搾取に過剰適応している女性のことをそう呼んでるケース

まだあるかもしれん。かならずしもそのフェミニストさんが合ってるか間違ってるかは分からん所詮は市位の有志なので女性学の専門家というわけでもないなら全ての人が必ずあってるわけじゃないからな

正しいことを言ってるフェミニストさんだけ支持したらええよ

増田が大体間違ってる人の集まりなのと同じ

パッと思いつくのはこんな感じかな。分かりやすいといいのだが。長くてすまんな。フェミニストも個人が毎回一つ一つ説明しきれないのかもな。

まあこれだけで多分一冊の本が出るレベルなんで、詳しく気になったらフェミニズムの本を色々読んでみることをお勧めするよ。これから社会平和には必要だよ。

2023-03-01

校閲は何をしているのか

先日ホットエントリに入っていたブログエントリColorful Pieces of Game『書籍ゲーム歴史」について(5)』にて、

校正校閲はいったい何をしていたのか」

との言及があった(現在修正済)ので、校閲業界では若輩者の私ですが、書籍制作において「校閲は何をしているのか」を少しばかり紹介しておこうと思い立ちました。

まず前提としてご理解頂きたいのは、一冊の本が世に出るまでには様々な工程を経るわけですが、その中で校閲が関わるのは「かなり後のほう」という点です。

書籍制作において最も時間を要するのは「筆者が原稿を完成させるまで」、次いで「社内の了承を得て刊行が決まるまで」のプロセスだと思われますが、校閲の出番は更にその後です。通常、校閲ゲラが回ってくる段階では既に発売日・刊行部数etc.が決定しており、余程の(筆者都合の)問題でも起きない限り(*1)動きません。つまり、「企画に無理がある」「内容がおかしい」といった理由刊行を延期ないし撤回させる権限は、そもそも校閲には無いわけです。

校閲者でもフリーランスなら「降りる」という選択可能ではありますが、企業所属している場合だと、誰かが作業を引き受けざるを得ません。こうなると、多くの場合は「誤字・脱字etc.のチェック、および最低限(=具体的には固有名詞・年月日etc.)の事実確認のみ行う」という対応となります

ファクトチェック」という言葉も指す内容が広いのですが、最優先でチェックすべきは、前述したように固有名詞・年月日etc.です。その次に、筆者の行った引用・要約etc.確認作業(*2)が来るのですが、その際に「筆者の主張は妥当か」という評価を下すことは、校閲権限を超えています(*3)。

そもそも筆者は誰よりもその分野に詳しいから本を書いているのであって、その内容を筆者以上の緻密さでチェックできる人間は、論理的には存在しないはず。そして、筆者の主張を世に出すことが妥当ないし有意義だと編集者・版元が判断たから、企画として動いているわけです。こうしたことを踏まえれば、校閲者の有する権限編集者に比べるとかなり限定的ものに過ぎないこともお分かり頂けるかと存じます。言い換えますと、筆者・編集者が「内容はグダグダでも構わない」と開き直っている場合校閲抵抗する余地はありません。結果として事実誤認オンパレードと化した本が世に出てしまった場合、その咎は筆者と編集者が負うべきである、と一介の校閲者としては考えます

また、「チェックしようがない事柄」も存在します。例えば、筆者が行ったインタビューを基に書かれた原稿ですと、発言内容の真偽(*4)、あるいは遡って「本当にインタビューは行われたのか」を問うても意味がありません。また、専門的あるいはマニアックな内容(*5)だとか、そもそも記録が残っていないために手も足も出ないという例も、ままあります

最近ですと、漫画アニメゲーム音楽etc.に関する記述・論評をチェックしたい場合に、「信頼の置けるデータベースが見当たらない」という問題もあります。有名なシーンやトピックなら各所で言及されている場合もあるにせよ、本来なら現物を取り寄せて実際に確認するのが望ましいのでしょうが、実際の校閲作業でそんなことをしているわけにも参りません。最終的には筆者を信用せざるを得ず、どうにも頭の痛い問題です。

ついでながら、校閲を通す場合金銭的なコストにも触れておきます

例えば物議を醸した『日本国紀』の場合一般的相場ですと、素読み(=ファクトチェックは行わず、誤字・脱字etc.のみ指摘する場合)は初校なら15万円程度、再校で10万円程度(*6)。更にファクトチェックも求められた場合、かかった時間に応じて別立てで請求することが多いのですが、作業可能時間刊行スケジュールに制約されることを考慮すると、20万円程度が上限かと思われます。当然ながら「作業量を考えると、この日程(or支払額)では無理」ということもあるわけで、そういう場合は「できる範囲確認作業は行うが、手が回らなかった部分は、ともかく著者を信用する」という対応も起こり得ます

気の利いた編集者ですと、先回りして「ファクトチェック不要です」と言ってくれることもあるのですが、実際には「ツッコミどころが多過ぎることを編集者自覚しているが、それを筆者との間で摺り合わせる時間も気力も無い」だけじゃないのか?と、一介の校閲者として邪推したくなることはあります。『ゲーム歴史』の制作進行は、どんな感じだったんですかね。

ともあれ校閲者としましては、単純な誤変換の見落としetc.の指摘に関してはひたすら恥じ入るばかりですが、「文章破綻している」「内容が間違いだらけ」といったレベルのご批判でしたら、できれば筆者か版元へ向けて頂きたいと願う次第です。

(*1)個人的経験した中で最もアツかったのは「筆者の不祥事新聞沙汰になりました)が発覚して、既に校閲済=刊行間近の新書企画が飛んだ」という事例です。誤訳の指摘も含めて、ファクトチェック、すげえ頑張ったのに……。

(*2)挙げられている資料アクセス困難で詰む事例は珍しくありませんが、中には筆者自ら資料を開示して「引用や要約が適切か確認してほしい」と依頼してくる例もあります。そういう場合は当然ながら、校閲者が責任を持って作業に当たることになります

(*3)もっとも「前段と後段で主張が食い違うのでは?」といった指摘は起こり得ます

(*4)無論、明白な事実誤認記憶違い、言い間違いと思しき例など)が含まれていれば、その旨は指摘します。

(*5)とりあえずネット上で検索を試みたものの、ほとんど筆者自身による論文しかヒットしない、という事例は実際に経験しました。

(*6)ここを著者と編集者校正することにしてしまえば多少ともコスト圧縮できるわけですが、その結果どうなるかというと……

2023-02-23

救う本を教えてほしい

今「高齢者集団自決」とか「colabo問題」などあるが、この頃炎上させる気持ち分からんでもないけど、その力を少しだけ救う方向に転換してみてはどうだろうと思っている

じゃぁその中にいる高齢者達をどう救うのか

成田さんはよく『老人は自害』と言ってるじゃないですか?老人は実際日本から退散した方が良いと思うんですよ。老人が自動でいなくなるシステムはどうやって作ります?」

みたいなことを考えて、その答えにのっかるような発言をされた小学生とどう接していいのか

暴力虐待などの被害を受けた若年女性をどう救うのかとか、

他の方向へ考えることの方が必要だとは思った。

しかし、どうしたらいいのか今私には解決する力はないのだが。

誰かそういう本や漫画とか映画等あったら教えて欲しい。

ちなみにウィリアムマッカスキルの『〈効果的な利他的主義宣言善意活動への科学アプローチ』は持っていて、物凄くさらっと読んで、日本赤十字社のトルコシリア地震救援金に5000円払い初めて自ら寄付というものをした。

払った最初は高揚感?みたいなものがあった。

しかしその後、このお金ビックマックいくつ食べれたんだろう…とかいう『シンドラーのリスト』の中のシンドラーが、私の心の中では反シンドラーという現象(誰かこの現象を上手く名付けてほしい)が起こっていた。

まぁ今はどんどん現状がひどくなっているようなので多分良かったんだろうと思っている。

他には献血とかも行った方がいいのかなとか考えてたりする。ただ針が怖いのでちょっと躊躇しているが。

やっぱ、グラフとかデータとかで貧困国の状況とか比較であらわせられても、自分時間お金に少し余裕がないとなかなか、行動するのは難しそうだし、まずやっぱり国内から救った方がいい思ってしまった。

多分分かってない部分がかなり多いので、あとでじっくり読んでみようとはしている。

この後の文章

私がこの問題炎上するであろう理由

安楽死に対する考え

私の現在状況が書かれている。

興味のある方は読んで欲しい。




炎上する理由

高齢者集団自決」でいうと、

T4作戦を実行したナチスドイツ総統ヒトラー現代タイムスリップして世論を動かしていく『帰ってきたヒトラー』とか

高齢者安楽死政府が上手く推奨させる『PLAN75』や、

実際歴史はあってるのかよく分からないけど、物語の中では軍の命令で、戦って手や足がなくなったり動けなくなったりした重症人達に毒を飲ませたり、刃物自決したりする、『激動の昭和史 沖縄決戦』

を見てたのでさすがに怖くなって、あなた安楽死について考えてほしいなんて言われたくないし、どうせメディア視聴率再生回数のためにTVネットで出してんだろうとは思う。

「colabo問題はいろんなのが絡んでて実際よく分からんが、不正税金使ったり、叩き合ってるイメージしかない。名誉棄損的なものが互いにあって、怖いし苛立ってるんだろうなとは時々思う。訴えたりするのも仕方がないのだろうが、その集めたお金で一体何人救えるのだろうとは思った。



安楽死については

カルト問題ちょっと興味をしめし始めた頃、『世界』の2022年12月号を買ったのだが、ちょうど『安楽死を遂げるまで』や『安楽死を遂げた日本人』を執筆した宮下洋一氏のルポが載っていた。フランス巨匠ゴダール監督安楽死について書かれている。

最後にこんな文章がある。

安楽死容認国では今、「死にたいと」思わせる社会に潜む問題解決よりも、その意図に反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追い付くには、まだ時間が足りないのかもしれない。

フランス映画『すべてうまくいきますように』を見た。

『PLAN75』とはちょっと違った目線から見る、もし現代自分家族安楽死を願ったら?というのがテーマで、主人公父親脳卒中回復を少しずつしているのにも関わらず、死を願う。というのがあらすじ

この映画宮下氏は

家族安楽死をしたいと言ったら?

終末期でなく、まだ生きる望みがあるならば?

死を個人権利ととらえる欧米社会

価値観を異にする日本は、彼ら親子のような決断を下せるのか。

尊厳ある命」とは一体何なのか…。

コメントしている

見た感想としては、まずこの親子関係複雑だし、抗うつ薬みたいなの飲んでるし、その精神的なもの回復できることはできなかったんだろうかと思った。何がどう回復なのかは分かってないのかもしれないが。やっぱ価値観が違うんだろう。

私の場合自分の親が安楽死を願ったらどうするんだろうか。

まだ自分の親は認知症でも脳卒中でもないし、今聞く勇気もない。

主人公父親のようにあそこまで頑固でもないと思うし、病気になって回復してきたら少し気持ちが変わるかもしれない。

あとは、介護の大変さ。それにかかるお金

いろいろ考えると答えは出ない。

私の場合、おそらく個人尊重を優先してと思いながら親の安楽死を願ったとしても、必ずどこかでは自分介護負担が出てきて楽になりたいとう気持ちがどこかには少なからずあると考える。

もし今、日本政府安楽死法案を出すとしたら、本当に苦しんでいる人には悪いとは思うけど、私は反対する。

今回の問題発言もそうだし、それに賛同する人達や、笑っている人達、や政治家たちの失言を見ると優生思想が強すぎると感じる。



私の現在状況

40代独身

統合失調症精神障害者2級であり、手帳も持っている。

そして、今は障害者雇用で週5日4時間の清掃員をしている。

給料障害基礎年金を合わせて実家生活

前までは就労継続支援B型事業所で約3年ほど働いていた。

給料B型よりも格段と良くなった。

その時のB型事業所は、月曜日から金曜日10時~16時(昼休憩45分)で給料は平均して月1万5千円くらい。

今の給料は平均して月7万円くらい。

障害基礎年金は2か月に1回の12万9千円ほど。

家賃は3万ほど出している。

今、年金は払っていない。

国民健康保険扶養で親に払ってもらっている。

まだ私は親がいる分、生活は楽な方だとは思っている。

貯金は300万ほどある。

だが、今後の生活不安はかなりある

もう遅いのか、NISAとか考えた方がいいのだろうかと最近思う。

病気になるまでは派遣仕事転々としていた。

発症原因はあまり教えたくないので、ここには書かないことにする


普段母親の部屋で洗濯物を取り入れて畳んでいるのだが机の上に、一冊の本カバーを裏側にして置いてあった。

なんだろうと思い、カバーを取ったら『老い品格』という本だった。

中の目次さっと見たら、良い老人であろう的な感じがした。

まぁ品格って書いてあるし、そうなんだろう。

これを見て思い出したのが、テレビでやっていた『月曜から夜ふかし』の"通りすぎる人全員に会釈するおばあちゃん”の回である

ある女性がその行為不思議がって調べてほしいと投稿した話なのだが、そのおばあちゃん理由が感動というよりも、そこまでさせないといけない社会なんだなと思ったし、私たちもそういう風になるのかもしれないと少し怖くなってしまった。その理由は興味があれば調べてほしい。

私は母親とうまくいっておらず、会話はほとんどない。なので何を考えているのかよく分かっていないのだが、そんな感じでとりあえずこの本をkindleで買うことにした。そして最優先にこれを読もうと思う。

ついでに、映画『生きる LIVING』のパンフレットも置いてあった。

まぁ母親と話せば済む話なのだが。それができないのが私のダメなところである


どこで働いているか判明されるかもしれないので、分かりにくく書くが、清掃作業をするととある消耗品が毎回なくなるのだが、それを注文するたびに一枚の絵ハガキが入っている。

その絵は私にとっては上手くはない。おそらく障害者が描いたであろうと思われる。

初めはその絵ハガキを清掃道具入れにためていた。捨てると罪悪感がある気がしたのもあったし、以前ここで障害者雇用として働いていた人がずっとそうしていたのもある。

その後一旦その清掃道具入れを整理してほしいと補助役の人に言われたので、このたまった絵ハガキはどうしようか相談し、申し訳ない感じもするが捨てようということになった。

それから少し経って、相変わらずその新しく入ってきたその消耗品の中には、絵ハガキが入っている。ふとなぜこの絵ハガキは入っているのだろうと疑問に思い、その意図は分かってはいないが、私としては「絵は描けます」というメッセージみたいなのを受け取った。

もしこれが、障害者でなく高齢者だったらどうなんだろうとか、通院している精神病院に、病にかかっている人が作った、よく分からないパズルとか、ちょっと凝った折り紙だったりとか展示されているのを見るとあれは一体何なんだろうと不思議だったが、これも実際意図は分からないが、この社会にいる存在を表しているのではないのかと思うようになった。

その後、私はこの上手くはない絵ハガキをなんとなく家に持って帰っていて、本当に何かの緊急事態が起こった場合以外は捨てずにためることにしている。

その消耗品会社が分かった人は、変な人が絡むと嫌なので黙っていてほしい。

終わり

2022-12-17

自己啓発本って

なんか同じような事ばっかり書いてあるんだけど、

 

これって、今まで読んだ本20冊ぐらいを、1/20ずつぐらいまとめて一冊の本にして響くタイトルつけて読みはじめたら、

気づかないで読んでそうな気がする。

 

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