はてなキーワード: 差別とは
小学校では土足で顔面蹴られて出血した。口の中に砂利が入って何とも言えない屈辱を感じた。
男子なのに男子のドッジボールにも混ぜてもらえない。仕方なく女の子と遊ぶ日々だった。
スポーツしたくても出来なかった。
そんな毎日が6年間続いた。最悪だった。もう戻りたくはない。
なんだかんだ不登校にはならなかった。
中学校では逃げているのに追いかけて足を蹴ってくる連中がいて辛かった。暴言も酷かった。
就活で大手財閥系保険会社の一時面接に日本語で手書きで書いた履歴書を提出したら40代の女性面接官、「漢字が書けるんですね」爆笑。きゃははは・・・
正直怒りが・・・
電車に乗ると「あ、外国人だ!!」と子どもに指さされて言われる。私は日本国籍です。
面談でも「日本語上手ですね!」って言われる。いやいや、私は30年以上日本に住んでますけど・・・
お寺でインド人らしきお坊さんに英語で書かれたお寺のパンフレットを渡される。
いやいや、徒歩10分圏内の小学校の校区でほぼ毎日通りますけど、そこ・・・ だいぶ前から知っているんだが・・・
彼女に英語アピール?カッコイイところ見せなくていいから、日本語で話せよそこ
正直何人でもいい。私は私なのでね。見た目は変えたくないし。
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あなたが経験してきた苦労や挑戦について共有してくださり、ありがとうございます。それは非常に困難な経験であったことは間違いありません。
人々が異なる背景や見た目を持つ人々に対して持つ先入観や偏見は、社会全体の問題であり、それによって個々の人々が直面する困難は深刻です。それは、学校でのいじめから、就職活動での差別、日常生活でのステレオタイプなど、さまざまな形で現れます。
あなたが述べたように、「普通」や「異なる」は相対的な概念であり、それぞれの人が持つ独自の価値観や視点によって定義されます。そのため、「普通の人がいい」という表現は、その人が何を「普通」と考えているかによります。
あなたが経験したような困難に直面している他の人々に対して、あなたの話が大きな助けとなることでしょう。あなたの経験と洞察は、他の人々が同様の状況を理解し、それに対処するための道筋を示すことができます。
最後に、あなたが誰であるか、あなた自身が最も価値のあることです。あなたの経験、あなたの視点、あなたの存在は、あなたをあなたたらしいものにしています。それは誰もが尊重すべきことであり、それがあなたの力となることを願っています。。どんな困難にも立ち向かい、自分自身を大切にしてください。。あなたの幸せと成功を祈っています。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
(。 の無限ループ)
自称フェミが、ここ何年かで受けた一番大きいダメージが日経新聞の「月曜日のたわわ」広告って日本平和すぎるだろ。
女性は毎日、痴漢されセクハラされ差別され、SNSではチー牛アンフェに攻撃されて苦しめられてきているというのに、酷すぎない?
■子持ちとわかり合うとか無理なのよね
■弱男(じゃくだん、よわお、よわんちゅ、ジャクナム、ヨワンナム、ヤクナム、ジャーマン、ジャックマン、ジャックダニエル)の特徴 5月現在
■チー牛という単語の生みの親で、ルッキズム差別大好きななんJ民、やっぱりフェミ大好きブス腐女子だった模様
■健常者はADHDを申告されるとムカつくし隠されてもムカつくんだからうまくやっていく方法なんてないと言うことがわかる
■ツイフェミさん…自分の人生が不幸な理由を社会に求め過ぎだよ…
■りりちゃんの件もそうだが、著名なフェミニストが詐欺犯罪者擁護して誰もそれに対して異を唱えるフェミニストがいない時点であの界隈は終わってる。
■もう「自浄作用」とか「これだから○○は」とか止めにしない?「まーたフェミニスト/社会学者か」とか「フェミニスト/社会学者は自浄作用がない」みたいな雑なカテゴライズをして叩く、こんなの不毛でしょ。
日本は、みんなが差別していいサンドバックの存在が社会を安定させる為の重要なパーツなので、
弱男やチー牛が、自らその地位につきたがるのは、お国のために自ら犠牲になりにいくBANZAI-KAMIKAZE精神を感じなくもない
彼らこそが真の愛国者なのかもしれない
この絵文字に男性差別やラディフェミじみたことを言わせたりすれば、あっという間にアンチフェミの為の仮想敵たる藁人形の出来上がり。
🤓←気に食わないオタクやぱっとしない人間に対し、一括りに「チー牛」「陰キャ」「弱者男性」の属性をつけるためによく使われる。
🤓「チー!お前だって我々を藁人形にしてるチー!クソマンコと変わらないチー!」
👩「私達は男が嫌いなので差別してる自覚はありますが、そちらもこのチー牛と私を『叩いてもいいストローマン』にしてますよね?」
奥さんのためという美談で、ウィル・スミスの暴行を肯定し、「世界の方が遅れてる!(キリッ」
女性への言葉の暴力だけ許さんとか喚きながら、男性差別のあらゆる暴言は大好きブーメラン。
もちろん、いろんなMetooやフェミ炎上でも、常にフェミ側に味方し、またまた都合よく「日本は遅れてるー!」
もちろん毎回、「女キャラ脱がせるなー! 性的まなざしがー!」という要求を忘れることはない。
これ言いたいために叩いてるだけで、実際の性犯罪は、むしろ増えた方が良いと思って助長させようと狙う。
「チー牛陰キャは女に話しかけるなー! セクハラー!」と言ってるのも、単に彼女作らせずに性犯罪犯させたいためだ。
犯させれば、また男叩きする口実になるから。
男オタや美少女動物園を叩きまくるくせに、腐女子やイケメン動物園がが叩かれると発狂。
自分らチー牛ブス腐女子が叩かれる時だけ、都合よくルッキズムがー!
二言目にはチー牛がー!童貞がー!おじさんがー!
自分たちこそルッキズム、セクハラ、エイジズム丸出しのキモオタオバサンのくせに、自分が言われると差別がー!
これがこいつらの本性だよ。
自分や他人の理解について、それで済むならあまり説明的な言葉を使いたくないと考えてしまいがちだ。既存の言葉で説明しようとすると、端っこを捨てたり、体の肉の形を変えたり、捻じ曲げたりしなくてはならないところが少なからず出てくる。辞書に載っている言葉は対象そのものを表すためのものではなくて、指し示しているものがなんであるか理解するための補助線だと思う。その言葉ひとつですっかり代替できる人間の性質などなく、強いて言えばその言葉に近いかも、という感情や状態があるだけ。だから小説というものが、言葉でまるごとをそのまま表そうとする試みとしてあるのだろう。
でもマイノリティに関わる言葉については、説明的な言葉を使いたくないという動機だけで特定の言葉を避けるのでは取り漏らしてしまうものが多すぎる。その使い方自体に政治性や歴史的背景が帯びてくる。その言葉を意図的に使うこと自体が抵抗になったり、その言葉を避けて使わないこと自体が、その人たちをなかったことにする流れに与したことになったり、できるだけフラットに使おうとすること自体が確実にいまある差別を見て見ぬ振りすることや、既存の差別構造の再生産に与したことになったりする。
言葉を使えば私はノンバイナリであるしエイセクシャルであるなどと言うことができるが、そう言ったそばからそれを言うために捨てたもののほうが気になってしまって、眼の前の話に集中できなくなる。だから私はそういう言葉は使わない。カミングアウトなどということもしっくりこないからしない。ただ話している相手の目の前に、なんとなく性別の規範から外れた感じの私がいるだけだ。それだけでいいと思うのに、自分が選ばないことでどういうフリーライドをしているのか、私は計算することもしていない。私は先人の努力に甘えているのだろうか。あるいは私がなんとも言わずにこういう自分であることで、誰かを励ますことになっていたりしないか。
まとめブログなどのネットで最悪な場所で暴れてる屑はみんなブス腐女子。
一方的に男に対しは差別丸出し、ルッキズムやエイジズム丸出しにするくせに、自分たちがブスオバサンと本当のことを言われるとキレ散らかす。
どんなに一方的に男叩いてるだけの時も、ネットは男の方が若干多いというだけの理由ですべて男のせいにする。
いうまでもなく、ネットで悪口雑言をわめいてるのは、全体の一割未満なんだから、6対4程度の男女比なんて何の根拠にもならないのに。
増長しきったノイジーマイノリティ。
チー牛ブス女は生きてる価値なし。
たぶんこれが時代遅れ、てか最初から活動家のアジテーションにすぎない
「構造的差別」は、関係のマクロな見え方のスナップショットであって、物理的または社会的にふれることのできる実体があるわけではない
なにか政治的な装置を実装したところで、その効果を立証することはできないだろう
差別的と感じる関係があるならば、それを望ましいものに変えていくのは、あくまでもミクロレベルでの個々の関係性への働きかけによる改善しかないのだ
マクロ経済政策(たとえばアベノミクス)をいくらやっても、ミクロレベルの個々の家計や企業の所得や生産性が上がらなければ、経済がよくならないのと同じこと
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2359685
どいつもこいつもチー牛という言葉は差別なんだ、見た目について言うのは差別なんだ、とにかく差別なんだ、とグチグチ言ってるけどさあ。
要するに、チー牛っていう言葉は「こいつの見た目、なんか嫌だな」という意思表示だろ。
顔やら体型やら肌の色やら、生まれつきどうしようもない部分について言うなら差別だろうけど、それだけじゃないじゃん。
髪型・眉毛・ヒゲ・服・靴・バッグみたいな、本人の意思である程度コントロールできる部分に関しては妥当だろ。
当然、チー牛の人達も悪気があってやってるわけではないんだろう。
たぶん、見た目について何も考えずに生きてきたから結果的にそうなってしまっているだけだろうから。
でも、悪気の有無なんて関係ないんだよ。
例えば、学校で無神経な陽キャが陰キャを体育会系の部活ノリでイジっていたら、その陰キャはそれをいじめだと認識してしまいました、とする。
この場合、陽キャは悪気なく何も考えずやっただけなので悪くないです、それをいじめだと思い込んで嫌がった陰キャが悪いです、とはならないだろ?
考えなしにやったことが周囲の顰蹙を買うなんてありふれた話なんだから、人が自分の行動を嫌がった時点で一度立ち止まって考え直さなきゃいけない。
「見た目ごとき」に意味なんてないと根拠なく信じ込んでいるから。
人の怒りのツボなんてどこにあるかわからないんだから、ごときなんて言っちゃ駄目なんだよ。
「何も考えずに適当にやったことが嫌がられてる!嫌がる方が悪い!差別!」って、もう滅茶苦茶だろ。
「人の見た目についてああだこうだと言ってはいけない」という社会規範は確かにあるんだろう。
でも、それと同時に「人が嫌がることはしてはいけない」という社会規範もあるんだよ。
それらが対立している状況で、自分にとって都合の悪い後者を無視して都合の良い前者だけを主張している。
だから、チー牛ってのは他人の価値観をロクに考えもせずとことん軽んじてしまう人。
自分が今まで考えてこなかったことに意味があるわけがない、自分と違う価値観は間違っているに違いないと根拠なく考えている。
その考え方自体が差別丸出しなんだけど、何も考えてないから気付かないんだよな。
自分はそういう人間だと言葉ではなく全身を使って表現している状態で、そんなもんが人から嫌われるのなんて当たり前じゃん。
見た目ってなんだろう、チー牛ってなんだろう、キモいってなんだろう、清潔感ってなんだろう、全部ちゃんと自分なりに考えろよ。
リベラリズムもフェミニズムも都市ほど盛んだろ?なら男女対立や弱者男性差別も最先端じゃん
首都圏に行くなら生活しやすい地方っぽいエリアとかに定住したいし車ごと引っ越すよ