はてなキーワード: 食堂とは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
何となく、この特異な現象については、ぜひとも文章にしたいと思った。ここから下の文章は、妄想と憶測にのみ基づく、何の意味も無い文章である。
2ちゃんねるのアニキャラ個別板にて伸びつづけるエイラスレは、現時点において、ストライクウィッチーズのキャラスレの中で最も伸びているスレである。この文章を執筆している時点で96スレ目であり、2位のエーリカスレと比較しても倍以上伸びている計算である。なお、96スレ目は、現時点において歴代アニキャラスレッドのTop20に入る長さである(なお、1位は長門スレ、2位はマミスレであるが、この順位がひっくり返るのはもはや秒読み段階である)。
そんなアニキャラ個別板とはどのような板であるかというと、所定のキャラクターを愛してやまない住人が、いかにそのキャラクターを愛しているかを連綿と書き連ねる板である。板に存在するほぼすべてのスレッドにて、住人は、自分が愛してやまないキャラクターに対してああしたい!こうしたい!(だいたいは性的な仕打ち)と延々と書きつづけている。
しかし、エイラスレは違う。ひとたび「エイラさんをぺろぺろしたい」などと言おうものなら、息が途絶えるまで四方八方から袋叩きにされるであろう。住人はエイラさんが愛おしくて仕方がないが、それを満たすために自分が直接行動を起こすことは考えることすら許されない、タブーなのである。
なぜ、エイラスレだけこのような不思議な現象が発生しているのだろうか。それは、エイラさんの極めて特異なキャラクター性故なのである。
僭越ながらエイラさんの紹介をさせていただくと、彼女はアニメ「ストライクウィッチーズ」に登場するキャラクターである。
彼女はスオムス(フィンランド)から派遣された、スオムス軍の中でも最優秀のウィッチであり、その能力は派遣先の501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」の中でも卓越している。その優秀さは、被弾数ゼロという、前代未聞の記録が証明している。彼女の固有魔法であるところの「未来予知」…近未来が予測可能であるという恐るべき能力が、これを可能にしているのだ。
容姿も端麗であり(かっこよくキメたエイラさんはイケメン以外の何者でもない)、祖国スオムスには大勢のファンがいるという。15歳とはとても思えぬ活躍ぶりである。
ここだけを聞くと完璧な戦闘員のようにも聞こえるが、もちろんそれだけではない。一度しゃべりだすとぶっきら棒(あゆたボイスなのでむしろご褒美ですけど)、お風呂や食堂にて部隊の女の子に対してしょっちゅういたずらを仕掛ける(胸を触りまくっている)、好物は世界一不味い飴として有名なサルミアッキ…など、年相応に幼い面も残している。
ただし、部隊を思う気持ちは根底にあり、その優しさは簡単には揺るがない。つまるところ、エイラさんは「いろいろあるけど、なんだかんだ言って良い奴、見た目はイケメン美少女、中身は男子中学生」なのである。
補足になるが、エイラさんは祖国スオムスをこよなく愛しており、作中でもその愛国っぷりを堪能できる。基地にサウナを設置したり、前述の通りサルミアッキが好物だったり、サウナに妖精が住んでいると頑なに信じていたり、祖国の親友であるニパと親密に連絡を取り合っていたり…エイラさんは祖国のネタも絶えないのだ。
エイラさんについて語るにあたり、同じ501統合戦闘航空団に属するオラーシャ(ロシア)の隊員「サーニャ」の存在を欠くことはできない。エイラさんは、同性の女の子であるサーニャが好きで好きでしょうがないのだ!
ストライクウィッチーズという作品において、エイラさんがサーニャに対して好感を露にしている場面は、戦闘で大活躍する場面と比較しても圧倒的に多い。アニメが始まった直後はそれほどでもなかったが、気がついたらエイラさんはずっとサーニャのことを意識している、とても面白い女の子になっていた。
サーニャが自分に対して冷たく接していると、自分が何か嫌われるようなことをしたのではないかと、異常なまでに自分を責め立てる。サーニャに近寄る変な虫は、容赦なく追い払う!そして、サーニャがそばにいると、それだけでうれしい。サーニャが笑ってくれると、もっとうれしい。でも、サーニャが自分のことを嫌っていたら、どうしよう…
戦闘では完璧超人ぶりを見せていたエイラさんだが、サーニャに嫌われるのだけは怖くて仕方がない。未来を予知できる自分の能力も、「もしかしたらサーニャに嫌われているかもしれない」という杞憂から、恐ろしくてとても使えない。女の子1人に対してここまで骨抜きにされてしまうとは、どんだけ純情なんでしょう。
このエイラさんの性格に追い討ちをかけるように、意図的かそれとも偶然か、面白いことが行われた。あろうことか、エイラさんが怖くて仕方がない「サーニャのエイラに対する感情」の設定を、ブラしまくったのだ。高村監督の認識では「エイラ→サーニャはloveだが、サーニャからエイラには感情が伸びていない、伸びている先は宮藤だ」とあり、その一方で秘め声CDでは「エイラは特別な人です」としゃべっていたり、秘め録CDではサーニャに公開告白したエイラに対して特に否定も拒否もせず「バカ…」とつぶやくだけだったり、つまりサーニャがエイラをどう思っているかについては、公式の見解として信用に足るものが1つも無いという状態なのである。
サーニャがエイラのことを嫌いというわけではないことを除くと、何もハッキリしていない。となると、足りない部分は自分で補えばいいじゃないか!
…これが昨今のエイラーニャブームの諸事情である。エイラーニャにおいて、エイラの考えは一貫して「サーニャ好き!でも嫌われてたらどうしよう…」であり、これに対してサーニャの感情や、外的因子であるところのニパやエーリカが絡み合い、面白くて、見ているこっちが恥ずかしくなるような、まったく別の世界が構築されていく。これは、世界を構築する側としても、世界を堪能する側としても、楽しいものなのである。
誤解を恐れずに言えば、エイラスレは、エイラを自分の嫁だと言い張ったり、エイラが不幸になるような話しさえしなければ、何をやってもいいスレになっている。主な活動は、強気なことを言わせた直後にサーニャを投入して凹んでるけど嬉しそうなエイラさんを堪能したり、親友を取られまいと必死なニパさんに対してサーニャが格の違いを見せつけたり、フィンランドの話をしたり、サウナの妖精の話をしたり、新しく登場した抱き枕が思いっきりコレジャナイと議論したり、台詞はぶっきら棒なのに声が可愛くて別の世界に目覚めそうだと告白したり、エイラさん出撃しなさすぎですけどひょっとしてNEETですかと疑ってみたり…本当に何を話しても良いのだ。
基本的には、箱庭に入ったエイラさんにちょっかいを与えて楽しむ場である。いろいろいじってた後、最終的にはサーニャを投入することによって、エイラさんが幸せになれればそれでいいのだ。
他のキャラスレみたく、住人がみずからエイラさんをペロペロするよりも、サーニャを投入した方がエイラさんは幸せになれる。それならば、我々はエイラーニャが幸せそうにイチャイチャしているのを、陰から見守るだけの存在になろうではないか。エイラさんをペロペロしないのは、エイラさんを愛し、幸せを願っているからに他ならないのである。
この会社で勤めていると保険のおねーさんやおばさんからの勧誘がすごい。
そこまでやって人と物のコストが見合っているのかとすごく思う。
若い人はかわいいし。
ここからが本題。
この前保険のおばさんから個人年金の商品についてすごく熱心に勧誘された。
商品としてはよくあるもの。
60歳まで100万円入れてたら120万円を70歳になるまでの間に分割して返しますよ、ってやつ。
この勧誘ですごく疑問に思った。
その保険会社の人は
「一つの会社で」「定年まで」「絶対に」働き続けると考えていること。
正直どうかと思った。
昔はその考えで保険商品を開発して売れていたのかもしれない。
でも今の時代はどうだろう。
自分で考えると、今の会社に細かな不信感は積もってきているし、
その状態で絶対に、なんてことが言える訳がない。
こんなことを考えていると、その保険の人は
「実は○○課長から紹介されて」「同期の○○も入っている」「先輩の○○も入っている」
その考え方で大丈夫なのか。
働き方だって今変わっているし、他の人もやってるならという
よくある日本人らしい文言で「じゃあ自分も…」ってなると考えた営業なんだろうか。
入学前から教員の質なんかに思いを馳せていても仕方がない。外側から素人がわかるのは
歴史と実績があるところに実績と学歴がある教授が集まり、そうでないところにはそれなりであるということだけ。
東大にも授業がヘタクソな先生はいるし、Fランでも熱心な先生はいる。
この先生に学んで研究者になりたい、というのでもなければ教員、場合によっては研究分野すら考慮にいれる必要もない。
2:大学の選び方について
学びたい分野があるなら大学そのものより立地が大事。できるだけ都会にある大学を選べ。
都会の振りをして実は山の中だったりすると手に負えないから気をつけろ。
ド田舎の国公立よりは都会の私立の方が何かと便利なことが多い。当たり前だが。
食堂のメシがうまいかまずいか、というのは見かけ以上に効いてくる。
大学が学生にどれだけ金を出せるかというひとつのバロメーターでもあるからな。
西の方に来るなら馴染めない可能性はある程度考慮してほしいが、大学は多様性を歓迎するということもまた考えてほしい。
もちろん高ければ高いに越したことはないが、立地や雰囲気を捨ててまで偏差値2~3の違いを考慮に入れる必要はない。
あと見かけの偏差値に騙されるな。AOや推薦の入学者が多い私学は見かけより学生の教育レベルが低いこともある。
0:結局何が大切かというと、「一人暮らしをするかしないか」である
大学4年間で何をどのように学びたいかで大学を選ぶのもいいが、4年間は人間としての成長の時期でもある。
行きたい大学が実家から通えても、下宿したいならすればいいし、親が許さないなら通えない大学を希望しろ。
遠くの大学に受かったとしても、引きこもってしまい卒業できないリスクは思っている以上に大きい。
自分が一人で暮らすべきなのかどうかについてだけは、しっかりと考えてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20111008193000
「人の気持ちを考えろ」の「人の気持ち」は「一般常識」のことなんだ。普通は「うんこ」とか「おしっこ」とか言葉を聞けば、反射的にその物を想像してしまうので、相応しくない場所、例えば食堂で「うんこちんちん!」なんて叫ぶのは御法度なのだ。
だけど、世の中にはタブー視されているからこそやりたい奴とか、周りの人間にも想像力があるということが想像出来ない奴とか、いろいろいて、気取った店のテーブルクロスの陰でいちゃつくのが好きな人達だっているわけだ。そういった、個別の人間の気持ちを考えろと言われても困る。手がかりが極端に少なすぎる。だから無視。
「人の気持ちを考える人」は単に「一般的にはこう思うもんだ」ということを知っているに過ぎない。
おっとい嫁じょとはいわゆる略奪婚の慣習であり、「婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する」習慣のこと。
なぜか都市伝説扱いされることもあるが、実在した風習であり、昭和34年(1959年)に強姦致傷で男性が逮捕、有罪となったことから全国的に有名になった。
事件を契機に、おっとい嫁じょの習慣の存在、村を挙げて男性を無罪にすべく署名が集められたこと、弁護人も違法性の認識を欠き無罪である旨主張したことなどが大きく新聞等で報道されたためである。
昭和34年というと大昔のように思う人もいるかと思うが、同風習が昭和34年に廃れたとしても、これににより夫婦となった者はいまだ十分存命であると考えられる(若ければ70程度か)。
両親がおっとい嫁じょにより結ばれたという人も、50代40代にはいることだろう。
判旨を引用する。太線、■は増田。鹿児島地判昭和34年6月19日。
主 文
理 由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三十四年一月十五日頃、その義兄である■■■から早く婚姻するように勧められたので、被告人もその気になつて南に年頃の娘の紹介を依頼したところ、南の計らいで同月十九日鹿児島県肝属郡串良町細山田■千■百■十番地乙野次郎方において、同人の長女A子(当二十年)と会う機会を得たが、被告人は忽ち同女に想いを寄せるに至り、その場で同女に婚姻の申込をなしその後二回にわたつて同じ申込を繰り返えしたが、同月三十日には同女の兄B男を通じて右申込を拒絶された。然し、被告人はどうしても同女との婚姻を断念できないので、同女を強いて姦淫したうえ同女をして止むなく婚姻に同意させようと考え、同年二月五日■方において■、ならびに■■こと■■■■■と相談の末、翌六日同女が鹿屋市所在鹿屋職業安定所に行くのでその帰途を三名で待伏せて無理にでもハイヤーに乗せてどこかに連れて行き、更に婚姻の同意を求め、それでも応じないときは夜になつてどこか知人の家に連行し、被告人において同女を強いて姦淫することに計画を決め、翌六日午後零時過ぎ頃、被告人等三名は前記安定所附近において同女を待伏せ、同女を附近の食堂に連れ込んだうえ、再び婚姻に同意するように説得したが、同女に拒絶されたので、ここに、被告人等三名は前記計画を実行に移すべく意思を通じ、同日午後三時頃同市向江町■■医院先路上において被告人は前方より同女の手を引き、■、■■■等は後方より同女を押す等して同女を無理に前もつて被告人が誘導して来ていたタクシーに乗せたうえ囎唹郡大崎町方面に連行し、同町所在の食堂において時間をつぶした後、同女をその自宅に連れて帰ると欺いて再び同女をタクシーに乗せ、途中下車させてくれと懇願するにもかかわらず、タクシーの戸を押えて脱出を不能ならしめたうえ同日午後六時過頃、同女を肝属郡串良町有里■千■百■十■番■■■■■方に連れ込み同日午後十時頃、被告人は前記連行により極度に畏怖している右A子を同所四畳半の間において仰向けに押倒し右手で同女の両手を同女の頭の上方に押えつけ、足で同女の股を蹴る等の暴行を加えて完全に同女の反抗を抑圧したうえ二回にわたり強いて同女を姦淫したがその際同女に対し治療五日間を要する処女膜裂傷を負わせたものである。(証拡の標目)《略》(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第百八十一条第百七十七条第六十条に該当するので所定刑のうち有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二十一条を適用して未決勾留日数中三十日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は「被告人の住居地である串良町地方には婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する「おつとい嫁じよ」という慣習があり、右姦淫行為は一般に適法視されている。被告人も右慣習の存在により本件姦淫行為を適法行為と確信し、その違法性の認識を欠いていたから本件行為は、その故意を欠くものである。」旨主張するが、少なくとも本件の如き自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではないと解せられるのみならず被告人の当公廷における供述同じく検察官に対する供述調書によれば、被告人が右の如き慣習が反社会性を帯びるものであることの認識を有していたことが明らかであるから被告人は違法性の認識を有していたものと認むべきであり、弁護人の右主張は採用しがたい。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三十四年六月十九日
昭和34年に集団強姦罪はなく、強姦致傷罪の法定刑も今より軽い。なお、処女膜裂傷が強姦致傷に当たることは現在では確定判例(最決昭和34年10月28日刑集13巻11号3051項)である。
弁護人の主張、「自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではない」との判示については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%85%E6%84%8F、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%B3%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%AD%98など。現在では自然犯、法定犯の区別はぴんとこないかもしれないが。
上記判例より、おっとい嫁じょの慣習のあった地域は鹿児島県肝属郡串良町地方であることがわかる。
現在では、平成の大合併により、鹿児島県肝属郡串良町は鹿児島県鹿屋市の一部となっている。
しかしながらこの文章を書いているいま、私が検索したところでは、串良町地方とおっとい嫁じょを関連づける文献がインターネット上には存在しない。
なるほどおっとい嫁じょは現行刑法下では犯罪となるべき行為である。
しかしながら、我が国日本に古来より伝わる文化のひとつでもあり、これをなかったものとし徒に無視することはひとつ文化の損失であるといえる。
そこで、差し出がましいかと思ったが、串良町とおっとい嫁じょを関連づけるべく、本記事を書いた次第である。
失われゆく日本の文化が何らかの形で保存されることを切に願う。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110803/trd11080314240010-n1.htm
猛暑対策も韓流で ごちゃまぜ韓国デザート「パッピンス」が大人気
2011.8.3 14:18
韓国風かき氷の「パッピンス」。さまざまなフルーツが盛りつけられた「オールスター」の他に「ラズベリー」などがある=朝霞市西原の「韓国ハッピー食堂」
猛暑の今夏、一風変わった韓国デザート「パッピンス」が人気を集めている。細かく砕いた氷にアイスやフルーツをたっぷり乗せた、いわば韓国風かき氷。埼玉県内では朝霞市に本格的なパッピンスが味わえる店があり、見た目や味の楽しさで女性を中心に支持を集めている。デザート界でも“韓流ブーム”が席巻しそうだ。(塩塚夢)
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/cooking/taberu/20110806-OYT8T00140.htm
韓国語で「パッピンス」と言う。「パッ」は小豆、「ピンス」はかき氷の意味だ。それを大阪市南東部にある鶴橋で食べた。周辺には、韓国食材を扱う店や飲食店が軒を連ね、看板にもハングルがあふれるエキゾチックな街だ。
直訳すれば「小豆氷」だが、日本のそれとは随分違う。日本式にまず、具を脇に寄せてから、氷を味わおうとすると、「それじゃあダメ」と、洪貞淑(ホンジョンスク)さん(49)にやんわりとたしなめられた。韓国料理研究家の洪さんは、鶴橋で韓国カフェ「流れる千年」を営んでいる。「混ぜてこそ、本場のパッピンスなんですよ」
今のところ、少なくとも私の周りでは全く流行ってないけど、産経・読売で似たタイミングで生地にしてるのが気になる。
今週からお盆あたりまでにかけて、テレビでアホほど「パッピンス」「パッピンス」連呼するんですかね、フジ・日テレあたりで。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d1%a5%c3%a5%d4%a5%f3%a5%b9
最初はそれなりにいい線いっていたのに、ここにきてもう投げやりというか、反論のための反論というか、急速に劣化ウランしてます。
劣化ウランって「天然ウランより放射能が落ちた」ってことなんですけどね。まあ投げやりになったのは思い切り事実ですが。
「事実」をもとに語る気があるのかと思ったら結局あなたも「理系が悪い」の人だったので落胆しました。だいたい私が最初の記事に「理系」って書いたことに過剰反応する人がいること自体意味不明なんですが(「自然科学の分野に専門性がある」とか役人言葉で書けばよかったんですかね)、はっきり言って「ブルータスお前もか」です。
オウム真理教の信者は人間。燃料棒はモノです。人間相手なら断罪するのは慎重さが必要だと思いますが、燃料棒相手にそこまで遠慮する必要はないでしょう。あそこで遠慮したことで、「メルトダウン隠蔽説」の発生という大損をしたわけです。
オウムだって破れかぶれであのあと毒ガステロする危険があったし、実際未遂事件は何件か起こしましたけどね。「新宿駅青酸事件」とかでぐぐってみてもらえたら思い出すと思いますが。
(本論と直接関係ありませんがオウム事件のくだり「化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒」という発言は気になりますね。そうやって河野さん一家も冤罪で酷い目に遭いました。人間相手にはくれぐれも慎重に頼みますよ。モノ相手はバッサリやっちゃってください。)
自慢じゃないですが当時中学生のガキの俺でも河野さんは冤罪だってわかってましたけどね。河野さんが犯人だとしたら、ガスに最も暴露されるはずの当人が比較的軽症でしかも防護設備がどこにもなかったんだから。あれも「文系」の失態ですね。オウムの場合はサリンを合成できるだけの薬品としかも製造設備が揃って出てきたんだから確定でしょうよ。一方でですね、同じ福島第一原発事故の中でも「モノ相手にバッサリ」やった結果、測定ミスを見落として再臨界デマが流れたりとかそういうことも同時並行で起こってたことをお忘れですかね。やっぱり緊急性が高くない情報はきちんと確認できてなければ断定なんてしたらいかんのですよ。
まあどっちにしても、あの「メルトダウン発表」(というか発表の趣旨自体そもそもメルトダウンがどうこうじゃなくて水位計の機能が回復したって話なんですが)が衝撃的だったのは、私にとっては「あれだけ水を入れてもまだ水が燃料棒に届いてなかったこと」だった(つまりまともに水が入らない原因が何かあるということ)のに、燃料棒が損傷していることが水位計からも裏付けられた、って話がここまで大袈裟に受け止められること自体本当に理解できないですね。
まあ、そういう「文系」の言葉遊びの世界はよくわかりませんわ。麻生の漢字読み間違いの一件も、「自分の言葉で語らずに聞きかじりの付け焼き刃を格好付けて語っている」ということの象徴として当初叩かれてたのに、民主党政権がグダグダになったら「麻生は漢字を読み間違えたという些細な落ち度を元に首相の座を終われた」なんていう風にいつの間にか歴史修正されてるみたいですしね。日本にはマスコミという「真理省」があるということですね。日本の天地は複雑怪奇なり、ですわ。皆さん本当に頭がおよろしいので私には到底ついていけまへん。
ウソですよ。大馬鹿ですよ。あれも「理系」じゃなくて「文系」人間がやったことですけどね。正直、私が一番原発に対して懸念を持っていること(くどいようですが私は推進派だなんて名乗った覚えありませんからね)は、ああいう馬鹿な人間が動かしているということですよ。ただし、ああいうコピペメール構成ってのは基本的にナイーブ系反原発派を含む「市民運動」の常套手段なのであって、「お前が言うな」でしかないんですがね。
流通していないから大丈夫って、今になってセシウム基準値オーバーの牛だって流通したことが出てきたじゃないですか。あれもウソじゃないんですか。
そりゃまあ、全頭検査をしないってことは「確率的に」流通することはあり得ますよ。ああいうことが一件や二件あっても不思議はないだろうな、程度。こんだけの混乱状況なんだし。正直、俺はあの話全然興味ないので逆に聞きたいんですが職場の食堂で昼休みに流れてるNHKニュース見て「あー今日もこの話しとるなー」ぐらいに思ってる程度なんですが、世の中ではあれでそんな騒ぎになってるんですかね?。
信頼というのはそういうもんです。推進派は、そこがまるでわかっていないんです。かわいそうなくらい。だから原発を自動車と比較したり、死者の数を出して、どうだ安全だろといったりするんです。
じゃあどうやったら推進派が「信頼」を勝ち取れたでしょうか。絶対無理だったと思いますよ。ナイーブ系反原発派のプロパガンダは卑怯でありなおかつわかりやすすぎるし、坂本龍一だの宮崎駿だの村上春樹だの、ああいう一般受けする文化人を広告塔に担ぎ出せた時点でもう勝利確定ですよ。
そりゃまあ第二次大戦前のドイツの民主主義勢力が「信頼」を勝ち取るのと同じぐらい難しかったと思いますよ。第一次大戦は軍人目線では完全に負け戦でも一般人には被害がまだ及んでなかったわけで、「アカとユダヤの陰謀だ!」と言われれば信じたくなるというのは非常にわかりやすい人間心理でしたしね。
広瀬隆の著作が「だまされようがありません」というのは、(あなたレベルなら)だまされようがないということです。
まあ、一読をお勧めしますね。賛否はともかく、それなりに楽しめると思いますから。私にしても全部同意するほど無批判な読み方はしていません。
それを「楽しめる」という神経がわからないですね。あなた、9.11陰謀論とかの本読んで楽しめますか。
私にこんなにもコンプレックスを与えている、あなたを含む「理系」エリートは凄くあってくれなくては困るわけで、それが凄くないもんだから、もうプンプンですよ。
そりゃまあ「逆恨み」としか言いようがないですが。まあ俺自身が「金融」とか「コンサル」とか「MBA」とかの人たちに対して多少とも似たような感情を持っていたり、それで色物でない「経済学者」の人にルサンチマンを誤爆したりしてないとは言わないから多少は同情しますが、まあ誤爆された方からすればお門違いもいいところとしか言いようがないですね。
さて今年も多摩キャンという迷路に迷い込むであろう仔羊たちが沢山生まれるわけか…
っつーわけでまあ、記憶を辿って適当に書いてみるとしよう。俺は現多摩キャン1年(社会学部社会学科)だ。
もちろん間違っている、不正確な情報もあるはずなので、真実は自分の目で確かめてほしい。
俺自身が田舎からの上京組なんで、上京組を想定した項目も入れてある。
西八王子、めじろ台←→法大間は安い定期券と回数券をキャンパス内で買えるので、入学前に買う必要はない。
地図見るとわかるが遠いくせに基本ルートが2つしかない。つーわけで超混む。都心の満員電車の気分をこんなところで味わえます。
なので通学時間帯のバス時刻表は全く当てにならないと思っていい。所要時間はめじろ台15分~20分、西八王子25~30分、相原15~20分(もちろん通学時間帯は後ろの数字)だ。
最近ダイヤ改正で八王子駅←→法政大学直のバスができたので、八王子近辺からはこれでいけばよい。
他のルートは使っていくうちに覚える。とりあえず4月は大学に行けりゃ十分。他のところなんて先輩が案内してくれる。
あとは各自Googleマップを見るなり、路線図見るなり、実際に行ってみるなりしておくといい。初登校日に迷うなよ?
都心のことは覚えなくていい。たぶんほかのことで忙しいだろうし、(サークルや交友関係にもよるが)都心に行く機会なんて意外とないから。
ちなみにめじろ台は「めじ台」、西八王子は「西八」と呼称される。
基本多摩キャン生が住む場所は3つ。めじろ台・西八王子・相原。上記最寄駅ってことね。次に八王子、橋本、高尾。んであとは京王線・中央線・横浜線の各沿線。
都心が近いって理由だけで都心近くに住もうとするとまず破綻する。便利なとこがいいなら立川あたりで止めとくべき。
田舎からの上京なら西八王子でもそこそこ便利と思えるだろうし、俺は西八王子をおすすめしておく。
めじろ台、相原はそれに比べると劣る。そのかわり家賃は安い。ただめじろ台はプロパンガスなんでガス代が高い。千円二千円の家賃の違いでめじろ台にするのはやめたほうがいい。
都会人だけど大学にも近くしたい人なら橋本もいいかも。本数は少ないもののバスで行けるし、そこそこ都会だし京王相模原線が通ってるので都心へも行きやすい。いい物件を見つけられれば穴場。
あとは適当に箇条書きで。
家具・調理器具・家電などは本当に必要なものだけをまず買うのが一番いい。住んでいくうちに必要になるものがわかってくる。
めじろ台であれば、高尾駅(めじろ台駅の隣)の近くにあるイトーヨーカドー、その通りにあるダイソーと電機のセキドで大体のものが揃うはずだ。
まあ住まいや家具家電は親の意向等もあるので、親とか財布とか自分の性格とかとよく相談したうえで決めてくださいな。ここ(や他の情報)で書いていることを親に強弁しすぎないように。
入学式は日本武道館で行われる。服装は自由だ。といってもほとんどの人はスーツだが。
書類をちょいと貰うのでバッグがあるといい。わざわざ買う必要はないが、スーツに合わないバッグしかないなら考えておこう。
駅に着きさえすればあとは案内と人の流れでわかるだろう。周辺では某団体や某サークルがビラを配ってたりするが、気にせず進もう。
キャンパス以外でのビラ撒きは公式的には禁止のはずだ。キャンパスに行けば嫌というほどビラをもらう。
式では校歌を歌わされるが、付属生以外知らないので歌わなくていい。
市ヶ谷生は式後キャンパスへ向かうが、小金井・多摩生は解散となる。
「こんな田舎だと思わなかった」は新入生の自己紹介の常套句。使うと下調べ不足を自ら晒すことになるのであまりおすすめできない。
つーわけでまず一度キャンパスに行ってみるべき。近い人は入学を決める前に行っておくといい。本当に。
上京組でもだいたいの人は入学式前に引っ越すだろうから行ける時間はあるはずだ。百聞は一見にしかず。
では軽くキャンパス案内といこう。
バスで入口を通るとき、セブンイレブンとすれ違うはず。よくお世話になる。その横にはバイクの駐輪場がある。マナーが悪い。
バスから降りた真上に見えるのがEGGドーム(エッグ)だ。サークルに入ればよくお世話になる場所。奨学金の手続きなどををする学生生活課もここにある。
目の前にでっかい木があるはずだが、これはクリスマス期間イルミネーションされる。予算の無駄だと思う。
横断歩道を渡ろう。普通に車が通るので油断するな。右手にはトンネルがある。大学にトンネルがあるなんて聞いたことねえ。
トンネルの向こうにはスポーツ健康学部がある。残念ながら雪国ではなかった。しかし思いっきり民家や私有地が隣にあるので驚くこと間違いなし。
さて進もう。なぜ大学は坂道にしたのだろうか理解に苦しむ。左手にちょっと奥まった下り坂があるが、そこに入ると大教室A棟がある。
ここで新入生オリエンテーションが行われる。俺はオリエンテーション以外でここに入ったことはない。まだ1年だからだろうか。
バス停があるが、ここで体育棟行の循環バスに乗れる。キャンパス内バスなんて北大の専売特許かと思ってた。
上ると道が二手に分かれるが、左へ行くと経済学部棟へ、右に行くと社会学部と現代福祉学部棟に行ける。真ん中に総合棟と図書館。奥の道は体育棟へと続く。
左へちょっと行くと円形型の芝生=円形芝生:通称円芝もある。ここはリア充系経済学部生のたまり場となっている。近づき辛い。
ちなみに多摩キャン、憩いの場がやたら多い。某公式キャンパス案内は、円芝、EGG、社学棟1階、現福棟前、食堂を憩いの場として紹介しているそうだ。
各学部棟は説明がめんどくさいので、あとはパンフなどを参照してほしい。後日、各施設の無駄知識も書く予定だ。
東大ブランドは世界には通用しない 灘高トップはエール大学を選んだ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110111/217870/
という扇情的な記事がはてブを伸ばしているからノスタルジーでちょっと書いてみたくなった。俺は大学院でイェールに行った。どこのカレッジに住んでいたとか専攻が何かは日本人があまり多くないから伏せる。
イェールはコネチカット州のニューヘイブンという田舎町にある。コロンビアがマンハッタン、ハーバードやMITがボストンにあることを考えれば辺鄙な立地だ。ニューヘイブンがどこにあるかはGoogle Mapで見てもらえばいいけど、ニューヨークとボストンの中間あたりにある。ニューヨークのグランドセントラル駅からニューヘイブン線に乗って2時間くらいで着く。日本で言うと郡山に東大があるような感じで考えてくれればいいだろう。韓国人の留学生がboringだとよく漏らしていたのが印象的だ。あと寮の食事もまずいってよく言っていたっけ。彼女は体重がずいぶん減ったと言っていた。俺は別に痩せなかった。都会が好きな人はハーバードとかコロンビアに行った方がいい。俺は田舎が好きだったから結構楽しめた。徒歩圏内で日常の生活はだいたい事足りるから、夜中まで飲んだり遊んだり踊ったりしても問題なく帰れる。
古賀 きっかけは、ハーバードに行っていた高校時代の先輩から「お前、英語しゃべれんねんから、ハーバードに来たらええやん」って言われたことでした。
これは素直に羨ましいと思う。俺は英語はかなり苦手だった。受験科目ではまあまあ点数が取れたけど、ほとんど英語で喋ったことがない典型的な日本人英語だった。他の留学生に「初日のお前はひどかったなw」とよく言われた。簡単な自己紹介に15分くらいかけたのだから。
これまで会ったことのない面白いバックグラウンドを持つ同級生が世界中から集まっている環境は、本当にエネルギーに溢れています。みんな徒歩5分圏内の寮に住んでいるので、何かプロジェクトをやろうという話になると、いつでも集まって、好きなだけ話ができる。寮に門限は無く、いつでも誰とでも会ってつながれる環境は、僕にとって何よりもうれしい環境です
少し前に京大の全寮制の大学院ができるという報道があったけど、そのコメントは賛否両論だった。俺は大学はカレッジ(寮)があるべきだと思っている。大学のすぐ近くに友人と一緒に住むという体験は得る物がたくさんある。そうそう、イェールでは寮(ドミトリー)はカレッジと言っている。Google Mapでニューヘイブンを見ると「なんとか大学」ってカレッジを「大学」と訳していて恥ずかしいが、あれは大学ではなく寮だ。
イェールのカレッジは全部でいくつあっただろう?かなりたくさんあった。それぞれのカレッジが1つのコミュニティになっていてみんな帰属意識を持っている。設備もなかなかのものだ。個室にはテレビはないが、共有のテレビがある。ダーツとか卓球、ビリヤード台があった。メンテナンス状況は悪かったけどみんなでよく遊んだ。ピアノもあった、かなり高い奴が平然と置いてある。金持っているなあって最初は思った。音楽ができる奴がいるとピアノの回りにみんな来るからすぐに友達はできた。
カレッジの外観はかなり格好いい。ハリーポッターみたいなものだ。だけど住み心地はよくない。シャワーやトイレも2部屋に1つくらいしかなかった。間が悪いと他の奴と鉢合わせをする。中国人は「小」をしたあと流さないらしく、黄色い水がたまっていたりする。あとリア充が女とシャワーを浴びているのを見て悔しい思いをしたことがある。共同生活だから喘ぎ声が聞こえることもある。部屋に戻ると相方が女の子を連れ込んでいたりする。
カレッジは引きこもりにはキツイ環境だ。前述のようにトイレやシャワーが外にあるし、食堂があって決まった時間に食堂にいかないと食事を採れない。もちろん近所に飲食店があってそこに行くこともできるが、寮費に食費が含まれているから使わないのは損だ。外食ばかりだと結構お金もなくなる。周囲にはIvy Noodle(イェールはアイビーリーグの1つ)とかEducated Burgher(高学歴バーガーとでも訳すのか)とか面白い名前の店が多かった。話がそれたが、決まった時間にダイニングに行くだけで知り合いと顔を合わせることになる。俺も最初の頃は一人ぽつんと食べていたが、すぐに「お前もこっち来いよ」と開放的な奴に呼ばれてグループに加わっていた。このように、カレッジでは強制的にリア充にされてしまうような何かがある。俺もアメリカでの性格と日本での性格は全然違う。
自分が夜遅くまで図書館で勉強して、「よし、今日もよく勉強したな」と片付けていると、アフリカのとっても貧しい村出身の友人が、図書館が閉まる最後の最後まで一生懸命勉強しているのが目に入るんです。彼は戦争で親を亡くしていて、自分なんかよりもはるかに過酷な環境にあるにもかかわらず、自分の夢をつかみにエールに来た。そういうのを見ると、自分ってまだまだ甘いなってびりびり気合いが入ります。
図書館ではなく図書室かと思ったが、閉まるのだから図書館なのだろう。カレッジには図書室が大抵ついている。図書室は規模が小さく、大抵はカレッジの歴史に関する本とか写真があるだけで図書館としての機能はない。だけど24時間いつでも使えるし、俺にとって図書室で勉強というのはカレッジの図書室だ。本当に夜遅くまで勉強している人はたくさんいた。
ただ、世界の名門大学は厳しい舞台だ。誰でも安易に挑戦できるわけではない。ここを生き抜くためには3つの力が必要だ。まず英語。少しでもハンディキャップがあれば、授業やパーティーで誰も相手にしてくれない。
誰も相手をしてくれないということはない。俺の英語はかなりひどかったが、初日のパーティで友達はできた。他の留学生はだいたいかなり英語は流暢で、俺だけが下手で恥ずかしかったが、受験英語もまんざら無駄でもなく2ヶ月もいると普通に英語で雑談をしていた。声高に日本人は英語ができないからダメなんだって言うことはない。あと特にヨーロッパ系の学生に顕著なのだが、ひどい英語を使っている人も多い。文法がかなりガタガタの人もいる。だからそんなに気にすることはないと思う。日本人は案外マシな方だ。
次に、芸がないとつらい。世界の名門校に集う学生は、多彩な才能を持つものが多い。その理由は、古賀氏も指摘しているように、受験制度が記憶力偏重ではないからだ。高校時代、受験勉強で明け暮れる学生はいない。スポーツや芸術などで自分を磨いた者が受験でも大いに評価される。
これはある。ダイバーシティを重視しているからかなり変わった学生が多く集まる。だからといって、それほど堅くなる必要もないのだが。例えば日本語が分かるというのも海外に行けば特技に変わる。ある自転車屋がどういうわけか中国語の広告を貼っていたのだが、俺は漢字が読めるから意味くらいはわかる。それがヨーロッパの学生から見ると不思議だったらしい。これ日本語?いや中国語だと思う、お前は中国語ができるのか、いやできない、じゃあ何故意味が分かる、それは漢字が表意文字だから・・・。だから、これもそう深刻に考えることはないよ。
最後に積極性。日本人と比較したら自己主張の塊のような連中だらけのキャンパス。アメリカの大学生の社交場であるパーティーでは、積極的に自らを売り込まないと友達ができない。英語、芸、積極性。これらが世界スケールで通用するものでなければ、「孤独感から自殺してしまうかもしれない」と、ある日本人留学生は語る。
これも俺は問題には感じなかった。イェールのカレッジは強制リア充作用があるため、気づくと女の子とダンスに行ったり日本では考えられないようなことが起きる。開放感溢れるのは男だけじゃなくて女もそうなんだ。だけど、聞いた話ではそのリア充作用に抵抗するとキツイものがあるらしい。便所飯じゃないけど友人と顔を合わせるのが辛いから食事も満足に採れなくなって部屋に引きこもっている人もいるらしい。
同氏を見ていると、今後世界と伍して戦うことを目指す若者には、大学院ではなく学部から米国に留学することをおススメしたい。得られる体験やネットワークの量と質は計りしれないものだろう。
俺は大学院から行ったわけだが、学部生を知らないわけではない。感想から言うと、学部生はアメリカ人が多い、それゆえ価値観が(俺から見て)おかしい。まだ使える扇風機を平気でゴミ箱に放り込んでいたのにはびっくりした。こいつらエコの概念が全くないのかと。学力も日本のそこそこの大学の方が高いだろう。そういった理由で学部生とは話していてもそれほど面白みを感じないというか、何かずれた感じがする。うまく言い表せないけど、大量生産・大量消費のフォーディズムみたいな時代錯誤の感じ。大学院のように雑多な環境の方が面白い。俺もアジア人であるせいか、アメリカ人とかヨーロッパ人よりはアジア人の方が馬が合うだけかも知れない。
日本の大学に行かないことで失われるものは何かといえば、おそらく学力の高い人たちとの交流がある。東大生の平均的知的水準はイェールの平均より高いと思う。周りの友人に何か問いかけたときの答えの質はたぶん東大の方がイェールより高い。その代わりイェールに行けば濃密な人間関係の中で色々な経験を積めて、最近はやりの言葉で言えば人間力はつきそうだ。どちらも一長一短で、日本の大学が必ずしもダメというわけではない。
俺が高校、いや中学くらいからやり直せるとしたら学部から留学すると思う。学力は自分の姿勢でなんとでもなるが、英語でのコミュニケーション能力を鍛える環境が魅力的だからだ。
「日本に帰って来るの?」という質問をよく受けます。正直そのつもりはありません。「日本のために」は「世界のために」の部分集合だと思っています。日本人として、世界に挑戦することが、今の日本を変えることにもつながると信じています。
とあるけど、将来どこの国で生きていくかによって学部から留学するか大学院からでいいかは変わってくると思う。日本に帰るつもりがない人は若くて吸収力が高いうちからアメリカの大学に行くのは意味がある。
結論「東大ブランドは世界には通用しない」と扇情的に書いてあるけど、そんなに日本の大学は糞でもない。ただ東京大学や京都大学は名前で損をしているかも知れない。東京は大都市として有名だし、京都は日本の観光地として有名だ。その名前がついていることでアメリカでの印象はニューヨーク大学とかイエローストーン大学みたいな印象になって、あまり大学の中身を知らない人には訴求力がない。名前で損をしている。だけど研究をするようになれば各国の実績のある大学は正しく評価されるようになる。
日本でも同じことは言えるのだけど、研究の道に進まないで学部卒で就職すると研究の業績で大学を評価しないのが普通。ネットで駅弁って言われている大学に実はいい研究をしている人がいるというのは、同じ分野で研究をしていて論文を読んだり学会に行けばすぐに気づくことだけど、研究をやらない人の間ではただの駅弁大学で一生終わる。世界から見た東大も駅弁大学のような感じなのだと思う。
ぐだぐだだけどこの辺で。
つうかさっきからこの話でてるけどさあ。
音楽って言ったらメジャー芸術でさ、若い子とか厨二とかさ、みんな音楽大好きじゃん。
飯食うときすら、不愉快な自分の咀嚼音を聞いてまでイヤホンつけてるやついるじゃん、食堂とかで。
周囲や自分の危険も省みずに音楽聴きながら自転車乗ってるやつもいるじゃん。
それくらい、音楽ってみんなに愛されてるわけよ。
不思議なくらい、美術や言語芸術には興味ないけど、音楽は好きですって人が多いのよ。
まあ、ニコ動に載せるような音楽やJ-POPは芸術じゃなくてサブカルと呼ぶのがふさわしいのかもしれないけど。
マイナー芸術をやっている俺からすると、メジャー芸術の受け入れられ方がうらやましくてならない。
それなのに、ニコ動で自分の音楽作品を載せて、それがアレンジされることに不快感を示すってのは、どうなんだろう?
少なくとも一度は聴いて、思うところがあったからアレンジして転載するわけでしょ?
それってさ、作品への感想をもらうことよりも嬉しいことじゃない。
目にとめてくれた先生が二言三言言ってくれるだけの世界だもん。
俺のやっている作品を見て、ああいいなって思って改変したものがどこかに発表されていたら、やっぱり嬉しい。
そして、自分のセンスとその人のセンスの差が面白いと思うし、ああこういう着眼点を次から取り入れてもいいなって思える。
なのに、今回のボカロから歌ってみましたへの批判って、ニコ動にどれだけ助けられて、音楽がどれだけメジャー芸術で、っていう土台を考慮してない身勝手だよね。
現状への感謝が足りないと思うし、奢ってるように見える。
発表するためにニコ動に頼っている部分がどれだけあるか感謝すべきでしょう。
と同時に、アレンジした側は、引用を明記すべきであって、それはマナーでしょう。
でも元ネタの動画にリンク貼ってるケースは多いし、曲名が一緒ならそれは出展を明記していることと同義なので、だいたいは守られているような気もする。
結局言いたいこととしては、どちらの立場の人もいるからパイが大きいわけで、どっちかがどっちかを批判するようになったらパイは小さくなってしまう。
会社は車で15分のところにある。終業時刻は10時半だったらしい。
ここ半年ほど、日をまたぐ事が多かったので、それを考えればこれでも十分早い帰宅時間だ。
兄は某自動車会社の下請企業に勤めている。車の塗装などを請け負っているらしい。不況のあおりを食らって仕事は少ないはずでは、と思うかもしれないが、事情は少し違う。
兄の勤めている会社は先にも述べたとおり、塗装屋である。つまり「塗らなきゃいけないもの」があれば、それは車でなくても良い。最近ではピアノだのテレビだの、そういうものを営業が駆けずり回って取ってくるらしい。
そうすると、今まで塗装機のマニュアルに無かったものをやらなくてはいけない。新しい試みなのでもちろん大変である。
結果、どうなったか。
仕事はたしかに増えたが、無理言って頼んでいるのだから足元見られて安い値段をふっかけられる。
仕事はあるが、金は無い状態。
兄の勤めている中小企業には、何人もの外国人がいる。東南アジアなどから来る研修生だ。不況と言えど、取り決めで彼らをやめさせる事はできないらしい。そうすると企業側はまず「パートのおばちゃん」たちを切っていく。
しかしこのおばちゃんたちこそ、経験に経験を重ねた企業の底力だった。
少なくなった人数で彼女らのいなくなった穴をしなければいけないのだが、研修生たちで埋めることはできない。彼らはまじめらしいが、それでも無理なのだそうだ。技術力云々もあるが、なんといってもサービス残業のさせにくさがある。彼らを不法に酷に扱い、もしソレが明るみに出ると企業は最悪つぶれてしまう。
結果、文句を言わぬ社畜である社員がひたすら働く。日も昇らないうちから、ひどいときにはその日が沈んでまた明けるまで働く。
残業代はろくに出ない、有給はたまりに溜まってて、体が辛いから休みたいと言っても休めない。休むと次の日大量の仕事をこなさなくてはいけない。
自分は歳のせいで辛いからと休むのに、兄が休みたいと言うと甘えてると言って取り合ってくれない。
わかってる。わかっているけど、そんなことをすれば小さな会社はつぶれる。
この不況だ。どんなにひどい企業でも、正社員という地位を捨てることはできない。
兄が泣いた。
「どうしろってんだよ」と、わずかに笑いながら。
兄は高校を出てすぐにそこへ勤め始めた。もともと環境が良く無いせいか後輩は入ってこない。兄は5年たった今も一番若い。
どんなにがんばってても、お前みたいな仕事では評価されない。と言われたらしい。
私が普段見ていても、たぶん兄は要領が悪いし融通は利かないタイプの人間だと思う。こだわりが強くて、人と円滑にコミュニケーションをとるのも苦手だろう。今風に言えばKYである。顔もかっこよくない。さえない。毛深い。ガンダムオタクで最近は萌えフィギュアにも手を伸ばし始めた。趣味はアニメ鑑賞。
けちで、漫画雑誌を買ってきても読ませてくれない。12個入りチョコを一粒もくれない。
頭もたぶん悪い。小中高と、どんなに努力してもずっと底辺だった。
あたまの回転が遅いから言いたい事が伝えられなくて、口喧嘩ができなくて、いつも物に当たる。たまに私も殴られる。
兄は、社会人として、技術者としてはきっと使えない。優秀ではない。
兄にはできないことが多い。
本人は可能な限り精一杯やってる。
兄が努力しているのを私は知ってる。
兄は良い人間だと思う。
祖母の歩みが遅くなったとき、その手を引くのは兄だ。
どんなに辛そうでも、仕事をサボったり休んだりしない。
そこを評価してくれる人間は、お金が絡む会社にはいるはずもない。
食堂のおばちゃんだけは、兄の辛さを知ってこっそり夜食を作ってくれるらしい。
いつも辛そうで、なんとなく茶化した様子の事情は聞いていたけど、弱音は初めて聞いた。
そんな兄が涙ぐんだ。
ショックだ。
こんな不況下で仕事辞める奴は馬鹿だと思っていたけど、兄は少し休むべきだと思う。
おにいちゃん、仕事もう辞めていいよ。
言えるわけが無い。
もどかしい。
今日の学食はいつもより混んでいて、空いている席を探すのに少し時間がかかった。
やせているわけではないけれど、一目見て女性らしい体型だと分かるような体のラインだった。
一人だったからか、笑顔はなかったが、怖いという印象は受けなかった。
普段は笑顔なのかもしれないと思わせる程度にはきれいだった。
気になったのは、きれいだからというよりは、右耳に四角い機械をつけていたから。
USBメモリよりもさらに一回り大きな機械のLEDランプが点灯していた。
左耳は黄色と茶色の間くらいの色の髪の毛に隠れて見れない。
あの機械は何だろう?
最初に思いついたのは耳が聞こえないのではないか、ということ。
あの機械は音の振動を増幅させ、骨を通じて聞こえるようにしているのではないか。
髪の毛をいじって、右耳が隠れるようにしていた。
もしかしたら髪を伸ばしているのもこのためなのかもしれない。
かといって、髪が極端に長いわけでもない。
耳が聞こえなくなってから日が浅いか、
もしくは本当は髪が短い方が好きだから、もしくは楽だから、
耳が髪に隠れるぎりぎりの長さ、まで伸ばしているのかもしれない。
予想はどこまで当たっていたのかはよく分からない。
声をかけて友達になりたいと思ったわけでもない。
結局、食事を済ませたらすぐに食堂を後にした。
(追記1)
そうなのかな?
ちょっと調べてみたけれど、ネットで見つけれたのよりは小さかったと思う。
耳にだけつけるウォークマンとか、耳に音声データを無線で飛ばして再生するウォークマンとかは、
あってもおかしくない気がする。
そうかあ、食事しながらでも、ウォークマンを聴く人っているんだね。
僕にはその発想がなかった。
(追記2)
そう。
記憶を思い返してみるに、たぶん、ひどい難聴の人にはあったことがない。
ちょっと耳が遠い友達はいるけれど。
閉鎖された空間と言われれば、たぶん、そうだろうね。
(追記3)
正直、ここまで調べることになるとは思わなかった。
まず、補聴器について調べてみたけれど、いわゆるイヤホン型や耳かけ形が多い。
僕がみたのはどちらも違った。
いろいろ調べたところ、
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC-PTM-BEM5RD-Bluetooth%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3-%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89/dp/B00214NTP6/ref=sr_1_12?s=electronics&ie=UTF8&qid=1291035005&sr=1-12
とか
http://www.amazon.co.jp/SANWA-SUPPLY-MM-BTMH16R-Bluetooth%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89/dp/B002OOVBS0/ref=pd_sim_e_5
このへんが近い気がする。
でもまあ、可能性として一番高いのは「普通のヘッドセットで、音楽をbluetoothで飛ばしている」だろう。
ちなみに僕は普段ウォークマンもiPodも持ち歩かない人なので、このあたりの機械については全く疎かった。
そもそも補聴以外の目的で骨伝導が使われていることも知らなかったし、
bluetoothとかでデータを飛ばす機械がこんなに安くなっていることも知らなかった。
いい勉強になって良かった。
何より、食事をしながら音楽を聞く人っているんだなあ。
僕にとってはちょっと考えられないけれど、まあ、人それぞれだからね。
迷惑で不毛で愚かしい行為だ。
私はそれをしたことがある。
夜はお水のバイトをしているそうで、おばさんといってもまぁ、それなりにきれいで若作り(写真を見た人が「何この白塗りお化け!?」と言ったほど化粧は厚かったが……)。離婚暦があり、娘が一人いたらしい(「バツイチじゃない」と言っていたからまだ離婚は成立していないのか、娘は元夫が引き取っているのか、そのへんはよくわからない)。12歳年下の遠距離恋愛の彼氏がいて、月の三分の一はその彼氏と過ごすためにバイトを休んでいた。
おばさんは熱帯魚やらフェレットやらペットを飼うのが趣味で、携帯サイトにそういうページを作っていて、私にアドレスを教えてくれた。ペットの写真がたくさんあり、日記は彼氏とのラブラブっぷりが窺えた。なんかお互いを「王子」「王女」と呼び合っていた。正直興味のないジャンルだったので、「ペットの写真かわいいですね~、私も飼いたいです」とか何とか適当なことをBBSに書き込んで、あとはほとんど見ていなかった。
彼氏とラブラブなおばさんは、職場でも昼休みになると毎日彼氏に電話していた。食堂のテーブルでもおかまいなしに話すので、ある日「ちょっと電話やめてもらえませんか」と言ったら「別にうるさくしてない。文句言われる筋合いあらへん(千葉生まれ千葉育ちで、関西には数年いただけのくせにこういう時だけ関西弁)」
「どうしたの?」と声をかけてきた人に「うるさいって言われた!(言ってない)」と訴える。
その場はなあなあで終わったが、おばさんと私の間にはそれ以降壁ができた。
でもまあ仕事で必要な話はしていたし、時間が経つにつれそれほど壁は感じなくなってきた。
が、ある日ふと気が向いておばさんの携帯サイトの日記を久々に読んでみたところ……
その日は、私が急に具合が悪くなって仕事を休んだ日だった。
「おつぼね」って私? でも私はおばさんより年下だし、入ったのも後だし、その職場では下っ端。年齢や立場的に「お局様」に該当しそうな人もいないではないが、「お局様」的な人達ではない。
周囲の人に確かめたところ、その日休んだのは私一人だった。
間違いない。「おつぼね」は私だ……。
おばさんの日記を遡って読んでみたら「おつぼね」の話がまだあった。いわく「おつぼねが間違えたのを直してあげたのにため息つかれた。まじでありえないから」……全く身に覚えがない。
その後も「今日は仲良し三人組でおつぼねさまの話題で盛り上がった。○○ちゃんが面白おかしく話してくれておなかがよじれるほど笑った」等等。へーえ、デブ三人で飯食いながらそんな話をしてたんですか~。
当人が見られる場所にそんな事を書くなんて、喧嘩を売っているか、相当頭が悪いのか、どちらかだろう(たぶん後者)。
その後も何事もなく私は仕事を続け、12歳年下の彼氏はおばさんと同棲するために遠くからこちらに引っ越してくることになり、それと同時期におばさんはバイトを辞めた。
「○○さん、王子と同棲おめでとうございます。早く離婚が成立して王子と正式に結婚できるといいですね!」
http://anond.hatelabo.jp/20100820091331
そうやって漠然と非モテを批判するが、それも女性のいるところにいれば出会いがあるのはあたりまえだろという前提ゆえ。ずっとそれが当たり前の奴に何を言ってもわからないか。
例えば http://anond.hatelabo.jp/20100817225318 から引用すると
何故か隣のクラスのA美が話し掛けてきた
そんなエロゲのようなイベントは、非モテには起こりようが無い。(そもそもこの話全体が疑わしいが)しかしこのような体験談を見ることはしばしばある。文章内には無い、この増田が非モテではない要因があるはずなのだが、だれもそれを説明しない。ブコメでも「わざわざ他人に教える必要がないからだよ。」等とのたまう。非モテがそこで止まっている事を普通モテは理解できないからだ。
一度振り返ってみたくなった。あまり具体的に書くと特定されそうだから適当に大筋が変わらない範囲で固有名詞やなにやらはぼかす。
ろくに友人も出来ずに6年になってしまった俺に色々と構いに来たのが、友人TとH子だった。
友人TとはH子を取り合いした。取り合いと言っても殺伐としたものではなくて、待ち合わせにどっちが早くいけるか、どっちが先に遊びに誘えるかというレベル。俺はまったく男女関係と意識していなかったが、友人Tとのライバル意識はあった。これを恋愛とするなら、自分からアプローチした最初で最後の恋愛。
色々ケンカっぽいこともしたけど、大抵最後は三人で仲良くしてた。
中学校始まってすぐ、友人Tが自殺した。理由はわからない。友人Tの家は近かったが違う中学校だった。葬儀にはいけなかった。全てが漠然としたのだと思う。
そしてH子は友人Tの事が好きで、自殺には俺が関係してると考えているのではないかと、俺は思い込んでしまった。多分このとき、女性に対して能動的に恋愛アプローチするという回路が吹っ飛んでしまった。これは今でも変わらない。
自然とH子との距離も離れていき、いや俺が避けまくって、彼女どころか友人の一人も作らないまま中学校1年目は終わった。
クラス内で存在感が無くスルーされていた俺に、何故か隣のクラスのA美が話し掛けてきた。理由はさっぱりわからない。俺は半ば強引に彼女の家に連れて行かれた。そしていきなり飯を食わされた。旨かった。
A美の家は中学校から歩いて2分の距離にあり、母子家庭で殆ど親がいなかった。俺の家も一度家庭崩壊してるせいか極端に放任主義で、彼女の家に長時間いりびたる原因になった。A美は料理が上手く、彼女の家に行って何をするって飯を食うくらいだった。けど、実の母親にろくに母親らしいことをしてもらえなかった俺にとってA美の存在は大きなものになっていった。
A美にはヤンキーになりかけの弟がいた。弟は何故か俺に好意を持ち、俺が着てる服や髪型を真似するようになった。結果的にヤンキーの道を極めないで済んだらしい。
そして俺はA美と肉体関係を持った。どうやってそこに至ったのかは雰囲気としか言いようがない。
しかし、A美にとって俺は彼氏ではなく、俺自身も恋愛感情が吹っ飛んでたので好きという気持ちはなかった。不思議な関係だった。お互い一緒にいると気が楽という関係なのは間違いなかったが、A美には好きな人が別にいたのだ。高専に通うS先輩だった。
S先輩は打ち込み系の音楽をやっていた。中学生にとっては高値の花だった基材を俺らはバイトして買った。このとき初めてプログラミングというものに触れたが、のちのちそれを仕事にするとは当時思ってもいなかった。俺はS先輩から多くを学んだ。そんな三人の不思議な関係に違和感を感じることも無く、俺らは高校生活を迎えた。
S先輩は高専を卒業し就職して上京した。A美は女子高へ進学、電話でやりとりは時々したものも、ゆるい関係のまま二人の距離は離れていった。ただ、仲たがいしたということはなく、今でも友人として連絡を取り合っている。S先輩とA美の事についてはまた後半で触れると思う。
高校は一応進学校だったが、自由な校風で有名で、とにかく色んな意味でフリーダムだった。確か服装規定が下駄とノースリーブがダメ、くらいしかなかった。
そんな高校内でお嬢様として噂されているT波という女子がいた。T波は365日絶対に同じ服を着てこないので校内で有名だった。お嬢様かどうかは別としても、金持ちの娘であることは確実だった。ある日、俺が学校の食堂で一人で昼食をとっていると、そのT波が向かいに座った。このとき何を話したのかいまいち覚えていないのだが、そのあと彼女が所属している部活の部室に行き、作業を手伝った記憶がある。
T波は本気でお嬢様かもしれないと思うほどに世間知らずだった。例えば卵や小麦粉の値段を知らない。そんな彼女がお嬢様学校に行かずこの高校に来たのは、経験の為に親がそうさせたらしい。それが本当かどうかはともかく、彼女は純粋で世間の汚さを知らなかった。
その純粋さゆえに、T波にどうして欲しいと言われると俺は断れなかった。まあ、そのお願いも「~という画材店に一緒に来て欲しい」とか「~からの風景を見たい」とかそんなことだった。始めはそんなふわふわしたT波に別段どんな感情も抱いていなかったが、あまりにも彼女が常識と金と労働の価値を知らない事に、俺は少しずつストレスをためていった。俺自身のとにかく貧乏だった子供時代のコンプレックスと相まって、彼女と親しくなればなるほど相容れない気持ちはエスカレートしていった。
高校二年の夏、学校の敷地内にあるうっそうとした林の中で、俺はT波を校舎の壁に向かって押し倒そうとした。衝動的な出来事だった。彼女の顔が複雑にゆがみ、それに一瞬思いとどまった瞬間、俺は平手打ちを喰らっていた。
T波との関係はそれで完全に終わった。後悔はしていない。
色々変な噂をたてられたせいもあって、俺は学校の連中と極力触れ合わなくなった。放課後は即ゲーセンに行って深夜に帰宅する生活になった。ゲーセンでは良くつるむ仲間が出来たが、その中でY野という女が俺によく話し掛けてきた。Y野のことをゲーマーとしていいダチだとは考えていたが、俺はそもそ恋愛感情が吹っ飛んでいたし、正直女性として見た事は無かった。だからこそ、Y野にゲームを買ったから家に遊びに来てくれだの新しい店に食いにいこうだの言われると気軽にダチのノリで付き合っていた。
ゲーセンの仲間で色々と無茶をして、山に行ったり海にいったりもした。高校卒業が近づいたある日、俺らが通っていたゲーセンは閉店することになった。店員さんの計らいで閉店後にちょっとしたパーティをした。Y野も俺も、卒業したら別々の土地に行くことになった。
とにかく家が貧乏で高校進学にかかった金も即返さなければならなかったので、俺はすぐ働きに出た。ゲーセンへもちょくちょく行っていて、ゲーマーや走り屋の知り合いが増えた。その中で知り合った女性といくつか軽い関係を持った。
ある日、そんな成り行きの彼女N山と自宅で過ごしていると、突然の訪問者があった。それはなんと高3の頃にゲーセンで知り合ったY野だった。どうしてY野がここに来ているのだ。住所は実家に聞いたのかもしれないが、Y野が住んでる所からは500km以上離れてるっていうか、船か飛行機じゃないと来れないだろ。どういうことだ。なんだかわからないがY野はヒステリー状態になっていて、ドアをガンガンしているし叫びまくっている。このままでは住人に迷惑がかかる。仕方ないのでドアを開けると、N山が玄関に来てしまった。
そこからは、
そこからはもうカオスで女にマジで手をあげるわけにもいかないし、二人になすがままふるぼっこにされたあと、俺の女性関係は一度リセットされた。
あとで知った事実はこうだった。Y野は何度か俺に"手書きの"手紙を送っていたのだが、それを俺の部屋に通っていたN山が読んで捨てていたのだった。
A美は高校在学中にS先輩と同じ仕事をする為に、いくつかの会社に作品を送りまくっていた。その努力叶って卒業後に即上京し、就職した。本当にすごい。A美の就職したそのソフトハウスは吸収されて事実上なくなったが、ちょうどそのときS先輩は独立して事務所を持とうとしていた。A美はとうとうS先輩の作った会社で働く事になった。S先輩は既に結婚していたようだが、職場のパートナーとして二人はいまでも良い関係らしい。S先輩とA美には、俺も今でも仕事面でも先輩としても時々お世話になっている。本当に良い縁だと思う。すまないが、この辺は詳しくかくとマジでばれそうなのでかなりぼかして書かざるを得ない事をご了承頂きたい。
後にS先輩からの遠い縁が関係してベンチャーのスタートアップに誘われ、今に至っている。今の彼女は、俺が怪我で以前の仕事をやめたときに世話をしてくれたのがきっかけで深い関係になった。俺の関係の中では今までで一番長続きしている。