はてなキーワード: 卒業式とは
実はテレビ放送は一期しかチェックしていなかったが、個人的にロンドンに思い出があり、今回の舞台はロンドンと聞いて鑑賞。
空気系、日常系と評される本作品の中にあってもとりわけ空気「系」・日常「系」 感の強い本作品。
夢のロンドン行きが決まった瞬間、澪の歓喜する顔は、画面にない。
卒業式の日の朝、三年生の四人にとっては高校生活の最後を締めくくる、記念すべきライブ。唯はいつもの照れ笑いで、ステージを降りる。
ラストシーン 。軽音部ただ一人の後輩に捧げる、先輩からの最高のプレゼント。あずにゃんは拍手で応える。でも泣かない。
いわゆる「ドラマ」であればまず間違いなく涙で描かれるであろうシーンで、徹底的に涙が排除される。
許容されるのはただただ、回るものを怖がって怯える澪の涙だけ。萌え。
地震と津波が明らかな非日常であったのに対し、原発事故による放射能リスクは日常への疑念として、震災後も続く日常に影を落としている。この状況にあっては、日常はむしろ希求されるべき状態ではないか。
被災地では、一度は失いかけた日常を取り戻すべく活動が続いている。
未だ顕在化しないリスクを抱えたホットスポットとされる地域においては、(それが認知的不協和に基づくものであろうことはさておき)逃げ出そうとする人々は非難され、普段の生活を送ることこそが「平和」、「平穏」として志向される。
「セカイ系」に対しての「空気系」・「日常系」と評された本作。けれどそれが否定したのは本当は「セカイ」ではなくて「ドラマ」なのだと思う。
「感動」に対しての「平穏」。
涙は現実だけで十分。
今こそ平穏を取り戻そう。
なぜだろう、理由を考えてみた。
いわゆる「いじめ」を受けていた。内容はありがちな「○○菌」というやつ。
席替えして机が横にでもなろうものなら、あからさまに嫌がられたり。
小学校を卒業する直前に転校した。当然、新しい学校では友達もロクにできないままに卒業式を迎えた。
コレ以来、「仲良くなったら別れの時がつらいから仲良くならない」と考えるようになった。
就職で上京した。周りには友達が1人もいない状態で、人間関係を作りなおした。
機会はいろいろあるけど、似たような事を何回か繰り返した。
周りからの評価を気にしなければいくらでも手を抜くことができる。
しかし、自分自身の評価を高めたいという事もあるけれど、学生自身に幸せになってほしいという気持ちもある。
前々から不思議に思っていたことがあって、それに対する自分なりの答えが出た気がするので書いてみる。
「これだけは誰にも負けないぞ、というものを自分の中に作れ。それが自信になり、お前を支えてくれるだろう」
「なんでもいい、自分だけの武器を持て。それをとことん伸ばせば将来直面する困難にも打ち勝つことができるんだ」
とかいう訓示をたれてくることがあった。
多分これを読んでる人たちも、ホームルームだの卒業式だので一回ぐらいはそんなこと言われたことがあるんじゃないかと思う(なかったらごめん)。
俺はというと、それはもう何度も何度も聞いてきた。
細かい表現は違うけど、人生の後輩へのメッセージなんて場になると、なぜかみんな上に書いたようなこと言うんだよ。
で、一緒に聞いている同級生も同級生で、うんうん、て頷いてたりして分かったような顔をしてたりする。
あれがさ、俺物凄く不思議だったんだよ。
その「誰にも負けないぞ」っていう特技とか、「自分だけの武器」とかいうもの、皆本当にあるの?誰にでも見つかるの?
俺さ、そういうの一切ないんだよ。全く思いつかないんだよ。
学校の勉強はわりと真面目にやってきたほうだから、ぶっちゃけ平均より上だと思うが、それでも自分より頭のキレる奴なんて山ほどいるし、
運動も走りはまあまあ速いけどそこまでじゃないし、球技全般下手糞だし、筋力だって十人並みだと思う。
ルックスだってこれと言った特徴のない薄い顔面、しゃべりだって特に人を笑わせるのが得意なわけでもないし、人見知りだから交友関係も広くない。
知識や経験の量もごく普通、手先は基本的に不器用、お酒はどちらかというと弱い、チンコだって特にでかくない。
もう、さっぱり自分の中に飛び抜けた特徴とか特技とかが見当たらないんだよ。
そんな疑問を抱きながらもまあ大学院まで出て、なんだかんだで一応希望の職種に就くことができた。
ただ、そこでも仕事に役立つスキルとかも覚えるものの、そんなのは同業者が大体やってることだから、自分だけの武器には当然ならない。
周りを見渡したら見渡したで、自分より遥かに技術や知識が豊富な人がわんさかいる。
コミュニケーション能力を生かしてあちこちから良い仕事を取ってくる同僚もいるし。かたや俺は相変わらずの人見知りで世界もあんまり広がらない。
要するに、社会人になったというのに未だに「誰にも負けないぞ」というものも見つからないし、「自分だけの武器」も持てていない。
もし先生や先輩の言うとおりだとしたら、俺はこのままじゃやってけないわけだよ。
自分の今持ってるのはこれだ、っていうのが特にないから、自分がいる立ち位置がそもそもあやふやなんだよね。
今にもがらがらと崩れ落ちそうで、そうでなくても他人に足元をすくわれそうな、そんな危ないところに立っている。そんなイメージ。
とにかく自信がなくて、劣等感ばかりあって、毎日いろいろと不安で。
先生や先輩は武器があって成功できていいよな。俺はそんなのない平凡な人間なんだよ。そういう奴の気持ちなんかきっと分かんないんだろうな。
そんなふうに心のなかでくさったりもした。
立ち位置があやふや、自信の源になるような礎がない。
そんな状態に自分があると認識してるからこそ、俺は今の仕事に必死になれてるのかなって。
何だかんだ言っても、俺はやりたかった職業に就けているわけだし、この仕事が好きで、辞めたくないと思っている。
そして今自分は決定的な武器を持っていないから、心の拠り所がない。頼れるものがない。
かと言ってぼんやりしていたらぽろっと脱落しそうだから、今の位置に留まるためにはがむしゃらになるしかない。
自分には何もないからこそ、これを続けるためには、他の奴に負けないためには、もう死に物狂いでやる必要があるんだ。
今思うと、学生の頃からこれまでも、わりとそんな気持ちでやってきてた気がするんだ。意識してなかっただけで。
その気持ちのおかげで今こうしてちゃんと働けてるんだと、ようやく気がついた。
きっと、何か安心して頼れる独自の武器みたいなものを持っていたら、ここまで頑張れていたかどうか分からないな、とさえ思う。
ああ、俺はこういう戦い方なんだな、ってすとんと腑に落ちた。
まあ、そこに思い当たったからといって、急に今までできなかったことができるようになるわけでもないし、
仕事を続けられる自信を取り戻せたわけでもないんだが、劣等感に打ちのめされ続けた自分の精神が、ちょっとは楽になれた。
自分が不安定な足場にいることを嘆くより、その事実をまんま受け入れて機動力に変えていきゃいいんだ、って思えるようになった。
それからはもう、上のようにくさったりはしてない。
俺が誰かの先生になったり、後輩にアドバイスするような機会があったりしたら、こう言おうと思っているんだ。
誰にも負けない特技や自分だけの武器を見つけたなら、それを伸ばせばいい。
でも、そういったものを持っていないからといって、落ち込んだり無理して作ろうとしたりすることはない。
そういう奴にはそういう奴なりの戦い方がちゃーんとあるんだ、って。
もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。
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今日世界最高の大学のひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学を卒業したことがない。これが大学の卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生から三つの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。
最初の話は点を結ぶことだ。
私はリードカレッジを最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?
話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです」生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。
17年後私はたしかに大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これからの人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。
ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったから友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。
リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通のクラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体,サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。
これらの何一つ人生で現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初のMacintoshを設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体とプロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacをコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。
もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ,運命,人生,カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。
私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージでAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20億ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初の一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってからの人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。
数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。
当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりわからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。
次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初のコンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリーを制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleがNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。
Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事は人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたのハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。
三つ目の話は死についてだ。
17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日を人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日が人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。
もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事なものを残してどこかへ行ってしまうからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。
1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まりの対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。
一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡で細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。
これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。
誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。
あなたの時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間を無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見に自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。
私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚を人生にもたらした。まだ1960年代でパーソナルコンピュータもデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラで制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックのGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。
スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなたが冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
本当にありがとう。
chibicode - 点と点がつながると信じてたバカへ。元アップルのインターンが、ジョブズ引退の日に思ったこと。
http://chibicode.tumblr.com/post/9370344922
↑この人は、↓これやってみ。
スティーブ・ジョブズ感動の卒業式スピーチ、「点と点が繋がる」瞬間を実感する方法
僕と同じ背丈で、同じ年で、違う町に住んでるけど同じ駅で家に帰るから、帰り道はよく一緒になりました。
卒業式の時に第二ボタンと抱き合わせに告白されて、時機も時機なのでオッケーして抱きしめてキスしちゃったそうです。
で、僕もそのことは聞いているからそれなりに話をしたりされたりする関係で、打ち解けてました。
でも、僕は彼女が好きでした。
僕は首都圏にある国立大学に進学して、彼女は地方の国立大学に進学しました。
しばらくは会えなくなるな、と、もしかしたら、もう縁が切れちゃうかもな、と、いろいろ考えて、悩みに悩んで、
で、告白したら、ふられました。
当然ですよね。二股を求めるなんて、失礼にも程があると思います。最低です。人外です。死ぬべきです。
大学に進学してからというもの、すっかり燃え尽き症候群となった僕は大して学業にもサークルにもバイトにも打ち込めず、成績は真ん中よりかなり下、サークルも幹部にならず、バイトも惰性で続ける有様、人生を不満喫していたのです。
それを受けてかどうか、就職活動も力が入らず、あまり労働環境のよいとはいえない地元の中小企業に内定が決まるやすぐに辞めてしまいました。
ぶちスライムをブーメランで刈り取るかの勢いで大企業に次々に内定する友人を見ておめでとうとは言うものの、大してコンプレックスも湧かず、でももったいなかったかな、と思うこともあり、もやもやぁっとした感情もありました。
で、地元に帰るかどうかというところで同窓会のおさそいが届いたのですね。
なつかしいなあ、みんなどうしてるのかなあ、と思う刹那、さっそくメールで返事を電信したわけです。
来てない人もそれなりにいたけれど、まあ半分以上は参加していて、そこに彼女の姿もあったわけです。
で、再会の思いを交歓したのですけれど、なんと彼女、彼氏とは別れたというではありませんか。
もうこの時点でぼくは自己主張してしまったのですが、それを隠しながらもいろいろ話をして、その場はおひらきになりました。
二次会に行く人は二次会へ、僕は家路につくのですが、彼女がついてきました。
なんだかいい気分だし、ぼくも冷めていないので、えいやっといちゃついてみたら、それやっといちゃつきかえされたので、もうここしかあるまいと、キスをしたらアルコール臭くて顔がムニェってなって、それを見た彼女が微笑んで、そのままホテルに行って昇華しました。人生の極相です。ぼくしあわせ。
という半年前の話があったわけで、今この増田を書いているのですが、彼女の浪費癖で家計がストレステストです。でも諦めちゃだめだよね。
神奈川訴訟も原告敗訴確定 起立、斉唱の義務なし確認
神奈川県立学校の教職員ら130人が県を相手に、学校行事で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日までに、教職員らの上告を退ける決定をした。「具体的な権利、義務に関する争いではない」として訴えを却下した二審東京高裁判決が確定した。
一審横浜地裁判決は、訴えそのものは適法としたが、入学式や卒業式で国旗を掲げ、起立して国歌を斉唱するよう教職員への指導徹底を求めた県教育長の通知に基づく校長の職務命令は「思想、良心の自由を侵害せず、教職員は従う義務がある」と請求を棄却。
しかし二審東京高裁は、この訴訟は事実上、教育長通知の無効確認を求めるものだとし、「通知は教職員との間で具体的な権利義務を定めたものではなく訴えは不適法」と判断。一審判決を取り消して訴えを却下した。
一、二審判決によると、教育長は2004年11月、各校長に通知を出し、「教職員が従わない場合、厳正に対処する」とした。
(共同)
広島県立高校の教諭らが、卒業式などで「君が代」斉唱時に校長の命令に反して起立せずに戒告処分を受けたことを不服として県教委に処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は21日、教諭らの上告を棄却する判決を言い渡した。教諭らの敗訴が確定した。
判決は、起立させる校長の職務命令について「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと判断した。同種の訴訟で「合憲」と判断した最高裁判決は4例目。
原告の教諭ら42人は、2001~03年度の入学式や卒業式で君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、県教委から戒告処分を受けた。
第三小法廷は、先行した3判決の内容を踏襲。職務命令が個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面は否定しがたい」と認めつつ、教育上の行事にふさわしい秩序を確保する目的などを考慮すれば、「制約には必要性・合理性がある」と結論づけた。
裁判官5人のうち、弁護士出身の田原睦夫裁判官は審理を高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。「一部の教諭らについては起立だけでなく斉唱まで命令されたと解釈できる」と指摘。「斉唱の命令は、内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との考えを示した。(山本亮介)
これの事か。
2004年3月11日、東京都立板橋高等学校卒業式が行われる。TBSの『報道特集』のカメラクルーが取材にきていた。まだ、開始の宣言もなく、卒業生入場もなく、保護者出席者が談笑を続けていた最中、午前10時よりもしばらく前のことである。被告人弁護側は、開始20分前の出来事としている。元教師Aは、サンデー毎日3月7日号の「東京都教育委員会が強いる『寒寒とした光景』」のコピーを配布し、「今年の卒業式では、教員は国歌斉唱の際に起立しないと処分されます。ご理解願って、国家斉唱のときできたら着席願います」と、保護者に呼びかけた。3分して、板橋高校教頭らが来て、元教師Aの行動をとがめ始める。元教師Aの主張によると、教頭が自ら、元教師Aの腕をつかんできたとしている。「なぜ来賓を追い出すんだ。私は、卒業生が一年のときの生活指導担当だ!」と抗議するも、元教師Aは卒業式の会場から退去することとなる。
午前10時のはずの卒業式開始は、後に、校長側の主張では、5分遅れたこととされていて、東京地方裁判所の認定では2分の遅れとしている。開式の辞の直後の君が代斉唱の際、出席者の多くが着席し、卒業生の9割が着席したとの情報もある。校長および教頭が起立しない出席者に起立を指示したが、多くは従わなかった。来賓の東京都議会議員の当時は民主党所属の土屋敬之も、立つよう声を荒げた。卒業式自体は、全体としては、清々粛々と行われた。卒業式直後のTBSの取材に対して、土屋敬之は、「立派な卒業式」だったとしている。
式典の最中にビラをまいて大声を出し来賓に起立しないよう呼びかける。
どう見ても威力業務妨害です。本当にありがとうございました。
こんなキチガイも一緒くたに擁護しなきゃならんとは、反対派も大変だね。
それだったら「認識」って言わないよ。大仰かな。まあ「変える」で充分ではあるか
それに、卒業式を廃止すべきとは主張していない、って言ってるじゃん
ハードル低いこと主張してるのになんでこんなかみつかれるのって感じだった
ない国もあるんだなあ、と思ってもらえれば俺にとっては覆ったと言える
「覆す」なんて大仰な言葉を使うから、日本各地で卒業式を廃止する学校がいくつが出てくる位の事を言い出すかと思って期待してたのに
もし「必要」なら無い国なんて存在しえないでしょ。
まあ確かに曖昧だったかな。覆したいのは、日本に卒業式は必要だという認識じゃなくて、いつでもどこでも学校には卒業式は必要なものという認識
だからどうやって?
海外には卒業式の無い国もあるってだけで覆せるとか思ってるの?
横だけどさー。
卒業式どころか運動会なんかでも国旗掲揚国歌斉唱がある学校だったけど、
「敬意の示し方」なんて全く教わってないよ。
国旗は「とりあえず国旗の方向いて立ってろ」と言うだけ(それが「敬意を示す」って事なのかね?未だに分からんが)
国歌はただ曲として歌詞とメロディを教わっただけ(勿論歌詞の意味なんて一切教わっていない。小1で分かるとも思えないが)
中学生になったら誰も国歌を歌わなくなった(校歌も)けど、教師も誰も強制しなかったなー。
今だったらマスコミが出てくる大問題だっただろうなw
いい時代だった。
少なくとも日本では、卒業式を不要だと思ってる人が大勢を占めた事は一度も無いんだけど。
だから日本が間違ってるのだ、と言いたいだけならお好きにどうぞ。
そういう手合いは基本無害だし。
みんなが不要だと持ってるのならとっくに廃れてるだろう。
過去何十年とそうならなかった時点で「全体にとって必要か」は結論は出てる。