はてなキーワード: 評論家とは
ジャニー喜多川による性暴力はもう起こってしまった以上、今後芸能界で同じような事が起きないようにするための議論を進めるしかないはずなのに誰もそんなことを考えていなくて、見ていて本当に悲しく虚しくなる。
周囲のタレントやミュージシャンも、マスメディアも、評論家やライター達も、ジャニー喜多川やジャニーズ事務所の「敵か味方か」という論争ばかり。ましてやネットユーザー達は……
発達障害は芸術家に向いていると聞くから、美術部に転部して絵や彫刻を描いてもらうのも良さそう。
本人の情緒も安定する。
ただねえ、100人以上の当事者が国連に押しかけて出されたインクルーシブ宣言。
日本はインクルーシブ教育が遅れてるから、早く普及させろっていうやつ。
下の妹さんを吹奏楽部から排除したら、あれに真っ向から反することになるんだよね。
そこが心配。
合奏の発表会で要支援の子に持たせてる楽器だけ音が鳴らないように細工してた学校が大問題になってたけど、まさに国連が求めてるのは、妹さんでも参加できる吹奏楽部なんだと思うよ。
たとえ音がバラバラになっても、みんなが参加して、自分のやれることをせいいっぱいやりきれる合奏。
ものすごく完成度の高い合奏には芸術評論家がお金を出すだろうけど、インクルーシブな合奏には国連や新聞社がお金を出してくれる。
それはそれで価値があるのかなと思う。
そういう人は評論家になってる
激務の真っ只中でコロナにかかりダウンして数日、思うところを椅子に座って仕事を始めるリハビリもかねて書いてみる。
会社規模、拠点数、看板を背負って有名な会社ばかりを相手にしている。
給与も徐々にボトムアップされ、新卒の給料もそこそこなのに辞める人が後を絶たない。
自分自身も中堅レンジに入っていく中、送別会で辞める後輩や先輩らから
ぶっちゃけ話を聞くことは多かったがだいたい以下の2つだった。
・仕事の仕方がやってられない(JTC特有の社内お遊戯会が多い)
今どき後者でバリバリ稼ぐじゃなく、定時帰りの仕事でゆっくり家族との時間をくらいでないとダメなのかもね。
と書きつつ私も今回コロナで休んだことでちょっと気持ちの整理をして転職をしようかどうか頭によぎるわけである。
若いころは苦しいことでもがき苦しみながら残業MAXでがんばってる自分カッコいいとか思っていた面もあったのかもしれないが、
もうそんな気力も年々薄れつつある。
睡眠時間も削っていることが数年続いているのは家族に十分知れ渡り、
あとは薄れる理由も周りの環境に疲れてきたのが正直なところである。
・前向きに進めることを言わない評論家の先輩、幹部社員(別に有識者でもないのに文句だけはすごい。改善策は言わない。自分で手を動かすことはない。)
・リソースの枠を超えた量の投げつけ
・リソース補完のメンバーは若手でどうにかしろ。納期短いし、スキルあるか知らんけどがんばって育成もしろ。(プロジェクトの上は私しか見てない)
・同じ思考や技術スキルで対等に話せるメンバーがいない(これは中堅流出でそういう人もいなくなったが大きい)
・ほかに相談しようにもそれはあーだこーだ理由をつけて進まなくなる
・上司とレビューをしたものを客に見せ、客に指摘をくらったら客の味方になる上司
若いころは自分にまかされてる、自分のドキュメントやら進め方が悪いとか思っていたけど、
本当にそうなのか?と思ったりもしたりするわけで。
他責思考でやばいんじゃないお前ってなりそうだけどこういうのが数年続くと書きなぐりたくもなるわけです。
若手もそういうのに早く気づいて辞めていくようにも思うし、
そろそろ自分も年齢が年齢なので今のプロジェクトなんて放り出してでも
だってこの会社にいたら定年か死ぬまで24時まで残業ですしね。
…こんなどうでもいいことを書いてても疲れてくるくらいにコロナは人を疲弊させる。
コンサートの前、しぬほどお洒落なカフェでしぬほどお洒落なコーヒーとケーキをアクスタと共に撮影し一息ついたところで、アイドルのブログについて話題が及ぶ。
「そう!この前のブログあったじゃん?その件で検索してて私見つけちゃったんだけど」そうして彼女が話し始めたのは、いわゆる「アンチ」の話題だった。
こういうツイートをしてる人がいて、こんなこと書いてて、こんなスクショ貼って、ばーって長文でこんな主張をしていて……、彼女が知らせてくれたその内容はまあ、酷いものだった。
一億総評論家時代、芸能人に醜い悪意をぶつける人が一定数いることは分かっていた。分かったうえで視界に入れないようにするしかないと思っていたものをまさか同じファンから差し出されるとはと面食らったものの、しばらくは当たり障りのないコメントをしていたと思う。
しかしアンチの存在について話しているうちに、そもそもなぜそのアイドルにアンチが着き始めたのかなんてことを話しているうちに、なんと私は泣いたのである。驚いた。相手はもっと驚いていた。
彼女いわく私はわりと冷めていてメンタルも強いと思っていたから、とのことだった。実は私もそう思っていた。彼女にとっては世間話で、そんな重く受け止められるとは思っていなかった、とのことだった。私もたしかに最初は軽く返そうと思っていた。
しかし話しながら湧き上がる感情を止めることが出来なかった。ヘラヘラしやがってこちとらオタクだぞ。冷静でなんかいられるか、というお気持ちである。
時代だから仕方ない?多かれ少なかれアンチなんてほとんどのアイドルにいる?そんなやつもいるよねーって流すのが大人?
いや、好きなアイドルに向かう悪意、嘲り、自分勝手な憶測、切り取り、捏造、全部普通に許せない。
世間話になんてできない。こんな言葉を見て悲しかったという話なら一緒に悲しめた、こんな言葉を見てムカついたという話なら一緒にキレた。
ただ世間話として気軽に話すことは出来なかった。
昨今、脱退やら退所やら仕事内容やらに対する不平不満をグループ内の特定のメンバーをサンドバッグにすることで憂さ晴らしするのが一部で流行ってるようだが、誠にクソ喰らえである。
そのグループに思い入れのない人間まで私もサンドバッグ殴りた〜い!のテンションで一緒になって叩き始めたりするのがさらにタチ悪い。キモい。
叩かれているアイドル…被害者のファンがまあこんな事情だし仕方ないよねと理由をつけて自分を納得させるのは、その人の心を守るために必要なことなのだとは思う。
しかし大前提として、被害者側に原因があるとしてしまうのは被害の矮小化であって決して許されることではない。
そういえば以前友人に、私が好きなアイドルは急にセンターに立ったから叩かれるのも仕方ないし…と言われていや仕方なくないよ!と反論したことがある。どう考えても仕方なくない。叩かれて仕方ないアイドルなどいない。
角膜にミュート機能を搭載し代わりに頭に花を咲かせることを生業にオタクをしているので普段は気づいていなかったが、あのお洒落なカフェで久々にアンチの実像を掴まされて分かったことがある。
私はできるなら自担にアンチ行為をしている人間なんて全員(自主規制)んでほしいと思っている。だから、そんな存在を何の気無しに世間話として話し始めた相手との会話の中で感情の齟齬に脳がバグり、涙となって溢れ出した。
そして数日を経て冷静に思う。アンチに対する湧き上がる怒りはファンとして正当なものである。
私に、私の好きな人に対する悪意について話すなというわけではない。ただ、話す時は両腕いっぱいに憎悪と殺意を抱えて話しかけてほしい。
https://www.rottentomatoes.com/m/the_little_mermaid_2023
https://www.rottentomatoes.com/m/the_super_mario_bros_movie
オタクくん達がポリコレ無視したから評論家の評価は低く観客には受けたと持ち上げたスーパーマリオは59%96%だからかなり近い数字だ。
マリオも最初は戦闘服のピーチを見てポリコレがー!!と騒いでいたのを、評価高いのを見て手のひら返したのに、リトルマーメイドがポリコレ無視したから観客に受けたって騒ぎ出さないのが不思議だ。
大卒が珍しくもなくなった世の中で読者の好奇心を刺激するようなマンガを作ろうと思うと大学院生レベルの知識がいるって昔評論家の誰かが言ってた気がするな
実際に修士号博士号まで持ってるような漫画家はほとんどいないだろうけれど、知識や教養の水準としては一般的な大卒レベルでは面白いと思ってもらえないということ
なので、高学歴の編集者が知識教養面で作品を支えていて名前は表に出ていなくても実質的に原作者みたいな役割を果たしているケースもよくあるらしい
だれもが内容が小難しかったり、設定に凝りまくったマンガを読みたいわけではないので、なろう原作系やらきらら系やら頭空っぽにして読めるマンガもそれなりに需要あるけど、
一定以上のヒットを狙おうと思ったりロングセラーとして読みつがれる作品にしようとすると、やはりマニアの考察に耐えうるような複雑さや奥深さみたいなのが必要になってくるよね
ライターという職業の景気はずっと下がり調子だったが、去年と今年でがくんとさらに落ちて、もう職業として維持できるものじゃなくなった気がする。
雑誌も週刊誌もどんどん休刊していて、単純に「食える案件」がほとんどない。
わずかに残ったそれは大御所が必死に死守していて、中堅や若手には手が出せない状態になっている。
出版不況と言うけれど、雑誌のレギュラーライターになればまぁ食えるという状態はまだ維持されていた。
雑誌の案件は手離れが早く、そのうえ安定的な収益が見込めたのでまだ魅力的だった。
だから、多くのライターは書籍の仕事を減らして、雑誌に力を入れるというのをやっていた。
だが、この10年で雑誌が壊滅的になくなっていき、そのポストはどんどん減っていっている。
まともにライターを食わせられている雑誌は、もう両手で数えるほどしかないんじゃないか。
雑誌のレギュラーライターというポストはもう100人も残っていない気がする。
ということは、ちゃんと食えているライターは下手したら100人ぐらいしかいないということだ。
その代わりにウェブ上ではメディアが爆発的に増えているはずだが、なぜかきちんと報酬を支払えるところはほとんどない。
1記事1000円、2000円というのが相場で、いっときは上がる機運もあったが、動画メディアの隆盛でまたジリ貧に戻った。
当然だがそんなギャラだとまともな社会人は暮らせない。というか、大人だったらお小遣いとしても心許ない金額だろう。
雑誌メディアのデジタルシフトもなぜかあまりうまくいっていない。というか、マネタイズの方法がまったく見つかっていない。
出版社のウェブメディアで食えるようになるかも、みたいな期待はしないほうが良さそうだ。
最後に残っているのが新聞だが、ここもライターが入り込めるポジションはどんどん減っており、残ったところには大御所が居座っている。
新聞に出てくる作家や評論家といった面々はもう20年ほど固定しており、変わる気配がない。
そのポストが空くのを待っていたら、新聞自体がなくなってしまうなんてことが起きかねない。
もし文筆業に憧れている若者がいたら(もはやほとんどいない気がするが)、今後この職業の景気が良くなったり、盛り上がったりすることは決してないと言いたい。
なんとか見つけたとしても、さらにいいポジションに入り込めるのを待っているあいだに、生活が維持できずに干上がってしまうだろう。
もし文筆を志す理由が、表現欲求はあるのだけれど音楽や映像は自信がないから自分にもできそうな文章を、といった理由だったとしたら、悪いことは言わないからもっと自分の欲求に素直になって音楽や映像をやりなさい、と言いたい。
文筆はほんとうに仕事にならなくなるから、文筆自体を楽しいと思える人間以外が手を出したら、人生を後悔してしまうだろう。
THE SECONDに対して期待を持ちすぎていた。というより勘違いしていたのかも知れない。
実力はあるのになぜか売れないと言われる種類の芸人がこの大会をきっかけに日の目を浴びるのかなと思っていた。
芸歴16年以上の大会。言い換えれば、16年以上対して売れてこなかった人達の大会。
諦めさせるための大会だったM-1グランプリで結果が出ずにしがみついてきた人達のための大会。あるいは中途半端に結果が出てしまったからしがみついてしまっている人達のための大会。
売れないのは売れないなりの理由があるんだろうなって思った。きっかけの問題ではない。
来年もこの大会を開催したいなら、フジテレビは決勝戦のメンバーを積極的に起用するかも知れないけど、他局が積極的に起用する理由がないと思う。
人は簡単に変わらないからこそ、若い人に期待を持つんだろうってことを改めて認識できる大会でした。
ここまで参加者についての言及をしたが、評論家気取りの素人審査員もキツかった。
なろうアニメの「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」が好きだ
「真の仲間」で略されることが多い
追放ものの元祖だそうだ。チート付与魔術師みたいに隠れた実力がある系でなく、
本当に最前線の戦いには戦力不足でついていけないが、人の少ない田舎では無双でイキれるぐらいの(実際イキり倒す)実力の主人公が、
あまり有名ではない
同時期に高品質作画アニメは多数送り出されており、なろう系も幾つも放映されていた
ファンタジーなら無職転生や王様ランキングを見てた人が多いはず
ニコニコでもyoutubeでも関連動画はほとんどない。アニメ感想サイトを漁っても実況参加者は少ない
一方で海外ではそれなりに高評価だったようで、youtubeの主題歌動画には海外コメントがそこそこついている
アニメ二期も決定した
説明が長くなったが俺はこのアニメが大好きで、配信で繰り返し何度も見直している
円盤ももちろん買い、先週も何度目か忘れたが全13話を通しで視聴した
誰にも同意されないだろうが構成と演出が神がかっていて見直すたび考察してしまう
おでん屋台の回はファンタジー世界ならではの漆黒の闇と屋台の赤ちょうちんの図を見るたび
「この緊張と弛緩の混ざり合った演出をどうやったら作れるんだ。アニメ実作者でもアニメ評論家でも誰でもいい、金を払うから解説してくれ」と唸っている
先週も蜂蜜酒の回で新たな発見をして「ウテナか!」と唸ってしまった
本題に戻ると、先週、新しい発見があった
「ふらせら」という、20年前に出たギャルゲーのコミカライズ作品で
こちらも解説すると無限に長くなるので端折るが、両作品の共通点は
・主人公たちは戦争の前線で戦っていたが、慮外のトラブルで脱落
・戦争の気配など全く感じない、自然いっぱいの辺境でスローライフを満喫する
となる
「主人公は美少女とじゃれあっててスローライフを満喫している」一方で、「戦争は全く終わってない」点だと思う
戦えるけど戦わない
積極的ではない、結果としての形で前線逃亡したのだが、そんなことは気にせず田舎暮らしを最高に楽しんでいるのが大事なのだ
主人公の周囲では、使命感にかられて参戦を志すもの、主人公に戦線復帰を促すものがいて、戦争を忘れさせてくれない
現代はメディアによって地球の裏で起きていることを臨場感あふれる映像で知ることができる。というより半強制的に知らされさえする
同じ日本の中で起きている犯罪的な虐待や差別を知らなくても、ウクライナの戦争は知っている
なんなら日本社会の身近で起きていることから目を逸らされるために海外の虐殺や差別、戦争報道が溢れかえっているのかもしれない、とすら思える
しかも、その戦争や残酷なジェノサイドは自分たちに全く無関係というわけでもないと、なぜか知らされてしまう
ウイグル民族の弾圧とユニクロの衣服は結び付けられて日常の場に入り込んでくるし、
ウクライナ戦争は「核弾頭が厚木基地や横田基地に打ち込まれるかもしれない」という切実さと結びついて、
「俺たちの日常を維持したいからウクライナ人だけでロシアと戦ってくれ」というジクジクした地続き感を抱えながらニュースを眺める羽目になる
水木しげるが前線から半ば離脱して南の島の楽園暮らしに至ったときは、左腕を失う負傷があったし、
なにより日本のアメリカとの戦争は「お役所仕事でズルズルと開始してしまった、やらなくてもいい無駄な公共事業~太平洋戦争~」だった
だからサボタージュに正当性を見出しえたし、戦後の反戦が強く共感を得られたように、
徴兵で駆り出された者の南の島での戦線離脱に責任感云々を見出す必要もなかった
こんなジクジクした気分から解放されたくて日本国家と一体化したい人たちが出てきてしまうのは理解できる
残念ながら自分は国家と一体化して何かやってる精神状態にはなれない
遠くにある、手出しすることも出来なくはない(実際に行動している人たちも大勢いる)戦争を、まるきり無関係と切り捨てることもできないまま傍観し、
さておきと、自分の生活のために働いて、マンガとアニメとゲームと動画視聴で怠惰に時間を過ごし、
その怠惰さを時おり責められ、ヘラヘラとやり過ごし、改めて怠惰に身をうずめておきたい