はてなキーワード: 自由主義とは
『80年代には海外では見直されていた「生活習慣病」という考え方』
https://news.yahoo.co.jp/articles/5015da26607a03ab2fd804f94bd39019607c12f9?page=3
ーー先生が立て続けに、「生活習慣病」について書いた論文を読んで驚いたのは、当初、アメリカでは真逆の発想で導入されたという事実です。1950年代から60年代にかけて公民権運動が活発になった時に、自由主義思想の広がりと共に広がったと書かれていますね。
《生活習慣病概念は自由主義的自己決定権意識と結びつくことで、自らの将来を自らの力で変えることができるという「健康版アメリカンドリーム」として米国の市民・政府・科学者の間で広く受け入れられたのである。(『糖尿病プラクティス』38巻2号)》
元々は、「生活習慣病」は、「専門家に縛られず、自分で自分の未来を切り開く」というアメリカンドリームだったんです。当時の発想としてはすごく良かったし、その考え自体は今後も活かすべきだと思います。
これ凄く重要な指摘だな
なるほど、「生活習慣病」という発想も、元々はそこまで悪いものではなかったんだね
パターナリズム(父権主義)に対する反抗の趣旨を含む概念だったと。
でも今は寧ろ逆だよなあ
みんなを補助しよう、って考え方だと思う。
個人の権利や自由を大事にするという意味で、個人主義者に似ている。
社会全体で助け合っていこうなという意味で、出生主義者に似ている。
個人側から見ると個人主義。社会は個人の権利を保障するための装置。
社会側から見ると全体主義。個人は社会を成立させるための道具。
出生主義者はだいたい、全体主義。でも全体主義のなかには出生主義者でない人もいる。
反出生主義はだいたい、個人主義。でも個人主義のなかには反出生主義でない人もいる。
たぶん、コメントの考えは個人主義かつ自由主義でしょう。出産は個人の自由だが、社会はそれをサポートすべき。って思想ではないかな。俺も賛同する。それでいいと思う。
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
さもそういう主張が真っ当で正しいことみたいに信じてる人がいるみたいだけど、そういう人ってとことんウクライナ戦争に関して他人事なんだなって思ってげんなりする
その隣国の暴挙を目の当たりにし、さらに核保有国相手では簡単にアメリカもヨーロッパも味方になって一緒に戦ってくれることはないというのが明らかになっている
そんな中で日本が自分の国を守っていくには、軍事だけでなく、国際社会のあらゆる場面で存在感を発揮し、自分たちは西側、自由主義国であることをアピールする必要がある
要するに、日本がどの陣営の所属でどんな考え方を持つか主張し続けることで、正面から敵対するのは得策ではないと共産主義国に思わせなきゃいけない
ウクライナはロシアとヨーロッパの緩衝地帯だから、という意識もあるのだろうし、東アジアでは北朝鮮が緩衝地帯という意識なのだろうけど、現実は日本韓国北朝鮮の三か国が緩衝地帯だ
アメリカからすると三国すべて失うのは安全保障上問題だから日本をバックアップするだろうと思われるとはいえ、最終的には防波堤という意識しかなかろう
中国も核を持ちアメリカと友好ではない以上、日本でいつ何が起こってもおかしくはない
そんな状況を本気で自分事と考えたら、ファシズムの動画に日本の天皇が入っているのはまずい
日本は今でもその子孫を象徴として掲げているので、過去と決別し歴史修正をせず直視する、というなら天皇家を滅さなくては辻褄が合わない
現実それはできないのだから、歴史修正と言われようが当時の政治家の責任であり天皇家はかかわりがないとしなくては今の日本の不利益になる
感謝を求めるのも同じこと
いくら武器弾薬供与国への感謝だから日本は関係ない、とは言え、ことあるごとにウクライナ自身に日本の貢献を発信してもらうことが、有事の際の日本防衛につながる
ウクライナを日本が支援するのは、可哀そうだからではなくて、助け合いをしっかりしとかないと日本も助けてもらえないからだ
だからこそ、感謝を求めるのは当然だし、それがないのなら支援など国益につながらないことになってしまう
はっきり言ってしまうと、それはインターネットに無学な人々、とりわけ女性が増えたからだ。
女性は遺伝的に、同調圧力に弱い。物理的に強い対男性のみならず対女性においても、常に友好的で良好なコミュニティを築いていくことが、生命の安全と継承に資してきたからだ。理をぶつけることよりも和を最優先する性質がある。
だから本来は自由であるように思慮深くゆとりを持たせて設計されている社会システムの中にいても、些細な衝突も起こさないように独善的なローカルルール、マナー、しきたり、儀式、プロトコルみたいなものを次々に生んでしまう。
かつそれを増長させて歯止めが効かないレベルにまで先鋭化させてしまいやすい。社会システムとして必要な猥雑さまでも刈り取ろうとする勢いだ。それは理に基づく訴えに見えて、内実は和の思考による歪み、贔屓を強く受けている。
男性のように、対立という事象に正面から向き合って物事をすりあわせていくアプローチが女性は苦手で、そもそも対立的な局面から逃げようとする。
そのために過度に自分たちを縛るルールを作り、それを正当な規律と思い込み、広く他人にまで押し付けるようになっていく。
そうした同調圧力と空気による支配は、未開な時代ほど色濃く、通りやすく、古代中世の宗教などにもよく見られたし、島国としてある意味で精神的な発達が遅れた日本人は特にそうした「空気」に抗えない国民性を持つ。
このような状況を俯瞰的に認識できていればいいのだが、無学な人間であるほど、過去の宗教などが犯していったのと同類の過ちを、ネット上で再現してしまいがちだ。およそ「炎上」というものをドリブンしているのは、そうした過ちに対する意識が低い人間と言える。
ネットの無名の群衆は、近代の偉大な思想家たちの理性によって基盤が作られた自由主義社会の意義をたやすく踏みにじる。
古代人類のように人間の集団心理に訴えかけて、理性やルールではなく、人情と裁量によって現代社会の均衡を崩そうとしている。
しかも当人たちは自覚がないどころか、より正しい「理性」を代弁し、より社会を健全にしているという認識でいる。まさしく独裁国家のような思い上がりである。
一度そういうムーブメントが起きてしまうと、それは国家レベルで誤った政策を国民が後押ししてしまうことにすら繋がる。ここ十数年でもそれを感じさせる国際ニュースは枚挙にいとまがない。
ミニスカートを履いて肌を露出したから娘を殺してしまうイスラム原理主義の父のようなもので、己の主張が行き過ぎたパターナリズムを後押ししている可能性がないか、常に気をつけてほしいものである。
SFが現実になっていく場面を我々は何度も目にしてきたが、ディストピアまでもが現実化してほしいと心から願う人はそういないはずだ。
センセーショナルに流布される傷ついた誰かの心に寄り添う情の心ではなく、多様な境遇を想像しどのような人も生きやすい均衡的なシステムや振る舞いを考える理の頭だ。
事前シミュレーションで勝機なしと分かっていた太平洋戦争になぜ日本が突入していったのか、そういう部分を理解できる人になら私の危機感が伝わるはずと思い長々と書かせてもらった。
正直、ウクライナ-ロシア戦争で左派の平和主義者が混乱してるのも無理はないと思う。
日本の戦後教育、ひいては世界の第二次世界大戦に対する総括として日本の立ち位置があまりにも曖昧過ぎた。
別に"大日本帝国はアジアの植民地を解放した!"とか思ってるわけじゃない。
でも帝国主義、アジア人、日本によるアジア人虐殺、米国による日本人虐殺、ファシスト、自由主義などなど当時の日本は現代の理屈で考えてもあまりにも体系立てて語るのが難しすぎる。
差別主義者で被差別民で先進国ありながらマイノリティであり、虐殺者でありながら被虐殺者である日本の立ち位置が難しすぎる。
そのせいであまりにも多すぎる矛盾に板挟みになった左派平和主義者は"ウクライナはファシスト国家に降伏して、ネオナチ政権を一掃すべき"みたいなわけのわからない結論に至らざるを得なくなってる。
そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続の社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性は財産の相続権がないわけだから。
んで、この社会は「男子優遇社会」なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子は相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり「男子優遇社会」の中で相対的に弱者だった。これが前近代の封建社会における弱者男性だよ。
上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代の自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性の人権なんざ薄っぺらい封建主義から人道人権が重要な近代主義に移行する仮定で、女性を尊重するに当たっての「物語」として男性は女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。
でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的なものだから仕方ない。
「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐性なのだ」みたいな価値観。日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画にだってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。
しかし、前述したように封建的だった時代から男性は女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会の優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化が要請された。
時代が進み現代になっても、この文化はあちこちに根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。
現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎の家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会は個人主義自由主義の社会だ。
にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性がその男性の能力や財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから、弱者搾取ではないか? これが現代の弱者男性でしょ。
別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。
皆そこは知りたいところだろう。
何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。
それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間を虐待する、理不尽で卑怯な単なるマイノリティ攻撃である。
いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。
だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。
独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家で日本のような大昔から独自の民主主義を持っていた国で、
武士道を重んじて来た世界でも稀有な民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である。
マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミに於いて顕著にみられる。
そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇、ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!
しかし日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネットに真実を発信出来る事はありがたいことだ。
我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。