はてなキーワード: 溺死とは
今まで身の回りの何人かが、死んできた。
・癌、病院のベッドにて
https://comic-days.com/blog/entry/cat50
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1806/04/news050.html
http://www.jprime.jp/articles/photo/13521?cx_click=photo&cx_clicktype=special
厳しいものがあった。
死に方については、題のような死に方を嫌った某小説家に始まり、色々な死に方がある。
周りを見回すと、その生活スタイルだと、病院じゃね?って思うことが多々ある。
まぁ、みんなそんなことあんま考えてないと思うんだけど、ここら辺どうなんだろう。
少女は自らを語ることができなかった。
何人かの男が現れ、立ち去り−−
男たちが集まって言った。
我々はついに究極の言語を手に入れた。
女たちが集まって言った。
何人かの男が現れ、立ち去り−−
与えられたことはなかった。
また男たちが集まって言った。
そこ、では
それは街の書店の陳列棚に平積みにされてしかるべき唯一の形態なのだ
それは海外でも広く受け入れられ
不遇な時を耐え忍び、苦難の果てにたどり着いた
また女たちが集まって言った。
そこ、では
それは街の書店の陳列棚に平積みにされてしかるべき唯一の形態なのです
それは海外でも広く受け入れられ
何人かの男が現れ、立ち去り−−
いま
この文化の中で
少女は自らを語り得ぬまま
無力な身体が動き
無風を受けて髪が揺れ、飾り紐がたなびき
舌のない口からは、ああ、息のない声が出てくる。
少女は涙を流さずに涙を流した。
(なぜなら、それは設定されなかったから)
(なぜなら、それは設定されなかったから)
(なぜなら、それは設定されなかったから)
男たちはそれを見て、全員が射精した。
女たちはそれを見て、全員が達した。
切断された舌の切れ端が生き物のように海を漂っている。
軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。
三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂の未遂くらいで終わってしまった。
希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズの新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。
リストカットはしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。
高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラと中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日も明日もハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。
正直17歳くらいで自分は死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。
大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。
それも居酒屋とホテルのバイトで疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。
あまりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。
その後いろいろあって至る現在。就職活動とストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。
ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。
親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。
自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。
飛び出すように家を出て、半日考えた。
私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。
親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。
事実、借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値さから目をそらしたかった。
でも逃げさせてくれなかった。大学を自主休講したこと、就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。
私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。
カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。
これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。
無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。
それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。
1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。
簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。
考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。
せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。
お父さんお母さん、お金と時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もう!!!
まただ、また選ばれなかった。
悔しい、悔しい…
いや今回は悔しいというより悲しさが勝ってるな。
でもどうやったってよぎってしまうのは「じゃあ自担は今どんな気持ちなんだろうか?」ということ。
これがよぎる限り自担の名前しょったアカウントじゃ悲しんでいられない、目に入るかもしれないし。
お願い同担たち、屈するな。
悲しいよな、悔しいよな、恨めしいよな、もう嫌になるよな、どうしたらいいかわからなくなるよな。
じゃあ、自担のこと諦められる?アイドル○○を辞めて欲しい?降りたくなる?
ここから逆転してもらおうよ、ファンなんて何もできないかもしれないけど「ファンでいること」はファンにしかできないよ。
当事者の方が悔しくて悲しくてしんどくて恨めしさもあるはず、それでもきっと彼はまたこの道を選んでくれるはず、彼だから。
選んだことを後悔させたくない、絶対になんとかしたい。お願い、お願いだから、この状況に屈するな同担たち…
息ができない、もう溺死寸前。
でもお願い、まだ彼はきっと諦めない。
未だ就活中の売れ残りのため8割値引き商品です。世間の学生が言うように100社受けたわけじゃないけれど、ESかくのがめちゃくちゃ億劫でここまできちゃった。今日一個面接受けたんだけど同じ待合室にいたあの子、すごくよくできそう(なぜ今まで残っていたのかはわからなない。たぶんやむをえない事情があったんだと思う)だったし、なんか担当の人もその子にはすごくニコニコしてた気がするから初めからあの子以外は落とすつもりなんじゃないかな。後のメンツは遅刻してきた人だし。
わたしはとにかくあがり症で口下手でデブスだ。女でデブスっていうのは生きてる価値ないよなって我ながら思う。企業もこんなやつ取りたくないよなっても思う。褒めるところに困るんだろう、いつも笑顔がいいなと言って落とされる。ブスの笑顔って他の表情よりは他人を不快にしない、その程度の価値だ。
で、表題なんだけど。どこに行ってもコミュ力明るい性格ポジティブって求められるよね。でも、人間、そういうやつばかりじゃない。求められない人間もいる。社会に必要とされてない人間が。でも、そんな人間でも生きるために必要なものは社会適合者と同じで。だから資源の無駄だ。だから、必要な分の金を集めたら安楽死させてくれる法律ができないかなぁ。自殺は万が一生き残った時、後遺症で今よりもっと周りの人に迷惑かかる可能性があるからいまいち踏ん切りがつかない。罪をおかして方で裁かれ死刑になる可能性のある法治国家なら、生きているのに役立たずっていうのを罪にしてくれればいいのに。この一年、死にたいって何回も思ったよ。ドラッグストアの洗剤売り場で考え込んだこともあったし、溺死を期待して父親の焼酎をマグカップで三杯飲んでから風呂に頭を突っ込んだけど意味なかったよ。まあ、やり方が生ぬるいんだけど。学校の5階の窓から飛び降りればいいかな。
なんの才能もないどころじゃない、人並みに満足にできることなんて何もない。生きてて生産性のあることなんて何もできないんだから早く死にたい。フィクションみたいに不幸にも余命の近いいろんな人に望まれる人に寿命をあげられるならあげたい。たった20年だけど、生きてることに向いてないってまざまざと思い知らされたんだから早く生きるのやめたい。
わたしは容姿には恵まれなかったけど家族や友達には割と恵まれてる方だと思う。希死念慮のある人って人間関係に問題がある人が多いイメージだけど、わたしはなんの問題もないのにこんなに生きたくないのって本当に生きてるのに向いてないんだと思う。人生楽しくする努力も今更やる気でないし。あー早く死にたい
中野の有料老人ホームで介護職員が入居者を溺死させた事件の報道を見てて気になったこと
私も一時期有料老人ホームで働いていたので2人体勢の夜勤て規模の小さい施設なのかなと思いきやTVに写ってるのは結構大きな施設
気になって該当施設のホームページを見たら70名定員。夜勤は3人~と書かれていました。
私がかつて働いていた有料老人ホームは50名定員で夜勤は3名体制でした。
3名でもなかなか大変でした。
運営会社の社長が謝罪して職員の研修と安全対策を強化すると言ってるのを見ましたけどまずは人員体制をなんとかするのが先じゃないの?
擁護するつもりじゃないけど介護職員て真面目な人程苦労するのよあれもやらなきゃこれもやらなきゃとそれで自分で抱えきれなくなり爆発する
介護施設は満室になったらそれ以上は売上が求められないので後は切り詰めるしかなくてまずは人件費を抑える為に職員を少なめにする
だから汚したら自分は知りません次のシフトの職員がやればいいじゃんといい加減な職員が生き残り真面目な職員は潰れていく。
一見うまく回っているように見える施設もよく見たら汚れっぱなしでゴミも溜まって結構汚いよ。
そして職員はこれは自分の仕事じゃないからと放置型のいい加減職員だらけで介護の質は低下するばかり。
夜中にナースコールが鳴り響いても自分の手は2本しかないからそこまで手が回りませんと平気で放置や後回しする職員ほど生き残れる。
タイトルの通りです。なんか猛烈に感動してるんだけど、彼氏もいないし誰かに話すようなことでもないのでここに書く。ってかこれなんか規約とかに引っかからない?大丈夫なの?
そして匿名ダイアリー使ったことほとんどないのでなんか失礼があったらすまんね。
脱毛サロンに行ったわけじゃなくてセルフなのでまあ数日後にはまた除毛に勤しまないとパイパンを維持できないんだけど。
夏だし水着着る予定もあるし、ビキニのパンツからはみ出るような粗相をしたら溺死したくなるだろうなと思い、軽く処理をしようと思っていろいろググって剃り方とかなんか色々勉強してたんですけど、調べれば調べるほどあそこの毛ってクッソ邪魔じゃねえ?という気持ちが募りまくりまして。いや、毛は毛で役割を果たしているのであろうことは推察されるのだけど(陰部って粘膜組織なわけだし…)あ、ちなみに分かると思うけどわたしは女です。今年で21になりますが彼氏のいない処女です。
じゃあもう全部なくせばいいじゃん、と思った私は薬局に向かいました。
季節が季節なのもあって除毛クリームはいろんな種類のものがたくさん陳列されておりました。あ、なぜ除毛クリームにしようと思ったのかといいますと、カミソリはかゆくなるのを経験則で知っていたのと粘膜付近に刃物を使うのが嫌だったのとサロンに行く時間も金もなかったからです。あとサロンのお姉さんの前で砕石位というかM字開脚しなきゃいけないのがめちゃくちゃ嫌だったというのもある。
沢山置いてはあったのだけど、ビキニラインとかデリケートゾーンに使えるものって殆どなくて、結局2,3種類くらいに絞れたうちの一番安いやつを買い、自転車を漕いで帰路につきました。
わたしが今回買ったのはお風呂で流すやつ。クリームを塗って、5分くらい放置したあとスポンジで撫でながら洗い流すというものです。
早速パッケージを破りクリームとスポンジ(クリームについてた)を持っていそいそとお風呂に向かいました。
いきなり陰部に取り掛かるのはなんか良くない気がしたのでとりあえず足に塗って、放置して流してみました。おお、取れる取れる。毛の根本が溶けてる感じです。この時点でだいぶ感動していた私は、主目的の陰部に取り掛かりました。なんか恥ずかしくなってきたぞ書いてて。
とりあえずいきなり粘膜方面に行くのはやめとこうと思い、子宮のあたりにクリームを塗りました。ちなみにクリームを塗る前に毛足を短くカットしてます(毛根に塗らなきゃ意味ないかなという推察のもとです)
そして5分放置。この五分がカップラーメンの3分並に長い。スマホ持ち込んでてよかった。
ソシャゲのイベントを走りつつ待ちまして、5分少々が経過。どんなもんかなと流してみると、うおおおめっちゃ取れる!すごい!!!!!!地肌がめっちゃ見える…というかマジで無毛になりました。毛根は残ってるんだけど見た目じゃわからない程度。すげぇ。なんかAV女優みたいな恥部だよ!
同じ要領で粘膜周りにもクリームを塗り(たぶんこのときは粘膜にクリームが飛ばないように気をつけたほうがいいんだと思う)放置して流しました。このクリームを塗ってる絵面、他人に見られたら死ぬやつだった。このへんは障害物が多いのできれいに毛をなくすのは難しいけど、まぁ許せる範囲にはなった。どうせ誰も見ないし。
そんなこんなでパイパンになりました。股の爽快感が半端じゃないのと蒸れないのとパンツから出ないのとで今のところは最高です。一生パイパンでいたい。
そして一人で黙々と大真面目に陰部を触っていたからなのか、なんかこうハイな気分になったわたしはビールを開けはじめ、酔った勢いなのかそういう気分だったのか今となってはわかりませんが気づけばローターをポチっていました。ウソだろ。というわけで数日後うちにローターが届きます。なんか前ツイッターで回ってきた話みたいになってきた………。パイパンにした勢いでローターを買い一人でやるというこの流れ、ムフフなマンガにありそうな展開ですね。ネタにしていくらでも描いてくれよな。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017072100243&g=int
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011067331000.html
http://www.yomiuri.co.jp/world/20170721-OYT1T50076.html
先週は同じ話題で三社が波紋を繰り出した。ただ時事と読売は「発言が波紋」でNHKは「発言に波紋」と真逆の撃ち合いである。誰に気を使っとんねん。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247621
駅のポスターの波紋が自殺を防いだという事ではないと思われる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170722/k10011069711000.html
https://dot.asahi.com/aera/2017071800069.html
波紋からの余波。余波っつってんのに「私だ」は「いやお前が振動してんだろ」と突っ込みたい。
http://news.livedoor.com/article/detail/13362968/
1セットも落とさず優勝という圧巻のウィンブルドンだったが、そうか、波紋か。
http://news.livedoor.com/article/detail/13361819/
波紋を便利に使っている上に問題の焦点が違ってるというまさに「編集を呼べ」案件。
https://mainichi.jp/articles/20170720/k00/00m/040/080000c
波紋にはいろんな襲来の仕方があってこれは「呼んじゃった」ケースである。しかも波紋を呼んだというより明確に田中さんが怒っているのだがタイトルからは田中さんの怒りがあんまり察せない故に波紋を呼んだ感程度が妥当といういい感じのティザー具合なのだがひとついいかね、僕は新聞記事が読みたいんだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まずは「肯定している可能性」と、「否定はできない可能性」の区別をするとよい。
そもそも、この世は危険で溢れているし、自分がそれに巻き込まれない可能性は排除できない。
いくら注意したところで、だ。
高いところから物が落ちてくるかもしれないし、雷に打たれて死ぬかもしれない。
車は毎日走っているし、あらゆる交通機関で事故の可能性は伴う。
階段から転げ落ちるかもしれないし、浴槽に浸かっていたら溺死する。
それでも私たちが安穏と生きているのは、別にその可能性を知覚しているからでも否定しているからでもない。
正確にはあらゆる可能性を“肯定していられない”と言ったほうがいいかな。
私は批難袋と非常食を常に用意し、シェルターも保有していて、有事の際のもろもろを多く身に着けている人間だ。
だが、それは肯定している可能性のベクトルだとか数の問題で、絶対的な安全だとか、万全な準備などを意味するものではない。
サメに襲われることを恐れて海水浴をやめたり、自動販売機に殺されたくないから喉がカラカラになっていくのを我慢したりはしない、というわけだ。
あらゆる可能性を肯定しなければ生きていけないのならば、人類は既に絶滅しているといっても過言ではない。
私は不幸や不条理で死ぬ可能性も、自業自得で死ぬ可能性も明確に区別していないし、できるとも思っていない。
そんな世界で「否定はできない可能性」に怯えて生きる方が、むしろ正常ではないと思うぞ。
断っておくが、仮に私がその「否定は出来ない可能性」によって死ぬとしても答えは変わらないからな。
まあ、答えは変わらないとは言っても、死人に口はないのだが。
私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、
何らかの犯罪をおかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。
それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実が奇跡としか思えなくなる。
サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリのバランスを保っているように感じて怖くなる。
私はとても不注意な人間だ。
病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。
今は、私は自分という人間の特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。
子供の頃は本当にひどかった。
どういう訳なのか今の自分からは想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険に晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。
例えば…
学校で彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。
あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。
道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。
思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。
頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。
私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。
馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。
ど田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、
親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。
今は20代後半だが、今までずっと健康そのものだし、犯罪をおかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。
犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。
私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。
それは、やっぱり環境だろうなと思う。
ここでいう環境というのは、家庭のことだ。
私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。
でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、
無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。
今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は
私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。
私は結局親と同じように教師になった。
まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。
だけどニュースは今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。
私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。
そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。
私と同じように考えている人はいるのだろうか?