はてなキーワード: 忠誠心とは
具体例はググればいくらでも見つかるので割愛するが、私大入試の歴史とか本当にひどい。
国公立より受験者が多いから、論述問題を出しにくいというのはまあわかる。
しかし、それにしたって教科書にも載ってないような用語や、どうでもいい事件の年号ばかり聞いて何がしたいのか。
トリビアみたいな知識や、キリストの生誕が半年遅れたら全部ご破算になるような数字の羅列を
2chのその種のスレでは、「『悪問』とされている問題は解かなくていい、他が解ければ受かるから」
とフォローされていた。それはわかるが、解かなくていい問題なんか最初から出すなよ。
と、そんな風に思っていた時期が私にもありました。
あまりに考えが浅かった。
「無意味である・無価値である」こと自体に、意味や価値があったのだ。
つまり、一見無意味な用語をひたすら暗記させることは、ただでさえ併願で逃げていく率の高い一般受験生に対し、
大学への忠誠心を試すための「踏み絵」として機能しているのではないか。
そう考えると納得できた。
例えばしごきや研修やバンジージャンプみたいに、部活や企業や特定の文化において
客観的に見ればあまり意味のないような通過儀礼がよくあったりするが、
日本人という生きもの(今日の主語)は神の愛を知らないものですから、基本的に愛だの幸せだの権利だのセックスだのはすべて金で買えると考えています。
というか、金でもって費やした額でしか、ある対象についての愛情を定量的に推し量るすべはないわけです。ないと考えられているわけです。
それはまあ、しょうがないです。
問題は、日本人という生きもの(以下、私たち)が暴力を行使する権利までも手放したコインの重量で決定されると思い込んでいることで、この手の信仰は倫理的にただしくないよと活字上では言えたとしても、現実生活で意識するのはなかなかにむずかしい。
たとえばファミレスのバイト店員のサービスが悪い。マックの店員の笑顔に嘲りが含まれている。デパ地下で購入したおかきにひびが入っていた。
これらはすべて担当者をゲザらせるに足る理由となりえるように私たちには思えます。むしろ、膝をついて頭に床につけて誠心誠意詫びを尽くし、その上でこちらの懐に「どうかこれでお納めを……」と年間無料パス的なサムシングを忍ばせる以外にどんな解決法がありうるというのか。私たちにはそうした謝罪を受ける権利があるのではないか。だって金を払ったんだから。
そうですね、その主張はただしい。
圧倒的に正しい。
「お客様は神様です」という慣用句を三波春夫が本来どんな意味や文脈で用いたとしても、RTで大炎上時代を生きる我々の目には「お客様=GOD」という極めて自明で論理的な構文にしか映りません。
それでいいんです。
販売者に手落ちがあったら徹底的に責めればよろしい。土下座でも営業停止でもなんでものませればいい。
で、本題に戻ります。
では、同じコンテンツを嗜んでいる他のユーザーまで殴っていいのか?
試食コーナーに提供されたおかきをポリポリ食って訳知り顔で「やっぱ関西人はおかきの作り方を知らんわ。赤坂柿山の爪の垢を煎じて飲めよ」とコメントしたおばあちゃんにカチンときたからといって、ひざげりを食らわす権利は私たちにあるのか?
あまつさえ、そのばばあがくるりとこちらをむいて、「あんたみたいな嫁き遅れにおかきの味がわかるんかい?」とからまれ、その時に、相手のしわくちゃ面が先日見合いしたアンパンマンみたいな顔をした地方公務員の母親に酷似しているのに気づいて大変に不愉快な思いをしたとしても、手をあげてはいけないのか?
汝が隣人を愛せよ。
「オタ仲間同士は性別やこじらせ具合を越えて仲良くせよ」というゴッドの教えです。
神の教えです。
神がいないので倫理がありません。
だから殴ってもいいんです。本当のところ、私たちの暴力に理由なんていらないのです。
理由なんてものは二千字のレポートを要求された大学生にとっての最後の二百字にすぎません。
埋草なのです。冗言なのです。意味なんてないんです。
「私はコンテンツに対して人一倍金を払っているので、忠誠心に劣る他のユーザーを殴る権利がある」?
「私はコンテンツに対して人一番時間を費やしているので、理解に劣る他のユーザーを貶す権利がある」?
単なる文字列です。
なぜ私たちが他人を殴れるかといったら、殴っているから、殴ったから、殴るであろうから、それだけでしかないんです。
オタクの世界はすべてアクションで構成されています。言葉はなんの力もありません。言葉はなにも生み出しません。
ここはすでにファイトクラブです。人は人にすぎず、出来事は出来事にすぎない。インターネット以前から、twitter以前から。
私事ですが、最近サブ垢を、twitterのサブ垢を消しました。
Facebookアカウントなんて最初から持っていません。LINEもやってません、といいたいところですが、極めて遺憾なことに現代社会の必須ツールです。
私たちは夜毎夜ごとにあなたたちのブックマーク一覧を巡回する死せるオフィーリアです。
永遠の命が欲しいならまず死ぬことです。おまえはタイラー・ダーデンと知り合いか、ちかごろ私たちはよくそう聞かれます。
喜びは本編BD一巻分の値段です。
蔑みは作っている本人たちすらももうなんのためにどういう理由があって作ろうとしたのかわからないサブキャラのネタフィギュアの値段です。
いつものように難癖をつけて泣き土下座させているガストのバイトこそ、輝ける運命の人なのだといつか突然気づきます。
その人は、ひとしきり泣いたあと、はれぼったいまぶたをごしごしとこすりながらきっとこう言います。
「理解して」
「逃れられる」
「墜落を回避できる」
「そのために、話して」
俺はただ可愛らしいキャラを愛でてたいだけなんだよ。
それなのに何だ、やれ素材が必要とかいって気が付くと似たようなクエストを何回も何回も千本ノックさせられる。
これが例えば恋愛だとして、そんなに労力をかけてまで愛を注ぐ価値があるのかってことだ。
とくにひどいのはタイアップキャラクターに対する忠誠心を利用する場合だ。
正直に言うがそれが原因でタイアップ元まで嫌いになったことが何度もある。
実名を出すのは気がひけるのでぼかすが、このところ連日の様にCMが流れている某ゲームをやってみてはいるのだがルーンを何十個と集めなきゃキャラが育たないとかいくら体力無制限だからってやる気にならんだろ。
大体リセマラだけで相当消耗してるのにそこにこの仕打は何だ。
分かってくれよ。俺はただ可愛らしいキャラを愛でてたいだけなんだよ。
一九二八年、ぼくは九歳で、コマンチ・クラブという集まりの忠誠心の強い一員だった。学校のある日は毎日午後三時、ぼくたち二十五人のコマンチは一〇九丁目のアムステルダム街に近い第一六五公立学校の男子専用の出口の外で、ぼくたちの酋長に拾いあげられた。酋長の運転する二度目の奉公の商業バスに、ぼくたちは押したり突いたりして乗りこんだ。酋長は(ぼくたちの親との金銭的契約にしたがって)ぼくたちをセントラル・パークに運んでいった。ぼくたちは天候が許せば午後いっぱい、季節に(だいたい)合わせて、フットボールか、サッカーか、野球をした。雨のときは、例外なく自然博物館かメトロポリタン美術館に連れて行かれた。…
↑この訳文は、大津栄一郎による翻訳で、岩波文庫「20世紀アメリカ短篇選【下】」に収録されているものです。読みづらいので別の人の訳で読むことをお勧めします。
http://diamond.jp/articles/-/53748
記事は「みんなこの改革を理解してないで的外れに反対している」ってことなんだが、この改革や記事の人がまったく理解していない(あるいは意図的に無視している)ことがあって、それは「大半の人は生産性が低い」ってことだ。というか「生産性ってのは属人的だ」って話でもある。
外資も含めていろんな企業で働いたし見てきたけれど、ある仕事を遂行するにあたって、どのくらい仕事できるか、利益に貢献できるかってのは、非常に属人性が高い。いわゆる「仕事できるやつ」ってのは、本当に掛け値なしにできる。同僚の20倍できるやつってのは事実存在する。それは一握りだとしても、10人程度の部署であっても3倍4倍の生産性の違いがあるのはザラだ。それは経験がどうとか年齢がどうとか入社時期がどうだとかじゃなく、もう本当に属人としか言いようがない。人によるのだ。
それでも日本的な企業ってのは、おおよそ給料は横並びだ。できるやつは多少給料に色がついてるだけで、間違っても20倍ももらえない。せいぜい出世が早くなる程度だろう。それすらも企業の規模によってはない場合も多い。現場のエースを管理職に回したら現場が回らない、程度の理由でだ。
生産性が低い労働者ってのが、属人として生産性が低いわけだが、それでも会社に貢献できる(とされている)ことがあり、それが残業なのだ。日本の少なくない企業で、残業というのは業務を終わらせるためのものではなく、「わたしは会社に対して忠誠心高い社員です」というメッセージを、労働者が周囲に示すために行われている事実ってのが現実じゃなかろうか。続くメッセージは「わたしが、給与に対して割り当てられた該当業務において売上ノルマの売上を確保できなくても、給与はちゃんと下さい。なんといってもわたしはこんなにも忠誠心が高いのですから」ということであり、これが「日本の労働は生産性が低い」の光景だ。
「日本の労働文化は国際的に見て生産性が低い」「だから生産性の高い人に対しては報酬で報いるべきである」ってのは正しい。正論だ。でもこの話の本質ってのは「忠誠心とかなんとか奇妙な踏み絵じみたアピをする無能な奴は全部アレしちゃおうぜ」って話なのだ。アレってのはもちろんクビを切るなんて云う安易な話ではなくて、無理やり生産性を上げるってことだ。そのために(スパルタンに)管理するという話でもある。そしてそれはムチとして「残業代カット」を含むだろう。だって同じ給与のエースは、残業をつかわなくても2倍のノルマをこなしているのだから、同一成果同一賃金の法則に照らせば、生産性が低い労働者に対して残業代を払うのは不公平だ。
おそらく圧倒的多数の国民は無意識にせよこれに気がついている。
「労働時間の規制改革」に反対しているのは、べつに「本質が理解できてないから」ではなく「自分がいままで寄生していた」自覚があるからだ。「仕事ができなくても、上司の嫌味を聞きながしながら長時間デスクに座ってればお給料がもらえる既得権益」を守りたいだけなんだ。だからこれは戦略的に見て極めて正しい反対である。
もちろんそんなことをしてれば会社も国も傾くけどな。
○朝食
○昼飯
なし
○夕飯
○調子
すこぶる悪い。
理由は親ともめたから。
ただくよくよしてもしょうがないので、楽しく生きよう。
○Doritos Crash Course2
1はローカライズされてないし、実績が難しいので2をじっくりやることにした。
(期間限定らしいし)
キネクトゲーは難しいのが多いなあ。
「心の光が影を作る」なんて魅力的なキャッチコピーなんだろう。
イート村でのサーリアとのエピソードは凄く感動的で、またもやうるうるしてしまった。
このリアルというのは、ネネからの借り物の力ではなく本物のリアルの自分という意味なんだろうなあ、深い! 面白い! 楽しい!
醜い姿になりながらも忠誠心だけは忘れないザボ、しかしそれも結局次の復活という目の前の自分の利益にはかえられないムジュン。
どれも感動的で、ゲーム的にも怒濤のボスラッシュも楽しかった。
「悪いな、これは俺の光だ!」はかなり格好いい台詞!
これはさすがに何も想定していなかった。
(実は一回全力で殺したのは内緒)
(とはいえ、これは、ゾラもリアルを使えたことから裏切りの裏切りは予想できてたんだよなあ)
エンディングのジブラル王の「自分たちの心の光、どう使うかは自分次第か」というのが、
ネネが使う魔法も、シュウ達が使う魔法も同じだけど自分次第っていうのが、良い価値観だよなあ
そしてオーラスのスタッフロール、勇敢な曲がまたこのブルードラゴンの終わりにふさわしい良い曲なんだよなあ。
悲しい感じも楽しい感じも似合わない、勇敢に前に進んでいくのが、ブルードラゴン、というかシュウらしくてかなり好みの曲です、サントラ買おうかなあ。
サブイベントなどやってないシナリオがたくさんありそうなので、二週目するかどうか早くも悩み中。
とはいえ、少し寝かしてから二週目かなあ、いやあ本当良いRPGだった!
FF13以来に普通のコマンド式RPGをしたけど、FFやDQで育った世代としては、やっぱりこれぞゲームって感じがしてとてもとても楽しかった。
いろいろと就職活動した結果、第二希望の飲食系に就職が決まった。
次の4月から3ヶ月間の試用期間を経て、いきなり店長代理からスタートだ。
部活の副部長にもなったこともないのに店長代理。オレも出世したもんだ。
学生時代に「はい、よろこんで」と作り笑顔でいうバイトはやっていたんで、人前に出ることは不安がない。
飲食業なのだから、「味」とか「おいしさ」の追求とかさ、料理人の腕的なものが社員共通のプロトコルなのか、社長への忠誠心がプロトコルなのかそこだけが心配で仕方ない。
バイトをしていた店では、お店に指導にくる本部のスーパーバイザーと店長や板前さんの間では、料理人の腕的なものや接客のプロ意識的なものが共通のプロトコルであり、価値判断の基準だった。
他のライバル店と比べてどうなのか、業界内での立ち位置はどうなのかとか、その基準が経営者までの意思の疎通に使われていた。
ところが、おいらが内定をもらったところは、どうやらあまり業界内での立ち位置や料理を作る技量的なものには興味がないようだ。といまさらながらに気がついた。
そんなことよりも、社長が言ったことに対して、どれだけ素直に洗脳されるか的なスタンスが取れるかが会社内でのポジションに影響が出るらしいことが先輩社員たちとの事前の研修会でわかったことだった。
この点でとても悩んでいる。
大変、申し訳ないが内定を返上して、もう一度やり直したほうがいいのか。
人生の重大な分かれ道にいる気がしてならない。
うむ、まごうことなき被害妄想。もう1回転職すれば、としか…。
単に1日24時間の配分先があなたと他の社員では違う。それだけの話。
センシンコクでは本当の(笑)キャリアウーマンはベビーシッターを雇うそうですね。
このような愚痴を書いているということは当然そんなお金はないと思いますが、
その程度の稼ぎだということは元々気にするようなキャリアではないということです。
したり顔で意見してくる独身社員がいたとしても、結局その独身社員も長い長い労働時間とそれに伴う
安い時間単価、そして忠誠心(臆病な中小企業の経営者はこれを一番重視しますから)に対して給料を
もらっているだけであって、なにひとつ大した能力を持ち合わせていないということです。
この日本という国では、時給1000円ちょっとのバイトでも自分の仕事に変なプライドを持っていたりしますが、
そもそもそれが間違いの元なわけです。プライドを持ったところで市場の評価は時給1000円なんですから。
http://anond.hatelabo.jp/20130611130854
社会主義に向いていない人の特徴 はあまり見かけたことがないので、10個挙げてみました。
過去に出会った人々の中で、「社会主義に向いていない」と思った人々の特徴をあげていってみました。さすがにこの特徴を全て満たしている人には会ったことないですが、近い人はいた気がします。
他にもたくさんあると思うので、これぞという人を思いついたらぜひ教えてください。
文責 内務人民委員部