はてなキーワード: 安保とは
憲法がなんのためにある?って問いに、「国家の権力が暴走しないように」っていう高校生の社会の授業みたいな答えで満足できるうちはそう思えるかもしれない。
その答え自体は間違っていないのだが、せっかく大人になったのだからもうちょっと視野を広く持って深く考えた方がおもしろいことが見えてくる。
たとえば、「じゃ、憲法が規制しようとする国家の権力(=power=暴力=軍事力+警察力)はなんのためにある?」っていう問いにはどう答えるのか?自存自衛できることは国家の要件そのものだ。
憲法にはそもそも国家に自ら破綻を強いるようなことを書けるんだっけ?国家の権力が存在することを前提としてそれが暴走しないようにするためのものなのに。
憲法の直接的表現よりも優先される法的束縛力というものは確実にあるのだよ。外交条約もその一つ。
また、たとえば憲法を改正して「黒人は殺せ」とか「ユダヤ人は殺せ」とか書いたとする。その新憲法は法的に正当なものになるのかな?
このあたりまで視野を広げると、憲法を現実生活の中でとらえる一般国民と、空理空論で安保法制違憲論を唱える憲法学者、どちらがより健全な憲法のとらえ方をしているかが逆転してきてしまうのだ。
仮に憲法学が学問の名に値し、科学的な態度を尊ぶならば、安保法制を違憲と唱える憲法学者は安倍首相に感謝するべきだろう。
実験や観測で得られた「観察された事実」を説明するのが「理論」。
現在、受け入れられている理論(定説・通説)で説明できない事象が観察されたとき、それは学問が発展する大きな機会だ。
惑星の動きを説明するために天動説が唱えられていて長い間人々はそれに疑問を持たなかった。
ガリレオの地動説によればより簡単な理論で惑星の運行は説明できたが、その精度は天動説の周転円による理論と同じだった。
だが、ティコ・ブラーエにより観測された火星の運行を天動説の周転円理論で説明するのは困難を極めた。
そしてケプラーは、惑星の運行は惑星が太陽のまわりの楕円をたどるとする新たな世代の地動説を唱えた。
さらにニュートンは万有引力の法則を導入し、これに数学的根拠を与えた。これが新たな世代の理論となった。
さらに時代を下ると、地球の自転する方向である東西方向と南北方向で光速度が同じになることが発見された。
これは物体の運動速度には加法(足し算)が成り立つとするニュートン力学の前提を揺るがす観察だった。
これを説明する新たな世代の理論はアインシュタインの特殊相対性理論だった。
さて、憲法学者たちが今日、持っている理論で安保法制の合憲性を証明できないとしよう。
しかし、安保法制自体は現実の政治のなかで必要であるし(そのことは民主党すらも類似の法案を対案として出さざるを得なかったことで分かる)、成立の暁に最高裁に100回持ち込まれても100回合憲判決が出るであろう。
今後、現実の政治制度のなかで安保法制は合憲・合法のものとして扱われることになるのだが、それを現在の憲法学の理論は説明できないことになる。
すばらしいことではないか。
君らは今次の安保法制の合憲性を説明する新理論構築という新たな大事業に取り組むことができる。
憲法学は現状を追認するだけのつまらん学問もどきだという烙印を世間から押されることになるかもしれない。
しかしそれは憲法とは何か、憲法がなんのためにあるかを考えるふりをして実は考えてこなかった報いだ。
甘んじて受けてほしい。
国民の理解が得られないことを推進することによって、なにか問題があるのか?理解度テストでもすんの?
高度な問題になるにつれ理解できない国民はふえるわけだが、こいつらの言う国民って誰?
かなり詳しく教えてくれて非常に助かる。
http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/anzenhoshouhousei.html
には
【問1】 集団的自衛権とは何か?
【答】 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利です。
しかし、政府としては、憲法がこのような活動の全てを許しているとは考えていません。
今回の閣議決定は、あくまでも国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限度の自衛の措置を認めるだけです。他国の防衛それ自体を目的とするものではありません。
などと書かれているね、
要するに例えば、日本と近しい国が攻撃され、それに日本が巻き込まれそうだったり、近しい国が被害を受けることで日本の(他国の協力を含めた)戦力が減退し、攻撃を仕掛けた他国の格好の餌食になってしまう(そして徴兵制が必要になる)ことを防ぐもの、という感じなのではないかな?
安保法案に多くの憲法学者が反対しているのは、その内容が現行憲法の解釈次第では憲法違反になるからという理由なわけだが
(あるいはそれにかこつけて法案内容が気に入らない左翼も混じっているだろうが)
法案に反対する反日マスコミや、そのマスコミの妄言を真に受けてしまった愚かな大学生たちは法案の内容が気に入らないようだ。
さらに後者には太平洋戦争の戦場を知っている老人まで混じっている。あえて言わせてもらうが彼らは老害である。
なぜそう言わなければならないのかというと当時の戦争を頭に思い描いて現代に戦争反対を叫ぶからである。
現代の戦争は70年前のようにジャングルに潜って歩兵がどうこうするようなものではない。戦闘方法のみはない、
戦闘行為の持つ意味、期間、経済面、どれをとっても過去の知識で語れるものではなくなっている。
彼らは戦争を忌避するがあまり知識がブラッシュアップされていない。
法案内容に反対する若者の中にも同じような感覚で戦争を捉えているのが多い、これは戦争=悪として戦争について考えることを
放棄したがために幼児のような思考でしか戦争を捉えられていないからである。平和を望み平和を考えるのであれば、
戦争を考えることは避けて通れない、法案反対デモをやっている奴らは本来の意味で平和がなんたるかさえ理解していないのだ。
元増田です。反応うれしいです。
ちょっと調子が悪くて、レスポンスがいい加減な点お許しください。
これが難しいんではないでしょうか。
ご自身でも
と書かれていますが、
提案の時点で半数が読めなくてもいい。
投票後に過半数はどっちだったか、それが国民の判断として採られればいいと思うのです。
「なんでもいいからとにかく一度変えようぜ」
ではなく、
ほらほら、ちゃんと議論しないと変わっちゃうぜ、という感じです。
今回の話は、改憲という手続きそのものについて語りたかったので、
(そうはいってもこれは左派のことだろう、というのはそうなんですが)
安保法案についての分類だけでも、挙げていただいた通りに広がります。
ただ、意思決定の順番として、
話が逸れました。
現実性のある改憲の提案と議論はもっとあるべきだと考えていて、
そういうわけで、
「憲法を変える手続きに反対をしている=護憲派」とざっくり定義した上で、
・「特定の条文を護りたい」人
「整理してほしい」の意図は、
この文章の中ではその単純化に乗ってほしい、というところにあり、
つまり「単純化の上で、どっちですか」という問いかけのつもりでした。
が、書き方がまずかったです。
「護憲派の整理が足りないのが悪い」と読まれたのだと思います。
と言われても仕方がないです。ごめんなさい。
例えば、自分でも書いている通り、
改憲に対する自分の考え方も「憲法の機能を維持するという点で護憲」だと思います。
けれども、そんなのを細かく分類していたら切りがないと思いました。
以上をふまえると、
を、
に改めるべきだと思いました。
これだから左翼はとか、ネトウヨはとか、もうたくさんなのです。
やりたい人同士で勝手にやりあっててください。
そんな話より、
合理的に突き詰めればこうなるよ、というのが見てみたかったのです。
それを好きに改変してほしいという出し方にしました。
思い通りに受け取ってもらうのはなかなか難しいですね。
文才のなさを痛感するし、レス打つだけで胃が縮む思いです。
(追記)
なんでわざわざこんな手の込んだ自演をしなきゃいけないんだw
書き始める前もずーーっと考えてたんだぞ!
もう二度とやんない。しんどすぎる。
どうも追い込まれると弱いね、安倍ちゃんとその取り巻き。総スカン→鬱憤溜って暴発→放言拾われ追加燃料。何回目だ。第一次内閣で派手なネガキャン打たれてその反省が百田やら籾井なんだろけど、せっせせっせと後ろ弾の連射。むしろ城門開いて突撃はココよって手招きしてるレベル。グダグダだわ。しかもこの後に肝いりの談話も控えてるんだぜ。あの閣議決定はしない、私人として、っていうティザー付きのやつ。安保法制しくじって、談話も燃え上がってってなると蜜月オバマも派手にはしごを外すだろうよ。あっちはあっちでレームダック期だし。
サミット開催地を選んだ首相はそのサミットに出られないっていうジンクス、あれはやっぱり生きてるか。経済を考えたらもう勘弁してほしいけどね。
くれぐれも、体調には気をつけてください。
要約:「文化芸術懇話会」設立趣意書にある「政策芸術」は国策芸術を意味するのではなく、政策を芸術作品との類比のもとで捉えることを意味する。後者の問題性に目が向けられるためにも、前者のような誤解が本記事で少しでも訂正されることを望む。
産経新聞が2015年6月25日に伝えたところでは、自民党の有志が立ち上げ、同日に第1回会合が行われた党内勉強会「文化芸術懇話会」の設立趣意書は、会の目的として「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」を掲げていた。
◇安倍首相支持の勉強会「文化芸術懇話会」が発足 - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/150625/plt1506250043-n1.html
「政策芸術」という耳慣れない言葉について、この段階ではそれ以上の情報はなかったものの、多くの人がこれを「政策によって推進される芸術」さらには「プロパガンダ芸術」を意味するものと受け止めた。
第1回の会合で、講師を務めた作家・百田尚樹氏だけでなく、出席した自民党議員からもメディア統制を提案する発言があったと伝えられたことから、このように理解されるのも無理からぬところがあった。
◇自民党:安保法案で報道批判続出…改憲派の勉強会 - 毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20150626k0000m010122000c.html
ところが、翌26日の衆議院平和安全法制特別委員会で、民主党の寺田学議員がこれらの発言について追及した際、加藤勝信官房副長官から、改めて「文化芸術懇話会」の趣旨について説明する場面があった。下に引用するように、これは上述のような理解とは異なるものである。
(加藤官房副長官の発言)「文化芸術懇話会、これは政治家に求められる教養と想像力を得るため、芸術家と共通する創作手法と成果の普遍性を追及(原文ママ――引用者注)し、世界の中で輝ける日本を創造し、デザインする上で必要不可欠であり、心打つ政策技術(「心を打つ政策芸術」の誤りか――引用者注)を立案し、実行する知恵と力を習得することを目的として開催されたものでありまして(後略)」
◇【安保審議詳報(1)】百田氏「沖縄2紙潰せ」発言で紛糾 民主・寺田氏「由々しき発言だ。党総裁として処分すべき」 - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/150626/plt1506260020-n1.html
つまり、設立趣意書にあった「政策芸術」とは、政策そのものを芸術作品になぞらえる考え方を示していたのだ。
これは政策の国民の心理に訴える面を強化しようという動きであり、注意して見ていく必要があるだろう。(追記:「プロパガンダ」という言葉を使って言い直せば、「政策芸術」とは、手法レベルで芸術を利用しながら、政策の実行過程そのものをプロパガンダとして機能させる動きだといえるだろう。そうした動きの一部として、政策を具体的に表現するために普通の意味での芸術作品が利用されることも大いにありうる(そうなれば「プロパガンダ芸術」だ)。「政策芸術」=プロパガンダ芸術という理解は起こりうる現象の一部を捉えていた。しかし、「政策芸術」はそのような狭義の芸術作品の利用よりも幅広く、〈芸術作品〉のように政策を立案・実行する現象の総体を指しうる概念だと考える。このように広くとった場合、「芸術家と共通する創作手法と成果の普遍性」の政策への転用は、表面的には芸術が関係しているとは思えないような、見えにくい形で行われることもあるだろう。)
さらに、いまのところはっきり表明されているわけではないが、政策に〈美〉の観念が持ち込まれるとすれば、より一層警戒されるべきだろう。〈美しい〉政策を打ち出すことと、〈美しい〉国家をデザインするという発想は親和的である。(そうした〈美しい〉政策は、現在誤解に基づいて警戒されているように統制的な芸術政策という形をとることも考えられるが、対象は必ずしも文化・芸術に限られない。その点では、単なる国策芸術の推進よりもたちが悪いかもしれない。)
「政策芸術」=政策によって推進される芸術という誤解は、時間の経過とともに少しずつ訂正されつつあるものの、まだまだ残っているようだ。こうした状況では、上述のような問題性に目が向けられづらくなる。本記事は簡単なまとめにすぎないが、誤解の訂正に少しでも役立てばいいと思う。
百田氏と彼に乗っかった若手議員は相応の処分を受けるべきだと思うが、「民主主義の理念を根幹から否定」と言うなら、
先日の議事妨害を正当化した長妻代表代行もひとしく相応の処分を受けるべきなんでは?華麗にスルーされてるけど。
言うなればテロリスト宣言でしょ、野党第一党代表代行による。これがスキャンダルでなくて何なんだ。
結局、気に食わない勢力の主張や行動は強行採決であり数の暴力であり民主主義の否定であり、
それに反する勢力の主張や行動は民意や理念を反映したものとして正当化するっていうダブルスタンダードが諸悪の根源なんだよ。
たとえば、有り得ない仮定ではあるが、今回の安保法制に関する憲法学者の意見比率が合憲と違憲で正反対だったとしたら?
彼らの主張を錦の御旗のように掲げている人たちは、「違憲判定はわずか3人」と騒ぎ立てただろうか?
「最終的に決定を下すのは個々の憲法学者ではなく最高裁だ」と、まさに現在の与党が主張していることをそのまま主張したのではないか?
でも、どうせデモしたって家でうんこしてたって、いずれにせよ法律は改正されてしまうんだと思ってしまうから、なにもする気がしない。
はるか昔から、国会を包囲して安田講堂を占拠しても日米安保条約は未だ続いているし、原発だって動いたし、沖縄には基地がある。
デモをやって市民運動が社会を変えた例なんてあるのか?名古屋の藤前干潟は割りといい線いったのかな。
成功事例が思いつかない。
だから結局何をしたって無駄なんだと思う。大いなる力には逆らえないんだ。
難しいコト考えずに今を楽しく生き、自分の頭で考えるなんて面倒くさいことせず流されて生きればいいや。戦争が起きればみんなで殺されればいい。
公式サイトに書いてあるよん
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2000/11/post-330.html
この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である。
――第一段階は、日米安保条約廃棄前の段階である。ここでは、戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である。また世界でも軍縮の流れが当たり前になっている時代に、軍拡に終止符をうって軍縮に転じることも急務となっている。
――第二段階は、日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階である。安保廃棄についての国民的合意が達成さ れることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題であり、自衛隊解消の国民的合意の成熟は、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成 されていくというのが、わが党の展望である。この段階では、自衛隊の民主的改革――米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅 軍縮などが課題になる。
――第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階である。独立・中立の日本は、非同盟・中立の流 れに参加し、世界やアジアの国々と、対等・平等・互恵の友好関係をきずき、日本の中立の地位の国際的な保障の確立に努力する。また憲法の平和原則にたった 道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する。この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施に ついての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消にむかっての本格的な措置にとりくむ。
6月16日の朝日社説。社説子は朝日新聞読者は論理能力の一切無いバカだと確信しているのだろう。この社説は安保法制に反対する側の人々がいかに怠惰かえぐり出している。いや、そもそも彼らは本当に安保法制を潰したいのだろうか?安保法制を潰すのが目的なのではなく、安保法制反対運動のお祭り騒ぎをエンジョイしたいだけなのではなかろうか。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11809039.html?ref=editorial_backnumber
これによれば、集団的自衛権と憲法との関係を整理した1972年(昭和47年)の政府見解は以下のとおり。
①わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを9条は禁じていない。
③従って、他国に加えられた武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は許されない。
ここでは 集団的自衛権の行使>必要最小限の範囲 という命題が背後にある。しかし、集団的自衛権の行使の定義は一応一定したものである一方「必要最小限の範囲」は軍事技術の進歩や国際情勢の変化によって変わり得るものだ。
朝日新聞は「理屈は同じなのに結論だけを百八十度ひっくり返す。環境が変われば黒を白にしてよいというのだろうか」などと言うがこれは感情的な詭弁というものだ。理屈が同じでも議論の前提が変わったら推論の結果が変化するのは当然ではないか。論理的な反論ではない。
さらに後段で「こんなことやっていいの?ほんとにいいの?だめだよね?」とばかりに非難を続けるが散漫で情緒的なばかりだ。要するに社説子が違憲だと思い込んでいる事例を列挙しているにすぎず、それらが本当に違憲かどうかはそれが「必要最小限」かどうかによる。そして必要最小限を越えることを示せれば違憲だね、と論証できる。これが論理的な議論というものだ。そしてそうするには代案を示すか他の根拠をあげればよい。なんでこんな無駄な文章をつらねる必要があるのか理解に苦しむ。
そもそも安保法制に論理的に反対するのは簡単なことだ。政府の主張はとどのつまり「今まで
となった」
というだけなのだから、これをつき崩せばいい。ならば集団的自衛権自衛権が必要と政府が想定している各種事態に対して 集団的自衛権を行使せずして対処する方策を提示するか方策自体が必要ない事を論証すればよい。それができないなら集団的自衛権の行使が必要なんだろうねとなる。それ以外の方法であれやこれやと理屈をこねて無理な反対ごっこをしてみても所詮は負け犬の遠吠え。
ところでそもそも①、②、③すら認めない人々もいる。だがこれは昭和47年以来の政府見解すら認めない人々。左翼ばかりとは限らないが、どちらだとしても今更国会で議論するのは時間の無駄だ。適当に官僚に答弁させとけばいいのではないか。
安倍自民党に欠けているのは丁寧な法律的手続きであり、批判している野党に欠けているのは
日本が置かれている現在の状況の認識能力と安全保障に対する意識である。民主党などは
自民さえ攻撃できれば日本の安全保障などどうなってもいいと考えているわけで、
もし安倍が懇切丁寧に説明をしたところで聞き入れることはないだろう。
であるから自民党はこのまま数で押し切って法律を成立させるしか無い。
日本は、名分にこだわる振りをして与党の足を引っ張りたいという野党を無視をして実利を取ることになる。
反対だけしていれば議席が守られる日本の野党議員のレベルの低さが政治の足を引っ張っている。
本来国会で議論すべきは法案が合憲か違憲かではなくて現在及び将来の日本の安全保障であるべきで
必要であれば憲法を変更する議論も積極的に行われなければならない。
yoko-hiromが頭いいとか…何言ってんだこの人。
以下のブコメとかひどいもんでしょ。
・ブコメの大勢に対する反論なんだろうけど、どこが反論になっているのか全然分からない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/253581516/comment/yoko-hirom
・日本がAIIBへの参加を現状拒否しているのは、運営の透明性が担保されていないため。ブコメの意味が不明で、完全なはてサ脳。
http://b.hatena.ne.jp/entry/252996772/comment/yoko-hirom
・そもそも「広島長崎の加害者でも無い中国がなぜ責められるのか」なんて中国は言っていないのでその後のブコメとの対比ができていない。
また、yoko-hiromは普段左翼的な発言が多いのにこういった中国の右翼的な動きは批判できないというダブルスタンダード感が露見。
http://b.hatena.ne.jp/entry/251778017/comment/yoko-hirom
・レッテルをはって人格批判をする筋の悪いブコメ。思い込み、決めつけでしか判断できていない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/251591176/comment/yoko-hirom
・ありえないことはない。安保があるから可能性は低いだろうけど。こういったことを言い切るのは知的な誠実さに欠ける。
http://b.hatena.ne.jp/entry/251342941/comment/yoko-hirom
・「根本的な解決策は計画経済の導入。」って大丈夫かこの人…。
http://b.hatena.ne.jp/entry/251095143/comment/yoko-hirom
・自分が支持している政党が何らかの経済政策を行ったら、yoko-hiromはそれを支援するためにじゃぶじゃぶお金を使うの?意味不明。
http://b.hatena.ne.jp/entry/250964457/comment/yoko-hirom
http://b.hatena.ne.jp/entry/249548264/comment/yoko-hirom
たった過去2,3週間でもこの有り様。例示はこのくらいでも十分でしょ。