はてなキーワード: 安保とは
無知なりに書き留めておく。
始めに内容を聞いたときから「仕方ないんじゃないの」と思っていた。自民とか安倍ちゃんとか関係なく、やむを得ないとしか。
これだけ世界情勢が荒れていてややこしいテロだなんだと情報がダイレクトに伝わるようになり、知らん顔し続ける訳にはいかないのはすごーくよく分かる。
他の国からみりゃ「テメェだけ安全圏から金だけ出しゃいいと思いやがって。こっちは大切な国民の命かけてんだよ。」ってなるもん。
戦争がなくなればそれはそれは素晴らしい。もちろんないほうがいい。でも、バカな自分が見ても、なんだか収まる気配はない。日本だけお花畑でいるわけにはいかないのはやむを得ないと思う。
強行採決、といいつつルールに則ってるわけだから、まぁ自分が安倍たんでもそうするかな。いや安倍たんだからそんな強引な切り口でやったのかな、と理解する。
ただねぇ、論点はやるやらないじゃなくて内容の曖昧さだと思うんだよねぇ、
決め打ち難しいよ、ケースバイケースだもの、決め打ちしちゃうと後からむちゃくちゃ対応がややこしいもの。
「てめぇ、あいつは助けたくせにこっちは助けねぇのかよ!!」とか言われたら困るもの。
だからぼやっと「あー、俺べつに誰の味方、ってワケでもないぜ。なんかあれ、"ナカマ"がやられるんなら黙ってねぇよって、
俺そういうやつだから。」というポジションにしたんだと思う。わかるわー。
当然、この法案は可決されるだろう。
その後、違憲を主張していた憲法学者たちはどうする?ちゃんと集団訴訟するの?
その結果、合憲判決が出たらどうするの?全員ちゃんと反省すんの?
どうなっても面白そう。
我が国は間接民主制をとっていますし、個別の政策・法案に対して国民投票をおこなうという制度自体がありません。
今般の安保法制に反対する人々の反対の仕方はあまりに幼稚であり、学問上の議論と異なり限られた時間の中で結論をだすのが政治である以上、これ以上の審議が時間の無駄という判断だったのでしょう。
躊躇わないことさ
(実際そうなんだけど)
なんか今、安保関連法案が強行採決が云々で非常に霞ヶ関()が盛り上がってるみたいですね。市民デモとやってることかわらないけどあの人たち大丈夫かな
そんなわけで、強制採決になりそうなんですけど。そもそも強行採決ってなんだよって話でございまして
まぁ「民主主義において数が多いほうが一方的に決めてはいけませんよー」なんてお花畑な論理は存在しません、モチのロンですね。
数が多いほうが決めるのが民主主義の根本なので。間接だろうが古代ギリシャの直接制だろうが同じだと思うんですよ。
もちろん。「少数派の保護」とか「少数意見の尊重」とかそういうのがあるのは大いに理解してはいるんですよ。
ただ、言っても分からない相手に説明をしろというのは最高に苦行だと思います。
のでそもそも強行採決という言葉自体がイメージ先行のマスコミ言葉、否定派においての数少ない必ず使えるネガティブ戦略というか。
こういうこと言いたくはないですが、こういう政治形態である以上「悔しかったら与党になってみな」としか言えないんですよ。
少数意見の尊重ってさっき言いましたけど少数意見は少数意見ですし。
まぁもちろん、今しゃべったのは「与党が民意の大部分をしっかり把握できてるのであれば」という前提ありきにはなりますが。
民意()を無視する政治というのをやってしまったら、これはただのアレですね。独裁って言おうとしたけど独裁とはまた違う気がする
独裁といえば思いつくのは某逆卍の人だけど、よう考えるとあの人あんまり独裁じゃないな?
民意()として敗戦国のままじゃヤッテランネェヨとか経済的状況とかいろいろあるなかで選択したカードが「戦争」だっただけで。
洗脳としか言えない演説のうまさとか、そういう要素はあるにしても。
結局煽られちゃっただけなんじゃないかなぁというのはただの持論だけど。
まぁ今のドイツさん方が黒歴史扱いするのはそんな感じだからじゃないのかなぁと思う。独裁っていうのはジャコバン派とか某北の国とかのことを言うのだとモニョモニョ。
閑話休題。
そもそもこの法案が意見だなんだと文句をいっとるけど、まぁこれは違憲だと思います。
政権的には違憲かどうかで争いたくはなかったんじゃないかと思いますけどね、まぁ突っ込まれたら仕方ない
だって「戦力の保持」とかなんとか言っといて自衛隊持ってるし。さすがにアレを実力と言い切るのは清清しすぎる。
というわけでそもそもが自衛隊が違憲だから、なもんで憲法を変えようって話が…アレどこにいってしまったんだろうな
憲法変えられないから先に実をとろうという考えが理解できないわけでもないですが。
あまりそういうことやってると詐欺師まがいというか、何も知らない人からするとネガティブイメージが摘みあがっちゃうんじゃないかなと思うのですが…
「違憲」「強行採決」「独裁」「右翼」ほら、なんかすごい悪いことしてる人々みたいになってきた。
法案の中身をみて「一応」自分の頭で考えてる身としてはそんなにひどいことしてる気はしないけどね。やり方はよろしくないと思うけど
ただまぁ、そんなにのんびりしてられないんだろうなぁってなんとなく察してます。意味も無く急いでるんだったらそれはまぁなんとも言えないけど。
強行採決に始まって話がびみょうにそれたりもしたけど自分的には今回の法案は賛成。
自衛隊を応援する身としては、彼らの活動をできることなら制限されることのない状態で行って欲しいと思います。
戦争に賛成はしない。でも、相手が自分やその友達を殴ってこようとしているのに、いざ殴られるまで何も出来ない(友達に至っては殴られても何も出来ない)のはおかしい。
戦争というのが一方的に放棄することによって相手も放棄してくれるのであれば何にもいらないのだけど。優 し い 世 界
まぁ、相手が殴ってくるのに何もしないことは、まぁ「いじめ」ですよね。喧嘩にすらならない。
それを戦争の放棄と言うのであれば、多分相当頭がお花畑。若しくはごみ
なんて最近思う。ヘロデ時代はローマとくねくねだったのに、後にユダヤはローマと絶望的な戦争をするようになる。
アメリカを宗主国とか言ってる人たちは、どこかで、この古代のユダヤの人たちが抱えていたパトスを抱えてるんだよ、きっと。
そしてこれも人間の業という奴かな。
国民国家というのは、ある国民がその中で様々な権利を享受する枠組みで、その外に一歩出たら基本戦争状態なんだな。
だから武器が必要で、ぶっちゃけいつでも戦争できる状態じゃないといけないわけ。日本がそれを免れてるのは、日本との戦争でかなりのコストを負担せざるを得なかったアメリカと、痛手を負った中国との絶妙な利害のバランスによるものなわけだよ。
アメリカがこの極東地域から手を引けば、日本は、かなり現実的な意味で核を持って中国と対峙することになるんだろうなと思う。そうなった時に、やっぱりアメリカを仲間にしといた方がお得だったよな、が見えてるから日本は安保を支持してんだろうなと思う。
今般の安保法制そのものが、合憲かどうかといった議論はひとまず脇におく。
すくなくとも今までの憲法解釈はなんだったんだ、という気持ちにさせるのは確かだ。
が、落ち着いて考えればそれに対する批判の程度の低さがあまりに目に余る。
これでは、本気で法制化を阻もうとなど誰もしてないのでは、野党は論理的な反対などできないと割り切って政権攻撃のプロレスをやってるだけなのではと勘ぐりたくもなる。
以下、いくつか例をあげる。
数に訴える論証。もっとも基本的な詭弁のテクニック。「これこれこういう理由で違憲だ」という論理に説得力があれば大多数かどうかなんて関係ない。
しかし新聞紙面やその他報道で焦点があたるのはもっぱら数だ。読者もそれにしか注目していない。
こんなものを根拠にしたら国会議事堂の議員たちの数に訴える論証に反対できないことになる。
恐怖に訴える論証。もっとも安全保障というものは恐怖から逃れるためにあるのだから、安保法制自体が恐怖に訴えることによってなりたっているのではないか、という反論はありえる。
だが、まあホルムズ海峡が機雷封鎖されたら困るしそういうときに自衛艦が能力としては掃海できるのに法的にできないのは困るよねとかってのはわかるけど、安保法制を通したら徴兵制になるってのは論理のつながりが俺にはわからない。
ということになるのだが、一体どんな成り行きでそんなことになるか想像がつかない。
まずは、かつてソ連の着上陸侵攻が差し迫った危機として語られていたころにも徴兵制などまじめに議論されていなかったことを思い出すべきだ。
こんな軍事情勢の根本的変化がわが国の国内法制ごときが原因で起こせると本気で思っているのか?本気で信じている人がいるとしたら、日本ってそんなにえらいんだっけ?それこそ日本が中心に世界が回っていると思い込む誇大妄想というものだろうといいたいところだ。
むしろ、そんな種類の軍事的情勢の変化は日本人を守ろうとした米軍を自衛隊が見殺しにして、米国国民が日本など知るかとなったときにこそ起きるんじゃないかと思われてしかたないところだ。
こうしたことを踏まえると、より不合理でより悪質な詭弁は「安保法制→徴兵制→怖いヨー」論だと少なくとも個人的には思う。
(( 時代錯誤というか懐古趣味のじいさんが「近頃の若いモンは軍隊にいかないからしつけができとらん」とか言っていたのが今では懐かしいが、そんなものはまじめな議論とは呼べない。そう思うんだったら自分の孫を自衛隊に入れればいいだけの話だ ))
感情に訴える論証。大体、どういう状態だったら日本は米国の植民地でない、属国でないと言えるのだろう?
国際政治というものは相互の関係や力の大小があってあるときは言い分がとおり、あるときは通らないこともあるのは当然ではないか。より大きな力があればより多くの言い分を通せるだろう。わけても特別におおきな力を持っているのが覇権国家や超大国と呼ばれる国なわけだ。そうした超大国さえ、政権がふらついていたりすると時としてわが方の要求を飲まされたりする。
我が方の言い分が通らない場合や相手の言い分を受け入れる場合、相手に協力する場合のことだけをことさらに取り上げてやれ属国だ植民地だだのと言い張っていては、国際関係など成り立たない。どうしてもそういう主張をしたいのなら、どういう点でどのように我が国の主権がそこなわれ不当に不利な条件を強いられているか論証すべきだろう。その論証に納得がいくならば俺も安倍総理を売国奴と罵ろうでは無いか。
確かに日本は覇権国家でないし、核武装もしていない。そりゃまあそういうことをしたら胸をはって独立独歩と言えるのかもしれない。
でも、そうなりたいの?やっていいの?
こういう主張は、日本よ21世紀の覇権国家たるべし、とか核武装なくして独立なしといった危険な主張と紙一重と知るべき。
どうせ「あそこの国はこうだ、こうしてる」といったことを言い出すのだろうが、日本は日本なのだから、どこそこの国を真似しなければならんということになるならその国の属国か植民地ということになるだろうに。
ソ連があった時代からの論法だけど、カビ臭すぎる。愚民をアジるにしてももっと洗練された技法を勉強するべきではないか。
以下、追記。
軍事力だけで中国の脅威を食い止めることができないということと、中国の脅威から日本国の権益を防衛するには軍事力が不可欠なことは矛盾しない。
要するに反論になっていない。
前提が変われば、結論も変わる場合があるのは当然というものだろう。
この論理はソクラテスが人間である場合に限り有効なのであり、ソクラテスが犬のぬいぐるみのことだったり、不死の神だったなら異なる結論が導かれえるのは当然では無いか。
要するにこれも反論になっていない。
たとえ話というのは、抽象的な議論を身近な物事との類推で理解を深めるために用いる技術である。
「軽い」のは当然であって、それを「軽すぎる」などと非難するのは、要するに理解が深まってはこまる。国民の理解が進んだら自分たちの言い分のばかばかしさが明らかになると思っているのだろうか。
あるたとえ話が不適切だと難ずるのならば「軍部隊を個人になぞらえると、こういう場合の類推がうまくない。誤解を導く虞がある。けしからん」とやればいいのであって「軽すぎる」などというのは首相のたとえが「わかりやすすぎる」と賞賛しているのに等しい。
なんといえばいいのだろうか。どれもこれもため息がでるとでも評する他ない。こんなレベルの反論しか本当にできないのだろうか?