はてなキーワード: ビレバンとは
サマータイムマシンブルース知らないとか言ったらサブカル界じゃ「え?お前はビレバンじゃなくてドンキに行くべき人間だよ」って言われわけですよその日から毎日半年ぐらいの間で合計500回ぐらい。
そのヨーロッパ企画を月ノ美兎が配信したときの「え?なんやコイツら?」っていう空気がさ、まあYoutube見てる程度の奴らじゃしゃーないなって当時は思ってたけど、よくよく考えるとそんな奴らが出始めのV見てるかっていう疑問が今になって湧いてきたわけ。
まあ既にレールは敷かれまくってたし個人配信が楽々にできるようなソフトもSteamとかでも配ってた時代やけどさ、それにしたってまあ世間的には「オタクがやる異常行動」みたいな扱いだったじゃんギリで。
んなときにやってくるのは大抵サブカル色のある連中なはずなんすよ。
でも何故か「異常なサブカルオタクが超マイナー作品を配信する」みたいなノリで扱われてたんすよね。
これやっぱ異常だなって。
今の状況なら分かるんスよ。
知名度もめっちゃ上がってアイドルソング歌いまくってる今の状況なら。
でも当時はもうちょいアングラだったはずなのになんでか「ヨーロッパ企画?はじめて聞いたでごわす」って最近ダイヤルアップ回線が繋がりましたよレベルのど田舎から来たような視聴者が押し寄せてたわけですよ。
これマジで当時の俺は世の中をちゃんと見れてなかったなと思ったわけ。
視聴者は皆もっとサブカルな人間で固まっていたと勝手に勘違いしてたの。
そんな発言もちょこちょこと見るから、んでまあ一部の異常ヤンキーがサブカル全く知らないくせに顔だけで選んで視聴して1人で大量にコメしてるのかなって。
でもそれはやっぱこっちの思い込みで、結局あの頃から多様な層がVを見てたんだろうなと。
Youtubeで普段はキャンプ動画見ながら海釣りしてるようなアラフィフのオッサンみたいのも見てたんだろうなと。
そのことに今になってふと気づいたので書き残す。
久しぶりに行ったら、マイクラ、ちいかわ、ポケモンなどのキャラグッズがお出迎えの店構えになっていた。
昔の雑多で、謎で、毒があって、ウェルカムアンダーグラウンドで店員のポップに笑えてっていうのが薄まってる。
昔は尖ってるけど誰が買うんだろうみたいなものしかなかったけど、それでも買う人はいたのだと思ってた。いなかったけどやってける体力があっただけなのかもしれない。それと最近はパッと見で変なの買おう!がいないのかもしれない。売れるものを置かないと店だってやってけない訳だし。
本屋としての底力もあるとは思うけど、電子書籍に負けてられんと通常の本屋もパワフルに山作ったりポップなど頑張ってるから差がなくなってきた。ビレバンに限らずネットの普及でジャケ買いに慎重になっているきらいもある。
サブカル好きって昔区別されてたけどネットの普及で今はサブカルだろうがヘッズだろうがアニオタだろうがはっきり分けられなくなりつつある説
年取って驚きが減ったため薄く感じてるが若い子は私が若い頃と同じような驚きを楽しんでる説
あの頃のビレバンは、地方都市の少年たるワシにサブカルなるものを届けてくれる、大変ありがたい場所だったんじゃ。放課後、仲間たちと連れ立ってビレバンに行けば、煙たい(煙たくない)店内には、これまた怪しげな音楽が大音量で(そんなに大きくない)かかっていて、「お前らの知らない世界を教えてやるぜ」というランプの精が見えるようじゃった…。
そこで聴いた小島麻由美の音楽は、女性の危うさや若さゆえの爛れた人間関係を垣間見せてくれたし、初期perfumeの曲は、まだ足を踏み入れることができないクラブの情景を感じさせてくれたものじゃ。お金がないから、CDを買わずにオノ・ヨーコのグレープフルーツジュースみたいな手頃な値段の本を買ってお茶を濁しておったが。
LOMOとかHOLGAみたいなトイカメラが並んだガラスケースがあって、それを羨ましそうに眺めておった。あの頃の記憶が、後にカメラ趣味のキッカケになったのかもしれないのぉ…。
テレビとかに出て来るタレント素人に関わらずオタクとして紹介されてる人からはなぜか同じようなタイトルが上がってくる。
最近は記憶違いじゃなければぽつんと一軒家あたりでやってた家族全員がボディビルとして活躍してる的なとこの長男がダンベルなんキロもてるとかいう題のを挙げてた。
他のはもう忘れたがもう全部が全部「そのタイトル何度もテレビで聞いたよ」ってのだったんだよね。
逆に街中歩いてるともちろんアクリル系や缶バッチとかつけてるあからさまなのもいるが、そういうのに描かれてるのはああ前も見たなと思うのばっかりで、むしろそういう目立った特徴が無い人が身に着けてるかばんがたとえば一見ビレバンっぽいデザインなんだけど描かれてる女の子が古塔つみっぽいけどなんかそうじゃないふうな感じみたいな、そういう新鮮な出会いがよくある。
暇でちらっと覗く普通の身なりの人のスマホにも見たことが無い漫画が映っている。そんなのざら。
オタクとして紹介されたりオタクのような身なりの特徴がある人が同じような作品ばかりで、そうでない人からの方が新しい情報が得られるって何を意味しているんだろうかと思う。
オタクであろうがなかろうが、人は極端に知名度が低い何かを、別に意識的に手に入れようとしなくてもめぐり合わせで一つぐらいは得てしまうもので、俺は行く先々でその片鱗を見ているに過ぎないというふうに現実解釈を行ってみたがどうだろうか?
どうせ決まってるんでしょ?『タコピーの原罪』が『この漫画がすごい!』の一位て。
許せない、あのコミティア臭。ビレバンでいにお買うようなぬるサブカルの対になるのがタイザン5厨。
厨二ぬるサブカル御用達=いにお、コミティアぬる名誉サブカル御用達=タイザン5でおk?(漫画でしかカロリー摂取できない人たちにしか価値を見いだせない作家にしか思えないのだけど。よさないか、日常生活から満足を得られないから、そんな「30分噛んでまだ薄っすら味が残ってるガム」みたいな作家ばかり誉めそやすのは!
補足:「>漫画でしかカロリー摂取できない」は、漫画以外のジャンルも含めて面白いもの摂取すればいいのに漫画ジャンルオンリーだから「まあこれも食べられない事ないな」くらいの微妙な作品までアリにする人らの事です。
な〜〜〜〜んで「いや、無料でコンテンツが提供されると思ってるのはおかしい。嫌儲乙」みたいな「推しに貢げ」レベルの発言しか出てこないんだ。
お前ら女子中学生か?
そもそもの問題点としてこのbotがウケたのが「女子中学生が言いそうなことをエミュレート」するあるあるbotだから、というのを見落としている人が多い気がする。
オタクたちの過去の振る舞い(現在進行形の人もいるが)を少し成長してから見直すことで、もしくはクラスにいた知り合いの様子を思い出させることで、当人の気恥しさとか悪いオタクたちの嘲笑とかを引き出すことがウケてるわけだ。
エミュレート自体はかなり見事で幅広い人間に刺さってバズったが、あのIDのアカウントというか人格そのものがウケてる訳では無い。
そんな中でTシャツ販売なんかしたら反感を持つ人がいるのは当然な気がする。Tシャツの購入はアカウントの応援につながるが、そもそも応援したいコンテンツとお金を払う相手が異なるのだからそこに違和感を覚えてもおかしくない。
文脈あってのお笑いに対して途中で出てきた人間が「これ買ってね!」はちょっと閉口してしまう。リスペクト(オタク中学生に対してリスペクトもクソもないが)というか、おいしいとこ持っていった感がある。ただこの感情は単に嫌儲かもしれない。
最近よく言われるbotが人格を出すな、という理論も同様で、当人は「botとしてツイートする自分」と「普通の発言をする自分」を区別できない、もしくは意図的にしないが、受け取る側は明確に区別する。
ウケてるのは趣旨であり、そのアカウントは趣旨に沿ったツイートを繰り返すだけのものとして認識される。趣旨に沿わないツイートに対しては文句を垂れられてもおかしくない。そりゃそうだ、そう取られるのが嫌ならbotの看板を下げろ。
運営主は自らを明かしており、マネタイズに対して嫌儲が生じることを嘆いているが、それは論点のズレと言わざるを得ない。仮に運営主がウケた自分のツイートをTシャツにしても、恐らく取り沙汰されることはないと思う。良くて「見苦しいな」と苦言を呈されるくらいである。
あくまで問題はコンテンツと応援対象の不一致である。本人も「あるあるを楽しむものです」とか言っちゃってるからどうしようもない。あるあるがウケるのはその下地があるからである。
いきなり「レジ袋を持った幼稚園児bot」が出てきても何も面白くないだろう。
100ワニの話を持ち出している人もいるが、近からず遠からずな気がする。あれは電通というネット社会での嫌われ者が絡んでたのがネタバラシされたのが不味かったように思う。「商業的な意図が見えて不快だ!」という反応を示す人がいるのは同じだが…
「Tシャツの販売自体がエミュレートである」という意見は面白いと思った。確かにオタクはビレバンの文字入りTシャツを着る。身内ノリでTシャツを作ることもあるだろう。
だが、それを不特定多数に向けて公開することはないんじゃないかな〜と思う。そういう方面の擁護も可能な気はするが、身内ノリのTシャツってモチベーションとしては自己満足の同人紙に近いものだから、利益が発生する部分に噛みつかれるのは有り得る話ではないだろうか。
あと、suzuriという法外なマージンを取るサービスのせいでTシャツ自体の値段がクソ高いのも噛みつかれポイントではある。
以上長くなったが、要するに「文脈ありきのコンテンツでのウケを自分のウケだと思っている」ように取られたのが叩かれの原因ではないかと考えている。文脈って言葉、これ擁護してる人達好きでしょ。
https://twitter.com/search?q=%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%81%A5&src=recent_search_click&f=live
年末年始あたりからずっと燻っている。しかし批判するアカウントは片っ端からミサンドリーであり、一般人や支持層からは心を病んでいる人にしか見えず、大分あちらこちら書籍化をしてしまったり映画化をしてしまったり本屋が推してたりと、もはや今更はしごを外すことができなくなってしまっているため、このまま一部の熱心な層がエターナルエネミー認定するにとどまるであろう。
やはり日頃の行いは重要で、エコーチェンバーで満足しているクラスタは精神的に隔離されてしまっているため、そこで燃えても仕方がないのである。
一般の感覚を持っている層に届くことがあれば、そこから大ごとにもなる流れもあろうものの、普段から正常な言動を心がける事の重要性はここにあるのである。
常人が見ても引くようなネタ・素材はたくさんあるのに、批判側の異常性によりそれを有効利用できず、これからもずっと「ちょっと頼りないけど実は分かってる男性・父親代表」のビレバン芸人として世に広まっていくと予測される。
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910220106_2175c8ff_6759667065.jpg
あまりに欲しいものがなかったのでネタとして苦し紛れに買いました…一度も使ってません…
せめて家で使えるおみくじ付きボールペンにすればよかったかもしれません…
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910221130_46815c65_36634e326b.jpg
唯一素で欲しいと思えたのはこのMIYAZAWA KENJIハンカチと同柄の手ぬぐいだけでした…
KENJIの部分は内側になるよう折りたたんで使用しています…
https://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/iwate/hanamaki/images/001_ph015.jpg
http://www.miyazawa-kenji.com/pic/3.jpg
http://kouda.asablo.jp/blog/img/2015/12/03/3e2647.jpg
革小物とちりめん小物の多さは地方あるあるなのでいいとして、肝心の賢治グッズが…安そうなフォントの詩歌と版画もどきのイラストがあしらわれたようなやつばっかなんですよ。銀河鉄道の夜といいポラーノの広場といい、宮沢賢治ほどビジュアルモチーフに強い文豪なんてそういないのに!もったいなくないすか!マジで!
ググったら出てきたビレバンのグッズの方がだいぶマシだったぞ!
https://vvstore.jp/s/search/q=%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C
記念館および隣接する童話村はほんと素晴らしい施設なんです。特に童話村の展示の、各々のイメージを壊さない絶妙なラインをきわめた世界観の再現っぷりには感動しました。あとイルミネーションが言葉を失うほど美しかった。インスタに写真を載っけたらえらい数のいいねがついた。車でしか行けないような山中なのに10代20代の男女がたくさん来てた。
だからこそ悲しかったんです…あれだけ素晴らしい展示だったのに、ろくに貢ぎようのない売店だったことが…。同時に地元(瀬戸内海)のおみやげ達がいかにデザイン頑張ってたかも思い知らされました。国際芸術祭があったからでしょうか。
お願いです、次来る時はもっと花巻に貢がせてください。何かしらは買わなきゃなんて血眼にならなくても済むようにしてくださいお願いします。欲を言えば刺繍絵本(https://www.amazon.co.jp/dp/4898152783)のモチーフでなんか作ってくれたら泣いて喜びます。
当方サブカル女です!!!!!スキルはビレバン・バンド・スタバです!!!!
先月終わり頃、友人とサンキューマートに行きました。私はサンキューマートに来たことがなかったのでとても楽しみでした。「このポーチもここで買ったんよ〜」と楽しげに教えてくれる友人は、足早に店の奥へ進んでいきます。入り口付近の派手なサングラスの試着もほどほどに、二人で奥の方まで入りました。
「みてー!」友人の高い声が響きます。「これこれー!」彼女の手にあったのはDr.スランプアラレちゃんのポーチでした。そんなに好きだったっけ?と私が聞くと、彼女は「ううん〜色づかいがかわいいから」と私に手渡してくれました(実物はサンキューマートでググってみてください)。それは薄い水色とピンクの、いかにも“夢かわいい”の象徴でした。思わず私はキャラじゃないし…と言って棚に戻しました。「そっか〜残念だね」と、彼女は少しだけ笑って、何も買わずに二人で店を出ました。
そのあと近くのスタバに入って、しばらく話をしました。友人は余程そのポーチがお気に入りらしく、それにまつわる話をしてくれました。
「この前このポーチ学校に持っていたらさあ、Rちゃん(友人です)って夢かわいい系だよね?って言われて、でも私majoccoさんとか好きだから、iPhoneケースも買ってるんだけど、これって夢かわいいなのかなあ?私がそうだったら増田ちゃんもそうやんね?夢かわいい同盟だ〜」
サブカル女にとっては“夢かわいい”が一番同類になりたくねえタイプだよ!!!!!!!!!
サブカル女の人生は戦いなのである。「少数派でイキリたい」「オサレポエム(ブリーチ二番煎じ)」「ブラックコーヒー飲めちゃうアタシ」「マイナーバンドオタク」などと心無い言葉の数々を否定できず生きる日々。ならば宝塚系女子のようにかっこよく生きられるのかと言われればそうでもなく、インスタ映えもしない顔面で、メンヘラほど生き辛くもなく、またキラキラ女子になれるほど明るくもなく……。
そこはかとなくオタクで、なんとなく周りと好みが違ってて、でもはみ出せるほどの勇気もなければ、程よくみんなと同じがいい。
自分をどこにもカテゴリ分けできない苦しさ。というより、自分のわがままさなのか。いっそ夢かわいいになれたらどんなに幸せなことか!!!!私だってピンクの似合う女に生まれたかったよ!!!!!!
実際友人には彼氏がいる。こういうのをみてると、やっぱり男も、サブカルより夢かわいい女の子が好きなんだろうなあ、と思う。それが多少メンヘラ入ってても、可愛かったらいいんだろう。ちょっと儚げで、守ってあげたくて、“愛され”るような女の子。結局そういうことなんだよな。宝塚系は宝塚系で、自信があってキラキラしてるから、そういうところに惹かれる人はきっとたくさんいる。何の取り柄もないサブカル女。今日もスタバ通いやめられそうにない。
読んで思ったけど、それってただのポプテピピックとか好きそうなサブカルクソ女ってだけじゃねえの?
http://trest-store.jp/products/detail.php?product_id=799、
https://vvstore.jp/i/vv_000000000115873/
聞いてる音楽が普通の人が全く知らないやつら(キュウソネコカミとか)or英語詩曲で歌う事が多い日本人アーティスト(古いやつだとKEMIRI、エルレとか)なら三倍満。
https://www.youtube.com/watch?v=2jxjDAqulRo
https://www.youtube.com/watch?v=4DoumQbWUiE
https://www.youtube.com/watch?v=-Uf5ZhHDKsE
さらに音楽聞くためにイヤホンではなくヘッドホン(AKGあたり)使用なら役満。
http://www.e-earphone.jp/headphone/AKG
ここまで揃ってる女性もいないだろうが、もしこの世のどこかにこんな女性がいるのなら、僕は一生で一度のワープを使ってでもその人に会いに行くだろう。そしてキモい交際申し込みをして振られる。
「絶歌」のことは知っていたが、興味がなくて読んでない。
今朝スマホ記事で、元少年Aがホームページを立ち上げたというのを読みあぁ、そう…と思いながら一通り目を通してみた。
http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/
精神疾患がどうなってるのかは知らないが、なんというか…うん。現代用語辞典の「厨二病」項目には是非このサイトのURLを掲載することを勧めたい。Don't think, feel。
地方の中学生が、ビレバンで触れたサブカルに触発されて勢いで組んだギターロックバンドの公式HP…みたいなビンビンのセンスよ。「実家に帰ったら母親が自分の黒歴史ノートを出してきた」級の恥ずかしさで、読むのも辛い。そうか。30超えてコレか。
もうこの際、社会に大きな影響を及ぼした元・殺人犯が社会復帰後に自身を語ることの是非は横に置く。俺は正直、佐川一政の生き方なら、あれはあれだと思っている。むしろ、語り方、語る内容に一般人のソレとは違うものがあって、なにがしかの感銘や感覚を惹起するならば、汚らわしくとも価値はある。
これを見て思ったのは、酒鬼薔薇というのは徹頭徹尾凡人だということだ。少しばかり発達し過ぎた自己愛と、ユルユルガバガバの社会性と、特殊な性癖に後押しされて、たまたま勢いで若くして殺人者になってしまっただけであって、肥大した自意識の有り様や、ついうっかり「正しくオナニー」なコラージュ「作品」を公開した上でページに「ギャラリー」とか名付けてしまうゲロが出る様な痛々しさまで、この人は少しイタいだけのフツーのセンスの人だ。
ページタイトルが「存在の耐えられない透明さ」だった点、ミラン・クンデラを敬愛する自分は若干イラっときたが、この軽薄さまでもが平凡だと思い始めると、なんとなく可哀想になった。
憐れみは他者への最大の攻撃になり得るが、自分の元・少年Aへの憐憫はそういう当て付けの悪意を表明するためのものではなく、結構本気で言っている。だってこの人は、持て余した自意識と自己愛を解消する為に「元・少年Aである自分」にもうずっと縋り付かざるを得ないのだ。
そして、そうすればするほど社会との折り合いなんて付け様がないのだ。だって、僕らはこんな香ばしい元・犯罪者と関わり合いたくないのだ。
だいたいにおいて少年〜青年期の過剰な自意識は、社会に出た際の軋轢で徐々に削り取られたり、それに対する挑戦を通して昇華されたり、最終的には消化されなくても、その様なプロセスの中で自分とのバランスをとって大人になっていくものだけれど、彼にもうそのチャンスはないんだろうな。
だって、元・少年Aであることにしか、「異常な性癖で人を殺した」ことにしか、彼の社会的な価値はないんだから。もっと言えば、「アタマのおかしい、少し壊れてしまった人」として憐憫と共に、一般とはかけ離れたアウトサイダーアート的な才能への他言できない憧れも集めつつ贖罪に生きる姿が人々の胸を打つ…とか何処のラノベだよ。でも、彼が自意識を支えていくには、そんな世界観で生きていくしかない。
このままこんな生き恥を垂れ流しにしていたら、ほっときゃサイコパスへの憧れを持ってくれたかもしれない多感な10代とかですら「あ、これは結構ッス」てなるよ。。そんで社会から隔絶されて、また謎の敗北感を抱えて再犯に走るとかの悲劇も、ワンチャンある。