はてなキーワード: スーファミとは
ファミコン世代だけど本体そのものからは子供のおもちゃ以上の印象は受けなかったな。スーファミも64も筐体はプラスチッキーなチープさが子供のおもちゃだった。初代PSとサターンは流石に光学ドライブだけあって精密機器感を感じたけどカラーリングと本体のデザインはゲーム機だったから未来は感じなかった。
これは子供のおもちゃ以上だぞって感じたのはPS2だったな。あそこからおもちゃデザインじゃなくて大人の家電デザインになったと思う。
自分が初めて遊んだゲームはスーファミだから、灰色のスーファミ本体には現代っぽさを感じたし、64の流線形やPS2のモノリスっぽさはまさに未来的だった。Wiiで一転ホワイトになったのも、Apple製品のような洗練さを感じた。
新しいハードが出るたびにその本体デザインに新鮮味を感じ、時が経つとレトロ感を抱くようになるサイクルの繰り返し。でも出た当時の未来感は心の中に残っている。
では自分より上の世代、ファミコンからゲームに入った人はあの白と茶色のカラーリングに未来を感じたのだろうか。
演繹法で考えれば当然答えはYESに違いない。でもどうもそれが想像できない。あれは出た当初からレトロだったんじゃないかと思えて仕方ない。ウルトラマンやスターウォーズや2001年宇宙の旅などの過去のSFをみても、茶色のコンピュータなんて出てこない。ファミコンはレトロフューチャーではなく、レトロそのものだ。
先月末、Switchで昔ガラケーで配信されていた「女神転生外伝 新約ラストバイブルII 始まりの福音」が配信された。
このゲームはゲームボーイやスーファミで展開されていたラストバイブルシリーズで、こんなタイトルだけど2のリメイクではなくて完全新作。
そしてラストバイブルシリーズどころか、本家の女神転生シリーズを全てひっくるめてもトップクラスの鬱ストーリーになっている……という噂を耳にしたことがあり、一度遊んでみたいと思っていた。だがしかし、何せガラケー末期に配信されたアプリであり、噂を聞いたときはスマホに移行済みだったから、遊びたくても遊べなかった。このたびSwitchへ移植されたことでようやく遊べた。めでたい。
遊び終わった感想はというと、最初から最後まで本当にシナリオがエグくて、本家の女神転生シリーズを全てひっくるめてもトップクラスの鬱ストーリーという前評判は伊達じゃない。メガテンシリーズは全て遊んだわけじゃないけどね。
ただ、元がガラケーアプリということもあって、ググってもほとんど話題がない。あまりにも衝撃を受けたこのゲームの話がとにかくしたいのだ。
というわけで、シナリオを解説しつつ盛大にネタバレしながら語るぞ。
※1度遊んだだけなので、うろ覚えによる勘違いがある可能性あり
この疫病は空気感染するタイプで潜伏期間が3年~不定期、発症率は2~3割で年齢が低いほど発症しやすい。ホルスの住民のほぼ全員が感染しているのではないかと考えられている。
発症すると耐え難い痛みに襲われ、10年以上の月日を重ねて徐々に衰弱していくというもの。
やけに病状が具体的に提示されるのが、恐ろしさを伝えている。
ガラケーアプリで配信された2008年の段階ではそこまでの意図はもちろんないだろうけど、2022年の今遊ぶとパンデミックの恐ろしさが凄くよくわかる上に、病状はコロナよりもちろんヤバい。
ホルスのあちこちの街にある病院では全てのベッドが患者で埋まっており、自宅療養するしかないと告げる看護婦や、街によっては床に雑に寝かされているところもある。
そして、年齢が低いほど発症しやすいので、子供や孫の身内を失った老人が姥捨て山のように住まう村がある。そこにある大きな建物に入ると、フロアにびっしりとベット寝たきり老人が大量に映し出されるのは恐怖でしかない。これは所謂2DRPGだからできたことの表現だろう。
そこにいるまだ元気な老人も死への恐怖から必要以上に騒いだり、人生に悔んだり……。
物語の終盤、人間を苦しみから解放するという名目でルシファーがやってくるが、それは殺害することで苦しみから解放するというものだった。
主人公たちはルシファーを倒すが、この村の村長からはどうせ苦しんでいるだけなのだから一思いに死なせた方が良かったんだと嫌味を言われる。そしてルシファーから助けたはずの老人は病による苦しみから自殺してしまう。後味が悪いというレベルじゃないんだけど……。
この病気に対する薬も開発されているが、麻酔のようなもので、痛みを失くす効果はあるが根本的な治療にならない。
そして街によってはその薬すら満足に供給されず(数少ない薬はお偉いさん方しか使わないという政治腐敗っぷりもある)、死して魂を解放することが幸福であるという、謎の宗教みたいな教えを伝達して誤魔化しているのも、この世界の退廃っぷりを表している。
また、仲間の一人であるルナは行方不明となっている母と父を探しているという設定であるが、この母と父は疫病の進行のため、薬の過重投与によって植物状態になり、聖王軍から"楽園"と呼ばれる施設に同じような症状の患者とともにいた。
ルナはそのような状態になってしまった母と父にショックを受け、弟のカミュの魔法で記憶を改竄して貰っていたのだ……。
"楽園"にたどり着くことで真実を知ってしまったルナは、元々の勝気な性格が嘘のようにショックを受け、しばらくパーティから離脱することになる。
なお、当然ながら弟のカミュはこの真実を知っている。母と父がそのような状態になってしまったからか、姉であるルナに異常な愛情を向けるようになり、ついに自分の思い通りにならないのならそんな姉はいらないというヤンデレ思考でルナを含めた主人公一行と戦うことになる。
敵に操られていたとかそんな理由で肉親と戦うのではなく、セルフで狂って戦うことになってしまうのは、この物語の世界観のエグさを物語っていると思うぞ。
また狂ってしまうのはカミュだけではない。仲間の一人、レオンも物語の終盤に兄のように慕っていたアインは自分をかばってなくなっていたこと、自分たちの責任の重圧に耐えきれず、ルナを誘って逃げようとする。しかし、ルナは亡くなったアインの代わりに自分を新しい依存先にしようとしているという正論パンチを食らわし、痛いところを突かれたレオンは狂乱の中、ルナへ刃を向けることに(この後、ルナと一騎打ちになるが、レオンはメチャクチャ弱い。なお、レオンはその後、反省し、覚醒してパーティに戻る)。
一応ストーリーラインとしては、この疫病で苦しんでいる星で、世界を支配する王であるカインが狂王を名乗り、圧政や異世界から魔獣(メガテンでいうところの悪魔)を召喚してさらに世界を混乱させている。
主人公は冒頭で妹を魔獣に食われ、そしてその魔獣は父と母も殺害してしまう。この魔獣はあざ笑うかのように、妹が持っていた仮面や衣服を着用し、妹の笛を吹いて現れる。父親の死の間際、その魔獣(以下、笛吹き)とそんな魔獣を呼び出したカインへ復讐して欲しいということを語り、当面はまずカインを倒すことを目的に話が進む。
狂王カインへの対抗組織として聖王アベルが率いる聖王軍というものがある。この聖王アベルは前述の薬を作って配布するなど、この星に住む人の希望となっている。
……しかし、主人公たちはカインを倒したときに真実を聞かされることになる。
カインは、疫病への恐怖から誰彼構わず魔女狩りを始める国民に心を痛めており、自分が狂王となり悪役を演じることで全ての不満を自分に向けるように仕向けたこと。その裏で、聖王アベルという架空の存在を作り、疫病への対策を行っていたこと、そして狂王を演じるうちに次第にカインの精神を蝕み、狂ってしまったこと(結局、魔獣を召喚したのはカインであるかどうか不明)。
そうこうしているうちに、主人公を導き、暗躍していた魔獣の女王を名乗るミストラが魔獣王を決めるということを言いだす。
世界の各地に魔獣の卵のようなものがあり、ミストラがそのような提案をすると、サタンとルシファーが孵り、それぞれが魔獣王へ立候補し、彼らは大元の思想は違えど人類を滅ぼすという最終目標は変わらず、主人公はそれを止めるために扮装するが、どちらも倒したものの逃げられてしまう。
そしてミストラが魔獣王を決める際に、サタンとルシファーは合体してメタトロンになり、自分こそ魔獣王にふさわしいと名乗りを上げるが、ミストラが魔獣王として選んだのは、笛吹きであった(笛吹きはその後、各地で子供をさらっているなどして、何度か主人公と戦っている)。
ミストラは笛吹きと合体して、魔獣王ルインとなる。メタトロンは部下として従えることになった。
これまで主人公一派に協力的だったミストラの豹変っぷりはなかなか怖い。淡々と語りだすし。
ルインおよびメタトロンの目的は、人類を滅ぼすことで解放すること。そのための手段として月を惑星ホルスへぶつけるという大掛かりな手段を使おうとしてくる。
刻一刻と迫ってくる月、対策として月を爆破する選択を選ぶが、そのためには月にいるルインおよびメタトロンを倒す必要がある。
しかし、こちらには力が足らない。そのためには主人公にフォースの力を解放させるしかないという展開になり、主人公の心の中で、力の解放のため自分と向き合うことになる……。
気が付くと、主人公は森の中にいた。歩いていくと見慣れた光景が広がっていた、自分の育った家、父、母、そして妹。
妹は誕生日プレゼントで貰った笛と仮面を貰って楽しそうにはしゃいでいる。ここにはあの笛吹きの魔獣はいない。
……あのとき主人公が望んでいた光景が広がっているのだ。父は主人公に大切な話があると語る。
それは主人公は捨て子であり、実の子ではないこと、そして出来れば妹と結婚してずっとここにいないか?と提案してくる。
主人公はその提案を……拒否する(提案を飲むと、月がホルスにぶつかり「HappyEnd」という名の「BadEnd」になる)。
そして主人公は過去の迷いへ決別するために、夢の中の親や妹と戦うことになる。
ここまで読むと、わかるだろうけども、ぶっちゃけると「鬼滅の刃 無限列車編」の夢の世界とほぼ似たような展開となってる。こっちの方が早いけど。
鬼滅では炭治郎が夢の中で自殺することで戻ってこれたけど、ラストバイブル2では家族を殺害することで夢の中から脱出するからその分鬱度が高い。
ちゃんと戦闘になり、プレイヤーの手で攻撃方法・対象を選んで倒さねばならないのだから……。キツい……。これもゲームシステムを利用した演出なんだろう。
月にたどり着くと、いよいよラストダンジョン。その名は"地獄"。ストレートすぎる名称だろ。なんで月に地獄があるかっていうと、おそらくルインが作りだした幻かと思われる。だからこそこの地獄は狂気に包まれている。
この地獄では、人々がやや支離滅裂気味で話す苦しさを全て聞かないと先に進めないので、精神がゴリゴリ削られる。
あと最後までたどり着いてようやく気が付いたのだけど、ミカエルだのルシファーだのが出てきたり、タイトルにバイブル(聖書)という名称が入ってくるくせに、このゲームの世界観は仏教がベースなのよ。ラスボスの前座で出てくる敵は「四苦」と「八苦」。「四苦八苦」という四字熟語があるが、「四苦八苦」とは仏教用語であり、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を表す。ちょっと病苦を全面的に出し過ぎてる気もするが。
なんとかラスボスのルインを倒すが完全には倒せていない、そうこうしているうちに月はホルスに迫る。
もう用意していた爆弾だけでは、月を破壊できたとしても破片がホルスにぶつかって大損害を与えることが必至。完全に粉々に月を爆破する必要があり、主人公はレオンとルナをトランパ(ドラクエでいうルーラ)で逃がし、フォースの剣で更なる力を込めて月の破壊しようとする。
まだ死んでいないルインがやってくる。主人公はルインと心を通わせることで、笛吹きの魔獣……ラミレスの正体を知ることになる。
笛吹きの魔獣はラミレスという名で、正体はレオンの双子の兄である。
ラミレスとレオンは望まれない形で生を受けたため、親から虐待されて育てられた。食糧事情が悪化した際、ラミレスとレオンは親に捨てられた。
レオンは山へ、ラミレスは海へ。レオンはたまたまそこにいたアインに拾われて育てられることになった。
一方ラミレスは海に流された後、あまりにも不憫に思ったミストラにより、身体は魔獣として命を取り戻すことになる。そして主人公が冒頭で暮らしていた島へ流れつく。
仲睦まじく楽しく暮らす家族を見ると、親の愛情を受けずに虐待して育てられたラミレスは苦しみだす。なぜ自分はこんな目に合うのか。
ラミレスは家族の愛に飢えていた。だからこそ、主人公の妹を喰らい、妹が来ていた仮面や服を着ることで、自分はあの幸せそうな妹にすり替われることができるのではないか、と考え実行する。
もちろんすぐにバレるため、主人公の父と母から拒絶され、そのまま殺害してしまう。
家族が欲しいというラミレスの願望は一向に癒されず、各地で子供をさらって食うという猟奇的な行動に出てしまう。
そして、全てを理解した主人公は苦しむラミレスの魂を開放すべく、最後にとどめを刺す。そして月と運命を共にする。
あとは平和になったホルスのエピローグが語られて、「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」が終了。
最初から最後までこれでもかというくらい陰鬱な話が続くが、そのための清涼剤としてか仲間はみんな底抜けに明るい。
だからこそ、仲間の辛い過去が判明したり、狂いだすのも結構キツいものがあったりする。
あと、このゲームは2であり、ところどころ1を遊んでいないとわからないと思われる部分もあるが(結局ミストラって何者なの?とか)、まあメインの部分は1をやっていなくても大丈夫。自分も遊んでないし。
スーファミの頃は半減だったっけ。
幻のスーファミCD-ROMから袂を分かって誕生した初代プレイステーション。
当時は任天堂(と初心会)がかつてのマイクロソフトのように悪の枢軸みたく言われてて
それを打ち倒すべく登場したのがプレイステーションだったわけだ。
本体とソフト2本で5万、という価格設定もチャレンジャーとしてふさわしかった。
そして玩具屋には作れなかった洗練されたデザインと人間工学を意識したコントローラー。
なによりハード戦争の趨勢を決定づけたのはファイナルファンタジーの発売だった。
のちにドラクエもプレステで発売されることとなり(スクエニ合併前の話な)
この頃のプレイステーションは輝いていたのに、なぜ今こうなった。
便利なんだよ~。いちいちメニュー開いてそこからサブメニュー選んで、みたいな手間が減ったから。
{ちなみにファミコン→スーファミ、セガサターン、PCエンジンまでは順当に対応してきて、64のアナログスティックの感度で躓きかけながらも、ゼルダのためになんとか乗り越えて、その辺(PS2)からしばらくゲームから離れて、Switchとsteamで戻ってきた}
ブレワイ久しぶりにやろうと思ったら、何にもできない。
盾とか弓とかが、直感的なボタンになってない。復帰用のチュートリアル必須レベル。
それでリハビリしてもまた他のゲームやろうとしたら一から覚えなおし
インディーのシンプルゲームが売れる理由のうちのひとつは、安いしそこそこ楽しいし、操作がシンプルで覚えることが少ないからなんだと思った
『ワンダープロジェクトJ』っていうスーファミのゲーム。
ガキの俺には操作が難し過ぎて、割と序盤で躓いて脱落して、
しょっぴかれたジェペットじいさんを助けられなかった思い出
1より2が有名になったやつは、ストリートファイターとかMOTHERとかプレイバックとかいくつも思いつくけど、
1でも2でもなく3が有名なやつは中々思いつかないので絞り出してみる。
・丑三つ時
→草木が眠ることでお馴染み。現代の時間でいう、午前2時から2時半くらいのこと。
丑一つ時でも丑二つ時でも丑四つ時でもなく丑三つ時なのは、語感が良いからなのだろうか
ワンクールアニメを3話までで判断する人が増え、制作側もそういう意識の元で話を作ることが一時期増えた気がする
→初代、2代目がとどのつまりEXILEなのでズルい気がするが、ユニットとしては3代目が有名で活動期間も長い
・若乃花
初代は成績や貢献度の大きさから伝説だし、2代目も間垣親方としての活躍が有名なので微妙だが、世間一般の知名度では3代目が一番ではないか
→スーファミ版の2から受けてた気がするが、3で大ブレイクした印象
→スーファミのスーパー桃鉄3で人気を不動のものにした印象があるが、ファミコンやPCエンジンの時点で名は知れてた気もする
→上に同じ
→だから年齢がバレるって言ってんだろ
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。