はてなキーワード: ジェンダーバイアスとは
casa1908 なんで「女」に限定しているのか全くわからん。こんなもん性別にかかわらず絡みたくないし、いちいち男女問題にして耳目を集めようとする魂胆が浅ましい。
casa1908 主語がでかいけど、そういう女性に対してはまぁその通りだと思う。ただ、「そんな女を選んだお前の自己責任だろ」で話が終わりがち。
casa1908 それは増田のモラルの低さの問題であって、それを「女心」とか言って一般化するのはいわゆる主語デカ案件ですよねという話。確かに常にゴミ袋持ち歩いている男はなかなか奇特だと思うが、ポイ捨ては普通にダメだろ。
casa1908 >要は女性は「ここで泣けばジェンダーバイアスで私が有利になる」と計算して泣く。→「女性は」と断定すると主語がでかすぎるが、実際こういう女性は多いとは思う。「涙は女の武器」なんて言葉が昔からあるように。
https://note.com/beatangel/n/n0cfb0cbe8c71
casa1908 主語がデカいことは自覚した上で言うけど、なんで女性(の多く)って冷静な話し合いができないんだろうな。特に仕事上ではそれができる人でも、プライベートというか家族間では急にそれができなくなるのマジで謎。
牛角問題の炎上に関連して、改めて思うことは、どうしてジェンダー絡みの話題は相対的に軽いものばかりが盛り上がるのか、ということだ。
例えば、「女性差別」の現れとなる現象としては以下のようなものを列挙することができる。
この中で議論の余地なく重い女性差別は(3)までである。(3)はさすがによく話題になっているが、(1)と(2)はなぜか滅多に話題になることはない。
フェミニストが憤るのは(3)を除くと主に(4)(5)(6)が多い。しかし、(4)キャリア(立身出世)を目指すこと自体は最低限の生活水準をはるかに超えた問題であり、(5)家事・育児については分担以前にそもそも「楽をする」「手を抜く」という発想がなさすぎなことを問題にすべきであり、(6)公人の言動も直接政策に反映されていないならそこまで問題視する必要はない、という意味では「軽い」問題である。少なくとも、キャリアを目指せる人、安定した仕事とパートナーに恵まれている人、政治的な知識や関心がある人たちの関心事であっても、このカテゴリー入らない「弱者女性」にとってはほとんど関係のない話題である。
もちろん、(1)(2)の問題があること自体は、よく知られている。しかし、フェミニストからも、この問題に言及されることは意外なほど少ない。むしろ労働問題については、「103万円の壁」問題など、女性の貧困と間接的にも関係が薄いテーマばかりに反応する傾向が強い。私見では「103万円の壁」はそもそも問題ですらないと思うが、ネット上のフェミニストの間では女性の貧困や低賃金よりも深刻な問題として扱われている。
岸田首相についても、すくなくとも女性が圧倒的に多いケア労働者の賃上げについては尽力していることを正当に評価すべきだと思うが、そうした声を聞いたことは一度もない。逆に「女性ならではの視点を」という断片的なフレーズにやたらに激怒している人がいた。明らかに怒りの矛先の配分がおかしいだろう。
ちなみにアンチフェミ勢については、反応するのはほぼ(7)の問題に集中し、逆にそれ以外の話題についてはあきれるほど無関心か、言及する際も社会構造としての女性差別を否定して、「女が自分で選んだんだろ」という自己責任論で応答している。主張の内容以前に、人間としてクズとしか言いようがないだろう。
②デートとかで利用すれば男もお得
それなら女性の給料を少なくしたり、女性を募集しない等ということも問題なくなってしまう
これに関しては労働者の立場が低いから禁止ということにしたとしても
店内をおしゃれな雰囲気にしたいから白人だけ半額みたいなことが許されるようになってしまう
―
②デートとかで利用すれば男もお得
これは男が女の会計もするというジェンダーバイアスから出たセリフなのだろうか
―
そんな事言うならそもそも食べ放題なんていうサービスやってることがおかしいだろという話である
もしされてるというのであれば、支援物資等も優先的に男性に配布する、生活保護費も男性を多くするなどの施策が必要だろう
―
④子供料金はどうなんだ
更に人間は必ず子供の時期もあるのでいつサービスを受けられるかの違いでしかないといえる
―
―
主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう
妻の主張
①息子がチー牛かもしれん
②子育てのやり方を見直すべきでは?
主の主張
①(嫁に対して)チー牛とかいう差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。
②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?
って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、
その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別に意見のすり合わせをしていく必要があると思う
以下それぞれに対する俺の感想
まず主①の主張、これは賛同できる
チー牛とかいうかなり差別的なネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない
そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた
で、主妻それぞれの②の主張、まとめると
「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、
「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、
一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う
チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪の概念では、悪ではない。
が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。
そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。
そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。
主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉を即物的だと言って一笑に付してるけど、
人間は理屈や正しさよりもかなり感情や第一印象や先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、
「生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしまう
これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差したものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい
学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴と低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ
妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね
昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立な言葉に浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ
チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない
妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的な言葉だっていう認識が薄いんだろうね
だからもちろんチー牛という言葉を使うこと自体は咎めたほうがいい
ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい
じゃあどうすりゃええねん、と言われると、
そうだな、そうだな……
ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。
母親が過干渉で父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、
やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う
男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが
なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな
男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから、
男女平等、ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな
優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな
これらを持つこと自体を否定してるわけじゃなくて、もちろん大事なものなんだけど、無害性のアピールにしかならないから、
必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力、責任を引き受けたりする能力、リーダーシップやイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間的評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない
運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活を強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……
まとめると、
•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える
•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい
って意見かな。
主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう
妻の主張
①息子がチー牛かもしれん
②子育てのやり方を見直すべきでは?
主の主張
①(嫁に対して)チー牛とかいう差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。
②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?
って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、
その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別に意見のすり合わせをしていく必要があると思う
以下それぞれに対する俺の感想
まず主①の主張、これは賛同できる
チー牛とかいうかなり差別的なネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない
そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた
で、主妻それぞれの②の主張、まとめると
「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、
「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、
一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う
チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪の概念では、悪ではない。
が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。
そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。
そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。
主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉を即物的だと言って一笑に付してるけど、
人間は理屈や正しさよりもかなり感情や第一印象や先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、
「生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしまう
これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差したものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい
学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴と低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ
妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね
昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立な言葉に浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ
チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない
妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的な言葉だっていう認識が薄いんだろうね
だからもちろんチー牛という言葉を使うこと自体は咎めたほうがいい
ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい
じゃあどうすりゃええねん、と言われると、
そうだな、そうだな……
ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。
母親が過干渉で父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、
やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う
男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが
なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな
男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから、
男女平等、ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな
優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな
これらを持つこと自体を否定してるわけじゃなくて、もちろん大事なものなんだけど、無害性のアピールにしかならないから、
必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力、責任を引き受けたりする能力、リーダーシップやイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間的評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない
運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活を強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……
まとめると、
•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える
•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい
って意見かな。
確かにこの意見も理解はできます。手術や親や友人との関係、今後の生き方etcハードルは高いと思います。
その人のトランス欲求がバイアスによるものやこの社会の、その身体性に向けるまなざしによるものであるなら、社会か自分を変えれば解決する。社会を変える(女らしさや男らしさとされているものを変えて、それから逸脱した自分が普通の女、男、とされるようにジェンダーバイアスを消していく)か、自分を変える(自分の欲求を押し殺し社会の要請に応えられる人間に変わる、もしくは自分の欲求がより受け入れられそうな性別に変える)のどちらも勇気がいる。
ただいくら社会を変えたところで自分の身体性を変えることはできないから、手術やホルモン治療?に踏み切るのは確かに強い気持ちが必要と思います。
コメントありがとうございます。またかなり詳細にエピソード書いてくださってありがたく思います。
女っぽくないトランス女性はやはりいるけど、主張してない(もしくは目立たない)のですね。
パートナーというのは20年前に結婚した女性パートナーですよね?トランス女性と女性のふうふとして、セックスレスだけど婚姻関係を解消せず静かに生きている方もいるんですね。
>化粧はしない〜髪の長さ、尻の大きさ、華奢さなど〜もう少し女性らしくなりたいが実際は熱心になれない
身体的には女性らしくなりたい(ここで言う女性らしさとはジェンダーバイアスだけでなく生物的な女性として自然な特徴を含む)が、ファッションやジェンダー的にはそこそこまあまあな欲求がある(ユニセックスな服装、メイク少なめなど)ということですね。つまり、世間的には女性らしい格好をしたいからトランス女性になったわけじゃないが、世の中のバイアスに応えて誰が見てもパッと女性っぽくなりたい気持ちもちょっとある、みたいな感じでしょうか。
上の方で、バイアスがその人の自認を作る部分があるっていう話をしてた方いたので、はっきりとこれだけと言い切れる単純な要因があるわけじゃないんですね。ジェンダーバイアスに反する趣味があるから受け入れられような性別に自分を変えている、人もいるがそうでない人もいる、という風に受け止めました。ありがとうございます。
さっきも性自認100%男性という方がいたし、男らしくあれという圧力が根強い分自分は本当に男なのか?と不安に思ったり確認しようとする行為は男性の方がよくあるのかもしれない。
そのことと、ジェンダーバイアスへの適応と、トランス女性だと確信するに至ることを関連づけるにはまた慎重さが必要とは思いますが、世界ではじめてのトランスジェンダーも男性(トランス女性)だったようだし
女性が性自認に無自覚のまま生きられる人がいる、もしくは多い理由は、性自認がどうであれ子どもが妊娠できれば価値があるとされた時代が長いからとか(男は射精できれば男と認められたわけではない)、社会的な責任が薄く出世を望まなければ自由に生きられたからか、色々考えられると思う。
まさにこういう女って感じ、男って感じ、っていう人がジェンダーバイアスを強めてるんだぞ
性スペクトラム、つまり人間はもともと、その生涯や環境によって肉体的・社会的な性別が変化する生き物であったのかもしれない、ということですよね?
人間は、性染色体や生殖器の機能が生涯に渡って自発的に変化することはないにしろ、仲間内で互いをオスと見るかメスと見るかを変化させたり、仲間内で手術して形を変える習性のある生き物ではあると思います。わたしが疑問に思っているのは、その"習性"に影響を与えている要員です。遺伝的なものか、環境的なものか、それはなぜなのか?→そこに対して、強固なジェンダーバイアスに適応しようとするあまり自分自身の性別を変えることになったのがトランスジェンダーではないか…という仮説を上げています。