はてなキーワード: アルハラとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/soredemo-blog.hatenablog.jp/entry/sakenomenai-tawagoto
酒が嫌いな人もいるし、体質上アルコールを飲めない人がいるのも知ってる。
人によっては「お前は俺の酒に付き合えないのか」ってウザいのもいるし、こういう人は良くないと思う。
一気飲みを強要したりする人も同じ。空気悪くするだけだからやめてほしい。
ただ、理屈抜きの感情論を言わせてもらうと、この手の「アルコール弱者」を騙った文章ってすごく気持ち悪く感じる。
かわいい女の子なら話は分かるけど、成人した男性が「飲めないんですぅ」「酒に付き合わされて僕かわいそうなんですぅ」ってシャツの袖を引っ張りながら女々しい話をしているようにしか聞こえない。そして「アルコール弱者」を自分のアイデンティティにしようとしているようにも見える。
あるいは権利を声高に主張する市民団体や環境保護団体のようにも見える。
権利とかいらないと思うぐらいのパワフルでありながら弱者である事をことさら強調する。
もしかしたら一番近いのは「嫌煙派」あるいは「嫌煙厨」かもしれない。健康への有害性や臭い、ポイ捨てのようなマナー違反を理由に喫煙者を穢多・非人扱いする。この世で最も汚らわしい生き物、それが喫煙者だと言わんばかりに。
自分も喫煙者だが、嫌煙派に指摘されるような粗相はしていない。臭いに関しても極力気をつけている。
だいたい嫌な顔をする人がいる所で煙草吸ってもうまくない。
煙草は「受動喫煙」という言葉があるようにいやでも周りに迷惑をかけてしまうが、
「酒の席に付き合う」そして「酒を飲まされる」ってそんなに強制されるものなのかな?(というかそんな飲酒を強要するような宴会なんて最近じゃ聞いた事無い)
飲みたくもない酒に付き合わされるって感覚を持つって、つまり、その宴会ないし食事会に付き合うのが嫌だって事じゃないかなと思う。
その嫌いって感情は直感的なものであって、生理的に嫌いって感情を正当化するために自分がアルコール弱者だって事にとにかくしたがってるように見える。
飲み会だから必ずしも記憶をなくすまで飲まなければいけない訳じゃない。飲み会だって食事会の一種なんだから、普段話さないような人と交流する事に専念すればいい。これ以上居ても無駄だな飲まされるなと思ったらその時点で今日は楽しかったとありきたりな建前を言って帰ればいいじゃない。
「まぁ一杯付き合ってよ」くらい言えない世の中なんてギスギスしすぎて嫌だよ。
「カラハラ」に悩む人たち 苦手な歌を無理強いされ、拒否したら異動
http://careerconnection.jp/biz/economics/content_1480.html
アルハラは酒で死ぬ人がいるから見直されるようになったが、カラハラは音痴でも死ぬ人がいないので軽視され続けるだろう。
「音痴なのに歌わされた挙句接待失敗の責任を押しつけられ個人の尊厳を踏みにじられたので死にます」と誰かが自殺してみせたところで、
その効果は限定的で、世間一般という広い世界においては「自殺する方が弱い」と風化する可能性が高い。
ブラック企業じゃない基準って俺的には下の条件を普通に満たす会社
1.時給換算で1時間2500円以上
2.法令遵守
4.ギャンブルやアダルトまがいの事業がない(ソシャゲとか、エログッズ販売とか)
7.部署移動はある程度個人個人にそって行われる
8.食ハラ、アルハラが酷くない(食わせまくって吐いた人がいるとかNG。ビール2杯以上を強要される、1杯はOK)
9.中国人、インド人、アメリカ人など外国籍採用が20%超えていない
10.子会社ではない(子会社はだいたい親会社だと辛い仕事を流す場所のため)
11.投資が入っている会社ではない(投資が入っている会社は創業メンバー以外は奴隷)
12.法令違反以外はブラック企業じゃないという価値観が経営陣や社員の中で蔓延していない
こうして並べると反社会的だったり非生産的だったり何らかのネガティブな要素が含まれているケースが多いように見える。無意識の罪悪感が彼等に強迫観念をもたらしているのだろうか?
実際問題として後ろめたさを感じてはいるんだろうと思う。だから「やらない」ことを明言する人間を目の前にすると「いい子ぶりやがって」と無根拠に反発する、って構図だと思う。
で、元増田の場合だと、その部長も実は下戸なんじゃなかろうかと思った。
実は酒は全然ダメなんだけれど、その更に上が汲んでくれない、言える立場じゃない(実際元増田に対する「次長達」の発言を見ると、その臭いがする)ので何度も死にそうな目にあいながらも付き合ってるってオチじゃなかろうか。
だとしたら元増田に対する発言も意味が通る。「俺だって飲めないけど必死に我慢してんだよ」って意識があるだろうから。
まあ、それに対する解は「結構マジでその次長達はいつか酒関係で人死を出すので、殺される前に逃げるかしかるべき所にアルハラとして訴え出ろ」なんだけどな。
2020年になって、もう一か月か。
ニュースを見ていると、遂に2chが規制されるようだ。色々と理由は並べているが、要は社会に悪影響を与えるからだそうだ。まあ随分前から色々問題となっていたから、今更特に気にしていない。それにしても、10年前から比べたら色々と規制された項目も増えたものだ。
テレビ番組では、昔流行ってた芸人いじりのバラエティ番組が、いじめを助長するという理由でめっきり見かけなくなった。何でもあるいじめによる自殺事件がバラエティ番組の真似をしたのが原因だったとかで、一気に世論が傾いたんそうだ。出川哲郎やダチョウ倶楽部の上島なんて最近の若い子は知らないんだろう。一世を風靡した有吉とか人をネタに笑いをとるタイプの芸人も軒並み姿を消してしまった。結局残ったのはコントや漫才番組ばっかだけど、それも毒のない無難なネタしかしない。あと、昔流行ってたAKBやモー娘。なんかも、未成年の性の搾取だとか言って某女性団体が強く抗議したせいで姿を消したばかりか、アイドル文化自体も完全に衰退してしまった。おバカタレントだって障害者差別だとかよく分からん抗議が来て消えてしまったし、お色気番組なんか言わずもがな。この前放映していた過去の流行語特集で、レイザーラモンHGにモザイクがかかっていたのには笑った。ニュースだって、政府が報道規制をチラつかせるものだから、テレビ局はビビって政府や特定の政党批判が出来ず、どこも政府の御用テレビみたいになっている。最近のテレビ番組は、昔のNHKみたいな毒のない番組しか出来ないようだ。
食べ物の面で言えば、餅が禁止されてからもう3年経つ。こんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、死亡数が断然多かった餅も禁止されて当然の流れだった。でもすぐに代替品として、こんにゃくで作られた餅もどきが出回って、今や正月の必需品となった。昔、レバ刺しが禁止になって、すぐにこんにゃくで作られたレバーもどきが出回ったみたいに。でもこんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、こんにゃく餅やこんにゃくレバーもそのうち禁止されるかもしれない。レバ刺しもそうだけど、生で食べられるものが随分減ったな。サルモネラ菌がいる生卵もそうだし、前から食中毒の多かった牡蠣もノロウィルスが流行ったのをきっかけに生食が禁止された。最近では、ついに生魚も問題視され始めてきたから、刺身や寿司も危うくなりそうだ。フォアグラも動物保護の観点から禁止にする店も増えてきた。昔、煙草を買う時にタスポが導入されたように、酒を買う時にもカードが必要になった。カードを貸し借りする人が出てきて意味ないのにな。昔、梅沢富美男がコンビニの年齢確認ボタンにぶち切れていたのが懐かしい。
会社では、個人情報保護やコンプライアンスに随分うるさくなった。飲み会に誘う際は、強要されてないことを示す同意書を取り付けないといけないし、プライベートに関する質問の際は一つ一つ確認を取らないといけない。アルハラになるから、お酒は自分で注ぐのが常識。上座下座もパワハラという言葉を前に死語になってしまった。そういえば、住所を明かすのに抵抗がある若者が増えて、年賀状はもっぱらメールが主流になったな。紙の名刺だって衰退して全部セキュリティー保護付きの電子データでやり取りするようになった。そっちの方が整理しやすくなったけどね。ただ、こうした仕事のやり取りを全て管理されるのは随分と息苦しい。デスクトップなんて最早死語、パソコンは皆タブレットになって、これ一つで何でもできることを良いことに、自分の仕事は全て上司に筒抜け。名刺のやり取りの頻度は全てカウントされているし、営業ルートはGPSで見られてるからサボることもできない。ネットサーフィンや私的メールなんてできるわけがない。タブレットは外に持ち運びするもんだから、起動するごとにセキュリティを何重も解除しないといけないから面倒くさいしな。自分が入社した時とは随分時代が変わったもんだ。何でも最近の就職活動では、名前で人格を判断するのは問題だっていうことで、内定が出るまで匿名で通すみたいだ。どうもキラキラネームを名付けたどっかの親が抗議したのがきっかけらしい。まあ、フタを開けると内定が出ているのは普通の名前の学生ばっかりなのが皮肉だね。
オタク対策でも、悲惨な幼女レイプ事件が発端となって、児童ポルノ禁止法改正案が通った上、更には女児のスカートや公衆の水着着用が禁止になった。アグネス大勝利。ロリコン漫画は完全に姿を消したね。また、前からずっと言われてたけど、著作権侵害問題でコミケもついに廃止となって、同人誌も販売禁止となった。とらのあなも倒産して久しいし、クリムゾンも消息不明。エロ本も、酒や煙草と同様に身分証明書が必要になって、中学生涙目。某女性団体から、性の乱れを助長するとかいう声が上がって、AVやエロ漫画でも必ずコンドームをつけるシーンが義務化された。でも、最近のゴムは随分と薄くなって0.003mm以下が主流になったもんだから、薄すぎてゴムが見えてないだけだと言い張る作家も増えてきたね。
とまあ、この10年で色々と規制、禁止されたけど、逆に規制が緩和することってないよな。日本人って規制前にはうるさく言うけど、規制後は従順になって、遵守しない人を逆に叩く性分だからしょうがないね。お上に逆らわないのは江戸時代から何も変わってない。今後もより良い世の中にするために規制する項目はどんどん増えていくんだろうな。でも本当に世の中良くなっているのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20120708012040
タイトルがかなりインパクトが強かったせいか予想より大きな反応があり、結構、驚きました。
はてブコメント、ツイッター、Facebookなどで、賛否両論ありましたが、概ね共感していてくれたのは嬉しく思います。
このエントリーは主に否定的または部分的なツッコミを寄せていただいた方に対して、自分なりの意見を述べさせていただこうと思います。
これに対しては、確かに曖昧だったかもしれません。もちろん、運動部出身者を一括りにして体育会とするわけではありません。
何より、自分自身も、中学時代は陸上部、高校と大学ではボクシングをやってきましたし、バリバリのスポーツ選手=体育会系として見たこともありませんし、
じゃあ、どういうのが「体育会系」として定義されるかというと、あくまでも"傾向"として、その色が強いタイプを挙げさせて頂きます。
これらの環境に、身を置かれると、人は考えなくなくなり、上から与えられた事だけを遂行するだけのロボットになりやすいんだろうと思います。
故に、部活内ルールを理由もなく、従順に受け入れ、異を唱えず、ずっと引き継いでしまっているんだろうと。
先の増田でも、記述した人物は何も一人の人間の事ではなく、過去に俺と関わった、野球部出身3人、バスケ部出身1人の先輩及び上司の事をまとめた物です。
いずれの人たちは、聞いてもいない中学高校時代の部活の話が大好きで
「部活では、こんな苦しい思いをしたけど、俺は乗り越えた。」
「高校の時はこんな意地悪な先輩がいたけど、俺はこうやって、気に入ってもらえた。」
「部活の顧問がめちゃくちゃ怖かった。俺はこんな理不尽にも耐えた。」
しかも、基本的に同じ話ばっかりだけど、初めて聞いた感じで「そうなんですか!パイセン!スゴイですね。」って思ってもないこと
を言ってみたりするが、腹の中では、「あなたは理不尽を押し付ける人に育ってしまったんですよ。お願いです。気づいて下さい。」と思っていたり。
こうして、部活やチーム内での「ノリ」とか「体質」を社会に出ても捨て去らず、見事に持ってきてしまってるわけでございます。
何度も書きますが、これはあくまでも"傾向"です。スポーツ経験者=100%クズではないという事だけは強調しておきます。
実はこの類の意見ほど悲しい物はなくて、ある意味、個人的にはかなり残酷だと感じています。特に「転職すれば?」などはかなりキツイ。
転職って簡単に言うけど、結構、一大事ですよ。仮に転職したとして、また同じような人種がいない保証はどこにある?想像力があまりにも欠如した意見です。
先のエントリーは社会全体でなんとか、上手くやっていって欲しいという自分の願いです。故に、自分一人だけが変わっても、社会全体の協力があって初めて成立する話なんです。
嫌なことは嫌って言おうぜ。俺も言うから。
また、「甘え」などの言葉を使う方に対して、言いたい。
「あなたはどれだけ強いつもりなんだ?」
これから、10年、20年先、あなたは一切挫けず生きていくつもりなのか?その時、甘えさせてくれる場所を求めないつもりなのか?
「パワハラとアルハラ満載の社会をこれからも維持し続けて全員で不幸になりましょう!」
申し訳ないけど、究極のドMか、パワハラ/アルハラが大好きなドSにしか見えない。
社会に期待することがそんなに変なのか?社会に何も期待しなくなったら、それこそ奴隷じゃないか。
「嫌がってる人や困ってる人がいたら、みんなでちょっと配慮してあげよう。」
これを甘えだと切り捨てて、社会をずっと厳しいものにしておきたい人がどういう訳か存在してしまうわけです。
そういう考えに至るきっかけは何なんだろう?大変、興味深い。
結局これも、体育会系の特徴で記述した悪習慣をずっと引き継いで抜け出せない運動部そのものなんですよ。
なんで、そんな寂しいことが言えるんだよ。
いるだろうな。俺もそう思う。嫌なことは嫌って言おうぜ。
「あるある」だけで終わらず、出来れば、実際の社会でもこうした思いを少しでも反映させて下さい。
そうしないと、本当にこれから、社会に出ようとしてる人や自分自身の首を締めることに繋がりかねないと思います。
おかしいと訴えても「社会は厳しいから当たり前!」「そんなのおまえの甘えだ!」
声の大きい人にそれだけで一蹴されるなんて、悔しいじゃないか。
改めて言うけど、嫌なことは嫌って言おうぜ。俺も言うから。
大阪の「維新の会」が親学押し付け条例を画策し、世論の猛反発で引っ込めるようだが、
そもそも「昔の伝統的子育てでは、児童虐待なんてなかった」というのは、一種の「神話」ではないのか?
「現代は、児童虐待が増えている」というのが「社会の常識」となっているのには、
2つの「要因」があると思う。
1.は、例えば発達障害なんかが典型例だが、
「医学の側、行政の側の検査体制が充実してきた結果、従来だと見落とされてきた症例の把握率・捕捉率が上昇してきた」
というもの。
発達障害などは、かつては検査体制が未整備だったので、認知件数も少なかったが、
最近では行政側の検査体制が整ってきている上、市民の側も「大人の発達障害」なんて本などの影響で、
症例の認知度が高まってきているので、検査に出向く市民・親が増える、そういうことで認知件数が増える、という関係にある。
これを「児童虐待」に当てはめると、
「数十年前に比べて、児童虐待を把握する行政の体制が整備されてきていて」、
その上
「市民の側にも、児童虐待を社会問題として認識するようになってきている」ので、
「市民の通報も増え、行政の認知も増える」という関係になっている。
2.は、「マスコミがニュースのネタに取り上げると、今まで顕在化していなかった社会問題も可視化されて顕在化する」という話。
例えば以前から「パワハラ」「アルハラ」なんてのは社会に存在していたが、
マスコミの方が「それは問題だ」としてこなかったから、問題が可視化されなかった。
しかし、マスコミや社会学者が「問題だ」と問題提起(=アジェンダセッティング)することによって、
もっと平たく言えば、
「児童虐待は、数十年前にはアジェンダセッティングされていなかった」ということ。
問題としては存在していたが、マスコミが報じなかったため、それが可視化されなかっただけではないのか?
・・・ということで、例えば「3丁目の夕日がまだ明るかった」昭和30年代と、現代とで、
「虐待発生度合いを定量的に比較する」というのは相当に難しい作業ではないか?
行政データも、報道データも、比較母データとしては不適だから。
それでも聞き取り調査とか、医学的データとかから、強引に定量比較してみたら、
「実は昭和30年代の方が、児童虐待は酷かった」という結果が、出そうな気がする。
10年以上昔の日本映画やドラマ、海外の映画などを見てると、飲酒運転しているシーンをちょくちょく見かけるね。
それも至極ナチュラルに飲酒運転している。ヤクザのような悪役がするんじゃなく、ふつうの一般市民が。
あれ、君さっき食事のシーンで酒飲んでたよね?いいの?みたいな。
2000年以降の不良ドラマに喫煙シーンってあったっけ?あれほど不良プッシュだった「ごくせん」ですら煙草吸っていなかったような…
昨夜なんとなく見ていたテレビで、懐メロ回顧カラオケみたいな番組をやっていて
とんねるずの曲「一気!」をモノマネ芸能人たちがカラオケしていた。
飲めぬ下戸には ヤキ入れて
つき合い程度じゃ 許さずに
おちょこ コップに鍋のふた
酒さえ入れば
一気! 一気! 一気!…
あ~こんな歌あったなぁ~・・・って、え!?こんなひどい歌詞だったっけ?!
完全にアルハラ&急性アル中生産のダブルパンチですよこれ。いま宴会で一番してはいけないことといったらこれですよあなた。
いやはや衝撃を受けました。
これがよしとされていた時代があったのだと。(てか、この曲を現代の番組で流して大丈夫なのか?テロップも何もなかったけど)
こういうところで文章を書くと、
「ネカマくせぇwww」とか、「おっさん」とか、「芸ですか?」とか聞かれるけど、
この流れ(http://anond.hatelabo.jp/20100712235058)で清く正しい男女交際を二か月続けて、
しびれをきらした彼に「ちゃんとする?」と言っていただき、
生理みたいなおりものみたいなのがここ3週間毎日あるようになりました。
排卵が止まっていて、このままでは妊娠できないとのことでした。
まぁ、今まで彼氏いなかったので、
体の機能として不用だろうと体が判断したのかもしれません。
私の体って、合理的てか、気ぃ早すぎです。
25で閉経とかw
http://anond.hatelabo.jp/20091011030457
若いので安定していないんですね、って言われて。
深夜残業続きの仕事によるストレスなどなど、予想できることは多々ありました。
というのもありますが、
内診怖いし、決定的な事を知ったところで、
治してもどうせ使い道ないし、というのもあってなかなか行けずにいました。
心がささくれてたんですね。
ホルモン剤もらってとりあえず強制的に生理を起こさせようってことで、今は様子見です。
薬飲めばいいだけだし、体調的に大したことは無いし、子供も欲しければいくらでも手段はあるし、
とか、安心したくていろいろ考えるけど、
「不妊」とかそういう関係の世界の住人になってしまった気がして、
東方風神録のエンディングにおいて、酒があまり飲めないキャラクターに対し、集団で酒を飲ませようという「空気」を作るシーンがある。
しかもこのシーンを批判的には描いていないので、これは日本の悪しき飲み会文化・アルハラを正しい事と思っているという事に相違無いと確信
白玉楼にて西行寺幽々子に仕える魂魄妖夢は、病気以外では休みが無く給金も無い(書籍文花帖話)。また紅魔館の十六夜咲夜は広大な館を
事実上一人で管理しなくてはならない状況である。部下の妖精メイドは役立たず。当主は労働条件を改善しようともしない
このような超ブラックな組織が東方人気の中心であるという事は、奴隷労働マインドが若者に刷り込まれているという事であり憂うべき事である。
東方というのはスペルカード、舞台背景、キャラ設定にいたるまで「何らかの元ネタ」というのを持っている。風神録は諏訪の神話をモチーフとしており、その為諏訪大社を東方ゆかりの聖地と勘違いする者共がキャラ絵馬を奉納するという事態が続いている。一橋大学のトークショーでは「やってはいけませんよ」と言っているが、諏訪大社をモチーフにしたのはこの酔っ払いののんべである。信仰を失った架空の神社にすればいいではないか。大体日本有数の信仰を誇る諏訪信仰を、幻想入りするほどに落ちぶれたものに貶めるとは全くの侮辱行為と言い切れるのである。あと東方星蓮船においては信貴山縁起絵巻の「尼公」を下敷きにしている。これもまた実在の信仰を東方に紐付ける愚行と言えよう。まあ、今年の夏コミの新作が完全に幻想郷で完結している「東方三月精」ネタである事は良き事である。漫画本編なんかは神話ネタでの結構紐付けが甚だしいが「妖精大戦争」は妖精の馬鹿騒ぎに過ぎないので何の害もモタラスマイ。
ZUNは世界観を重視していると言っているが、幻想郷という空間は果たしてしっかりとした生活空間なのであろうか。まず海が無いので塩が無い。塩は人間には欠かせないのにそれをのぞいてどうやって生きられるのだ。「岩塩」という解釈も成り立つが、作者自ら小説版東方儚月抄では岩塩は採れないと逃げ道を塞いでいる。まったく自滅とはこの事である。で、結局それら不都合を解消するには八雲紫の「スキマ」で調達するとか、妖怪の山で機械文明ごっこをしている河童や天狗がどうにかするとかしか考えられず、外の世界にベッタリ依存しとるやんけ。外の世界とは隔絶された幻想といっても。親の援助受けてる癖にイッパシの口を聞くクソガキでしかないのだ。あの色鮮やかな服もそうだ。布を色で染めるのには染料がいる。それもパソコンのカラーパレットをいじるようには簡単ではない。一つの色を作るのにもそれなりのコストがかかるのだ。どうやって作るというのか?香霖堂をドラえもんみたいに便利キャラにさせるか?魔力で服が生成させるか?それともスキマ(笑)なのか?
人間と妖怪が潰し合わないように戦うためのプロレスルールたる「スペルカード」。これを全作品の全シチュエーションで行っているのが実におぞましい。東方風神録は外の世界から幻想郷にやってきた新参者である。そいつがどうしてスペルカードルールを知っているって事だよ。あと東方地霊殿は地下に隔離された妖怪と戦うのにこいつらもまたスペルカードルールだよ。どこで知ったのやら。極めつけは星蓮船である。6面ボスは1000年の封印から解かれた直後に戦うわけだからスペルカードルールを知っている筈が無い。遊戯王とかのホビーアニメとかは「その世界ではそのホビーが大人気」って前提があるから問題は無いし、メダロット魂においては「デスメダロット」によるメダロットとは違うルール無用の戦いを通じて、「境界の外では中のルールは通じない」というホビーアニメを全否定しかねない命題を打ち出したりしている。そこいくと風・地・星でどうやってルールを徹底させたかといえば、同調するような圧力以外は考えにくい。「こうやって戦うのが常識でしょ」という感じで押し切ったのじゃあるまいか?大体ルールを懇切丁寧に教えるとすっごく間抜けになる。漫画版儚月抄で魔理沙が依姫にスペルカードルールを説明する会などは実にバカバカしい。依姫は主人公ズを圧倒していたんだから言う事を聞く必要なんて無いわけだ。