2012-05-07

児童虐待は「3丁目の夕日が明るかった頃」の方が多かった疑いもある】

 大阪の「維新の会」が親学押し付け条例を画策し、世論の猛反発で引っ込めるようだが、

 そもそも「昔の伝統子育てでは、児童虐待なんてなかった」というのは、一種の「神話」ではないのか?

 「現代は、児童虐待が増えている」というのが「社会常識」となっているのには、

 2つの「要因」があると思う。

 1.行政の「問題可視化認知機能

 2.マスコミによる「アジェンダバイアス機能

 

 1.は、例えば発達障害なんかが典型例だが、

 「医学の側、行政の側の検査体制が充実してきた結果、従来だと見落とされてきた症例の把握率・捕捉率が上昇してきた」

 というもの

 発達障害などは、かつては検査体制が未整備だったので、認知件数も少なかったが、

 最近では行政側の検査体制が整ってきている上、市民の側も「大人の発達障害」なんて本などの影響で、

 症例の認知度が高まってきているので、検査に出向く市民・親が増える、そういうことで認知件数が増える、という関係にある。

 これを「児童虐待」に当てはめると、

 「数十年前に比べて、児童虐待を把握する行政の体制が整備されてきていて」、

 その上

 「市民の側にも、児童虐待社会問題として認識するようになってきている」ので、

 「市民通報も増え、行政認知も増える」という関係になっている。

 2.は、「マスコミニュースネタに取り上げると、今まで顕在化していなかった社会問題可視化されて顕在化する」という話。

 例えば以前からパワハラ」「アルハラ」なんてのは社会存在していたが、

 マスコミの方が「それは問題だ」としてこなかったから、問題が可視化されなかった。

 しかし、マスコミ社会学者が「問題だ」と問題提起(=アジェンダセッティング)することによって、

 可視化されて、問題意識社会に共有化される。

 もっと平たく言えば、

 「児童虐待は、数十年前にはアジェンダセッティングされていなかった」ということ。

 問題としては存在していたが、マスコミが報じなかったため、それが可視化されなかっただけではないのか?

 ・・・ということで、例えば「3丁目の夕日がまだ明るかった」昭和30年代と、現代とで、

 「虐待発生度合いを定量的比較する」というのは相当に難しい作業ではないか

 行政データも、報道データも、比較データとしては不適だから

 それでも聞き取り調査とか、医学データとかから、強引に定量比較してみたら、

 「実は昭和30年代の方が、児童虐待は酷かった」という結果が、出そうな気がする。

 

  • 自分の勝手な妄想だけど、昔は本当に虐待は少なかったんじゃないかと思う。 その代り、鉄拳制裁が日常茶飯事だった。 子供が悪いことしたら「コラッ」と怒鳴り、ゲンコツをお見舞い...

    • 昔は親父がやり過ぎれば、嫁かおやじのカーチャンが止めに入ったからな。 それに今みたいに刑務所の扉みたいな重たい鉄製の玄関扉がついた密閉された家屋じゃなかったから、騒げば...

    • うーん、本当なのかなぁ。。 http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070111 戦前、いじめで自殺する子供は学校では皆無だったなんて気分で物を言うのも大概にしろと言いたいのですが、学校で仮に...

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