大阪の「維新の会」が親学押し付け条例を画策し、世論の猛反発で引っ込めるようだが、
そもそも「昔の伝統的子育てでは、児童虐待なんてなかった」というのは、一種の「神話」ではないのか?
「現代は、児童虐待が増えている」というのが「社会の常識」となっているのには、
2つの「要因」があると思う。
1.は、例えば発達障害なんかが典型例だが、
「医学の側、行政の側の検査体制が充実してきた結果、従来だと見落とされてきた症例の把握率・捕捉率が上昇してきた」
というもの。
発達障害などは、かつては検査体制が未整備だったので、認知件数も少なかったが、
最近では行政側の検査体制が整ってきている上、市民の側も「大人の発達障害」なんて本などの影響で、
症例の認知度が高まってきているので、検査に出向く市民・親が増える、そういうことで認知件数が増える、という関係にある。
これを「児童虐待」に当てはめると、
「数十年前に比べて、児童虐待を把握する行政の体制が整備されてきていて」、
その上
「市民の側にも、児童虐待を社会問題として認識するようになってきている」ので、
「市民の通報も増え、行政の認知も増える」という関係になっている。
2.は、「マスコミがニュースのネタに取り上げると、今まで顕在化していなかった社会問題も可視化されて顕在化する」という話。
例えば以前から「パワハラ」「アルハラ」なんてのは社会に存在していたが、
マスコミの方が「それは問題だ」としてこなかったから、問題が可視化されなかった。
しかし、マスコミや社会学者が「問題だ」と問題提起(=アジェンダセッティング)することによって、
もっと平たく言えば、
「児童虐待は、数十年前にはアジェンダセッティングされていなかった」ということ。
問題としては存在していたが、マスコミが報じなかったため、それが可視化されなかっただけではないのか?
・・・ということで、例えば「3丁目の夕日がまだ明るかった」昭和30年代と、現代とで、
「虐待発生度合いを定量的に比較する」というのは相当に難しい作業ではないか?
行政データも、報道データも、比較母データとしては不適だから。
それでも聞き取り調査とか、医学的データとかから、強引に定量比較してみたら、
「実は昭和30年代の方が、児童虐待は酷かった」という結果が、出そうな気がする。
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