はてなキーワード: 障碍者とは
「他人の死を喜ぶ義務」という発想が、どうやら今の日本から失われてしまったようだ。実際に自分が嬉しいか嬉しくないかにかかわらず、世の中には、立場によって、特定の人の死を喜ぶべき立場にいる人とそうでない人に分かれている。対立している者同士は、互いに死を喜ぶ義務を持つ。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会通念や常識によって決まっている。
健常者は障碍者の死を喜ぶ義務があるし、障碍者は健常者の死を喜ぶ義務がある。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会によって決められている。そして、その義務通りの感情を自分が持たなければ、持たない事自体に罪悪感を持つべきなのだ。
女性差別・人種差別・障碍者差別とありとあらゆる差別と闘うはてなで、なんで地方差別だけは許されるの?
反原発・人権主義・平和主義とか伝統的に左翼が支持してきた政治出張ははてなでもだいたい支持されてるけど、地方分権だけは反対する人も多い印象。イケハヤ批判から坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいになってる人も見る気がする。
あと、だいたい地方蔑視のブコメには地方住みで村八分にあったとかいじめられたみたいなコメを見る気がするんだが、増田の過去にいったい何があったの。やっぱウンコ漏らしたの??(でもウンコ漏らしたら都会でもひかれると思うよ???)
あとあと田舎飛び出して東京でイケイケSEとしてキラキラな生活送ってるはずなのに、なんでブコメで毒吐いてんの?? いつになったら英語バリバリになれるの? 叶えたかった未来は東京で叶ったの???
まあ田舎のほうが都会より全てにおいて優れてるなんて言わないし問題も多いのはわかってるけど、そんなにクソクソ言うなよ…… 俺は増田がいつか田舎に帰ってきてくれるのを待ってるよ(笑)
元一級障害者。
せっかく、数千人に一人の、放置すれば幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきたのに、お前らが日本の医療は素晴らしいとかもてはやすから、俺は幼児の頃に受けた手術で生き残ってしまった。
挙句の果てに、健常者と変わらなくなるまでに回復したのに、障害者資格も失った。しかし、30代のオッサンになって、ようやく、子供の頃の手術の影響が現れてきた。
俺が社会にやったことはなんだ?体悪く生まれて、医療費を増大させただけじゃないか。挙句の果てに医療費を増大させ出るのは障碍者だ、みたいな目で見られて批判される。俺は批判されて苦しい、お前らは俺が生きてるのが不愉快、どっちにも得はない。俺はこんな思いするぐらいなら助からなくてよかった、助けてって頼んだ覚えもない。俺は助かるべきじゃなかった、幼児のうちに死んでおくべきだったんだ。
それがなんだ。せっかく俺は、幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきてやったのに、俺を助けて医療費を増大させたのはお前らだ。医療費増大の責任を俺たちに押し付けるな、死ぬと分かってたのに俺を助けたお前らの責任だ。
この国は民主主義国で、人口の大多数は健常者だ。数千人に一人の確率で生まれてきて、ほっとけば確実に死ぬ俺たちをなぜ助けるんだ?この国の主は大多数の健常者であるお前らなんだから、死ぬ体で生まれてくる俺達なんて放置して殺せばいいだろう。
この国は民主主義国で、人口の99.9はお前らだ。俺達は圧倒的少数派だ。お前ら健常者で団結して、先天性の障害者は幼児のうちに殺す法律を可決させろ。そうすれば、俺は苦しみが何かを知ることもなく死ね、この国から先天性障害者は消えて医療費も減り、健常者だけの国が出来上がる。みんな得する。
先天性の障害者は、生まれてきたこと自体が悪なんだ。存在そのものが社会の害なのだ。俺は生まれてくるべきじゃなかった。
俺のような思いをする子が今後も生まれてこないように、健常者のお前らが多数決で法を変えて、俺を殺してくれ。
俺の病気は簡単にスクリーニングできる。レントゲン写真さえあれば、健常者が取り違えられて死ぬことはない。
日本の人口の大部分を担う健常者の力で、健常者による健常者のための国を作ってほしい。民主主義国かつ法治国家の理念を体現して欲しい。そうすれば、社会の厄介者である俺は、喜んで殺されよう。どうせ、障害によって、誰からも嫌われる、生まれてくるべき人間ではなかったのだから。
「見た目問題は障害」バケモノと呼ばれた男性の願い 就活で心砕かれ
http://withnews.jp/article/f0170707001qq000000000000000W06810101qq000015484A
この件、俺は真剣に考えた。
というか前から考えてるんだけどな。
記事にあるような病名のある症状で奇形(不適切用語なら謝る)になった人までいかなくとも
あんまりにもブサイクでこれは人生に支障が出るってレベルの人を見かけたことあるだろ。
あの人達をどうするか?
究極的には誰も外見という障害で差別をしない世界になるべきだが
いるだろ?
「現代はルッキズムが酷いから」とか「外見で差別するような心の貧しい人間は相手しなくていい」とか
勇ましく外見差別者を罵る奴。 でも外見差別者の方が圧倒的に多いから。言ってるお前等だってそうだから。
現代でこれを乗り越えようとしたら仏道の修行をかなり頑張るしかない。
もしくは超ブサイクに向かって
「気の持ちようだ」とか「内面までブスになっちゃいけない」とか「人はそこまで気にしてない」とかいうやつ。
そんなわけねーだろ。
10人並みに可愛い顔した女と、どうお洒落しても覆い隠せないぐらいの容姿上の欠陥ある女と、同じハンデなわけねーじゃん。
なのに言ってる奴は鼻息ぴすぴすしながら「わあわたし(ぼく)いいこといったったー」「差別に反対するぼくちん(あてくし)」ぐらいの気持ちなんだ。
だからね。
「私は外見で差別しません」とか「人類は外見差別を克服できる」とか
まずは「重度のブサイクは人生に支障を及ぼすので立派な障碍者である」と認めろと。
えらそうに言うお前はどうなんだっていうと、
そういう自分について忸怩たる気持ちはあるけど、だからといって「差別しません」とか言ったらいけないと思う。
結構ギョッとするぜ。
表層意識では慣れるだろうけど、深層意識では恐怖や違和感持ち続けてダメージ受けたり仕事の能率落ちたりし得ると思う。
雄雄しく「そんなの気にしない」と言いたいとこだが、
おれは数十年生きてきて自分がそこまでタフじゃない人間なのを知っているし、
それを素直に認めるぐらいにはフェアでありたいと思ってるから。
記事のおじさんはまだましだよ。
2人目の男の人を見てみ。
俺はこれは絶対に耐えられない。怖い。
ガンガン精神的なダメージを受けて最終的にはだめになると思う。
だって俺となりの席の奴のいちいち大きい動きすらイライラするんだぜ?
なんでお前はデスクワークでそんな激しい動きをするんだとか、ファイルを机に投げ出すようにカンカン音を立てるなとか、
ほんとイライラするんだよ。
その俺はあの顔の人が視界に入ったら絶対ダウンすると思う。
「自分は平気だ」なんて奴は
リアルに想像するための経験がないか単に嘘つくことを恥じないかのどっちかだ。
彼等が外見差別者(俺たち全員のことさ)に露出せずとも可能な職種で自己実現できるよう特別な支援体制も作るべきだろう。
おじさんのように表に出てきてるのはサバイバーだけで、
障害レベルの容姿によって人生詰んだり死を選んでる人は相当居るだろう。
ちゃんと過去にバニラエアで搭乗拒否された人の記事読んだ?その人たちは、車椅子での移動、介助者が抱えての乗り降りを希望したけど、安全上の理由で断られてるんだよ。そして、再度問い合わせた人は安全にブリッジ移動できる代替案を提示されてる。障害者お断りではなく、安全な手段で乗り降りできない便での搭乗を断ってたんだよ。バニラエアとして想定外だったのは、利用者が希望するようなブリッジを利用できる代替案や他の航空会社を選択してもらうという対応が批判を浴びるらしいということだろう。ストレッチャー移動を希望したというのはあんたの勘違いだから、確認してくれ。
はっきりいって、ストレッチャーや階段昇降機ってのは多くの車椅子利用者にっとって質の悪い乗り降りの手段だ。できれば利用したくないという障害者も多い。そもそもバリアフリーの概念とは相容れない手段だしな。駅の階段でエレベータを利用するのとあの物理的に人を下に降ろすだけの大仰な機械とどちらを利用したいと考えれば、車椅子利用者でなくてもそれは理解できるだろ。
そして、この件で対話の価値が下がるということはない。俺が言う対話というのは、何度か書いてる通り「相互理解に基づく建設的な対話」だ。一般論の対話ではなく、政府が方針として打ち出してるこの対話。どっかでも書いたが、ストレッチャー移動の意思表明とそれを予測できなかったバニラエアの相互理解がうまくいかなかったのが原因であって、対話自体が解決の手段にならないわけではない。相互理解さえ上手くいってれば今回のケースは必ず対話で解決できていた。間違いない。絶対に。
俺は、一切の罰則に反対するとは言ってない。対立、軋轢を産むから罰則には反対と言ってるだろ。対立、軋轢が生まれて相互理解が阻害されないのであればこの限りではない。
>>違う。法律では特に危険とは定められていないのに、航空会社が勝手な内規で危険を口実に一律に断っていた。
航空会社は安全に乗客を送り届ける義務がある。それは、言うまでもなく法律にも定められてるはずだ。航空会社の勝手な内規というのはお前の主観であって、何を危険とするかは航空法に反しない中で航空会社が決める。お前の決めつけでどこういうな。
>>バリアフリー法自体は一見味方に見えるが、努力義務になっているところは、企業は別に守らなくてもいいわけだから、普通に破る企業出て来るでしょう。
障害者の意思表明、対話、合意形成のプロセスが上手くいかないケースが多々出てきたら、法律を変えればいい。現に、バリアフリー法も一回改定されてたはずだぞ。また、お前の妄想がはじまったが勝手に破ると決めつけるな。完璧なんてないんだから、運用が上手く行かなかったら変えて行けばいいんだよ。
>>世論については、お前みたいに、声あげた人叩く奴がいるから必ずしも味方じゃないよねぇ。
俺は、バニラエアが合理的な配慮をすることに賛成してる世論の側だ。叩いてるのは、対話の手段が目の前にあるのにそれを利用しない行動に対してだ。しかも、あんたは「人殺し」と叫ぶことまで許容してる。さっきもいったが、方針通り進めて納得いかないなら、裁判を起こすことも自由。デモをしても良いし、メディアに訴えることも全然否定してない。なんで、解決の為の方針を利用せず行動にでることが「声をあげる」といかにも善良なことのように解釈できるの?
>>障碍者の移動・活動手段を何かしら口実をつけて奪って、閉じ込めておこうって、
本当に決めつけが激しいな。どうしてそんな極論になるんだよ。バニラエアしかも奄美便さらにブリッジを利用できない場合だけの対応がなんで、そんな閉じ込めておこうみたいな悪意の話にすり替わる。偏るな。
お前個人のことに関しては、もし難病医療費助成の対象になってないならそれが認められような活動をすることになんの異論もないよ。ただ、病院にいきなりおしかかけて、とにかく手術しろと要求するより前にやるべきことはあるだろうがな。
今回のケースは、間違いなく対話で解決できた。ストレッチャーや階段昇降機くらいなら、企業は十分合理的な配慮の中で対応できるんだから。
だからー、今回のケースについては、対話で解決を試みたけど解決できなかった、搭乗拒否されて旅行自体を諦めたっていう同航空会社の同便の利用者の証言があるんだって。ストレッチャーや階段昇降機なら準備できるよ、でも、お願いしてもそれを準備してもらえなかったっていう証言が出てるの。一般論としての対話の価値は置いておいて、少なくとも、証拠がある事は認めようよ。
お前、そんなこと言ってたっけ?「罰則を設けるのはどうかと思う。対話の方が重要」とか言ってはず。意見を自分の論に都合よくコロコロ変えるなよ。俺は、障碍者対策の費用を義務的に企業に負担させる制度があった方がいいね、実際あるよね、他の政策と併せて使うべきだよね、と言っただけ。罰則だけにするべきだ、みたいなことは言ってない。
むしろ、危険な乗り降りを強行したのは障害者の方で、航空会社はそれを禁止してた側。バリアフリー法も障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針も世論も全部味方なのに、誰が障害者を殺すの?
違う。法律では特に危険とは定められていないのに、航空会社が勝手な内規で危険を口実に一律に断っていた。世の中、口実が無いと思ってるの?何でも、それっぽい理由はつけて断れるんだよ。本当に危険かどうかの実地試験とかも、きっとやってないでしょうね。バリアフリー法自体は一見味方に見えるが、努力義務になっているところは、企業は別に守らなくてもいいわけだから、普通に破る企業出て来るでしょう。そういう意味では、実体にあってないと法が逆に敵になることもあるかもね。世論については、お前みたいに、声あげた人叩く奴がいるから必ずしも味方じゃないよねぇ。まぁ、今回の件では殺す殺さないの話にはならないと思うけど、障碍者の移動・活動手段を何かしら口実をつけて奪って、閉じ込めておこうって、それ、結局、障碍者に関わりたくないから生殺しにしておこうっていうのと同じ考え方だよね。
対立する事自体は問題解決に向けて何も悪手じゃない。声を上げないと、少しずつ少しずつ不便になって、そのうち、ひどいことになる。割れ窓理論。現に、俺の病気は、子供のうちに手術しないと必ず死ぬからね。うちの親は手術費用たまたま出せたし、俺が手術した時は手術自体が医学研究上の価値があったから、病院としても経済的困難はさておきとにかく手術させたい方向に動いていたけど、そのうち、研究上の価値も薄れて、世論も味方しなくなり、医療費削減とかで手術費用が高額になるかもしれん。そうしたら、それだけで、俺と同じ心臓障害で生まれてくる子の何割かは死ぬよ。対話による融和にしたって、健常者が他のタイプの障碍者とだけ融和して、うちらだけ仲間はずれ…とかもありえる。結局、健常者ににらまれようが何だろうが、ちょっとでも障碍者が不利になった時に、必死で声を挙げることが重要なんだよ。
ガタガタ書いてるけど、なんでそんなに企業に障碍者対策の金払わせたくないの?企業が無限に障碍者対策できないことぐらい、皆、分かっている。企業は営利組織なので、どこかで線引きしないといけないことは確か。で、線引きをする何らかの仕組みが必要だっていうのは当然の帰結でしょう。
罰金のような義務的な形にするか、あるいは、減税や補助金のような、必ずしも遂行する必要がないかたちにするかは、考え方次第だろうけどさ。多分、ケースバイケースで、どっちも使い分けないといけないだろうけどね。
で、なんか罰金に反対みたいだけど、そもそも、お前が挙げたバリアフリー法の中で、悪質な場合は罰金が規定されているんだけど?つまり、企業が最低限の障碍者対策をサボることがないように、企業に義務を課すことは正当な行為であると、国が認めてるの。障碍者と企業が対話して対立を解消することも大事だろうけど、企業に障碍者対策を義務付けて、ひどい場合は罰金取る形にしなきゃ結局企業は動けないよねって国も認めていて、罰金を認める法が、もう10年以上前から成立してるの。対立解消だけを言い張るのは、結局、問題解決せずに対立がなかったことになって得をする強者側、企業側なの。対話による対立解消だけを言い張るのは、「弱者は黙ってろ」って言うのと事実上同じで、冷静に議論するフリして障碍者をぶっ叩く、差別主義の最悪の形だよ。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO091.html
必ずしも全ての健常者が、障碍者に理解があるわけじゃない。「障碍者死ね」ってこっそり思っている健常者もいると思う。一般人は自殺しないのが道徳的義務であるのと同様、健常者が自分を脅かしそうになった時に抵抗するのも、障碍者に生まれた者の責務なんだよ。健常者が自分を脅かす思想を持っていないかどうかを監視して、自分たちの存在を脅かしかねない思想を喧伝する者には、ちゃんと「人殺し!」と言いまくって社会から排除されるようにしないといけない。戦うのはつらいかも知れないが、それが障碍者に生まれたものの責務なんだよ。国で「障碍者も含めて皆が生きて健康で文化的な生活を送れるように努力することが、皆に安心感を与えて健全な社会を作る」って憲法で規定しちゃったんだから、障碍者が声を貼り上げてそれを守らせることが、巡り巡って健常者の安全を守ることにつながるのだ。
対話「も」必要かも知れないが、対話だけで解決できるとは思わないぞ。企業は金が絡まなきゃ動かない。慈善事業じゃないんだからな。むしろ、経営上プラスにならないのに過剰な障碍者対策に設備投資したら、経営者は背任になる。
今回の話だって、ちゃんとやるなら、障碍者が航空機を利用する場合の最低限度の基準を定めて、違反が摘発されたら高額の税金を国が取れるようにすればいい。
企業は営利目的の組織なんだから、障碍者と企業の間だけの対話には限界がある。ただ、全体的には、労働力不足のこれからの時代、車椅子が必要な事「だけ」が障碍で、知能は正常に動く人にも積極的に働いてもらわないと、日本社会は回らない。
企業一社一社の立場からは、障碍者対策なんてやらないほうが経営上は得かも知れないが、障碍者も働いて自活できるような環境を整えた方が国全体としては効率的・経済的になる。そのための調整機能を国や法が担っているわけで、社会システム全体を作らないと仕方がない。
「対話」だけして、航空会社に損しろって言ったって無理なんだよ。国が罰金取るとか、障碍者対策した企業には税率優遇するとかして、とにかく、経済的なコストを公的に負担する仕組みを作り、社会システム全体を効率化しないと、世の中回らない。
障碍者は差別主義者を特定し、憎み、非暴力的な手段で徹底的に戦って彼らを打倒することで自由を手に入れるのだ。
その戦いにこそ、価値がある。差別主義的な言動をするものには、非暴力的な抵抗を経験してもらわねばならない。差別主義者であるということは、障碍者に「死ね」「殺せ」と言っているのと同じで、障碍者側から「死んでたまるか!人殺し!ひとでなし!!!」と罵倒される義務がある。
この記事を読め!ほーら、やっぱり、門前払いしてたじゃないか!どこの誰だ?航空会社は門前払いなんかしてないって喚き立てて、デマを流して障碍者批判してた奴は?
本当は、障碍者を抹殺したい差別主義者なんだろ?人間の心を持たない人殺し!お前みたいな奴がいるから社会が悪くなるんだ!お前は社会のゴミだよゴミ!
責任取れ!責任取れ!デマを流した責任取れ!航空会社擁護して障碍者を苦しめた責任取れ!お前は生きてる価値なんかないよ!障碍者に憎まれろ!恨まれろ!お前が何をやっても障碍者は許さないぞ!
お前は人間の心を持たない非道な歪んだ異常人格者で生きている価値なんかないんだ!恨まれろ!憎まれろ!お前は人間じゃない!鬼畜だ!悪魔だ!!!!生まれた事自体が罪なんだ!!!認めろよぉぉぉぉぉぉ!!!!生まれたことを謝れぇぇぇぇぇ!!!!
• 小児麻痺後症候群と脊椎圧迫を患うSheila Kingさんは、2008年にジェットスター航空アデレード発ブリスベン行きの航空券を手配するために電話をしたところ、そのフライトは変更しなければならないと言われました。
• ジェットスター航空の国内線では、車椅子の援助が必要な乗客は一便につき2人までという規則があり、Kingさんは3人目の乗客であるとのことでした。
• Kingさんはジェットスター航空の規則は、障害者差別防止法に違反していると反論しました。
• しかしながら、Kingさんが車椅子の乗客として搭乗出来なかったのは、ジェットスター航空のウェブサイトに掲載されている特別な援助の規則に基づいた理由からであり、さらにジェットスター航空は、他のフライトに変更するように伝えたという理由で、2013年1月連邦裁判所はジェットスター航空に有利な判決を下しました。。
結局、無理な物は無理だという事で、訴えた側がジェットスターの2万ドル以下の裁判費用を支払わされているのです。
余談ですが、某氏がオーストラリアから同様の判決を受けているという説があるのですが、そのソースらしきものは見当たりませんでした。
両論これだけ盛り上がってるのを見ると、
結局センセーショナルなあの行動は一つの正解だったんだと認めざるを得ない気がする。
ここまできたら、喧々諤々の末に落としどころに収まってほしいところですね。
だからそれを調べろって話なんだが
調べるのがおかしいっていうのが是にならないのは
まだ調べないことによって実際問題今回のようなことになるからで
すべてにバリアフリーをしたければ今回のようなパフォーマンスをするのではなく
公にはバニラは障碍者のための設備投資をしていく方向で動いてるから
こいつがやったことは完全にヤクザ
とある障碍者が取ったとある航空会社への行動が物議を醸している。
はてな界隈、ツイッター、facebook、おそらく見えてはいないだけで世間的にもこの件に関しては様々な主張がなされているだろう。
大きく分けると
と言ったところだろうか。私にはどちらの主張も半分正しくて半分間違っているように思える。すべての主義主張を見たわけではないので多少の誤解は許してほしい。
まず当人に対して考えてみると、
2.車いす利用者であり、それが原因で航空会社から搭乗を拒否された
4.過去にも数度、別の航空便で車いすを利用していることにより搭乗を拒否された経験があり、今回も同様の理由で搭乗を拒否される可能性があることを「おそらく」知っていた。このことから、「そのうえで車いす利用者であることを連絡しなかったという憶測」が出来る。
の4点が、おそらくポイントになる。
航空会社に対して考えてみると、
1.本来あるべき車いす利用者が搭乗するための設備投資を怠った
2.HP上には「車いす利用者であることを事前に連絡する」ように記載してある
3.「連絡されたとしても、もともと今回の空港にその設備を用意していないため、搭乗を拒否する可能性が高かった」と推測できる
の3点だろうか。
これだけ整理しておいて難だが、私は今回の件に関しては結局「双方とも配慮が不足していた」の一言にすぎないと思う。というか、どちらが悪い、どちらが正しいと主張しているのはノイジ―マイノリティであって、大多数の人が「どっちもどっち」であると思っているのではないだろうか。違ったら恥ずかしい。
当人に対して言うならば、本来事前に連絡することの意義を理解できていなかった。
航空会社に対して言うならば、本来怠るべきではなかった設備への投資を怠った。
だからどっちも問題があるわけだ。どっちが正しいとか、どっちが悪いとか、そういう問題じゃないんだと思う。
どこで見たのかは忘れたが、権利を主張するよりも前に義務を果たすことは、人間が社会生活を送るうえでは大前提にあることだと思う。
どちらも義務を怠った結果、どちらも叩かれる。それがたまたま障碍者というデリケートな問題(と言ってしまうこと自体もあまりよくないのだろうけれど)だったのではないだろうか。
障碍者は、言い方は悪いが健常者にできないことがあるのは仕方のないことだ。誰もそれについては咎めない。まあ、咎める人もいるだろうが、そいつがおかしいだけ。例えるならば男女平等と言いつつも男性が妊娠できないことをとがめないのと同じだとわたしは思う。違ったら申し訳ない。だから健常者は障碍者がどんなに努力しても自力で出来ないことを社会的にサポートする。そのための障碍者差別解消法や、障碍者基本法だ。航空機は確かに安全性は高い交通機関ではあるが、「もしも」の場合最も被害が甚大になる交通機関の一つであることも否定できない。だからこそ乗客の安全を守るために細かく航空法で座席まで定められている。それは障碍者を後回しにするためではなく、全員のために最も安全で確実な方法であるから、だろう。安全管理についてはツイッターで回ってきた元航空会社在籍の方のブログが大変わかりやすかったので張ります。 http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918 というかこれを読めばぜんぶ終わる気がする、私の増田を読むならこっち読んで。
話を戻す。
今回事前連絡を怠った上で搭乗を強行突破しようとしたことで、当人はほかの乗客を危険にさらしたと考えられてもおかしくないわけだ。たまたま安全に空路を行くことが出来て、たまたま無事に到着することができた。それだけのこと。そりゃ、万が一を考えてしまったらキリがないけれど、想定しうる避けられるリスクを避けるための規則を破り、それでいて権利を主張するのはいかがなものかと私は思う。事前連絡を行った上で搭乗を拒否されたことを問題提起することは正しいが、事前連絡を怠ったうえで問題提起することは、方法としては好ましいものではない。
かといって航空会社の肩を持つつもりも私にはない。本来平等な機会を与えるために公正な行動をするべきところを怠ったのは、たとえLCCというサービスを限界まで削った格安航空会社だとしても、そこは削るべきところではないと思うからだ。全員が同じサービスを受けるための土台作りを怠ったのは、これまた好ましいことではない。LCCにそこまで求めるな、という人もいるみたいだが、LCCが削るべきなのは座席や食事などの「なくても搭乗・飛行に特段問題にはならないこと」であって、搭乗という行為そのものを否定することではない。
そもそもどちらが正しい、どちらが悪い論争について思うのだが、双方の主張が異なるのだ。
当人を擁護する側は「障碍者への配慮が足りない」だし、航空会社を擁護する側は「権利の前に義務を果たせ」だし。どちらも一方的で、交わりっこない。どっちの主張も「そうだよな!」と思う一方で、どっちの行動も問題視されて当然だ。議論することじゃない。
どちらかを擁護しているだけの人を見てなんともモヤモヤしたので吐き出させてもらいました。雑感です。ああ叩かれたらどうしよう。
公共施設なんかで男性の小用の便器が複数並んでる時、一番手前のだけ手すりがついてるよね。普通に立つのが困難な人用だと思うけど、あれを使っている人を見たことがない。いくつか理由が考えられるけど、手すりくらいだとそれでも使いにくいのかな。最近は障碍者用の広めの個室も増えてるしね。
それより問題にしたいのが、手すりがなくても用をたすことができる人はあれを避けてわざわざ奧のを使うよね。なんで手前の手すり付きを使わないの?近くて便利じゃん。誰も使わないと便器さんが拗ねちゃうよ。
助けられてばかりで嫌だから自立できるように設備が整えばいいのだと思いますよ。
あなたはこれまで自分が一人で、誰にも助けられず生きてきましたか?
あなたが毎日使う道路や鉄道は誰のお金で誰が作業して作ったものですか?
あなたが社会人だとして、これまで払ってきた税金だけでその道路や鉄道はここまで便利になったと思いますか?
どうか勘違いしないでください。
あなたもどこかの障碍者と同じように、知らない誰かに助けられて生きている事を自覚してください。
障碍者は健常者のお目こぼしで生きてるというのなら、あなたは日本の歴代高所得者層の恩恵で生きてるんですよ?
その人から「あなたが持つ能力でこれしか税金が払えないならこの公共道路を使う事はできません」と言われたとしてあなたは納得しますか。