「他人の死を喜ぶ義務」という発想が、どうやら今の日本から失われてしまったようだ。実際に自分が嬉しいか嬉しくないかにかかわらず、世の中には、立場によって、特定の人の死を喜ぶべき立場にいる人とそうでない人に分かれている。対立している者同士は、互いに死を喜ぶ義務を持つ。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会通念や常識によって決まっている。
健常者は障碍者の死を喜ぶ義務があるし、障碍者は健常者の死を喜ぶ義務がある。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会によって決められている。そして、その義務通りの感情を自分が持たなければ、持たない事自体に罪悪感を持つべきなのだ。
そんな義務があった時代や地域って?
義務は時代や地域によって定められるものではない。人の心に生まれつき備わっているもので、そういう義務を感じる心を持って生まれ育った人間だけが正しいのだ。 人が死んで悲しい...
武士道ってやつだな