はてなキーワード: 田嶋陽子とは
既に引退されてるけど、田嶋陽子さんはまともなフェミニストの一人だったと思う。
2022年代でもアクティブに活動しているまともなフェミニストはもういない。
なぜならフェミニストの果たすべき役割はすでに完了しているから。
今現在、女性差別だと思われているものはもっぱら性差に基づく社会制度の問題であったり、
夫婦間のコミュニケーションの問題であって、性差別そのものではないのだ。
女性が子育てで、仕事のキャリアが分断される問題は、性差別ではなく資本主義の構造的問題であって、
これはフェミニストが解決できる問題ではなく、共産主義者や社会主義者のような、
結婚すると女ばかりが苗字を変えられる問題は、法律に男性の姓を名乗るべきといった条文があるわけでもなく、
(そのような不当な条文を無くすのが本来のフェミニストの仕事であるが)
既に夫婦間の話合いで決めてよいことになっている。
日本の新聞社が過去の記事を削除しまくるせいでソースが中央日報しかないっていう
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮(チョソン)労働党との友好関係を結ぶ野党社民党が、日本人拉致(らち)事件のあおりを受け、揺れている。
拉致問題に消極的だとの批判が起こるなか、教授出身で代表的な論客の田嶋陽子(女、61)参議員が7日、離党宣言を行うなど、悪材が重なっているためだ。
田嶋氏は、離党記者会見で「拉致事件に対する党の対応が遅く、柔軟性もない。朝鮮労働党との関係も、事前に説明すべきだった」と非難した。また「社民党は官僚的な男性社会だ」と皮肉った。
社民党は、党のインターネット・ホームページに「拉致事件は、日本政府の対北朝鮮コメ支援を防ごうとする韓国国家安全企画部(安企部)の工作」という論文を載せていたが、朝日首脳会談後もそのまま放置していたため多くの非難を受け、4日になってやっと削除し、世間の噂になった。
土井たか子党首は7日夕方、記者会見を開き「拉致問題の真相糾明のため十分努力しなかった点を認める」とし、拉致被害者の家族に初めて謝罪した。
酒鬼薔薇とか同世代の奴数人が起こした事件のせいで大人たちから若者への目線が厳しかった。そんで「結婚できなければお先真っ暗」感が強かったし、男は強くて稼げるのが当たり前・女は男を立てるものだった。(昔風に言えば)なよなよした男や生意気な女への風当たりは強かった。
女の場合「こういうファッションしてないとダメ」「美容体重を超えてる奴はデブ」という圧力が強くて、決まった型以外の格好しているとクソダサか変人認定。今より自由がなくて息苦しかった。
それと90年代半ばは「大学行っとけばなんとかなる」感があったのに、それも就職氷河期到来でパーに。大学行ったのにバイトしてるよwwwて中卒高卒からpgrされた。
男女平等がいいという思想が定着し始めた頃でもある。とは言えまだ男性優位で女がお茶汲みや灰皿洗いするのが当たり前であったし、よっぽど頭が切れる人以外は女というだけで何故か馬鹿にされてたし、セクハラやマタハラは「よくある事」だとスルーされてたけど。田嶋陽子先生がヒステリックなほど声高に色々主張していたの、今になって理由が分かるよ。
なんでかって、自分を迫害した相手に正面から勝負を挑んで打ち負かして復讐を果たそうという話だから。
そのパートが下品で嫌だったって言ってるブコメもあってまあそういう反応もわかるんだけど
それでも現実のフェミニストに比べればあのオカマは圧倒的に筋が通ってて清い。
迫害されたことは心に残ってるけど、関係ない人に攻撃性を向けたりしない。
自分を鍛えて自分の力を強くするというポジティブな努力へ転化して新天地ではさっぱりとよい人生を築き出ししている。
恨みを捨てられないならきちんと本来の復讐対象と対決して勝利して勝ち誇る。
圧倒的に立派。
漫画の中のオカマのようにスーパーウーマンでないのは仕方ないけど、志や指向が既に醜い。
フェミニストの攻撃は本来の恨みの対象とは関係ない人への攻撃ばかり。
一生グジグジ恨みを引きずる癖にちゃんと本来の恨みの相手への復讐を果たしてない。
そこを誤魔化すために自分の恨みを一般化して「男全体」に引き受けさせようと話をすり替える。
更に「男全体」の中から攻撃しても怖いことがなさそうな相手を打算を重ねて選んで攻撃する。
そうすると「①男性性や暴力性が薄く、②世間からよく思われてなそうな男性の集団」を狙う。
②だけなら反社会的な集団丸ごと広くあてはまるけど、①の問題をクリアしない。
現実的にもイメージ的にも怖い。そういう男性的暴力的な感じの男を攻撃して反撃されたらと想像するだけでいじめられっ子根性で身がすくむ。
特定の誰かへの、自分の前半生で悔しかったことへの、個人的ルサンチマンのあさってな代償行為としてやってることに社会正義みたいなガワをかぶせて嘘ついてるわけじゃん。
だから大義名分のわりに根拠や論理が支離滅裂で、活動はひたすら感情的になる。
攻撃に合理性も限度もないから相手の反撃で怖くなるまでは止まらない。
理念なんかないから相手が普通の対応や応答をしても地面を舐めさせるまでは収まらないし、
逆に敵対的な腹の据わった反応をされて「強い」「怖い」と感じたらスッと攻撃性が無くなって逃走を図る。
理念を持って本当の社会正義だと信じてやってる人とは正反対の反応パターンなんだよね。
自分より弱いと目した相手にそれを押し付けて復讐を果たそうっていう
そういう本当に筋の通らないかっこ悪いいじめられっこじゃん、ネットフェミニストがやってることって。
相手が殴られっぱなしになってる限りはどこまでも付け上がって際限なく全面降伏要求と攻撃をするし
自分から攻撃を仕掛けた案件でも初手か2手目には被害者アピール。
強い女のパワフルなアクションなんかじゃなくて
そういうの非言語的なレベルではみんながわかってるからネットフェミニストを蔑む空気がどんどん強くなってるんじゃないの?
お互い意見が過激化してきているし、その過激化した意見の方が好まれるという悪循環になってきてるからどうしようもないね。
2010年くらいだとオタク側も、そらアカンやろと言える自浄作用があったけど(コミケの袋をこれ見よがしに街中で持ち歩くなとか、ソシャゲの女の子がいっぱい出てくる広告はお茶の間が冷えるからやめろとか)、いつの間にかそういうのもなくなって譲ったら負けみたいな空気になってるし、フェミ側の意見なんて田嶋陽子の意見を聞くくらいしか見聞きする機会がなかったのに、ネット上に溢れかえりすぎている。
個人的にはゲハ煽りとか、スマホのOS煽りみたいな二項対立煽りが下火になって、代わりに出てきたのがこのオタクフェミ煽りだと思ってるよ。こういう煽り合いで怒りを楽しんでいる節もあるからね。
なんで私の曲より売れるのかしら?って思っているよ。一応、歌手だし。それはさておき、田嶋陽子は CM でも一流なんだよ。ニッセンの CM に出てくるキャラで、今で言うところの林修と同じ。あのババアは強い。
もうアップデート要らないでしょ、年齢的に。彼女は社民党の議員となって、信任を得たというレジェンドがある。テレビに出て議論をするという意思のあるフェミニストが、田嶋陽子を除いていたかよ。翻って、上野千鶴子だ。彼女の主張なんて東大というバックがなければ、誰が共感するかね。
近頃、「フェミニスト」と「女性」は全く別個の存在であるという考えが一部の界隈で目につくようになった。
曰く「フェミニストと女性は全く別の存在」「まともな『女性』はフェミニストみたいな事は言わない」との事らしい。
けれどそれをまるで事実であるかのように吹聴され「女の敵は女」などと女性同士の分断を謀られるのにはこれ以上耐えられない。
「女の敵は男」だよ、少なくともインターネット上で女性という性別であるだけでそれを攻撃の対象にして良い理由としてきたのはいつも「男」だったよ。
今現在「フェミニスト」と呼ばれている何かにつけては問題視した相手を吊し上げるような人達に思う所がある女性は多少は居ると思う。
しかし、その事と「まともな女性はフェミニズム的な思考を持たない」という妄言がイコールであることなどあり得ない。
それは、「全ての女性はうっすらとフェミニズム的志向を持つフェミニストである」という物だ。
まず、今「フェミニスト」とネット上で呼ばれている存在はフェミニストではない。
彼女、或いは彼達は「ツイフェミ」とも呼ばれ男性嫌悪(ミサンドリー)の感情があまりにも強く、男性を攻撃するための「手段」にフェミニズムを使っている。
多くのフェミニズム的志向を持つ女性達からも彼女達「ツイフェミ」は浮いてしまっているのだ。
自分もフェミニンだからこそ過激すぎて理念を忘れてしまった過激なフェミニストや男性嫌悪者が受け付けない人は多いと思う。
フェミニズムは、元々自分も含めた他人を思いやるための慈悲の思想である筈だった。
過去に辛い事があった事には同情する、同情するけれど…憎しみが強すぎる人は他人を思いやれなくなるんだな…と悲しくて仕方がなくなる。
男女平等という理念を忘れ、ただ嫌いな相手を攻撃するために「フェミニズム」の看板を用いる存在はフェミニストではない。
女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。
要するに、「男女の格差を明白にし性別に関係なくありとあらゆる人が平等に生きられる社会を作ろうという思想」とその思想のために運動する人の事である。
また、
という言葉もある。
日記のタイトルにこそ「全ての女性はうっすらとフェミニストである」と書いたが、本来は「性差別的な思想を持つ人以外の全ての人はフェミニスト」と言っても過言ではない。
では何故「全ての女性はうっすらとフェミニストである」のか。答えは当然、全ての女性は性差別に苦しんだ事のある被害者であり、性差別の根絶を願う者であるからだ。
全ての女性は皆がうっすらと性差別なんて無くなれば良い、女性が怯えずに暮らせる社会になってほしい、全ての人が平等に生きられる社会になってほしいと思っている。
もしフェミニズムがアンチフェミの言うように「まともな女性」から受け入れられない物であれば、とうの昔に女性自身の手によって解体されているだろう。
フェミニズムは女性を救う。そして、この世に救われない女性が居る限りフェミニズムがこの世から消える事も無いだろう。
【追記】
自らをフェミニストだと自認していない女性もうっすらとフェミニストである、と思う理由は色々ある。
幼い頃、或いは若い頃に親や兄弟、教師や上司、そしてパートナーに強烈な女性差別を受けた人は、「女性は男性に劣った存在ではない、女性差別を許さない」という考えを自然と持つようになると思う。
例えば
が居たとする。彼女にフェミニズムやフェミニストに対する知識は皆無である。
しかし、その「フェミニズムもフェミニストも一切理解していない女性」が、とてもフェミニズム的な志向を持ちそれを我が身や言動で体現しているというケースは決して稀な事ではない。
等々、一昔前なら「女が偉そうな事を抜かすな」「女のくせに」などと言われそうな言説である。しかし、こういう考え方はとてもフェミニズムに通じる物がある…と思う。
何故ならフェミニズムは「性差別を無くそうとする思想であり努力」だからだ。「女だって男に負けないくらい強い」「女だからと言って舐めるな」という負けん気とガッツは、正に「フェミニズム」の根底にある活力ではないだろうか。
自分達は決して劣っている性ではない、性別を理由に馬鹿にされても決して負けない、性差別を絶対に許さない。そう思っている女性は、例えフェミニズムを知らなくても立派な「フェミニスト」なのだ。
【追記2】
追記の意味がよくわからない。「女の方が強い・肝が据わってる・大変」といった主張が"フェミニズムに通じる物"で、“何故ならフェミニズムは「性差別を無くそうとする思想であり努力」だから”...?
これらの言説はまず前提条件として
という反論や負けん気は性差別に負けないという強い意志でありフェミニズム=性差別の根絶を目指す思想に通じる物があると解釈している。
例えると
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。