はてなキーワード: 曲解とは
ところでネット上のレビューを読むと、このあとがきは賛否両論のようだ。
「めちゃくちゃ面白い!」
「これだけでも一読の価値がある」
という人もあれば、はっきりと嫌悪する人もある。特にアマゾンの、
「あとがきで、女性の半生記を長々と読ませられるのはベリベリ白けてしまった。「中国の行動原理」は読みたいが、著者の行動原理は不要である。」
「著者のファミリーのヒストリーがあとがきで書かれているが、少なくともこの本のあとがきとしては不要でしょう。」
このての感想はなんつうか、物事の本質が分かってねえ貧しい輩だなと思う。
"本編は面白いけどあとがきは不要"って……。いやいや逆でしょ。
こういうあとがきを書くような(或いは書かずにいられないような)人だから、こういう面白い本編が書けるんだよ!
本は情報を吸収する道具、著者は情報を提供してくれる装置、では断じてないのだ。
真に面白い本というのは、どうしても書かずにはいられない、あるいはそのようにしか書けない、やむにやまれぬのっぴきならない著者だけの特殊な事情がある。
何かについて語るということは、それを語る自分が何者であるかを包み隠さず開陳すること同義。
その一糸まとわぬ脱ぎっぷりのよさに、余人に真似できぬ面白さが宿るのだ。
そうせずに小手先のマーケティングで書いたものなんて、いくら有益で新奇な情報を扱っていても面白さには程遠い。
これはなにも小説や脚本の話だけでなく、学者の書くものだって同じことだ。
「私的な世界と公的な世界とは、きわめて複雑なかたちで混ざりあっている」
「いっぽうには、わたし自身の歴史があり、わたしの経験からひきだされたわたしの価値観や、わたしの書いたものや、わたしの立場がある。そしていまいっぽうには、こうしたことがらを吸収する社会的な世界があり、そこでは戦争や自由や公正について人びとが議論したり決断をくだしている。私的な知識人というものが存在しないのは、あなたが言葉を書きつけ、それを公表するまさにその瞬間、あなたは公的な世界にはいりこんだことになるからだ」
「つねに個人的な曲解があり、私的な感性が存在する。そして、個人的な曲解なり感性が、いま語られつつあることや、書かれつつあることに、意味をあたえるのである」
「ジャン=ポール・サルトルやバーランド・ラッセルの書いたものを読むとき強く迫ってくるのは、その論じかたではなく、彼ら特有の個人的な声であり、その存在感であるが、これは、彼らが自分の信ずるところを臆せず語っているからである。彼らが、顔のない役人やことなかれ主義の官僚によもやまちがわれることはあるまい」
そう、だから、パンツ脱がずに小手先の情報だけで書こうとすると、必然的に無難な一般論や官僚答弁に行きつく。誰が書いても同じなんだから。
そうすると書き手の洞察は深いところまで届かず、したがって読者に感動なり知的興奮なりを与えるような面白い本にはなり得ない。
話を益尾氏の本に戻すと、
なぜ"東京対北京"に収斂できない「女性の半生記を長々と」書くのか。
本編を読んでもその意味と必要性が本当に分からない読者がいるとしたら、そいつはもう馬鹿としか言いようがない。
ちょっと熱くなってしまったが、走り書きなので言葉遣いが汚いのは許してほしい。
そもそも自分は「学者の書くあとがき」が好きなのだ。半分タレント化した人は別として。
学者の場合、小説家などの他の文筆業と違ってどうしても本編の制約が大きい。
たとえ一般向けであれ「学者の顔」で書く以上は、事実関係や客観性を重んじるのは勿論、表題に掲げたテーマに何らかの結論を出すことが求められるから。
それだけに、あとがきでは「学者の顔」に収まりきらない著者の顔がにじみでているのが、本編と相まってすごく味わい深く思えるのだ。
その意味で益尾氏のこのあとがきは、「学者のあとがき」として大変面白かった。
自分が今まで読んだ中では、安丸良夫『近代天皇像の形成』のあとがきを彷彿とさせる面白さ(この意味が知りたい人は読んでもらえれば分かる)。
自分らから足踏んでおいて「分断が~」とかいうインテリ仕草、記録しておくね
ただこの野田氏の炎上に関しては、あいトリの時にも感じてた「アートフォビア的な流れ」を少し感じるのは私だけでしょうか。「演劇(アート)に関わるような上級国民様は人の命なんて軽いんですよね」というような言論があまりにも多い気がして。コロナ騒動が治った後、その分断が傷になる可能性も。— 川口 有紀 (@youkik444) 2020年3月3日
この件だけじゃない。この10年間、インテリに向ける憎悪とひがみ根性は増すばかり。うんざりだ。— 豊崎由美≒とんちゃん (@toyozakishatyou) 2020年3月3日
映画『桐島、部活やめるってよ』でも描かれてたけど、スクールカースト上でも文化部より運動部のほうが上っぽい立場にいるじゃない。スポーツだって文化だと思うけど、ここで便宜上スポーツ対文化(演劇や文芸やアート)とすると(便宜上にしても齟齬があるけどさ)、なぜか両者は対立させられる。— 奈良絵里子 (@fukiteasobiki) 2020年3月4日
演劇や文化について言葉を尽くして説明している人たちの存在に勇気づけられます。無理解によって分断されるのがいちばん悲しい。— 久野はすみ (@penpen100) 2020年3月4日
何でこうやって、悪意をもって文章を曲解し、いたずらに社会を分断しようとするのだろう。荒んでいる。深呼吸しよう。スポーツを見下す野田秀樹ら演劇人の傲慢さに批判殺到 - Togetter https://t.co/r5jX4GCfkk @togetter_jpさんから— 犬丸治 (@fwgd2173) 2020年3月4日
元増田です。
日頃たいていの誤解・曲解はスルーしていますが、"アホが大量発生"などと、あまりの言いぶりなので言及します。
マクロ経済学の教科書を読めばわかるとおり、財政出動とは公共事業から移転支出まで広く含む概念です。例えば失業給付の増額は典型的な財政出動です。"財政出動の金は企業にしか届かない"とはどのようなロジックですか?生活保護費や失業給付も企業にしか届かないのですか?
もしもまじめに勉強する気持ちをお持ちなら、各財政政策に関する乗数効果は、下記の教科書に詳しいのでぜひお読みください。その上で反論があれば、どうぞご遠慮なく。
Gordon, Robert J. "Macroeconomics: Twelfth Edition" (April 18, 2011) 、Chapter6 The Government Budget, the Government Debt, and the Limitations of Fiscal Policy 、特にP187-P191
「フェミニズム」を全く知らないことは良く分かった。
純粋に知らない方がまだ100倍マシなのだが、例に漏れず一番酷い曲解をしている。
この人が挙げているのは日本のネットに蔓延する似非フェミニズムだ。
本来の「規制や配慮以前のフェミニズム」を弾圧するために悪用される「似非フェミニズム」しか知らない人だ。
似非フェミニズムを叩く人も持ち上げる人も間違いだし、オタクも年齢も思想的左右もフェミニズムには全く関係が無い。
こういう文章を何も知らないまま疑問に思うこともなく、フェミニズムをただの「過激で頭のおかしい人たちの思想」として今日もネット社会で拡散されていく。
フェミニズム=規制派ではない。何もかもはき違えている。安易な対立の構図を持ち出す人々に心底うんざりする。
「似非フェミニズム」を叩いたり持ち上げる人たちが、オタクに取り入って見世物にしているに過ぎない。
オタクが似非ではない「フェミニズム」を知ってくれる日が来れば良いけれど、期待するのも失望するのにも飽きた。それでも誤解が解ける日を待っている。
医療現場において、ウイルスはアルコールでは消毒出来ないというのが通説です。よくアルコールゲルなど一般商品で「ウイルスを除去」と記載されていますが、医療従事者はみな苦笑いしています。新型コロナウイルスの正しい検証が成されていない今、「アルコールは無効」という判断が確実と言えます。 https://t.co/D75VyYr3Zn— はすみ としこ (@hasumi29430098) 2020年1月31日
誰だ?「新型コロナにはアルコールは効かない」って言ったのは!?曲解して無闇矢鱈にリツイートするからこうなるんだよ。色々問い合わせが来ている。大変申し訳ないが、身内が入院して色々忙しいので対応できない。それから、逆性石鹸を使った後は、洗濯物は良くすすぐように https://t.co/BxdtFquU6H— はすみ としこ (@hasumi29430098) 2020年2月6日
宇崎ちゃん騒動の燃やす側の手のひら返しが、かつての自分の身に起きた出来事とあまりにシンクロしていたので書く。
そのとき俺は依頼を受けて狼のキャラクターのイラストを描いていた。
完成直前、進捗報告をかねて依頼者にイラストを提出した。
自信作だ。
「これは一般向けのコンテンツなんだ。こんな性的なイラストは載せられない。」
は??いや、狼を描いただけなのだが?
確かに世の中にはケモナーと呼ばれる動物に性的興奮を覚える人もいるらしい。それは知っている。
よって私が描いた狼のイラストに、性的な意図など入り込みようがない。
そもそも、今回の絵は事前に何案もラフを提出し、この構図で納得をいただいているはずだ。
しかし、先方が言うにはラフからは性的な意図を感じられないが、完成品からは感じられるという。
もはや訳が分からない。
とにかく大急ぎで新しいラフを提出し、地獄のようなスケジュールで新しい絵を仕上げ事なきを得たが、正直こんなに意味が分からないリテイクは初めてだった。
この件はおそらく私の実力不足で、絵の中の何らかの要素が妙な伝わりかたをしてしまったということが大きいのだと思う。
しかし、それ以上に、だ。
趣味とはいえ絵を描いているものの端くれとしてこんなことは言いたくはないが、絵などという抽象的なものから作者の意図を正確に読み取ることがまず不可能なのだと思う。
人間にそこまでの感受性があるのなら、世界はとっくに平和になっている。
そして、「作者の中に存在しない意図だとしても、そう読み取られる表現がNG」という主張をされる方々は、自分たちに飛んでくる大量の反論を「ただの曲解」で切り捨てることなく、読者全員に理解させられる文面で自分の考えを表現ができるように頑張ってくれ。
公式に守られた匿名の姿で野に放つのだから、読み手はこの文をどうしてくれても構わない。
ただ、このタイトルや冒頭だけでも読んで、自分は同性婚についてどう思うか? という意見を明確にするために、頭の片隅にでも考えて欲しい。
国民全員が同性と結婚しろなどという馬鹿げた事態にはならない。
今のところ日本人には、異性と結婚する、もしくは結婚しない、という2つの選択肢が提示されている。
この法案はその中に、同性と結婚する、という選択肢を加えるのだ。
繰り返すがこの法案は同性との婚姻を強制するものではない。そして、そもそも誰とも結ばれたくない人間には結婚を強要するものでもないはずだ。
(今の世間は結婚しないことを許してくれないじゃないか、という意見がありそうだが、それは論点がズレるので横に置いておく)
この話をすると、「同性愛者優遇じゃないのか?」という意見が出がちになる。
ふだん普通に暮らしている人間が、同性愛者という魔法の肩書き1つでさまざまな権利を得ると思うのだろう。
しかしよく考えて欲しい。同性と結婚したい人間には、現在婚姻の自由、またパートナーとの仲を法的に保証されること、病院での身内としての付き添いなど、異性と結婚した人間には可能なことができない(病院は原則、手術や急病による入院などの場合、法的な家族関係を持つ人間しか付き添えない)。
パートナーシップを認める自治体は増えているが、それはやはりあくまでも「自治体の条例」であり、住む場所を変えても引き継がれるような全国的普遍的な効力は持たない。
養子縁組という手もあるが、家庭の事情等で組めない場合もあるだろう。
同性婚が認められることによって、このマイナスが異性婚者と同じラインまで引き上げられる。
ただそれだけだ。
個人的には同性婚したいカップルやパートナーシップ・養子縁組がいいというカップルで、どれについても尊重出来たら良いと思う。
どうしても人間としての権利をマイナスのままにしておきたい方々には…もう私は何も言うまい。
選択肢が増えるということは、異性愛者や同性愛者という垣根をあいまいにするだろう(そもそも両者はグラデーションで、明確に分けられるものではないんだけど)。
異性しか愛せないと思っていた人の中にも、もしかしたら同性を好きになり、共に生きたいと思う人が出るかもしれない。その逆も然り。
そんな時、選べる人生の形が多いことはとても心強いことだと思う。
こうもはっきり言うのは、私がそうだからだ。「ソースは俺」理論とでも言うか。
基本私は異性を好きになるが、一度だけ同性の友人を、自分でも驚くほど好きになったことがあった。
後にも先にも同性を好きになったのはその一度だけで、自分をどの立場に置くか正直揺らいでいる。
そういう人間は思っているよりずっと多いと思う。
そして、どんな形に落ち着いても法的に好きな人との関係が保証されるなら、こんなに嬉しいことはないだろうとも感じたのだ。
そういえば某議員が「生産性がない」、と言ったのなんだので話題になったが、まあそれはああそうですかという感じである。
子作りを生産性という言葉で片付けるのか? などという話は抜きに、実際同性カップル間で子どもが作れないのは事実だ。これは変えようがない。
だが、代理出産や里親など、子育てをしたいカップルにも子を持ち育てる手段は存在する。それは健やかに愛されて育つ子どもを1人でも増やす、『生産性のある』ことではないのか。
また、同性愛者に生産性がないなら、無理やりに望まない相手と結婚をして子を作るのが正義なのだろうか。子のない異性婚家庭についてはどう説明するのだろうか。
この辺、純粋に議員さんに問うてみたいことではある。曲解されたり横槍が入ったりしやすいネットや文面上ではなく、対面で。そんな機会はないが。
閑話休題。
2013年にニュージーランドで同性婚法案が成立した時、これに関する議員のスピーチが話題になった。
私も感銘を受けたことは受けたし、かなり拡散もされていたのだが、同性婚に否定的な日本人に向けてこれを勝ち誇ったように掲げるのも、なんだかな、と思う。
海外に右ならえしなきゃという感じもあって、そこは好かなかった。日本人ならいくらかは自国の言葉で語れなければいけないのでは、と。
なので、このスピーチからちょっと気になったところを少し参考にしつつ考えてみた。
気になったのは下記の部分。
「法案が通ったその日から、ゲイによる総攻撃が始まるだろう。」
議員は、ゲイによる総攻撃って何なのか? と思ったと言うし、私もそう思ったが、これはかなりの問題でもある。
異性愛者にとって同性婚法案が成立するということは、自分が好まない同性から性的アプローチを受ける可能性が生まれる、ということにも等しい。
「ゲイだって普通に相手は選ぶ」「節操なしじゃない」「自意識過剰だ」という反論はまあそうなのだが、それでも不安は残る。
社会がそんな法案を法的レベルで許したら、同性愛者が大手を振って街を歩くはずだ。
好きでもない相手にアプローチをかけられる可能性が、多少なりとも上昇する。
そのアプローチが同性からなんて想定のうちに入っていない。もしかしたら同性に尊厳を奪われるかもしれない。
――それはまさに、同性愛者が「総攻撃」を仕掛けてくるような恐ろしさだろう。
オープンリーゲイの人々が極めて奔放なように見えてしまうことはあるだろうし、第一に性的体験談の掲示板などを覗けば、真偽問わずいわゆるノンケ(異性愛者)となだれ込むように関係を持つことに成功したと書かれているものがある。
恐れを抱かれても仕方なかろう。
しかし、大抵の同性愛者は同じ性的指向の者同士でコミュニティを持っている。
それは異性愛者と何ら変わらないことであり、異性間のコミュニティにまでこれがはみ出すことは基本ほぼないと言ってもいいのだ。
それでも、ノンケというかまったく同性に興味無さそうな相手を好きになる者はいる。
挙句の果てに、そこから望まぬ交渉が発生することも万が一あるかもしれない。
その時にはもう法やら周囲やらに頼るほかない。相手がどんなクズか、どんな非道かを訴えねばならない。
非力な異性愛者が異性に望まぬ交渉を強いられた時と同じように。
それらは同じことだ。
世間体が気になってしまってなかなか言い出せないであろうことも、きっと共通している。
どうかやられたら存分にやり返してほしい。泣き寝入りをしてはいけない。同性愛者に負のレッテルを貼り付けるようなクズを、同じ性的指向だからと言って守る者は恐らくいない。万が一いたらそいつも同じクズである。存分に叩け。
それで安心しほとは言わないが、少なくとも望まぬ交渉を強いる時点で異性同性等しく下道である。
議員は述べた。
「この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。
明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。
明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。
布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。
だから、大騒ぎするのはやめましょう。
この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。」
「恐れることなかれ」
と。
異性と結婚するか、そもそも結婚しないか。それだけの選択肢を前にして生き続ける。
私はできればそのかたわらで、同性と結婚したい人々という「全然関係ない」人たちが「全然関係ないところで幸せに暮らし」、「全然関係なくそれぞれの道を歩んでいける」社会になれば良いと思う。
不安を抱いて反対する人々に、大丈夫! と堂々とは言えない。なんせ同性婚賛成派にも色々な人間がいるもんだから。
でも同性婚に賛成する人々は、反対派を叩き潰し殺してやるとまでは思っちゃいない。
ただ、話し合いの場に来て欲しいのだ。
「キモイ」「好きじゃない」「自分はしないから他人もするべきじゃない」ではなく、
人々にとって何がメリットになるか?
何がデメリットになるのか? を踏まえた上で、
賛成なら賛成、中立なら中立、反対なら反対と言って欲しいだけだ。
だからこのエントリーでは、私の思うメリットデメリットというか、なるべく「愛って素晴らしい」というような結論には落ち着かないよう気をつけて打ったつもりである。
そして、恐れてもいいから、恐れている理由を明確にしてほしいな、と思うのだ。
スマホで2時間直打ちしたのでだいぶ読みづらくなっていそうである。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。もちろん少しだけ目を留めてくれた人も。
このエントリの下の方ででも、Twitterででも、あるいは友人との話や自分の頭の中だけででも。
どこでもいいから、「同性婚どうしたい?」ということを考えて貰えたら幸いだ。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/11/25/nz-gay-marriage_a_23288119/
TL上を賑わせている様子なのでまとめてみたいと思います
④修斗コミッション事務局長/日本修斗協会広報小島邦裕氏によるDEEPとRIZIN誹謗中傷ツイート
まず①に関してですが
ハムソヒ選手のエージェントであった諸岡秀勝氏のファイトマネー横領告発が発端です
https://www.instagram.com/p/B6xswOan5-R/
この件に関しては諸岡秀勝社長の言い分も聞いてみないと分かりませんが
https://www.onefc.com/press-releases/one-championship-strengthens-its-agent-certification/
この辺は詳しく格マスコミにも取材して問題提起してほしいですね
・ハムソヒの言い分
ONEのように不正をするエージェントの排除を積極的に行っていってほしいところです
何やら話が独り歩きしだし
そうではなくて事の発端は大沢ケンジさんのツイートから始まって
https://twitter.com/kenjiosawa/status/1212021658841579521
それに関係者が反応し話がいろんな方向に独り歩きしだしたようなんですが
https://twitter.com/kenjiosawa/status/1212039609447698432
タイミングが悪すぎたのとシューズに対するネガティブな意見だったので
変に話が広がり独り歩きしだしたようです
ただこの問題、RIZINの公式HP等にもルールの詳細が公開されておらず
何故そのようなルールを設けたのかとか
シューズを履いた場合と履かない場合の制限事項などの記述がないのは問題です
この辺はRIZINにしっかりしてほしいのと
大沢さんもこんなことをツイートで言っても誤解を招くだけなので
何か意見があるならちゃんとRIZIN運営に直接意見してください
RIZINのバンテージの巻き方のルールに問題があると言われていたようで
https://twitter.com/_nodoitaidesu/status/1212609231255265281
もしそれが原因で手の骨折が増えたのであれば
(つづく)
https://anond.hatelabo.jp/20200103105459