はてなキーワード: 暴君とは
『ゾゾの希少な暴君という画期的な漫画が登場する以前の世界には「エネルギーの具現化」という概念そのものが存在しなかった。
故に「純粋なエネルギー弾を飛ばす敵」は存在せず「エネルギーを炎や電気に変えて発射する」攻撃がそれらの最小単位であり、
「魔力をオーラのように纏う敵」も存在せず「強力なバリアを常に貼っている敵」という形でそれらは表現されていたのであるからして、
以上のことからも、荒牧広飛行のゾゾは漫画だけでなくゲームや映画の歴史さえも変えたと言えるのだ』
「なるほど!そういう設定で来たか!そんな設定にしたら歴史がどう変わっちまうんだ!!!」
と非常に大きな期待を寄せるだろうな。
自分の知っている歴史のとおりにフィクションの歴史も進まなければ許せないというのは、自分の知識に対する全能感がまだ抜けていない証拠。
少女がメイドをやっている少女漫画のタイトルが思い出せません。
ちらっと見た紹介文には少女の性格について気が強いとか気丈みたいなことを言っていた気がします。
外ではいままで通りそういう性格で過ごしているけど中では主人に従っているみたいな話だったと思います。
コンセプトとして少女漫画版「これが私の御主人様」といった趣を個人的に感じました。主人公の少女に使用人になる弱みがあったのかどうかも覚えてないのですが…。また少女の容姿は性格に相応しいクーデレっぽい感じを漂わせるものだったかと。
雇っている人間は少女漫画にありがちな王子様系の容姿だった気もしますが、ショタだったような気もします。
こんな感じで記憶があいまいなところは多いのですが、以上の記述が思い当たる漫画があったら教えてほしいです。よろしくお願いします。
補足
執事であれば必然的に男装しているでしょうが髪型までボーイッシュだったというようなことはありません。
また話の中心人物の使用人(女中、給仕)は確実に女性(少女)です
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13260743938
上の質問をした人間だがrentaをかたっぱしから検索したところ暴君メイドかもしれん
その割には表紙を見てもいまいちビビッとこないのだが、暴君という単語を当時の俺が気が強いのう意味にとったと考えるのが今のところ一番妥当な筋に思われる
権力勾配を背景に女に言うことを聞かせる、ってのは非紳士で非人道的ってのはみんなわかっている
それをやった場合、明るみに出れば社会的制裁があって、職や立場を失うことが多い
しかしだ
それは替えが効く人の話だ
会社の偉い人は、別の人が偉い立場につけばいいだけなので替えが効く
スポーツ選手も、その人がいなければ勝てない、戦術が成立しなくなる、とかはあって、別の人でもゲームそのものは成立する
しかしよ
映画監督の場合、その監督がいなければ、その作品丸ごと存在しなくなる
映画なんてなんでもいい、ってことならその人がいなくても映画は出てくるけど、「この作品」は絶対に出てこない
このような人が権力勾配を本気で利用しようとしたとき、この人が失脚すると困る人達がすごい数存在しているせいで、周囲が擁護に回らざるを得なくなる
なんなら自らが供物になることもやぶさかではない
こういうタイプの暴君を制御するのって、今行われているような利害関係のない世論からのバッシングしか機能しない気がする
一体、どう対処したらいいんだ?
替えが効く人のセクハラならなんとでもなるんだよ…
替えが効かない暴君は…
わざわざ騒ぎを起こし、動画を撮ってアップするのは「女性専用車両は男性差別だ!」と主張する為のパフォーマンス?らしい。
本当に気味が悪いなぁと思う。
日本には欧米でいうレディーファーストという概念が元々ないに等しい。
ただそれは単なる文化の違いで、「男は女を守るもの」という概念は現代の日本にもなんとなく存在している。
男は身を呈して外敵から群れを守り、狩に出て食料を確保する役割を担い
女は群や同士のコミュニティを強化し結束力を高め、群の存続を保証する子孫を育む役割を担う。
それは「概ね」今も変わらない。
女性は周囲や家族などのコミュニティを強化したいと望みながら子育てをする。
男は短絡的、効率的で瞬発力があり
しかし、本来ただの役割として過ぎなかった機能が、時代が移り変わると共に形を変え続けてきた。
武家層が男尊女卑だったのは、戦国時代の名残により武士はとても物騒な仕事であった為、女子供を巻き添えから守る為に受け継がれた習わしであると考えられる。
女性が男性の三歩後ろを下がって歩くのは、前から斬り付けられた時に備えての事で
男性が外敵から身を守ってくれる為の女卑であると知っている女達は、敬意を払って男性を立て内助の功として勤めながら子供を育てた。
男は身を呈して外敵から群を守り、外に出て財を確保する役割を担い
女は群や群れ同士のコミュニティを強化し結束力を高め、群の存続を保証する子孫を育む役割を担う。
まさに本能で受け継がれられてきた人類の男女の形そのものである。
一方、全体の約7割である農民に男尊女卑はなく むしろ女性が強かったそうだ。
平和な暮らしを営む農民は命の危険を伴うような外敵などいないに等しく
農民の間では
男は身を呈して我が群を守る必要はなく、ただ外に出て財を確保する役割のみを担うものとなり
群の存続を保証する子孫を守り、コミュニティの強化を役割とする女性にとって
群を守らない、その出番のない男性 しかも自らも財を確保する役割を担っていたのなら、男性に敬意を払ってコミュニティの一員として認識するという感覚を持ちづらいであろう。
コミュニティの結束力を高め合う女性達の中で、そのコミュニティの一員として男性を認識しないのなら
明治から昭和初期にかけて、全体として男尊女卑の色合いがこくなる。
武家層のような上流階級への憧れが市民の間に広がったのもあるが、一番は「戦争」だろう。
戦争により再び男は
身を呈して外敵から群を守り、外に出て財を確保する役割を担うという役割の復活を果たし
男性が外敵から身を守ってくれる為の女卑であると知っている女性達は、敬意を払って男性を立て内助の功として勤めた。
このように、本来人間が持つ男女それぞれの性質と役割を発揮している時にのみ、異性が互いに敬意を払えるのだと思う。
では近年はどうだろう。
昭和後期、戦争により男女がそれぞれの役割を果たし、互いに敬意を払っていた理想の男尊女卑の両親の姿を見て育った者達は
しかし戦後、身を呈して群を守る役割を失った男たちに(つまり本来男の持つ本能的な役割を果たしていない事に) 静かに不満や不信を抱える女たちに気づいた男は
もちろん、うちの亭主は家族を何より想い いざという時は身を呈して守ってくれるという確かな信頼関係の元、健全な男尊女卑の家庭を営む夫婦もいたであろうが
しかし大部分は家族を守る器も経済力もないというコンプレックスと、妻の静かな不満と不信に怯え、DVやモラハラによって、力で女を抑圧する事でしか威厳とプライドを保てない 名ばかりの亭主関白 もとい糞男がはこびっていた。
更に不満と不信を覚え始めた女性たちに対し、男達は苦肉の策として2つのパターンに分かれ始めた。
女性が性別の役割を超え外に働きに出るように、男性もコミュニティの強化に加わるように努め始めた。
もう1つは、女性の不満と不信に怯えながら自身の能力と器の小ささを誤魔化す為に、相も変わらず女性を力で制圧しようとする者である。
DVやモラハラで女性を制圧する手法もまだまだ用いられてはいるが、しかし昨今の女性は強い。
自立し、女一人でも外敵から身を呈して家族を守り養い 更にコミュニティを強化しながら子供を育てる事ができるのだ。
昨今男性は容易にコミュニティから排除される対象になり得るのである。
そんな中で男性は、いくらDVやモラハラをしても自分のコンプレックスを誤魔化す事ができず、安心感も得られず
男の存在意義や尊厳を奪われる恐怖と、自身の能力のなさ器の小ささのコンプレックスを更にこじらせながら
なけなしのプライドを死守する為、見ず知らずの女性をその場限り制圧する事で満たそうとする暴挙に走る者も現れる。
痴漢や性犯罪、職場でのセクハラ パワハラ、あるいはネットでの女叩き である。
こうなってしまっては、女性にとって男性は外敵以外何者でもない。
男は男としての存在意義とプライドを死守する為、女を無理やりにでも制圧しようとする。
なるほどなあ。確かに。
2024~26に完全独裁化に成功した、習おぢが暴走して台湾に侵攻はありえるな。
プーチン大統領と習近平国家主席の共通点とは(写真=SPUTNIK/時事)
ウクライナ侵攻をめぐるロシア・プーチン大統領の暴走が止まらない。これまでも国際社会に対して強硬姿勢を取ることは珍しくなかったが、原発や核研究施設への攻撃など、常軌を逸したようにも見える行動が目立つ。フランスのマクロン大統領は2月にプーチン氏と会談した後、「彼は3年前とは別人になってしまった。頑固で、孤立している」と側近に漏らしたとされる。
【写真】少し白髪が混じりつつもボリュームある髪、深みある黒スーツ姿の習近平氏
プーチン氏に変化をもたらしたきっかけとされるのが、ナンバー2だったメドヴェージェフ首相の退任だ。2000年から2008年まで2期8年にわたり大統領を務めたプーチン氏は、当時連続3選が禁じられていたため、側近だったメドヴェージェフ氏に大統領を任せ、自らは首相の座に就いた。「タンデム(双頭)体制」と呼ばれたが、事実上、首相のプーチン氏がすべての実権を握っていたとされる。2012年にプーチン氏が大統領に返り咲くと、メドヴェージェフ氏は首相として支える立場になり、長らくその体制が続いた。
ところが2020年1月、突如としてメドヴェージェフ氏は首相を解任され、安全保障会議副議長という実権のないポストに就くことになった。事実上の更迭とされているが、これがその後のプーチン氏の「暴君化」に繋がる決定打となったと見るのは、外務省関係者だ。
「2人はサンクトペテルブルグの市役所に勤めていた頃からの盟友関係で、メドヴェージェフ氏は常にプーチン氏を立てる“忠実なイエスマン”でした。しかし、権力の座に長くあったため、メドヴェージェフ派と言われる勢力が出来てしまった。プーチン氏は、自らの権力を維持するためには、メドヴェージェフ派を一掃する必要があると考えたのではないでしょうか。
メドヴェージェフ氏にはプーチン氏を止める力などありませんでしたが、プーチン氏はメドヴェージェフ派の動向を気にしていたため、行動にも一定の抑制があったと言われています。対抗勢力が一切なくなってしまった結果、暴走に歯止めが利かなくなってしまったのではないでしょうか」
現在の国際社会で、似た状況になりつつあるのが中国だ。習近平・国家主席は、今年秋に開かれる党大会で3期目の続投が確実視される一方、ナンバー2の李克強・首相は2023年での任期満了の予定だ。李氏の退任後、習氏が暴走する懸念があるという。
「盟友関係にあったプーチン-メドヴェージェフと違い、習近平氏と李克強氏はずっと政治的なライバル関係にありました。習氏は李氏の政治力を削ぐことに力を注いできましたが、それが一定の抑止力となってきた側面がある。李氏の後任に習派の人物が選ばれた場合、対抗勢力がいなくなることになり、習氏の独裁化が強まることでしょう。
そこで危惧されているのが、習氏の悲願とされる台湾統一です。習氏はプーチン氏のウクライナ侵攻を事実上容認する姿勢を示しましたが、念頭にあるのは似たようなシナリオでの台湾侵攻でしょう。国際社会からの批判や経済への影響を考えると、ウクライナ侵攻同様、国家としてのリスクは高いはずですが、このままではそうした否定的意見が共産党内で封殺されてしまう状況になってしまうのではないでしょうか」(同前)
https://www.news-postseven.com/archives/20220308_1732768.html?DETAIL
ここ読んで思い出したけど、うちの子供の二年生(5月まで。担任は6月から産休でリタイア)の時の担任の暴君ぶりが凄まじかったなと。まだ三十路まで行ってなさそうな若い人だったけど、昭和生まれの私でもそこまでスパルタされたことはなかったなっていうくらいの、教室内軍事政権ぶりだった。
でも、保護者も子供達も女の先生だからって油断していたというか、かなり理不尽な目に遭わされることを何とも思ってなかったんだよね。
で、途中から担任が男性の新卒教師に変わったんだけど、引き継ぎの際に一体何をどう言われたのか、やたら愚直に暴君先生のやったことを全部引き継いでしまい、大問題になった。
暴君は暴君で性別とか関係なくギルティなんだけどさぁ、同じことを男がやるとモロに虐待に見えたのかね……。
で、三学期に入った頃になって、後任教師が暴君先生の言いなりになっていただけということがひょんなことから発覚。いや自分でも嫌だなとかダメだなとか思う教育方針はやらなくていいのよ? 自分が大学で習ったりとか自力で考えた通りにやってみれば? って保護者からアドバイスされて、後任教師は水を得た魚のように元気を取り戻して、最後の三ヶ月は楽しいクラスだったみたい。
でも一部の保護者からは蛇蝎の如くに嫌われてしまって、何をやっても揚げ足を取られてしまい、可哀想だったな。新任教師なんだから100%の教育なんか出来ないし、そもそも教室内軍事政権は前任の女の先生がやっていた琴なんだから、怒る矛先違うんじゃないの? って思ったけど。
結局、後任教師はたった一年で遠い学校に異動になったけど、叩かれまくって悪い噂に尾ヒレつけまくられるような糞学校からは離れるのが正解かな。
あのクラスは児童達にもかなり癖の強い子(診断を受けてないだけの何か)が何人もいたから、新任の手には余るの当たり前だし。
時間の概念がなくて帰り支度をして帰りの会を始めることがなかなか出来ない子供達のために、後任先生がキッチンタイマーで時間制限をもうけて子供達に支度をさせたのは良いアイディアだと思ったが、それもアンチ化した保護者連中からは叩きのネタにされていた。
そのせいで 人のこころがわからない サイコパスのような暴君になったのだと
何となれば 現実的に 世の中を見回して
特に 自分の身内を観察して 要するに一言で言えば 貧乏出の 団塊世代の自分の両親が
正直な話安倍晋三にそっくりな傲慢さを 疑う余地なく持ち合わせているからである
金持ち故の慢心と 団塊世代特有の「今だけ 金だけ 俺たちだけ」という視野狭窄の
団塊の世代と見比べたときに 非常に似通った性質を持ち合わせていることから
そういう世代的な影響を受けていると考えて さしつかえないと思う
子だくさんの家庭で 兄弟が5人も6人もいることが珍しくもなく
つまり 細やかな躾など受けられず 犬猫のように わちゃわちゃと育った世代のことである
それ故に 団塊老人は 挨拶ができないくらいのできそこないが山ほどいる
正確には それが仕事となれば へりくだって挨拶でも何でもするが
日常生活で 他人に敬意を示すという発想がなく 家族や 街で接する見知らぬ他人には
適切な礼儀をもって振舞うということが全く出来ない老人が うちの両親含め山ほどいる
自分は 普段 世代間闘争みたいなことは 下品であまり良くない発想だと考えている
「老人笑うな行く道だ」と 基本的には今でも思っている
団塊老人は それを 「自分たちがいちばん頑張ったから」だと思い込んでいるが 本当にそうだろうか
その稼ぎが増えるというのは 本当に 本人が頑張ったかどうかで主に決まるのだろうか?
単純に 「自分より上の世代に 給料を上げてもらった」のが団塊であり
それなのに 「自分より下の世代の給料は上げようとしなかった」のが団塊だっただけではないのだろうか
うちの親は 池田勇人の「所得倍増」で 平の地方公務員のくせに 1000万近い年収を 貰っていたのである
本人は 「公務員になったときに馬鹿にした連中が 自分ほど給料が増えなくていい気味だ」なんて
平然と勝ち誇るのであるが なんだかただうまく波に乗っただけで
これを頑張った結果みたいに言い張るのは腑に落ちない
現実の結果だけ見れば 団塊は 高度成長で増えた日本の富を ただ吸い付くし 食らい尽くして
滅びようとしているだけの世代で 日本のために何の役にも立っていない
日本全体の富を増やすことを 団塊が日本の主役だった時代には一切行っていない
パイを増やさず 奪い合うだけで 自分は頑張ったと主張しているだけである
それが 一言でいえば 失われた三十年 と言うものの実態であろう