はてなキーワード: 小豆とは
元増田じゃないけど、回天の黒島亀人や桜花の大田正一は右左関係なく人間のクズだから
そんな無理して擁護しなくてもええと思うんだが
・黒島亀人
黒島は終戦時に宇垣纏の日記『戦藻録』の一部を勝手に処分している。
黒島は極東国際軍事裁判の証人として出廷するために借りたいと遺族から受け取り、該当部分のみ電車に置き忘れたとしているが、黒島は裁判に出廷していなかった[65]。
連合艦隊通信参謀・市来崎秀丸からも連合艦隊電令作綴を受け取り焼却処分している[66]。
何らかの保身のため、黒島にとって都合の悪い部分が書いてある箇所を処分したのではないのかと指摘されている
・大田正一
8月18日、茨城県の神ノ池基地において零式練習戦闘機に突然乗り込んで離陸、そのまま行方不明となった。
大田は、新聞に桜花の発案者として華々しく取り上げられて以来、不遜な態度をとるようになっていた上、桜花搭乗員の人命を軽視する発言も行っていたため、報復を恐れていたという説もある。
大田は基地から離れた金華山沖の洋上に着水し漁船に救助され生還。
行方不明者として名乗り出ることもなく、戦後の混乱に乗じて別人を装っ た(ただし、生涯無戸籍のままであった
妻時子の入婿になればいいと勧めたが、「実は他に女がいます。子供も一人」と答えた。
三男が生まれる前後の1949年(昭和24年)6月に北海道へ小豆を買いに行くと言って大金を持って消えてからは音信不通になった。
・茄子
子供の頃は、あのじゅくじゅくした食感が気持ち悪くて嫌いだった。今は最高だ。焼き茄子もイイし、生姜効かせて煮浸しにしても美味しい。熱々トロトロは美味いという方程式。栄養ないって知ってショックだったけど食べるよ。美味しいから。もはや茄子は嗜好品。
・オクラ
これは子供の頃から好きだった。柔らかいもの=美味しいものという方程式はオクラには適用されない。少し固めに茹でて粗刻みにしてめんつゆにぶっ込んでご飯にかけるのがベスト。種がプチッと弾ける食感は中毒になる。
茹でてマヨネーズ付けて食べるだけでも美味しいが、最大限に魅力が引き出されるのはスープ物だ。あのブロッコリーの「森」の部分が汁を吸った時のポテンシャルの高さは油揚げに引けをとらない。
・そら豆
他の野菜と比べるとやや値が張る。ちょっとした贅沢品だ。さやを開いて2個しか豆が入ってないと地味に辛い。焼くのもイイが、甘辛く煮るのもイイ。薄皮ごと食べるのがポイントだ。枝豆も小豆もそうだけど豆は薄皮だよ。
・ピーマン
子供が嫌いな野菜代表だが、自分はまあそうでもなかった。でもやっぱり大人になる程好きになる。ピーマンの肉詰めという料理を考えた人は天才だと思う。あれはハンバーグよりも上等だ。肉汁をピーマンという器が受け止めてくれるのだから。
ヘイヘイヘイヘーイヘイ!!!
ヘイヘイヘイヘーイヘイ!!!
ヘイ!ヘイ!ヘイ!!!
あいつもこいつも
このお店で一番の美味しいお寿司を~
あー早く言いたい!
オォー!ヘイヘイヘーイ!
あるあるを
早く言いたい
一度だけでも!ウォウォウォウォ~!
回らないカウンターの
お寿司屋の
あるあるを
早く言いたくて仕方がない、
早く言わないと
もうグレちまうよー
そもそもとして、
鮭がないないなのかはさておき。
私知らなかったわ。
当たり前にあるものだと思ってたのよ、
普通に、ない!って、とろサーモン似の大将に笑われて言われちゃったわ。
いつも大好きな、
こはだとか青ものばっかり食べてて、
急にサーモンのこと思い出しちゃったのよ。
サーモン好きだけど、
ト・ロール漁だけに!
知らなかったわ!
うふふ。
新しいサンドイッチ見付けたのよ。
後で調べてみるわ。
昨日小豆屋さんに行って
豆仕入れてこようと思ったけど、
思いのほか高価でたじろいでしまったわ。
引き続きな感じだけど、
暑くなるこれからの季節向きね。
ワンワン!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近の悪いくせで、
すぐ名前で検索してフェイスブックとかその人のこと見ちゃうやつ。
まあ、それはともかく、
今の昨今、
だれかしら、だれのがれかしら
インターネットにはクロスケーブルで直接頭と接続してるわけじゃない。
ある日気付くの、
何かの弾みで、
頭の電力供給も兼ね備えているLANケーブルが外れて我に返るの。
私が今まで生きて生活していた世界は仮想現実だったのかー!って
マトリックスばりか、
話をもとに戻すと、
ネットで
何か訳ありなのか・し・らって、
私の本名は実は
私をさらって行くという
ってウソだけど。
まあ、
一つもいいこと無いんだけどねぇ。
いままで、
それで得した覚えないわ。
でも、
本当にヤバかったら
本当に調べるのなら、
駅の伝言板でYMCAって書いて素晴らしいヤングメンからの連絡待つくらいだわね。
謎が謎を呼ぶわ。
彼の犯罪歴を調べるのは、ね……。
パタム……。(手帳を閉じる音)
そろそろ、
崖の上で柳沢慎吾が
うふふ。
牛乳かけて食べるんだけど、
その牛乳がほどよく甘くて美味しくって神がかってるわ。
神ってるー!
グリーンだよ!
てなもんね。
すいすいすいようび~
今日もご機嫌さん!
元気にいきましょう!
(うねめのつえつき)
四日市市の『杖衝坂』のすぐ近くにある和菓子店、菊屋本店が製造する看板商品の最中。
大納言小豆の粒あんがたっぷり、やわらかいお餅(求肥)も入り、食感・食べ応えのある一品です。
銘菓「采女の杖衝」は、そのままでも、お湯をかけてもおいしくいただけます。
常連のお客さんの間で広まったという『お湯かけ』は、最中にお湯をかけ、お塩をひとつまみ。ぜんざい風にいただきます。
東海道でも屈指の難所に数えられた「杖衝坂」は、東征を終えた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が負傷した足を引きずり、
剣を杖の代わりにして坂を登られた故事にもとづいて名付けられたといいます。
ちなみに三重県の由来もこのときの日本武尊が、「吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり(足が三重に曲がるほど
後年、芭蕉もこの難所にて馬の鞍もろともに転落。その折に詠んだ句が、「歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」。
「村雨」は大阪府貝塚市の塩五(しおご)が製造する小豆の蒸し菓子。
北海道十勝産や丹波産などの上質の小豆を、やわらかく炊いて、皮を取り除き、細かくすりつぶして、水分を搾り取ったあとの
いわゆる"生あん"に、米の粉と砂糖を混ぜ合わせ、そぼろ状にして、特製の蒸籠(せいろ)に敷きつめ、じっくりと蒸し上げた棹物の
労研饅頭(ろうけんまんとう)は、愛媛県松山市内にある「労研饅頭たけうち」が製造販売している小麦粉を主原料とした蒸し菓子の
一種。和菓子の饅頭(まんじゅう)ではなく、蒸しパンまたは中華料理の甜饅頭(ティエンマントウ、tián mántou)に似る。
直径10cm前後、重さ60g前後の、小ぶりで甘みのある蒸しパン状の菓子である。
小麦粉をこねた生地を酵母で発酵させ、蒸し上げたものである。形状は種類によって円盤状のものと、楕円形のものがある。
生地によもぎやココアなどを練り込んだものや、豆類や乳製品を入れたもの、中に小豆餡を入れたものもあり、種類も豊富である。
太平洋戦争前から続く製法で作られており、素朴な味わいで、地元の一部の人に根強い人気がある。
昭和初期、松山市は深刻な不況に襲われ、夜学生が学資を確保することが困難であった。それを見かねた私立松山夜学校
(現在の私立松山城南高等学校)奨学会は、夜学生の学資を供給する事業がないか模索していた。
その頃、岡山県倉敷市にあった労働科学研究所が満州(現在の中国東北部)の労働者の主食であった「饅頭」(マントウ)を
日本人向けに甘くアレンジし、これを岡山県や京阪神の業者が販売していることを聞きつけた。
小麦粉で作る饅頭は安価に製造できるため、これを松山で製造販売し、学資を確保するとともに夜学生の主食にもしてもらうことを
こうして1931年に松山で「労研饅頭」の名で販売が開始された。「労研」とは労働科学研究所の略。また、饅頭を「まんとう」と
読むのは中国東北部の主食「マントウ」が起源だからである。なお、当時は4個で5銭、松山市内の学校や軍内で販売され、夜学生の
学資確保に貢献したという。
なお、労研はこれを、当時の女工の厳しい労働環境を配慮し、手を汚さず、素早くエネルギーを補給できる食品として開発した。
労研は、当時、クラボウの社長であった大原孫三郎が、労働者の環境改善のために設立した研究機関だった。
その後、労研饅頭は個人営業の竹内商店(現在の販売店「たけうち」の前身)が製造販売するようになったが、戦火の拡大により、
1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年の終戦後には早くも
販売が再開されている。一方、岡山や京阪神では戦火によって労研饅頭の酵母が途絶えてしまい、京阪神では労研饅頭そのものが
復活することなく、消えてしまった。こうして、戦後唯一残った「たけうち」が1952年に「労研饅頭」の登録商標を取得した。
高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山の名物菓子として定着している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E7%A0%94%E9%A5%85%E9%A0%AD
伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」に由来し、伝統の味と技が光る「お菓子のみよし」が製造する福島県いわき市を代表する銘菓。
水を使わず、小麦粉と卵で焼き上げたサックリとした皮に大納言小豆を挟んだ独特の個性的な味わい。
じゃんがら念仏踊が描かれた包み紙は一枚一枚絵柄が違い、また3個入りの箱は、じゃんがらの太鼓をイメージして作られリニューアル。
姫路銘菓「玉椿」を製造している伊勢屋は、元禄年間(1688年~1703年)に開業し、天保年間(1830年~1843年)に家老河合寸翁の
推挙により、江戸で菓子を学び、姫路に戻った後、藩の御用菓子商となりました。
代表商品の「玉椿」は、藩主酒井忠学と11代将軍徳川家斉の25女・喜代姫との婚礼に当たって作られ、河合寸翁が命名したと
薄紅色の求肥(練って作る餅の一種)で、しっとりした黄身餡を包み込み、粉糖をまぶし「椿の花」に見立てています。
小豆の中でも栽培の難しい「白小豆」を原材料として用い、香り豊かな風味と上品な甘みは、菓子としての風格を
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
これを読んで懐かしくなった。
高校までエスカレーターの私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいから金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優、プロスポーツ選手、ヤクザ幹部みたいな人も多い。
受験対策というのはほぼ無いので、親の職業、年収、寄付金なんかで決まる。
受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。
うちは普通のサラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業の社長だったこともあってか合格。
袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。
キリスト教系だったので、様々なクリスマスやハロウィン、ミサなんかを味わえたのはいい経験。
エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高いが小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)
受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験をクリアするためのもの。
ひたすら折り紙の練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習。
そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収。
小学校は公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。
小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーターの中学を第一志望に。
エスカレーターは高校までの滑り止め中学に合格したものの、第一志望は不合格。
正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生のクラスで受験のために小学校休みまくっていたので。
先述の通りエスカレーターのため無し。
普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験の第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットでAO入試を知り先生に相談。
さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランクの大学へ合格。
元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。
通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。
全国にその名を馳せ、DVDがいまだに出され、出演タレントは全国区になった。
悲しいことに、北海道の深夜番組では、2016年の現今でもなおいまだにあの深夜番組と同じようなネタを繰り返している。
若手の劇団員や芸人を中心に、道内や国内をある一定のルールの下で移動する。
要するに北海道の深夜番組は、水曜どうでしょうのパラダイムを抜け出せていない。
というか、それしか知らないのだ。
だから、いつまで経っても同じことの繰り返し。そして、徐々に先細って言っているように思う。
これがことさらにさびしい。北海道のモノカルチャー的な産業を如実に表しているような気がするからだ。
石炭だったら石炭。小豆だったら小豆。鰊だったら鰊。魅力あるコンテンツを、ただそれだけに特化して生産流通消費させるシステムを構築させる。
コンテンツの需要が減れば、当然システム全体が廃れる。夕張を見よ。小樽を見よ。
実際には鉱業・農業・水産業はモノカルチャー的なシステムから脱する場合も多い。
しかし、テレビ番組という文化というか放映というかマスコミはどうだろうか。
そうした番組しか作れない、というのは今だモノカルチャー的パラダイムを抜け出せていないということだ。
なあみんな!
寝付けるコツを教えてくれ!
寝つきが悪い俺がいろいろ試行錯誤してたどり着いた結論は以下の通りだぜ!
ついつい、だらだらテレビやネットを見てしまうので、ベッドタイムアラームをかけている。これは必須。
ベッドに入るのが遅いと、「明日〇時に起きないといけないのに、5時間半しか寝れない」などの焦りで更に寝れないので、その予防。
仕事のことがぐるぐるめぐるのを防ぐ。瞑想も挑戦したが難しかった。
すげー寝れる。「手に力を込めて〜緩めま〜す」とか言われるけどシカトしてただ聞いてる。つまんない授業を聞いて眠くなる感じ。
上記をやっても、眠れないときは眠れない!他にコツがあれば教えてくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20160826200815
お前ら箸のことになるとウキウキで人のこと貶してくるのな!
箸の使い方ならきちんと両親から教わりまーしーたー。小豆を素早く小皿に移すことができるぐらいには使えるぞぉ(嘘、やったことない。でも自信ある)。
というか、元の文章に米粒ひとつひとつをつまんでるって書いてるだろが。
日本人ですか?って言ってくる人は論外ね。クワマンさんに土下座しなさい。
でも、「丼ものは俗で雑な文化」っていうトラバには目から鱗だったね。そっかー、かっこむってどうしても抵抗あったんだけど、別にお上品な食べ物じゃないんだったら気取る必要ないね。自分の前提が間違ってたんだ。ありがとう、とても心が楽になりました。