はてなキーワード: 家事とは
基本的にゴールディンの論文はアメリカの調査結果である点とはてなに不都合なことしか書いてないので糞の役にもたたんな。
よしそれなら出産と子育てで「男らしさ」から降りざるを得ない10年間位は男性の平均と同じくらいの金を賃金として女性に支給しよう。
出産はともかく、子育ては夫と負担を半々にすればいいだけの話だろう? そうすれば男女の負担が平等になり、妻が子育てで割を食った分だけ金を支給しろなどとバカを言う必要は無くなる。
むしろ、妻が出産前後に仕事をセーブせざるを得ないことを考慮して、夫の子育て負担を多めにしてもいいわな。出産の大変さを夫に訴えろ。
それで妻がキャリアを諦めずに二馬力の収入でやっていけばベビーシッターや家事サービスといった外注もできるわな。
だから夫を説得して子育てさせるなり外注サービスに金を出させるなりしろよ。
夫を説得するのは無理だから、企業や社会がもっとサポートして欲しいって?
夫という一番身近な自分で選んだ伴侶一人すら、その男と血の繋がった我が子と愛する妻のために子育てを負担しろと説得することができないのに、
家事と子守はそこそこするよ。平日夜は二人でやって早く終えて自分たちの時間を増やしたいし、土日は家事と子守に疲れた妻が休める時間を確保したいし、やらない理由がない。
収入はこれからも増えることを思うと家政婦を雇えと言うのはわからなくもないけど、ド田舎の下流家庭で育った自分には馴染みのない概念なので忌避感がある。他人が家に来て色々触るってどんな感じなの?値段に見合う嬉しさがある?とか。
と、これを読んでふと思いました:
前提条件
・今の人生が終わったのち、50~100年後の日本に生まれるものとする
(後述するが完全ランダムガチャがあるため必ずガチャを選ぶ必要がある)
・ガチャが回るのは生まれ変わりの直前であり、今の人生でガチャ結果を知るすべはないものとする
・生まれ変わりの際には前世(=今の人生)の人格、知識などは消滅するものとする
・ガチャで保障されるのは、生まれた際の状況のみであり、次の人生の生涯にわたって保障されるものではないこととする
【追記】
年収記載は現時点価値を示すものであり、インフレ(デフレ)が進んでいる場合はインフレ率に応じて増減するものとする
【追記END】
ガチャ台で選ばれる親
いわゆる平均的な親(男女)
平均的の幅が広いが、世帯年収400万円~600万円程度、教育熱心かもしれないし放任主義(ネグレクトではない)かもしれない。
田舎かもしれないし、地方都市かもしれないし、都心郊外かもしれない。極端なDVはないが多少はたたいたりはするかもしれない。そんな感じ
上流階級の親(男女)
政治家、権力者、大手~中堅企業の社長または重役、医者・弁護士など社会ステータスが高い職業など
ネグレクトの可能性が高め、知能が低い、性格に難がある、家事育児能力に劣るなど、育児や生活に明確なマイナス面が一つ以上ある。
選べるガチャ台
A:99.98%で平均的な親が選ばれる。0.01%で上流階級の親が選ばれる。0.01%で毒親が選ばれる。
B:20%で上流階級の親が選ばれる。80%で毒親が選ばれる。
C:5%で上流階級の親が選ばれる。45%で平均的な親が選ばれる。50%で毒親が選ばれる。
D:完全ランダム
人口比で選ばれるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まさに神のみぞ知るガチャ。前世の徳や罪で確率が変動するか固定なのかなど
すべてがわからない。
家事の裏技系でこれほど役に立ったものはなかった。けど、役に立ったのはフライパンのコーティングがはげていたからであって、新しいものに変えて以来全く不要になった。
姑から酷い扱いを受けていて、それに対してかなり精神的に参ってしまってたんだけど
夫は私のことが誰よりも、母親よりも大切だって言う。でも、姑からの暴言を受ける私をみても困った顔をするだけ。
辛くなって泣いて、どうして怒ってくれなかったのって言ったら逆ギレしてそのまま寝ちゃった。
生活費ももう2年入れてもらえてない。家事も掃除もしてくれない。
それでも妻が大好きで大切なんだって。
それじゃ説得力がないから、気持ちだけ口にされても信用できないよって言ったら「気持ちがわからないなら出て行く」って。
だってわからないよ。愛してるなら生活費入れてよ。愛してるなら姑のこと怒って止めてよ。
「僕の気持ちがわからないならもういい」って、そんなのわかるわけないじゃん。せめて説明してよ。
もうあとなにを頑張ればいいのかなんにもわかんなくなっちゃった。
バリキャリ女と結婚して、家事子育て分担して、仕事の愚痴聞いてやって、ダブルローンでタワマン買って、離婚して全部持ってかれて、まで見える
ご主人様にご奉仕するのが喜びって男を探してくれ
産後は一月休めって言われるくらい休まないと後で体にガタがくるって言うし
親戚の集まりがあると女であれば中高生でも配膳を手伝わせられる文化
どちらに転んでもクソな文化だ
私が高校生までは年に1回、飛行機の距離にある父方の本家へ行っていた。
集まりには、車の距離から私達のように遠方に住んでいる10家族ほどと、多分血縁の遠い親戚が年によって顔を出したり出さなかったりな感じで集まっていた。
成人男性だけでも最低でも10人、でかくなった息子や息子夫婦を連れてきたりもするので多い時は20くらいいたと思う。
嫁と女の子たちはもちろん台所に籠って一日中料理を作り、運ぶのが仕事だった。
そうすると中学〜大学生の娘に、家事なんてお母さんたちに任せてこっち来てお酌しながら飯を食えと男衆から声がかかる。
しかし大学生くらいの娘がいる叔母さんは配膳を手伝いなさい!あんなところに行くな!と厳しく言ってくるのだ。
もちろん小中学生の私もなぜ同い年くらいの男の子は座ってご飯食べれて、私は料理を運ぶだけ、余った酒のつまみを台所の隅で食べなきゃいけないのかと言う不満もあったし、私の母も嫁の立場で、こう言った親戚付き合いの経験がなかったので配膳を手伝わせるのは可哀想と思い一緒にご飯食べてきなさいといってくれるので、私は喜んでお酌しに行った。
お酌しに行くと毎年、生理は来たのか、彼氏はいるのかという質問をされた。はじめてお酌しに行ったのは小学3年生くらいでその質問をされる意味も様々な質問の意味もあまり理解できなかったのだ、酒のつまみの話題としてのセクハラだった。中学生になり体も成長するとお触りも増えてきた。この頃になるともう気持ち悪さが理解できるのでお酌はしに行かなくなった。また、高校生や大学生のお兄さんは来るのに、仲良かったお姉さん達が来なくなる理由も分かった。毎年母と私に台所仕事してなさいと年長の叔母さん達が私と母を諌めてた理由がわかった。私と母に無理やりにでも台所仕事をさせて叔母さん達がお酌しに行く事もあり、自分ばかり楽しいことをしてずるいと思う事もあったが、ああいうセクハラから守る為だったというのも今なら理解できる。
高校生の頃本家当主が亡くなり葬式に参列したのが本家に顔を出した最後である。
その日の宴会の時当主の伴侶(おおばぁと呼んでいた)に呼ばれ、本家により近い家に30代独身の男性がいるので夜の相手をしろと言われた。
勿論意味はわかっていたが、ここまでさせるのか!?と怒り?悲しみ?かは分からないが配膳をしようとしなかろうとどう転んでもよく扱われない文化やそれを良しとする文化全てが嫌になり、何も分からない振りをして宴会の席に行き、おおばぁに〇さんの夜の相手をしろって言われたけどどういう意味?と大声で聞いてやった。
その日は一晩本家側の女性達に蔵に閉じ込められ、次の日には葬式の一貫でやることがまだあったが、家族共々帰らせられた。
その時以降は両親も出向いてないそうなので所謂村八分?親戚八分?になったのだろう。
本家に集まった時によく遊んでくれたお兄さんに今高校生の娘がいて、あの時の事を思い出して連絡をくれた。
本家には家族で行くことは避けていたが、家族で顔を出せと言われたらしい。
ちょうど私が問題発言をした時と同じくらいの年齢だから何も無かったとしてもバックれると言っていた。
もう当時の半分にも満たないほど集まる親戚も少なくなり、高齢化し賑やかではなくなったそうだ。
このまま滅びて欲しいし、うち以外でも似たような文化は残ってるところもある。
須らくクソなので全て亡びて欲しい。
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
正直言って今の生活はキャパオーバーである。職場ではやりとりする人はどういう人で、今どういう状況でどんな情報やコミュニケーションを求めてるか考えないとならない。家に帰ったら帰ったで配偶者はどんな状況で何に困ってて、どんな家事をやらないとならないか考えないとならない。それらを考えるだけでも疲れるのに、目の前のことばかりやってて大局的に良い方向に進んでいるのか、キャリアに懸念はないか、子供は作るか、家はどうするか、老後の資金はどのように貯めるか、投資の調子はどうか、考えて決めないとならない。
でもどれもこれも、考えないで済むかというとそんなことはないだろう。コミュニケーションを疎かにすると査定や人間関係に悪影響がある懸念があるし、自分の人生なので人生設計も重要だ。納得して決めないとならない。
思春期の頃にいつのまにか獲得していた「思考力」の全容量をやりくりしつつアラサーまでやってきたが、そろそろその容量を増やしていくようにしないと人生ままならなくなりそうな気がしている。
嫌なことがあったわけではないが、死にたい、という漠然とした悩みがあった。
正確な時間は覚えていないが、夜にその気持ちがピークに達して、死にたい気持ちが頭を支配した。
本当に死んでしまったら大切な家族に迷惑がかかるから、死ぬ前に誰かに相談して、思いとどまろうと思った。
死んだ後もお金がかかってしまうから、というのもあるし、私と違って私の家族はいい人なので、家族の力不足のせいで私が死んだとか思われるのは嫌だった。
私は、自分の内側の大切なところを声に出して話そうとすると喉が詰まってなにも言えなくなる。電話相談しても、きっとなにも話せないだろう。無言の時間が続いて、結局何も話せず切ってしまったら、相談を受けようとしてくれた人や、私が話していたせいで話せなかった私よりももっとつらい人に申し訳ない。だから、文章で相談できる場所を探した。
まず、前から入れていたオンラインカウンセリングのアプリを開いた。オンラインカウンセリングは、どこも料金が高い。仕事をしておらず、親に面倒を見てもらっている私にとっては、すごく高い。こんなものなのだろうけど、3回のやりとりで数千円とか、何回もやりとりするなら月に二万円近く払うとかは、私にとっては高かった。このお金を払うとしたら親だ。親に迷惑をかけたくないから他の誰かに相談して解決したいのに、それをするために親に迷惑をかけていたら本末転倒だと思った。借金して未来にお金を返すとしても、中学のころから週五日、あるいはそれ以下の日数で学校に通ったりバイトしたりしようとしてはすぐに通えなくなって引きこもっているこんな私に、それができる保証はない。カウンセリングが成功して踏みとどまれるかもわからない。
だから、お金を払ってカウンセラーに相談するのは一旦諦めて、無料だった、AIを使って自己分析する機能を使った。相手が人間でなくても、気持ちを吐き出したら冷静になれるかもしれないと思った。スマホ代を払わせるのも申し訳ないと思いつつ、機能を使わせてもらったが、あまり落ち着けなかった。私の問題を解決するにはおそらくこのAIでは力不足なんだろうと思った。
厚労省のサイトから、並行して無料相談できるサービスにメッセージを送った。三か所。「込み合っていて返信に時間がかかる」と返ってきて、30分経って、一日たった今も返信はない。
25:30になって、死にたさは膨れるばかりで、声が出なかったとしても、電話相談するしかないか、と思って、24電話相談する場所に二か所電話をかけたが、どちらもつながらなかった。
なんだかテンションが高くなってきていた。そもそも大して不幸な出来事があったわけではないし、いつも頑張って仕事やら勉強やら家事やらをしている優しい両親やきょうだいを持っているという幸福な現状で、働けもしないのになんとか実家の一室で生かしていただいているくせに、死んでしまいたいとか思っている自分勝手な私に、他人の手を煩わせる価値はないと言われてるみたいに感じて、そりゃそうだ!と愉快になった。
でも、やっぱりつらいものはつらいな、とも思った。
もし、私が自殺したら、過去、困った顔で「みんな大変なのは同じなんだから」って言ってきた人に、その「みんな」の中でも、もう一歩つらかったというか、死ぬくらいにはつらかったんだよって、信じてもらえかな、信じてもらいたいな、という気持ちが強くなった。愉快で元気な気持ちのまま、裸足を靴に突っ込んで死ぬために家を出てみた。
どこかで踏みとどまらなきゃ、という理性は残っていたし、まだ返信が来る可能性もあったから、スマホだけは持っていった。充電は20%で、途中で切れたらいよいよ死んでみようかと思った。死ぬ方法についてはあんまり考えていなかった。考えたら本当に死ねてしまうので、考えないようにしていた。
夜風が冷たくて寒くて、空は曇っていて星が見えなかった。とりあえず、まっすぐ、行けるところまで、引き返す気が起きるところまで進もうと思った。
家のすぐそばの坂をずっと下っていけば、踏切がある。ここで立ち止まって轢かれてみたいな、いやいや、どれだけお金と迷惑がかかる思ってるんだ、こまでイカれてはいない、なんてやりとりを自分の頭の中でしながら通り過ぎた。終電は終わっているから、電車が来るわけない、ということに気づいたのは、引き返し始める少し前くらいだった。24時間電車が走っていたら、自殺者はもっと多かったかもしれないなと思った。
踏切をすぎて、ずっと進むと工場地帯にさしかかった。煙突から煙がもくもく出ていて、まだ働いている人がいるのかしら、働いているなら、本当に尊敬するな、と思った。働いているすべての人がうらやましくて、ヒーローみたいに見えた。
T字路になって、ずっとまっすぐ、ができなくなったので、とりあえず左に曲がった。クラピカを思い出した。次の十字路は右に曲がった。また左に曲がったら、家の方に戻ってしまうからだ。
左、右、と交互に曲がりながら進んでいたら、川にたどり着いた。広い河川敷に降りてみた。下流に進むと人が多い場所についてしまうな、と思って、左の、上流のほうに進んだ。
川を歩くころには、今引き返したら、家族が起きる前に家にたどり着いて、家を出た事実をなかったことにできるな、とか思うようになっていた。引き返した方がいいのはわかっていたけど、進んだ距離が自分の辛さの証明になる気がして、歩けるまで歩いてみようと歩き続けた。
筋肉痛と靴擦れで足が痛くなって、河川敷から上がってベンチに座った。
そのころには、もう帰ろう、という気持ちになっていた。もし自分が外にいる間に家の人が起きてしまったら心配をかけてしまう。そのときもし私が死んでいたらすごく悲しくなるだろうし、周りの人に何を言われるかわからない。死んでいなかったとしても、家を出たことを知ったら迎えにこようとしてくれるだろう。どう転んでも申し訳ないから、もう帰って、家を出たことすらも最初からなかったことにしてしまおう。
ようやくスマホを開いて時間を見たけど、一時間くらいしか経っていなかった。歩いた距離も、直線にすれば、最寄駅の次の次、二駅先まで来た、くらいの距離だ。
自分の辛さなんて、二駅歩いたら小さくなる程度なんだ、本当に大したことないな、と少し面白く、少し残念に思った。自殺を試みる人にはきっと到底かなわない。
ところで、「みんな辛いんだから、比べるものじゃない」と言葉は、比べるな、と言いながら目の前の人とみんなを比べているよな、ということは、行く道で何度か考えたことだ。
その日はほとんどなにも食べていなかったから、お腹がすいていた。駅の近くに行って、コンビニにでも寄って、なにか食べて、線路に沿って帰ろうと思った。
24時間のコンビニには、年配の男性店員と、若い男性店員がいて、客も順番に数人入ってきていた。店員さんはもちろん、この時間にコンビニに買い物に来ている人も、みんな偉いな、と思った。
商品を選んでるとき、年配の店員さんが、レジでうとうとしていて、深夜3:00になっていたし、そりゃ眠いよな、体大事にしてほしいな、と思った。
甘いものでも食べようかと思ったが、なんとなく贅沢してはいけない気がして、焼きそばとおにぎりが入った250円くらいの弁当と、爽健美茶を買った。お金は、申し訳ないことにもらっていたお小遣いと、かつて一瞬バイトしていたときのお金を貯めた銀行口座のものを使った。2万円くらいしか入っていないので、カウンセリングを満足いくまで続けるにはちょっと足りないけど、コンビニで安い弁当を買うくらいなら十分だ。スマホのバーコード決済をしてから、レジ袋が必要だと言い忘れていたことに気づいて、もう一度5円のレジ袋を買うためにバーコードを当ててもらって、申し訳なかった。嫌そうな顔をされなかったのは、店員さんが私に興味がないからか、私が泣き続けていて顔を腫れさせていたからかどっちかな、とか自意識過剰なことを思った。
駅のベンチで冷たい弁当を食べた。ヤマザキパンのトラックがコンビニの前に止まって商品をおろしていた。働いているすべての人に敬意を感じているので、やはり尊敬した。
コシの片鱗もないぷつぷつ切れる焼きそばと、鮭フレークと青菜のおにぎりと、ケチャップがかかったコロッケ。どれも誰かが作ってくださっているもので、とても美味しかった。寒い外で冷たい弁当を食べたので寒かった。
爽健美茶をちょっと飲んで、ゴミを持って、線路に沿って帰った。
帰り着いたのは午前四時すぎだった。Twitter(今はX)を開いたら、偶然起きている人がいて、私の数時間前のツイートにエアリプしていたので、エアリプで一時間くらい元気に会話した。創作で繋がった人だ。創作と、好きな漫画の話をした。漫画は、タイトルを挙げようかと思ったけど、こんな人間が推しているのが申し訳ないので伏せる。(さっきクラピカの名前を出してしまったけど、そっちはミームだからいいとする。)きっと相手はついさっきまで会話している相手が死ぬために家を飛び出していたとかは思いもしないだろうな、と思った。インターネットの、そういうところが好きだ。
5:00くらいにその人が寝たので、靴擦れで血が出ていたが放置して寝た。
13:30くらいに起きて、親と会ったけど、深夜に家を出た話はできなかった。
Twitterのおすすめ欄に、はてな匿名ダイアリーが流れてきた。なんとなく調べてみて、匿名で日記が描ける場所なのだと知った。