はてなキーワード: 医学とは
まず、しばらくここに投稿することができなくなったことを心よりお詫びさせて頂きたい。
私の身に何か起こったのではないかと心配してくださる方もいたであろう。現在、何事もなく生活できている。
ここでの注意喚起がストックホルム貴族の息のかかった遠縁の血縁者の目につき、工作員たちから逃れるために各地を転々としていたのである。その後実家や土地の整理などに追われており、はてな匿名ダイアリーにアクセスすることすらできなかった。
工作員の1人が私の主張に理解を示しており、彼から誘われとある過疎地域のワクチン接種会場で出動医としての勤務に就いた。もちろん、私にストックホルム貴族による虐殺計画に加担するつもりはなく、接種会場に訪れた方々に注意喚起を行うつもりであった。
過疎地域と侮っていたが、出動医、看護師、自治体職員までストックホルム貴族の影響下に置かれており、結局私は目的を果たすことのできないまま退去させられたのである。
そこから印旛郡の某自治体に戻り、そこに新しい生活の拠点を確保し、インターネット環境を整えようやく今に至るのである。
ここで再び自己紹介をさせて頂きたい。
父は教師をしながら祖父と共に清酒用の米を作り、休日には空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。母は音楽教師であり、米農家に嫁ぎながら遂に一度も田んぼに足を踏み入れないまま生涯を終えた気位の高い女性であった。
何事も起きない小さな町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後、叔父宅での居候期間を経た後に神戸大学医学部医学科に入学。学部教育を終え大学院医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。さらに帰郷後にはサナトリウムにて亥鼻の工作員たちから拘束される屈辱を受けた。
>>判例(最判昭和28年11月20日 刑集7巻11号2249頁)は、「医業」とは、反復継続する意思をもって(=業として)、医行為をなすことと判断する。<<
>>「医療行為」とは、「当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(医行為)」<<
匿名につき、反復継続する意思なし、糖質っぽいと発言しただけで断言はしておらず人体に危害を及ぼす恐れはない(実際に治療する際には医師免許を有する医療従事者にかかると判断されるため)
緩和ケアの発達により、末期がん患者の痛みやせん妄を抑えることはもちろん食欲や体重、すなわち体力まである程度のコントロールが可能になった。
岩崎弥太郎が末期胃がんの痛みや苦しみにのたうち回って亡くなってから138年、大きな医学の進歩であり、末期がん患者でありながら「最後に山に登りたい」「最後に旅行に行きたい」「自宅で家族と過ごしたい」など、QOLを維持しながら最後の時間を過ごせるようになった。
ただ、喜ばしいことばかりではない。
末期がん患者のご遺族などによる医療訴訟が増えているのである。医療訴訟とまではいかなくとも医師の説明に納得しないご遺族は多い。
治療をやめて緩和ケアのみに移ると、抗がん剤の副反応も抜け、薬によって痛みやせん妄もなく、食欲が低下していないことから患者さんや家族は「まるで治ったみたい」「もしかしてこのままよくなるのでは」と考えてしまうのである。
しかし、その間にも癌は進行を続けておりモータルな状況に達すると突然意識不明となりそのまま亡くなるのである。ここ最近のがん患者の意識急変→永眠までのスピードは最後まで積極的な治療を行う小児患者や若年患者を除くと恐ろしくあっという間である。
全国の医学科生が4年生ないし5年生から、病棟での臨床実習を行うには、その前に行われるCBT・OSCEという試験に合格する必要があります。
薬学部や獣医学部などでも行われますし、その他でもご存知の方もおられるでしょうか。歯学部に関しては、医学部と同じ機構(医療系大学間共用試験実施評価機構 ・CATOとも)が運営して、医学部と同様に行われますね。
この医学部のCBT・OSCEにおいて、受験料の扱いが根拠希薄かつ不当なのです。CBT・OSCEと言うと長いので、以下共用試験と略します。
まず、受験料について説明すると、2023年度から医学科の共用試験が公的化されたことにともない、従来の¥25000から¥33000へと値上げされました。内容は不透明ですが、厳正な実施のためには必要な値上げだと思われます。CBTとOSCEで合わせて¥33000です。
そして1度目の試験で残念ながら不合格だった学生には再試験の機会が与えられます。CBTとOSCEは異なる能力を測る試験ですから、別々に合否が出ます。遅れながらここで説明すると、CBTでは「知識」が、OSCEでは「態度」「技能」が問われます。前者は筆記試験、後者は実技試験と捉えてもらって問題ありません。
ここで、CBTのみ再試験を受ける場合、OSCEのみ再試験を受ける場合にも、両者は合わせて一つの試験ですから という、漠然とした根拠によって¥33000全てが徴収されます。(https://www.cato.or.jp/cms/file.php?kubun=notice&id=3)
本試験:¥24000
https://www.phcat.or.jp/exam/faq/
「合わせて一つの試験」だから、という理由で、全ての試験料を徴収することに合理性がないのは明らかです。
たった数万で?と思うかもしれません。しかし、厚生労働省の資料の通り、医学生は「学外での貴重な自学・自習時間が、アルバイ トなどに浪費され」ないように勉学に励む必要があり、普段から非常に苦しい思いをしています。
https://www.mhlw.go.jp/content/10803000/000932162.pdf
薬学部の共用試験と同様な柔軟な対応を、医学系・歯学系共用試験にも強く望みます。
学生から「CBTが好成績ならOSCEが僅かに基準点に達しない程度の成績でも、合わせて一つの試験なのだから合格にしてくだざい」と言われて、否定できるのでしょうか?
これは私の考えですが、そもそもCBTとOSCEは完全に別々の試験で、2つとも合格しないと臨床実習生の資格が得られない、という基準のみが一つの試験ではないでしょうか?合わせて一つの試験、という主張自体に些か無理があるように思われます。
精神科医2人が勝手に当事者の性自認を否定することが許されるんだろうか
専門家と当事者の意見が割れたら、当事者を優先する社会であってほしい
同性愛だって精神科医から精神疾患扱いされてきた長い歴史があって、当事者の訴えでようやく病気リストからの削除を勝ち取ったんだよ
私はしがない看護師なんだが夜勤中色々資料を見てたんだわ。そしたら案の定うちの病院も昨年は巨額の黒字だったわ。私はコロナ病棟ではないからそんなに頑張っているわけではなかったけどそれなりには頑張ったと思う。
巨額の黒字にもかかわらずまぁ人材には投資しないんだわこれが。コロナを受けてくれた病棟の人たちに一日業務にあたったら数千円の手当のみ。
なのによ。それなのによ。こんなに儲けたのに5類に落ちたらすぐに大赤字になってんだからわらっちまう。
大赤字になったら焦りに焦りまくってよ。それで何を思ったか色々機材をかったり病院綺麗にするってんだ。まぁ病院ってのはさ大きい団体になればなるほど上層は飾りみたいなもんでよ。医師に医学はわかっても経営はできねーんだわ。だからよー。大赤字になったら無理な投資したり変に病院を綺麗にしだす。
とにかく大きなお金使って投資すりゃーいいと思っちまうんだな。削れるところを削らず内部留保にまで手をつけて地方にはそぐわない大きな投資する。
そんな投資したってそもそもどこの地方も人口減で患者となるはずの人間がいねーんだわ。じじばばだって命永遠じゃねーからな。毎年ガンガン亡くなっていっているからさ。
まぁどうせこの投資も失敗におわるだろーな。じゃあよ?どうしたらいいよって話なわけだわ。そしたら次は地方に負担を強いるんだわ。俺たち赤字だからもっと補助金よこせ!さもなくば閉院だ!いいのか?!こまるのはここの地域に住む人だぞ!ってな。
コロナ以前から本来潰れるべきだった病院がとんでもねー額の補助金もらっちまったから無駄に延命しちまったんだな。
まぁ医療業界は泥舟になっちまったわ。新しく看護師なる人は地方の病院なんかいっちゃだめだぞ。いくなら都会だ。まぁ都会も都会で土地借りてやってる場合あるからでけー病院でも実は経営がかなりきびしーってことあるけどよ。
みんなどうしてんの?
鬱病で病院にかかってたんだけど、毎月病院に行くのが辛すぎて通うの辞めてしまった。
ただでさえ休日は一日中布団の中で死んでるのに、外に出るの荷が重すぎるって。
毎月、病院行く前になると、早く有給休暇申請しなきゃって考えながら仕事すんの辛すぎるんだって。
メンタル死んでるのに更に加えてストレスかけられるのなんなの?罰ゲーム?
薬飲むと楽になるのは嫌ほどわかってるけど、そこに至るまでの苦痛が重過ぎる。しかも毎月なんだよそれが。
いや毎月苦しみながら病院行くの無理なんだけど。そりゃみんな酒とかエセ医学とか簡単に手に入れられる救いに逃げるよなって感じ。
だからみんな簡単に病院行けって言って解決した気になんないで欲しい。病院はダメ人間にはタスクとして重過ぎる。もっと簡単なものにしてくれ。頼むから。
んで、「医師じゃない」と名乗ったうえで、医学的アドバイスをするのはどうかという問題ですが、これは実はNGです。
・少なくとも医学的に正しいと分かっていることだけを伝える
・アドバイスはせず、とりあえず病名だけでも伝える
法的には、これら全部駄目です。
ですので、知恵袋では「正しいかどうかの確認を、質問者本人が自分で必ずやってください」という免責事項をつけています。
「回答者のいうことが間違ってても知らないよ」ってわけですね。
逆に言えば?サイト側で免責事項をつけてなくても投稿者が書く書き込みの内部で「信憑性は保証しない」と一言書いてれば、病名とかアドバイスとか書いても合法になるってことか?なんかそれおかしくね?
医療的なことを言うからにはそもそも信憑性を保証しないこと自体許されない、保証できないなら言ってはならない、保証しないと断っても医療的なことを医師じゃない人が書けばアウトってなってそうなもんだが…まともな法体系ならどう規制するだろうかと推測するとさ
私は医療経済・医療政策系の大学院を修了して地方病院の部長職をしている医師です。
医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティでエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。
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そもそも、社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモードな人生をノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後に国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料で医療を享受できるようになっていった。
全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我や事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療を必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。
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1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。
増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策で受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国の比較によれば、日本は単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知と神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。
日本は世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベースの医療制度を改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。
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その一例として、過剰な医療サービスを提供している、と感じることはしばしばある。
例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10日入院して、いざ退院、となったが家族の仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らしで医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県の後期高齢者広域連合から病院に支払われる。
病院経営の立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分の給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会的入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。
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増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。
詳細の説明は省くが本来は新規薬剤・治療の費用対効果を検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというものだ
その閾値は1年間、健康な生活を維持するのに500万円程度とされる。透析の治療費がだいたいこれくらいだ。
増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設も施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。
結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者の医学的な状況、患者の希望、周囲の人の思いや地域の社会資源、QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的な意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院や診療所、訪問看護ステーションなどの施設の管理者は自分の経営方針が持続可能な医療制度と矛盾しないか、地域のニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職は無能だ。
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つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全の患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者は国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。
苦しくなっても病院に入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。
繰り返しになるが、これからの医療は必要な医療を、その人の価値観や意志を尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。
社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。