はてなキーワード: プゲラとは
今までアニメとパソコンに湯水の如くお金をつぎこんできたオタクだけど、
クリスマスも近くなってきたし、ふとこのままでいいのかなって思いが煮え立ってきて、出会い系に登録してみることにした。
業者やサクラに貢がされるとか、いわゆる「釣り」で、実際に会いに行ったら男どもが待っていてプゲラされたりとか。
でも、どうせこのまま生きていても女性と恋愛する機会なんてないだろうし、なんかモテない人生に嫌になって死のうかなって思ってたところだったので、
どうせ死ぬなら出会い系で死ぬ気で頑張ってみて、それでも駄目なら死ねばいっかって思った。
いやまあ本気で死ぬつもりはないし、死ぬのは怖いし、どうせなら本気で不老不死の技術が生きている間にできてほしいと願っているくらいだけど、
どうせ駄目なら死ねばいいって考えると精神的に楽になるじゃん。そんな感じ。
ステマが目的じゃないので、どの出会い系に登録したとかは書かないけど。
とりあえず登録して、何人かにメッセージを送った。でも全然返信は来なくて、やっぱり自分はモテないんだなって思った。
正直言って、自分は不細工だ。それは自分の27年間の人生が証明している。
高校生の時、かわいい子(A子とする)が自分に休み時間に話しかけてくれたんだけど、別の女の子(B子とする)が来て、
「A子さ、そんなのと話してて楽しい?笑」みたいな感じで馬鹿にされたりしたこともあったよ。
B子は「いやーなんで?別に話しててもいいじゃん」ってフォローしてくれたのが、また優しいなぁって思ったりして。
B子はギャル感のある子で、身長も172ぐらいあって、明るい性格でクラスの人気者で、
とても自分の手が届く子ではなかった。
B子は珍しくカースト意識がない子だったから自分にも話しかけてくれただけで、B子には普通に彼氏がクラス内にいた。
まともに女の子と話した経験はB子を除くと事務会話以外はほぼゼロに等しい。
ああいうので不細工な部分は隠して結構盛った写真を作って、載せたわけよ。
それでいざ準備も整ったし、女の子たちにメッセージをしてみた。でも、返信がない。
一応、数人だけメールが返ってきたけど、まるで自分に興味がないような感じで、そのあとのメールは一日も続かなかった。
これって、思っている以上に精神的にダメージ大きいよ。プロフィールと写真を見て、男としての価値がないって突きつけられているようなもんだから。
その時の感情は絶望というに等しく、行き場のない怒りと恨みが自分の中にふつふつと沸き上がった。
ああ、やっぱり出会い系でもうまくいきそうにないな、やっぱり出会い系なんかやめて死のうかなって考えていた矢先、
こんなに無視されている自分でも、興味を持ってくれる人がいるんだって、ものすごく気分が舞い上がった。
しかも、その子の写真がとてもかわいくて、自分が今まで見てきたどんな知り合いやアイドルや声優よりも、自分にとってタイプの顔だった。
運命だと思った。
返信を考えているうちに、3時間ぐらい経ってしまったが、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、平静を装った文章をなんとか作り上げ、最初の返信を送った。
自分とC子はお互いに社会人というのもあり、メールのペースはかなり遅い。2日置きぐらいのこともあった。
それでも一通一通のメールがとても楽しくて、ああ、生きていてよかったなって思った。
数日メールでのやりとりをした。ある程度して、LINEを交換した。
お互い、LINEには顔写真を載せていたので、それがお互いにとって出会い系に載せている以外の写真を見るきっかけとなった。
C子は、LINEの写真も出会い系の写真とあまり変わらず、かわいかった。
一方、自分はと言えば、出会い系に載せたものと比べて、かなり不細工だ。
出会い系に載せた写真を見て興味を持ってくれて、LINEの写真を見て、「なんだ、詐欺写真だったのか」って思われてしまうのが一番怖かったのだが、
不幸にもその予感は的中してしまったようだ。
LINEを交換したあと、C子からの返信ペースはかなり遅くなった。
返信の文章も、かなりそっけなくなった。
今も、来ない返信を、神に祈るような気持ちで待ち続けている。
せっかくの日曜日だってのに、朝からC子のことばっかり考えて、何もかも手につかない。
これまた悪い予感なのだが、もう返信は来ないような気がしている。
出会い系に手を出すまでは、モテないことはつらいけど、趣味や仕事は充実しているし、まあいっかぐらいの気持ちだった。
でもC子とメールを始めてから、C子のことで頭がいっぱいになって、返信が来ないことに落ち込んで、C子に好きになてもらえない自分の不細工さを恨んで、
とにかく頭の中にごちゃまぜの感情がこれでもかというぐらい押し寄せてきて、精神的に相当きつい。
これはどんな感情なのかと、お得意のインターネットで調べてみると、これは「恋煩い」というもので、「恋の病」とも呼ばれるものにかなり近いと思った。
普通は恋煩いなんて、中学生か遅くても高校生ぐらいで卒業しているものなのだろうが、いかんせん自分にはそれを発症する機会なんてなかった。
そのため、恋愛で病むなんて信じられなかったし、そんな奴はどれだけ豆腐メンタルなんだよって思っていた。
C子とメールをしていた時の気分の舞い上がり方も、今の落ち込み方も、C子を思ってドキドキする気持ちも全て人生で初めてで、自分の中で処理できる感情を大幅に超えている。
クラスの女の子や、アイドルを見て、かわいいな、付き合いたいなって本気で思ったことは何回もあったけど、そういうのとは全然違う。
返信が来ないなら、もう一回送ってみるとか、もういっそ無理やり会う約束をこぎつけて、会ってもらって判断してもらうとか、いくらでも方法はあるだろうが、
ああ、なんで自分はこんなに不細工なんだろう。勇気がないんだろう。自分は駄目な奴だ。
顔が微妙でも、もっと上手な返信でC子を楽しませられていれば、LINE交換後も変わらない関係でいたのかもしれないが、
女の子と文章でやり取りした経験なんてほとんどないし、Google先生に聞いてもC子を楽しませるピンポイントな方法なんて、当たり前だが出てこない。
あとから「いや、完全に間違えた。ここはこう返すべきだったのではないか・・・」「この間違いでC子につまらないって思われちゃったらもう返信来ないんじゃないかな・・・」と自分のミスを責める気持ちが湧いてきてしまって、それもつらかった。
とにかくこんなことは知り合いにも相談できないし、でもどこかで吐き出さないとこの感情に自分が押しつぶされると思った。
ふと、はてな匿名ダイアリーがあったなぁ、って思い出して、今これを書いてみた。
完全に思いつくままに書き殴っているので、言葉遣いが稚拙だったり、時系列や文章としての流れに矛盾があるだろうが、
それでも書いていて、随分と気が楽になった。
いい年の男が、こんな女々しいことを書いてて、自分でも情けねえなって思う。
C子との恋が実らなかったら、もうこの出会い系サイトは辞めて、オタク趣味と仕事の日々に戻ろうと思っている。
そのぐらい、今はC子しか見えなくて、C子以外の女の子には興味が向かない。
出会い系サイトを始めるまではこんな気持ちは全く感じたことがなかったのだから、前の生活に戻れば、
そのうちC子のことなんか忘れて、恋愛なんてしなくてもいいって思えてた日々に帰っていけるんだろう。
早くそうなればいいのに。
https://moneyforward.com/engineers_blog/2016/07/07/ruby-core-201606/
[#11741] Migrate Ruby to Git from Subversion
またこれか。
いつも「なぜRubyはGitに移行しないんですか」とかいうスレッドが立つんですけど、結論としては簡単で、移行するモチベーションがある人がいない。外野でガヤガヤ言うだけの人がどんなにたくさんいても無意味で、きちんと結果にコミットしていく係になるだけの気概のある人が必要で、そういう人が出てこない限りは何も変わらないと思います。
ひとしきりゲラゲラ笑ったあとゾッとするよね。生産性の低い方法をとりつづけることを変えようとしない、コミッタ陣のその老害っぷりに。
「SVNからGitに移行する」というのはそれ自体は開発手法の変化において本質的とは思わない。重要なのは、パッチをGitHubのpull-requestやGitLabのmerge-requestのような、差分を見ながら細かく議論できるウェブインターフェイスを使って適用していくことだと思ってる。だからGitに移行したいというリクエストを「またこれか」「移行するモチベーションがある人がいない」で済ませるのは、そういうpull-requestベースの開発手法をよしととしていないってことでしょ。それでいいの?
別におれはRubyコミッタじゃないしパッチ送ったこともないし、Git移行の作業を手伝うつもりもないよ。だって関係ないもん。ただ、いちRailsユーザとしてこのRuby開発陣の老害化にはちょっと背筋が寒くなる。自分たちが老害化していることについて、もっと危機感をおぼえたほうがいいんじゃないのかな。
違うよ。端的にいうと先進世界の暮らしに定着した価値基準のままでは
もう男女は出会えないし子孫は残せないし育てられないし、
ようやく産んでも病は増えるし少子化とともに労働人口は急減するしで、
全体的に生きていかれないだろうとおもうっていう話。
なあ、
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65856412.html これよんだか。
今はまだ皿洗い出来て幸せです!!とか漁師がいい!!農業最高!!食えるなら兵士傭兵お手の物!!鉱山素敵!
っていう後進国がすこしだけのさばるけど
そっちも1ー2世代したら同じことだろーな。
マトリックスまでもたどり着けないと思う。
たぶんギリシャあたりが「完全に破綻ですありがとうございました」でプゲラされてるくせに
一番進んだ姿なのかな。
キリスト教どころか仏教でさえ女には解決を用意しようとしなかったしできなかったんだけど。
今から全員女になれ、育児してリッパな子を残す、親を見取るだけがお前の仕事だっていわれたらどうなるのかなーって。
女が多めに抱えてきた育児の苦しみ、子が苦しむのを見る苦しみ、親が豹変していくのを見守る苦しみ、
システムの奴隷になる苦しみって今までは単なる派生問題でしかなかったし、
まともにとりあってこなかったから、「しばらく耐えろ(そのうち楽に死ねる)」しか答えはなかったんだよね。
女の方が個性が殺せず、文化がないといきていけない存在だったんだが、
「女子供は文化なんておもちゃをほしがってしょうがねえな」って男からはあつかわれてた。
「男も文化なんておもちゃをほしがってしょうがねえな」ってコンピュータからあつかわれるようになる。
パチンコとかスマホのガチャ石、退会できないウェブサービスとかで何度も騒動が起こってるけどあれが全生活分野に広まる。
もうひとより少しでもよい生活のための努力なんていらないのに。
コンピューターになだめすかされたくないと思う人間はまた体力か生殖力しかいらなくなる。
もうコンピューターでマッチングしてもらわないと恋愛もできない。
おそらく先進国では同じ発達障害を持つモノ同士が婚姻をして分化を強めていくんだ。
中庸の人間なんて居なくなるのに精神科医は「発達障害を原因とした鬱病のためのSSRI」を売り続ける。
これからどうするのかね、
そのためにはホッテントリや人気の投稿に表示させ、多くの人に閲覧の機会を設けより露出する必要がある。そうでなければ、有象無象なライムラインに流され、すぐさま腐海の底へと沈んでしまうからだ。
人気の投稿への表示では最低でも2ブクマ必要だ。セルクマすればあとは酔狂な増田ブックマーカー達に委ねることになる。セルクマは自分で必要条件の半分を満たすことできるので非常に効果的であり実践すべきだろう。ん…? セルクマしなくても他のユーザーがつけてくれるって? クソ記事なんだよ言わせんな恥ずかしい///
ただ、セルクマは増田という匿名媒体にもかかわらず、身バレの危険が伴う諸刃の剣なのである。匿名で人気を集めたいがゆえに個人名を明かすというモラトリアム。。全くもって不毛である。セルクマした投稿を自分のものだとばれないようカモフラージュするためには、自身が増田ブックマーカー化して「いや俺っち常にいろんな増田チェケらしてるから!ぷりぷり!」と哀れなピエロになるしかない。
ここで注目したいことがある。セルクマスティーラーとも呼ぶべきか、自分の投稿でないのに「セルクマ!ぷりぷり!」とする頭がおかしい輩が一定数存在する。増田をセルクマ宣言してブックマークするという行為自体がすでに矛盾を抱えているのだが、まして他人の投稿にそれを行うという非常に歪んだ承認欲求の持ち主である。他人の投稿にただ乗りし、はてなスターを掻っ攫っていくハイエナのような存在だ。クソッ、やられた…! と思う。何故なら投稿に「ブコメのセルクマは僕じゃありません!STAP細胞はありまぁぁす!」なんて書こうものなら「ぷっwww だったら増田に書くなよプゲラwww」と一族の恥さらしとなってしまうからだ。
だが、ちょっと待ってほしい。このセルクマスティーラーの存在は、通常のセルクマのカモフラージュにもなり得るのではないか…? 常にセルクマ宣言してブクマすることにより、それがセルクマなのか、セルクマスティールなのか、他者には判断がつかなくなるのだ! わーい! やったねたえちゃん! これで哀れなピエロに成り下がることなく、安心してセルクマできる…!? わーい! うんうん! それもまたアイカツだね!
職場で育児があるから早目に帰りますなんて言ったら袋叩きだし、最初から育児優先で働いている主婦パートなんかもバカにされまくりだけど
仕事優先のバリキャリが育児は保育園と祖父母に丸投げですと言っても当然視&働いている立派な母親!これぞ女性の理想!扱い。
母親が働きたがる(本音の)理由として「働いていると育児の手抜きが許されるから」ってのも定番だ。
その辺の育児書に出て来るようなこんなの実現出来るかボケレベルな理想を、専業主婦がこんなの出来るかボケと言えば「働いてない癖に生意気だ」扱いだけど
「私働いているからこんな事出来ないわ」と言うのは許されるからね。
ってのはあくまで精神論で、昭和の社畜だって口じゃ「子供より大切なものなんて無い」とか言ってたもんだ。
でも「子供が大切かどうか」と「育児に価値があるか」は別問題。子供は大切でも育児そのものには価値が無いんだよ。
欧米だと子供への愛情をやたらと重要視しながら育児はシッターに丸投げしてたりする。日本もかつてはそうだった。
育児は世界共通で昔から下女の仕事なんだよ。母親自らやるのは下女を雇えない階層だけ。
教育レベルは高くて下女の仕事を自分がして当然と考えられる人も、客観的に見て下女くらいしか出来る仕事無いだろと言う人も少ないから
母親は「育児なんてやりたくない、もっと価値ある仕事がしたいし実際出来る能力もあるのに
育児を自分でやらなければならないから仕事が出来ない」不満が溜まるし
日本は有能な女性が活用されてないのを何とかしろと外圧かけられて、本音じゃ女は皆下女やってりゃいいんだよプゲラとしか考えてないであろう安倍首相が
女性の社会進出を進めるとか言わなければならなくなってるわけだ。
因みに育児じゃなくて「教育」となれば価値のある、むしろ「高度な仕事」扱いに化ける。
保育園の月謝が高すぎると文句たれる人が、私立校や塾にはそれ以上の金額を平気で出すのもそのせい。
日本史学専攻の私に言わせれば、旧かな遣いクラスタの文章表現はだいたいダメ。
単純に漢字を正字に改めたり、昔風の表現にしたり、「ゐ」とかを使っていれば昔の日本語表現になるかと言えばそうではない。
江戸~明治、大正、昭和戦前期と旧かな遣いも段々と変化しているし多分地域的な部分でも違いがある。
新聞の表現、小説の表現、その他公文書の表現など色々あるだろう。
他に中世公家の日記に特徴的な日本漢文とか、本当の漢文と似て非なる文章表現(だからこそ本当に日本的なのだが)とかもあるけど
これらの妙をどこまで感じとれているか。
旧かな遣いクラスタはここんところ全然ダメで、自分のバーチャルな過去への憧憬のみを担保として文章を書いている。
ほとんどの旧かな遣いクラスタがそうだ。いわば言語オナニーだ。
特定の時代の文章表現に通暁して、当意即妙にそれを21世紀の現代に活用できる人間は本当に一握りだ。
しっかり勉強して書かないと、それを少しでも勉強した人から見たら「変な文章書いてるなプゲラ」と思われてしまいますよ、という話だ。
家庭内とか狭いコミュニティのことを言い出せば、ママ友関係とか嫁姑の確執とか役に立たねー亭主とか色々要因はあるだろうけれど、もっと外からの話ね。
何はともあれ、これに尽きる。母親が日々育児をしても称賛されることはぜんぜんないが、一つでも粗相をすれば世間のおばちゃん(おっちゃん)からの非難の目に晒される。母親が育児するのは当然だと認識されてるから、ひたすら減点法で評価されるわけだ。逆に、父親はたまの休みに子供を連れ出すだけで「あら、立派なパパさんねニコニコ」という目で見てもらえるし、何か失敗しても「あらあら、パパさんじゃ仕方がないわねニコニコ」。今日び休日の公園なんてパパ率8割超えてるんだけど、それでも日本社会では父親が育児するのは当然だと認識されてないようで、父親の育児は加点法で評価してもらえる……これ人生イージーモードすぎる。
言い方は悪いけど、端的に言うとこんな感じ。育児してるとプレママ・プレパパ教室とか○歳検診とか何かと標記のような「専門家」の指導を仰ぐ機会があるわけだけど、彼らはどうも意識的にか無意識にか「母親の方が知的レベルが低い」と考えている節がある。母親が「先生は○○とおっしゃいますけど、こないだネットで××という情報を見たのですが」と言えば「あのね、おかーさんwww(“ネットで見た”とか情弱プゲラ)」という態度に出る医師も、相手が父親だと紳士的に何とか筋の通った説明をしようとしてくる。(※ちなみに医師はともかく保健師、栄養士、保育士あたりは医学論文はおろか○○医学会の公式サイトに載ってるような見解も知らずに仕事してる人をしばしば見かけるんだけど、ああいう人は何を根拠に「指導」してるんだろう。)
――何が言いたいかというと、単に作業量を見て「公平」に育児を分担したのでは、実際にはぜんぜん公平ではない可能性があるってことです。イクメンの人はそのへんのことも気にして下さいよ。そんじゃーね。