はてなキーワード: トップとは
https://anond.hatelabo.jp/20230415175017
文章が下手で色々すまんかったが。
俺が想定してたのは性暴力の場面(性行為するかしないかの密室の場面)ではなかった。
そういう場面に関しては、各自丁寧にやるのが当たり前だ。
そのうえでフェラチオのたとえはどちらかというと「性行為の場面とて例外ではない」って感じで書いてた。
全文を性交渉時の同意の話として読んだ人には俺の文章が下手で申し訳ない。
元増田で言いたかったのは「あなたがYESでも、わたしがNOなら(性)加害」ってフレーズがたぶん今後他のテーマでも使われるようになることへの危惧だった。
「NOが言えない」とか「YESと受け取ってしまう」っていくらでもある話だけど、それを加害被害って文脈に回収してぶった切るのが当然みたいなフレーズ、危ういだろっていうそれだけ。
俺の下手な文章でも受け取ってくれて伝わってるブコメにもあるとおり、切り捨ての方向に行きたくないんだけど・・・って話なんだよな。
あのフレーズを拡大解釈しながら真に受けて、更に被害者意識をこじらせて他責思考に陥る人は、どんどん孤立していってしまうだろうし。
それはみんなが意地悪だからじゃないよ、なんとかうまくやれないかなぁと思ってるけど、うかつに近づくと加害者にされるんじゃ勘弁してくれって人もたくさんいるだろ。
あのフレーズが「そうだそうだ」と持て囃されてしまったら、リスクをとって敬遠して距離を置く(友人関係を作らない、雇用しない等)が最適解になってしまうと思う。
それでいいのか?という話をしたかったんだが、俺の文章が下手なせいでうまく伝わらず、「それでいい」がトップブコメになってた。それでいいのか・・・。
これを書いても「要はこっちが我慢しろってか」とか「脅しか?」とか言われそうだけど。
そういう考えの人も過去に色々ひどい目にあってそういう風に考えてしまうのだろうけど、だからって他の人が完全無傷でいつも元気で相手に常に完璧な配慮ができる超人なわけではないからさ。
お互い歩み寄ってお互い努力してうまくやりたいよねって思うだけなんだけど、難しいのかなぁ。
俺を慰めてくれる増田も一部あったが、世の傾向を憂いてるだけで自分の職場に限って言えば、まぁうまくいってるしビクビクしてた新人が心を開いてくれるのも嬉しいので大丈夫です。
また先回りで書いておくと、「これは性暴力のポスターだって言ってるだろ、勝手に拡大解釈するな」に対しては「フレーズ・ミームだけ引用しての拡大解釈は、みんなこれから絶対するだろ、インターネット初心者の人?」と思う。
選挙という民主主義的な手段を否定して、暴力行為を肯定する左翼なんてもう日本にいらないでしょ。
左翼は包容力のある優しい人たちだと思っていたから前は支持していたけど、最近は男女間の憎悪を煽り立てるようなことをしたり、テロのような暴力行為を肯定したり、もういい加減にしてほしい。
今回の岸田首相へのテロでも、はてブでは「テロが起きるのは自業自得」とでも言うようなブコメがトップに来ていたりして驚いた。
順位 | 社名 | 本社所在都道府県 |
1 | トヨタ | 愛知県 |
2 | ソニーG | 東京都 |
3 | キーエンス | 大阪府 |
4 | NTT | 東京都 |
5 | 三菱UFJ | 東京都 |
6 | ファストリ | 山口県 |
7 | KDDI | 東京都 |
8 | 第一三共 | 東京都 |
9 | オリエンタルランド | 千葉県 |
10 | 信越化 | 東京都 |
順位 | 社名 | 本社所在都道府県 |
1 | トヨタ | 愛知県 |
2 | 三菱商 | 東京都 |
3 | ホンダ | 東京都 |
4 | 伊藤忠 | 東京都 |
5 | NTT | 東京都 |
6 | 三井物 | 東京都 |
7 | 日本郵政 | 東京都 |
8 | ENEOS | 東京都 |
9 | 日立 | 東京都 |
10 | ソニーG | 東京都 |
愛知最強!
岸田首相の演説会場付近で爆発音 岸田首相は演説の直前で無事 会場にいた男性が“爆発物”投げ込みか(日テレNEWS)
approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=h…
犯人は若い男性らしい。動機はわからないし許されることではないが、国のトップが国民を舐めているからこんな事件が起きるのでは。
和田秀子
@hideinu
で、その結果として西村博之総理とかも生まれるだろうという話。
全国統一選挙区はクリアでフットワーク軽いシステムだが、結局メディアの権力が突出することになる。
今の縁故や党内派閥力学とかのわけのわからない鈍重な仕組みがいいというわけではないが、鈍臭くすることでメディアの絶対権力化を掣肘する機能はある。完璧な選挙システムはないので今後もゴチャゴチャ塩梅するしかない。
※前書き
分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。
◾︎本文
(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)
なぜ贔屓が元贔屓になったのか?
っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?
贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。
最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。
この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。
元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンのピークは2番手時代~2作目あたりでした。
元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまり組ファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。
入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。
ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないかと憶測が飛び交ったり。
ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います。
今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。
平日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリーが死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。
その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。
2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。
追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンからの批判は凄かった。
本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。
発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。
紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。
幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。
お披露目初日もムラまで行って開演アナウンスやトップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。
お披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。
トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。
自分が好きで行っていた入出も途中から自分の意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。
観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。
大劇場と東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。
そして私は上演作品が嫌いだった。
トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。
「これが退団公演か……」
「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」
と思ったに違いない。
ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。
良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。
観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。
やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。
退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため
『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』
と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。
元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。
だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。
「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」
そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。
「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。
「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」
「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」
一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。
しかも無駄にファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。
会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。
「宝塚にいるの、辛かったのかな」
「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」
「仮初めでも演じてもいいから舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」
そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。
ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。
何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。
言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。
元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。
2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。
それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手やトップ初期の頃とは少し違っていた。
目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。
そう思った時に気づいてしまった。
結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分の理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。
退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。
それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。
周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。
あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。
観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。
結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。
もうそれは好きだから、ファンだからというよりもはや意地のようなものだった。
ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。
終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。
退団後しばらくは私はいつから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。
パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっと昔からな気がする。
それとももしかしたら最初から好きじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。
でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。
元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。
ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。
退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは
見たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。
私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋なファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。
この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。
その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。
正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。
(だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)
私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。
贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。
今、楽しくてしょうがない。
お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。
感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ。
お茶会でお話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。
文字びっしりの便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。
そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。
そうだ、元贔屓を応援していた時だ。
私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ちで応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。
そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。
元贔屓は確かに私の贔屓だった。
私は確かにあの人のことが好きだった。
誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。
長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。
「ずっと好きです」
元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。
それは嘘じゃないと思う。
開発能力を度外視した、営業成績人を選んでおいて、「トップが開発を理解していない」
思いやりができるかどうかでなく、顔で伴侶を選ばないでおいて、「夫/妻に思いやりが無い」
面白いかどうかで見る映画を選ばず、ジャンルで選んでおいて「最近の○○ジャンルはつまらない」
政治家を人格ではなく口で言ってる政策で選んでおいて、「政治家の人格が悪い」
それはそう、それはそうなるのよ当然。
腕や手首ではダメだけど足首につけると心地いい、って香水があるんだなあと、ここしばらくで思った
腕につけると瓜臭さがひどくて苦手なものだった
ルパルティシップパセも、手首につけると何かひどく人工的な消毒液とか洗浄剤みたいなにおいを感じてダメだった
が、足首につけると焦がしカラメルの匂いがふわっとしていい感じだったり
最初に言っておくが、彼の告発はものすごい価値のあることで、ジャニー喜多川の性犯罪は今からでもしっかり検証しておくべきことなのであって、大手メディアの報道姿勢にも風穴を開けたその功績は極めて大きいと思っている。
で、それはそれとして、この人なかなかしたたかだよなぁという話。
あの会見の映像を見たとき、ちょっとした違和感のようなものはあったのである。
それは服装。
ブラックタイでばっちりキメたキラキラしたタキシード姿と、会見の内容が、なんだか微妙にズレている。
なんであのスタイリングをチョイスしたのだろう?という疑問は、この人のツイッターアカウントを見に行くと、少し氷解する。
アイコンもヘッダーも、あのカッコでばっちり決めてるのた。
トップに固定されたツイートは2020年にブラジルの歌番組(この人はブラジルとのハーフらしい)に出演した旨の報告。さらに遡ると新曲の発表を匂わせるツイートとか、“僕を救ってくれた数少ない大好きな先輩です”と山口達也とのツーショット載せてたり、さらに“先ほどYahoo!ニュースにもなりましたがジャニーズに訴えられてしまいました”というのでリンクをたどると、3.11の募金への誘導で訴えられたというのは嘘だったり、なかなかトリッキーだ。
聞けば、この人の告発、最初はYouTubeでガーシーと組んでやってたそうで、それが文春から外国人特派員協会への会見へと繋がったそうで、順調に目標を達成しつつあるようだ。
ガーシーとの配信も一部切り抜きでみてみたが、、Jr時代の同期で、今では超人気グループでセンターを務め、独立騒動でも話題になった彼の名前を出して“3人でそういうことをやった”と暴露したり、もっと炎上商法っぽい感じでもあった。
と、ここまで見て思うのは、この人にとってもこの告発は“名前を売るためのチャンス”として勝負をかけたものなんだろうなあ、と。
いや、それが悪いって話をしてるわけじゃない。
タイミングと戦略を謝れば、逆に潰されかねない敵ではあるのだし、うまく戦って、売れる名前は売ればいいのだ。
ただ、なんというのかな?
この人自身は、多分そんなに“芸能界の闇を正そう”とか“児童への性的な虐待を世の中からなくそう”、そういう方向のモチベーションで動いてるわけでもなさそうだなあと。
となると、告発が終わったあとのことは世間がうまく引き受けないと、必ずしもはてなが期待してるような結末に物事は動いていかないような予感はある。
会見で自身の性被害を語るのに、思いの外あっけらかんとして見えたのは、“さんざん苦しんだ上なんとか乗りこえられた”からなのか、元々が割とそういう体験を軽く乗り越えられる気質(実際、そういう人はいると思う)なのかはよくわからないが、いずれにしろ中々にしたたかな男であるのは確かだと思う。
で、あるからこそ、ここまで来られたのであって、繊細な“被害者”ばかりだったら、事態はまたまた曖昧な闇にひきもどされていたのだろうが。
故人の尊厳を傷つけるようなことまでしてさ
あれで十分じゃないっていうなら、それはおまえらが納得する謝罪がされてないってことだろ
じゃあ、その納得する謝罪の具体的な内容を言ってみろよ
だいたい加害者いない事件なんだから、とばっちり受けた側はメンゴメンゴぐらいしか言うことないだろ
その時点ですでに謝罪はされてるんだから、それ以上を求めるならちゃんと何がどうなって欲しいのか言えっての
ちなみに俺は、ジャニー喜多川を未来永劫負の象徴としてヒトラーみたいに悪魔化することとジャニーズ解散と現メディア各社トップの更迭と謝罪意思の具現として被害者救済基金をファンとジャニーズとメディアの三者が合同で立ち上げることと他の男性女性問わずアイドル系の芸能事務所すべてに第三者機関の監査を入れることな
無いやろ
副流煙含めて、がん、心臓病、脳卒中、肺疾患、気管支炎、口腔疾患、アルツハイマー、不妊などのさまざまな病気のトップ要因なんで
次が酒飲みじゃない?
まぁ、単純に毒性があって直ちに影響があるものを除いたら、いちばん健康に影響があるのはストレスで
ヘビースモーカーだろうがストレスない人生送ってる人はなんやかんや長生きするわけなんだけど、
ミュシャは二流の画家、その絵はオタクのいう萌え絵程度の絵で、芸術ではありません。 - Togetter
https://togetter.com/li/2121114
これ、やはり『フェミニストは正しかった』という結論にしかならない。すなわち「ミュシャはもちろん3流(これは常識)だし奈良もそれ以下。哲学者さんの言うとおり」
ポイントは『(ミュシャやこの哲学者さんがどうこうではなく)奈良や村上、
つまりアニメ文化(オタクイズム)をいわゆる純粋芸術に昇華したと(これまで)絶賛されてきたグループの正確な美術史的評価』これ意外とヤバい
なぜヤバいかというと(その当時の)画家ミュシャが石板画や広告ポスターといった
表現形態(メディア)に機種依存してたのと全く同じ理屈で『アニメ文化(オタクイズム)がカッコいい限り奈良や村上もまたカッコいい』だから
端的にいってオタク文化、以前ほどの勢いがないばかりでなく明らかに気が狂いはじめてる。
鈴木は宮崎駿(同社の抱えるトップクリエイター)と一介の東南アジア人シングルマザーの区別がもうついてない
宮崎の後継者ともいわれてるオレたちの庵野(ナンバーツー)はヒーローモノ実写でもビシッときめてくれるはずがあの『キャシャーン』と比較されるほどのありさま(大失敗。