はてなキーワード: スーパーフリーとは
もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念の美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。
当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市のシモンちゃん、びんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…
書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」付けが流行っていた。
そうした後、擬人化たん白書なる書籍が販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。
商業化という面では、エロゲの題材のほかに、鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。
AKB48やアイドルマスターがおよそ2005年、ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイスの進化と趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。
擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。
これはこの後の擬人化のビッグマーケットである「艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。
これにより「最初のキャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクストは各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。
上手いやり方なのだ。例えばネットで流行ったMeたんのキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリーズ現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。
だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。
しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。
かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。
かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。
そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。
ウマ娘だ。
やっとウマ娘の話だ。
それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。
もちろん実際にどういうやりとりがあったかは想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。
それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。
ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトとハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)
せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、
その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。
その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏、カンリニンチャンの失踪…
それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。
この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。
まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。
この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。
だから、ゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一「クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全にリリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。
そういう思いだった。
2020年度。
コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。
ディープインパクト以来の無敗の三冠馬・英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ・神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女・平成最後のアイドルホース、アーモンドアイ。
この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。
障害戦線では、老いて尚壮健な黄金の血統・オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。
カンリニンチャンが帰ってきたのだ。
この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツとアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。
それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しかし競馬そのものを擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。
そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。
顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。
相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。
それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。
そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。
そうして、競馬そのものを追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。
ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。
焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。
そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。
魂消る。そりゃ魂消るさ。
ウマ娘がリリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。
ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。
その上で、シナリオ内で、史実の競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。
歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである。
艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。
かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。
才能やセンスは確かに存在する。要領の良さや適性とも言い換えられるだろう。例えばこれが、ジャマイカ出身の黒人なら目に見えて足が速そうであるとか、メガネで小太りのインド人なら綺麗でバグの少ないコード書きそうとか、見た目から滲み出ている場合もあるが、大抵の場合見た目はおろか、3日間一緒に過ごしたところでどんな適性や才能を持った人物なのかなど到底分かるはずもない。
就職面接はもっと短時間だ。書類と面接と適性試験だけではどんな才能があって、どんな人物なのかは分からない。というか分かるはずもないので、提出された資料から採用不採用を決めていかなければならない。
そこで一番分かりやすい物差しが、学歴である。日本国民なら等しく義務教育を受けているはずなので、家庭環境によって多少ブーストされることがあるにしろ、おそらくこれ以上平等な物差しは無いだろう。小中9年と高校3年の計12年で大体このくらい勉強ができるようになりました、僕の頑張りを大学受験に発揮すると大体このくらいの大学に相当します、というとかなり分かりやすいかと思う。どっかの人事部の完全に他人のエラそうな無教養のおっさんでも多分大学受験くらいはしてるだろうし、自分があの時あのくらいだったから、という比較もしやすいので選考もスムーズになるだろう。
特に大企業ともなれば応募人数も多いので、人事部がいくらデカくて有能だったとしても、応募者一人一人にそんなに時間をかけている暇は無いはずだ。短時間で大量の選考を行う場合、履歴書においてそれまでの努力や学習能力が一番分かりやすく記載されているのが学歴の欄だ。だからまずそこを見る。
いわゆるデカい仕事に高学歴の人が就いているのは、デカい仕事を受注できるようなデカい組織に所属しているからで、デカい組織に所属する為には母数のバカでかい採用選考を勝ち抜かなければならない、故に書類選考の時点で一番インパクトを与えることができる高学歴である必要があるから、である。
デカい仕事がしたいなら高学歴であるべきだし、自分の才能で飯を食いたいならそれを活かせる場所で仕事をすれば良い。
一応某増田に触れておくと、高学歴=善人とはなり得ない。女を殴る慶応生もスーパーフリーもいわゆる高学歴と言っていいし、白日の元に晒されなければ彼らは大企業で善人が持つべき権限を持つような人材になっていただろう。おそらくバレていないだけで悪人が大きな権限を持っている事例は既にたくさんあると考える方が自然だ。
これは今の異常に厳しい未成年淫交犯罪の罰則の直接的原因でもある
ちょうど氷河期第一世代の中には、反社的な方面で起業しようとした連中がいた
いわゆる関東連合とか言われる層だ、スーパーフリーみたいなインカレサークルとか裏原ブームとか色々あったけど
そん時に当時の女子高生や未成年に人間とは思えないくらいエゲツない事しまくって大問題になった
だから今は、それこそこの間まで高校生だったみたいな大学2年くらいの奴が後輩のJKと高校のノリで遊んだだけで、別に何にもしてないのにまるで鬼畜の所業のように警察が速攻しょっ引くのは、こういう背景があるんだが
残念なことに、シンママとかの連れ子がチンピラやDQNの変態セックスやレイプ被害に遭っているという面は、認知件数に対して親権が強すぎて警察が対処し切れていない面がある
これは、本来は、マスコミ&ジャーナリストが徹底的に取材して、安倍政権・官僚組織が既に解決しているべき問題ですが、深刻かつ巧妙な仕組み・構造になっているため、現在に至るまで、ほぼ「問題として提起されることさえ無い」状態が続いています。
それでは、「隠れソフト奴隷問題」とは、そして、「隠れソフト奴隷」とは何のことでしょうか?
例えば、若い社会人女性が、学生時代に性的な暴力を受け、また、その際にスマホ画像や動画でハメ撮り画像・動画を撮られたとします(以前、スーパーフリーの様な問題がありました)。
その画像・動画をネタにして、加害者側が、被害者の女性が社会人になった後も性的に搾取し続ける、あるいは、金銭的に揺すり続けられている(性的・金銭的な搾取)様な場合、被害者女性は「奴隷に近い状態」におかれているのであり、しかも、証拠(弱み)があるために被害を申告できない状態に陥っているので、「隠れた奴隷」であると定義することができます。
更に、一応は社会人として生活することができているので、すくなくとも牢獄で鎖に繋がれているような奴隷ではない。
その様な構図であるため、この種の人々を、今回は「隠れソフト奴隷」と表現しています(本人はソフトだとは感じていないかも知れませんが)。
上記の構図の、若い女性(学生・社会人)が弱みを握られて性的・金銭的に搾取される、あるいは売春の様な仕事をさせられる、だけど、それが問題として一向に表面化してこない様な事例は、山のようにあります。
それは、被害者の女性が画像や動画で弱みを握られて、脅されて、お上(警察)に訴え出ることが出来ないからです。また、「本物の奴隷」よりは縛りが弱い(隠れソフト奴隷な)ので、被害が表沙汰になって、現在の仕事などの社会的な地位を失うよりも、隠れソフト奴隷である続けることを選択している結果であるわけです。
現在行われている、若い女性の性被害についての報道は、氷山のほんの一角でしかありません。水面下には何十万・何百万の「隠れソフト奴隷」女性がいる一方、弱みを握られているために一向に表面に揚がってこない様な事態が現在進行形で継続しているわけです。
安倍政権・官僚組織は、そのこと(問題の本質)をしっかりと認識して、根本的な対策を立てなければならない。
しかし、また、実は私は、この事(問題)だけを問題だと考えてこのことを書き始めた(タイピングし始めた)訳じゃないのです。
実は、私は、“安倍政権と官僚組織自身が隠れソフト奴隷だ”、ということを告げるために筆を執った(タイピングし始めた)わけです。
正確には、政治家と官僚組織の一部が「隠れソフト奴隷」であることは間違いありません。
この主張を耳にして(読んで)、「こいつ何言ってんの?」と感じる向きもあるでしょう。
以前、スーパーフリーの事件が社会問題化しましたが、これは早稲田大学のイベントサークルのメンバーが若い女性を集めて輪姦、直後に被害者女性が笑顔でピースをしている写真を撮って和姦だと主張していた、その様な性犯罪事件を次々に犯していたという問題です。
それで、輪姦された女性は「ソフト奴隷化」し、その後、新しい女性が輪姦のための飲み会に参加する(性被害に遭う)ようにナビゲートする役をこなしていくような仕組みになっていたわけです。それは、本人が望もうと望まざろうとやらざるを得ない。
一方、スーパーフリーのメンバーは「キングとして振る舞っていた」かというと、そんな事はありませんでした。ケツ持ちとして別の人物・組織が存在し、いわば、中間管理職的な性犯罪者・性的加害者として機能していたわけです。また、性的加害者として秘密を共有しているので足抜け出来ない。
実は、スーパーフリー問題の様な構図はかなりの程度ステレオタイプ化していて、学生社会に深く浸透していますが、(前記の若い女性の問題と同様に)ほぼ水面下で動いているので社会問題として表面化してきていません。
私の学生時代に、実際に「ソフト奴隷化」している知り合いが(男性も女性も)いましたので、学生時代における実感を基に推定すると、女子学生全体の1割以上、男子学生も1割以上が、学生中に「隠れソフト奴隷」となり、彼らが社会人になった後も問題として表面化せずにくすぶり続けていると考えられます。
そして、「男子学生が隠れソフト奴隷とはなんぞや?」とも感じませんか?
一例を挙げると、その際は創価学会(学会員)主催でしたが、渋谷円山町のクラブスペースで、あるイベントが行われていました。
しかし、そのイベントは、普通のクラブイベントとは異なる印象を与えており、また、そこでは異様な光景が現出していたわけです。
具体的には、ホール全体の中で、10人くらいの若い女性が程よい距離感で立っていたわけです。それだけなら違和感ありませんが、異様だったのは、それらの女性の前に、男たちが大挙して列をなしていたことです。
そこは確かに円山町のクラブスペースでしたが、誰も踊ってなんかいませんよ?
10人くらいの若い女性が立っていて、そのそれぞれの女性の前には、劣情丸出しの大勢の男たちが並んでいるわけです。
要は、宗教団体の力を借りて、スーパーフリーのバリエーションを摘発されない形で行っていたわけですが、この様なことは学生・社会人を対象として星の数ほど行われてきているわけです。
私が通った大学でも、似たような事をしている連中がいましたが、「ヒエラルキーの頂点に暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者がいる」という点ではどこも大小同異ではないでしょうか。
円山町のクラブイベントに話を戻すと、加害者の男性側も「ソフト奴隷化」します。
当たり前ですよね?
そういうイベントに参加して、若い女性を輪姦したという事実自体が参加者男性の弱みになるわけです。当然、参加後は脅されて、社会人になった後も、ポイントポイント、節目節目で(スーパーフリー事件で被害者女性がナビゲート役になったように)言うことを聞かなければならなくなるわけです。
表現を変えると、男子学生や男性社会人本人が「得をした」とでも感じて、鼻の下を伸ばして、ギラギラした目つきで、ヨダレを垂らして、劣情丸出しの表情と心理状態で、ある種のイベント(乱交・輪姦)に参加したところが…
実はそれは、倫理・道徳観に問題のある男性をターゲットにした罠だったのであり、そのイベントで被害者女性や美人局的女性とセックスをした後は、そのネタで脅され続け、また、ゆすられ続け、つまり、搾取され続ける「隠れソフト奴隷」としての生涯を送ることを強いられることになります。
そして、指示を出しているのは「暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者(幹部)」なわけです。
つまり、スーパーフリー事件というのは見せ物のようなもので、あの事件が済んで万事解決のような空気がなきにしもあらずですが、実際は「んなこたあない」、学生・社会人のコミュニイティで深く長く浸透し、本人は、弱みがあるだけに警察に相談することも出来ず「隠れソフト奴隷」であり続けているわけです。
無論、霞ヶ関官僚の中に「隠れソフト奴隷」がいます(ロボット化した人材と混在しています)。本人が名乗り出ないので、わからないわけです。
もちろん、地方公務員にも、企業の会社員の中にも「隠れソフト奴隷」はいます。男性の中には加害者としてワークしてしまった人材が多くいますので、脅され、職や社会的な地位を失うことを恐れて黙っているわけです(その方がマシだとの判断です)。
政治家にも「隠れソフト奴隷」がいて、彼らは、「ハニートラップにかかった政治家」と似たような状況におかれています。
安倍晋三総理、麻生太郎副総理、そして霞ヶ関官僚の諸君におかれましては、この問題を解決するために少し時間を割いていただきたい。
この日本社会における「隠れソフト奴隷」の問題は、ある意味で、「失われた三十年」と表現されるような、ここ30年間における日本社会の腐敗と没落の結果として生じた現象の一つだと考えられます。