はてなキーワード: おべっかとは
腐女子やけど、高校生の時に初めて作った携帯サイトに掲示板を付けた
ただ単に当時はサイトと言ったら掲示板を付けるのがデフォルトっぽい空気を感じていたし、御多分に漏れずフォレストページでも簡単に掲示板を付けることができたからコンテンツの1つとした
ただそれだけだ
ただ紙に丸ペンとコピックで描いたの絵の写メを載せていただけだったが、なぜか掲示板には書き込みがあった
私はリア友でもない他人のサイトの掲示板に絵の感想を書き込もうなどと考えたことがなかった
このロジックでよく考えたらそもそも最初から掲示板を付ける必要がなかった
なにも考えていなかった
知らん他人と絡むのは怖いからリンクページなどは絶対作らないと思った時点で掲示板をコンテンツに入れるべきじゃなかった。アホだ
なぜか私のペンネームにそっくりな名前で書き込む人もいたし(私が〇〇、相手が〇〇ぽん)、たまたま似たペンネームなのかな?と思うようにしたかったけど書き込み頻度も高い
とても穏やかな文体で決して荒らしなどではないとはわかるのだがどうしても怖かった
こんなガキの絵を褒めてくれる優しい人はたまたま娘の携帯を見てサイトを見つけたリアル私の母かな?と本気で思っていたし今でも少しはそう思ってる
まあ、リアル私の母はそんなふうに携帯サイトの掲示板を使いこなしたりできないのだけど
そして褒めてくれるのが好意だろうと、逆に怖い。だって顔も知らん人だよ?私におべっか使う必要はない
それが怖い。この気持ちに共感してくれる人を遠くから見つけることができたらとても嬉しいくらい、インターネット世論から外れた感情かなと思っている
Twitterとかでも「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいな私と正反対の極論の方が大きく聞こえるからね
あと知らん他人とインターネット上で、特に私の絵を媒介して絡むのは嫌だがリアルで知らん他人と話すのは好きだ
インターネット世論で嫌われがちな絡んでくるショップ店員と話すのが大好きだ
まあそれはアパレルの販売員ではない裏方だからというのもでかいけど、美容師とか、旅行中にその辺にいる人たちとかと話すのも好きだ
でもインターネット上で私の絵を媒介して絡むのは嫌だし、リア友でも相手が私の絵を変な持ち上げ方してくると徐々に気まずくなるのもうわかったから自作の同人誌渡す時はでかい声で「絶対感想とか言わないでね!」と言う
「感想いらないなら不特定多数に絵を見せるな」みたいな極論も聞いたことあるけど、私は自分の絵も漫画も好きで並べておきたいし、サイトを作ったり新しいSNSに登録するのも好き
勿論localhostにネットには上げてない小学生の頃からの絵を全部ずらっと並べたサイトだって作ってるよ
でもコンセプトごとに厳選した絵を載せるサイトをワールドワイドウェブに置いて、自分以外の誰かが私の絵を見てる形跡を発見して、どんなふうに見たのかなって生ログのページ遷移時間から想像するのが好き
でもよく知らん他人から接触されるのはいかに相手にとっては好意であろうとまじで怖い
私は好きで趣味で描いてるだけだからこれ以上改善してどうこうとかはそんなに思わんし、技術的に悩む時はあるけどそういう時は絵の上手いリア友に相談してるから不特定多数のご意見は不要だ
好きな「趣味」という大枠の中にコアとなる好きな部分と付随する苦手な部分があるのは多くの場合に有り得ることだ
その大枠から苦手な部分を限りなく取り除いて濃厚なコアだけ味わいたいじゃん
好きなことしたいなら苦手なことも受け入れろなんて根性論今時昭和すぎるでしょ
そんなわけで私からしたら「絵」と「不特定多数のご意見・ご感想」にはなんの関わりもないよ
勝手にセットにしないでほしい
まあこれもイマジナリーエネミーを勝手に見て心が騒いでるってだけなんだけど
いくつかの携帯サイトを作った高校生時代が終わり、大学生になると有料鯖を借りてPCサイトを作るようになる
長年ねらーで同人板の影響を多分に受けていたため同人サイトとは言え連絡先が1つもないのは無責任と思っていた
そしてメールフォームや拍手は感想を送りやすいが業務連絡用と書き添えたメールアドレスのみなら感想を送りにくいらしい
私は〇〇○★yahoo.co.jp(★→@)のような表記がダサく感じて嫌だったので、しっかり@込みでメールアドレスを画像にして貼った
画像ならコピペできないし一文字一文字打ち込むのは絶対にめんどくさいからよっぽどの不具合がなければ誰も連絡を取ろうとはしないだろうと踏んだのだ
クソめんどくさい。適当にお礼を言ってスルーしたかったけど多分これが営業ってやつだろうと思った
勝手な妄想が膨らんで相手をフォローしたり相手の作品に10点入れた方がいいのかなという圧を勝手に感じた
もうそんな妄想をしてしまう自分自身が嫌だった。だからとにかく私に触れないでほしかった
この頃にはだいぶ学習できてきていたのでかなりお触り禁止感の演出ができていたのではないかと思う
大体の人が黙ってRTいいねだけしてくれるし、bioで予防線張ってるから直リプも無視し放題だ
一言感想の空リプ引リツは結構あるけどこれは割とおもしろかった
どうやら私は感想メールに返信しなきゃいけないという義務感の発生が最も嫌だったらしい
でも積極的に感想欲しがってると勘違いされたら困るから絶対に反応しないしマシュマロとかは絶対置かない
Twitter見てると前述の「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいなツイートがバズるのをたまに見かけるけどどうして?
個人的にはそういう極論を持ってる人ってごく一部で、大半は感想はあったら嬉しいけどなくても別にって人、そして感想不要って人も見かけよりは多いと思ってる
私は過去の経験から「感想不要」と明記せずとも感想を送りづらい雰囲気を出すことに長けてきたと思う
でもわざわざ不要と書くのはなんか怖い
感想を欲してやまない、でも全然もらえなくてほぼ飢えてるような過激派、同ジャンルでも目立つからついついヲチってるけど、目視したわけでもないイマジナリー感想不要の人を脳内ででっち上げて「嘘つき」とか「聖人君子を気取ってる」とか罵ってるもの
こっちからしたら私が「感想ください!」って言う方が嘘だし、人の好意を受け入れられない私みたいなタイプの感想不要人が聖人君子とはとても思えないけど
本人はほしいもんはほしいって言わなきゃもらえないって発想に捉われてるみたいだけど、逆にあの攻撃性の発露こそが「感想を送りづらいお触り禁止感の演出」の極致にすら思える
私は割と詳細なウェブ性格診断みたいなのの結果を見るのが結構好きだ
感想を欲しがるのって診断結果を早く見たいような気持ちと近いのかな、と勝手に想像している
確かになんかそういうののプロが私の漫画を読んで心理分析とかしてくれるならすごく興味ある
お金払ってでも頼むと思う
そういうことなのかな?
でもインターネット上で誰かに感想を送るであろう人の大半は心理分析の素人だろうし、別に感想って大部分は心理分析じゃないし、私はいいかなあ
そういえば、自分がレズビアン寄りのバイだと気づくまでは、むしろ自分のことをバキバキのノンケだと思っていた。
なぜなら、女性健診の相手が女医さんだとものすごく苦痛だったから。性器や乳房を女医に一方的に触れられるのが屈辱的に感じていた。男性医師に対して、この感情を感じたことはない。その時は、自分が度を越えたノンケだから女性に性的な部分を触れられるのが嫌なのだと思っていた。
3年前に、とある趣味の社会人サークルに入って知り合った6つ下の女の子と親しくなった。
わたしは、基本的に理屈っぽくて尊大にふるまう癖にウジウジしていて辛気臭い人間という自己評価なのだが、年下からは姉御肌と評され男女問わずよく親しくしてもらう。
そんな中で知り合った彼女は、わりにサバサバしていて、小柄で、童顔で、かわいらしい女の子だった。
サークルに顔を出した時の彼女は、部屋を見回してわたしを見つけた瞬間ぱあっと笑顔になって駆け寄ってきた。
飲み会ではよく「増田さーんここあいてますよー!」といって隣に誘ってくれた。
最初、「なついてくれてる」のではなく、単純に先輩後輩的な仲だから媚びたりおべっか並べたりおだてられたりしているだけだと思っていた。
しかし、ある時に飲み回の二次会で行ったバーでボックス席に2人きりになったときに、メチャクチャ酔っぱらった彼女から恋愛感情で好きだということを告げられた。
ちょっとびっくりした後、「うれしい」と感じている自分にさらにびっくりしたのを覚えている。そして、そんな気持ちを泥酔して噴出するまで抱えこんでいた彼女がめちゃくちゃに意地らしく見え、愛しく感じて、断る気は起きなかった。
そうして交際関係となり、彼女はサークル活動のない時にも会うようになったのだった。
そうは言っても、実はわたしは当時アラサーで、彼女は大学生だった。
それに、わたし自身どこかで親戚の幼子のおままごとに付き合うような気持でいたことは否めない。
彼女に男性経験がないということは付き合う前から聞いていた。女性を好きになったのはわたしが初めてだとも。
そういうわけで、彼女の好意を疑うわけではないが、どの程度真に受けるべきか判断に迷っていたのだ。
大学生のうちだとまだ恋に恋していたり、憧れを恋愛とはき違えたりするものなんじゃないの?
そのうちやっぱり「男が好き」とか言い始めてもおかしくない。とはマジでずっと思っていた。
だいたい、元から友人関係だったのもあってか、交際関係となってからも2人の付き合い方はこれまでと変化なかった。また、何か変化を起こすべきは彼女のほうだと、大人げないが思っていた。この関係性は彼女の好意ありきだった。彼女の好意の形に応じて、わたしもしてやれることや差し出せるものがあれば、できる限り応えたいと思っているのみだった。
余談だが、当時私は8年ほど交際していた男性と別れて1~2年くらいだった。別れて数か月はいわゆる婚活や恋活的なことに精を出していたのだが、やはりわたしの性格そういうことに向いていないと自覚させられただけだった。このままいくと一生結婚できないかもしれないと思った。いや、それはそれで良いのだが、「わたしは一生誰ともパートナー関係になれないかもしれない」ということに関しては、やや悲観していた。猫でも飼おうかしら、と本気で思っていた。そんな時だったから、彼女との関係性がどう運ぶかに関しては、純粋に好奇心をもって臨んでいた。
閑話休題。
わたしは理学部科学科を修めていた人間で、自分で言うのもなんだがステレオタイプそのままのあまり女らしくないタイプの女だ。学生時代の友人付合いと言えば、一人暮らしの奴のアパートで麻雀しながらいいちことタバコをなめるばかりだった。
彼女は外国語学部英語学科。わたしが見てる限り、いつも何が可愛いのわからん流行りの服を着て、いつもメイクばっちり。イケている。そして、普段友人と何してすごしてるのかなぞ、知りたくもない。
いつも彼女からデートの誘いを受けていて申し訳ないなとは思っていたのだが、わたしはどこに誘っていいのかわからなかった。それに、わたしは流行とかお洒落に全く興味がないタチなので、やはりどうしても若くてイケてる彼女の隣に立って休日のモール街を歩くことには気後れを感じていた。
そんなある日、彼女から水族館に誘われた。これまでデートといいつつ友人ともやるような近場ウロつきしかしてなかった中、水族館とはめちゃくちゃデートっぽい。と少しテンションが上がった。そもそも水族館は好きだ。
そして当日。待ち合わせた駅に姿を現した彼女はいつもと違っていた。
普段だったら絶対着ないだろう薄紫地にエーデルワイス柄の女の子らしいワンピース。その上にレースっぽいカーディガンを羽織って、足元は華奢なサンダルだった。
めちゃくちゃかわいかった。コッテコテのデートコーデだということはさすがのわたしも気づいた。
「いつも増田さんわたしの服イジってくるから、今日はわかりやすく可愛くしてきましたw」
そう言って笑う彼女を見て、世の男は彼女からこんな接待を受けているのか羨ましいなぁと見当違いなことを思った。
水族館へは新幹線で向かった。一緒に電車に乗るのも初めてで、隣の座席に座る彼女のワンピースからのぞく白い膝がとてもきれいで感動した。
彼女は普段ほとんど足を出さないなということにその時気づいた。
水族館では目玉展示物の餌やりが行われていた。わたしはこれが大好きで、ここに来るたびに動画を撮影していたのだが、この日ばかりは彼女の写真を撮ってばかりだった。
「いつもそういう格好すればいいじゃない」と言ったら「本当はこういう格好は好きじゃない、デートだから着ただけ」と言われて身勝手ながら非常に残念な気持ちになると同時に、即ちわたしのために好きでも無い格好をしてくれたと言っても過言ではないのだなと思い至った。
暗い館内でサンゴ礁を眺める彼女の細い方がレースのカーディガンに透けていた。
揺れるワンピースの裾がこんなに魅力的なものだとこの時初めて知った。
水槽のアクリルに這わせていた彼女の手を指先でつんつんすると、彼女は不思議そうな目でわたしの手を見ていたので、手のひらを上にして差し出すと、彼女はいつもみたいにぱあっと笑顔になって握ってくれた。そこからは手をつないで見て回った。今まで、恋人と手をつなぐことをこんなに幸せに思ったことはなかった。
周りから見て、わたしたちは恋人同士に見えるだろうか。それとも、ただの仲良し女二人組にしか見えないだろうか。恋人に見えていたらいいなと思った。
そうだ、この可愛い生き物は、わたしの恋人なんだ。と思った瞬間、頭に血が上ったみたいな感じを受けた。つまり、その細い肩を馴れ馴れしく抱く権利も、何ならスカートの裾の内側に手を伸ばす権利も、わたしはすでに持っているのだと、気づいたから。
来月で交際し始めてから満3年となる。わたしは30になり、彼女も就職2年目を迎え、そろそろ一緒に住もうかどうしようかという話をしている。
そんな中で気づいたのだが、わたしはゴリゴリのボイタチだった。
そして、いくら可愛い彼女が相手でも、リバられそうになると一気にテンションが下がってしまう。
この萎え方覚えがあるな~と思ったら、婦人健診で感じる不快感がこれと同系統なのだった。
つまり、わたしは「バキバキのノンケだから婦人健診で女医に診察されるとつらい」のではなく、「ゴリゴリのタチだから婦人健診で女医の前で俎上のマグロを演じねばならぬのが不服」が正しいのだった。
家庭教師とかでてくるぞ
『ドラえもん のび太の日本誕生』とかで
アホの子設定だけどのび太と竜の騎士ほか、賢くない小学生こういうこと言う?ってセリフを結構言う
のび太に言わせれば、塾へ行くと言ってはさぼり、そのつど得意の口八丁で塾講師におべっかを使ってごまかしているという[19]。『ドラえもん のび太の日本誕生』では全科目に家庭教師を付けられ、耐えられずに家出した。
英会話を習っている[20]。しかし、いざ英語が必要になったときには会話に詰まっており、特に英会話に堪能というわけではない[21]。またテレビ番組「上級フランス語講座」をかかさず見ており、ビデオ録画もしている[22]。だが作中でフランス語を披露したことはない。
それが効くのはこいつだけだぞ
人口の2%しか持ってない高IQ(anond:20200706043821)
と言ったら
「人口の2%って結構多いよw」と返す人がたまに居る。日本の難関国公立大学合格者が受験人口の2%ぐらい。当人はそこ入れてないし、交友関係にもそこの出身者はいない。同学年に400人いたとして、Top10に入るのってすごいと思うんだが。
例えば42kmのマラソンを走ったこともない人がさ「そのぐらいの距離を走れる人って結構いるよ」って言うのって、あたし、違うと感じてたハッハ〜
↓
正直な感想を言っただけやん?
おべっかい使う必要があるシチュエーションだったらなんとか必死で言葉を捻り出すけど
そうじゃないシュチュエーションにおいては
『割といるんじゃね』ってだけでも親切な反応じゃね?
リアクション返してる
↓
↓
ワイにとってはその2%は重要ではないのだ
ワイは本を読むことが年収に繋がるという妄想って常々思っている(anond:20191222122600)
けどやたらコンプレックスあるヤツおるよな
ニートの兄がムカつく。
2浪1留で現在3流大の大学院生。わたしは1浪して東大を卒業し、今年社会人になった。
社会人になってから、兄がむかつくようになった。何がムカつくか。
英語、研究。なんでもそう。わたしは文字通り眠たいときもサボりたいときも、勉強やプライベートの充実を頑張ってきた。就職活動で強みがないことを恐れて、全額奨学金で留学したり、無能すぎて辛い思いをした長期インターンや研究生活を頑張った。
今も現在進行系で目標を定めて楽しみながら頑張っている。反面、兄は意味があるのかわからないオンライン英会話、TOEICスクール、エンジニアスクールなどに親の金で通い、そのどれでも成果を出さなかった。楽な方に、楽な方に流れているにも関わらず、頑張っているアピールをする。
隣の部屋から聞こえてくるフィリピン人のおべっかと、兄のオーイヤー、アイノーという糞の垂れ流しみたいな英語が本当にイライラする。
実際は兵庫県に限っても7日朝まで断続的に大雨となった。
自分は赤坂自民亭や宴会ツイートそのものよりも(*5)、5日23:45の「山を越えた」ツイートに問題があると思う。これは大雨のタイミングで宴会を開いてしまったための言い訳ツイートと思われるが、保身のために事実を捻じ曲げ(しかし事実誤認については秘書に責任転嫁しつつ)地元住民を危険に晒しかねない極めて悪質な言動だった。
1. https://www.jma.go.jp/jma/press/1807/05b/2018070514.html
2. https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/nishy03/status/1014857016441954305
3. https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/nishy03/status/1014883044308615169
4. https://www.mod.go.jp/j/press/news/2018/07/06d.html
5. 最大限擁護すると、5日22:02の時点であのように脳天気なツイートをしてしまったのは、出席してくださった安倍首相におべっかを使いたいため必要以上にのぼせ上がってしまったのだと思われる。実際一年後の2019年9月、内閣改造において西村氏は見事経済再生担当大臣に抜擢されている。