はてなキーワード: 美術館とは
#この文章は「シムシティ4」をプレイしたことある人向けです。プレイしたことない人は、攻略サイトなどを見てから読むとより分かりやすいでしょう。
シムシティ4は起債も不可能となりいよいよ収入不足でフローがマイナスになると「上院選立候補のため市長退任」というゲームオーバーがある。国政転出ってなんかリアルでもありそうな話だw
テクノ・ハウス・トランス・エレクトロ・エレクトロニカ・アンビエント・ビッグビート・ポストロックと電子音楽も、今となってはジャズやロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義が結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。
ちなみに書いている人は元テクノ少年のテクノ中年のシロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。
電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルやパンクやオルタナティブを包括するのがロック、フリージャズやスウィングジャズやハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカもアンビエントもトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである。
よくある批判(?)として「中田ヤスタカはテクノじゃない」「小室哲哉はテクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリの番組で、ユーロビートは日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスやデリック・メイ、ケビン・サンダースの創設した「デトロイトテクノ」からの派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義は意味が無いと思う。
デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージック。リズムマシンとシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーなメロディやピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカ。テクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。
上記に上げたようにホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダースがデトロイトで創設したジャンル。トランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人・ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイトの黒人が始めた音楽である。
ハウスとテクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。
音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの。久石譲のsummerとか坂本龍一の戦場のメリークリスマスなんかがそう。
これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェやサロン、美術館でかかっているような音楽。或いはクラブでチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ、細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。
ハウスやデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンル。ハウス+テクノ+ファンクという形で成立。ポップでキャッチーなメロディで賑やかな感じ。
たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノやアンビエントからの派生ジャンル。キャッチーなメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。
ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドやプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。
ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽。トランス・ハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。
テクノ歌謡、シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージック。キャッチーなメロディラインとヴォーカル。1980年代の小中学生や流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMO、クラフトワーク。Perfume。現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球やケン・イシイ、デリック・メイなんかは影響を公言している。
これこそ未だによく分からんジャンル。ポストロックのポストはポストモダンのポストと考えると分かりやすい。
こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。
踊れる ↑ ドラムンベース | トランス ユーロビート デトロイトテクノ ハウス | エレクトロ ドリルンベース | |ビッグビート 難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易 | エレクトロニカ | テクノポップ アンビエント| | | | テクノ歌謡 ポストロック ↓ 踊れない
あとこのジャンルのミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。
というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。
余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーのイメージのほうが日本では大きいような気がする。
ハウス:オシャレ
トランス:チャラい
こんな感じ。
id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメで評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。
id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか?
id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。
映画→美術館にすればもっと安くあがるし、たまには増田の部屋で鍋をつついてもいいじゃない。
割り勘前提の増田と付き合ってきたって事は、彼女は本気でデートは奢られて当然って思ってるわけじゃないと思うんだよね。
「奢らせて」って言われて「自分の分くらいは自分で払いますよ」って言うくらいがいいんだよ。きっと。
当り前のように「じゃ、一万円ね」って請求されたら困るの。
男だって、全額奢るつもりで女の子をデートに誘っても、相手の女が財布を出すそぶりも見せなかったら嫌でしょ?
その程度の事だよ。
しばらく奢ってあげれば「今回は私に出させて」って女のほうから言ってくるよ。
それに、それまでのようなデートで全額奢るとなると、借金するしかないって事は
貯金なんてまるで出来てないんでしょ?
そんなかつかつの経済状態で、身の丈に合わない贅沢をしてる男は誰だって嫌だよ。
もっと堅実なデートを心がけましょう。
要するに「恩師」になるんだろうなぁ、という人と出かけた話。私の2周り上。
とても乗り気じゃなかったんだけど、まぁお世話になった人だし・・・と誘いを断れなかった。
久しぶりに最悪な一日だったのでここにはき出してみる。
何度か連絡取っていたんだけど、先日ちょっとしたことからまた連絡を取るようになった。
事務的連絡が主だったはずなのに、だんだん、日常の話が混ざってくる。
しかしとても一方的で、句読点や読点があまりない。とても読みづらいメール。
こちらが返信しなくても続々来る。少し恐怖を感じた。
「○月×日はどう?」→「その日はちょっと・・・。予定を調整しないとモゴモゴ」→「○月△日□時、A駅B口で会いましょう」→面倒なのでそれでOKした
私は駅の改札の少しずれたところにいたんだけど、相手は改札真っ正面にいた。
「おはようございます」と挨拶すると、「ヤッハーーーーー!!!増田さん!!!」とハイテンション。
それはまるで田舎に行った時のじーちゃんの反応。死んだじーちゃんを思い出した。
展示会場まで歩く。展示はとてもよくて、まるまる2時間かかってしまった。
あまり興味はなかったけれど、仕事柄行っておいて損はなかった。
「ご飯でもしようか」ということになり、「そうですね~」と、とりあえず歩くことに。
しかし古い町並みを歩くだけで、ご飯の場所を探しているのか心配になる。
15分ほど歩き、古びた喫茶店のようなところで「一休みしよう!」ということに。
ご飯あるんだし、と思い、飲み物だけにするが、相手はがっつりセットもの注文。
前に「仕事する上で参考になる本を教えて欲しい」とチラッと言ったことがあったが
(「悩みがあるの?アドバイス欲しい?」とうるさかったので)
「お薦めの本だけど」と話す内容は、仕事と無関係。それを延々熱弁。
そして家族の話や、仕事の話をする。しかし以前とほぼ同じ内容なのでつまらない。
お腹すいたなーと思った頃、「行こうか」と。
やっとご飯かー と思うもつかの間。「中途半端な時間だね」ときた。え?何に中途半端?と思ったけれど、流す。
実はこの日、体調がよくなかった。なのであまり歩きたくなかった。靴だってパンプスだったし。なので既にフラフラ。
その後1時間歩き回る。どうでもいい話と共に。
「美術館、好き?」ときかれ、「美術館は興味がありません」とハッキリ言った。もう歩きたくない。
しかし、たどり着いた先は美術館。なぜ??しかもヌード系もあった。
結局2時間歩き回った。もうぐったりだ。時間はいつの間にか夕方になっていた。
ビールで乾杯。おしぼりで顔はモチロン禿げ上がった頭も拭き拭き。何かの人形みたいだ。
相手ぐびぐび飲む。私、体調悪くてあまり進まないのに、「なんで飲まないの?なんで??」とせかす。
なんとか1杯飲むと、「俺次これ飲む~♪」と上機嫌に追加オーダー。私にもしきりにお酒を勧めるので、仕方なく飲む。
料理はするのか、とか、休みは何しているのかとか、とにかくプライベートな話題が多かった。
適当に濁したが気分は良くなかった。一体なんでそんなことをきくのか理解できなかった。
食べ終わり、会計になった。生憎丁度良い札をお互い持っておらず、結果的に割り勘。5000円。
「次行かない?」と言われたので、疲れ切っていたこともありお断り。
すると、店の外で解散。駅は見えないし私は土地勘が全くない場所。それは相手も知っているはずなのに。
仕方がないので携帯GPSを使ってどうにか帰宅。駅まで30分近く歩いた。
余りにも勝手すぎる一日に腹が立ち、お礼のメールは送らなかった。
「次は映画行かない?おすすめある?」ときたので「映画館は苦手です。疎いのでおすすめもありません」と適当なことを返信。
すると「では調べるので一寸待ってね」とのこと。
「あーだこーだでしばらく会えません」と返信すると「了解」とたった一言の返信。
その後、メールが来ることはなくなった。
以前、「僕と付き合わない?アハハ」と言われ、冗談だと思っていたけれど、あれは冗談じゃなかったのか。
父親と大して変わらない年齢の人と付き合うなんて私にはありえないこと。
なんだかとてもガッカリした。恩師がこんな人とは思わなかった。
温泉行かない? とか、とにかく色々言われたけれど、冗談だろうな~と思っていたのに。
上手く言えないけれど、この人は一生独身だろうな、と思った。
恩師だけれど、これからの付き合いは少し考えることにする。
それにしても、恋愛経験が少ない(と思う)とか、女慣れしてない(ように思う)人って、
なんで予告なく長時間長距離歩かせるんだろうか。
「権威が認めたものが芸術」って指摘して怒る人は、一体何を芸術としたいのかなあ。大体、みんな美術館にあるような「芸術」で心揺さぶられたことなんか、ほとんどないはずです。我々の心を揺さぶったのは、大量複製されたアニメやマンガだったわけで。
↑これらを見て、村上隆の「日本には現代美術のマーケットがない」というセリフや7~8年前に読んだ↓を思い出した。
現代美術なり、現代音楽なり、現代批評なり、頭に「現代」とつくヨーロッパ由来のハイカルチャーは、日本では、自前のマーケットを持たないまま、権威によってしか人材調達ができなくなっている。あまりにその制度が硬直しているから、制度のなかでキャリアを持っている人間が、その硬直を打ち破っていかないとどうしようもない。
http://anond.hatelabo.jp/20110813025031 に対する私見。ブログに書く程でもないんで此処に。
元増田が疑問に思っているように「おいしんぼ」を加工して遊ぶという行為とカオスラウンジは似ているようにも、見える。
じゃあ何が違うのかっていうと「使った元ネタ」の出自が何かって話なんだと思うよ。
カオスラウンジのコラージュと、おいしんぼのコラージュで決定的に違うのは、カオスラウンジのコラージュの元ネタが二次創作であり、おいしんぼが商業作品である、という点。
これだけ。
ちょっと前に村上隆が自分のやってる事を翻訳だ、って言ったのをきっかけに揉めたのを覚えている人もいると思うけど、これに当てはめて考えるとわかりやすいんじゃないかな。
(村上隆翻訳事件については http://togetter.com/li/46166 http://mojix.org/2010/09/03/murakami-mukatsuku http://tsunoga.blog32.fc2.com/blog-entry-298.html らへんを読んでくれ)
「おまえら」は商業作品をコラージュしたり二次創作したり、という「翻訳」をして、それを「おまえら」の世界で楽しんでいる。
それに対して「カオスラウンジ」は二次創作をコラージュするという行為を通してアートに「翻訳」した。ついでにいうなら「翻訳」をきっかけに金儲けもしたw
そういう事なんじゃないかな、と思ってる。
アートっていうのは「権威」によって「これはアートだ」と認められる事だ、と思う。
その権威が何処かの美術館に飾られる事なのか、なんたらビエンナーレに入賞することなのか、村上隆や美術手帖に絶賛されることなのか、何処かのオークションで何億って価格で落札される事なのかはともかくとして「これは、アートだ」と認められさえすれば、便器にサインをしただけの簡単なお仕事ですらアートになるよっていうのが20世紀初頭からのアートシーンを支配している「空気」だよね。
カオスラウンジは、だから「そういう空気」が支配している世界に二次創作をコラージュするという「翻訳」をして、その「翻訳をした内容(と行為)」がアートとして認められた。
でも「おまえら」からすれば「自分たちの愛が穢された!」って事になるんだろう。
いつも自分たちが商業作品を二次創作という形で「翻訳」して楽しんでいる事と全く同質なのにね。
カオスラウンジがやってる行為とMADの違いが何処にあるのか説明出来る人はいないんじゃないかな。
元増田の疑問は、まさにそこにあると思う。
二次創作を更に二次創作するサークルもいると聞くが、それは「おまえら」の世界の中で完結する行為だから許容されうる範囲の事なんだろう。(揉める事もあるって聞くけどね)
上手く表現出来る気がしない(だから増田に逃げたというのもあるんだが)のだけれど「お互い、人の財産を奪う事の罪悪感は低いんだけど、自分たちの財産が奪われる事には敏感だよね」って事に尽きるのではないかな。(財産、という言葉は適切ではないように思うけれど、他に上手い言葉が思いつかない)
個人的には、カオスラウンジの「作品」を見ても手段も内容もたいした事ないなあ、と思う。
じゃあ何がアートとして評価されたんだろうと自分なりに篩に掛けて残ったのは「二次創作をコラージュする」という行為(水浸しもだけど)であって、それだけは既存のアートシーンには(おそらく)存在なかったと思うからだ(思いついたけど誰もやらなかっただけなんだよ、という「批判」はあるとは思うけど)
そんなわけでカオスラウンジの皆さんの今後の活動を生暖かく見守っていきたい次第でございます。
一回「やらかした」事というのは、それが何であれ、二度と繰り返せないのがアートの世界であるにも拘らず、バッシング覚悟で二次創作をコラージュするという「翻訳」をしなければカオスラウンジという集団のアートとしての価値は無価値であると言っても過言ではないだろうから。
自分の敵は自分っていうか、針のむしろを用意したのは自分自身なんだし。10年代の日本のアートシーンの騎手としてがんばってくだしい。
半年くらいまえに、「コミケで見つけた気になるタイトルの本」ってネタがちょっと前に盛り上がったのを思い出したので、今年の夏(C80)にある面白そうなタイトルを紹介しつつ。
「おもしろそうだから買いに行こうかね」、なんておもってる奇特なコミケ未経験者さんのためのガイドでも書いてみようかと。
(【~~~】は、ジャンル)
いつどこでどんな本が売られているのか、すべてを把握するためには、カタログを読むことが、ほぼ唯一の手段です。カタログがなくても入場はできますが、会場内は、「目当ての本を探しながらあてもなく歩く」ことをが許されるような環境ではありません。諸注意や心構えなども書かれているので、できれば一冊購入し、目を通しておきましょう。
どこで売られているかわからないひとは、コミケ公式から、取り扱い店を探すなり通販するなり。
同人誌のジャンルによって、3日間のうちのどの日に、会場のどのあたりで売られるかが決まっています。上のリストを見てのとおり、こういう本を探すなら、本番はたいてい3日目です。金曜土曜に行っても買えないので、気をつけましょう。
カタログの巻頭には、切り離し可能なサークル配置図があります(通称、「宝の地図」)。サークルの場所は、「ア-20」みたいな書式の「スペースNO」で表されます。行きたいサークルは、事前にスペースNOをチェックし、配置図に書き込んでおきましょう。ついでに、「このあたりはこのジャンル」みたいな、おおざっぱな色分けをやっておくと、現地で「もう少しあちこち回りたいな」と思ったときに便利です。カタログをまるまる持って行ってもかまいませんが、重いですよ?(現地には、カタログ等の冊子専用ゴミ箱もあるにはある)
重装備だの糧食だの水分だの寝袋だのが必要だ、みたいな話を聞いたことがあるかもしれませんが、それは早朝から並ぶ必要があるモノをどうしても手に入れたいひとだけの話です。ここのリストにあるような本は、そんな慌てなくても、たいていは売り切れません。きっと。
ゆっくり行くぶんには、常識的なお出かけと同じていどの荷物で問題ありません。自動販売機がすぐに全滅するので、飲料くらいはあったほうがいいかもしれません。コンビニもあるので、そうそう困ったことにはならないと思いますが。それと、宝の地図だけは忘れずに。
改めて書きますが、このリストにあるような本は、そうそう売り切れたりしません。12時くらいにビッグサイトにたどり着くようにすれば、スムーズに入場して、ゆっくり探し物ができると思います。
もっとも、そもそもの発行部数が極端に少なかったりもするので、売り切れるときはさくっと売り切れてしまいますが。そのときは素直に諦めてください。
また、サークルによっては、好きな時間に来場し、好きな時間に帰っていってしまうこともあります。タイミングが合わず出会えなかったときも素直に諦めてください。次回にその経験を生かしましょう。
サークルNOと配置図を手がかりに、目当てのサークルまで行きましょう。これが、地味に難易度が高かったりしますが。「ここのサークルNOは○○ですよ」みたいな掲示をしてくれているサークルもありますが、そうじゃないところが多数なので、ぶっちゃけ迷います。ところどころに貼られているサークルNOの文字と宝の地図を見比べながら、人の波に耐えてがんばってください。
無事に着けたら、「これください」でも「新刊一部」でも「既刊新刊ぜんぶ一部ずつ」でも、お好きなように。おつかれさまでした、これで目的のひとつは達成されました。次の目的地に向けて、また人の波に突入してください。
帰るまでがコミケです。気を抜かないように。りんかい線もゆりかもめもダダ混みなので、体調には気をつけてください。個人的には水上バスがゆっくり座れる可能性が高くてオススメ。日の出桟橋から浜松町までの徒歩がダルいですが。
求めている話と違うかもしれないが
俺の彼女も似たような境遇だった
同じ歳の彼女は就職先の少ない実家のある県からこちらへきて就職、
3年くらい付き合って結婚についてなんとなく話してみたら
直ぐではないが、いずれは実家に戻らなければいけない事
両親は土地持ちで、結婚相手は婿養子でなければいけない事を告げられた
「結婚する意志がある真剣な付き合いをしている」と言う気持ちを伝えたかったけど
じゃ、実際に婿養子になる覚悟があるかと問われたら
まだ20代の俺にはうんとうなづく事はできなかった
彼女も事前に覚悟してたらしく
別れようかと告げた、
その時はそれにもうなづけなかったけど、やはりなんとなく自然に恋人から信頼できる友人に代わった
数年後、どうしてもやりたい仕事がある、と言って
街中とは違う過ごし方を続けていくうちに
勿論、苗字を変えてもいい、と
40手前になるまで俺は踏ん切りがつかなかったが
彼女の両親はとても喜んで
結婚するつもりがないと思ってた俺の両親も喜んでくれた
20代の頃とはちょっと環境も変わっていて
婿養子に入る条件は変わらないけど
振り返ってみると、えらく遠回りしたようだったけど
親友として過ごした数年で、生涯一緒に居たい相手だと思い知らされた気がする
でも、馬鹿もそのうち歳を取るわけで
そんな昔話を少ししてみました
初恋の相手でもある幼なじみが不倫してるっていうかなりダメージでかい話を誰かにしたくて、でもどこにも吐き出す場所がなかったからここに書かせてください。
あとで消すかもしれんけど、ちょっとだけでも楽になりたい。
俺は経済学部を出て、卒業後新卒で地元でそこそこ名のある企業に就職するという堅実で無難な人生を送ってるところ。
一方幼なじみは、関東の美大に進学して、一年くらいあっちのアパレルで働いてた。でもパワハラにあって辞め、地元に戻ってきて今は地元で働いてる感じ。
俺はつまんない人生を選んでいるわけだけど、高校の頃は実は少しメディア芸術に興味があった。でも美大に行くなんてと、保守的な親が猛反対。
幼なじみはもともと美大に行くつもりで、親にも応援されてて受験に成功して晴れて美大生。俺は、二人とも美大行けたらいいねとか励まし合ってたのにと落ち込んだ。
大学時代は、幼なじみのmixi日記を見るたび、すげえ華やかなことが書いてあって、正直うつになった。
有名アーティストが学校にきて講義したとか、朝まで教授と語って飲んだとか、六本木クロッシングがどうとか、なんかの展示会の作品に協力したとか、友達の個展がどうのとか。
なんて言うんだろう。リアルハチクロっていうか、the 美大リア充みたいな?
逆に俺はホントやる気失ってて、授業も出ないでだらだらバイトとくだらないサークルとかで、人間関係は上手くいかんし、20越えても童貞だったし、やっとできた彼女ともすぐ別れるし引きこもるし金ないし気胸になるしみたいな感じ。
それでも不思議なもんで、なぜか卒業できて就職が決まった。まあ、運がよく、リーマンショック前だったってだけだろうけど。
地元に帰ってからも幼なじみが華やかな東京にいて、結構有名なアパレルブランドで働いてるのみてうらやましかったりした。
でもある日を境に幼なじみのmixi日記が途絶え、彼女は地元に帰ってきた。幼なじみの弟と俺の兄弟が仲良かったから、東京でメンタルを病んで会社を辞め、しばらく自宅療養してるという状況を聞いた。
そのあと、同窓会で再会。幼なじみと久々にメールするようになった。
「そういえば途中でメアド変えたでしょー!教えてよー!ショックなんだけど—」と言われて、「あー、いや、ごめん、一回携帯壊れたんだよね」とかごまかしたけど、実際はメアド変えたのに教えられなかった。夢を叶えてた彼女がまぶしくて辛くて。
「そういえばまだナムジュンパイク好きなの?」と言われ、あ、覚えててくれたんだ、と胸が熱くなったりした。
それからは再び片思い。地元の中学出身者で再び集まるようになってたから、飲みに行くようになった。誕生日祝ってくれたり、美術館行ったり、アートの話聞いたり。
一度だけ二人で定時後に、待ち合わせて遊園地に行った。俺は19,800円くらいのスーツで、向こうは装苑のモデルみたいなハイファッション。ちぐはぐな感じがして笑った。
平日のアフターシックスだけあって、園内はガラガラ。市内の人口が減っていることを思いだして、どっかさみしかった。
絶叫系で騒いだりとか、ジェットコースターで記念撮影とか、チュロス食べながら移動とか、そういうことをした。
あー、高校の時できなかったことをしてるなあ、とどこか冷静に見てた。
最後ふたりで観覧車に乗りたかったんだけど、ちょっと気がひけて言えなかった。
その後、俺は告白すべきか、しないべきかで非常に悩んだ。今更すぎるというのもあるし、きつい仕事とか重圧とかそういうものから逃避して子供の頃のきれいな思い出を追いかけてるだけなんじゃないかとも思った。
それと、向こうは今ニートみたいなものだし、支えて行けるのかとか、メンタル病んで帰ってきたわけだし大丈夫かとか、もしホントに付き合って結婚するとなったら保守的な親がいい顔しないだろうなとかどうでもいいことまで。
どうしようかと悩んでいると、その子にいきなり「私、実はもっかいアパレルで働いてみようかと思うんだよね」と言われた。
それは俺にとって、いい知らせだった。まずは落ち込んでいた彼女が前向きになってくれた、という純粋な嬉しさがあった。病む前の彼女は働くのが本当に好きで、楽しそうにしていたから。
俺はもちろん後押しした。「上手く行くと思うよ!なんかあったらそれはそのときだよ!俺は味方だしがんばって」と言い、背中を押した。彼女は嬉しそうにして、「分かった。じゃあ、ツテもあるし、履歴書出してみる。」と言い、頬をそめて「ありがとう、よかった、××に相談して」と言った。おそらくこれ、俺は一生忘れないと思う。
そして。
彼女はとあるセレクトショップの、地元デパートにある店舗で働き始めた。給料が安い安いと不平を行っていたが、それ以外は割と上手く行っているようで、すぐに正社員に昇格。
俺は相変わらず仕事も上手く行かないし人間関係もボロボロのひどい毎日。
幼なじみが働き始めたせいで、休みが合わなくなって会うことが少なくなったが、相変わらずカルチャーの話をしたり、メールをしたりという関係は変わらなかった。楽しそうな彼女を見るのは救いだった。
とあるブランドのデザイナーと付き合うようになり、幸せだ、だけど時々むなしくなるという内容の日記。
俺はショックを受けた。なにそれ、知らないよ、そもそもなぜこの地方でデザイナー?
そいつの話によると、幼なじみは各地方を回って自分のブランドの期間限定フェア(?)をやってる30半ばくらいのデザイナーに口説かれ、関係を持ったということ。
俺は嫉妬に狂って、すぐそのデザイナーとやらの名前をググった。
ブランドは、すごく有名と言うわけではないけれど、コレクションとか出たり大手デパートでもちょいちょい取り扱われているような感じ。芸能人にも愛用者が数名いるみたい(本当かは知らない)。
そいつのブログを読むと、バカっぽい軽い文体でモデルと飲んだだの太っただのとくだらないことが書いてある。しかしあとは出身校で講義をしたとか、ウェブ上に大した情報はなかった。念のため2chのファ板も見たが、デザイナーの情報はなし。ブランド名もそんなに話題になってる感じでもないから、どういう奴なのかは分からない。
俺はどうしていいかわからず、彼女にもそのことを聞けずにいた。
「デザイナーは既婚者で、妻と別れるつもりが全然ないらしい。あの子もかなり悩んでる」とのこと。
そのデザイナーは、幼なじみとは地方フェアの打ち上げかなにかで知り合ったという。特別にブランドのワンピースだかなんだかを渡し、似合うと思うから貰ってくれと言ったらしい。
そして、よかったらこの服を着て俺とデートしましょうと言い、彼女を誘ったらしい。
その後何度かデートをし、そういう関係になった後、俺、実は結婚してるんだ、と告白したらしい。
そんな漫画みたいな話、にわかには信じられないけれど、どうも現実らしい。
どうみても自分には田舎の女の子が遊ばれているとしか思えんし、周りもそういう目で見てる。
でも幼なじみはまた美大にいた頃みたいに生き生きしてる。遠恋だし、不倫だけど、彼はつまんない日々に、ちょっとしたサプライズをくれると言っている。
こんなことは言いたくないが、俺にはちょっと彼女の気持ちがわかる。俺も故郷で、鬱屈としたつまらん何も代わり映えしない暮らしを送っているからだ。
しかし幼なじみが俺に新鮮な感情をくれていた。それと同じだ。幼なじみにとってそのデザイナーは、ちょっとした非日常をくれる存在で、それは俺には出来ない。悔しい。どうしようもない。
もしこうなる前に告白していれば、とか、俺があのとき両親の反対を押切って美大に行ってたらとか、いろいろなIFの話を考えては眠れなくなる日々だ。
最近は、幼なじみがtwitterで一喜一憂してて、その波が激しすぎてただただ不安になる。彼女の口からまたお金貯めて上京したい、とか聞くたび、頼むからこの子を連れて行かないでくれと祈ったりしている。
すばらしい。
まず、基本的な考え方として、日本人は芸術には向かない。(個を立たせる自己実現の発露。オナニーとして蔑まれるべき存在。)
もちろんこれは非芸術世界のキチガイにも言えることで、ああいうのは反社会分子として処分するのが適切。
もし芸術が評価されたいなら社会の認識の枠組み(それは人間性につながる)から書き換える必要があり、それは不可能。
個人的にはオペラシティとか上野美術館とか全部ぶっ潰して日本の芸術終焉を打ち立ててほしいぐらい。
ついでに個人の思想信条の自由などを憲法条文から削除して個の暴走をストップさせてほしいね。
そういう意味では大阪の不条例とか賛成。キチガイ教師は淘汰させるに限る。
花咲くいろはの聖地となった湯涌温泉に先日行ってきた。個人的には非常に印象が良い温泉街であったが、この温泉街が抱え持つんじゃないだろうかという悩みも分かったような気がしたため、あくまで一観光客の暴論ではあるが書き留めることにした。
まず、湯涌温泉街に入ってすぐ抱いた印象は、ここが上品な「静かさ」を持つ温泉街であり、こうした選好を持つ個人客向けにぴったりな温泉街だろうなというものだった(一例とすれば、温泉街にありがちな射的や場末的バーがない)。これは私個人とすれば、この温泉街に希少な強みのように思え、この「静かさ」を壊しかねないアニメファンの流入をなぜ許そうと思ったのか?ということが非常に気がかりであった。
詳しく言えば、うらぶれていない「静かさ」というものを湯涌はブランド価値として認識しているのだろうか?そもそもそれを、ブランドとして認識しているのか?次に認識しているとしたらなぜいろは招致を行ったのか?そのリスク管理をきちんと計算しているのか?というのが気がかりであった。
さて、観光業もまた普通の産業と同じように、投資のリターンを得る産業である。簡単に言えば、高山鉄道を作ったり、そこに歴史ロマンがあるのだというアピールをしないアルプスは単なる険しい山だ。観光地のPRの宣伝文句自体が、宣伝文句と同じブランド意識を作るのであり、ブランドイメージは絶え間ないPR戦略によって形作られる。では、湯涌が長年投資してきたブランドイメージとは何か?
湯涌温泉観光協会によれば、湯涌温泉のブランドというのは、「名湯がある静かな温泉街」であろう。湯涌温泉は、このブランドイメージのために投資を続けてきたのであり、それは後述するように恐らく成功しているといっていい。
問題は、こうしたブランドを花いろ招致が傷つけるのだろうか?という点にある。しかし、これは表層的な次元の話なのでもう少し深い次元についての話をしてから述べたい。つまり、そもそもなぜ、「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージから通常、広告を打つべき20代以上女性層、30代以上男性層ではない層に宣伝したのかという話である。「名湯がある静かな温泉街」というブランド自体に湯涌温泉側が価値を見いだせなくなっているのではないか?これが極めて重大な深い次元での問題である。
湯涌温泉の経済状況ははっきり言って分からない。以下、本項では一般的な温泉街へのイメージであるやや経済的に苦境に立っている温泉街というイメージを湯涌に勝手ながら当てはめる(潤ってたらすいません)。つまり、「名湯がある静かな温泉街」では競合他社が数多く存在し、このため他にもう一つアピール材料が欲しいともがく湯涌温泉、そもそも「名湯がある静かな温泉街」というブランドに魅力があるのか怪しんでいる湯涌温泉というイメージである。
繰り返しになるが、一観光客として湯涌温泉の魅力として感じたのは、「静か」であることであり、団体旅行客向けと一瞬で分かるような老朽化した大型ホテルがないという2点だった。湯についてはその効能が他の温泉と何が違うのかよく分からなかった。ただし、白鷺の湯の盛況ぶりを考えれば地元の人々に非常に愛されていることが分かり良いお湯なのだろうということは分かった。「名湯がある静かな温泉街」というのは、概ね成功しているようである※1。
であるが、やはり「名湯がある静かな温泉街」のみではメインターゲットである宿泊客は集客できないという判断があったのだろう。そこで、湯涌には「名湯がある静かな温泉街」以外のアピール材料として、それは夢二館と江戸村を設定しているようである。しかし、夢二のアピールはそれが単独で温泉街を支えられるほどの魅力かはあやふやなものであろう(東京に美術館があり、生まれ故郷も宣伝し、他の温泉街でも夢二アピールする場所があり、そのなかでなぜ湯涌が選好されるのかは分からない)。江戸村は総花的な江戸時代博物館となってしまっており、金沢の奥座敷というブランド宣伝と違ったファミリー向けの平凡な教育施設となっている。夢二館と江戸村も既存宿泊客(リピーター)に害をなすような施設ではないため加点要素は少ないが減点要素はないのは幸いとはいえる。とはいえ、とどめをさすようで気が引けるが、web上にある湯涌温泉街MAP(事前の予習に非常にお世話になった)を見ていただきたい。右端には大正ロマンの街散策と書いてある一方、左端には武家・街やゾーンがアピールされている。これでは何を見ればいいのか分からない。湯涌の自己意識の分裂ぶりが明瞭に映し出されていると言っていい(もちろん、江戸時代から明治・大正につながる構成になっていれば文句ないのだが、江戸の住宅と夢二に大した関係はない)。
結局のところ、現在、湯涌温泉の獲得している資源とは、「静か」であることと「うらぶれていないこと」である。「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージは一応確保していると思われるが、メインターゲットである宿泊客をひきつけることに成功していないのではないだろうか。白鷺の湯目的で来るような人間の訪問時間を増やそうという目的があるだろう夢二館、江戸村は、しかし、一泊させることにはつながっていない。どっちとも見ても温泉に入って日帰りで帰れてしまう。いろは聖地巡礼も同じである(それでも、日帰りでくるような客層はファミリーであるため、「名湯がある静かな温泉街」というブランドは大して傷つくことがなく、メインターゲットである宿泊客に不快感を与えることはおこらなかったはずである)。
勝手な憶測だが、湯涌温泉とは、メインターゲットである宿泊客が減少する中、これを「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージのみでは防げないとして、新たなアピール材料を探しているが既存の施設(夢二館、江戸村)では十分に成功していないという温泉街なのではないだろうか?そこにアピール材料としての新候補としてやってきたのが花咲くいろはである。
では、ようやく元に戻る。さて、この「名湯がある静かな温泉街」というブランドを花いろ招致は傷つけるのだろうか?はっきり言うが、現状のままならば傷つけるに決まっている。4月9日の配布イベントだが、あれを宿泊客が目撃したらどう思うだろうか?あるいは爆音をならしながらバイクで聖地巡礼をする人間について宿泊客はどう思うのか?しかし、これは湯涌温泉としては当然予想できたことである。問題なのはブランド価値を傷つけるリスクを負ってまで花いろを招致したことに、どのような意図があるのかということである。
1つは、メインターゲット自体を変えたいということが考えられる。つまり、宿泊客から日帰り客に客層をシフトさせたいという意図が考えられる。「静か」というブランドに価値がもうないと判断しているという可能性がある。もう1つは、花いろ招致は、今までと同じような単なるPRの一つに過ぎないと湯涌温泉が考えており、それがブランド価値を減ずるものと分かっていないという可能性がある。あるいは、ブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きい(騒ぎも半年もすれば収まる)と判断している可能性がある。
第一の可能性の場合、今のところ湯涌温泉に落としそうなお金は個人につき1000円以内だろうということが予想され、この単価引き上げが急務だろう。サイダーは温泉側にとっては最悪な商品になりかねないことを肝に銘ずるべきである。1本200円のあれ(店だと189円でした)は瓶そのものもお土産としての価値があるため、食べ物+グッズという選択肢を見事に消してしまえている。いろはにおいてはグッズ問題は解決するはずだが、日帰り客にシフトさせたいのならば単価引き上げは急務だ。白鷺の湯の規模的に日帰り客を狙うことはあまり考えていないように思える(あたらしや、やました、戸田屋では日帰り客を狙った展開を考えているようである。このアピールはもっと強調してもいいだろうが、現時点では諸刃の刃と認識されているのか扱いがいまいち見えない)
第二の可能性の場合はかなり末期的であるとしか言いようがないので考えないことにする。
最も考えられそうなのは、第三の可能性、一時的にブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きいという判断である。花いろの良いところは視聴層が10代、20代と非常に若いため潜在的顧客を長く保てるという点にある。このため長期的に見ても、花いろ招致はプラス面を強く持つだろうことは予想できる。しかし、それでもだ。既存客にダメージを与えるマイナス面にはやはり注目すべきであり、この管理もまた重要ではないだろうか。マイナス面についてはもっと慎重に考えるべきではないだろうか。長年投資してきた「名湯がある静かな温泉街」というのは意外に貴重である可能性が十分あり、現状のリピーターを奪ってしまう可能性は深刻なものと受け止めるべきである。
では、湯涌温泉は花いろについてどう対処すべきなのだろうか。答えはシンプルであり、少しでも不快な事態が起これば、PAワークスにすぐ苦情を申し立てたり、出来ればファン向けに何らかの注意を呼びかけるべきである。バイクについては深いところまで入れるべきではないだろう。イベントについては他箇所に譲る、あるいは、逆に大々的なものにしてしまいファンではない他の客を一笑に付させてしまうのが良いと思われる。湯涌温泉に分かっていただきたいのは、作品を愛するアニオタの敵は、その作品世界観を壊そうとするアニオタであり、激しい同族嫌悪が我々の特徴であるということである。そして、このアニメは作品を愛するファンを数多く生み出すことが予想できるのだから、過剰反応と思われない程度には警告を発し続けるべきである(出来るだけマナーを守るファンとそうでないファンを分断させるような方法で)。
さて、長くなったが、まとめると、
①花咲くいろはは朝ドラ・昼ドラ的なものをアニメに移植させ新しい科学反応を試すという冒険作であり、いわゆるアニメとは違ったアニメになるだろう(信者的目線では)。しかし、それはアニメを見ればの話であり、アニメを見ない層からはいわゆる深夜アニメでしかない。
②湯涌温泉が長年投資してきたブランドとは、「名湯がある静かな温泉街」であるが、名湯はアピールしきれておらず、「静かな」は花いろ信者の来訪によって傷つけられる可能性がある。
③花いろ効果は②のマイナス面を打ち消して余りあるものになると思われるが、それでもマイナス面については慎重に考慮すべきである。苦情を言ったところで、それはファン間の内ゲバになるだけで、ついてくるファンは数多くいる。
④そもそもこうしたブランド価値を傷つけかねないPR誘致を行った原因についてはきちんと整理するべきであり、湯涌温泉はブランド戦略について徹底的な議論を重ねるべきである。
⑤とりあえず、日帰り客は大してお金を落としていないので、客単価を引き上げる行動をするべきである。
以上の事を、先日感じました。物事にはプラス面とマイナス面があるのは当然なことですが、今回の場合、そのマイナス面が湯涌温泉が投資し続けてきた資源を傷つけかねない(元々観光地で生計を立てていたというところが鷲宮等と決定的に違う)のが気がかりです。花いろ誘致は大正解だと思いますが、慎重に取り扱ってほしいなと。ま、アニオタ専用温泉とかに開き直るのもいいのかもしれないけど、個人的にはそうなったら行きたくないので。
※1
個人的には、この路線の徹底的な深化が議論に上がったかどうかが非常に気になってしまう。先ほど述べたように、湯がどれほど良い湯なのか一見でも分かるようにアピールし尽くせていないのは問題である。本当にいいお湯ならば、どういう比較優位があるのか等アピールし尽くすべきであろう。湯が本当に良く静かならば、高価格路線(現在の湯涌は中価格)でも全く問題ないはずだが、この可能性はなかったのだろうか。あるいは、金沢駅から立地が近く、それでいて静かな温泉というのは相当貴重なはずであり、立地の優位を生かして個別・ファミリー別に送迎するなど中価格ながら高品質なサービスを提供するのも手であったはずである。
二人きりで遊ぶことが多い。
私はその子とのことを彼氏だと思っている。
別にお小遣いをあげたりはしていないし対等な関係だ(たまにおごってあげるけど)。
ところがまあ、何回デートしても遊んでいる以上の発展はないわけだ。
一回、映画を見た後に「あそこのシーンえろかったねえ」って振ってみたら、
発情するんじゃないかと思って言ったら、「うんそうだねえ」って流されたorz
はあ、これが草食系男子か・・・と実感。
でもでも。
昨日、帰りがちょうど帰宅ラッシュと被さって、車内がかなり混んでいた。
ばらばらにならないようにしていたら変に密着しちゃって、
向かい合わせてくっつく形になった。
こんなにくっついたの初めてだよ~ってドキドキしてたら
って思ってドキドキしてたら、
やっぱり草食系なのかなあ。
もし、そのような話を私がしているのであれば、その文章を引用して教えてください。
お願い申し上げます。
そして、普通のお店では、シャカシャカシャッター音、フラッシュ撮影してても
なにも言えないのが普通です。それが、お店のお客様に対する心ですよ。
それをいちいち、言うのが嫌なお店は、店内撮影禁止とみっともないのに
バブルははじけたんですよ。お店の方が立場が、お客様より弱いんですよ。
撮影していることを注意しても止めてくれない方が多いから、どうしようもないですよ。
警察呼んでも犯罪扱いになりませんからね。それこそ、警察呼んだら他のお客様に迷惑ですよね。
注意してお客様が逆切れして、他のお客様に迷惑をかける行為に及んだらと思うとなにもいえないですよ。
これは、美術館でも同じですよ。だから、美術館には撮影禁止って書いてあるですよ。
現に、高級店であろうと、料理が来る度に、シャッター音、フラッシュ撮影しているお客様がいます。
なにも言ってくれませんよ。それが現実なんですよ。だから、私は、提案しているんです。
銀座のエノテーカーピンキオーリでも、ベージュ東京でも注意はされません。
最近、ベージュ東京では、店内撮影禁止というみっともない張り紙をしている噂です。
非常に情けないです。
私は、単に、もっと、他のお客様に気を配って、撮影するなら撮影してくださいと。
提案しているだけです。
横増田
じゃあいいじゃん、って思う。きちんと年齢制限をかけましょう、という話だよね。それのどこがここまで大きな問題になるのかよくわからない。
日本ではR18指定は事実上の発禁に近い扱いになる。厳密に言うと、狭い日本でのリアル書店の都合とかコンビニとかの都合があって、商業的にほぼ死ねる、という意味なんだけど実態としてはそういうことになる。
かろうじて「抜き用」ことに特化したR18エロ作品は専門店やネットといった細々とした流通がないこともないのだけど、逆に言うと「抜き用」でない作品は完全に流通手段が断たれる。現実にはエロも含めてR18流通はあまりに現実的じゃないので同人化でアングラ流通、というのが流れだよね。
加えて、そもそもR18にするほどのものなのかという問題もある。何故なら、R18にする法益は青少年の健全育成ということにはなっているのだけれど、健全という言葉そのものが元々恣意的な言葉だもの。
今回の適用範囲は色々定められてるけど、そもそも論で言えば現在の漫画流通ではあの範囲に入るものは既に全て自主的にR18になっている。じゃあ規制してもいいじゃんと思うかもしれないけど、これ逆だよね。
よくネタに上がる雑誌にチャンピオンREDいちごがある。俺は話を聞いて一度チラ見しただけだから外してるかもしれないけど、俺がざっと見た限り今回の適用範囲を拡大解釈せずに考えれば該当しないと思った。でも、大前提として、議論の真っ最中に問題になったチャンピオンREDいちごは「該当する」というか「該当させる」んだよね?てことは少なくとも俺から見れば「既に」条文読んだ通りでない基準で運用されていることになる。
この条例に反対するなら、「なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか」ということに対して合理的な説明ができないと説得力が弱いんだけど、そこを説明してる人はいない。
いや、自由がデフォルトであって、自由でない状態の方に合理的な説明がいるはずなんだが、それすら分からん人向けに説明した方がいいの?
うーんとね、性表現や暴力表現は表現技法としては古来より定番のものであって、これを規制するとはっきり言ってあらゆる表現が大幅に狭まるよ。最も原始的な衝動の一つだからね。「これ施行されたら古典の名作は片っ端から漫画化禁止だよな」なんて冗談みたいに言われてるけど、そりゃ当然だ。
本来なら性表現に限らずどんな表現技法にもこれが使えないことで狭まる表現というものはある。ウンコの詳細な描写があってこそ素晴らしいという作品が存在し得ないと誰が言えるのか。言える奴は馬鹿だよ。これは冗談やネタではなく大真面目な話。それが芸術における表現の自由ってもの。
性表現なんて全くなくても素晴らしい作品は書ける!!って言い張る人はそりゃいるだろう。うん、そりゃ性表現なしで書ける素晴らしい作品は世の中に存在するだろう。そして一方で素晴らしい作品が確実に減るということだけは断言できるね。それが半分なのか1/10なのかは知らない。
そもそも表現を規制することが問題だ、っていうのもあるんだろうけど、一昔前にバトルロワイアルの映画がR-15になって世を騒がせたけど、その後表現規制に繋がった?バトルロワイアルが見られなかったから成長に重大な問題が生じた人がいる?
まあ一般向け邦画でやんちゃはしにくくなったってのはあるだろうねぇ。逆に比較的小規模な映画はやんちゃして政治家の介入を招いたら勲章みたいなとこもあるけど、それなりの予算でやる映画じゃ火中の栗だわ。どちらにせよ「規制を恐れずに使える表現は減った」とは言える
バトロワが見られなかったら~というのはどういう意図か分からんけど、原作はなかなか良い作品だったし映画もまあまあの出来だったし、むしろ青少年に見せてこそ考えさせられる作品なので、見たいけど見られないというのは自分の頭で考える機会を一つ失うことになるね。とても残念なことだと思う
春画が本格的に禁止されたのは明治時代からだよ。江戸時代はむしろ春画はご法度ではなかった。
その後の表現規制?今でも春画は猥褻物陳列罪の規制対象で美術館にも置けませんが?
日本人に何か重大な問題?江戸時代に発展した浮世絵という今や世界的にも名高く知られた芸術技法が完膚なきまでに滅び去りましたが?
春画なんてアホな表現規制のせいで芸術が一分野丸ごと滅び去った典型としてしょっちゅう例に挙げられる代物じゃないか。
結局はなぜ規制するべきなのか/してはならないのか、という双方の意見の根拠が曖昧なままだからここまで混乱するんだと思う。ただ、子どもの育成に定説がないように、どうすればいいのかなんて永遠にわからないんだと思う(ましてや「健全な育成」なんてね)
厳密に適用するなら、むしろ未成年は書店自体に入れないようにして全域デフォルト18禁。読んでいい本は親の判断して買う、とでもするか?子供にどんな本を与えるかは親の裁量権であることは現行制度でも大前提なので、突き詰めるとこういうことになるな。うん、まあ、日本の文化は死滅するな。
個人的には逆。今や情報が何でも手に入るご時世、18禁という考え方自体が既にもう古いと思う。その気になれば超過激な同人がネットで手に入るんだから、あらゆるコンテンツが世の中に存在する前提で、それとどう付き合うか親と子供がちゃんと話し合っていくべきだろう。そもそも論としては別にエロが氾濫したところで犯罪が増えるわけでもないのは既に分かってるんだから、これって親の道徳方針に合うかどうかだけの問題だよ。
親が話し合わないならどうするか?そりゃ何でもOKでいいでしょ。そんなの余所様が決めることかよ。政府はママのママじゃねえ。
ちょっと極論に聞こえるかもしれないけど長期的にはそうなっていかざるを得ないしそうなるのが健全だと思う。
ただそういう理想論はともかく、狂信的な道徳観念を持ってる人たちは、それを余所様の子供を含む日本人全体に押し付けたいと思ってるからね。
彼らの健全の定義が毎日日蓮宗の仏壇に拝むことだったり毎週日曜に礼拝に行くことにまで進んじゃっても驚かないよ。そこまで露骨なことを口にするかどうかはともかくとして、真面目な話として「(実犯罪と無関係な)道徳的健全性」の定義は「特定の宗教的価値観への合致」であることは多い。
現に今の日本でも彼らは公教育での宗教教育なんて言葉を本気で平気で口にするし、現に今まさにこの議論の中で健全の定義の中に平気で同性愛の排除を入れてるじゃないか。冗談抜きで規制がそういう方向に行った国も少なくない。それってイスラム教国とかじゃねえのかwwwって話じゃないよ?韓国とかそういう「普通の」国だよ?
元増田です。
何か書きたいけど、うまく言葉に出来なくて申し訳ない。
以下、落ち無しの駄文です。
気持ちがあっても出来なかったり、逆に気持ちはないけど出来てしまったり…
世の中不思議とそんな状況で回っています。
「プログラムが楽しくなくても、趣味や私生活で楽しんでたり幸せだったらそれはそれでおkじゃね?」とか思ってみたり。
自分はプログラムをまともに作れなかったり、就職難に喘いだりしてます。
正直苦しいし、他の人から見たらどうでも良いことで凹むことも多いです。
けど、彼女と一緒いると幸せを感じたり、家族と楽しく過ごす日々も多いです。
楽しい映画をみるとワクワクするし、フラッと美術館に行くと自分の知らない世界すぎてただただ驚嘆します。
不安や虚無感に襲われることも多くあるけど、それが他の日々の出来事が幸せになるためのスパイスになってるんじゃないかなと。
やっぱり駄文でした(´・ω・`)ゴメンナサイ
えーと、とにかく自分は今やりたいことを頑張ってやってみます。
:::前説:::
ここ最近ネット界隈の著明な人の発言において「キュレーション」の重要性が語られるのをよく目にします。
それを読むたびに、とても共感していたのですがふと気がついたら、昔に自分がメモして考えていた事と同じだと気づきました。
以下の文章を書いたのは2009年11月23日。ふふふ、これって俺が前から考えてた事じゃん!って自己満足もきっと入っていると思いますが、
自分で読み返してもあらためて、考える所があったので、始めてはてな匿名ダイアリーに投下してみます。
みなさんの、考えるきっかけになりましたら幸いです。
■情報化社会(インターネット社会)における「学芸員」もしくは「DJ(ディスクジョッキー)」的存在の重要性について
近年のインターネットの普及に伴って、
個人が触れることの出来る情報の総量は指数関数的増加の一途を辿っている。
この事は「世界のフラット化」あるいは「情報格差の是正」という言葉で語られる事もあり、
基本的にはそれぞれの個人レベルの存在にとっては歓迎すべき事である。
しかしながら、現状のインターネットにおける
真の意味での情報化社会の完成された形態であるとは言えないのではないか。
潜在的なパフォーマンスを完全に活かしきれていないという事である。
インターネットを生かし切れない具体的な一例としては、
「情報過多」とい事が、まずあげられる。
■社会に存在する情報量が多すぎる為に、本来必要とする(ユーザーにとって価値のある)
情報を見分ける事が難しくなっている事。
この事柄の解決策として飛躍的な進歩を遂げたのが
いわゆる「検索システム」である。
現在の検索システムの主流といってよいGoogleの独自のアルゴリズムによる検索システムである。
特にGoogleによる検索システムの登場はインターネットの活用という面において
その優秀なアルゴリズムによって、ユーザーが求める情報に対する
検索の精度・効率は飛躍的に向上したのである。
インターネットの潜在的なパフォーマンスは完全に引き出されたのだろうか?
答えは『否』である。では現状で足りていない要素とは一体何であろうか?
まず検索システムが持っている基本的な特性として
「ユーザーの能動的な行動」を必要とする点があげられる。
能動的でないユーザーに対してより効率的に情報を提供する方法はないか?
(これまでのマスメディアによる一方的な手段でなく)
☆そこで必要になってくるのではないかと思われる新たな情報収集・提供システムの候補が、
『学芸員』あるいは『DJ』的位置づけの存在、あるいはシステムである。
「キュレーター」などとも呼ばれる。
学芸員に求められる役割は第一に、
各分野における専門知識をもって対象の管理・監督を行う事であり、
第二に持ちえた専門知識を元に普及・教育に努める事である。
情報化社会での役割として考える場合、特に重要になってくるのは、
第二の役割の「専門知識を基にした情報の普及・教育」という点である。
つまりある事柄における専門家とそれ以外の人々を橋渡しする役割である。
彼らは美術における専門家であると同時に美術自体の実践者、生産者でもある。
それぞれの職業や専門分野、あるいは生活を行っており、
それゆえ、生活時間のほぼ全てを美術にあてている専門家(つまり美術家・芸術家)
しかしながら、専門家(この場合は美術家)が生産したモノや情報の持つ
価値を享受する為にはある程度の専門知識を必要とする。
その際に必要となるのが両者の中間に位置する「学芸員」である。
しかしながら、その専門知識を持って、美術の専門知識を持たない人間に対して、
本来の情報を分析・咀嚼して、専門家でなくとも理解できる(その価値を享受できる)
「非・美術専門家」達はその気になれば(能動的意思を持てば)、
自ら専門書や、インターネットを使用して専門知識を得ることも可能であるが、
能動的意思の有無や、時間的制約からそれを完全に実行するのは難しい。
そこで学芸員(中間的位置づけのシステム)を間に挟む事により、
より効率的に、より短時間で対象の情報を得、理解し、その情報やモノの価値を享受する事が可能になるのだ。
必要とされている事ではないだろうか。
従来の考え方とはまったく別のシステムに変わっていくであろう。
(あるいは変わるべきである)
つまり従来の広告システムとは、販売主体が多大な広告(販促)費用を計上し、
【デメリット】
この従来の「広告」という考え方自体を
わざわざ広告という費用やマーケティングを考える必要はなくなるのではないか?
つまり、ユーザーが求める情報を完全にフラットに、効率よく提供・共有するシステムがあれば、
企業はいかに価値のある製品をつくるか?という本来の役割だけに集中できるのではないだろうか?