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2012-01-22

[]ハイテンションな人が手放しで賞賛される社会はしんどい

http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1

むちゃくちゃ同意

人の笑いや泣きがどれだけ簡単に操作できるかについては

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8905211  でも見れば一発で分る。



しかし、上の記事に同意するからこそ残念に思うことがある。

世の中って、感動屋の方が人を動かすことが多いのだよね。

というか、本当に

・「嘘だとかって言う前に感情が動くほうが人生充実してない?」

・より多く感動した方が素晴らしい人生を送っているというのが正しいとすれば、我々の大半の人生オウム真理教信者よりもつまらないことになってしま

こういう人多い。

で、こういう人が多く集まって、それが正しいのだって空気が形成された空間、プチ社会は本当に息苦しい。

私にはこれが形を変えた体育会系とか吉本喜劇のクソヒエラルキーのように、脳が酸素欠乏になればなるほど偉いみたいなドMの集団にしか見えない。




はてなは、そういうのが苦手な人が多いと思う。他人に笑顔を強いられるくらいなら自虐することを選ぶくらいそういうのが嫌いな人が多いと思う。

上の記事のような、ユーモアアイロニーでこういう空気に冷水を浴びせる記事が人気になりやすい。

多くの人が批判記事を書いて抵抗の意思を示す。

しかし基本的にはてなの人たちの努力はか弱い。

ハイテンションな人がちょっと本気をだせば、あっという間に2500ブクマ越えを達成してしまう。

ゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。

ハイテンションな人の熱狂には結局勝てないのだ。

その理不尽現実ますますはてな民を苛立たせるが、早いところ受け入れざるを得ないのも事実だろう。




頭が冷えているときは、「人と人って簡単に分かり合えないよね、というか絶対に分かり合えないよね、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだよね」ということと向き合わざるをえない。

そういうのは人気がでない。人気が出ないと言うか、あまりオススメしない。

特に今みたいに、支えとなるものが金くらいしかなかったのに金すらもない状態で、そういう訓練したことがないのにいきなり一人で向きあうのはむしろ危険だとすら思う。

ある程度みんなそれがわかってるから、すごくつまらないことでも共有して盛り上がってハイテンションにはしゃぐ。

とにかく泣く、怒る、やばいやばい黄色い声で絶叫する。そうやってうすっぺらい経験を少しでも濃いものとして錯覚しようとする。

自殺しないで生きていくためにはこういう必死努力が必要なんだろう。 

そういうことを考えると彼らは彼らなりに生きるのに精一杯なのであって、愚か者といって批判するのもなんか違う気がする。



命がけではしゃぎまわり、群れようとする彼らには勝てない。

勝てないのだから最初から勝とうと思ってはいけない。

でも負けを認める必要もない。負けを認めて、彼らのルール適応しようとして頑張ってモテ系の記事を読んでも、どうせ一度冷めた熱は上がらない。

自分が楽な生き方を考えるしかない。

日本人のうち9割はドMなんだ、でも僕はMじゃないんだ、体育会系ではないんだ、とはっきりとカミングアウトする勇気が必要。

意識して別路線を選ばないと、その自覚を持ってないと、生きるのが苦しくなる。




そんなことより今週のハンターハンターがめちゃくちゃおもしろくて生きるのが辛い

うわーそうきたかー。 蟻編とはなんだったのか、どころか、24巻あたりの伏線がこんなところで生きてくるとは。富樫神すぎるだろ。




追記

感動してる人たちを斜めに見て自分を高みに置こうとするのも嫌いという結論にしかならないな。

から、私はその上下とか高低ってのがいやだから、横に広げようとしてるわけよ。ヨコのものをむりやり縦に考えないといけない病気でないならそこは理解してください。


H×H単行本シリーズ累計5500万部でていてケータイ小説トリプルミリオンなんか鼻で笑えるくらいハイテンションな人御用達コンテンツと思うけど。あたなが横と思ってるものこそ縦かもしれんぜ

系のツッコミありがとう。それについては一つ目のトラバの返信に書いてあるから読んでね♪

ハンターハンターを好きなオレは縦社会から抜けだしたヨコの人間だと主張するつもりもないし、どんなマイナーな作品が好きだろうが、それはただのマイナー好きです。

あと、文中でも述べているように、ハイテンションな人たちを批判するつもりは全くないんですよ。それどころか彼らの気持はよくわかるつもり。

私が言いたいのは、「ただそこしか場所がない」という考えから抜け出したい、ということなんですね。 

必要ならみんなで盛り上がっていい。 何かをきっかけにして、人とつながりあう感覚は時々必要になりますキャッキャウフフな人たちを批判するつもりなど毛頭ない。



分かりやすいように話をぐっと傾けると、「・・・してたら楽しかった!」が逆転して盛り上がることやつるむこと自体が目的化され、常態化されるような状態は嫌だってことです。

これずっとやってると感情が薄まるんですよね。良い方向でも悪い方向でも自分の頭が麻痺してくる。

形的的を追い求め過ぎて、外からみるとリア充だけど中身は・・・って経験は誰にでもあるでしょう?

・・・と、ココらへんまで話を傾ければ誰にでもわかってもらえるとは思うんだけれど、私がいいたいのはそこまで傾けない状態のことです。

ここまで極端な話をシなくても、もうちょっと手前の微妙なところで、しんどいって言うくらいはいいじゃない、と思うんですがどうでしょう

単純に言えば、あんまり周りに振り回されずに、好きでないものや、必要でないもの、必要でないタイミングにはNoという。 

その代わりに好きなものやここだというタイミングではワッと楽しみたいです。感情を濃くしたい。そんだけ。




追記2 

反応が帰ってくるのは予定していたとおりだけれど、内容は予想以上。我ながらナイスアシストができたと胸を貼りたい気分。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120124/1327388248

彼がまともな記事を書くと、普段の彼とバッティングするというのが非常に味わい深い。

私はこれから岩崎さんの綺麗な面を際立たせるような、彼がまともな記事をかけるような問題提起をしてきたいと思います

今回は、直接作品について、しかも悪口の形で触れてしまったのである意味反則です。

そうではなく、岩崎さんの正義の心を激しく揺さぶるようなテーマ提供していきたい。

最近岩崎さんはスランプらしく、自分で考えて記事を書くことができないみたいなので、みんなもアシストして行きましょう。


あと非常に悲しい誤解があります

またぼくの悪口がはてなに書かれていた。

私は岩崎さん個人は大好きですよ。

大好きすぎてハックルブログが富樫化してる最近は生きるのが辛いくらいです。

岩崎さんは好きだけど、もしドラゴミだと言ってるだけです。その点だけは誤解して欲しくないな。

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2011-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20111018202115

年の瀬に少し時間ができたので、再レス。恵まれた人だなあ、というのが言葉にならない気持ちを代弁してくれてたので、あらゆる意味で頷いてしまったんだ。でも折角やりとりがあったので、今更だけど返信をしようと思う。


元の記事を見た上でその提案だとしたら、夢一杯すぎて話が通じない感があった。沢山の問題提起無視しての語りだと思わないかい。夢という結論ありきで文章を読んでいなかったかい。この提案をやろうと腰を上げ実現させる図書館は、数少ないがあるかもしれない。だがそれはあなたが見落としたり無視してしまった問題点必死で解決してこぎつけた奇跡の催しなんだ。

というわけで、中途半端しか仕事を理解していないなりの、問題点を挙げておく。

図書館は人も予算も足りない」から廃棄本の話題が出たことを念頭に入れて、下記の問題点について考えてほしい。



・廃棄処分を「探検隊」の方々に提供するための体裁をどうやって整える?

(捨てる場合、紐とじや箱詰めで積み上げてる場合がある。それを崩して怪我がないよう整頓し催し物の体を整える。)




・催し物のお知らせ、人員を割く、場所の確保を、誰がどうやる?




・私設の「稀覯本図書館」は夢物語

どういう規模を想定しているんだろう。とりあえず名称からして、最低限の「稀覯本図書館」について考えてみた。

必要なもの土地代、施設建設費、維持費、運営費、責任者、職員、書籍の修繕費、修繕の専門家日本じゃ育たない)、資料を提供するためのデータ図書館間でデータ共有するための加入金、盗難防止の対策(費)、…まだありそうだけどこんなか?




歳を経た方々にそういった催しを提供するだけなら、市や区を巻き込んだ企画が必要かなと思う。

有志のボランティアが企画、スポンサー見つけて開催までこぎつける。その過程図書館を巻き込む、ってならまだ実現が見込めるよ。今なら老人向けサークルグループホームなどに声をかけるのも面白いかもしれない。

図書館が動くのは難しくても、催しに乗っかるだけ(本を提供するよっつって資料の運び出しもボラさんと共同で)なら多少開催しやすそうだ。図書館という一団体にメリットがあるからね。宣伝になるし、図書館運営しながら本もより良い形で処分できるしさ。実績として残るから広報としても次の催しに乗っかりやすく、よく言われる「開かれた図書館」ってスローガン実践しましたっつって上にアピールもしやすい。


善意と熱意だけで施設を動かすのは難しい。営業と同じ。

本が好きってだけじゃ動かし難い問題は山積してるけど、やりようと手配次第で不可能ではないかもしれない。




ボラ主催じゃなくても、図書館の要らない本を持ち帰ろうってだけの催しなら、既に各地で行われてるんだけどさ。




他人に仕事押し付けやがって、それだから駄目なんだ、と思わせたらごめんな。

美味しいとこだけ持ってくのは意外と難しいものなんだ。次に繋がらないしね。

2011-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20111028052607

一応、嫌悪差別は別じゃない?



ある集団に対する問題提起を行うと

その集団に対する差別だと返されることがあるけど、これにはいつも納得がいかないんだ。

自分達に向けられる反論を差別だとし、差別主義者認定することによって相手を黙らせるやり方ね。

2011-10-14

だけど・・・

http://anond.hatelabo.jp/20111014175014

ネットと言うのは、諸刃の剣

とか

人がそこまで信じられるのだろうか?

とか

普通の人じゃなく、ネットを見る人や、ネットと言うものに対する時の人の姿勢とかも、人間的と言えるかどうか

とか

色々迷いもあるという事だと思う



なんか、こう ツイッタでも色々団体とか運動とかやってる人はいるし、そういう人たちに自分のページのリンクをお願いしたり、ツイッタで拡散もそうだけど

そういう事のリスト  お願いとか こうして欲しいとか

それと、これはやめて欲しいというのも



そういうものを、基本的人権などに照らし合わせて、理論武装したようなのを、マニュアルのようにある程度作って、スパムのような頻度ではまずいけど、ある程度幅広くたくさん、それも言いつつ、連絡を送ったり

してみようかな




だって市民団体なのか何なのかわからないけど、ある医療を考えるという会か、それを問題提起してる人かわからないけど、反朝日新聞バナーを貼った思想的なページも作ってた人なんか、無茶苦茶言うよw

朝日バナーは知らないでそのページみないで連絡した

思想的な事は話してないからわからないけど、道徳的に無茶苦茶とかだけでなく、これだけの材料でそこまで判断するのは、どう考えても先走りすぎやろ?みたいな状態で、バンバン断定してくる。疲れた。

いきなり聞いても信じがたい事かもしれませんので、どうかもう一度よく考えてから・・・と言って、向こうも納得して謝罪したはずなのに、また同じ事を繰り返す。。。

どう見ても~、と言う言葉使いは、あまりしたくないけど、あれは、どう見てもと形容してよい状態だと思った。

なぜかと言うと、私が書いた親の職業勘違いして、そこからさらに、想像を逞しくして、「親は優しい」と書いてきたりするから・・・・w

ちょっと、何ていうか、・・・何ていうか   

それで、ものすごく熱心にツイートしてくるし

何何何なの???




いちいちこんなんじゃ大変だから、先に理論武装や、権利関係をはっきりさせてから、と思う

わかってない事で、抽象的な決め付けや、意味の無い妄想をしないこと、という項目も付け加えながらでないと、連絡できなんて、日本は何て国なんでしょうw

市民団体も、弱者権利を守るはずの団体が、搾取的に動いてしまってたりして・・・ (ボランティアはいいんだけどある職業の人がちょっと)

本当にいろいろあるなあ・・・・・・

思うんだけど

http://anond.hatelabo.jp/20111014171313

自分が今まで体験記とか書かなかったのは、共感をそんなに求めなかったというか・・・

そういう感覚的なことより、現実的な事の方が必要で

ギリギリにしても何とか自分でやってきて

とりあえずは困った事や、切羽詰った事がない情況にしていた

同じ共感するにしても、良い事や楽しい事なら良いけど、そうでもないし

それに、知らない人というと冷たく聞こえるかもしれないけど、知らない人に共感してもらっても、それで?って感じにならない事もないし

から、その手のものは作らなかったんだと思う。

だけど、情況が変わったし、本当に危機的状況も、遭ったし

諸々を鑑みて、これは世に問う形に残して置いた方が良いかなと思ったんだと思う

それに、よくわからなくなってたというか・・・

ネットの使われ方が、日本では社会的問題提起にあまり使われないけど、外国ではもっと使われてるように思うんだが、日本でそれをやってはいけないのだろうか?

2011-10-12

被害を公表するなって言う被害者は一人しかいないのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20111012212002

ていうか、いるのか?

勝手被害者感情を代弁してるようだが、被害者たちが公表してるし、言って何が悪いの?ってやってるんだけど

って言ってるんだが

全く話が通じてない

もし仮に言って欲しくないという被害者が居たとしても、言いたいという被害者も居る

社会的公益性を考えれば、それについて問題提起したり話し合ったり、社会意識を変えさせようとしたりする人も出るだろう

それを全部一人嫌がる人がいるから止めてねなんて、言えるわけないと思うけど

2011-09-30

もしも日本韓国自由貿易協定を結んだら

今月初め、東京千代田区ホテルニューオータニで開かれた「東京韓国産業展」。

主催した大韓貿易投資振興公社(KOTRA、日本日本貿易振興機構=JETROに相当)の

洪錫禹社長(中略)主催者を代表して壇上に立った洪社長は、日韓政府企業関係者を前にこう呼びかけた。

経済グローバル化と円高を考えれば、両国を1つの経済圏と考え、関係を深めていくのが日本

そしてお互いの利益にならないだろうか」政府メッセージを広めるためだったのだろう。

8月に韓国大使館がしていた説明とよく似ていた。韓国EU中南米米国などに続き、

日本ともFTAを結びたい――。

(2011/9/21 7:00日本経済新聞 電子版より)

上記の記事を読んでぞっとした。

確かに日本自由貿易協定を結べば、サムスンロッテなど、一部の企業は今以上に儲かるだろう。

だが間違いなく、韓国の中で力の弱い産業は、壊滅的な打撃を受ける。

それは、アメリカ自由貿易協定を結び、農業が壊滅的な打撃を受けた今のメキシコを見れば一目瞭然だ。



メキシコの現状

アメリカ農業産業としての力は、決して圧倒的に強いわけではない。

このところの資源高で、ようやく利益が上向きになりつつあるが、そもそも工業生産に比べれば利益率は低い。

加えて労働時間が長いこともあって、農業従事者の数はアメリカでも年々減っていたのが実情である


それでも、メキシコと比べれば、生産性利益率も高い。

そして、強者と弱者が同じ籠の中に入れられた場合、強者が弱者を駆逐するのではなく、弱者同士が争って、より劣るものを駆逐する、という現象が発生する。

工業生産がうまく棲み分けを行ったのに比べ、アメリカ産業の中で弱い産業である農業が、メキシコのそれを圧倒し、壊滅した。

その結果、食えなくなった農民たちが多数発生し、難民となって都市部へと流れていく。

ついには治安が悪化、元農民たちが非合法麻薬取引に手を染めるようになり、現在メキシコ世界でも有数の犯罪率を誇るようになった。



協定締結後の未来

日本韓国自由貿易協定が結ばれたら、全く同じような現象が生じるだろう。

工業生産や大三次産業では、うまく棲み分けができるだろうが、問題はそれ以外の、例えば繊維産業などの軽工業や、農業漁業などの第一次産業間の競争である

韓国人は自負心が高いので、日本人能力を大変低く見積もっているけれども、弱い産業になればなるほど、日本人の優位性は揺るぎないことがわかっていない。

衛生観念、丁寧な仕事、均一な製品工程管理能力など……。

韓国では未だに、白菜寄生虫が発生する事件が頻発しているが、日本では皆無とはいえないものの、韓国に比べれば圧倒的に少ない。

韓国人能力も素晴らしいが、兩班の愚民化政策の悪影響が尾を引き、まだまだ一般大衆仕事レベルは、日本に比べて低いのが現状だ。

もしも韓国日本自由貿易協定を結べば、たぶん韓国軽工業第一次産業は壊滅するだろう。

仕事にあぶれた元農民らは、日本逆恨みするのは間違いない。

日本を滅ぼす役に立つなら、喜んで覚醒剤日本人相手にうりさばくようになるだろう。

メキシコ麻薬王たちが、反アメリカという点で一致し、アメリカを滅ぼすために誇りを持って麻薬産業に従事しているように。



もっとメキシコの惨状の報道

韓国の力の弱い大衆を救うためにも、決して自由貿易協定を結んではならない。

サムスンなどの一部の成功した企業だけを救い、多くの韓国人を困窮のどん底に沈ませないためにも、今メキシコで何が起こっているかマスコミは正確に報道し、

同じことが日韓の間で起きる可能性について、問題提起しなくてはならない。

だが、日本マスコミでそのような報道をしている局は皆無。

対岸の火事だと思っているのかもしれないけれども、日韓自由貿易協定を結ぼうという議論が始まった今、他人事ではなくなった。

メキシコの窮状を、日本人韓国人で共有した方がいい。

ソ連経済貧困ぶりの報道があったから、共産主義への正しい忌避感がはぐくまれた。

同じく、行き過ぎた自由貿易がどれほど人々を苦しめているのかを、マスコミにもっと報道して欲しいのだ。

2011-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20110809183256

ありがとう、参考になります。基本的には僕も同じような考えです

「ツイトモの件」のリンクFacebook内へのリンクですよ、って書き添えた方が良かったですね。ごめんなさい。

リンク先でははまちちゃんが利用者のことを考えていないサービスとして、エガちゃんが作ったiddyから女性プロフィールだけを抜き出すサービスを挙げ、勝手ツイートするサービスはそれと同じじゃないの?と問題提起してます。そしてそれに対するあまちゃんのレスポンスやら。

2011-08-04

中国嫁日記差別的かどうか問題」の辞書的なまとめ

http://togetter.com/li/166146

http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome

上の2つのエントリーなどで、有名ブログ中国嫁日記」が差別的かどうかという話題が妙な盛り上がりを見せているようで。とはいえ、この手の議論の常として、互いに感情論を飛ばしあうだけの、ぐだぐだな結末になっているようですが。



少なくとも今回の議論に限り、ここまでぐだぐだになった原因は問題提起側、すなわち「嫁などという性差別的な言葉を使うとは何事か!」と言い出した側にあります。なにしろ、嫁という言葉を再三再四あげつらっておきながら、なぜ「嫁」という文字の使用に問題があるのか一度も説明していないのですから



僕自身としては、「嫁」は あまりいい言葉ではないと思っています

たったこれだけの「自分感覚」をよりどころに、あれだけの長文を書き上げ挙句社会まで語ってしまうと言うのは、その壮大な構成力に賞賛を贈らせて頂くより他にありません。その果て、このブログ主さんは

しかしそれにしても、前述のTogetterものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、 …(途中略)…  だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。

と嘆いておられるのですが、そりゃ「嫁なんて言葉けしからん!」という「自身の感覚の披瀝」に過ぎないtwitterに対して、客観的かつ論理的な反論を要求するのは無茶というものでしょう。自分が見えていない人間とはよくよく怖いもの無しのようです



しかし折角なので、ここではその無茶への挑戦をしてみたいと思います。上のエントリー中国けしからん!嫁は差別精神が疲れる!という切なる悲鳴に対して、どこまで客観的な「反論」をなし得るのでしょうか。単純化のために、ここでは内容については一切議論せず、「中国嫁日記」というネーミングの是非だけを考えましょう。


さて、客観的と言うからには、ここで「俺は嫁って別に差別的じゃないと思うけど」と張り合ってみても意味がないのは明らかです。ここで必要なのは中立的な第三者の視点であり、そして私の手元にはこれ以上は望み得ないくらいに客観的な視点があります広辞苑と新漢語林。要するに辞書です


広辞苑によると、嫁は



(1) 息子の妻

(2) 結婚したばかりの女。新婦

(3) 結婚の相手としての女。嫁した女。妻。

(4) 「嫁が君」(ネズミ)の略



とあります。二番目の意味から、まず中国嫁日記の嫁の使用法が間違ってはいないことが分かります。まだ新婚さんみたいですから。さらに漢語林を引くと、



形声。女+家。音符の家は、いえの意味女性が生家から夫の家にゆく、とつぐの意味を表す。



とあります。恐らく、嫁という字が一部の人たちから忌み嫌われる理由の一部がここにあります。家の従属物的な意味合いを感じ取って、それが性差別であるという論法のようです。とりあえず事の是非は置いておいて、代替語についても調べておきましょう。



妻:  かんざしに手をやり、髪を整え飾る女性のさまから、つまの意味を表す。

奥:  貴人の妻の称。貴人の居室。大切にすること。など多数の意味を持つ。室も同義。

婦:  女+帚。帚はほうきの意味。ほうきを持つ女性家事に服する人の意味を表す。転じて、一家の主婦。一家の切り盛りをする女性。または子の妻。

配偶者: 木偶人形が並んでいるさまを示すのが配偶。

細君: 細は小さい、かぼそいことを示す字。愚妻などと同じ謙譲表現。ただし、最近は細にこまやかという意味もあるせいか、他人の妻をいう語に用いられることが多い。



他にも連れ合いとか家内とかありますが、もう十分でしょう。妻というのはなかなかに色っぽい文字で、言葉自体には結婚関係を表す意味合いがないのが嫁との違いです。ちなみに、夫も大人が冠を付けている様をしめすだけの文字なので、夫妻という言葉は男女という言葉と解字上はあまり差がありません。一方で生活感が溢れまくっているのが婦の字で、家政婦や助産婦など、女性が多く働く職業にこの文字が使われるのも、事の是非はさておき自然と言えるでしょう。


奥・室は、元々家の神を祀る場所を意味したこともあって実にエレガントな言葉で、自分配偶者を「奥さん」と呼称する人もいるようですしかし、元は貴人の妻を表す表現である以上、日本語表現としては非常に据わりが悪い。そもそも、定義から言えば自分が貴人と言うことになってしまます配偶者は実に中立的ですが、3文字を費やした挙句に性別も分からないというのは、法律用語としては便利でも本のタイトルとしては問題外です



こうしてみると、本のタイトルとして使い物になりそうなのは嫁か妻かの2択と言うことになりそうです。この2つの文字が決定的に違うのは、嫁には「移動する」という概念が強く存在する点です。生家から夫の家へと。だからこそ、嫁に来る、嫁に行く、という表現はあっても、妻に来る、という表現はあり得ません。責任転嫁に嫁の字を当てるのも同じ理由からでしょう。中国嫁日記というのは、中国からやってきた奥さんが異文化の日本で楽しんだり悪戦苦闘したり、旦那さんと新婚生活をエンジョイするのを描く日記です。ならば、単純に中国人配偶者であることしか意味しない中国妻よりも、「中国から来た嫁の日記」とするほうが遥かに適切でしょう。

もちろん、このように語を連ねずとも、常識的な日本語感覚を持つ人にとっては、中国嫁日記の方が据わりが良いというのは直感的に明らかなのですけれども。




さて、問題の差別性の有無についてですが、今回の騒動でひとつ明らかとなったのは、「嫁という言葉差別である」と思う人とそうでない人が両方存在すると言うことです。どちらかといえば、差別的と感じない人の方が多いようにも見えます。ここからは私個人の主観になりますが、嫁が嫁ぐ「家」の概念過去数十年で大きく変わったためであるように思います。昔は女性の嫁ぐ先は夫の実家であり、夫の親兄弟との同居を意味しました。ここでの家は正に「夫の家」であり、「妻の家」にはなりえません。ついでに、義理の親兄弟の世話まで任されることも多かったわけで、妻にとってはなかなかにストレスたまる環境であったことでしょう。この状況下で「嫁」という言葉ネガティブ意味合いが生まれるのは無理からぬ事かも知れません。



しかし、核家族化の定着すると、花嫁が嫁ぐ「家」には夫と妻の二人しかいません。この「家」を夫の家、と考えるのには無理があります - この「家」はふたりだけのものなのですから。多くの日本人にとって、この「家」に嫁として嫁ぐこと自体は、特にネガティブ意味を持たなくなって来ているように思います。もちろん、女性であるが故のディスアドバンテージがこれで消えたわけではないでしょう。しかし、それはもはや「嫁」であることのディスアドバンテージではなくなってしまったのです



こう考えると、嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」の概念の持ち主なのかも知れません。運悪く嫁がこき使われる大家族に生まれてしまったとか、時代遅れフェミニズム教科書(そんなものがあるのかは知りませんが)にかぶれてしまったとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄りであるとか。どちらにせよ、嫁の字を見ただけで辛い思いをするというのは、同情に値する境遇であることは間違いありません。嫁でこれなのですから、女に帚の婦を見た日には心臓発作でも起こしかねない。全国津々浦々の結婚式場で「新婦入場です」のアナウンスがかかるたびに、その言葉差別性をこんこんと説き起こし説伏する。その果てにしか彼らの心の平穏はあり得ないのです。彼らフェミニスト想像を絶する試練の日々を、私は涙と共に見守りたいと思います

2011-08-02

ネトウヨが沸くのは当たり前だが淘汰には努力が必要

連日のネトウヨネットウヨク)の騒ぎっぷりはエスカレートする一方だ。常に新たな燃料を見つけしゃぶり尽くすまで騒ぎ立て被害を拡大する。


7月だけでもなでしこ熊谷選手Pixivなど目に痛いネット上の騒動は続いてたが現在は目下、宮崎あおいの夫、高岡氏の「8は今マジで見ない。韓国TV局かと思う事もしばしば」発言をダシに韓流バッシングが横行中。

まりの騒ぎぶりにどの騒ぎも原因は二の次で、災いだけが見た人にすり込まれてしまっているのではないだろうか。



また、騒いでる9割の人は尻馬にのって踊ってるだけで、怒る義理も筋合いもあったもんじゃないだろうにとしか思えないというか、むしろ毎週新しい着火ネタを探し、前日より盛大に燃やすことを生き甲斐にしてるのがネトウヨと呼ばれる人達で、そしてまた尻馬に乗るのが好きな人に伝搬していく。今日の↓の騒ぎなど、この国は大丈夫なのか?と思わざるを得ない程だ。



高岡騒動で鬼女がフジテレビスポンサーへ抗議、花王を筆頭に不買運動へと発展

http://hamusoku.com/archives/5455828.html





毎度この手の騒ぎを見ると、今なお世界中日本のためにチャリティ活動をしてる人もいるというのに、なんというバチ当たりと驚くのは山々だが、そもそもネトウヨの発生原理にまるで対処がされてないんだからしょうがない。例えるなら食べたリンゴカスをそこかしこに投げ捨てゴキブリがどんどん沸いてきてもキモいからと見て見ぬふりをしてるようなものだ。


発生原理や習性の考察は各所にあるが、わかりやすいのは人種差別好きな人達、今風にいうとレイシストの発生原理がこそがネトウヨ根本と思われる。

レイシストレイス(種族)の派生単語と言えばわかりやすく、即ち自分の種族にナルシストのようにどっぷりの人のことがレイシスト。つまり自分(の種族)以外は劣等ということ。


レイシストの発生原理に戻ると、これまた単純に「日本で生まれたということ以外なんの自慢もない人が、唯一の優越感として種族をダシに近所(隣国である韓国中国)をバッシングする」がメジャーで、即ち無職童貞ネットで唯一のっかれる(と勘違いして)優越感を分泌するネタ近隣諸国への差別であり、無職ゆえに無限時間で繰り返すし、優越感が不足するとさらに次のバッシング材料を求めてさまよい、見つけた炎上ネタの上でまた踊り狂う。


なんで隣国をバッシングするかというと、隣の国の名前しか知らないって次元子供も多いだろうし、やはり差別をする優越感のみで生きてける性質が固定的な視野の狭さになってるだろうし、こうした人に世界情勢や「韓流を流しすぎというがハリウッド映画はもっと流しすぎだろ」という正論を説いてもそりゃ受け付けないだろうと。


そうした原理の「なんの自慢もない人」とは未成熟子供が当てはまるし、差別というオモチャにはまった子供の集団は、かつての暴走族と同様の結束力や社会的問題になるもの当然。


まりネトウヨへの牽制で正論を説いても、暴走族の集団に社会情勢を話しても誰も聞かないような感じで、かみ合うことはほぼないだろう。

有名人Twitterで凸してなにか炎上ネタを引き出そうとするネトウヨマジレスしても、さらにからかわれるだけなのもよく見かける。


ある意味、かつての不良・暴走族を凌駕する社会問題だと思うが、一体どうなってしまうのか?


っと、いうか、法律条例規制が強化されるに決まってるだろうというしかない。

当たり前だが、記名でやったら罰則を受けたり疎ましく見られるリスクがある行為匿名ならしてもいい、というのがネトウヨ勘違い大本だし、勘違いを正すには、罰を受けるべき罪が生じたら、罰が罪の主に課せられるのは当然だ。


匿名から罪の主がわからない、というのが現状のネックだろうが、ならばそのネックを生じさせてるサービス大本も国が咎めるべきであろう。人類のいついかなる時代も、人を脅かす行為を咎めるシステムは必ず構築されてきたが、今はネットという発明の直後ということで、それが弱い。


もっと言えば、なぜシステムが弱いかと言えば、やはり日本ネットにおいては先進国で、諸外国以上にネトウヨのような集団の問題が拡大するのが早かった。

なにせiPhoneタダで配ってブロードバンドがこんだけ格安で一般に普及してるなど、海外から見ればまるで夢の国のような話なのだが、職も何もない人達がタダで使えるネットのおかげでレイシスト化も増長し、変な話でネット普及の張本人、孫正義が一番炎上しているという。


言うなれば、自動車世界に先駆けて普及した国に信号機道交法がなければやんちゃドライバ交通事故を起こすのも当たり前ということ。今日アマゾンの事件などひき逃げし放題のような野蛮な社会を彷彿させる。


匿名で起こした罪は、被害者が本人追求できるようにすること」をサービス提供するものに国が義務づけるのはそう遠くないというか、将来も現状のようにネトウヨ発生し放題のまま放置のほうが考えにくいと思われる。


ちなみに韓国日本に並ぶネット先進国で、一足先にそうした制度を導入した。理由はネットでの誹謗中傷に悩む芸能人自殺が連発したから。


かわいいアイドルが見るに堪えない中傷の末、連続して自殺してったら国会匿名問題を考えざるを得なかったということだろう。(言うなれば平野綾が今のまま誹謗され続けた末死んでしまうような話)


日本でも同様に、そうした悲惨な事件を繰り返さないと対策が進まないのなら、人として韓国より劣ってるんじゃないかと思う。さっきの自動車の例で言えば、事故の対策で道交法信号機を設置した国があるのに、自分の国はもっと死人が出てから対処を考えようというのはおそまつな話だ。


そうした次元に発展しないよう問題提起の声も徐々に増えてるが、ネトウヨは腐っても人間なので、意見をすれば敵対もするし、相手としては恐ろしいことこの上ない。つまり、まともな人間なら大抵の場合ビビってまともに発言が出来ないのもしょうがない。


しかし、暴走族対策の時と同じように、問題の当初に圧倒的に不足してるのは大人の反応なんじゃないかと思う。



前述のように子供ならそうした流れに取り込まれる危険は多分にあるし、誰しもいずれは親になり、我が子のためにもそうした危険がない社会を願うものだと思う。


ネトウヨへの対策を社会はもっと意識すべきと思う反面、恐れる気持ちがあるならば、この記事をRTしてみて欲しい。

RTの数で関心の高さが表され、憂国の士が志ある行動をしてくれることを強く強く願う。

2011-07-24

いや、2chのせいで他のSNSが恐ろしいサービス(略←アホ

 この記事が話題になっているけど、どう考えてもアホです



いや、2chのせいで他のSNSが恐ろしいサービスと化してるんだろ

http://anond.hatelabo.jp/20110723204316



 何がアホかって「砂場としての2ちゃんねる」の意味を読み取っていないからアホ。



砂場としての2ちゃんねる

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1174



 「砂漠としての2ちゃんねる」を簡単に説明すると、2ちゃんねる



・恐さを体験できる場

自己防衛の意識が必要とされる場

・良くも悪くもリテラシーを考えさせられる場



 このような働きがあるからねらーは自ずと防衛策やリテラシーを身につけた。しかmixiTwitter民は、全然そういう意識経験をしていない人が多い。しかSNSは基本的に「友達友達のつながり」だから馴れ合いもひどい。本来、叩かれるべき問題もスルーされたりする。2ちゃんねるは、そういう残念な部分を矯正する働きもある。しかmixiTwitterはその働きは弱い。ネットリテラシーが培われていないにも関わらず、ネット進化し、多くの人が使うようになった。しかし多くの使う人は進化していない。「砂漠としての2ちゃんねる」は、その部分を問題提起した。と、考えている。



> 本来は"2chも他のSNS別におっかなくないんだよ

2chのせいで他のSNSがおっかなくなってるんだよ。



 「砂場としての2ちゃんねる」は2ちゃんねるのせいで他のサービスがおっかなくなったとか、そういう話じゃないでしょ。「砂場としての2ちゃんねる」が提起している問題は、ネットは複雑化しているのに、使う人が進化していないということ。「誰でもネットができる」というのは、言い換えれば「バカでもネットができる」ということ。だからバカな炎上が起こる。



 Twitterがバカ発見機なら、2ちゃんねるはバカ通報機と言えよう。ある意味ジャーナリズム精神から別にそれはそれで良いんじゃないか。バカな発言で人生を終えたくないなら、バカな使い方をしないことだ。まぁ、バカはそんなこと気付かないんだろうけど。

2011-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20110721152602

この件に限らずTwitter危険は当初からずっと言われているが、今回のは不適切発言なんて判りやすい形だから、こんな変な方向の問題提起になってしまってる。

Twitter危険性は、今回のように「明らかに不適切な発言が垂れ流されること」じゃない。

「今Aさんと赤坂で飲んでます」程度の情報を、リアルタイムに気軽に発信可能な事。

別にAさんに関する不適切な暴露なんてなくていいし、犯罪を吐露しなくても良い。


上記の発言は、どうでもいいつぶやきで、炎上もしなければ、リプライも友人からの「良いですね♪」程度かもしれないが、Aさんがその瞬間赤坂に居ることを示してしまう。

そして、発言者にはその意図もなければ意識もなく、リテラシーなるものをある程度持ってる人でも、なんとなしにやってしまいそうなつぶやき

自分で行動を逐一発信してる人とか居るが、それに比べたらグーグルストリートビューなんて可愛いもんだ。

新しい技術が作られて、それが位置情報を含んだもの場合、多くの人は追跡やプライバシーを気にするのに、こういう一番ありそうな情報漏えいには、気を廻さない。

2011-07-15

ツイッターで、変なクソつまんない妙な返信ばかりを自己満足のごとくしてくる人が定期的に湧く。

自分ツイートに1つ1つに、いちいち反応してくる。

疑問形や問題提起的に終わったようなつぶやきだけでなく、単なる独り言、メモ書き的なツイートにもいちいち反応してくる。

その人宛てに書いてないツイート自分のことのように反応してくることもあり。 ゲンナリ。。w

しかも、そういう奴に限って、超ぉぉぉおおおおつまんないのw 白けてショウガナイ。 イラッとする。

(みんなは、こういうのすぐブロックしちゃうの?)

悪気はなさそうだし、攻撃的というわけではないから即効ブロック対象にするには憚られる感じだけど、

人をイラつかせる天才のごとく、ズレにズレまくった反応ばかり。(まさに、ばかり。)

斜め目線の自分が、おもしろいことでも言えたと勘違いでもしてるんだろうか。

こっちも軽くイラッとするし、何個も返信もらってるのに無視ばっかもなんだか悪いような気もするし、

何せこっちが多少なりとも不快に感じていることを察して返信を控えてくれることを期待して、

遠まわしに返信内容ズレてる的なツイートを返したり、そちらの返信内容にこちらはノってないですよ的な趣旨をお知らせしてみるんだけど、

やっぱりバカだからなのか、超ポジティブからなのか(いや、バカなんだろうな)、察知能力皆無なようで、あまり意味をなさない。



言い争ったりするのは性に合わないので(ましてやどこの馬の骨化も分からない他人・しかもバカ)、

とりあえずもう一切反応しないことにした。 というか、それらしいこともお伝えしたんだけど、まだ色々返信してくる。

たまに逆ギレちっくなときもあるし・・。 怖い。 

ってか返信してくれなかったら解決なんだけど。 ってか自分のこともうフォローしてくれなくて良いし。

もう大概ブロックしようかなw ← 早くしろw

穏便にいこうぜよ。




何が言いたいかって言うと、こういう系統の人、定期的に湧くよね?

みんなも、そうだよね?w

みんなは争うようなことになっても不快なこときちんと伝えるの? ブロックするの?w 



返信はとっても嬉しいよ、上のような人じゃない限りはね♪

2011-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20110710193024

言いたいことを言い放つ気持よさのほうを取っちゃてるのは

問題提起するだけで実効性のある運動をするように説得できてない君にも当てはまってるね

http://anond.hatelabo.jp/20110710190702

批判というよりも問題提起なんだけど…(つーかネット右翼お得意なの?)



ふと思ったけど、こういうのって、街頭デモ(左右問わず)が実効性よりも自己満足を優先しがちなのに似てるのかもね

戦略的に立ちまわって賛同を集めることよりも、言いたいことを言い放つ気持よさのほうを取っちゃうというか

2011-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20110621230456

たまたま見つけたから良かったけど、2日経ってるので忘れそうになった。

増田の元会社の「組織が腐っている」感じを教えてくれないか

  • 社内で不正や不満があったとき問題提起する制度があったけど、それが形だけで機能してなかった。
  • 顧客でなく社内や本社ばかり向いている。顧客の問題を解決することよりも、プロセスを遵守することが重視されている。
  • どう見ても無能で成果を上げていない奴が役員にまで上り詰めた。当然周りの評判はすごく悪い。
  • 利益出てるのに社員には全く還元しないどころかリストラの嵐。
  • 社長が何年も売り上げ減続けてるのに責任を取らなかった。
  • そして現在巨額脱税疑惑で争っている

かいところ上げてたら切りがないけど。

ちなみに外資な。これだけ言えば特定されるかw

たぶん、この会社で働いてることが人に堂々と言えるかどうかだと思う。

HP財務データが無いんだけど、調べ方ってあるのかね?

帝国データバンクを使った。データ量は多くないけど、ほとんどの会社が載ってる。今勤めてる100人満たない会社でも載ってた。

転載禁止だから載せないけど、資本金、従業員数、得意先、売上高利益あたりは載ってる。一人あたりの売上高くらいは参考になるかな。

2011-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20110616172231

いや、成功しているところの真似をする、ってのはまっさきに試すべきことなんじゃないの?w

近代民主主義国家から国民権利や生活を著しく制限する体制に立ち戻った「成功例」ってのを教えてくれw

馬鹿馬鹿丸出しの主張に生意気に「w」とかつけてんじゃねーよw

頭の良さだけではダメなの。世論の後押しが必要。

頭良い人はそもそも君みたいな馬鹿アイデアを推してないのw

君には世論の後押しは勿論ないけど、頭の良さもないから、「頭の良さ”だけ”ではダメ」って言い方はへんなの。

まず頭良くなろう。

君の現年齢と同じだけの時間コツコツやれば生まれ変われる。




こうして、問題を提起していくことで賛同者が増える場合もあるじゃない?

から、判断は勿論、問題提起も、「賢い人」に任せよう。

賢くない人の無駄な発言はただのノイズ

2011-05-21

世界は私の形を変え、私は世界の形を変える。

キメこな問題についてのツイートのまとめを見た。

http://togetter.com/li/138228



いつか来ると予測されていた問題がついに表面化。

しかしこれは梅ラボ本人一人が気分的に凹むということ以外は実害がなくてよかった。

災難だったね、としか言いようがない。

そして※欄の予想通りすぎる人格攻撃っぷりは、見てて少し虚しくなった。



ふたばという「歪な形で維持し続けられる楽園」の脆さを住人自体がいまだに把握できてない。

そんな場所の住人であるということがアイデンティティと不可分レベルに融合してしまった多くの

としあき」たちにとってどうしたって不快であり、許しがたい行為だということは分かるが、

前提として招待制SNSでもなんでもなく「匿名掲示板」なんだから誰もがやってきてしまう、

ということはシステム上仕方ないのに彼らは「この中のルールを守ることで新参の訪問は最小限に抑えられる」

という幻想を持っている。まるで「9条さえ守っていれば戦争は起こらない」と信じる9条信者のようだ。

「外」の人間はそのルールを知らないし、意に介することさえないかもしれないのに。

今回の件は若干違うか。例えが悪い上に無駄ツッコミどころになったかもしれない。どう違うかは後述する。



ふたばはある意味、かつてのアンダーグラウンド掲示板文化の匂いを残したまま現在まで存続しているという

ちょっと珍しいサイトだが、哀しいかなシステム上でなんらかの方策を講じているわけではなWeb上に

置かれたものは大概がフラットに消費される可能性を抱えている。それを作った人間の快・不快という感情的

問題とは別個に。アンダーグラウンド、という領域が存在し得たのはGoogle以前でしかないだろう。

検索エンジンが未発達な時期には確かに「見つかりにくい領域」はあった。もう、昔の話だ。



ふたばが2chと違ってちょっと面倒なのは、「としあき」という名に仮託された奇妙な選民意識の

存在がある。だが、梅ラボ自身もブログで「2年ROMってた」ということを表明している。

ふたば文化についても一定の理解はしていたのだろう。

古参住人にとってはその理解はまったく足りないものに映ったのだろうとしても)

だが、作品として組み込みたくなってしまった。

不定形匿名人格の一部」である自分立ち位置と自らの「表現欲求」やどうにも抑えようのない「作家性」

(「人のもんの貼りあわせだけで何が作家だ」とかい意見もあるだろうがそこはひとまずおいといて)

の間で引き裂かれ、今回の件で梅ラボは苦しんでいる。かつて同人誌カオス*ラウンジファンブック」にて

仲山ひふみに「著作権問題が発生したらどうなるのか」という問題提起があったので、冒頭の一言

あるわけなんだが、感情的な「許す」「許さない」の問題はもうどうしようもないんだろうと思う。

少なく見積もっても1000の意見が表明された。それが1000人なのか一人なのかということも実際のところ

からない。まあTogetter見てる分には流石に一人ではないだろうということは分かるが、ふたばスレでの

「文句言ってる人間の総数」なんて簡単にはわからない。

そして多くの人間がいればその構成員の「許容の基準」だってバラバラだろう。もうこれは仕方がない。

だが、「絶対許さない」とか言ってる人間だって別になにかできるわけではないのだ。

それに、時間が経てば忘れられる。「絶対許さない」とか言ってる人間だってずっとこの件だけを

考えつづけることはできないだろう。出来るような人はちょっと常人離れしたなにかである

それはそれである意味すごい。もしかした現人神「絶対許早苗」かもしれないwww

うむ、早苗さんに許してもらえないのは東方である梅ラボにはキツいなー。



冗談はさておき。



結局のとこ諸行無常、ってね。不変なものってのはなくて物事は相互に影響しあう。

水の上に油をたらす。油の粒は水の力によってその形を変える。しかし逆に見れば

油が垂れてきたことで水全体の形も変わったと言える。ネット上の出来事も基本的には

大して変わらない。ちょっと私見になってしまうが「キメこな」はともかく海外での

「Moetron」の成長において梅ラボの作品の特徴が全く影響がなかった、というのは

ちょっと考えにくいのだ。多くの作品で「いくつかの別のキャラの顔のパーツをひとつ

であるかのように構成した構造が見られる。梅ラボの作品はTumblrなどを通して

かなりの拡散をしており、カオスラウンジはよくも悪くもそれなりに一部で目立つ存在

なっていた。それに刺激された4Chanの人間が「Moetron」と梅ラボ作品に共通するエッセンス

感じ取ったということはありうると思う。もっとも、根拠がないので妄想ととらえてくれて

一向に構わないが。



文化という言葉がこの件で多く出てきた。自身のコミュニティ文化に誇りを持ち、

それを保護する姿勢わからんはないが、そんなに過剰に護らないと壊れてしまうほど

脆弱文化なのか?ふたばは、二次裏とは。そうではないのではないだろうか。



文化の担い手だと自覚するならば時々現れるこういった異端者を

「見ろ また奇妙なやつが出てきたぞ」

くらいの気持ちで興味をもって動向を捉えていればいいのではないだろうか。



キメこなは生まれてさほどの時間が経っておらず、成長途中のキャラである

からこれもまた、成長の一過程だと捉えることはできないだろうか。




なんのまとまりもないが、思いつくまま書いてみた。

異論は大いに認めたい。むしろ読みたい。

2011-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20110504151727

まずあなたの指摘が正しいと感じた部分

「読み手がそれを考えなしに拡散したりする部分責任は一切チェックが入らないという」の部分もなんでそう思ったのかわからん

コレという根拠はない。ただ、あなたの反応が露骨にそれを物語ってると思う。

ただ、表現として「一切」という言葉を使ったのは私の勇み足。これは撤回する。

読み手側の責任の追求が甘いという表現が妥当かな。

この点は指摘感謝




ただ残りの部分誤読というか曲解であると思う。私の上記の表現がそれを引き起こしたというのであればそれは申し訳ない。

フリージャーナリスト責任を問うのは正しいか」という疑問もしくは

フリージャーナリスト責任を問うのは誤りだ」という主張があるかと思ったんで

それに対して、当然だろ、って返したんだよ。

なんで「妥当な責任の程度」を問うたら全面否定だと誤解できるのかわからない。

フリージャーナリストに対する基準に対する問題提起はしてないの?

それを守るために、一般人側との関係をセットで考えるのが大事だっていってるんだけど。




誤解だったら申し訳ないけど、

一般人側に目を向けたら、すぐにフリージャーナリスト側か、みたいな二元論で考えるのはちがうとおもうんだ。私はあなた言葉にそういうニュアンスを感じた。

2011-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20110504082358

フリージャーナリストはこのくらいできて当然」の基準

って表題と

みなさん口々に声を揃えて仰っている「フリージャーナリストはこのくらいできて当然」の基準は

本当に妥当なんだろうかな。

とか

そうやってフリージャーナリスト能力とか基準ばっかりあげていって

って記述からフリージャーナリスト責任を問うのは正しいか」という疑問もしくは「フリージャーナリスト責任を問うのは誤りだ」という主張があるかと思ったんで

それに対して、当然だろ、って返したんだよ。

フリージャーナリストはこのくらいできて当然」の基準 って表題だけどフリージャーナリストに対する基準に対する問題提起はしてないの?



フリージャーナリスト以外の責任については

「一切チェックが入らない」ってなんで思ったの?

って聞いてるよ

2011-04-25

母乳採取の市民団体ディスるはてなー」は的外れ

市民団体授乳中の母親に対し母乳提供を求め、放射能検査したところ

微量のヨウ素が検出された。

首都圏水道水に放射性ヨウ素が検出された時期に採取した母乳のようである

で、この値について「高いとも低いともなんとも言えない」と団体は回答した

これについて「科学リテラシーが高いはてなー」が批判の大合唱を行っていた。

★そもそも団体が信用できない。中核派

★サンプル数が少ないし、計測方法が科学的かどうか疑義がある

★値について判断できない団体が、検査だけ行うのは無責任

 無用の混乱を与えるだけだ。

★1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?

 今ならもっと数値も下がるはずで、社会不安を煽るだけだ。

水道水に若干の放射性ヨウ素が含まれているなら、多少は母乳に出現し、

 かつそれは期間を経ると減少していくのはわかりきっている。

 判りきっていることを検査する意味はない。

しかし、自分は、この市民団体の行動は、多少拙速な面は否めないものの、

検査を行い公表したこと自体は高く評価されるべき、と思料する。

というのは、この種の調査は、本来であれば厚生労働省が率先して行うものだし、

でなければ朝日新聞NHKが大規模な調査報道で行うものと考えるからだ。

しかし、これら公的機関や大マスコミは、失念していたのか手が回らないのか、

こういう調査を手掛けることを怠っていたのが実情。

であれば、

ママ不安に答えるために、こういう調査をすべきでは?」と問題提起を投げかけたということ自体を

高く評価すべきではないか

実際、日経新聞報道によれば、この市民団体の公表の1~2日後に

厚生労働省母乳調査を開始すると発表している。

そういう意味では、厚生労働省から行動を引き出した、という意味で、高く評価すべきである

団体が信用できない、サンプル数が少ないと言うが、であれば「信頼できる団体」に検査してもらえばいい。

厚生労働省が行わないなら朝日新聞が行うべき。

というか、今時点でこの動きを一切報じない朝日新聞はどうかしている。

「値について判断できないのに検査するのは無責任」という批判も的外れ

批判されるべきは「暫定基準を作成しなかった厚生労働省の側」のはずだ。

「1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?」との批判もあるが、

これは悪意に解釈しすぎていないか

善意解釈すれば「検査機関が超込み合っていて、市井の団体の検査は後回しにされた」と解釈するのが自然だが・・

水道水にヨウ素が出たのだから、多少は母乳に含有されているのは当たり前で、

 かつ健康に問題ないレベルなのも予想されているのだから、そういう検査自体が無意味」という批判も当っていない。

かに科学的知見では「多少は検出されるだろうが、健康に影響ないレベルであろうと予想」されるが、

「実際に検出され、かつそれは健康にさほど問題ないレベルだった、という事実が確認された」

ということでは意味合いが全然違う。

母乳過程で濃縮されない」という「科学的予想」が「(人体実験的に)立証された」というだけでも、

科学的に意味ある事実じゃないのか?

もっとも、あえて厚生労働省を「擁護」するならば、こういう母乳検査で異常値が発生した際に

あなた母乳から異常値が検出された」と「残酷事実を本人に告知する」ことができるのか?、という重い課題がある。

加えて、母乳採取というのは、ある意味でセクシュアルな話なので、男性職員だと対応できない等の問題も生じる。

その面で「必要性はわかっていてもなかなか踏み切れなかった」という可能性はあるので、

その点は同情すべきかもしれないが・・・

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