はてなキーワード: タケちゃんマンとは
反社感がすごい
2022-07-24
オレたちひょうきん族系の人に多いイメージなんだけど、すげえカンタンに「法螺貝」って吹くやついるじゃん
アレむかつくんだよなあ!
ああ、こんな時にタケちゃんマンがいてくれたらなあ!タケちゃんマ〜ン!みたいなさあ
そりゃ、ブラックデビルが悪さをするのは非常によくない、すげー悪い、メチャクチャ嫌ですよ
マジでくたばってほしいと思う
でもタケちゃんマンを呼ぶほどではないだろ
地獄ってもうちょっとこう、ブラックデビルどころかアミダババアが脅かされるというか、なんだったら妖怪人間シットルケそのものが毎秒破壊されて、でもナンデスカマン、みたいな、そういう感じじゃん
牛乳を何杯も飲まされるとか、ダルマ落としの頂上に立たされるとか、熱々のオデンを食べさせられるとか、懺悔して水を浴びるとか、そういうのがずーっと続くってレベルになって初めて地獄だろ
法螺貝のことを帆立貝って呼ぶなってことなんだよな
皆様お元気ですか。
私は相変わらずです。
[歌詞検索サービス 歌ネット]にて「ブルマ」を含んだ歌詞をキーワード検索する。
なお「ブルマ」とは関係のない「ブルマン」(ブルーマウンテンコーヒーの略)、「テーブルマナー」や「ゼンカイオーブルマジーン」(註:ゼンカイブルーンとゼンカイマジーヌというロボットが合体してこんな名前になるらしい)が引っかかるのでそれは除外した。また、ドラゴンボールの登場人物であるブルマも含めていない。
さて、調査の結果、いくつかのパターンに分けられることがわかった。
魔法少女プリティサミーイメージソング「DOUBLE MIND」(1998/03/25)では
見学ばっかりの
体育じゃ 泣けてくる
いらない ブルマなら
売り飛ばしちゃいたくなる
と、当所のブルセラブームを感じさせる歌詞がある。ウィキペディアによれば、1991年から1992年にブルセラショップの名がついたそうで、宮台真司は当時ブルセラ社会学者と呼ばれたという。なんだそりゃ。
ドージンワークエンディングの水橋舞「夢みる乙女」(2007/07/25)では
ソ・ラ・は ピンク色で
ブルマもビュッと飛んで行く
というよくわからない歌詞がある。作者のヒロユキの自画像はブルマーに一本線の手足と顔が付いているというもの。そのため「ブルマくん」と名乗っていたそうだ。しかし、「アホガール」以降はそれがバナナに変わっているとのこと。
コスプレ衣装を連呼する「ロリィタ帝国ビショージョ大帝」(2007/10/31)では
着るなら着なさいよ
という歌詞があるが、これもよくわからない。元々オープニングの「もってけ! セーラーふく」もよくわからなかったのでそういうものだろう。
「迷い猫オーバーラン!」イメージソング、「スキだからスキ」(霧谷希というキャラのキャラソン)(2010/06/25)では
イイ子 ワルイ子 どっちでもない
と珍妙な歌詞で、さすがスパッツの上にブルマーをはく「ブルッツ」という概念を考えたアニメであるな、と納得した。一昔前には「はっぴぃにゅうにゃあ中毒者隔離スレ」なってスレッドが2chにあったのだが、覚えているだろうか?
ちょっと変わったのでは聖Smiley学園生徒会「twinkle*2」(2014/03/05)で
「追いかけっこしてたら迷った!」
という女声電波ソング(註:電波ソングというカテゴリも、そのうち「電波」という表現がまずいといずれ改称されそうな予感がする)っぽい歌詞なのに、これはニコニコ動画の男性歌い手たちが学園生活を送っているという体裁のCDなのである。
アニメやゲームとは違うが、ボーカロイドではデッドボールPの「クリスマスヒトリポッチ」(2014/07/02)があり(註:初音ミクWikiによれば2012年のクリスマスソング。前述の日付はおそらくCDになった日)、
ローションドロドロノブルマ
と、ブルマーを使った自慰行為が表現されている。このサイトではカタカナの歌詞だが、元の歌詞は㍍などの記号の下半分だけをつなげて読ませるものになっている。
つまり
㌔㍓㍇㍎㌔㍀㌔㌨㍔㌏
となる。
2009年結成のアイドルグループ、私立恵比寿中学「体操」(2013/07/24)には
ブルマー
トレパン
トレシャツ
という歌詞があるが、あまりブルマーはそこまで歌詞の中で重要な意味はなさそう。少なくともPVはクオーターパンツ姿である。
驚いたのがブリーフ&トランクスのブルマ率の高さである。
「ブルマン」(2000/05/01)では
へその上まであげている
1組の桜井
ブルマン……
また、「となりの柳橋」(1999/09/01)では
となりの柳橋が言いました
「伊藤くんに言いたいんです。
スカートの中をのぞかないでください。」
となりの柳橋が言いました。
そして挙句の果てに「ひとりのうた」(1999/09/01)では、
ひとりきりっていいよね 座布団のにおい かぎまくれるし
ブリトラの伊藤多賀之と細根誠、どっちがブルマーフェチなのかどうかは知らないが、どちらも1976年生まれ、ブルマー世代ではある。生々しいのはそのせいか。
「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマンの歌」には
赤いホッペに 太まゆげ
と彼の姿を歌っている。あれは提灯ブルマと呼んでいいのかわからないが、まあいいだろう。歌詞に風俗街の名前を織り込む当たり、時代を感じる。
またmiCKun「O-Z-3 feat. Crystal Boy」(2011/01/12)では
と昭和世代の象徴として用いられている。miCKunはmihimaru GT」のメンバーのmiyakeで、「mihimaru GT」は「気分上々↑↑」で知られる。
それではまた。
ビートたけしの存在理由は無くなってきている。お笑いからの毒舌キャラで気の利いたコメントができる点は他に無かった、経歴としてもお笑いから映画監督までやっているのは他に例がないという優位性で起用されていると考えられる。毒舌キャラで気の利いたコメントというとダウンタウン松本も時々は影響あるのだが、この手のワイドショーでコメントしたがる芸人がやたら増えてきたことでうんざり感もある。
80年代のひょうきん族でタケちゃんマンがヒット。だが、子供には見せたくない点では、8時だよのシムケンも同レベルであり、ばかばかしくて見てらんない。あと、ツービートはほとんど見たことがない。映画監督と言っても癖ありすぎてこの評価もよくわからない。
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。
昔のことを思い出した。
「ブチぃぃぃ!!!!!」
ものすごい音とともに、ショウタはそれを引き裂いた。
とにかく僕はそれが怖かった。ショウタはGreenDayのビリー・ジョー・アームストロングのような見た目の男だ。同級生とはつるまず、一匹狼を貫いている感じだった。それでいて、運動神経がよくて、普通にしていればリンダマン的な存在になれたかもしれないが、しょっちゅうキレていたので近寄りがたかった。
その日も何が原因かはわからないが、ムシャクシャしていたようだ。
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ただ間違いなく言えるのは、今ならショウタを一撃で黙らせることができるということだ。ショウタが引き裂いたのは「輪ゴム」。輪ゴムを目一杯のばしたらブチンって切れるのは彼の行動を見て知った。
今思えば、クソださいヤツだ。
ビリー・ジョー・アームストロングのような見た目というのもひょっとすると美化されているのかもしれない。顔が濃い印象があるので、実物はきっとタケちゃんマンのような感じかもしれない。
今、もし目の前で当時のヤツがキレていたら、確実にあいつを黙らせることができる。
僕は今、36歳。
というかひょっとするとショウタはキレていたのではなく、輪ゴムをただ切っていただけなのかもしれない。もしかしたらたいしたやつじゃなかったのかもしれない。あの頃の記憶がねじ曲がっている可能性がある。記憶とはねじ曲がるものだ。小学校の時に死ぬほどかわいいと思っていたあの子を高校生になって見たら意外とブスだったりしたものだ。
でも当時の自分にとって、輪ゴムを目一杯のばして切るという行為はかなり衝撃的だったのだろう。30年経った今でも心に刻まれているのだから。
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父がガムを噛んでいたので、「ちょうだい」と言ったら、
「噛んでいるフリしてるだけ」と言われた。
口の中には何も入っていなかった。たしかにガムを持っている様子はまったくなかった。
よく考えたら当時の父の年齢は今の僕の年齢とほぼ同じ。
残念ながら、無職の自分にはそんなことを言う権利はまったくない。
自分にはなんの権利もない、そう言い聞かせながら毎日を慎ましく生きている。
朝起きて、ネットニュースを見て、ドラクエ11やって、DMMの見放題(R18)を見て、Youtube見て、ドラクエ11やって、寝る。
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こいつはたしかにすごいけど、こいつが幼稚園児で自分が今の36歳の状態で対峙したらきっと負けない、そう思うことで心を落ち着かせている。
そう言われても仕方がないと心の中ではわかっている。
わかっているという理性があるから、サイコ野郎ではないことも知っている。
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高校球児が自分の年齢の半分もいっていないことに気づいてショックを受ける。
あの頃好きだったAV女優の年齢をとっくに超えていたことにふと気づく。
40歳はかなりババアだと思っていたのに、今は恋愛対象である。
『今夜はブギー・バック』が発売されてとっくに20年以上経っていたことに驚く。
父親はスター・ウォーズの続きを知らないまま死んだということに気づく。
時間は止まってくれない。
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声だけでしか確認していないので、ひょっとすると幼稚園児じゃないかもしれないけど。
僕が僕であるために、戦い続ける。たとえ勝てなくても。
その1
https://anond.hatelabo.jp/20170801120514
その2
https://anond.hatelabo.jp/20170801153106
その3