はてなキーワード: ある子供とは
一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの。
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02
私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。
リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。
03
その仕事をしていれば、自分の体を自分のものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから。
しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分のものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。
高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。
私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?
私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。
でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから。
04
螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。
こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。
高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。
ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。
この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。
05
上司、オスカー・シュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。
そのため、私は日本に返される。
だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。
06
私は日本に帰ってくる。
かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。
三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的な健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。
私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。
ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会のリソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。
私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。
キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、
「うん、ごめんね、ミァハ」
キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。
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自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチナ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。
キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。
が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。
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「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。
だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。
ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。
ミァハはレイコの遺伝子的な子供ではなく、チェチェンの戦争孤児だったと知らされる。
03
キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。
キアンの告白。
「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」
私は、
「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールやたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」
キアンは、
「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころは世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」
そして、キアンの葬儀。彼女はこれから液体になり、社会のリソースになる。
父はバグダッドにわたっていた。
ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。
ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。
意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。
精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。
上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、
「いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。
キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか。
螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女は電話をしていた。
「ううん、ごめんね、ミァハ」
そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。
ミァハ曰く、
「善とは恒常性のこと。
昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。
私たちは、そんな社会から飛び出して、自分で自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。
そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。
3
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名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代、個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。
友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。
インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺で自己紹介した。
しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。
ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正にアクセスすることが可能な組織。
その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類を監視しようということを大儀銘文としている。
しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺を引き起こしたらしい。
「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます」
02
ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。
そして、生府が醸し出す、息苦しい空気。
それらについて思いを巡らせているうちに、「医療のドバイ」、バグダッドにつく。
そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。
03
彼女曰く、
「人間の価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である」
04
私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。
「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」
アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。
アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーもカフェインもアルコールもハレンチなほど。
そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。
05
父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。
その父と、バグダッドで再会する。
父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。
組織が人間の意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。
組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。
当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会のストレスの限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織はシステムを組もうとしていた。
キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織のモルモットになっていた。
『ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。
06
意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。
結局、プログラムは人類に実装されてはいるものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。
「しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。
「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」
父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。
ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。
父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。
ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。
ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。
死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。
4
01
高校時代の回想。
ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。
でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。
ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮、自殺、心中が頻発している。
わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。
しかし、どこまで情報をつかんでいるかを組織にスパイされないために、セッションをシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。
と、シュタウフェンベルクは彼女自身が組織の一員なのだと明かす。
ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。
私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。
シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。
02
チェチェンのウーヴェと会う。
ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。
ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。
ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。
一人で、ARの通じない山を登れ、と。
03
「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。
進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。
バンカーの中、ミァハと再会する。
ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。
「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。
「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。
04
高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。
私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。
〈物語のコア〉
ミァハは、
「私の意識は、ここの、チェチェンのバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。
でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。
私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。
……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だから、ボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。
それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスのボタンを押すはず。
私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」
〈/物語コア〉
私は、
「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやかな復讐になるかな。
だけど、それをあなたには与えない」
epilogue
要約:自閉症や統合失調症に対する治療の鍵は、最近亡くなった子供たちの脳にあるかも知れない。治療の進歩のために、研究者たちは寄付された研究材料の国際バンクへのアクセスを必要としている。
現在の科学の課題事項の中で、死んで間もない子供の脳の研究に匹敵するほどのショッキングな話題はまずないだろう。その研究から得られる結果―自閉症や統合失調症といった精神状態の理解(おそらくは治療も?)の進歩―は曖昧なものである。そして、その困難はと言えば、明確である。突然の、そしてときには暴力的な状況によって自らの子供を失い悲しみに暮れる両親から譲り受けなければならないのだ―その子の、脳を。
だから、個々の研究者、機関、財団が、中絶児からの胎児脳と同じように新生児、幼児、それより大きな子供たちの脳をもっと研究できるようにしてくれと大っぴらに表明するのがはばかられるというのはよくわかる。それでもなお、ttp://www.nature.com/news/2011/111026/full/478442a.htmlで取り上げたニュースが示すように、一部のアメリカの患者グループは声を上げ始めている。これらのグループは、支援を受けるに値する。更に、彼らはアメリカ内外でより野心的な目標に向かってともに進み、支援をしてくれる科学研究機関を必要としている。その目標とは、世界中から集める数万を超えるであろう子供と胎児の脳を保管する国際組織バンクである。Natureは今日ここに、そのようなバンクの支援をすることを誓約する。
そのような施設であれば、発達の早期段階にある脳組織で研究を行いたいと願う膨大な数の科学者を集めることになるだろう。今日の生物学の技術を持ってすれば、不完全な発達による神経学的疾患についての豊富な情報を抽出できる。自閉症や統合失調症、双極性障害と言った精神発達状態は今日の社会にとって巨大な負担となっているにもかかわらず、これらに対する有効な治療はまだ無い。統合失調症だけでもアメリカでは毎年数十億ドルの費用がかかっている。
これらの疾患について研究している多くの科学者は若年者の脳組織にアクセスできない。現在存在する脳バンクを非公式に調査した結果では、バンクが保管する胎児、幼児、10代の若者の脳は僅か1300だという。
ある子供の個性の座、などという微妙な問題を含む研究材料の供給を国際的な尺度で増大させるなど、どうしたら可能だろうか?供給不足の一因は輸送の問題である。しかしこの問題はいくつかの成人脳バンクが解決しており、原理的には子供の場合も違いはない。
現実のものであれ想定されたものであれ、最大の障害はこの話題の微妙さと両親からの募集にある。究極的にはこの障害に直面しなければならない。そして、アメリカでの議論を主導しているのは苦しむ両親たちとの会話の経験がある自閉症支援団体である。彼らは、事故で子供を亡くした両親にその子の脳を寄付することの価値を納得してもらうよう働きかけを続けている。それと平行して、NIHは子供の脳を積極的に集め、より広く生体医療のコミュニティーに利用してもらえるような、脳組織収集の全国ネットワークを立ち上げる方針である。
これらの事はゆっくりとしか進行していないが、ともかく動き続けている。そして、これらのゆっくりした国内での動きが国際的な動きに発展するためにどうすればよいか考えるのに早すぎるということはない。より多くの国が集まればより多くのドナーが集まる。個人の脳に大きな可変性がもともと備わっていることは、脳組織の研究が統計学的に有意なものであるためには大変多くの数が必要になることを意味する。
脳バンクの国際ネットワークは以前にも行われたことがある。たとえばBrainNetヨーロッパはヨーロッパの19の国で脳組織を集める唯一の門戸として10年前に設立されたが、どの国でも子供の脳は意味のある数を集められていない。アメリカの支援団体であるAutism Speaksは既に自らの脳バンクをオックスフォードにあるイギリスの保管所に加えている。
ネットワークでつながれた収集組織は胎児脳にも同様に広げるべきで、これが国際的な取り組みを行うもう一つの理由でもある。アメリカでは過去20年間に、少なくとも8人の中絶医療関係者が殺されており、そのうち4人が医師である。NIHのような団体が(中絶)胎児からの収集について強力な公式の宣言をするわけにいかないのもわかろうというものだ。
正式には今年開かれたばかりだが、精神発達疾患について精力的にtranslational researchを行っているMarylandのBaltimoreにあるLieber脳発達研究所は、自らの研究プログラムのために若い人々の脳の収集を行っている。収集はそれほど政治的に反対の強くないヨーロッパの3国(スコットランド、デンマーク、ブルガリア)の胎児の脳から始まる事になっている。実際、Lieber研究所は個人的、政治的な感情に十分配慮した上で小児や胎児の脳バンクを運営していく方法の見本を実証しようとしているのだ。国内や国際的な脳バンクのネットワークができたとしたら、それらに協力するのですか、とOrganizerらに問うたところ、「協力する」とのことであった。しかし、それを待っているわけにはいかない。行われなければならない重要な研究は既に多すぎるほどなのだから。
A priceless resource
Nature 478, 427 (27 October 2011) doi:10.1038/478427a
Published online 26 October 2011
しかし、日本ではこうした議論が少ないように思う。科学は、ひとりでに発達したりしない。犠牲も伴う。
疾患に苦しんでいる人を救うのはこうした働きの積み重ねだったりする。
拙い訳だが、せめて、片隅でいい。誰かの頭に引っかかってくれれば。
http://anond.hatelabo.jp/20110812223148
トピックでは「未成年は訴訟を起こせないから法定代理人にやってもらわないといけない」と書いていましたが、
実は未成年でも法律行為を行うことができる場合が例外的にあるんです。
婚姻、相続、認知など身分行為に関わることは人事訴訟という形で未成年でも単独で調停、訴訟を起こせます。
何であえて未成年では裁判できず母親も代理人としてやってくれないから困っていると書いたかと言うと、
母親が認知と養育費は要らないといっても、子供は要求するということをわかってもらいたかったからです。
本来は「認知と養育費を求める権利」は子供の権利であって、母親がどうこうする権利なんて全くないんです。
民法の家族法にも認知を求めることのできる権利主体は「子供(またはその直系卑属)」と明記されており、「母親」とはどこにも書かれていない。
ただ子供には判断能力がないから母親が代わりにやってるだけです。
日本では昭和40年代に14歳の娘の認知と養育費を母親が要求する裁判を起こして、
「意思能力のある子供の権利を左右する法律行為を法定代理人である母親が行ってよいか」という点が議論になり、
結果、子供の利益を考慮して母親が法定代理人として(子供の同意なしに?)訴えを起こしてもよい、という判決が出ました。
そして以降の裁判でもそれが踏襲されて、いつの間にか認知と養育費については母親が父親と取り決めるものだという認識が広まり、
本来子供の利益を守ることを目的とした(?)判決が、「認知しない」約束であっても子供抜きで両親間で勝手に取り決めていいんだという誤解を生んでしまったのだと思います。
でも本来はそれは間違っている。
本来は母親は子供の同意を得た上で認知と養育費については父親と決めなければいけないが、
胎児や幼児に認知や養育費の意味なんてわかるわけもないはずで、
いくら女に「認知と養育費は払わない」と言って彼女が納得したところで、
成長して物がわかるようになった子供はきっと納得しないだろう、ということです。
あと、認知してもらったら恩恵を被るだけとは限らず、不利益だって背負わせられる。
遺産相続できるが、負の遺産、つまり借金だって相続しなければいけません。
父親が借金を残して死んだら、子供が代わりに返済しないといけません。
また介護の義務も生じる。
父親が借金を肩代わりさせようとか自分の老後の面倒をみさせようとかいう目的で認知をすることもあり得るので、
子供が成人になって以降は、認知する際には子供の同意が必要なんです。
その父親がすごい借金持ちで要介護者だったら、子供は「認知しないでくれ」と言うでしょうからね。
父親の認知の要不要は母親の意思とは全く関係ない。子供の意思による。
で、私たちの場合、調停で決着がついたので裁判までは行かずに済みました。
正直「任意認知させてしまった」ことは失策だったとも思います。
「この男は自分の子供を認知せず要求されても逃げて無理やり認知させられた最低の卑怯者です」というメッセージがそこに書かれるわけだから、
本当はそうしたかった。でも現実的に裁判をするエネルギーはもうありませんでしたので諦めました。
でも拒否すると言うことは自分の子供だと認めるという意思表示に他ならないので、そこで強制認知が成立します。
しかし、いつでも成立するとは限りません。
女性が複数の男性とセックスしていた場合、これは男性に鑑定を拒否されたら強制認知は成立しません。
あの客が父親だといっても職業上他の男性とセックスしていることは明らかだから、鑑定で立証できなければ強制認知させることはできません。
ここでおわかりでしょうか、なぜ売春という職業が法外に高給取りなのか、社会的に蔑まれるのか。
「妊娠した時に責任をとらせる強制力を持たないという多大なデメリットに対する補填だから」
「孕んだ子供を高い確率で不幸にするから、不幸から免れさせるためには殺さなければいけない(中絶)から」なのです。
私の場合は最終的にはDNA鑑定で立証できましたが、拒否されていたときは、母が父親以外の男性と関係を持っていないことを証明する証拠を集めるのに苦労していました。
父親と関係を持っていることの証拠よりも「他の男性と関係を持っていないことを示す証拠」が重要なんですね。
ちなみにDNA鑑定の費用は30万円ぐらいかかりますが、敗訴(私は裁判はしていないので正確には申し立てられた方ですけど)した側が全額負担ですよ。
養育費は私は出生時点からさかのぼって払ってもらえると思っていましたが、
遡及できるのは「合意があった時から」で、私が調停を申し立ててから、大学入学以降の費用しか認めてもらえませんでした。
ここに「子供の権利だから子供が要求すれば認められる」理論には限界があって、
私みたいに物がわかって自分で裁判起こして認知と養育費の支払いを求めて認められたところで、
払ってもらえる金額は「自力で裁判を起こせるような大人になって以降」の微々たる金額しかない、
成人になってから裁判を起こしても養育費は払ってもらえない(せいぜい大学の学費ぐらい)わけだから、
将来的に介護負担とかさせられること考えたら、多分認知調停・訴訟を起こすのは割に合わないと考える人が大半でしょう。
結局実務的には母親が認知させないと意味がないという制度になっています。
行動を起こした時期が遅れれば遅れるほど、もらえるものは少なくなります。
続きます。
追記
ブクマコメント:ICレコーダで相手との会話を収録することの違法性について。
収録すること自体は違法でも何でもありません。
実際民事訴訟では証拠として同意なしに録音したテープがよく採用されています。
その前に父親も「調停を起こしたら殺してやる」と私を脅してきましたから、
どうもこんにちは。重度知的障害者の兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分が理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます。
出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
まずこれ読もうね。
T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地、ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である。一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判の検察側による見積もり)。(略)
この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。
読んだら次にいってみよう。君らが1930年代のドイツにいたとして、自分が「ナチスに投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。
まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本が法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体に危険がある場合か、貧乏で育てられないか、レイプ被害の場合のみだよ。日本は中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供を中絶するのって違法ですからね。堕胎罪ですから。一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。
中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者。
そして倫理的にもそうだよ。胎児とはいえ命は命。まさにレイプとか母体の危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?
皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。
もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります。事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?
うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミスで脳出血起こして、それでその後遺症で知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断と中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイル・ヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときはアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。
ちなみに、メガネ・コンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度や技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?
で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイル・ヒットラー!
ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。
それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロットや宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生に絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者の人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟や子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは「保険」と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかないね。ハイル・ヒットラー!
あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな。
みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。
でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度は国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。
ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民の権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。
何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカとユダヤの陰謀なんだ。ハイル・ヒットラー!
長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。
この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。
はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。
なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供が病気や事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者や引きこもりやニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。
大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気や事故に遭った子供、あるいはDQNやニートが親の子供も育てられないから育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?
要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供がダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供に先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。
以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)。
md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないから社会の倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョな意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25
「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。
ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄、児童虐待、殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス。障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。
sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える
じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。
自分の子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。
p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供が障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです。 2011/07/25
いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。
虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイル・ヒットラー!
egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。
いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから。
私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。
とにかく、特定の子供に他の子供を奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。
tikani_nemuru_M 個人レベルの優生思想と共同体レベルの優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25
そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。
産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。
tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26
そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。
mujin これは完全に同意。イヌのときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間のときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2
愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。
annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)
全くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。
junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)
じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者を差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。
つまり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイル・ヒットラー!
自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。
yoko-hirom 増田は自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田は幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中や自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26
それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺は自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。
Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)
「自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。
これはちょっと自慢ですが、僕はある分野でかつて神童と謳われてた事がありまして。今は凡人ですが。へへ。
で、僕はその過去の栄光のおかげで、特別才能のある子供達の英才教育現場に従事してきたのだけれども、そこで天才と呼ばれる彼らを見続けて、彼らが(そして思い返せば僕も)必ずと言って良いほど通過する心理的な難所に気がついたので書いておくことにします。ほんとに単純なことだけど。
彼らは成長の過程でまず、自分の中の万能感を認め、飼い慣らさなければならない。それまでの小さなコミュニティでは自分の優位性を再認識し、その存在を確立する手助けをしていた万能感が、渡航や進学で大きなステージに出たとたんに鈍重な重荷になる。万能感の根拠が相対的なものでしかなかったことに気がつくわけですね。
ある種の天才児達はここを乗り越えることが出来ない。万能感を適切な形に処理できないまま現在の自分とのギャップに苦しんで潰れてしまう。天才人生終了。
そしてその万能感を乗り越えると、今度はその反動で無力感が襲ってくる。いままでなぜか自信満々だったけど俺ってゴミじゃね?って思えてきてしまう。それでうじうじ考えて自己否定の論理を組み立て始めるんだけど、実際に周りにもっと凄い天才達がいるわけだからその論理が決して破綻してない。的を射てる。そうなってしまうともうダメ。内向的・後ろ向きになることで才能の推進力が止まってしまう。
思うに「天才性」ってのがあるとすると、それは現在の彼の状態ではなくて、天才なりの将来へ彼を進めていく推進力とか爆発力みたいなものも含めての「天才性」なわけです。上記のような状態の時に上手く制御された万能感をもう一回持ち出してきて自信を回復していけない子は、ここで天才人生が終了。
育てられた環境てのは、本当に大きいなと思う。
例えば、自分の育った家では病気や怪我をするとまず最初に怒られた。
何が原因なのかを問い詰められ(昨日何をしたのか、薄着だったのか、等々)それが全て怒りに満ちている。
翌日になれば、体調が回復しない理由を挙げ連ねられる。
口調さえ普通ならば感じ方も違うのだろうが、とにかく怒ってる。
他の人に「子供が病気になった不安から怒ってしまうのだろう」と言われたことがあるが、
熱のある子供の足引っ張って家の中ふりまわすのも不安からなのか?
まあ、そんな感じで病気になると怒られるという家庭だった。
その後、自分が大人になってからだが、親と同様、自分も、友人などが体調不良になるとまず問い詰めてしまう。
最初の「どうした?大丈夫か?」を言うよりも先に問い詰めてしまう。
一言二言言ったところで気がついて止めることが多いのだが、どうしても問い詰めから入ってしまう。
親にそうされることが嫌で嫌で仕方なかったのに、自分もそうなってしまっている。
人としての根本的なやさしさとかが育たないで来てしまった気がする。
他人を幸せにしたいならまず自分が幸せになってからだってことだ。
私は24時間テレビのなににむかつくかというと
内部に問題ありまくりのやつが、内部の問題を隠すために外部に
敵・・・とまでは言わないが、目標を立てようとするところだ。
私の中ではこれはへどの匂いがぷんぷんするほどの悪だ。
「偽善だと批判されても、何もしないよりは何かした方がいい」
に対してどうにもぬぐえない違和感を感じてると思ったら
こういうことだった。
なるほど「少なくともDo Not Evilは絶対遵守する」という前提が欠けているのだということを隠ぺいしているのか
あるいはそもそも考えもしていないド低n・・・楽観主義者とはこういうものかと思った。
そうやって自分に対する懐疑的な目を振り切ることは、絶対に許してはいけないと思った。
私ごとだけれど、
昔小学生の時のボランティア活動において31人のクラスで3人1組とやったことがあってだな。
後は言わなくてもわかると思うが、それが原因である子供がいじめにあうことになった。
まぁ遅かれ早彼だったろうとも思うが。
その時、外に対しては確かに「偽善でも義務でもやる方がよい」ということになる。これは否定しない。
だが、もしそうやって外に向けて善をなそうとするなら、しかもそれを
一人じゃなくて皆でやろうとするなら、まず内側の人間を大事にするべきだったんじゃないかな。
それはしばらくの間だけ内側のごく少数の人間を幸せにするだろう。
しかし、あっという間に限界が来て、
その宗教自体の存続が目的になると、内部外部問わず多くの人を不幸にする。
腹が減っては戦ができぬというが、まず自分の腹を満たしてからやれよ、と。
戦をする時腹が減ってるやつはまず間違いなく略奪行為をする。
反論のための反論(極論)的展開が多かったから、或る程度支流の部分はスルーした。
で、一応メインがまとまったので、その点について話したいと思う。
確かに、自分の子供時代が絶対的な欠乏みたいな状況になかったのは事実。
でも、【親が食べるパンや飲み物を、ほらお前が飲め。】的な状況はそんなに生活の中で頻発しているのかな?
人生全てトレードオフ(WINーWIN)だから、それらは、程度の問題だといっているように、
親が絶対的な?我慢をしてまでってのがイメージできない。
明日の休みは子供のために遊園地だな。とかはわかるけど、それは絶対的な”我慢”かな、そういうの。
あるいは、自分は犠牲にされている!とか思うことなのかな。そういうの。
要は、我慢はしてるだろうけど、心を壊されるような我慢なのかなってこと。
コミュニケーションについてだけど、
子供が不安になるというのは、親対子関係には全般的に起こりうることで、つまり、
子供が親から大事にされているかどうかと感じることにかかっている。
じゃあ、その大事感を満たしてあげられるのは何かと言えば、コミュニケーションしかないと思ってる。
なぜならお金をあげる。物を買ってあげるといった、なにかモノや媒体で愛情(大事感)を表現しようとすると失敗するから。
それは、モノやお金が代替可能であり指標化できてしまうからである。
大事感を測ろうとしたり、大事感がお店に行けばいくつもみつかるようなモノだったら、子供からは信用できないでしょ?って話。
自分のパパからのプレゼントを、友達の○○君ももってたり、友達の○○君は自分より高いモノ買ってもらってたりすればさ。
結論としては、”愛情そのもの”を伝えるべきである。ということだから、それは不完全な方法でしかないが
それしか方法がないからコミュニケーションを選ばざるを得ないよな・・・というのが自分の見解。
で、個別具体的な別姓問題に関するコミュニについてだが、
別姓 → 子供が不安になる。というより、子供が親の態度に不安を感じていて、それを強調・助長する別姓の事実を発見する。って思考の流れだと思っている。鶏と卵みたいな所があるけれど。本質なのは、その子供が感じる大事感の有無。
だから、別姓でも安心であることを伝えて理解してもらうのではなく、別姓という事実を知ったときに親に疑いをもつような、心理作用にすでにある子供にしないために大事感をしっかり伝えておけばいいのであって、別姓問題で子供を説得するのではない。
ただ、それでも中学生とか小学校高学年くらいになれば、よそはよそ。うちはうち。いろんな家族が居るのよ~でなんとなく納得してきたものを、もうすこし、なんでお父さんとお母さんは別姓を選んだの??って個別的な経験を理性的に聞かれるだろうな。
"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。
GAWさんの熱いエントリ読んだ。
だいたい同意なんだけど、親の側の意見もあるよって事で。
ちなみに、青春時代を非モテキモオタとして鬱々と過ごしたのち結婚。子供3人を授かる40代PG。
オタク業界で働くものとして、また中学生の子供を持つ40代のオッサンとして、なんとなく意見を書いてみる。
色々的外れな部分もあると思うが、勘弁して欲しい。(と、予防線w)
他の親がどう思ってるかなんて知らんです。
文中の「親としては」の部分は「俺は」に読み替えてもらう方がいいかも。
■世界中に存在する「あなた」たちへ
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100316/1268714062
まず、親としては子供が赤ん坊の頃から手取り足とり世話して選別しながら育ててきたわけで。
それこそ、おっぱい飲む事ですら下手くそで、しょっちゅう吐いてみては心配したり、のどに詰まらせないかドキドキしながらはじめての離乳食あげてみたり、腹筋弱くてウンコすら満足にできないでホゲホゲ泣いてる赤ん坊のお尻を突いてみたり、ハイハイしだしたらそこら中のゴミを手当たり次第に口に入れたり、ソファーから転げ落ちて机の角に頭ぶつけてプチ流血したり…
そういう「子供は見てないと何するかわからん」「親が選んであげないと危なっかしい」という刷り込みが大前提としてあると思ってほしい。これが1点目。
また親としては、子供の成長とともに「この程度は自分で行動できる」「これは子供の判断に任せても大丈夫」という風に信頼できるようになるんだけど、
それには、親の側が子供に色んな事をやらせてみて結果を判断するという事を、数多く積み重ねるしかない。
子離れの為には相当数の「子供の自主性を信頼するという経験」を積み、成長しないといけない訳だが、子供を気にかけ心配すればするほど、子離れの為の助走期間は長くなる。
つまり、子供を信頼し子離れするには、親の側の成長も必要という事。これが2点目。
さらに、自分がよくわからんものは判断できないから子供にも与えたくない。
親と言っても人間だから、そりゃ楽できる部分は楽したいし、そういう判断についても規制でアウトソースできるならそうしたい。
みんながダメといってるもので、確固たる信念がないものについては、同調した方が楽だし、正直どうでもいい。
…という、消極的な規制容認と言うバイアスが働きがちになるのはしょうが無いよね、人間だもの。って事。これが3点目。
んで、規制論の話なんだけど、自分はネット上の意見と同じように、非実在青少年の規制には当然反対する。
そのうえで、「オトナの色んな規制ウゼー」的な意見についてだが、これはしょうが無い気がするんだよ。
まず、大人は子供に対していつまでも子供として見ているし、どこまで子供に任せていいのかいつも悩んでいる。つーか、だれも正解なんて教えてくれないから、ヤバげなものはとりあえず却下。
多くの人が、ほとんどの作品はセーフだけど、これはさすがに子供に見せない方が良いだろって判断基準を持ってると思うが、そうやって「さすがにこれはダメ」って作品は人によって大きく違う。
オタク寄りの人はその基準が甘くなるとは思うが、世の中にはオタクじゃない人もいっぱいいる訳で、そういう人の基準はどうしても辛くなる。
ある人は巨乳がダメだけど貧乳はOKかもしれないし、レイプはNGだけど痴漢はOKかもしれない。獣姦はOKでスカトロはNGかもしれない。別の人はとにかく裸は全部ダメかもしれない。グラビアアイドルはOKだけど2次にハァハァする息子の姿はみたくないからNGとか、アニメのキャラを俺の嫁とか言ってる30代キモヲタであるところの、近所にすんでる奴の姿と、今まさにエロ漫画を手にしつつある子供の姿がだぶって見えて恐怖したりとか。つーか過去の自分がどんだけ腐れオタクでもキモいもんはキモいわけで。我が子がそうなる可能性を排除したがらない親はそうそういないと思うわけで。
そうやって、色んな人達の「さすがにこれはダメでしょ」を集めていくと、どうやってもダメなものの数が膨大になり、表現の幅は狭まっていく。
それが制度として作られてしまうと、最低基準のラインがそこになる。そうなると基準はもう動かない。
だって「昨日までスク水はNGだったけど、今日からOKにします」なんて風に、ダメなもののラインを引き下げる妥当かつ積極的な理由は(ほとんどの場合)見当たらないから。
あとは「さすがにダメでしょ」的なものをドンドン追加するだけ。
最初は、ちょっとした「親としてこれは見せたくないよね」程度の意見にすぎないものでも、寄せ集まり熟成される事で表現の自由を脅かす暴力になる。
親としては子供に任せるのは不安だから、ヤバいものは子供の目につくところから無くなってくれた方が楽なわけで(親だって、楽に子育てしたいじゃん)。
親の怠慢と言われればそうかもしれないけど、他の危険物(食品や薬品や武器やなんか諸々)はしっかりと規制され隔離されて子供の手に入りにくいところに置いてあるのに、コンテンツに関してだけは子供が簡単に手に入るところに置いてあるわけで。
極端な話、コンビニにけん銃は置いてないけどエロ本は置いてあるし、毒薬は簡単には手に入らないけど同人ロリスカトロものはネットですぐに見つかる。
なんで他の見せたくない物や危険物と違って、ヤバいコンテンツだけは親が内容を判断し気にかけなきゃならんのよ?と。
それなら、他の危険物と同じように、人格や性的し好に悪影響を及ぼす(及ぼしそうな)エログロものも、規制という形で判断をアウトソースしてくれてもいいんじゃねと。
だいたい、子供が簡単に出入りできる場所に、大人向けのおゲレツド変態ものなんて置いてくれるなよと。
混在しておいてあるからまとめて規制するしかないだろがと。
そういう風に考える人もいるだろう。俺含めて。
コンテンツ業界が自主的にやってくれないで、ロリエロスカトロ触手ものが平気で町の本屋で売ってたり、ネットでググればソッコーでその手のエロコンテンツにヒットする状況で、親が子供の性的し好を監視するのっても限界があるから、ある程度は規制でゾーニングしてくれよと考える。
そうやって、みんながいきなりエロを全否定し規制したいわけじゃなくて、なんとなくダメそうなものはどれ?って意見を集めていくと、自然と規制だらけになっちゃう。
エロコンテンツの数があまりにも多すぎて、親が管理できないんだもん。規制に頼るしかない。
これは、なんつーかもう、しょうがないんだな。
結局、何が言いたいかっていうと、規制が増えるのはシステムの問題であるという事と、親にとって子供はいつまでも子供なのである程度の歳までは親が選択してあげるのは必要だって事と、親も自分でなんとかできりゃいいけどコンテンツが多すぎて無理でしょって事。
たぶん同じような事はこれからも起きると思う。
だから、ダメな法案が出たらネットで監視して、同じように反対運動するしかないよね。って思うわけです。
例の条例については、まだまだ安心はできないけど、ひとまずはお疲れさまでした。
なんか全然まとまってなくてスマン。
例えば旦那がDVやモラルハラスメントの常習者で、ことあるごとに奥さんをぶん殴り罵倒していたとする。
この場合の構造はシンプルで、旦那は加害者で妻は被害者だ。それ以外何もない。
で、妻が子供を産み、旦那の暴力が妻と子供に向かうとする。この場合は、旦那を加害者とすると殴られている妻と子供が被害者になるわけだが、被害者の一人である子供から見れば、さっさと離婚や別居に踏み切らない母親、DVを受けざる得ない環境に身を置かせ続けた母親も立派な加害者、DVの共犯だったりする。
よくあるブラック会社の話もそうで、ブラック社員というのは理不尽な仕事を経営者から押しつけられ、残業地獄にあえいで苦しんでいる被害者なのだが、もうひとつ高い視点から見てみると、ブラック社員はブラック経営者とともにダンピングを繰り返し、定時に帰る社員に罪悪感を植え付け、健全な経営を目指すホワイト企業を倒産に追い込み、日本の労働環境を世界最悪まで悪化させている加害者だったりする。結局のところ残業をしまくる社員がいるから残業を押し付ける経営者が減らないのであって、第三者的な地点から見れば彼ら彼女らは単なる共犯なのだ。
そして、「被害者と加害者」が反転してしまうややこしい構造、これらに共通するのが「我慢」「忍耐」というワードなのかなと思う。
「我慢」「忍耐」というのは、「強烈な負荷がかかっているにも関わらず、その負荷を取り除いたり遠ざけたりする努力をせず、現状維持をしている」という状態だ。
そして、我慢を選択する人というのは「負荷の大元を取り去る努力」をしないので、いつまでも負荷は存在し続け、その負担が第三者に向かうことになる。これが「被害者が加害者に転ずる」構造だ。
→父親がDVをし続ける
また、負荷は直接的に第三者に向かわずとも、負荷を受けている人を通じて第三者に向かうこともある。
例えばすかいらーくかどこかでサービス残業を我慢し続けて倒れ、意識が戻らなくなってしまった人を両親が介護し続けているというような話があった。これについてもサー残を我慢し続けた人が「負荷の大元を取り去る努力」を行っていれば、両親も息子の介護という苦しい仕事に老後の時間をつぎ込まなくてもよかっただろう。両親はたぶん自分たちが被害者だとは思っていないだろうが、客観的に見れば「両親に重労働を押し付けている」のはすかいらーくであり、ブラック社員だった息子なのだ。
「我慢」というのはこのように、自分の人生だけでなく他人の人生までもを毀損してしまう恐ろしい行為なのだ。なら我慢なんかせずに、さっさと逃げるか戦うかをすればいいのだが、日本人というのは「我慢するのは大人の努め」「忍耐が出来ないのは子供。社会人として未熟」という大東亜戦争を戦った皆さんのようなありがた~~~~いクソ価値観(別名「社会人の常識(笑)」)を刷り込まれているので、強烈な負荷がかかり続けても逃げたり戦ったりすることも出来ず、潰されて鬱になったり自殺したりする。
それどころか、我慢せずに逃げる人を「無責任」「子供」「社会人として駄目」「どこに行っても通用しない」と罵倒し、我慢せずに戦う人を「金の亡者」「自分さえ良ければいいのか」「世の中を知らない」「KY」と叩きまくる人もたくさんいる。いるというか、私の皮膚感覚からすればそっちがマジョリティだろう。こうして何が正しくて何が間違っているのか判らない現場に放り込まれたブラック社員はどんどん疲弊していく。日本のどうしようもない閉塞感というのはこれが原因だろう。
これを踏まえた上で人生を楽しく生きるキーワードは「負荷を我慢」をしない、これに尽きるかと。私は元ブラック会社のダンピング社員だったので、サービス残業地獄のさなか「我慢出来ない自分が悪いのでは……?」というクソ思考回路も一通りトレースしてみたこともあるが、我慢せずにさっさと辞めて独立し、適切で人間的な労働環境を整えたら、それがいかに無意味で馬鹿馬鹿しく、自分の人生を毀損する害悪なものだったかがよく判るようになった。だって「負荷を我慢」なんかせずとも、楽しく、お金が稼げて、自分が成長できて人脈も作れる仕事なんか、世の中にたくさんあるのだから。同じ賃金を稼ぎ、同じだけ成長できるのなら我慢なんかしない方がいいに決まっている。昔の私はこんな単純なことも判っていなかった。
子育てなんかでも「我慢」を教えなければいけないというが、教えなければいけないのは「欲望に対する我慢」であって、今の日本人は「負荷に対する我慢」と「欲望に対する我慢」の区別がつかずにどんどん追い込まれているように感じる。「欲望」は我慢しないと性犯罪者、メタボリックシンドローム、成人病、多重債務者などに転落して人生終了だけれども、「負荷」なんかは全く我慢する必要はない。楽しく美味しく生きていく方法を探したほうがよほど建設的で、よほど充実しているのだから。
以下追記。
「負荷を我慢しない」方法はいくつかある。
これらはそれなりにリスクのある方法だが、「一生負荷を我慢し続ける」のとどちらがマシなのかを考える余地はあると思う。
ちなみに日本の会社は99.99%がブラック企業なので「いい会社を求めてジョブホップし続ける」という方法は地獄めぐりになりかねないので避けたほうが無難。大企業や公務員であっても残業地獄からは逃れられない。俺の知り合いの某一部上場企業社員は、子供がいるのに毎日26時ぐらいまで仕事をしているらしく「子供が産まれてから寝ている顔しかほとんど見たことがない。あと10年はこんな感じ」らしい。
また「ブラック企業の環境を変えてホワイト企業にしよう!」というのも不可能に近く、終わりなき闘争を強いられるので避けたほうが無難。仮に社員全員の価値観変革に成功したとしても、同業他社のブラック企業に食われて終わったりするので全く不毛。トリンプの吉越氏はこの変革に成功した経営者だが、相当な意志と才能と権力がないと出来ないので、一兵卒の状態でこの戦いに挑むのは辞めたほうがいい。戦わず逃げるのが賢明。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50847397.html
『普通学校へ進学させた親を怨みます。脳性まひの男性』を読んだ。
我ながらすごく平坦でつまらない意見だけど、いろいろあると思う。
一概にどちらがいいとは言えないし、障害の状況や周りの条件でもくるくる変わる。
障害の軽重だけで決められるものでも無い。
親に感謝している。
見た目はともかく、実生活には(少なくとも本人が思うには)支障は無い。
右手でちょきが出せない、いわゆる“びっこ”を引いている、そんな程度だ。
右手でちょきが出せなくても左手でちょきを出せるので、じゃんけんに困ったことは無い。
但し、小学校では友達も少なかったし、毎日図書館に入り浸っていた。
それは障害による直接的な影響というよりも、気持ちの問題が大きかったような気がする。
やっぱり、学校に上げるときは親は悩んだようだ。
障害児の親なら、誰でも通る道だ。
子供のころ、学校とは別に障害児を支援する公的なセンターのようなものにも入っていた。
そこではよくバスで遊びに連れてもらったり、夏にはCAMPなんかもした。
こちらは学校と違い、かなりたくさんの友達ができた。
夏の夜、テントの中でいつ果てるともない話を延々と続けるのは楽しいものだ。
友達たちの大きなテーマのひとつに、これからの進路があった。
小学校から中学校にあがるとき、中学から高校にあがるとき、このまま養護学校に進むのか、普通学校に行くのか…
概ね、気持ちは行きたいが新しい世界でやっていけるかどうか不安だナァというものだった。
もちろん、学校側が受け入れてくれるかどうかも現実問題としてあった。
外に出て行きたい理由はもうあまりはっきりとは覚えていないが、どうしても世界が狭くなる、甘えてしまう(あるいは、
甘えてしまう学友を、周りにたくさん見てしまう)という理由だったように思う。
僕はこの話題になると、あまりしゃべることがなかった。
僕にとって、養護学校は遠い存在だった。
高校時代に知り合い、とても影響を受けた(今も)人がいる。
腕っ節がすごく太い。
その人は、高校まで養護学校に行き、そこから地元の私立大学に進み、家庭を持った。
障害が重く、子供のころは医者からは車椅子の生活になると言われていたそうだ。
彼は養護学校時代、毎日、授業が終わった後に1~2時間鉄棒などで腕を鍛え続けた。
そうして腕だけで体を支えられるようになり、松葉杖で今もどこへでも出かけていく。
子供心に、今何をすべきか考えたのだと思う。
彼はとてもIQが高く、重い障害に通学を渋っていた地元の小学校の校長が「是非来てください」と言うほどだった。
親は、結局、養護学校に進ませる道を選んだ。
同じ条件にある子供が皆こうするわけではないだろう(というより、殆どしないだろう)。
でも車椅子の生活者になったかもしれない。
もちろん、どちらがいいという話ではない。
子供を育てるのに正解は無い。
それは、障害児だって同じことだと思う。
なんだか当たり前の結論になってしまって、(ここまで読んだ方には)申し訳ない。
ずいぶん紛糾してるなぁ。
増田には芸術家崩れと子供の将来に最大限の夢を見てる人が多いんだろうか。って私もその一人か。
元増田は美術らしいけど、この手の話は畑違いにもいくらでもある。
弾くのが好きで好きでやめられないっていう才能。
それぐらいすき。っつーか、練習が苦じゃないっていうか。
そういうの持ってる子供はまず音楽教師にどうのこうの言われたところでやめられないし、
そういうの持つ可能性のある子供(今はそれが発現してなくても)も同じでしょ。
それこそ、食べさせてくれてる親に言われたらわかんないけど。
教師に言われてぐらつくぐらいなら、その後あっさり挫折するだろうから
http://anond.hatelabo.jp/20090212232027
金銭的対価のやり取りが発生していないときは往々にして女の側にだけ愛があって男の側にはないことが多い。
しかも性欲は一過的なものなので一回やった女は飽きる=用済みになるのである。
奥さんは特別美人ではなかったけど、やはり愛があれば毎日食べてても飽きないんだろうな。
彼らは毎日愛あるセックスを楽しんでいる。
そして奥さんは愛あるセックスを楽しみながら更に金銭的対価まで得ている。(扶養されているんだから)
私は無料でやらせて一回二回やったら用済みでポイなのに、この格差はなんなんでしょう。
働かずにずるいと言っているわけではない。
専業主婦ってそれだけ旦那に愛されているから得られる地位であって、
働く女よりずっと格が高く幸福な立場なのかしら。
増田さんが思うこともよくわかる。
ような思いをさせてしまったんだと後悔しています。
その彼も一言の優しさがあれば幸せに二人ですごせたのかもしれないと
後悔しているかもしれません。
一方的な考え方を持っているのかもしれませんが
二人で幸せを作っていくためにそのやさしさは
確かに必要だし、そのやさしさが必要だと彼に気付かせたり
そういう思いを持ってもらうような努力も必要なのかもしれません。
生きていくことは大変だと思います。
よい未来もきっとあると思いますので
悲観的にばかりならないでくださいね。
きっとやさしさを持った男性もいらっしゃると思います。