はてなキーワード: 手話とは
政府の記者会見の時に手話の人が小窓に出てるけど、同時タイピングの方が情報を多くの人に正確に細かく伝達できると思う。
障害者にも配慮していますよという政府の単なるパフォーマンスなのか。
私は手話に詳しくないのでよく分からないが、手話だと例えば、「セシウム」とか「マイクロシーベルト」のような専門用語の表現はたぶん難しいと思う。
それに難聴者は全員手話を習得している訳ではないし、高齢者などの後天的な難聴者は手話を見ても分からない人が多いと思う。
同時タイピングを字幕で出すことにより、情報をより多くの人に、より正確に伝えることができる。
アメリカのニュース番組は同時タイピングやってるところが多い。手話の小窓を出すなら、同時タイピングも画面下に字幕で出すべきだと思う。
山岡・民主副代表:陣営が運動買収の疑い 昨年の衆院選
山岡賢次・民主党副代表(67)の陣営が09年8月の衆院選(栃木4区)で、有権者に電話で投票を依頼する「電話作戦」を行った運動員2人に計24万円の報酬を支払っていたことが分かった。電話作戦は無償で行わなければならず、公職選挙法違反(運動買収)の疑いがある。1人は連座制適用対象である私設秘書(37)から報酬を受領していた。過去、連座制適用が確実となり議員が辞職に追い込まれた事件もあり、民主党に「政治とカネ」を巡る新たな疑惑が浮上した。
運動員2人は栃木県に住むいずれも主婦。毎日新聞の取材に対し「後援会名簿を使って1日200軒ぐらいかけた」「電話かけ専門だった」と、同県真岡(もおか)市の事務所で電話作戦をしていたことを認めた。
電話作戦は公選法上、無報酬のボランティアだけに許されるが、うち1人は山岡氏の私設秘書の実名を挙げ「選挙3カ月後に『報酬が出るから』と連絡があり、事務所で秘書から報酬を受け取った。領収書も書いた」と話した。もう1人は、陣営側の人物について実名を伏せつつ「ボランティアということにしているが(本当はもらった)」と話した。
陣営が09年12月1日、選管に提出した「選挙運動費用収支報告書」には、2人の領収書のコピーが添付されており、毎日新聞は情報公開請求で入手。「山岡賢次選挙事務所」名で、同11月28日と同29日、2人に各12万円を支払った、と記載されている。名指しされた秘書は「電話作戦をした人はいるだろうが報酬はないんじゃないか」と話した。
衆院選栃木4区では4人が争い、山岡氏が13万9878票を獲得し小選挙区での初勝利を果たした。【小林直、太田誠一、渡辺暢】
◇候補者に連座制適用の場合も
買収など選挙違反事件で出納責任者や運動の指揮・監督をする責任者(総括主宰者)の有罪が確定すると連座制が適用され、候補者の当選が無効となり同じ選挙区からの立候補が5年間禁止される。
電話作戦を巡る運動買収事件としては、山岡陣営の疑惑と同じ衆院選で、民主党の小林千代美前衆院議員(北海道5区)派の連合幹部(当時)が09年10月、逮捕されたケースがあり、懲役2年、執行猶予5年が確定。判決によると、35人に電話作戦の報酬として計261万円を支払う約束をした。公選法上報酬を実際に渡さなくても、買収罪が成立する。小林氏は辞職に追い込まれ、検察側は公民権停止など連座制の適用を求め札幌高裁に行政訴訟を起こし係争中。
94年の公選法改正で、秘書や立候補予定者の親族らでも禁錮刑以上が確定すると連座制の対象となり、適用例もある。
◇ことば・運動買収
選挙運動の対価として運動員に金銭などを渡す行為。受領した側も処罰される。例外として、選挙カーで候補者の名前を連呼する車上運動員(ウグイス)▽事務所で接客などをする事務員▽手話通訳者--への報酬は認められている。しかし、報酬を伴う選挙運動を全面的に解禁すると選挙資金が豊富なほど多数の運動員を動員でき、金権選挙がはびこるとして、ほかの運動員への報酬は禁じられている。法定刑は3年以下の懲役か禁錮、または50万円以下の罰金。
言語学ってみなさん聞いたことありますか?おそらく、「言語学を学ぶために大学を選んだ」人は極小数だと思います。
言語学は、言語の本質を解明する学問のことです。個別言語の解明にはそれぞれ担当する言語の名前がついた学問があります(ex.日本語学、英語学)が、言語学は、そういう個別ごとの解明ではなく、言語全体に流れる本質を見出す学問と言えるでしょう。だから、日本語学や英語学のような学問と言語学は相互に助け合って成り立っていると考えてもらってさしつかえありません。
じゃあ言語学がけんきゅーする言語ってなんだよ、という話ですが、当然のことながら定義は曖昧です。コミュニケーションを取る記号体系の総称、と言えば聞こえはいいですが、納得しない人もいるかもしれませんね。
例えば感謝の気持ちを表すのに「ありがとう」やら「thx」やらことばを使いますが、それだけじゃありません。感謝の気持ちをめいいっぱいの笑顔で表現したり、ハグしたりと、相手に感謝の意を伝えるには様々な手段を使います。
そして言語学はそのあらゆる手段、環境、が考察対象、とも言えます。コミュ学、と言えばウケがいいでしょうか。
手段というのは、要するに日本語のように体系的なものから、それに付随する顔文字や記号の集まり、身振り手振りやデザインなどです。
体系的、というのは要するに正確に意思伝達するにはルールを守る必要がある、ということです。日本語のような自然言語に限らず、手話や点字などは体系化されたコミュニケーション手段です。そして意思伝達を図るには体系化されたルールを双方が理解する必要があります。
環境というのはたとえば手紙であったり、たとえば日常の会話だったり。競馬の実況や野球の解説だったり、所信表明演説だったりします。プラットフォームと言えばウケがいいでしょうか。こういうのはどちらかというと日本語学の方が進んでいたりします。言語学でするならば、各国の総理大臣や大統領の演説を比較するなどのことが考えられるでしょう。
もちろんそれらの変化も考察するので、歴史的な捉え方もできます。例えば古く日本語では「母」を「パパ」と呼んでいた、なんてのは小話でされますが、これは[papa]のp音が[haha]のh音へとゆっくり変化していったことを意味します。これは「唇音退化(しんいんたいか)」と呼ばれる現象です。「ぱ→ふぁ→は」と発音してみれば簡潔にどういう状態なのか分かるとおもいます。こういったものは音声学や音韻学、国語学などが詳しいでしょう。
次回第二講は「げんごがくってどんなことをまなぶの」です。今回は第二講の導入も兼ねています。
なお、更新は不定期です。
http://anond.hatelabo.jp/20100703225643
あるいは言語が形成されたときでも、
意思疎通の必要があったからその手段を得ようという動機が生まれているわけ。
その人が好きだから、意思疎通手段を欲するのか。
仮に意思疎通ができない相手を好きになることがないならば、その手段を得ようともしない。
愛が先にありそれが原動力で言葉が生まれたとするならば、
人を愛するのに言葉による意思疎通は必須ではないということだ。
もっと現実に即して言えば、セックスしたい、自分の子供を育てたいという欲求が先にあり、
それを実現する手段として言語が発達して、
その欲求を愛と形容しているのだろう。
あるいは、人間が他人と意思疎通しようとする動機として、愛は必須ではないということだ。
"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。
話題作の公開初日に行ったら、満席だった。開映前、まだ明るい場内はざわざわと話し声がしていて、ポップコーンの匂いが漂っていた。ひとりで来ているぼくのとなりには聴覚障害者らしき中年の男女が座っていて、手話で会話をしていた。洋画だから字幕が出るし、普通に楽しめるものなのかな、と思いながら、特に気にもせず開映を待った。
やがて場内が暗くなって、予告編が始まった。隣のふたりはまだ、手話を続けている。予告編が終わって、例のジャカジャカジャカという、頭がハンディカムになってる盗撮禁止のダンサーのアレ(新しくなってた!)が終わり、NO SMOKING、NO SPEAKING、その他の注意喚起があって、いよいよ映画が始まった。真っ暗の客席は静まり返った。
隣のふたりは、まだ手話で話をしていた。10分、20分、映画が進む。ヨハネスブルクの上空で宇宙船が故障してどうしたこうしたというフェイクドキュメンタリー映画だ。おもしろい!
でも、気になる。まだ手話で話をしている。ひっきりなしにガサガサいっているし、たまに肘が当たってくる。パシパシと拳で手のひらを叩くような音も聞こえてくる。
気になってしょうがない。30分くらいしてそろそろ物語に没入したいな、というころに、ちょっと強く肘を当てられた。ぼくは話しているおじさんの肩をトントンと叩いて、シーっとやった。「静かに」と。
するとおじさんは一瞬ムッとした顔をして、それからアメリカ人がやるような、両の手のひらを上に向けて肩をすくめるようなポーズをして、うっすら笑って、それからまた向こうを向いて手話でしゃべり始めた。おばさんのほうもぼくを見て、ちょっと笑った。
聴覚障害がどんだけ不自由なものかは知らない。はっきり言って想像もつかない。彼らがどんな思いで映画館に来ているのかも知らない。「聞こえる人」であるぼくをどう見ているのかも知らない。
ただ、迷惑だと思った。映画館で上映中に手話で話をするのは、迷惑行為だろうと思った。
そして、それを注意したぼくを蔑んだように笑ったあのふたりを、ぼくは傲慢だと感じた。
なんだあいつら。ふざけんな。
http://anond.hatelabo.jp/20091129184546
これでも納得できない人は、次のあべ・やすしさんの記事(さっきリンクしたのとは別の記事です)、ぜひ参考にしてください。
●読みやすさって、なんだろう - hituziのブログじゃがー
私のブログをいつも読んでくださっている方が、どれほどかな書きに慣れてきたのかは聞いてみないとわかりません。もしかしたら、大きな負担を感じながら読んでくださっているのかもしれず、そうだとしたら心苦しく思います。
私はかな書きで書かれている何人かの人のブログなどをいくつか巡回して読んでおりますけど、漢字が使われていないことへの抵抗は今や全く感じなくなりました。むしろ、漢字の多い文章よりも、かな書きで分かち書きされた文章のほうが、読むときの負担は軽いようにすら感じます。私個人の経験からは、漢字かな混じり文が読めるなら、かな書きの文章にもすぐ慣れることができると思います。
もっとも、その「慣れる」ための手間がわずらわしいという人もいるのでしょうし、私自身「なんで俺のほうがお前に合わせて慣れなきゃいけないんだよ」という意味のことを言われたこともあります。そういう人に言うべき言葉を私は持ち合わせておりませんし、無理に 「慣れてくれ」と求めるつもりもありません。
漢字を使いたい人は漢字を使って文章を書けば良いし、かな書きの文章がかな書きであるという理由だけで読みたくないのであれば、読まなければ良いでしょう。どういう表記で文章を書こうが、あるいはどういう表記で書かれた文章を嫌おうが、その人の自由です*7。
ただ、「日本語はこう書かなければならない」とか 「まともな日本語はこういうものだ」とかくだらない権威(ほんっっっっとにくだらないと思います)を笠に着て、しかもそのことに無自覚なまま、人の言葉や表現に評価を下すのは、やめてほしいと思います。
*1:「話されている」という表現は多少語弊があるかもしれません。当然、日本手話も含めて「日本で話されている様々な言語」といっています。
*2:私は仕事上の付き合いで、日本語の読み書きに困難を抱える人と出会うことが割と頻繁にあります。その人たちの中には、日本語で話したり聞いたりすることはできるけれど、読み書きとなると大きな困難を抱えている人が少なからずいます。無論、漢字だけがハードルになっているわけではありませんが、かなやローマ字など、表音文字で文章を書き表すことがもっと一般的になれば、そのハードルが格段に低くなるのは確かです。
*3:そう考えると、かな書きの文章に対してよくつけられる「みんなよく読めるな」というコメントもなかなか味わい深く思えてきます。
*4:なお、私はかな書きよりもローマ字表記のほうがいくつかの理由で望ましいと考えてはおります。
*5:『あなたの年齢当てます』朝倉久志 訳。なお、引用は山崎浩一『危険な文章講座』(ちくま新書)からの又引きです。
*6:石川准「本を読む権利はみんなにある」(上野千鶴子他編『ケアという思想』岩波書店、2008年)
*7:私は上にリンクした 5.の記事で書いた通り、漢字かな混じり表記を「標準」として押しつける「国語教育」ごと廃止すべきだと主張していますが、一人一人の書き手が漢字を使うことを禁止すべきだとは考えていません。
→これは無理だろ。むしろ、既にほぼ実現している量子暗号が実用化されて、国家機密とかは暗号化が完璧になりそう。
→日本でやっていないだけで、韓国では既に社会保険番号というIDで国民総背番号制やっている。韓国のサイトでユーザ登録しようとすると、社会保険番号入力欄があって何書けばいいのかわからずあせる。
生涯IDは不変。
あらゆるものがタグ化。
→バーコードで十分じゃね?RFIDが今より普及するかもしれんが。
全員が自宅勤務。
→それはないだろう。むしろ、情報セキュリティが厳しくなって、仕事を家に持ち帰れず、会社でしか仕事が出来ない方が普通になると思う。
テレビ電話の機能が大幅に上昇。
→機能の上昇より、テレビ電話と普通の電話で通話料が代わらなくなる方が可能性が高いのでは。
→音声から文字列への変換は、既に実用レベルで出来ている。パソコンでも普通に動く。キーボード入力は、数十年後でも、二つ理由で残ると思う。一つは、喫茶店とか公の場では、みんなが喋って音声入力したら、うるさくてたまらないから、キーボード入力の方が向いている。もう一つは、音声入力が完璧でも、人間が言いよどんだときに、「~まで戻って」とか口で説明するより、Backspace押した方が早い。
→身振り入力より、マウス入力の方が多くの人にとって楽だと思う。手話入力がOSに標準装備されるようにはなるかもね。
すべての乗り物は共有財産となり、最小のコスト、かつ最速で目的地に着けるようになる。
→共産主義ですか(笑)まぁ、無料自転車があるぐらいだから、無料車ぐらいは町を走っていて欲しいが。それより、高齢化社会だけど地方では車がないと生きていけない、というニーズから、自動車の自動操縦が一般化すると思う。
→これは、普通にありそうだ。
あらゆる言語がお互いにリアルタイムで翻訳できるため、言語の違いに意味がなくなる。外国語の授業がなくなり、英会話教室は軒並み廃業
→まさしく俺の専門なんだけど、うーん、どうかなぁ。数十年後なら、「外国人に道を聞かれて答える」みたいな英会話なら、携帯端末でリアルタイム翻訳できていてもおかしくない。ただ、巷の英会話教室は、英会話がやりたいというよりもビジネスで英語を使いたい人のためにあるわけだ。ビジネスで英語を使う場合、結局、「訳し間違い」や「発言し間違い」の責任を誰かに取ってもらわないといけないから、やっぱり、英語力は必要になるだろうね。ただ、必要とされる英語力のレベルや種類は変わってくるかもしれない。
遺伝子の解析によって将来罹患する疾病の内容や時期がわかるため、予防医療が急速に発達。
→まぁ、そうなると思うけど・・・むしろ、遺伝子の解析によって、個人で医療負担額が変わる、とかいう方が先になると思う。
→一人でやるゲームは残ると思う。テトリスとかソリティアとか、別に、オンラインになってもらっても困るし。
オンラインゲームのインターフェースがすべてのアプリケーションのインターフェースを侵食する。
→何がいいたいのかわからん。
→「すべて」っていう言葉を気軽に使いすぎ。まぁ、ネットでの出会いが今より普通になるとは思うけど。
CPUの演算があまりにも早いため、プログラムの効率性がどうでもよくなる。
→「僕も若い頃、計算機の進化が早いから将来アルゴリズムの高速化の研究は廃れるかなぁ、と思いつつ、アルゴリズムの高速化の研究を30年やったけど、どうやら、世の中そうはならないみたいです。」離散アルゴリズムの第一人者の教授の言葉。結構感動した。
それに対して通信速度はそれほど上がらないため、ローカルでできることはローカルでやろうとすることが増える。
ユーザの挙動が常にモニタリングできるので、インターフェースの問題点の解決が異様にはやい
→これも、何がいいたいのかよくわからない。
→それはありえると思う。
画像解析技術と検索によって、誰がどこにいるかがすぐにわかる。
→画像解析技術が進歩しても、肝心の画像データがないとどうにもならないぞ。監視カメラが増えるかどうかは、技術じゃなくて社会の問題だろう。衛星写真から個人を特定するのは、物理的に限界があるだろう。ただ、「この点の人物を追跡しろ」みたいなことは出来る(あるいは、既に出来ている)と思うけどね。
社会のシミュレータが発達するので、政府が施策を打つまえに何が起こるのかがわかるようになる。
→経済分野に関しては、既に色々なシミュレーションを官僚(と日本銀行)がやって(政治家はバカだから)、対策を練っているのだろう。ただ、「地球シミュレータ」みたいに、政府が出資して「日本社会シミュレータ」とかいうプラットフォームを作り大学や研究所に研究を公募して、その上で色々な政策を実施してみる・・・ということはありえると思う。もっとも、そういうシミュレーションは、大抵の場合、為政者に「専門家チームの意見です」って報告がわたるだけで、専門家やシミュレーションを信頼しない為政者を選んでしまえば、シミュレーション技術がいくら進歩しても無駄。終わり。
天気予報が100%当たる。
→精度はあがるだろうが、原理的に100%あたるのはありえない。
検索エンジンがより進化し、あらゆる疑問に対して答えることができるようになる。
→自然文検索は、既に大御所がGoogleに対抗してやろうとして、Microsoftに買収された。Googleは、内部ではもちろん自然文検索の研究もやっていると思うが、外面的には自然文検索よりもキーワード検索の向上の方に注力する、と表明していて、それはたぶん正しい判断。
状況を判断して、自分が知りたいと思う前に必要な情報を教えてくれる。
→これは、ありえる。
http://www.c4lpt.co.uk/learningtools.html
語学:Podcasting Juice
http://portal.podcastjuice.jp/dirretrieval/category_sort.cgi?categoryid=14
翻訳・通訳・辞書サイト検索 Feel Words Search
やさしいひざし / おはようどうわ
http://www.mypress.jp/v2_writers/satomamachi/story/?story_id=1166707
http://why.kenji.ne.jp/douwa/sinla2.html
Link集
http://cvnweb.bai.ne.jp/~ryouken/link.htm
http://www.enjoy.ne.jp/~isshindo/SYUWA.htm
http://unorthodoxdecorum.blogspot.com/2007/09/phone-conversation-ii.html
Love is Blind.
よく言ったもので、僕は全て盲目になっているのかもしれない。
「忙しかったら、無理しなくていいですよ」
と、年上のあの人が必ず枕詞にしていつも誘ってくれる。
僕は年下なんだけど、入社したのが先だったから、お互い敬語。微妙な関係。
すごく、気を使ってくれて、こないだも
「桜が綺麗だって言ってた、あの町ってどう行けばいいんですか?」
って電話がかかってきたもんだから、
「じゃあ、今ヒマだし、一緒に行きましょうか?」
てな具合で、一緒に行くことになって。
Love Is Blind.
僕は全て盲目なっていて。
友達に言わせれば
「それはもう行くしかないでしょ」
って言うけれど。
自分じゃない。
自分じゃ幸せにできないかもしれないって
そう、まず思ってしまう。
ましてや
自分のこと、なんとも思ってないんじゃないかって。ただの同僚もしくは
「会社の人」程度にしか思われてないんじゃないかって。
全て盲目になっていて、小さなことで浮き足立って、小さなことで落ち込んで。
Love is Blind.
全て盲目であるならば。
こないだ、電車で手話で会話しているカップルを見て、泣いてしまった。
ラッシュで満員になっている電車の中、二人で座っているそのカップルはまるで、厚いバリアに覆われたように、楽しげに手話をしていて。
ラブラブしてるってわけではなかったんだけど、満員電車の中で、その世界が確立されていて。
泣いちゃったよ。うれしくて。前に立ってた女の人、めっちゃ見てたよ。僕を。
Love is blind.
見えなくても、自分の気持ちを光にすれば。
もうすこし。
届かない、僕の思い。
届け、僕の思い。
Love is Blind.
恋は全てを盲目にする。
僕は今週、勝負する。
それは、あなたに盲目だから。
ショックな出来事があると声が出なくなるというのは有名だけど、
実際そうなってみないとそれがどれだけ悲惨かというのは分からない。
まず、人と会うのが実にいやになる。信頼できて楽しめる仲間なんてものが出来るはずも
なく、陰鬱な毎日を過ごすことになる。
例えば、スーパーとコンビニの店員としか会話をしない毎日といえば少しは分かってもらえるだろうか。
いや、その程度ならニートでもそういう奴はいる。
だが、声がでなくなると、いざという時に助けてくれる人がいない。
つらいときに慰めたり励ましてくれる人もいなければ、
連帯保証人になってくれる人もいないわけで、ロクな社会生活が営めないのだ。
いやそれ以前に、仕事が限定される。これまで何度も仕事をクビになった。
もちろん、障害があっても仕事ができるように法的措置はされてるのだけど、
それはあくまで形式上で、実際には、仕事でなんとかついていくのは限りなく困難である。
そんなわけで、私は望んでいないのにニートをやっていて求職している。
望んでニートをやっている人と一緒にされるのが口惜しい。
さらに、コミュニケーションの誤解も生まれやすい。
ご存じのように、人間はコミュニケーションのほとんどをボディランゲージで行っている。
したがって、声がでなくてもある程度は伝えることができる。
だが問題は、正確に伝わらないことなのだ。
不正確なくせにいろいろ大量に伝わってしまうのだ。これは困る。
身振りって便利なコミュニケーション手段ではあるが、身振りによる誤解を補うための
言葉があって初めてその便利さが十全に機能するのだ。
そのことをここで強調したい。
あと、しゃべらないことで反感を買うことももちろんたくさんある。
だから、なるべくしゃべらなくて良い状況を作ろうと四苦八苦することになるのだ。
たとえば、これもコンビニ店員の話になるが、
「お箸は何本おつけしますか」
には首を横にふることで対応する。なぜなら、指を二本立てて2を示したりしようものなら
変な人だと思われてしまうからだ。
首を横にふる動作ならそれほど変に思われなくて済む。
本当はお箸欲しくてもそうするのである。
こうやって極力しゃべらない自分を自然に見せようと涙ぐましい努力をするのだ。
しゃべらないことによる反感といえば、こんな例がある。
道を尋ねられたのだ。
当然ドキッとする。
基本的に他人から話しかけられるとドキッとするのだ。
なるべく話しかけられないように人の少ない道を通ったりとビクビクして生きている。
声が出ない人というのは、みんなそうだと思うけど、社会ではじつに肩身の狭い存在である。
で、道を尋ねられてなんとか話さずにすまそうとしたけど、これは無理に近い。
で、急いでるふりをして足早に通り去ったのだ。
こういった状況は何度となく遭遇してきたのだけど、その時言われたセリフは一生忘れないだろう。
「無視してんじゃねーよオヤジ」「ひゃはは」
(ひゃははというのは道を尋ねた人と一緒にいたもう1人の男のせりふだ)
なんだか、社会全体から迫害されているような気持ちになって、涙がとまらなかった。
泣きながら夕方の町並みを疾走した。
おそらく、私の挙動不審ぶりが笑いをさそったのだろう。わかっているさ。
ビクビクしている私が彼らにとって恰好の標的だったのだ。
と、こんな具合である。
声が出ない人がみんなそうだとは言わないけど、少なくとも家族も友人もいない私には、
声が出ないというのはじつに辛い。
手話を習うという手もあるが、なかなかそこまでする気力の出る人は少ないと思うよ。
とにかく毎日を生きるのが精一杯で。
最後になるが、私はこんな姿であるが、もとは有名国立大にいた。
親はもうこの世にいないが、すごく期待されていた。
合格したときは病床で喜んでくれた。
病体をひきずってまで働いて予備校に行く金を捻出してくれた親にはすごく感謝している。
だが、その期待にそえなかったのが非常にくやしい。
人生何がおこるかわからないね。
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安倍政権が国会に提出した文書と報告によると、312人が参加のやらせタウンミーティングに有給スタッフが107人もいたらしい。その他にも省庁から随行員が来ていた。もちろん交通費や出張旅費などは別途支給。
ありえない! 出席者3人に一人の割合で人員が必要であるはずがない。これは明らかに違法な税支出だろう。
世論偽装に税金の不正使用。それでも安倍捏造内閣の売国ぶりを暖かく見守り続ける一部の国民のお人好しぶりには呆れてものも言えない。
保坂展人のどこどこ日記 教育改革TM@大分では、107人が有給スタッフ
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/df65477be65f6eef1d0444d0abff3f1d
04年11月27日に開かれた「教育改革タウンミーティング イン 大分」を点検してみよう。朝日広告社から内閣府大臣官房会計課長に届けられたのは10,669,761円の請求書だった。さっそく明細を見てみた。驚くのは、動員されたスタッフの数とその金額である。
[開催当日の動員関係]
1、空港(又は駅)での閣僚送迎など (単価12,000円)×6人 72,000円
2、会場における送迎など (単価120,00円)×14人 168,000円
3、各出席閣僚の個別担当 (単価12,000円)×3人 36,000円
4、閣僚控室の連絡要員 (単価12,000円)×3人 36,000円
5、出席閣僚・随行者ケータリング (単価12,000円)×4人 48,000円
受付・配布資料封入 (単価20,000円)×12人 240,000円
7、クローク (単価12,000円)× 5人 60,000円
8、場内整理事務補助 (単価20,000円)×27人 540,000円
9、会場発言マイク係 (単価12,000円)×12人 144,000円
10 警備員 (単価20,000円)×17人 340,000円
11、コーディネーター (単価50,000円)× 1人 50,000円
12、手話通訳者 (単価20,000円)× 3人 60,000円
な、なんと計算してみて驚きだが、総計107人で総額1,722,000となった。これが、募集人員300人のイベントに釣り合う人数だろうか。空港で出迎えた6人は、空港で漫然と見送りまで待機しているのだろうか。場内整理・事務補助27人もやたら多いぞ。会場発言マイク係17人。20人にひとりのマイク係も多いな。このリストラ不況の時代に大盤振る舞いだが、これは代理店の請求額であり実際に現場で働いた人に支払われた額ではない。それにしても、だ。せいぜい400人のイベントに107人の現場スタッフに加えて、県・市・文科省からも応援部隊が入っている。想像してみてほしい。会場ロビーや後方に100数10人が立っている光景を。まさか、椅子に座ってはいないでしょうな。大分会場には、312人が参加していて、内閣府・文科省の発言者は、県教育委員会義務教育課の職員が4人台本通りの意見を言っている。「その他の協力者5,000円」が問題となったが、会場に107人が有給で入りこんだというのも異常な姿だ。なぜなら、大分では内閣府の資料で437人が申し込んで、参加証を発送したのは347人(実際の参加者が312人)と参加を断られていることがすでに政府答弁でも明らかになっているのである。
朝日広告社(朝日新聞とは別企業)はわりと細かく項目を書いているが、電通が受注したタウンミーティングについて、政府は細かい項目を情報公開していない。
やはり電通がやっていたタウンミーティングで、国民に知られたくないなにか悪いことをしていたのだろう。
ちなみに、昨日、タウンミーティングに出席したという人と電話で話しをしたところ、係員は10人ぐらいであわただしく対応し、閣僚を除いて20人ぐらいしか見ていないとのこと。
公開された文書では107人の有給スタッフ+派遣官僚がいたはずだが、実際には会場にそんな人物はおらず、20人ぐらいしかいなかったようだ。
給料をもらった107人のうち、残りの87人たちは、やらせタウンミーティングの時、いったいどこにいたのだろうか?