小さく生まれた(ぎりぎり2500g以下)こともあり、上手に母乳を飲めなかった。
母乳育児は最初が肝心と聞いて、入院中は産後のホルモンで一睡もできないなか、ずっと母子同室で頑張ったが、乳首をなかなか吸ってくれない。
助産師さんには「吸いやすそうな乳首してるんだけどねぇ」と言われた(産後は乳首は吸いやすいか吸いやすくないかで評価される!)が、乳首がそこにあるのに乳首を探して左右に顔を振って泣く我が子を見ると悲しくて泣けてくる。
退院前に退院指導と言ってその日退院するお母さんたちが集められて一斉に授乳するのだが、他のお母さんが「母乳たくさん出てるからミルク足さなくていいよ」などと言われる中、自分一人が乳首を咥えてもらうというスタート地点にも立てず一人みじめな思いをした。
乳頭保護器という付け乳首みたいなものをつけながら哺乳させる方法を教えてもらい、あとは搾乳で乳量を増やすという指導を受けて(もちろんミルクも追加で飲ませる)、一週間後に母乳指導で様子を見ますので、と追試をくらいつつも退院した。
乳頭保護器を使うと乳首が長くて飲みやすいのか、直で吸うよりは吸ってくれたが、吸わせるのは5分が限界だった。
搾乳は手動だと握力が死ぬので電動搾乳機のを買ったが、一度使うごとに分解洗浄の必要があり、乳頭保護器や哺乳瓶もあわせると洗い物と消毒が無限に発生した。
新生児は3時間ごとに目を覚まして授乳する必要があるというが、我が子は新生児期からまとめて寝るタイプだったので、授乳間隔が5時間ほど開くことがあり、ラッキー!と思っていたら、1週間後の母乳指導で「授乳回数が少ない!1ヶ月までは寝てても起こして3時間ごとに授乳させてください!」と叱られ、このときは産後メンタルもあいまってガチ泣きしてしまった。
深夜に赤ちゃんをわざわざ起こしてるのに母乳を飲まないとメンタルに来るので深夜はミルクだけにしたりして乗り切った。
赤ちゃんが普通に母乳を飲めるようになったのは生後1ヶ月半ぐらいたったころで、地域の助産師相談で「そろそろ直接母乳飲めるんじゃない?」と言われ、試しに直接飲ませたところ飲めるようになっていた。
最初は根元ではなく、乳首を強く吸って、乳首に血豆ができたりしたが、1週間もたたずに上手に飲めるようになり、それまでミルクよりの混合だったのが、母乳よりの混合となった。
何がきっかけで飲めるようになったのかははっきりわからないが、体が小さくてうまく飲めなかったのが、体が大きくなって飲めるようになった、というのもあるのかもしれない。
今思うと、赤ちゃんが母乳を飲まないと苦戦していたあの時期は何だったのか思うが、当時は真剣だった。
心の支えになってたのは「あんたには最初の1ヶ月しか母乳あげてないで」という実母の言葉であった。
自分自身がミルクで育ったのに、母乳にこだわる自分が滑稽に思えた。
自分語りが長くなって申し訳ないが、元増田のお子さんも何かの拍子に母乳を飲めるようになるかもしれないし、ミルクにしたっていい。
今、授乳がしんどいのはお子さんのことをそれだけ考えているからで、何も間違っていない。
我が子は今は離乳食をもりもり食べて授乳回数も減ってきたが、もうあの左右に首を振って乳首を探す(探索反応)我が子には会えないのかと思うと、さみしい。
【速報】生後2か月の赤ちゃんが意識不明の重体 口の中に「おしり拭き」入れて殺そうとした疑いで父親逮捕 奈良
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/14a6993204e9785139aae8a2a607bbccee7917a1
IthacaChasma 法治国家的に有り得ないのは重々承知した上で、この父親への罰は「意識不明の重体になるまで口の中におしり拭きを詰め込む」であれ、という気持ちは正直ある。
フェミニストのwww6さんもどういう意図でコメントしてるんだろうか
俺は高校を卒業してニートをやっているが、なんだか途端に空っぽになってしまった気がする。毎日に張り合いがなくなり、なにをやっても面白くなくなってしまった。
それは多分、学校的な空間が好きだったからだと思う。毎日出掛ける場所があるということ、そこで顔を合わせる友達がいるということ、受験という目的があるということは結構ラクだったんだなと失ってから気づいた。就職して会社に入ればそれに近い環境に引き続きいられたのかもしれないが、一度レールから外れてしまったら「リズム」というか、「流れ」というか、なんかそういうものがずれてしまって、元に戻ることにものすごくハードルを感じるようになった。これがニートのはじまりなんだと思う。
ニートになって分かったが、ニートになるのにも才能がいる。正確には、ニートを楽しむのには才能がいる。毎日出掛ける場所もなく、顔を合わせる友達もなく、受験とか仕事のプロジェクトとかの目的もない人生を楽しむことが俺にはできない。
俺は割とインドアな趣味を持っていて、一人で本を読んだり映画を観たりするのは好きだが、それはあくまでルーティンな生活があるからだ。ルーティンのなかで生活にメリハリが生まれるからこそ、時間が有限に感じられ、一人の時間にハリが生まれる。
ニートの毎日は言ってしまえば完全なる平坦だ。メリもハリもない。そこでは時間は無限に感じられる。だからいくらでも自由に過ごすことができるのだが、それに反して気持ちはとても不自由になる。
無限であること(終わりがないこと)、自由であること(軛がないこと)は今の世の中では素晴らしいこととされているが、しかしニートになって思う。そんなことは絶対にない。平坦で、果てしない、宙ぶらりんな日常は他人が思うよりずっとしんどいものなのだ。
学校にいた頃は学校なんてクソくらえ、早く出て行ってやりたいといつも思っていた。だけど、失って初めて、その不自由が尊かったのだと気づいたんだ。ニートなんて、いいもんじゃないぞ。
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
ネット違法数とは、インターネットミームやネットスラングなどによって悪い意味が込められてしまった、本来は意味のない数列や数値。
ネットのない頃からスラング的に13や69、86などのような悪い意味も含まれた数列・数値のことであり、特にインターネットではこの意味しかないという数列・数値が非常に多いことからつけられた単語である。
違法素数を由来とした単語ではあるが、ネット違法数をそのままの値で投稿してもコンピュータシステムに直ちに影響はないのだが、パスワードなどで使用しても簡単に破られるという意味では違法数の一種としても正しいとも言える。
ただし素数以外のものも扱うという観点から違法素数では扱えないのと、主にインターネットで使われやすいということで、ネット違法数となったという。
数字は無限に広がるため、ここでは特に扱われやすいものだけを厳選しておく。 以降は増田が勝手に言及してくれるので、そちらも参照。
今日も娘をおやすみなさいさせた。週末だからいつもの日課にも力が入る。
我が娘は目に入れても痛くない。痛くないほどかわいいが、我の肩は痛い。かわいいが、痛い。
娘の日課はパパへの肩パンである。一家を支える我が両腕の肩は、娘のパンチを受けてもビクともしないことでその壮健さをアッピールしつづけてきた。
パパの強さを見せ付けるとともに、娘の成長を日々肩への重さ(パンチ)で実感できる大切な親子の時間である。
最初はペチペチだったパンチも、時間を経るごとに腰が入り、全身のひねりを活かし、我が肩を穿つ。
左右を使い分けたコンビネーションも覚え、我が肩に新鋭気鋭のアーティストによるリズムが刻まれる。
そんな灼熱の一時を過ごした娘は、一仕事を終えなお不動の父に感嘆し、されど岩に一滴を投じた自分と成長に充実感を覚えつつ一日を終えるのである。
父は今日も余裕綽々な顔をしているが、服の下の皮膚は悲鳴を上げ、心で泣いている。
娘の成長に。そのパウワーに。
幼子とはいえ獅子たる我の子である。その幼獣が遠慮も知らぬ全力無邪気パウワーを振り絞ると、恐ろしき力が出るのである。
正直、もうそろそろ耐えられない。
体の成長と共に心も成長してくれれば。思いやりが生まれれば彼女自らその拳を解いてくれるかもしれない。そう思っていたが、先に根をあげたのは自分だった。
思い返せば自分も昔、大人とは無限に強く賢いものだと思っていた時期がある。だから、パパが「もう肩が痛いから叩かないでくれ」と言ったら娘はひどくがっかりするだろう。恥ずかしながら持ち株比率100%のパパ主は株価を下げたくない。しかしそのロジックだと娘は永遠に我が家の無料サンドバックを使い続けるだろう。
また、親子の時間を失うのも心苦しい。父と娘ということもあり、共に過ごせる何かもそう多くは無い。どうにか肩パン日課から別の親子の時間にとてもとてもスマートに移行したいのだが…。
とりあえずはっちぽっちぱんちは電書に移行しようと思う。
これは思いついたから書いただけの嘘だけど。
amazonで少し前に買ったものがちょっと見過ごせないレベルで値下げしてた。未開封だったんで返品してまた書い直した。
一度来たものを送り返して、再び同じものが送られてくる事でおれがちょっと得をする。非常に無駄な手続きだと思う。こんな事してるから輸送インフラがカツカツになるんだろうな。
これだったらもうネット上のボタン一押しで差額分くれたら良いのにねって思う。それだけ聞けば理不尽クレーマーめいてるけど、結局一手間かける事でそれが可能なんだから。
まあAmazon側としては客がそれを面倒臭がったり、ケチ臭いみたいなプライドから発想を持たない、実行に移さない事に期待してその一手間を挟んでるのかもしれんけど。
にしたって対応に期限を設けるだとか、サブスク解約よろしく手続きのページを分かり辛い場所に置くとか、やりようはありそうなのに。
勿体ないじゃんね。「無」の輸送をするの。
Amazonも商売だから値下げ分取り返す手続きのハードルを高くしたい。おれも金は無限に持ってないから得できるなら得したい。結局無駄な輸送エネルギーが費やされる。
・現実的な対応としては、契約書記載の「期限の利益を喪失したと判断できる条件」に1つ合致した時点で、給与差し押さえる予定。
分かってるよね?
4分の1までだよ。しかも額面じゃない。手取り+税金+社会保障費を除いた4分の1。
なんでみんなやらないのかって言ったら面倒だからだよ。
ついでに口座は「狙い撃ち」が必要なので、口座を変えられたら1から調査だよ。
あと行政と違って朝一銀行に行って、差し押さえ通知を出してそれからだから。その前に金を動かされていると差し押さえ失敗。
ついでにそのたびに有効な裁判所命令を取ってくるんだよ。期日あるからね。無限に使える無法魔法じゃねぇんだよ、差し押さえ命令ってのは。
それを防ぐため職場宛への対応は職場と協議してね。でも、会社は大概「それを理由に解雇することができる」んで、やっぱ取りっぱぐれるよ。
要するに「差し押さえ実行は、そいつを自死か、自己破産に追い込む」だけだから。
教えない方が良かったかな?(笑)せいぜい債権者ライフを楽しんで(笑)
追記:不動産差し押さえも有効じゃないね。銀行の根抵当があるわけだし、強制自己破産のアレも使えないし。使ってもいいけど、その段階でソイツを自死に(以下略)
ボス討伐とか建築とか一通りやりきったらまた最初からやり直してる
とか
とか無限に楽しめる
農作物の交易によるエメラルド稼ぎ、村人交易のみでの装備調達で
エンドラ・ウィザー討伐を目指してやってる
やあ、アラサー人生初一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。
二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントをありがとうございました。
とくに同じような境遇の人からもコメントをいただけたのが嬉しかったです。
その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。
私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家に避難する生活になってしまいました。
端的に言えば、一人暮らしが自分の気質に合わなかった、それだけ。
家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事はちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。
なのに、精神的なモノ──内側から来る不安や苦痛が際限なく湧いてきてメンタルがダメになった。
医者からは不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。
「一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的な問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。
内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。
ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らしが死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしはちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパンの問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。
さらに、ずっと不安や苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪の感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。
もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。
だから、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。
例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。
でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。
そんな感じで、内側から半ば無根拠に無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。
個別的な問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。
基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。
・孤独が辛い
なんか何をやっていても虚しくなる。
家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分が誰かのために何かしてあげることもない。
他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。
それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。
(医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。
その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。
というか、わりと余裕はある。
特に食費。
理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。
……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。
食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。
生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。
例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。
単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。
ただ、どの程度までやれば問題ないか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。
もっと実家で家事をやっていれば、その時の感覚を適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。
その他、何につけても全部自分で物事を決めないといけないことが辛い。
昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。
実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビングで家族におはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。
実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的に時間を縛られることもない。
後者に関しては、それが自由でハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。
……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。
これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。
少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。
ただ、何十年か先の未来、自分が天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。
私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。
結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神がボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。
だから、天涯孤独はわりと現実的な未来としてあり得るイメージだ。
そのイメージが頭にこびり付き出すと不安で不安でたまらなくなる。
今はそれが一番辛い。
不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。
これもまた幸いなことに家族もメンタル系の病気に理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。
ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さんに迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。
とりあえずの目標はオールシーズンの家事を経験するため、一年を乗り越えること。
本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。
でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。
その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。
結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタルの健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来の自分の精神状況次第だなぁ。
anond:20240829163911を読んで、「ア〜〜分かるう〜〜」となった反面「私はこの増田よりやばいかもしれない」という危機感も覚えた。
マジでどうしたらいいのかわからないまま、結婚10年目に突入した。
大前提、夫のことは心の底から大切に思っているので、不倫とか風俗などの裏切りははたらきたくない。子供つくれない体なので妊活もナシ。
しかし性欲は有り余っている……
困ったことにこの性欲が、対男性用と、対女性用それぞれにある。
男性に対しては、めちゃくちゃタイプの人にオモチャにされたいとか、逆に童貞くんを好みに仕立て上げたいとか、そういう妄想があるものの、エロ漫画とかAVでどうにかなる。
問題は対女性の欲求。女の子に対して、洗ってない全身舐めたいとか、しつこくクンニし続けたいとか、オモチャでナカイキさせてみたいとか、そういう気持ち悪い風俗の客の妄想みたいな欲求が無限に出てくる。
なんなら女装男子のアナル開発もしたい。トコロテン射精させて、女の子なのに〜っていじめたい。
こういう欲求をどうにかするには、どうしたらいいんだろう。
AVもエロ漫画もこういう汚い性欲を持つ女性の描写がどこにもない。痴女ものじゃなくて、中身がオッサンでガワだけ女みたいなのないの?
その点、女性用風俗も少し違う。レズ風俗は(浮気になるからそもそも行きたくないけど)汚い遊び方NGだから無理ですし……
独身時代ならサクッと遊び相手を引っ掛けていたのだが……なんかいいアイデアない?
いっておくが本当にこれはマジの女の書いてる増田である。ネタ扱いしないでくれ……
【追記】
トコロテン射精させたい欲求ってのは「本来男の都合のいいタイミングでするべき射精をアンコントローラブル状態にさせる」ことに快楽があると思う(個人の見解)。
性行為って女のほうはタイミングうんぬん関係なくやられたらやられてしまう形状をしているので、和姦であっても「食われた」感覚が強いんだけど、男側の快楽の主導権握れるのって下克上みたいで超ド快感なんだよねー。ドSなんです基本