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はてなキーワード: 自殺の名所とは

2024-03-09

ニートセンス

ニートをするにもセンス必要だと感じた。

というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバー役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまり絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。

それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまり希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。

だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。

ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。

そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安焦燥感けが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。

要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分価値がないと感じ、無職自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまりニートになるセンスがないのだ。

それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。

我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。

蛇足家族生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分家庭内での立ち位置確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。

2024-02-13

anond:20240212181851

確実性、苦しむ時間の短さ、あとに残る遺体の処理の観点からは、冬の海への身投げが最適で、だからこそ東尋坊はあれだけ自殺の名所になってるわけで

アクセスの面倒さが最後に残った障壁なので、個人的には福井新幹線はとおしちゃいかんとおもう

2023-10-12

anond:20231012135154

アフリカ大陸みたいな国になったら自殺の名所の崖に見回りが来たりしなくて自殺も気軽にできそうやな

2023-08-16

昨晩、飛び降り自殺しようとしていた

 ここ数ヶ月、私は悪い妄想と戦っていました。前職はセクハラ理由退職して、それ以来人間関係が怖くて自営業転向しました。そのうち、一人のお客様と出逢いますセクハラをしてきた人のように、気さくで、親しみやすく、大量に連絡を送る人でした。私はどこまで逃げても、若い女性というだけでそういう対象になることが苦痛で堪りませんでした。私の存在を脅かすものがいるという妄想(いや半分現実なのか)は辛くて仕事が長引くたびに段々と死にたくなってきました。苦痛から、私が若い女であるということから逃げるには死ぬしかないと思っていました。

 そして同居人些細な事で揉めて、私は深夜のコンビニ煙草を吸っていました。その時に自宅の近くにある飛び降り自殺の名所に行こうとふと思いました。そこに行って死ぬことについて考えたくなったのです。

 車を走らせて30分ほど、少し道が悪かったけどちゃんと辿り着く事ができました。街灯もなく、真っ暗で、川のせせらぐ音が下から聞こえていました。

 そして私は納得して自宅に戻って同居人謝罪をして終わる筈でした。筈だったのです。でも私は、このまま飛び降りしまえば楽になるという考えに支配されて運転席のドアを開く前にしゃがみ込んでしまいました。買ったばかりの煙草に火をつけながら、トラウマを抱えて働く事の苦しさやそれがきっかけで精神科通いが始まったこと。そしてその通院に終わりが見えない事を考えながら、このまま飛び降りたほうが良いのではないかという結末がぼんやりと形になってきました。

 私は自宅に帰る事、飛び降りる事の中心で誰に助けを求めて良いかわかりませんでした。命の電話は休暇中、友達だってこれから死のうとしてる人間というあまりにも重いものを背負わせる事はできなかった。結局同居人電話をかけてみたのですが「メンヘラかよ」と鼻で笑われました。そうか、それがメンヘラなのか。私の切実な悩み、苦しみはネットスラング形容されて消費されるのか。

 

 どうにもならなくて、最後今日じゃなくて行き方も確認したのだからせめて明日以降にしようと言い聞かせて泣きながらハンドルを握りました。私の好きなバンドの曲を流しながら、私の人生薄っぺらさと価値のなさを痛感しながら安全運転帰宅

 同居人は何も言いませんでした。でも、それで良かったと思います。私がもしも死んだ時、これから死ぬ時がある時、誰かに何かを話してしまえば、その人に一生モノの苦しみを与えるかもしれません。

 もう、死場所までの行き方も分かりました。次に行く時は黙って靴を揃えて飛び降りたいと思います。これを読んだあなたは、名前のないつまらない人間が次はちゃんと楽になれたら良いねって思ってくれたら嬉しいです。昨日は死に損なって、馬鹿みたいにですよね。

 でも一つだけ、収穫もあります。街灯すらない高い橋の上で見上げた夜空は満点の星空でした。それだが唯一の救いだった気がします。

2023-06-12

自殺の名所ってマツケンサンバとか流し続ければいいんだよな

いかにも自殺って雰囲気作っちゃダメだと思う。

駅のプラットホームとか、樹海とか、断崖絶壁とか、いかにも自殺演出しているような静かな雰囲気あかんよ。

オーレ〜♫オーレ〜〜(パラパラパッ!)

とか流れ続ける中で悲劇のヒロイン気取るの無理だろ。

なんなら警察自殺検証現場でもマツケンサンバとか金太の大冒険とか流し続けて雰囲気を徹底的にぶっ壊してやればいいよ。

お前、死んでも悲劇にならないよって笑

2023-05-24

これからこういうの増えていくのかな

神戸の民家で3人死亡 親子で無理心中

https://www.sankei.com/article/20230523-Z5I335CAK5IEZNP7JY3LBA6V6M/

23日午前11時55分ごろ、神戸東灘区魚崎南町の民家で、80代の男女と40代男性が死亡しているのが見つかった。3人暮らしの親子とみられ、兵庫県警東灘署は、現場の状況などから無理心中可能性があるとみて、身元や死因を調べている。

こないだ東京でも似た組み合わせの一家心中事件があったばかりだけど、今後は高齢の両親と中年独身息子・娘の心中事件が全国で増えていきそう。

無理心中自体は、若手も含めてときどきあるそうだけど。

DEEP王者帯谷信弘が4人家族無理心中

https://miruhon.net/171412

いのちダイヤル電話番号を広く周知させることが第一の応急策として、他にも何か良い対策がないだろうか。

東尋坊のような自殺の名所では阻止する係の人がパトロールをするらしいので、心中事件を起こしそうな家族がいたら止めに入る民生委員の仕組みが作れないだろうか。

心中事件を阻止した民生委員地元中高生などは、管轄署で表彰式を行うなどのインセンティブを設ける一案も考えられる。

2023-01-02

ブリッジ』のDVDを買ったら再生できなかった

ブリッジ』というドキュメンタリー映画がある

サンフランシスコにあるゴールデンゲートブリッジを扱った作品で、観光地としての側面ではなく、自殺の名所としての側面に迫った映画だそうだ

自殺しようとしている人にインタビューしたりと大分挑戦的な内容らしく興味を惹かれて、昨年夏にAmazon最安値DVDを買った

届いたらレンタル落ちのものだったが、まあ見れればいいやとブルーレイドライブに突っ込んで再生した

遠くから望遠で撮ったゴールデンゲートブリッジ映像が流れ、通行人の一人が欄干を越えて、水面を見てゆっくりと体を宙に投げ出す

そこで映像が乱れ、音がぷつぷつとなり、嫌な気持ちになりながらこういう演出なのかなと思ったらそこで再生できなくなった

その後、3度くらい再生しなおしたが、冒頭の自殺シーン以降がどうしても映像が乱れてしま

何度も再生しているうちにお前はこういうシーンが安全から見たいんだろと言われているような気がして、後ろめたさを強く感じて再生をやめてしまった

Amazon非情に良い評価中古とかを買えば、レンタル落ちでなく新古品が来たりするかもしれないが、そこまでして見たいのかよくわからなくなってしまった

正月になんか見たい映画あったっけと考えて、ふと『ブリッジ』を思い出した

家族に見つかる前に、DVDは捨てておこうと思う

2022-10-31

自殺の名所自殺しに行った話

上司に連日怒られ続けて土日も出勤して更に怒れて自殺するために3時間かけて自殺の名所に行ってきた

自殺の名所の橋まで行って下を見たら足がすくんで座り込んでしまった

何度か挑戦しても同じ結果になった

自分死にたい願望なんて、高いところが怖いという恐怖感に勝てないようなレベルのものだったということに気がついた

自分はまだまだ働ける

自分はまだまだ生きられる

2022-01-05

何もしたくねええええええ

ずっと寝てたいけど布団で横になって目瞑ってても全然寝れねえええええええええ

あれこれやらないといけないこととかやったほうがいいこととか、何かやってても常に浮かんできて精神まらねええええええええ

鬱っぽい時の死にてええええ電車飛び込みてえええええ自殺の名所行きてえええええええみたいなのは全然ないのにただただ何もしたくねえええええええが強すぎて何かすることがそもそもストレスから意識のある間ずっと謎のプレッシャーとかストレスを受け続けて精神が荒ぶってる感じ

こんな状態でも貯金理解ある家族もないひとは働き続けないといけないの無理じゃん

あーむり働かないと生活できないけどもう働くの無理だわ死のう、まで行っちゃうと流石に病院案件な気がするけど、そこまでせんでもいいかな感もあるし1番むずくないかこの感じ

2021-12-28

自殺の名所ってあるじゃん

なんでわざわざそこまで行くんや?って思ってたけど

樹海なら行く人みんな「もしかしたら死体あるかも?」なんて頭の片隅には冗談でもあるはずだし死体発見して通報するのを趣味にしてる人のブログも読んだし

その辺の公衆トイレで首吊ってなんの罪もない人にトラウマ植え付けるよりはよほどマシな死に方だわな

みんなも死ぬ時は樹海、行こう!

2021-10-06

anond:20211006113241

もともと自殺者が多い駅だし他の自殺の名所駅ではヒーリング映像流したり色味工夫してるんだよなあ

どうせ自殺誘発関係ないとか言ってるやつは都内通勤も通学もしたこと無いんだろ

例外として切り捨てられないほど飛び込んでしょっちゅう止まってるっての

2021-01-30

橋の下に行っても友達でいような

幾年か前に、昔馴染みの親友とそんな話をした。

きっかけは景気の冷え込みだとか、新しいプロジェクトをやってるとかだったか

とにかく、酒の席での馬鹿話の一部だったと思う。

まあ一瞬「何言ってんだ、縁起でもねぇ」と思ったけど二つ返事で応と返したよ。

最高の親友だったからな。


なんでこんな話を思い出したかっていうと、今日そいつが夢に出てきたからだ。

あいつが、あの頃の姿で出てきて「俺たち、友達からな」と言うがはやいか崩れてく夢。

驚いて飛び起きたけど、そんなことも話したっけなくらいの印象だった。


そこから少しして連絡が来た。

飛び降りだってよ。自殺の名所高架橋から

あいつのことだから心配かけたくない想いか相談にも来なかったんだろうが。

ただただ茫然として、だけれど妙にあいつの言葉が頭の中にこべりついてぐるぐる回り続けている。

2020-12-28

anond:20201228143413

俺は全く迷惑してない

殺人なのか判断が難しいリスクを受け入れるよりも、鉄道で明白に自殺されたほうが俺はい

死体を片付けるのは鉄道職員から要は自殺の名所で働きたいと志願した人だ

死体片付けが人生の喜びなんだろうから一般人は気にしなくていい

2020-12-26

 これから書くことは、すべて本当のことです。

嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。

知り合いの大塚くんが、わざわざ電車タクシーを乗り継いで、東京郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。

 とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このとき自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、

「利子はいらんよ。きっと、君はい画家になる」

といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。

 そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくり侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。

 まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓からきれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。

 そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家生活するというのは、彼女生活よりも、はるか地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。

 浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。

「どうした?」

彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコン暖房つけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。

仕事……無くなりました」

お金か?なら僕が」

「いいえ、いりません」

 彼女はぼそりと言いました。言葉が空中で、飽和しました。

「困っているのだろう? 大丈夫。僕は作家だ」

貧乏な人に恵まれるのは、嫌なんです」

 貧乏な人。

 僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。

「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。

彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女なすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。

から僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。

寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。

彼女自殺をしたと知ったのは、その翌日のことでした。

もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。

彼女体重は僕が最後彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパート大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。

過食症ですよ、ご存じですか」

「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。

「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」

 いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。

「ほかにも、死んだ人が?」

「いますよ。伝染病流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」

 一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。

 もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます

寂しい

 この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。

 彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアム人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。

 特にテレビ報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥ものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判タネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。

 一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。

 僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。

 雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています

949。

 この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だってあんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから

「またいつか」という言葉の空しさを知ります

僕は狭い6畳のアパートにいます学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。

若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。

コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たち自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。

そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章ネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まり文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから

 大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。

 みんなと同じ。

 そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナース彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独から、寂しいから、みんな、死んでいくのです。

 みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。

 なんとか、なる。

 そう書いた作家もおりました。みんな同じです。

 みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます

 僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。

 僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。

 みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。

 いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。

 でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。

 経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。

 一般化された苦しみを、言葉に起こしてみました。

 それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。

 僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます

 それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。

2020-07-14

anond:20200714184017

わりと新しめでネット発の怖い話を紹介する

けっこう有名だから知ってるかもしれないけど


不可思議なご依頼】

2016年のオカ板投稿

投稿者はお坊さんで「墓の移設をしたいから来てほしい」という依頼を受けて向かった家がヤバかったって話

三木大雲和尚

坊さん繋がりで

YouTubeニコ生で定期的に配信してる「OKOWAグランプリ」っていう怪談大会で優勝した人

代表作は修業時代京都体験した怖い話

ツイッターにまとめられてバズったこともあるけど書き起こし+要約で怖さが半減しているので元の動画を探して見てほしい

【忌録】

電子書籍限定ホラー小説のようなものホラー小説っていうかオカルト話のまとめみたいな感じ

作者は阿澄思惟と書いてあるけどホラー作家三津田信三の偽名説が濃厚

収録作のうち「みさき」と「綾のーと。」はネットで公開されている

薄気味悪いのがhellojdoeなる人物が4年間ずーっと忌録の考察togetterにまとめ続けていること

たぶん作者なんだろうけど……「謎の人物togetter怪談考察を集約している」というのが作品の一部というか呪術的な何かを感じる

【九大SCPサークル

九州大学にSCPサークルがあるらしくそこの在籍者?が作ってるSCP

今のところ公開されてる作品は「無縁」「しんに」「けりよ」「てうぶく」「がきじろ」の5つ

「てうぶく」はきさらぎ駅とか蓋っぽい

【禍話】

ツイキャス怖い話をしてるユニットがあって書き起こしがネット公開されてる

昔のオカ板みたいな話がいっぱい読める


あとは三和交通タクシーニコ生スタッフと一緒に心霊スポットに凸する企画

夜中に自殺の名所歩いてたらスプレー落書きされた「死」の文字懐中電灯に照らされてぼうっと浮かび上がった時はめちゃくちゃ怖かった

オカ板は死んじゃったけど残党が色んなとこに散ってるみたいだからそれを探してる

2020-06-25

男の自殺をジェギというスラングを知った

Twitterに男に憎悪を向けるタイプフェミニストが流れてきたので覗きに行ったら、男性はジェギを見習ってほしい、みたいなツイートがあった。

はてブフェミ論争を眺めていても見覚えのない言葉だし、まさか北斗の拳でもあるまい。

というわけで調べてみたら、韓国の成在基(ソン・ジェギ)という男に由来するらしい。

彼は男性権利主張と、アンチフェミニズムの活動をしていたが、2013年デモンストレーション一種として、ソウル自殺の名所になっているデカい橋から飛び降り、本当に死んでしまった。

この事件を受けて、韓国メガリアやその影響を受けた日本ミサンドリストかつフェミニストは、死ぬとか自殺とかの隠語として、ジェギる・ジェギするを使うようになった、という流れだ。

「いい男は死んだ男だけだ」という論法にくわえて、活発だったアンチフェミ活動家の死をフェミ言説に逆用することが痛快で好まれ言い回しなわけだ。

はてなーは知ってた?

成在基 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%9C%A8%E5%9F%BA

2020-03-16

あるニュースが忘れられなくて、精神疾患罹患していた私の話

3年前に亡くなったある方のことが忘れられないでいます。私は彼女の顔も名前も忘れられずにいます遺影に映る彼女笑顔が、何かをしているときにふと、私の脳裏をのぎります

私は3年前、あるニュースを見ました。それは世界中にあふれる悲しいニュースひとつにすぎなかったはずなのです。彼女のことは何も知らなかったのですから。それはとても痛ましい事故でした。その事故について思い出すことは私を絶望の底に落とします。いまでも彼女のことを思うと涙が出てきます。心の奥が激しく痛み、ただ息をすることだけでも苦しくなるのです。

彼女は苦しんで亡くなりました。その瞬間、暗く狭い場所彼女が何を思っていたのか、私は知ることはないでしょう。彼女自分はもうすぐ死に、ここから出られることはないと悟ったときの苦しみは、どれだけ大きなものだったのでしょう!私はそれを想像するだけで、私の一部も死んでいくように思います

私はこの事故について、ほとんど誰にも話していません。親しくしている友人のうち数人と、愛する家族は、私がその事故のことを知って悲しんでいると知っています。ただ、それは事故の数か月後のこと。今でも私がそれを思い出し、泣いていることなど、彼らは知りません。そもそも私が言っていないのですから、知るはずもないのです。

彼女が亡くなってから、私は学校に通えなくなりました。一日中寝ていることしかできない日も、泣き明かした夜も、たくさんありました。何度か私は命を絶とうとしたこともあります。高い橋の上で(ご存知のとおり、ゴールデンゲートブリッジは有名な自殺の名所です)私は失望し、泣くことすらできずに、そこにいました。警察が私を助けたので、幸い、私はいまもなんとか生きています

こんな状況が続いた、1年半が経ったある日、私は家族の勧めで精神科に行きました。精神科で処方された薬を規則正しく服用していましたが、症状はあまり改善しませんでした。最初主治医に対し、ただ症状だけを言っていました。気分が落ち込むことがあるとか、眠れない日があるとか、そうかと思えば寝ていることしかできない日があるとか…。主治医は黙って私の話を聞いてくれました。いくつかの抗うつ薬抗不安薬を服用していましたが、症状がいっこうに改善しないため、私はついにその痛ましい事故のことを打ち明けました。

事故のことを打ち明けたところ、私はPTSD(Post-Traumatic Stress Disorderの略。日本語では心的外傷後ストレス障害と略されます)と診断されました。現在も私はこの病気で闘病しています

私の国では、この病気に対する認知は進んでいます。帰還兵たちのための相談ダイヤルもあります。私は、日本では地震きっかけに認知されていると聞きました。ただ、私の1番大事友達が住んでいるイタリアでは、残念ながらそうではありません。イタリア人の多くは、心的外傷後ストレス障害というものが何なのかも知らないようで、うつ病不安障害の下位分類とみなされることもあるようです。

この文章は、私の経験です。彼女が亡くなった事故も、私の闘病も、実際にあることなのです。

私は独学した日本語でこの文章を書きました。私の文章はあまり上手ではないと思います:/

私はこの病気で非常に苦しみました。私は日本イタリアでも、私の国のように理解が進むことを心から願っています

そして、この瞬間もトラウマと戦っているあなた未来に、少しでも素敵なことや素晴らしいことがあるように、心から祈っています。抱擁とキス

2019-11-01

富士山滑落のニュースを聞くたびに・・・

冬の富士山に登って落ちれば確実に死ね・・・

自殺なのに事故死扱いされる・・・

そんな風に思えてくるので、いずれ自殺の名所になるんちゃうかな。

2019-09-29

anond:20190929195853

自殺の名所みたいに増田逆恨み投下の名所として定着したのなら、500人の理由解決する

文体の方はどうだろう

完全逆恨みマニュアルみたいなのがあんのかな

2019-06-02

今私が死にたいと考えていて、スマホ自殺の名所とかググってるのを知ったら、すぐ隣でテレビを見ている家族はどう思うんだろう

死にたいなんて親しい人ほど言えないな

増田があって良かった

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