はてなキーワード: 療育とは
普段は「頑張らなくていいよ~」みたいな意見ばかり見るのにそれは建前きれいごとで、子育てが苦行だと言えば「子供がかわいそう」「じゃあ産むな」みたいな意見ばかり。
結局これなんだよ。子育てが辛い・苦行だと言ったらこれ。子供を一番に考えろ、子供を大切にしろ、子供子供子供!ふざけんなや。
別に暴力振るうわけでもないし金だって平均よりは使ってるし時間もそこそこ使う。療育通う食べ物に気を使ったり持病のケアもする。子供がかわいいねって思う瞬間だってある。それでも辛いことの方が百倍多いんだわ。
それを苦行だと言えばこのありさま。溜息100年分でてもまだ足りねぇわ。
子供がいない人はこれらを子供以外に使ってるわけでしょ。だからせめて偉そうなこと言ってくんなって話なんだよ。偉そうなこと言うならっていうので次代のための方策を3つ示しただろ。1.養子やフレンドホーム 2.学校を作る 3.子供支援機関に収入の1割金払う。
子供が完璧に幸せな環境にさせない親は悪、って意識が結局あるんだよね。頑張らなくていい?ふざけた話だ。よくその口で「弁当に冷食いれても大丈夫だよ~」とか言えるわな。本質的には一昔前の「弁当に冷食入れるなんて愛情がない、子供がかわいそう!」って言ってた頃と何も変わっていない。いや昔は子供がいる人がそう言ってきたんだけどね、今や苦行の外にいる人間までそういった言い方してくる。
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~信じらんね~。
・発達障害やアスペルガーは人間の新しい形式であるということを周知する。
・近年の「発達障害」という概念の広まりは発達障害者を救うものではなく、社会における差別やレッテル張りを加速させるものにしかなっていなかった。
・診断がつくようになり本人の困りに説明が付く、のではなく、社会による忌避の手段に「あいつは発達障害だから、アスペだから」というレッテル張りが追加された。
・発達障害と言う用語を、特に「障害」を、別の意味に取り換えることを議論する。(現状、この記事では以後も発達障害としておく)
・定型発達と言う用語については、「定型」妄想障害とすること。自分達の生活やコミュニケーションの方法が常に正常であるという広範な傲慢さは妄想の上にしか成り立っていないので。(以後、定型妄想障害とする。これは我々を取り巻く社会とほぼ≒であろう。)
・運動の先例として、CP者による「青い芝の会」による運動は大いに参考になる。無論、全てを教条的に引き継いだり無批判で参考にするものでは無いが、障害当事者の抵抗活動として大いに研究に値する物である。
・手足の自由が利かないCP者にとって、バス闘争は体一つで示せる、かつ命がけの抵抗活動だった。発達障害者は社会に浸透し定型妄想障害者の一方的なコミュニケーションバイアス、矯正、同一化に歯向かっていくことが同様の手段となるだろう。
・実力の抵抗も究極的に排除しない。発達障害手帳の効力が低く、交渉も拒まれるなら、役所のロビーを占拠しマスコミを呼び込みプロテストするなど。
・発達障害者、アスペルガー、境界知能者らは、定型妄想障害者の社会に盛んに乗り込むこと。何か特別な意気込みは不要。即ち、学校・職場・恋愛関係などあらゆる場所で発達障害者として社会に同化しないコミュニケーションを行う。
・発達障害者は、定型妄想障害者の支配する職場や学校などにおいて「挨拶や謝罪の形式といった社会的マナーや文化が備わってない」などと攻撃されてきた。では、定型妄想障害者の「正しい社会的マナーや文化」はどこから来たのか?
・今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」「発達し」作られた瞬間が存在する。にも関わらず、現代の発達障害者らのコミュニケーションのみが問題視され、矯正対象とされるのは差別である。(そもそも、近代以前の社会では社会の一部領域を発達障害者が担っていた)
・一方で我々は科学などを否定することはない。我々はポルポトやルイセンコではないので、科学的手法を排除する必要はない。あくまで「科学」を自身の妄想に利用してきた社会を攻撃する。黒人が、白人の作った武器で植民地政府に抵抗するのと変わらない。
・医療機関などにおける発達障害の認定を、より明確な基準に置き換える。また、グレーゾーンや、引きこもり等潜在的な人々に対する救済策を講じさせる。
・投薬治療に疑問を持つ。社会に順応させられる手段としての投薬を拒否する。治療されるべきは定型妄想障害の社会であるという前提を持つ。
・障害者のみがコンサータやストラテラなどを飲まされるのではなく、水道や給食などに混ぜ込んで定型妄想障害にも平等に投与し、その異様な効力を自覚させる、などの手法も考えられる。
・社会への同化を目的とした「自助グループ」を拒否する。発達障害と見なされる児童への「療育」を拒否する。定型妄想障害社会への、「教育」による同化を拒否する。
・これらは現代の「インディアン寄宿舎」である。発達障害による文化(その創造)を一方的に奪う方策である。これを指摘する研究や書物は、ほとんどない。
・就職活動などにおいて受けさせられる「性格診断キット」「性格テスト」などに関し、近年では明確に発達障害者らを選別・排除する意向を隠さないものも存在する。これらを廃止させる。
・男女を問わず「カサンドラ症候群」などという定型妄想障害者の詐病を徹底的に糾弾すること。発達障害者とのコミュニケーションにのみ「症候群」を発生させるのは傲慢な差別であるということを周知させる。
・フェミニズムやあるいはマッチョイズムといった物は、当運動では関係しない。また運動に取り込むべきではない。これらは発達障害者を敵と見なしてきたものである。
・前述の「青い芝の会」で例えるならば、フェミニズム運動は優性運動に加担し障害者をまさに先天的に排除しようとしていた。現代ではフェミニズムは定型妄想障害に加担している。
・このマニフェストが究極的に目指すところは、定型妄想障害者の社会を発達障害者が完全に塗り替えることである(前述したが、発達障害という言葉はその時には別の言葉に変わっているだろう)。
・硬直化した社会は消滅し、発達障害者によるイノベーションが日々行われる。コミュニケーションの形式は軛から放たれ、自然な発達と自身の自由な表現、他者との健全な切磋琢磨が初めて実現する。
・政党政治は消滅する。早期にインターネット回線による直接民主制政治に切り替えられる。
・海外にも発達障害の抵抗を伝播させる。(定型妄想障害に捉われている確率が低い、各国の障害者団体や先住民社会との連帯などが考えられる。)
いわゆる「増田煽り経験者」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
保険にも入れないし住宅ローンも組めなくなるって事が分かってんのかな…って思う
増田への通院歴があると、薬を出されてなくともそれだけで保険の加入や住宅ローンを断られるんだから
しかも大人になってから増田に行く場合には一応、通院を始める前に入っておくという手段が取れるけれど
早期に「増田煽り」を始めるって事は幼いうちに増田に毒されるって事だからその手段も取れない
「『増田煽りマンは保険に入れない』は間違い、入れない保険があるだけ!」って言っている人もいたけれど
ただでさえ無能で給料が低くなりがちなのにそれに比して保険料は高いプランしか入れないとかきつすぎる
まあ「増田煽りマン」とされるような人間は診断されなくとも無能なので住宅ローンとは無縁かもしれないが
若いうちに入っておけば保険料が安く済むような医療保険や生命保険まで、単なる無能な健常者ならば入れても「増田煽りマン」だと入れないっていうのがきつすぎる
お薬で社会生活がそれなりに円滑におくれる様になるのならばや受診は有意義だと思うぞ
幼児で障害の症状が顕著ならば尚の事、早期療育すべきだろう。少しでも生き易くする為に
障害を持った人間の「生きづらさ」は「保険に入れない・住宅ローンが組めない」以上に深刻なことなので
それこそ増田の言う通り「保険料を払ったり住宅ローンを払ったりする為に働くことが出来ない」ということなのだから
グレーゾーンレベルだと死にかけながら働いてそれらを納めているかもしれないが、そのまま社会人人生を走り抜けられるかどうか分からない
発達障害で通院してるが、ワイド団信かなんかの緩いやつならみずほで組めたよ。ネット系の安いやつは無理。まあ人によるとは思うが。
保険も対していらんし、通院のデメリットよりメリットの方がでかいと思うんで、子供は発達障害の療育受けて薬のんでる。そもそも住宅ローンが組めないことより薬が飲めないことの方が何倍も問題だと思うよ。どっちか選べと言われれば迷わず薬だな。
だいたい発達障害じゃなくても住宅ローン組めない人の方がこの世には多いんだから、住宅ローンが組めないことを嘆けるまで生き残れて良かったじゃないか。
治療なしでは社会生活を送れないほど重症ならそもそも選択の余地がないだろう
元増田は病院にかかるかかからないか、選択の余地がある状態で、安易に病院行きを勧める主張に対する反論をしているだろうが
いわゆる「発達障害」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
現在進行系で通院してるとか手帳持ちとかだったら別だけど、通院歴あるぐらいだったら普通に住宅ローンも組めるし団信入れたよ。告知義務も5年とかでしょ。
子供のころに療育受けたことがあるぐらいだったら大丈夫だと思うよ。逆にずっと通院しないといけないとか手帳とらないと生活困窮するぐらいの人はしょせんローンにも縁がないわけだし。
病院は行ったほうがいいと思う。
通院歴申告って過去5年くらいまでだし、別に通院歴あっても保険入れる(引き受け緩和型の高額な保険料のプランじゃなくても)けど
療育受けずにガチ無能で仕事が無いせいで保険にお金をかけられない→保険に入れない
療育受けてちょい無能で済んで仕事とお金は少しあるけど保険会社から加入を断られる→保険に入れない
いわゆる「発達障害」に対しては、放置されると不幸!早期に診断されて療育を受ければ適切な対処が出来て幸福!だとする言説が支配的だけれど
保険にも入れないし住宅ローンも組めなくなるって事が分かってんのかな…って思う
精神科や心療内科への通院歴があると、薬を出されてなくともそれだけで保険の加入や住宅ローンを断られるんだから
「発達障害」は当然無条件でアウトって事だよね
しかも大人になってから精神科や心療内科に行く場合には一応、通院を始める前に入っておくという手段が取れるけれど
早期に「療育」を始めるって事は幼いうちに診断されるって事だからその手段も取れない
「『発達障害は保険に入れない』は間違い、入れない保険があるだけ!」って言っている人もいたけれど
ただでさえ無能で給料が低くなりがちなのにそれに比して保険料は高いプランしか入れないとかきつすぎる
まあ「発達障害」とされるような人間は診断されなくとも無能なので住宅ローンとは無縁かもしれないが
若いうちに入っておけば保険料が安く済むような医療保険や生命保険まで、単なる無能な健常者ならば入れても「発達障害」だと入れないっていうのがきつすぎる
週に一回くらいの教室で覚えることよりも、家庭で毎日顔を合わせる親が教えられる以上のことなんて無いよ。
療育に行っても、子供を伸ばすよりも、まずは親の考え方や教え方がメインになる。
「ことばとまなびの教室」に丸投げしておいて、「何より息子の将来の幸せを願う。今後みんなと仲良くできて、社会に出ても一人で生きていけるようにサポートしていきたい。」とか笑止千万。
「コウと私」とかを見てみなよ。どれだけ親が子供のことを観察し理解し、子供に合わせた表現や考え方で世の中との付き合い方を教えてサポートしているかがわかる。
https://note.com/anaguma_ibisya/m/mc7a15fa195a4/hashtag/2095
学校になじめないとか昔っからその気はあったし、別の病院では簡単な問診だけでADHDだと診断が下りていたが、
ちゃんとテストを受けて実際に診断が下りるとなると緊張するもんだな。
だいたいの数値の高さが分かる棒グラフと結果が書かれた紙をもらったのと
口頭でふわっとした情報を教えてくれたので自分の傾向はわかったので不足はしていないが、少し残念だった。
ただ一番低い作動記憶ですら「ちょうど平均」だったらしく全体のIQそのものは高めにでたらしい。
高めといっても傑出して高いわけではなくてあくまで平均的な高さと説明をしてくれた。いわゆるメンサには入れない程度の高さなんだろうなとは思う。
もしかしたら自分は知的障害があるのかも……なんて思っていたのでその点は安心した。
ただIQの高さが年収や幸福度などと相関しないことを自分自身で証明してしまったので複雑な思いだ。
やる前からわかっていたことだが高めだからといってもなんの慰めにもならないな、本当に。
ちなみに一番高いのは知覚統合。ほか二つはそのあいだくらいと思ってくれていい。
そのあとコンサータの説明を受けて登録のための用紙を書いてその日は終わり。
いまはコンサータの登録カードが届くのを待っている。このあとは自立支援と障がい者手帳を申請して少しでも人生が上向くように準備をしていく予定だ。
発達障害を診断された話は数年前から擦られまくっているのでいまさらではあるが
生きづらくてまだ未診断の人がいれば頼れるものは頼ってもいいんだ、と伝わると嬉しい。
ちなみに今回、再度診断を受けてまでコンサータ服用をしてみようと思い立ったのはこの記事を読んだから
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/59287875.html
俺以外にもいろんな人が投薬に前向きになったんじゃないかな。
ブログ運営って大変だとは思うが凹凸ちゃんねるさんには引き続き更新を頑張ってほしい。無理のない範囲でかまわないので。
前の病院で診断が下りたあと、母にADHDであることを告白した。
学生時代に離婚をして女手一つで育ててくれた母だ。大人になったとはいえ当時は同居していたし報告することが筋だろうと思い言ってみた。
「その血は父親の血だ」
母は目をかっぴらいて俺に即答した。ショックのあまり言葉が出なかった。数年経ったいまでもはっきりと思い出せるくらいに鮮明に覚えている。
たしかに父は母に聞かされてきた愚痴によると友人の挙式日をマジで忘れたり、万札がいきかうような麻雀をしていたらしいし、
俺が幼い時から父と母が口論の末、父が切れてよく母に手をあげてはそのたびに壁に穴が開いた。
ありえない物忘れや高額レートのギャンブルに感情のコントロールが効かない……そういうところはたしかにADHDっぽいところはある。
俺は別に療育をしなかったことを責めたわけでもない。ただ「ADHDだ」と伝えただけなのにな。
幼少期から俺に愚痴をこぼし、「あんな人間になるな」と言い聞かせるほど父を嫌っていた母からでたその言葉は、俺には重かった。
ADHDであることを父のせいにした母には失望したし、もう縁を切ってもいいかと思ってしまった。
当時の地方に生まれて育った田舎者なので療育の知識はもちあわせていなかったし
先日亡くなったH占い師の”ありがたいお言葉”を信じている程度には頭はよくなかった。※でも家族全員金星人で一家離散したな。占い通りだね、よかったね。
やりたいこともやらせてもらえないし、口論になったら個人の尊厳を平気で傷つけるような人で、大嫌いだった。
だが女手一つでFラン大学とはいえ卒業まで支援をしてくれたなんだかんだ母との縁は切ることはできないだろうと思っていた。
でも今は違う。
俺はどうやら嫌いで憎らしい父の分身なんだってわかってしまって、心の底から失望してしまい、もういいかなって思っている。
で、一度失望してしまうと過去の抑えつけてきた思いがどっとあふれ出した。
・付け焼刃で勉強した児童心理学(?)を真に受けて俺の描いた絵を「暗い。笑顔がない」と破り捨てなかったら?
・「塾に通わせてちゃんと勉強させてあげてください。この子は秀才です」と先生に言われたのを無視しなければ?
・「父じゃなくて〇通の人と結婚すればよかった」なんて話を聞かされなければ?
あぁあ、なんかいろいろ思い出してきたら頭が回らなくなってきたわ。つか酒を飲みながら日記なんて書くもんじゃないわ。
俺って何だったんだろうな。いろいろなあったかもしれない可能性を考えては勝手に傷ついていく。馬鹿な自傷行為だ。
この酒を飲んだらもう寝ることにする。つらつらと駄文に付き合ってくれてありがとうございました。
親が口論してる中、爆泣きしてる妹の面倒を見てた。
自分がパチスロしたいからって夏休みに入った妹の世話を押し付け。
俺には塾に通わせず片落ち実業高校、妹は通わせて県内トップの進学校。
県外とはいえ実業高校からも進学できる可能性のある公立を探してきたから受けさせてくれという嘆願も拒否。
口を開けば公務員バッシングなのに俺には「公務員になれ」。お前の挙式に当時の県知事か副知事が出席したんだろ?バッシングする筋合いねぇだろボケ。
「父と結婚せず電〇の人と結婚すればよかった」ってよく言っていたが、幼少の子どもでもその言葉の重みはわかるからなボケが。
俺がその言葉がもとでずっと不信感あったの気付けボケナス。つかアッシー君メッシー君がいたってそんな女の話を未就学の子供にするなカス。きもいんじゃ
発達障害のこともそもそも鬱などのいろんな精神疾患のことも全部大学~社会人になってはじめて正しい知識を知ったし、
統合失調症だってお前の言う”普通の人”にだって患うことはあるんだよ。なにがあの子の親はキ〇ガイだ。
当時付き合っていた彼女が「被差別部落出身かもしれないからでていけ」って言ったのは一生覚えてるからな。
それも成長して親や教師等周りの大人より身体的な力が強くなったら通じないから詰んでる
グレーゾーンだとプロの療育は受けられない、かといって健常児と同じ発達はしないし素人の親が一人で努力したってどうにもならない事が多いだろう、から本当に詰んでると思う
つーか現代医学だと障害とはされないけど元々身体的な問題あり、ってのもいるだろうしな
暴力犯罪者はテストステロン値が高いなんて話もあるけど、それも今は障害とはみなされない
でもひょっとしたらテストステロン値が異常高値で暴力衝動をどうしても抑えられない、なんて人も中にはいるのかもしれない
性欲についても異常に高すぎて抑えられない人もいるだろうし、性依存症ってのもいるだろう
息子がこの世に誕生して結構経つけど、親の私は産む前と産んだ後ですこーしだけイメージが変わったので赤裸々に書こうと思います。
これはほんとにみんな違う。大学を卒業する人もいれば、芸術的な才能を開花させる人もいる。息子がダウン症じゃなければ知らなかったことだ。
顔も、特徴はあるがみんなやっぱり親に似ている!
でも正直言うと私は息子が誰に似ているのか分からない。
なので「パパによく似てるね」と周りから言われれば黙ってしまうし、一緒にいる家族も変な雰囲気になる。
たぶん理由はいくつかあって、愛想が良くて裏表がなく笑顔がステキな子が多いからだと思う。でも実際はめちゃくちゃ頑固な子とか、知的障害から来るあれこれで怒りっぽい子とか、あと自閉症を合併している子とかも少なくなくて実は思ったより天使じゃない。そこは普通の子と変わらないと思う。誰かがポジティブに捉えるために天使って言い出したんじゃないかとひねくれの私は考えている。
さて本題に入りたいと思います。
これはダウン症に限らず、どんな障害や病気を持つ方にも「可哀想」と思うことはあるかと思う。ただ私は殊にダウン症のことを可哀想だと30年思ってきた。身体的にここまで特徴的な病気はないと私は思う。パッと見てダウン症だと把握されて、偏見の目に晒されたりするのが可哀想だと思っている。現在進行形で。
どう対応したらいいか、息子以外分からない、なんて言葉をその子の親にかけたらいいか分からない。
これは変えようと思っても変えられない。カウンセリングに通おうかな、とかも考えた。
息子は可愛くてしょうがないのに、いざダウン症の親の会や施設に行って他のダウン症の人を見ると「うわっ」となってしまう。
我ながら最低だと思います。本当に。
けど最低ながら日々療育に通えたり、施設に行ったりできるのは慣れと諦めが大きいと思う。
まずダウン症の顔が受け入れられない。この問題をどうにかするために、一日中「#ダウン症」でインスタを検索した。
34万の投稿で目を慣らしていった。今では何も考えずに見て「この子かわいいな、ステキだな」と思えることも多くなったが、実際に見るのは脳みそが受け入れられないのだ。
「息子も、ダウン症なんだ」とどーーーんと衝撃が来るから。それで自分を責めて、自己嫌悪に陥ったりしている。けど誰に言われたのかすっかり忘れたが、「無理しなくていいんじゃない?」という言葉に救われた。
無理して他のダウン症の人と交流しなくていいし、無理して自分を偽って優しくなろうとしなくていい。
なるほど、たしかにそうだと思った。
基本的には親がアカウントを運営しているのだが、悩んでいる人、悲しんでいる人も沢山いる。けどやっぱり圧倒的に多いのは、ダウン症を受け入れて明るく楽しくやっていこー!!みたいなポジティブでキラキラした投稿ばかり。
そういう投稿をすることで、自分の気持ちの整理がついて世界に馴染めるというか、肯定感を高めることができるので他の人と共有する楽しさはすごくわかる。
ダウン症の告知をされた両親の中には、そのキラキラに圧倒されて迷いや葛藤が生じている方もいるのではないでしょうか。そして私と同じようにダウン症を受け入れられない方も沢山いることでしょう。
私みたいなひねくれ者でもダウン症の子を育てていけるので、安心してください。
どこかで諦めがつきます。ま、いっかってなる日が来ます。そのためにはいろーんな人と喋って、無理なことからはそっと離れて、あんまり他の子と比べてはいけません、めちゃくちゃ辛くなるので。
たぶん解決策は無くて、きっと一生このままだと思う。
最後に、この日記?にたどり着いた子どもがダウン症の告知をされた方、出生前診断でダウン症の可能性があると言われた方…
いっぱい悩むと思いますが、辛くなったら抱え込まずにいろんな人と話してください。パパやママが笑顔なのが、子どもにとって1番だなーと思います。そして、私たちが悩んでいることなんか子どもは全く気にしてません。
ではまた。
元増田です。お子さん3人全員診断済みとは凄まじい。
ここ全く一緒。妻の口癖に「普通は〜」があるくらい、特に「普通」にこだわる。「普通」から逸脱することを極端に嫌うんだよね。全てにおいて普通であることがむしろレアケースだと思うのに。
当たり前と思うことを壊すための話し合い、参考にさせてもらう。私も何かこだわりを持ってしまっている可能性があるから、それを溶かし合うようにしていきたい。
カウンセリングの場は(もちろん変な集団には気をつけつつ)もう少し探した方がいいのかなと思ってる。集団療育の同じクラスのパパママとは話す機会が多いんだけど、みんな同年代の子だから、将来への不安の共有に留まりがちだなあって。一方で療育の先生方の体験談やコラムにはだいぶ勇気づけられたな。
他に知り合いに相談しても「でも子どもは可愛いでしょ?」とか「親が元気でいなきゃどうするの」とかいう方向の助言が多かったから、かえって妻は滅入ってしまったのだと思う。いま思えば、答えの出ない相談を何度も同じ人たちにしている時点で作戦変更すべきだったんだよね。
「3人で生きていきたい」という文字があったので自分からアドバイス。
怒鳴るような喧嘩は毎日だし殴ったろうかと思ったことも何度もあるけど(自分は人生で暴力を一度も振るったことのないヒョロい人間です)、それでも多分ウチは軽い方なんだと思う。
最初は大変だった。
発達障害に対する偏見は自分の中にもあったしどう付き合っていけばいいのかひたすら悩んだ。
でも日々疲弊していく妻を見てこれはいかん、打開策を考えねばと気持ちを切り替えた。
で、こういうでかい問題が起きた場合、受容できるかどうかが全てってことに行きついた。
子供は〇歳になったらこれが出来て当然、夫婦はこんな関係性が当然、家族はこうあるべし。
ウチの奥さんの怒りや無力感はいろんな「普通」に縛られて、その枠から外れる不安から発生してた。
健常児でも発達障碍児でも千差万別で正解なんてないのにね。
だからその枠を壊す話し合いを徹底的にやった。
子供を立派に育てなくてもいい
別居してもいい
籍を抜いて同居してもいい
落ち着いたらまた結婚してもいい
役割を全うしなくてもいい
何年後には解散するチームと捉えてもいいし、子育てをお金がかかる趣味と割り切ってもいい
愛情をかけてもいい、かけなくてもいい
発達は遅くてもいい
ここまで壊して、それでもこのメンバーで家族を続けたいかって考えて、夫婦ともに同じ方向を向けたから今も家族でいられてる。
無意識に自分が当然と思っている思考の枠から離れてゼロベースで未来を考えられるか。
それが受容するってことかなと今は思ってます。
奥さんもいろんな「普通」をそぎ落としてそれでも「3人で」って考えられるなら、きっと再構築できるよ。
公的なカウンセリングも大事だけどウチで一番効果があったのは似たようなレベルの発達障害の子供の親との愚痴の言い合いをする場。できれば酒ありで。
みんな苦労してるし、3年、5年先はこうなるって実体験で言ってもらえるのがすっごく助かった。
「ウチもそれで悩んでたけど高学年になったらおさまった」って言葉に心底救われた(実際そうだった)。
なにより奥さんの顔が明るくなった。