はてなキーワード: 生物とは
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?
虫の生態、出生は未だすべては明らかになっていない。
そもそも虫って他の生態と比べても明らかに異質だし、学者間でも「こいつらどこから来たの?」ってな具合に言われてる。
そこで思う。
こいつらの正体って、実は”タイムマシン”なんじゃないかって。
どういうことかというと、遥か遠くの未来人が過去の世界を見る、または体験しようとするときにどうするか?
そこで”虫”を使うわけだ。
正確には”虫”というアバターを。
未来人は”虫”をアバターにして過去に飛び、虫となって過去の世界を見たり跳んだり眺めたりするわけだ。
”虫”は捕らえられたところで一生物。
ただの”虫”であって、それ以上でもそれ以下でもない。
今の時代では。
だから何のリスクもないし、未来人は”虫”を媒介にすることによって、タイムトラベルをしている。
ゴジラはほぼ見たことなくて近作もシンしかみてないけど唐突に昭和ゴジラへ行った。
採用理由はふらっと見るなら知名度があるヘドラかなと思って選んだ。
(モスラ・キングギドラ・メカゴジラはシリーズもの過ぎる気がして避けた。)
テーマソングの「かえせ! 太陽を」は結構好き。でも汚れちまったときたら悲しみにが脳に割り込み処理されて困った。
同時に流れる海のヘドロもよくできてると思った。
映像と言えば試験管やシャーレのオタマジャクシのCG?はよかったし、チャレンジングなアニメーションも今から見ると昭和実写映像より見所があったし被害地域とシームレスになる演出はええやん!て思った。ミニチュアとかも予想よりはマイナスにならず気にならなかったけど、テレビへの映像のはめ込みはなぜか、かなり気になった。我ながら細かい。
ヘドラの造形もいいよね。目が横型でまぶたが外側になっているのがお気に入り。瞳が赤いのもいいしおたまじゃくしよりかはデメキンっぽいなと思ってた。ただ飛行形態はちょい雑かなって。あと光線の出る場所ももうちょっとこだわって瞳孔から出すか涙腺を意識するかしてほしかった。なんか目の辺りから適当に出してた印象。
対してゴジラは、うーん…クソダサくない?もっとダサいゴジラも居ると思うけど単体で見てもなんかね。首あたりが。やっぱ着ぐるみに首長は合わないよなあとゴジラが苦手な原因を再確認。でもなぜか最終決戦ではそこらへん気にならなくてかっこいいまであった。謎。
飛行シーンは最初見たときそりゃねえだろって気持ちとまあいいかぁ!って心が二つある~。最初飛ぶのはもう昭和人センスだからかと許せたけど、せめてポーズはもうちょっとあっただろといいたかったし、許した後にヘドラを掴んでカムバック飛行したときはそら許せませんわなぁ!となった。掴んで飛ぶことありきで最初の単独飛行もあのポーズになったと理解してやっぱ許せねぇ!ってなるよ。
怪獣映画はまあ怪獣プロレスを期待してるしゴジラの過去シリーズのどこかはそういう傾向になったらしかったことも見たことあったんだけど。それでも(思考が)人っぽいなあと感じることがあった。
ヘドラはゴジラを掴んで飛んでいい感じのくぼみに落としてヘドロ攻めするところとか。余談だけどこのシーン、ヤギコン好きな人にはたまらないだろうなと思う。ドロまみれであがくゴジラ、えっちくない?
ヘドラと鳴き声で意思疎通してる風なシーンがいくつかあったけど意味を推察することはできなかった。後述すると思うけどゴジラの立ち位置もわからなかったし。
一番辛かったのがしつこく繰り返される腕をちょいちょい(こいこい?)動かす場面。変則でちょっと顔を触って腕ちょいちょいもある。
あれまっっっったく意味わからんかった。最初は「帰れ帰れ」かと思ったけど終盤でもしてるし、「俺はやるぜ」的なヤンキーポーズなのかなと捉えたけれど、いやいらんだろ。俗っぽすぎる。人っぽい。人外生物の威嚇でも成立してない気がする。なんだろ、当時流行っていたポーズのオマージュなのかな?とにかくゴジラが独り腕を動かすだけのシーンが出るたびにテンポも死ぬし人っぽいしイライラした。
さらに悪い知性でいうと最後の人類の兵器をゴジラが活用して倒したこと。人類が一度動作させたのを見ていたならわかるけど一度も動かなかった謎の建造物を活用して倒したのは(偶然にしても)最悪だった。しかも一度ならず活用している。最後の執拗な死体損壊からの徹底的な焼却は動物的本能で飲み込んだけど、ゴジラが自分の熱線より強い人類兵器を(熱線を使い)活用して倒したのは賢いゴジラというよりは強者の生物的プライドがないゴジラだなぁと感じた。もう少しシナリオでカバーできた部分だと思う。(ゴジラは他でも賢いしコミカルな・俗な動きもするヤツだといわれればそうだろうけど)
ウルトラマン風ポーズは…一瞬だしサービスシーンとして許すよ。
そんな感じで作品の悪い部分はだいたいゴジラに集中する。そもそもゴジラは水爆実験の放射能汚染で誕生したんだっけ?詳しくないんだけどたしかそんな風だったと思う。で、人類への怒りとか警鐘をテーマとして少しは背負ってたのかな。
そんでヘドラが公害汚染から生まれた怪獣で、ある意味被害者の会の友じゃない?人っぽい動きするなら人っぽく共感が生まれそうだけど。
それをヘドラから人類を守るってのはなんかなぁ。執拗に人類を狙わず海でひっそり暮らせってスタンスならわからんでもない(からゴジラの腕クイクイは最初、余計なことせず帰れ帰れの意味じゃないかと考えた)
過去作で人類との和解があったのか既にヒーロー路線に入っていたのかはわからないけど、そんな人類(地球?)の守護者的なのはガメラさん担当じゃないのん?って。ガメラもしらんけど。今回空飛ぶし。それガメラさんちゃうの?って。後追いの後追い?
なぜゴジラが現れるのかってのはもうこの時代ですでに考えないお約束になっていたのだろうか。(住処の海をヘドロで汚染された怒りが拡散させそうなヘドラにも向いてたのかなぁと考えている)
公害テーマもわりと淡々としていて、ヘドラが出現したことによる人類全体への警鐘・反省感はやや薄い。いえね、本当に100万人集まって公害反対できればよかったねと言いたいわけではないの。あの彼ら以外のメディアとかの人々のヘドラの出現やその原因についての反応が結構淡白で、公害から生まれちゃったかーしゃーねーどうやって倒すべかなって雰囲気。まさに当時の人々そのままで風刺しているとも言えるけどね。環境を綺麗にするとか体内のヘドロを浄化するとかでアンチヘドラするんじゃなくて(ゴジラの初登場含め)焼却してまえ人々は退避してまえとヘドラへの向き合い方は普通のいち怪獣だった。だから公害はあくまで当時取り上げたテーマで、反公害への"強い"メッセージ性はそこまで感じなかった(無いとは言わない)。見る前の印象が「かなり異色中の異色作」だったから、視聴後はギリ普通の作品の範疇かなと印象を落ち着かせた。
ゴジラの最後のひとにらみが警鐘だ、と解説されてもうーん。わからんかったよ。人が作った兵器で倒して人にメンチ切るのはダサいと感じた。ただ「人原因のヘドラを俺に尻拭いさせんなよ」的な怒りは伝わった。悪く外して読むと「兵器ちゃんと使ってお前らで始末つけろや」みたいな(ゴジラさんのプロレスで壊れたんだけど)
不満たらたらな部分を多く書いたけどヘドラの怪獣の出来はいいしテーマもいい。人間部分もそんな悪くない。昭和映画と身構えても全然見れる映像だったし、トータルでいうと悪くない作品。ゴジラがあまりよくないとは逆に言えば別にゴジラ好きじゃない人間には減点になりにくいのかもしれない。
あ、あとゴジラさんなんかリジェネかかってません?目がつぶれっぱなしのヘドラに比べてヘドロが落ちてたりとダメージ描写はあるけどピンピンしててずるいと思いました。
最も考えやすいのは「何かを入れたら、どれだけ出てくるか」というinput-outputモデルで考えることができる。
おそらく一部の人はinput=労働人口, output=生み出した収益、として計算したいと言うだろう。要するに「人間よ、生産的に働け」と言いたいようだ。
しかしもっとシンプルなモデルとしては、inputとoutputの次元を一致させるために、input=投入金額(¥), output=生み出した利益(¥)として計算できる。
productivity = output ÷ input = ¥/¥ = 無次元量
無次元量であるので、割合と同じ意味合いを持つ。投入金に対して、生み出した利益はどのぐらいを占めるのか、である。
このように、inputを労働人口よりも¥に換算することで、例えば金融を正当化することはできるかもしれない。
inputを労働人口で考えた場合「より少ない人数で利益を沢山生み出すのが良い」ということになり、人件費が考慮されていないことになる。しかも労働以外の技術要素などが考慮されていない。
確かに国民の幸福という観点でみれば、inputは分配されなければならない。
input = 労働者にかかるコストA + それ以外のコストB = ¥
もしinput一定とすると、AとBという生物が資源を奪い合って争っているような形になる。
outputが向上しないなら「人工知能を使えば生産性が上がる」ということはない。むしろそれは、最大限Aを投資しても、まだinputに投資できるときに人工知能などのBに投資するという話が出てくる。
国民が働けるように環境を作るのであれば、AとBの争いが生じた場合に、Aを優先できるような仕組みが要るのではないか、とおじさんは思いました。
追記1: あるいは投資Bによって生産性が極めて上がったけど、失業者が出たと言うなら、パレート改善という観点から見て失業者に手当を出すべきでは。
追記2: ここに資本主義の妙があると思う。金が金を生むということを言っている。本当に何かを生産するスキルのある人 (例.コーヒー豆農家) は奴隷のようになり、金を動かしている人が得をするような状況になっている。
いや、単なるヒステリー期だよね?
ガルガルみたいな、アニマル味見せてちょっとかわいい感じ出してマイルドにして免責されようとしてるけど、やってることは理不尽なヒステリーでしかないよね?
いや、100歩譲っていいよ?ホルモンバランスが乱れてるから仕方ない、理性的にはなれない、生物としての本能だから。別にいいよ?
じゃあ男の本能も認めるべきだよね?ムラムラ期になったら痴漢していいの?ん?
痴漢はまあジョークにしても、「有害な男らしさ(笑)」だの「ホモソーシャル(笑)」だの、それらも男の本能の結果なんだが?
フェミニズムってのは俺は人間の本能からの離脱を目指しているんだろうと理解していて、だから人間の本能としては男が外で働いて女が家の中で働くってフォーメーションが自然なわけだけど、そこにNOを言ってるんだろうなって思ってるわけよ
昭和の時代はおっさんが職場で自由に女の尻普通に揉んでたらしいし、性的搾取(笑)とかいう意味不明な言葉だって結局男の本能ゆえのものでしょ?それらを批判して、本能からのアップデート(笑)を促してきたのがフェミニズムじゃないの?
なんで女さんの都合の悪いときだけガルガル期(笑)だから~ホルモンバランスが崩れてるから~とか言ってんの?何本能に身をゆだねてんの?理性的に行動できなくて恥ずかしくないの?アップデートしろよw
7月の猛暑、観測史上最高に ほぼ確実に「12万年ぶりの暑さ」
https://www.cnn.co.jp/world/35207118.html
これだけ暑くなって地球は大丈夫か、なんていう人がいるけど、暑くなって困るのは地球ではなく人だと思うのでそこを整理したい。
地球は現在氷河期の中の間氷期(氷河期の中では温暖な時期)にあたり、地球の歴史の中ではこれでも寒い方になる。
恐竜が大地を闊歩していた頃は、地球の気温は今より10度は高かった。
それらの環境の変化を地球の生き物たちは進化によって適応して乗り越えてきた。
気温が10度や20度変わったぐらいでは、一匹残らず全滅するほど地球の生物はヤワではない。
しかし生態系が大きく変わる過程で大量絶滅は必ず発生する。それは人も例外ではない。
結局人にとって困るのは、人が激減して文明が崩壊して生活が破壊されることだ。
地球の生き物はヤワではないが、人の文明はヤワで、個人はもっとヤワだ。
大量絶滅で地球の生き物の7割が死滅しても、その7割の穴は新時代の新しい生き物たちが永い時間をかけて埋めていく。
概要: 本作は、架空のアドベンチャー小説であり、舞台は近未来の地球と未知の領土である北方領土が舞台です。主人公はエリカちゃんという名前の元気で好奇心旺盛な少女です。
物語は、エリカちゃんが偶然にも北方領土に秘密の通路を見つけ、そこから不思議な世界へと足を踏み入れることから始まります。北方領土は、時空を超えた謎めいた場所で、氷の大地と幻想的な生物たちが共存しています。
エリカちゃんは新たな友達とともに、北方領土の謎を解明し、異世界の冒険に出ます。彼女は勇敢さと賢さを発揮し、困難な試練に立ち向かいながら、自分自身と向き合い、成長していきます。
物語は驚きと感動に満ち、読者を未知の世界へと導く冒険譚となっています。北方領土エリカちゃんの物語は、友情や自己超越、そして遥か彼方の冒険への想像力を称賛する作品として、多くの読者に愛されることでしょう。
上記は明確にタイトルだけから概要創作してくれと明確に指示して作り出したものだが、
Twitterでやってるような、存在しないタイトルについて聞いて、それについてでたらめな情報を出して来るということがそもそも最近のchatGPTではまず出来ない。その情報はありませんと返されるだけで、タイトルから適当な中身を創出してはくれないのである。どんなやり取りしてたらあんなにすらすらと存在しない情報出すようになるんだろうか