最も考えやすいのは「何かを入れたら、どれだけ出てくるか」というinput-outputモデルで考えることができる。
おそらく一部の人はinput=労働人口, output=生み出した収益、として計算したいと言うだろう。要するに「人間よ、生産的に働け」と言いたいようだ。
しかしもっとシンプルなモデルとしては、inputとoutputの次元を一致させるために、input=投入金額(¥), output=生み出した利益(¥)として計算できる。
productivity = output ÷ input = ¥/¥ = 無次元量
無次元量であるので、割合と同じ意味合いを持つ。投入金に対して、生み出した利益はどのぐらいを占めるのか、である。
このように、inputを労働人口よりも¥に換算することで、例えば金融を正当化することはできるかもしれない。
inputを労働人口で考えた場合「より少ない人数で利益を沢山生み出すのが良い」ということになり、人件費が考慮されていないことになる。しかも労働以外の技術要素などが考慮されていない。
確かに国民の幸福という観点でみれば、inputは分配されなければならない。
input = 労働者にかかるコストA + それ以外のコストB = ¥
もしinput一定とすると、AとBという生物が資源を奪い合って争っているような形になる。
outputが向上しないなら「人工知能を使えば生産性が上がる」ということはない。むしろそれは、最大限Aを投資しても、まだinputに投資できるときに人工知能などのBに投資するという話が出てくる。
国民が働けるように環境を作るのであれば、AとBの争いが生じた場合に、Aを優先できるような仕組みが要るのではないか、とおじさんは思いました。
追記1: あるいは投資Bによって生産性が極めて上がったけど、失業者が出たと言うなら、パレート改善という観点から見て失業者に手当を出すべきでは。
追記2: ここに資本主義の妙があると思う。金が金を生むということを言っている。本当に何かを生産するスキルのある人 (例.コーヒー豆農家) は奴隷のようになり、金を動かしている人が得をするような状況になっている。