はてなキーワード: 後期高齢者とは
看護師をしているので、必然的に高齢者とよく話す。若い患者よりも高齢者の方が得意だ。自分がちょうど孫くらいの年齢になるので無条件でかわいがってもらえる…というのはさておき。
個人的に生きることは苦行のようなものだと思っている。楽しいこともたくさんあるから苦行の一言では済ませられないけれど、やっぱりしんどいことの方が多い気がするのだ。そのようなものを高齢者は70年80年、人によってはそれ以上の年月をかけて続けてきたのだと考えればそれだけで尊敬の対象になる。本人達にその自覚はないことの方が多いけれど。
ただ、その中でも特別にすごいな〜と思うのはスマホを使っている高齢者だ。
スマホを使っている高齢者はあまりいない。体感だと30人に一人いるかな、というくらい。スマホなんだ?って聞くと「家族に持たされたんだよ」とか「NHKで講座があってね」とか、ちょっと照れ臭そうに教えてくれる。私にとってスマホはあって当たり前のものだけれど、その人達からすれば新しいものなのだろうし、それを使っている自分は少しだけ恥ずかしいのかもしれない。かわいいなって思う。そうしてそれ以上に感心する。
自分が後期高齢者になったときに彼らにとってのスマホのような新しい文明を使えるかな?使いこなせるまではいかなくても使ってみようと思えるのかな。思わない気がするんだよなあ。
高齢者は環境の変化に耐えられないことが多い。入院による混乱で、スマホの使い方を忘れてしまったおばあちゃんにラインの仕方を教える時間が好きだった。ここを押せばトーク画面になるんだよって笑うと「そうだったそうだった」とたくさんお礼を言ってくれた。退院する頃になれば私に聞くまでもなく一人でウェブ検索をしていたけれど。そのくらいに変化に弱い高齢者が新しい文明を手にしてその使い方を覚えるってほんとうにすごいことだよな、と思うし、そういうチャレンジ精神だとか新しいものに対する好奇心だとか。困ったときに人に頼れるところだとか。目の当たりにするとこういう高齢者になりたいな〜と思うのである。
祖父と暮らしていた頃は二週間に一度の頻度でキーボードのローマ字入力をかな入力に戻してくれ!と頼まれることを面倒に感じていたんだけれど。あの歳でパソコンを使ってクックパッドを開いていた祖父もすごかったんだ…と今になればわかる。もしも実家に戻ることがあればそのときは優しく教えてあげたい。
大学時代の友人
「被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者はかわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」
大学時代の後輩
「就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」
自己の尊厳の低さを、障害者という依存的存在への奉仕という行動で自己の尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。
「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。
恐らくだが、被告は当時の自分に自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。
「入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言。
「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」
3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事に従事しているという認知フィルターが外れた状態。
もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。
「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」
地元の友人
仮説1:
『何もできない障碍者をケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事に従事している』(入社時)
↓
『地獄のような環境に障碍者を隔離、放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)
↓
「正しい事は何だろうか」
↓
主張
想定しうる主張の論拠
・社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間が積極的に排除されている
・介護従事者が現在の倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される
・障碍者の尊厳死という考え方。障害者施設に隔離され、介護従事者から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態を人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方
多分被告は死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。
・非常に高ストレスな環境にも関わらず、相応の報酬が得られない
こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。
俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。
れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、
結局のところこれ、こういう福祉に対する予算、人員、ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。
後期高齢者に対する医療費が天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、
正直現場の人や、障碍者の人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。
先週, Twitterを中心に大学院生の授業料免除について大きく話題になった. 話題の根拠となったのは文部科学省がHP上に公開している高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A):文部科学省であり,
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)
との記述が大きな反感を買ったようだ. 大学院生の授業料免除がなくなると捉え, 反発した人も多くいたようだが, 実際には授業料免除がなくなるわけではなさそうである.[1]
この話題に関してTwitterで見かけた投稿に違和感を感じたので, それについて述べたいと思う. 私が見かけた多くの意見は, 文科省に対する強い憤りを示したものであった. とくに, 引用箇所の「こうした者とのバランスを考える必要」というところに強い反発があったように思う. 日本の科学力に貢献している我々がなぜこのような不遇な状況に置かれなければならないのかといったように.
しかし, 本当に彼らは劣悪な待遇を受けているのだろうか. 学歴別の年収統計を見てみよう. 厚生労働省の公開しているには学歴別の賃金カーブが掲載されている. 大学院生と大学生は区別されておらず, 一緒のカーブに統合されてはいるが, 一番賃金カーブが高いのが大学・大学院卒である. 大学院卒の初任給について https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/17/01.html に掲載されているが大卒に比べてやや高い. また, 経験的ではあるが大学院に進学する学生は難関大学ほど多いことを加味すると, 大学院卒のほうが大学卒よりも昇給の度合いが高いのではないだろうか.
何が言いたいかと言うと, 大学院卒は(少なくとも大卒以上は)日本社会における勝ち組であり[2], 高卒と比べて一年あたり数百万程度の賃金格差が存在するのである. 国立大学なら修士2年で100万程度の, 私立大学でもおよそ300万の学費に文句を垂れる資格はあるのだろうか. 大学院生である間の懐が寂しいのであれば, 奨学金を借りて勝ち組になった後に返せばいいだけだろう. 就職に失敗した時の不安なら, 奨学金返済に関して勝ち組になれなかった場合のセーフティネットの拡充を求めるべきだろう. 大学や大学院には, 国家から様々な形態で資金が渡っている. 高卒者と比べてすでに多くの支援を受けているにもかかわらず, 大学院生に対するさらなる厚遇があって当然と言わんばかりの発言には不快感を感じた.
大学院生らのもう一つの主張は, 大学院生を冷遇すると日本の科学力を大きく損なうことになるというものだ. これが事実だとしても, この手の意見には少しばかりの違和感を感じる. 先の意見を強めに言い換えれば「日本政府は大学院生という国家にとって非常に価値のある人材に投資するべきであり, 高卒などの投資価値の薄い人材との公平性など考えなくて良い」となる. 彼ら彼女らの持つ強いエリート意識にあまりにも無批判でいることに嫌悪感を抱いた.
先にも述べたように, 体感として大学院生の多くはある程度の難関大学に在籍する者たちである. 東大生の親の年収の多数派は950万以上というデータ[3]があるように, 彼らはアッパーミドル以上の家庭で育っていることが多いだろう. 日本には非常に劣悪な環境で勤務する労働者が存在するということを認識していないのではないか. 周囲にいるのはそれなりにお上品な人ばかりだから, 他者感覚のない意見を平気で発言できてしまうのではないだろうか.
彼らの考えでもう一つ気に入らないものがある. 彼らはこの手の話題[4]になるたびに文科省や財務省を批判している. 日本政府を満足気に批判して終わっているが, 大学院生でもありながら事の本質に迫らずに終わっているのは悲しいものだ.
文科省や財務省も所詮は与党政治家の手先に過ぎない. そして与党政治家も所詮は国民の多数派や圧力団体の代弁者に過ぎない. 彼らの真の巨悪は日本が採用する民主主義だ.
民主主義はすべての国民が平等であることを前提に構成された制度である. どのような人間でも有権者でさえあれば等しく一票を投じる権利を有する. つまり多数派が正義だ.
彼らの考えに基づけば, 政府が投資する価値のある大学院生・研究者と投資する価値の少ない「その他」に分けられる. しかし, 大学院生や研究者は日本において圧倒的少数派である. 投資する価値の少ない多数派に多くの国家予算が注ぎ込まれ, 投資する価値が高くても所詮は少数派にすぎない彼らにはあまり投資されない. これが民主制の必然ではないか. とくに大学院生は将来の勝ち組である. いくら投資するのが合理的とは言え, 勝ち組に投資することを許容できるほど今の日本の民主主義は成熟していない.
それでも昔の日本はうまくやっていたのだろう. バブル崩壊前までは日本は精神的にも豊かであり, 国民は日々の生活に満足していたはずだ. 日々の生活に不満がなければ政治に関心を抱かないし, 裏で国家の資源が勝ち組に回っていたとしても許容できるくらいの度量があっただろう.
しかし今の日本は先行きが見えない. 少子高齢化問題により国家の財政は逼迫し, さらに高齢者や妊婦などの様々な国民が政府からの支援を求めている. 現代の日本の最大の課題は限りある国家予算をどう分配するかであり, どこかに予算を割り当てるには, 他の誰かの予算を削る必要がある. そして日本は民主主義国家なのだから支援を求める多数派から順に予算を分配することになる.
日本において大学院生は非常に少ない存在である. 後期高齢者1700万人[5], 身体障害者436万人, 知的障害者108万人, 精神障害者392万人[6], 生活保護受給者210万人[7], 母子家庭123万世帯[8]に対して大学院生は25万人[9]にすぎない. 一般的に考えられる支援が必要な社会的弱者より一桁人数が少ないのだ. 国民の多数派に媚を売ることしか考えていない政治家にとって, 大学院生など考える価値もない存在だろう.
今の日本に民主主義を見る限り, 限られた国家予算は彼らの思う投資価値の高い少数派にではなく, 投資価値の低い多数派に注ぎ込まれるだけだ. 彼らがなすべきことはTwitterで文科省や財務省の文句を垂れることではない. 国民は平等であるという欺瞞に満ちた民主主義を崩壊させる工作活動や, 日本の支配層たる愚かな多数派の日本国民から主権を奪い取る活動をこそ行うべきなのだ.
1 ttps://twitter.com/noi_springfield/status/1154657222816747520?s=21
2 人文系の大学院生やアカデミアに残った研究者などは違う境遇だろうが, 大学院生という大枠でみれば平均的には勝ち組である.
3 ttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
4 欧米諸国に比べて研究者の待遇が悪いことや学費が年々上がり続けていることなど批判できる話題はいくつもある
5 ttps://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/html/gaiyou/s1_1.html
6 ttps://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h30hakusho/zenbun/siryo_02.html
7 ttps://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000164401.pdf
8 ttps://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11923000-Kodomokateikyoku-Kateifukishika/0000188136.pdf
9 ttp://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf
馬鹿じゃねぇの? って思ったけど意外と批判が少なくて考えさせられるな。
免許を取ったからって車に乗れるかどうかは別問題(子育ては更に別)なんだが、危険運転する馬鹿を排除すれば車社会としてはいい面もあるかもしれない、って感じか。
もっと言えば “乗られる車の立場に立って考えれば” 当たり前かもしれない、って話はなくもない。
金で不正取得だとか試験の時だけ安全なふりをする奴なんかも出るだろうけどさ。後は車の方にも色々と問題が――、いやいいかそれは。
ただまぁ、ネタ半分に話に乗っかれば、認可基準もだが免許の種別は複雑多岐を極めるだろうからその部分も言及すべきだな。
すぐ思い付くのはSMの乙種と甲種、その限定条件に加えて一種、二種等の商用、非商用の別だろうな。
加えて対象年齢制限、性志向の種別、糞便愛好、動物、非生物なんかの特殊免許も要るだろう。
例えばこんな風だな。
それからこう。
後期高齢者限定、SM乙種、プレイは出血寸前まで。同性のみ、商用の限定解除。
色々と幅を持っている人間が有利になるって点ではある種のフェアネス(平等さ)を感じなくもないが、マッチングが問題だろうな。
わしは今年45の団塊ジュニアど真ん中だが、どう考えても、我々の世代がいまの受給水準で年金もらったら財政は破綻するだろう。
安倍や麻生が「老後2000万円足りない問題」の火消しに躍起だが、これはもう取り繕いようのない事実で、少なくとも我々団塊ジュニア前後10歳ぐらいは、びた一文年金をもらえないぐらいの覚悟で自分の老後の備えをしていくほかないのではないか。
我が国の再生は、我々世代の犠牲の上に、未来の子どもたちに託すことになるだろう。
我々が後期高齢者になるころには、生産能力のない年寄りは姥捨て山よろしく一つの地域に囲い込んで自給自足の生活をさせ、病気で救いようのない連中にはどんどん死んでもらい、自力で生き残れるものだけが生きられるところまで生きるというシステムにするのがいい。
入居施設の介護職から始まり、生活相談員や居宅ケアマネも経験してきたけれど
たくさんの死を見てきたし、たくさんの奇跡的な回復も見てきた。たくさんの涙とたくさんの笑顔を見てきた。
高齢者やご家族の笑顔があれば頑張れるっていつまで思ってたっけ。でも感謝の言葉は素直に嬉しかったし、今まで介護の仕事を続けてきたことに後悔なんてしてない。
ずっとプライドを持ってやってきた。
不安定なところにプライドだけじゃなく、知識とか経験とかいろんなもの積み上げてきてたみたいで。
給料や待遇、社会的地位を上げてほしいとかそんな単純なことが言いたいんじゃない。
いつまで看護助手って言うの。
医療ドラマはもう見飽きたから介護ドラマなんでもっとしないの。若手俳優やアイドルは出てくれないの。
レクリエーションって何なの私が高齢者になった時も同じことするの。
そこのヘルパーは自分が1時間訪問するだけでどれだけの介護報酬が発生してるか知ってるの。
それなのに自分はそうならないと思っているの。